2012/09/07

もし、細野豪志が総理になるなら、試されるのは日本人自身である(追記あり)
+お知らせ

細野豪志の民主党代表選出馬が取り沙汰されている。
現時点では朝日が「見送る方向」と書き、読売は「出馬の意向」と書いていおり、どうなるかは予断を許さない。
ただ、次期総選挙で惨敗必至と言われ政党としては(とくに候補者)、とにかく選挙に有利な代表を選びたいという意識があるのは当然で、となれば野田<細野ということになるのだろう。

少し前、テレビかラジオのニュースで、アナウンサーがさらりと、まるでもうそれが既定事実であるかのごとく「国民的人気の高い細野氏が、、、」と言っていた。
私は瞬間的に「その根拠はなんなんだよ」と思ったが、普通にこのニュースを聴いている視聴者は、「細野=国民的な人気」という何の根拠もない情報を「そんなものかな」と刷り込まれることになるわけで、実に巧みな印象操作である。

しかし、では政治家としての野田と細野は何が違うのか?
福島第一原発の破局事故は収束したと、閻魔大王も腰を抜かすウソをつき、福島、及びのその周辺地域の人びとのことなど一つも顧みずに原子力ムラのパペットと化しているという点については何も違わない。
野田は原子力規制委員会の人事を国会の承認なしに自らの一任で決めるらしい。
民主主義もヘッタクレもない、なりふり構わぬ原子力ムラに対する忠誠ぶりだが、細野とてこのスタンスに変わりはない。

そうしたなかで私が怖いなと思うのは、細野が民主党代表→総理大臣→総選挙勝利となったケースだ。
霞が関や原子力ムラにとって、現状、野田民主党ほど使いやすい政権はない。しかし、次の選挙結果がどうなるかわからない。
そうしたなかで、メディアが風を吹かせて細野総理で民主党中心の政権を継続させれば「細野の政策が承認された」ということになる。
これは恐ろしい事態だと思う。

木下黄太氏は本日更新のブログの冒頭で「細野環境相⇒細野民主党代表⇒細野総理になるのなら、この国は行きつくところまで行ったということになる。」と書いている。

私もまったく同感だが、さらに言えば、細野が総理大臣になった場合、試さられるのは有権者である国民自身だろう(橋下のケースもすでにそうだが)。
次の総選挙は福島第一原発の破局事故後、初めて行われるものだけに、霞が関や原子力ムラは死に物狂いの勝負を仕掛けてくるはずだ。当然、メディアもその意向に沿った「風」を吹かすだろう。
その「空気」に惑わされることなく、きちんと真贋を見抜くことができるか。
まさに日本人が試される局面だが、個人的には甚だ悲観的にならざるを得ない。なぜなら、日本人というのは、世界一、言論操作に弱いから。

※田中康夫「にっぽん改国」(9月6日付)
(下線強調部分はブログ主)
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「チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。日本という国が崩壊しないように導きたい」。
8月26日付「毎日新聞」掲載の、山下俊一日本甲状腺学会理事長の“呆言”です。「国民の安全を保証する」よりも「行政の面子を優先する」トンデモ“誤用”学者です。
「放射能の影響はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験で判っています」と「3・11」直後に講演した彼は、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして県内の子供の甲状腺検査を「差配」しているのです。8月30日、その御仁が副学長を務める福島県立医科大学で開催された「私的懇談会」終了後に細野豪志環境大臣は、来年度から福島県民を対象に「ゲノム=全遺伝子情報」解析調査に着手、と語りました。
翌31日、県内の子供からDNAを採取し、「通常と異なる塩基配列や遺伝子の異常を見付ける」経費を来年度予算の概算要求に盛り込み、「被曝が人間の遺伝子に与える影響について調べる」と環境省は発表します。
平均年齢10歳の県内の子供の3割以上に甲状腺異常=嚢胞が発見されているにも拘(かかわ)らず、「政府としてしっかりと(福島に)向き合っていく。遺伝子の調査は直ぐに不安の解消には繋がらないかも知れないが、人間の根源的な遺伝子を調べる事で将来への予防になる」と胸を張る細野“二股番長”は即刻、霞が関から程近い虎の門病院で、オツムの思考回路をX線CT検査すべきです。
喩(たと)えたなら、洪水の危険性が高い地域にも拘らず、即時実施可能な住民避難も堤防補強も家屋移転も敢えて怠り、数十年後に完成予定のダム建設に向け多額の調査費を計上するが如き。実に本末転倒です。彼も又、「国民の安全を確保する」よりも「業界の利権を優先する」トンデモ“二股大臣”なのでした。
静岡県三島市が選挙区にも拘らず、福島と並んで原発銀座の福井で後援会「福井・豪志の会」が発足、と9月2日付「福井新聞」に意味深な記事が掲載されました。「将来、党代表選に出馬する際には応援する態勢を作りたい」と「設立総会には企業の役員、市議、発起人の後援会関係者ら約120人が出席」しています。電力業界のディープ・スロートが以前、「物心両面で支援したくなる人物だ」と僕に囁いたのを想い出しました。
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<<<追記>>>
その後、細野は民主党代表選出馬を見送るというニュースが流れた。
本人的には伸るか反るかの大勝負を今回は避けつつ、しかし将来の総理候補としての価値は十分に上がったのでそれで十分ということだと推察する。
いずれにしろ、どこかでまた細野待望論が出てくる可能性は十分にある。


──── ! お 知 ら せ ! ────

来る9月11日の夜、複数のブロガー、ライター、ジャーナリストが、京都大学の小出裕章先生を囲んでひと晩、話を聞くという会が催されます。
この模様はUSTREAMで生中継され、またアーカイブもされる予定です。

参加予定者は

ざまあみやがれい!さん
日々坦々さん
@動画さん
たむごんさん
ジャック・どんどんさん
おーちゃんさん
本間龍さん
小野原雅夫さん
鹿島潤さん

といったメンバーで、当ブログ主も参加いたします。
詳細は順次、お知らせいたしますが、お時間があれば、是非、ご覧ください。

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2012/07/31

マスメディアの正体 その1
『戦後史の正体』を読んで
~ メディアが潰した「福田自民」、「小沢民主」の連立構想は「対米自主派連立」だった

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「今日において新聞を引っくるめてマス・コミの勢力は、ある意味で政治以上に強力であるということができる。マス・コミが協力すれば、一政権を倒すぐらいは易々たるものであるが、政治の力では、右にせよ左にせよ、ファシズム的専制政治が出現しない限り、一新聞を倒すこともできないであろう」(『毎日』9・29・阿部真之助「民衆が自由を支配する」)
 こういう事実を正しく指摘する人は案外すくない。マス・コミが独自の権力機構を形成しつつ、社会の既成支配権力──政府・官僚・財閥──に拮抗し、一つの支配権力を優に凌駕する実力を貯えてきているといういい方は、けっして誇大な表現ではない。
(1957年2月 『中央公論』 丸山邦男「ジャーナリストと戦争責任」より)
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孫崎亨著『戦後史の正体』を読んだ。
といってもまだ一度、読んだだけで、この本は少なくとも数回は読んでみる必要がありそうだ。

その感想については、これから折々に書いていきたいと思うが、私が一読してつくづく思ったのは、「やっぱりメディアが問題なんだな」ということ(これについては孫崎氏も「今回、戦後七〇年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。」と書いている。『戦後史の正体』370ページ)。
いまとなっては汗顔の至りだが、私もかつてはマスメディアの報道を信じていたので、田中角栄がロッキード事件で逮捕され、その後、裁判になった時には朝日新聞や朝日ジャーナルの立花隆の記事を熟読したものである。
私の場合、そういうメディア観をぶち壊してくれたのが岡庭昇氏の著作であり、以後はできるだけ慎重に報道のウラを読むようにしてきたのだが、それでも時としてメディアの罠にハマってしまうことがある。

最近(といっても四年前だが)の例で言えば、その一つが福田康夫政権時代の幻の自民、民主(小沢一郎代表)連立構想だった。
これについて例によってマスメディアが徹底的に叩きまくり、また民主党内でも現在の主流派である前原、野田、枝野といった勢力が猛反対したものだった。が、私も当時は「小沢は何を考えているのだろう」と思ったクチである。そして、その真意がわかった時に書いたのが↓のエントリーだ。

・大マスコミが報じない政局

歴史に「れば、たら」はないが、もし当時、この連立がうまくいっていたら、日本の政治はまたずいぶんと違った流れになっていただろう。
が、今回、『戦後史の正体』を読んでさらに気づくのは、この連立構想が自民・福田、民主・小沢という、それぞれの党内の対米自主派主導によるものだったということだ。
つまり、米国の対日政策という観点からすれば絶対に許されない、叩き潰さなければならない構想だったわけだ。
そしてメディアが大バッシングを展開し、見事にこの構想は葬り去られた。

一方、今回の消費税政局については、四年前とはうってかわってメディアはしきりに「民主と自民は手を組め」と勧めた。それは現在の民主、自民の体制が両方とも対米追随派(というか従米派、屈米派)だということだろう。

・田中良紹の「国会探検」
消費増税は真珠湾攻撃か

※お知らせ
冒頭で紹介した「ジャーナリストと戦争責任」を収録した、丸山邦男著『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』(1974年刊)は来月初旬、志木電子書籍より再編集した電子書籍版として刊行されます。
丸山邦男著
『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』
著者略歴&立読み版

※お知らせその2
本日はもう一本エントリーがあります。最初はつながっていたのですが、長すぎるということで分けたのですが、話としては最後に微妙につながります。

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2012/06/30

6.29大飯原発再稼働反対デモ
〜 マスメディアはこの現実を徹底的に隠せ!
(広瀬隆氏直撃を含む官邸前最前線デモ動画あり!)

前エントリーで、総理官邸前の大飯原発再稼働デモは4万人ではまだまだ少ないと書いた。

それから一週間ーー。
昨日の官邸前は先週とは最初から雰囲気が違っていた。
私は東武東上線の沿線に住んでいるため、有楽町線の永田町駅で下車するのだが、ホームを降りると明らかにデモへ向かう人の数が多い(先週はほとんど見かけなかった)。
改札口ではデモの案内をしている女性がいた。
そして参議院議員会館前の出口から地上へ出ると、官邸方向へ歩いている人が多数(先週はパラパラという感じだった)。
私が官邸前到着したのは、18時20分ぐらいだったろうか。すでにもの凄い人である。
総理官邸を隔てて反対側は国会記者会館がある。先週はその前の道を隔てた反対側(国会議事堂側)はそれほど人はいなかった。しかし、すでにそこに人がギッシリ。
そして側道には警察の車輌が連なって停まっており、議事堂側の歩道からは道を隔てた反対側のあまりよく見えない。これは明らかに故意だろう。

↓官邸前位置関係(拡大して見てください)。

大きな地図で見る

以下、大変に画質は悪いが、私のTwitCasting Liveの映像のご紹介。
何しろ人が多く、しかもスマートフォンを持ってツイッターなどを見ている人も多いので、Wi-Fiがよく切れているが、雰囲気はそこそこ伝わると思う。

まず最初の映像。正面に見える建物は国会記者会館。この前の歩道が人がいっぱいなのだが、私はその反対側にいる。記者会館から外を見ている人はほとんどいない。先週はこの反対側はガラガラだったのだ。

↓の映像も最初は同じ位置。官邸も見える。しかしなかなか身動きがとれない。ここは先週は簡単に行ったり来たりできたのだ。総理官邸前から坂道を下る。なにしろ警察車輌がたくさん停まっているので反対側の歩道の様子を撮影するには、この車輌の間から車道に出ないといけない。
その後、横断歩道を渡って反対側へ。注目していただきたいのは、まだこの時点では上下車線ともクルマが走っていること。

その後、人の波をかきわけて国会記者会館の敷地内へ。会館内は閑散としたものである。そしてその敷地内で取材していたTBSに直撃!(3分あたりから)。私は女性を差別するつもりは毛頭ないが、この状況で女性のカメラマンでは、敷地の外には出られないだろう。でもってそんな安全地帯でいくらインタビューしてもこれは報道ではない。

そして、ここらへんからさらに人が増え始める。徐々に歩道から人が車道に溢れはじめ、そして坂道の下からも人が上がってくる。
次はこの日のkappaman中継のハイライト!(笑)
そうしたなかで官邸前交差点の道の真中で広瀬隆氏を発見して直撃!(10分30秒あたりから。ただしここらへんからWi-Fiがさらに重くなり画質が落ちます)。私はこの時、「人の波が官邸に向かって動き出した!」とツイートしたが、警察の「車道に出ないでください」という声が虚しく響く。ちなみに私が広瀬氏に「どうですか、今日のこの感じは?」と訊くと、広瀬氏は「いい、昔に戻ってきた。もっとここ(車道)を埋めないといけない」とおっしゃってます。
そしてついに道路はクルマの通行不能に。

ここで機動隊の車輌が官邸前に連なってやってきて道路を封鎖! しかし、この中にいても危険な感じはまったくなかった。騒然とはしていたが騒動にはなっていなかったと断言できる。警察は「いったん落ち着いてください」などと言っているが、落ち着いてないのは警察で、むしろ現場にいる人々は熱くはなっていたが、冷静な気持ちも忘れていなかった。

このデモの最前線で健全な法治国家のために声をあげる会の理事のF氏と、畏友ざまあみやがれい!さんに遭遇!(4分過ぎから)。

↓デモの最前線で雑談(笑)。そして少しずつ解散ムードに。しかし、道が歩行者天国状態。こんなことはもうあまりないだろうから、国会議事堂横の坂道の歩行者天国を満喫。「ここでビールを売ったら飛ぶように売れるんじゃね?」などとツイート。その後、いったん永田町駅方面へ。ここでも日の丸を持った人が「再稼働反対!」とコールしながら練り歩く。ちなみに先週は、官邸前を離れればもう人はまばらで、永田町の普段の金曜日の夜の静けさがあった。が、昨日はまったく違う。
そして、ちょっと歩けるようになったので、踵を返して官邸前へ(28分30秒あたりから)。官邸のど正面は警察だらけ。そしてこの中で野ブタは「大きな音だね」と言ったそうだ。くろねこの短語さんも書いているが、オレたちゃノイズかよ。

さて、先週とはうってかわって人が増えたデモ。しかしそれでもマスメディアの扱いはまだまだ小さく、ほとんどどスルーしている新聞もあるとか。
日頃、何かというと1000人にも満たないようなサンプル数で「世論調査」をやって、その結果をあたかも国民の声かのように大々的に報じるメディアであるが、国会記者会館という自分たちの目の前で10万〜20万の人びとがデモをしいてる状況をできるだけ小さく扱うことに腐心しているのだから、怒りを通り越して哀れという他はない。

そして私は思うのである。
こうなったら、マスメディアは徹底的にこのデモを報じるな! 隠せ!
でもって、パンダの懐妊でも追っかけてろ!
小沢一郎でも叩いてろ!

しかし、どんなに記者クラブメディアが情報統制しようとしても、現実にはネットを通じて真実がどんどん流れている。
ネットでこの真実を知ったみなさんは、是非、官邸前に来て欲しいと思う。
なぜなら、ネットではわからないリアルの空気がそこにはあるからだ。
かつて伊集院光が「ネットが普及すればするほど、ライブの価値も上がる」と言っていたが、やはりライブでこのデモを体感するのと、ネットを通じて見るのとでは明らかに違う。
実際にデモに来れば、集まった人々の年齢層の幅広さに驚くだろう。子どももいるし女性も多い。そして外国人もいる。若い兄ちゃんもいるし、私のようなオッサンもいる。
ツイッターを見ていたら、警察官が規制用のコーンを動かしながら「再稼働はんたーい」とつぶやいていたそうだ。

日本という、私に言わせれば最高度に統制された官僚独裁のファッショ国家において、これだけの規模のデモは安保闘争以降は始めてである。しかも、さらにこの波は拡大するだろう。といってもこのデモは、一人ひとりの個人が集結して緩やかに連帯しているもので、それだけに一種のお祭り騒ぎという雰囲気もある。
是非、それを多くの人に味わってもらいたいと思う。

そして、繰り返しになるが、マスメディアはこれを報道せずに、徹底的に黙殺していただきたい。
なんとなれば、彼らが黙殺すればするほど、ネットメディアに注目が集まり、その価値が上がるのだから。

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2012/06/13

『プロメテウスの罠』の罠

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 日本の国連加盟が、昨年の十二月十八日の総会で決定された直後、重光前外相はとりまく記者団に向ってこう語った。
「満州事変以来の日本の混迷は今日この日をもって終った。これもついに国民の努力の結果である。この事実を基礎に謙虚な態度で過去のあやまちをふりかえり、二度と同じ間違いをしないようにしたいものである」(『朝日』31・12・19・夕刊)
「大日本帝国」最後の外務大臣、ミズーリ号調印式の政府代表、巣鴨のA級戦犯、そして国連加盟を承認された日本の外相と、このあわただしい十数年間それぞれの時期にそれぞれの歴史的な役目を負わされて来た人の言葉として、その中にはたしかに無量の感銘がこめられていたであろう。
 私はこの重光前外相の言葉を率直に受取りたい。しかし、「日本の混迷は今日のこの日をもって終った」という意味が、戦争以来こんにちまでの数々の過失と罪悪を、ここでやっと洗いおとしたというような、そんな生やさしい安堵感のあらわれだとすれば、私はこの言葉を全面的に否定する。それは、昨年あたりしきりとかつぎ出された「もう戦後ではない」という合言葉の裏にひそんでいる責任回避の意識、早く過去の現実からすりぬけたいというあのうしろめたそうな願望に通じるものが感じられるからである。
 とはいうものの、私はやはり重光氏の談話を額面どおり、善意に解したい。とすれば、むしろ今日この日から、「謙虚な態度で過去のあやまちをふりかえり、二度と同じ間違いをしないように……」という言葉にその重心をおかねばならぬ。それは、戦後十一年余の永きにわたって、まったく放置され、あるいは意識的に回避されて来た多くの問題を、この日からあらたな気持で直視し、検討するということであろう。けっして、いい加減に妥協したり、問題の焦点をズラしたりすることですりぬけられてはならない。そして、ここでとらえられたことは、過去がそのまま明日への架け橋としていかされるように提出されねばならないのだ。
 この日から、これだけは正しくはじめられねばならぬ過去の解明──国連加盟を私は、そのような日として明記したい。
    ☆
 私はその一つとして真っ先に戦争責任の問題を挙げる。
 昨年は知識人や文学者の戦争責任がさかんに論ぜられた。それは天皇から共産党まで、徹底的に追究せよという意見から、全くナンセンスだという総無責任論まで、まさに百家争鳴であった。しかし、折から巣鴨を出所した荒木貞夫、橋本欣五郎両氏を筆頭とするA級戦犯が、無謀な戦争指導者としての責任に全く無自覚だといわれたのと比較して、それはともかく真摯な意図によっておこなわれたことだけはたしかであろう。
 ただ私にはどうしても不思議でならなかったのは、知識人や文学者の戦争責任を、絶好の論争テーマとして取上げた新聞・雑誌・放送を含むジャーナリズムの態度である。正確にいうなら戦争責任論と、これを積極的に取上げたジャーナリストの関係についてである。
 ジャーナリストは一体、知識人であるのかないのか。すくなくとも職能的には知識人から除外される根拠は一つもないだろう。あるとすれば、それは次にのべる無責任の意識においてである。
 この一年間、知識人とくに文学者の責任がするどく追究されながら、ついにジャーナリストの責任については全くとりあげられなかった。戦争責任の問題で、文学者のみに追究の鋒先がむけられ、文学者よりはるかに政治に近接し、社会的影響力においても国民大衆と直結しているジャーナリスト(先に挙げた新聞・雑誌・放送関係者を含む)の責任が不問に附されているというバカげた法はない。文学者の戦争責任を“十大論争”などの一つにおさめているジャーナリズム自身は全く無風状態の中にある。つまり、このことは、戦争責任論がジャーナリストたちにとってはたんなる論争か特集記事のテーマにすぎず、しかもこの問題をとりあげている一部の新聞・雑誌編集者を除いて、大部分のジャーナリストにとっては、A級戦犯やパージ解除者にとってと同じように、すでに死語となっているという事実を示している。それは、十年前、各新聞社、雑誌社、放送局を襲った社内民主化と戦犯追放のあらしによって、片づいてしまったものと考えられているのである。
 間違いの出発点はここにあった。言論と報道に携わるジャーナリストの責任問題が、役人や財界人などと同じ目尺で行われた戦後の形式的な責任処理(職階によってきめられたパージ)によって解消されうるはずがない。
 私はジャーナリストなどという漠とした用語で表現したが、それは第一に新聞記者であり、第二に雑誌編集者であり、第三に放送関係者(とくに番組の企画・決定権をもつ者)であり、そして第四にマス・コミに登場する学者・評論家などである。
 横にならべるとこういうことになるが、これは大きく二つに分けられる。つまり、書く者と、書かせる者の立場である。戦争責任追究に則していうなら、新聞や雑誌の上で言論・報道に携わった新聞記者や評論家の責任、それと新聞・雑誌社というマス・コミ機構の内部にあって編集に携わった者、つまり編集者の責任ということであろう。
 ジャーナリストの戦争責任が、この一年間まったく取上げられていない、と私はいった。いや一年間だけではなかった。戦後ただの一度もジャーナリスト自身の問題として自主的に考えられたことはなかったのではないかと思う。
(以下略)

「ジャーナリズムと戦争責任」 丸山邦男 (1957年2月 「中央公論」掲載原稿より)
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しばらく滞っていた当ブログの更新を、なんとか元に戻したいと思っております。
この間、コメントをいただいたみなさま、公開もせずに申し訳ありませんでした。お詫びいたします。

それにしても、このひと月の間も世の中は順調に悪くなっている。
大飯原発を再稼働するという。「最終責任者は私だ」と総理大臣なる男はのたまった。
この男は、政権交代が実現した前回の歴史的な総選挙の際、「消費税増税をする前にやることがある。公約しないことはやらない」と大見得を切った。しかし、これは大嘘だった。
そして、福島第一原発の事故は収束したという、子どもでもわかる大嘘をついた。
歴史に残る二つの大嘘をついた男の言葉を信じるほど、私はお人好しではない。
福島第一原発の破局事故では、未だ誰一人として責任を取っていないわけだが、そういえばこの男は、「福島第一原発事故の個人の責任は問わない」旨の発言をしている。つまり、今後、再稼働した原発で事故が起きたとしても、端から責任をとるつもりなどないのだろう。

自分たちが起訴できなかった総理大臣の有力候補を何がなんでも法律には素人集団の検察審査会で起訴させようと捜査報告書を捏造し、目論見通りに起訴することに成功した集団がいる。マスメディアが「史上最強の捜査機関」と絶賛してきた東京地検特捜部だ。
検察審査会制度の良し悪しは別として、まったくもって市民をバカにした、コケにしきった話であり、法治国家の枠組みをぶち壊すおそるべき犯罪集団である。
ところが彼らの身内である東京地検特捜部の元部長によれば、こんなことは「小さなこと」なのそうだ。つまりこの程度のことは日常茶飯にやっていることで、もっと大きなことをいくらでもやっているということだろう。はからずもそれを告白してしまったわけだが、なるほどその結果がロッキードであり、リクルートであり、鈴木宗男であり、福島県知事、、、ということか。

とはいえ、当然のごとく疑問をもった市民団体が、この犯罪集団を告発した。ところが彼らは自分たちの手で捜査をして、近日中に不起訴の結論を出すという。近所の独裁世襲国家も腰を抜かし、尻尾を巻いて逃げ出すような話である。
さして有能とは思えない元検事の法務大臣が、さすがにこれではいかんという認識のもと、指揮権を発動するべく総理大臣相談したら、法務大臣はアッサリと更迭された。

・現代ビジネス
「指揮権発動について再び首相と会う前日に更迭された」、「小沢裁判の虚偽報告書問題は『検事の勘違い』などではない!!」小川敏夫前法務大臣に真相を聞いた

すでに少なからぬ人が忘れてしまったと思うが、菅内閣時代に柳田という法務大臣がいた。彼はマスメディアが言うところの「失言」で更迭されたが、実は至極真っ当な検察改革をしようとしていた。
ところが、さして問題とも思えない発言をメディアが針小棒大に取り上げて、あっという間に更迭されてしまった。

ついでに言えば──。
野田内閣発足時には鉢呂という経産大臣がいた。どうしようもない顔ぶれの内閣にあって、原発に対して比較的まともな認識を持つ人物であったが、この鉢呂もマスメディアが騒ぎたてた「失言」によってあっという間に更迭された。

・誰も通らない裏道
鉢呂辞任と柳田辞任の共通点

その後任には何の批判もなく、3.11当時の官房長官で、驚くほど多くの人びとに無用な被ばくをさせてしまった犯罪議員が就任した。この男は「ただちに影響はない」との詭弁を弄して国民を騙し続けていたが、先月末に行われた国会の事故調査委員会で「炉心も溶けているし、漏れているのはあまりにも大前提で、改めて申し上げる機会がなかった」とのたまった。

・痛いニュース
枝野官房長官(当時)「メルトダウンは分かり切ったことで言わなかった」

唖然とする発言で、即刻、経産大臣という役職を剥奪すべきだと私は思うが、先の内閣改造でも留任し、野田とともに大飯原発再稼働を推進する中心人物として居座っている。
思うに、野田、枝野、細野など、大飯原発再稼働を目論む連中は、しきりに大飯の安全性、健全性を強調するが、そもそも彼らの頭の健全性が失われているとしか言いようがない。

さて──
すっかりマクラが長くなってしまったが、、、(久しぶりのブログ更新であるとともに、先日、柳家小三治師匠の独演会を堪能したためか)。
本日、書きたかったのは朝日新聞が「好評連載」と胸を張る「プロメテウスの罠」についてだ。

私は朝日新聞の購読者ではないのでこの連載を読んでいなかったが、先日、単行本を読む機会があった。
連載直後から、ネットでも少しく話題になっていたので、期待して読み始めたのだが、冒頭部分からすでに大きな違和感を抱かざるを得なかった。
この本の「はじめに」にはこう書かれている。あえて全文を掲載してみよう。

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 はじめに

 2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故──いわゆる「3・11」は未曾有の衝撃を日本社会に与えました。
 物理的被害の甚大さだけではありません。私たちが長い間「安全」と信じようとしてきたものが一瞬にして崩れ去り、社会の大前提が根っこから揺らいでしまいました。言い古された言葉を使えば「安全神話は崩壊した」のです。とりわけ原発事故は衝撃的でした。放射能汚染が明らかになるにつれて、私たち一人ひとりの心に「何を信じればいいのか」という不安と「どうしてこんなことになったのか」という疑問を広げてきました。
 報道現場も例外ではありません。いや、より深刻でした。事故の実態をまず追わねばならなかった現場では、現に起きていることの情報すら希薄でした。不安におののく被災者、右往左往する政府や東電関係者を尻目に、汚染は福島県から県外にと広がり続けました。記者たちは「どうして」を自問しながらも、ただただ「何が起きたのか」を求めて走り回るほかありませんでした。それでも全貌をつかむことが到底できない、腹ふくるる日々だったのです。
 ひと月ほどして私たち朝日新聞は、あの時、福島で日本で何が起きていたのかにもう一度肉薄し、同時にどうしてそうなってしまったのかに迫る長期連載を構想し始めました。事実を丹念に追うなかで、この世界史的事故の意味を問いたいと考えたからです。
 原発は、戦後の日本が国策として決断し衆知を集めて作り上げ、万全の危機対策も誇ったはずの造営物です。電力は社会の近代化や成長の源であり、原発はまさに人々の生活を豊かにするために作られたはずです。
 だが事故は防げず対応はもたつき、原発は人と社会に刃を向けました。原発の意味と歴史を知る私たちは、単に「人知の限界」「想定外」として済ますことはできません。科学技術への姿勢、政策決定の仕組み、政治や世論のあり方など戦後の日本社会の体質にも切り込まねばならないだろうという予感に満ちて、取材は始まりました。
 原子力はときに、人間に「火」を与え文明をもたらしたとされるギリシャ神話のプロメテウスにちなみ「プロメテウスの第二の火」と形容されます。
 この火はしかし、人々の生活にいったい何をもたらしたのか――
 連載『プロメテウスの罠』は、2011年10月から朝日新聞紙上でスタートしました。分かりやすく事実をもって事態を語らしめようと、出来事の細部に徹底的にこだわりつつ、ほぼ連日の掲載を続けています。本書はその冒頭、第6シリーズまでの内容の書籍化です。
 本書を通じて私たちの思いが伝わり、読者の皆さんがまだまだ続く朝日新聞紙上での連載にも熱いご声援を送ってくださることを願ってやみません。

  二〇一二年二月
    朝日新聞社 編集担当 吉田慎一

※下線はブログ主
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ありていに言えば、この「はじめに」を読んだ時点で、私は「こりゃダメだ」と思った。
なぜなら、この記者がア・プリオリに信じていた前提にこそ、日本の原子力産業の本質的な問題が潜んでいるからだ。
『言い古された言葉を使えば「安全神話が崩壊した」のです。』だって?
そもそもそんなものは存在しなかったんだよ。
それは推進派を含めた原子力に関わるすべての人が知っていた。だからこそ原子力ムラの連中は莫大なカネをかけて「安全神話」をでっち上げたのである。そしてメディアはこの工作に深く関与していた。
にもかかわらずこの記者は、「安全だと思っていたらこんなことになってビックリ仰天した」という立場に立っている。
これは、戦争中にさんざん大本営発表を垂れ流していたメディアが、敗戦を迎えて「日本は勝つと信じていたのに、まさかこんなことになるとは思わなかった」と言っているようなものではないか。

ただ、ここで思うのは、この記者が本当に単純に「安全神話」を信じていのかもしれないということ。だとすると、つまり朝日新聞社という会社は、原発の安全神話を疑うようなタイプの人間は採用していないのかもしれない。
そう考えると、記者クラブに所属して発表情報を何の疑念もなく垂れ流し続けるこの会社の体質(検察にしても原発にしてもみんなそうだ)も理解できる。要は、朝日新聞記者たる者、本当の権力に対しては疑問なんて持ってはいけないということなのだろう。

そして、この記者は「右往左往する政府や東電関係者を尻目に、」と書く。
確かに東電の現場は右往左往していただろう。しかし、では経営トップはどうだったのか。彼らはどのように動いていたのか。これを検証することこそ、福島第一原発の破局事故でもっとも重要な点であると私は思う。
なぜなら東京電力は史上稀に見る犯罪企業なのだから。
おそらく──
東京電力で経営責任を負う人々は、自分たちに火の粉が降りかからぬよう全力で情報を操作し、危ない証拠を隠滅し、あらゆる方面に圧力をかけただろう。東電の経営トップが事故後、どのように動いていたのか? そこに斬り込まなくて、何がジャーナリズムなのか。

「だが事故は防げず対応はもたつき、原発は人と社会に刃を向けました。」

たとえば、もしジャーナリズムが本来持っていると想定される使命をきちんと行使して、原子力産業を取材し、批判していれば、これほどまでの破局事故は起こらなかったと私は思う。ところが、実際には多くのメディアが、それも大きいメディアほどが、原子力産業とがっちりスクラムを組んで、「安全神話」の構築にせっせと汗を流してきた。そのジャーナリズムの責任を丸ごと抜け落とした上で、「原発は人と社会に刃を向けました」などと書くのは噴飯ものである。

「原発は、戦後の日本が国策として決断し衆知を集めて作り上げ、万全の危機対策も誇ったはずの造営物です。電力は社会の近代化や成長の源であり、原発はまさに人々の生活を豊かにするために作られたはずです。」

こういう文章を書く人間に、私はジャーナリストとしての資質があるとは到底思えない。
なにしろ、私のような素人でさえ、ちょっと調べれば原発の危機対策などほとんどなかったことなど知っている。この国では原子力災害は起きないことになっていたから、その対策など必要ないというのが基本スタンスだった。そして、コストアップの要因になる安全対策をどんどん切り捨て、そのかわりに「原子力は安全だ」という宣伝に莫大な予算を投入したのだ。

「科学技術への姿勢、政策決定の仕組み、政治や世論のあり方など戦後の日本社会の体質にも切り込まねばならないだろうという予感に満ちて、取材は始まりました。」

それほどの「予感に満ちて」いるのなら、まず自社の広告局へ行ってグループ全体で電力会社や電事連といった原子力関係のクライアントから過去から現在にいたるまで、どれだけの広告予算をもらっていたかを調べて発表するべきだろう。原子力産業を語る上で必要不可欠なのは、メディアとのつながりであり、それこそが「戦後の日本社会の体質」なのだから。

「本書を通じて私たちの思いが伝わり、読者の皆さんがまだまだ続く朝日新聞紙上での連載にも熱いご声援を送ってくださることを願ってやみません。」

繰り返して書くが、自分たちの責任をまったく棚上げどころか「ないもの」として、「熱いご声援を送ってくださることを願ってや」まないというこの認識は、見当違いもはなはだしい。
そして私は思うのである。この「プロメテウスの罠」という連載は、そもそも朝日新聞が自らの責任から目をそらすための「罠」なのではないか、と。
もっともこれは今に始まったことではなく、それが日本のマスメディアの体質であることは、最初に引用した丸山邦男氏の文章が、今読んでもまったく古びていないことが証明している。

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2012/05/25

戦争中より悪い時代

********************
 昭和19年、1944年も11月に入ると、毎日B29が一機ずつ東京上空に現れるようになった。ぼくは始めて飛行機雲というものを見た。高射砲が打ち出したが、米軍機のはるか下で砲弾が爆発するのか、白煙が綿のように浮かぶだけだった。
 授業中に空襲警報がなれば、授業は中止、そのまま下校ということになる。そして東京大空襲になる。ここでは、その詳しい経験は省くことにしよう。
 真夏の農村での麦刈り、田植えの動員から帰って間もなく、とうとう理科の学生も通年動員されることになった。その間に広島・長崎に新型爆弾が落ち、ソ連が参戦した。ぼく達は8月15日の午前8時か9時に立川の中島飛行機製作所に集合するはずだった。下宿が罹災したため、一時ぼくの家にいた友人と相談して、正午の天皇の放送を聞いてから立川に行こうということにして、天皇の放送を聞いた。聞き取りにくかったが、とにかく戦争が終わったことだけはわかったから、立川に行くことをやめた。一日二日して、友人は切符を手に入れて、郷里に帰っていった。
 ぼくはラジオから流れる天皇の声を聞いて、日本の敗戦を悔やむ、悲しむという気持ちはまったく起こらなかった。むしろ初めて聞く天皇の声、敗戦の弁のヘンなアクセントにびっくりした。まるで神主が祝詞を読むようだとおもった。天皇は神だと教えられてきたけど、ナーンダ、神主じゃないかとおもった。
 ぼくも King's English という言葉を知っていた。イギリスの王室は一番美しい英語を話すとを教えられていた。日本の天皇も一番美しい日本語を話すのかとおもっていた。ところが、そうではなかった。むしろ滑稽だった。その後の天皇の国内巡幸の際の国民と話す言葉をラジオで聞いても、その滑稽感はかわらなかった。そして、天皇という憑き物が落ちてしまった。
 戦後は大詔奉戴日もなくなったし、皇居や靖国神社の前を電車が通っても、黙祷はしなくてすんだ。ある政治学者が書いたように、ぼくも戦後は明るかったと実感している。それは天皇制の重しがとれたせいだろうと、ぼくは考えている。

京谷秀夫著 未公開未完原稿 「経験としての天皇制」より
********************

しばらく当ブログの更新が滞ったのは、父親が急逝したからである。
1925年(大正14年)生まれの86歳。
死去当日まで元気で、朝食を「食べ過ぎた」というぐらいに食べ、先月から始まった人工透析のために自宅である団地の一室を出て、9階からエレベーターに乗った直後に倒れ、7階から乗って来た人に発見された時には、すでに意識はなかったという。
なんともはや、急な出来事だったけれども、よくよく考えてみれば、見事な大往生。
ボケの「ボ」の字も、闘病の「と」の字も(透析は始まっていたが)、介護の「か」の字もなく、高い知性を維持し、亡くなる日まで難解な本を読み、ドイツ語の単語をノートに書き連ねてその意味を書き記していた。

大学を卒業したのは1950年で、その年に中央公論社に入社。
「君のお父さんが中公の入社試験を受けた時に渡辺恒雄も受けて落ちた」という話を少し前に聞いて、「まあ、年恰好は似てるけど、冗談だろう」と思っていたが、どうやらこれは本当らしい(ナベツネの読売入社も1950年なんですね)。
以後、13年間、中央公論社に在社。
第一回の中央公論新人賞を担当。この時の受賞者が『楢山節考』の深沢七郎氏だった。
当時の「中央公論」は今とは真逆のいわゆる戦後民主主義、進歩主義の牙城で、その編集部内の中心の一人だったらしいが、「風流夢譚」事件で編集部は瓦解。以後、中公は路線を大きく変更する。

と、まあそんな経歴の父親であったが、その彼が最晩年に言っていたのは、「今は戦争中より良くない」ということだった。

先日、瀬戸内寂聴さんが経産省前でハンストを行った時、彼女は以下のように言ったという。

「日本は原爆を2度受けてて、わたしが生きてきた90年でね、こんな悪い時代はなかった、って言っているの。戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね。恐ろしい国ですよ、滅びつつありますよ、これから生きていくね、若い人とかね、子どもたち、生まれてくる子はどうするんですか?と、どうやってそれをね、平気で恐ろしい国に渡せるんですか?
だから、それはとてもね、今悪い状態ですね。それをどうして政治家が感じないのかがね、本当に鈍いと思いますね。だって今の政府が再稼働をしようとしているんでしょ?
ドジョウはそんなことしませんよ。本当のドジョウは。もう、政府がけしからんと思っています。」

これに対して江川紹子氏は「兵士や軍属など約230万人が戦死し、80万人の一般市民が空襲などで命を失った戦争中の方がましだった、という発言は残念…というか、ダメだと思う」とツイートしたそうだ。

・日々坦々
「江川紹子 VS きっこ大バトル」のきっかけ・・・きっこ氏は100%理解でき、江川氏は1%も理解できなかったという上杉隆氏のツイート「ひばくなう」の真意!

確かに第二次大戦における国内の死者数、そして加害者として近隣諸国の人びとを殺害した、その死者数は現状、原発事故の比ではない。
だが、誤解を恐れず、かつ大幅に端折って言えば、しかしその後、日本も近隣諸国も復興することができた。
確かに戦争というのは根本的に誤りだが、しかしどこかの時点でそれは終らせることができる。
ところが、放射能による災害というのは、ほとんどエンドレスで末代にまで重大な影響を与えるのである。

私の父に言わせれば、当時、どんなに政府が大本営発表を垂れ流しても、実際には「これは負けるのではないか」と内心で思っていた人も少なくなかったはずだという。
これは以前にも当ブログで書いたことだが、彼は1945年8月15日は「終戦」でいいと言っていた。なぜなら、あの時はもうなんでもいいから終って欲しかったわけで、その気分に「終戦」という言葉は合っている。そして「敗戦」というと、もう一度やって今度は勝ちたいなどという連中が出て来るから「終戦」でいいというのだ。
そして戦後は「明るかった」。
日本は高度成長をして、経済白書には「もはや戦後ではない」という言葉が躍った。

では──
「もはやフクシマ後ではない」という日はいつ来るのか?
これはまったくわからない。
なにしろ、この事故はまったく収束していないのであって、1号機~3号機においては、溶けた燃料がどこにあるのかもわからない。ジャブジャブと水をかけているが、その水がたまる気配はなく、したがってどこかに流出している。
当然、海の汚染も凄まじく、福島を中心に近海の魚介類は壊滅的な打撃を受けている。
そればかりではない。
東京湾においても汚染は深刻化しており、これはまだまだ進行するという。
まさに「江戸前」の危機だ。
そして、日本が世界に誇る食文化を次世代の人びとにきちんと引き継げない可能性が高い。
しかもさらなる問題があって、ボロボロになった4号機には1500以上の使用済み核燃料がある。一応、応急措置はとられているが、もし強めの地震が再び4号機を襲い、建屋が崩壊した場合には、今度は世界を道連れにする可能性が高い。
そんなリスクが現に今、目の前にあるのだ。
そして、これだけひどい状況にありながら、多くの人はメディアが垂れ流す大本営発表を信じて、「もう原発事故は過去のもの」と思っている。
原発の再稼働は着々と進められ、日本の有史以来、最大の犯罪者集団である東京電力は誰一人逮捕者を出すでもなく、電力料金を値上げすると言って国民を恐喝中だが、なにしろ大人しいことにかけては世界一の日本人はさして抵抗することもなく、この値上げを受け入れるのだろう。

この状況をして、90歳の瀬戸内寂聴、そして86歳の私の父親は、「戦争中よりも悪い」という感想を漏らしたわけだ。
私はこの人生の先達による言葉は、誠にもって傾聴に値するものだと思うし、深刻に受け止めなければならないと思う。
にもかかわらず、それを頭から否定してしまう江川紹子という人は、はっきり言ってダメだと思うのである。


Fuuryus_2


京谷秀夫 著『一九六一年冬「風流夢譚」事件』
著者紹介&立読み版!

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2012/05/01

連休谷間の戯言〜
千年に一度の想定もできないタコ集団に、
万年単位の放射性廃棄物の管理などできるかっ!

********************
落合 だからおれ、この考え方間違っているかも知れないけれど、あえて言うよ。野球界、いっぱい問題あるよね。で、実行委員会、月に何回やるの。これだけ問題あるのに、全部が棚上げされている。何にも進まない……。ということは、やらなきゃいけない仕事をみんな放棄しているわけだ。
 おれ、日本の政治と一緒だと思っているんだ、ここ数十年の球界というものは。政治家は、人から信任されて、政治家になる。だったら、この国家危急存亡のときに休んでいる暇なんてないだろうって思う。国会? 休会している場合じゃないだろう。この国をよくするために、変えるために、あんたら毎日働かなきゃいけないんじゃないのか。土日返上して、毎日会議やって、一日でも早く法案を通さないかんだろう。世の中が望んでいるのだから、しかるべく結論を出して実行実現させなきゃいかんじゃないかと。それがどうだい、一年のうち決められた日数しか、国会、やらないでしょう。それと野球界は、一緒だな。絶対変わらない。命がけで変えようと思っている者がいない。これは政治でもそうだと思う。それよりもっと野球界はひどいんだもん。変わるわけがない。だれがコミッショナーになったって一緒だよ。

「新潮45」2012年5月号
オレ流「プロ野球改革論」 落合博満VS.坂井保之 より
********************

知り合いの国会議員秘書氏によれば、連休の谷間の本日あたりは議員会館は閉めている事務所もあるらしい。
地方選出の議員は地元に帰って大忙しなのだそうだ。
facebookを見れば、休みをとってゴルフに出かけている友人も複数。
世の中は3.11以前とまるで変わらなく動いている。
しかし、どう考えても現実に起きていることはただ事ではない。

・低気温のエクスタシー
〔放射能写真〕郡山市の子供が遊ぶスポットも数値が高い

今、手を打たなくては未来永劫にわたって禍根を残すような事態が進行中にもかかわらず、これまでの政策の責任を問われたくない原子力ムラの連中と、その集団に担がれた政府の面々は、対策を取るどころか放置し、なかんずく現在、避難している人々をも帰宅させる方向に動いている。

総理大臣は犬のように(という表現は犬に気の毒だが)千切れんばかりに尻尾を振りながら訪米したが、今日の東京新聞2面には↓のような記事があった。

********************
原子力協力委
首相、再稼働へ加速狙い
米お墨付きで反対論抑制

 野田佳彦首相がオバマ米大統領との首脳会談で、民生用原子力協力に関する二国間委員会の設置を決めるのは、首相が目指す原発再稼働方針を加速させる狙いがある。再稼働に対して原子力大国である米国のお墨付きを得ることで、日本国内の反対論を抑えたいという思いがあるようだ。
(以下略)
********************

国内の反対論をアメリカのお墨付きで跳ね除けようということらしい。
この記事が事実なら、日本国の首相というのはクズの中のクズだね(ちなみに普段、マスメディアの書くことはほとんど信じていないが、東京新聞の原発関連記事は信用している)。

その原発再稼働についてだが、京都大学原子炉実験所の教授なる肩書きを持つ人物によれば、「原発ゼロは危険な社会実験」なのだそうだ。

・ざまあみやがれい!
あの山名元が今度は支離滅裂な「タイタニック」の例えで「原発ゼロは危険な社会実験」と暴言!

世界有数の地震国家、かつ島国という条件の場所に50機以上の原発をつくるという「危険」かつ「壮大」な「社会実験」をした結果、このたびの大破局を来したという認識がこの人物にはない。
こういう人物が京都大学という最高学府の教授である一方、原発の危険性と破局事故の可能性を指摘し続けた人物が助教なのがこの国の現実である。

・京都大学原子炉実験所
研究部門等教員配置表

福島第一原発の事故は、千年に一度という想定外の地震と津波だったから事業者に責任はなく、そもそも原子炉の設計段階でそのような「あり得ない」状況を想定することは、現場では一笑に付されていたのだそうだ。

********************
 東日本大震災による大津波が発端となり、世界有数の原発事故を起こした東京電力福島第一原発。その設計や安全性の検証を担った東芝の元社員二人が本紙の取材に応じ、「設計時は、これほどの津波は想定していなかった」と証言した。東電の想定していた津波は最高で五・五メートル。実際には倍以上高い十四メートルを上回る大津波が押し寄せており、二人は設計に想定の甘さがあったと口をそろえる。
 取材に応じたのは、一九七〇~八〇年ごろに同原発の安全性を検証した元技術者の男性(63)と、七一年から順次稼働した同原発1~3号機と、5~6号機の設計に加わった元設計者の男性(69)。
 タービンの安全性の検証に携わった元技術者は、原発の設計図の青焼きを見ながら「今回のような大津波やマグニチュード(M)9は、想像もできなかった」と振り返った。
 元技術者は事故や地震が原因でタービンが壊れて飛んで炉を直撃する可能性を想定し、安全性が保たれるかどうかを検証。M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。
 だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付したという。
(以下略)
「東京新聞」2011年3月23日より
********************

ところで原発を運転することで出てくる高レベル放射性廃棄物というものは、その管理を万年単位、それも十万年、百万年の単位でしなければならない。
たかだか千年単位の事態ですら想定できないタコ集団に、どうして百万年単位の想定などできるのか?(まあそんな時点まで管理可能と言っている時点で頭がおかしいが)

世の中には様々な職業についている人がいるが、プロフェッショナルであれば、みなその仕事にプライドを持っているわけで、それをよく〇〇屋という表現をすることがある(「鉄道屋」とか)。
もし、電力会社の人間がそれぞれプライドを持って仕事をしているのならば、原発がダメでも「火力屋」や「水力屋」が「俺たちが頑張って、絶対、電力不足なんて起こさせない」という声が出くるはずで、それがプロの気概というものだろう。
ところが、そんな声は一つも聞こえてこないどころか、東電(他の電力会社も同様)から出てくるのは、「原発が稼働しなければ、電力不足になる」「電気料金を値上げするしかない」という恫喝だ。
歴史上、稀に見る犯罪企業が、この期に及んでもこういう態度を取れるのは、電力会社が地域独占であるからである。
そして、そういう経営形態であるにもかかわらず、この会社のトップは常に経団連の要職を努め、規制緩和やら新自由主義やらの旗を振り、二言目には「自己責任」なる文句を持ち出して、時の政府に影響力を与えてきた(4月29日のバス事故にしても、規制緩和による価格競争激化と密接な関係があるだろう)。

いやはや日本の国民というのは、とことんナメられたものである。

ついでに言えば、、、
現在、新聞各社は横並びで野田政権の消費税増税路線を全面的にバックアップしているが、一方で新聞業界は「消費税率引き上げの際は、欧米諸国と同様に軽減税率を適用するよう求めている」ことをご存知ですか?

・日本新聞協会
税制改正で経産省に要望

もう何から何までデタラメだらけで、私なんぞは激怒するのが普通じゃないかと思うのだが、どうやら今もってこの程度のことで怒っているのは圧倒的少数派らしい。

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2012/04/28

落とし所としてこれしかなかった判決と
ますます進行するメディアのビョーキ

本や雑誌を読んでいて、時々、「うまいなあ」と思う原稿がある。
もちろん「うまい」にもいろいろな種類があるわけだが、私が反応するのは、きわどい内容をギリギリの線で書きながら、しかしなおかつ、どこから突っつかれても大丈夫という書きようをしているライターの原稿を読んだ時だ(ちょっとわかりにくいけど)。

さて、陸山会の小沢判決。
私はこれまでの経緯を考えると、ひょっとして有罪もあるかも、、、と思っていたが、蓋を開けてみれば無罪という至極真っ当な判決が下った。
2009年3月以来の小沢vs.検察の流れをきちんと捉えていれば、この結論は誰にでも腑に落ちるものだが、その当りまえの結論が当たり前に出るかどうかが不透明だったところに、この国が抱える本質的な問題点が潜む。

私は今回の裁判長がどのような人物かは知る由もないが、おそらく無罪判決を書くには相当なプレッシャーがあっただろう。
一人のまともな法律家としてみればどう考えても無罪。
しかし、自らが身を置く世界をぐるりと見回した時、その当たり前の帰結そのまま文字にするのはためられわれたはずで、そこらへんを郷原信郎氏は、以下のようにツイッターでつぶやいている。

@nobuogohara
小沢氏無罪。あまりに当然の判決だが、その「当然の判決」をすることが、大善裁判長ら3人の裁判官にとっては、とてつもなく大変なことだったのだろうと思う。主文を2回読んだ裁判長の気持ちもよくわかる。裁判官としての矜持に敬意を表したい。

@nobuogohara
今日の「八方美人的判決」の評価は難しいが、おそらく、まず無罪という結論を決め、それをどのように社会的に受け入れ可能なものにするか苦心惨憺した末に、あのような内容になったのだと思う。「小沢排除」の政治的、社会的圧力が高まる中、刑事裁判の最後の良識を守ったと評価すべきだ。

無罪判決以後、マスメディアは鬼の首を取ったように「判決は、小沢氏の政治団体の政治資金収支報告書の内容はうそだったと認めた。」と横一列で書き立て、限りなく黒に近いグレーなのだから「説明責任を果たせ」とわめきたてている(カッコ内はいずれも朝日新聞社説)。

やれやれという他はない。
そもそも、ここに至る発端は、政権交代が確実とされた2009年の衆議院選挙直前、次期総理大臣の最有力候補だった小沢一郎の秘書である大久保隆規氏を検察が政治資金規正法違反で逮捕したことだった。
これが「西松事件」なわけだが、当時、検察側の代弁者としてメディアに出演していた宗像紀夫(元東京地検特捜部長)でさえ、これは入口であって、その先に大きな疑惑があるはずと言っていたものだった。
ところが検察は結局、大久保氏を政治資金規正法違反でしか起訴することができず、しかもその公判は検察側の証人が検察の主張と真逆の証言をして吹っ飛んでしまった。
そうして浮上してきたのが、「陸山会事件」なのである。
まあ、これ以上、私がクドクドと書いても仕方がないので、以下の田中良紹氏のエントリーを読んでいただきたいが、田中氏も書いているがごとく、公判の中では「会計学の専門家である筑波大学の弥永真生教授は石川議員の作成した政治資金収支報告書は虚偽記載に当らないと証言」しているのだ。

・田中良紹の「国会探検」
政治的事件の政治的判決

話を戻すと、今回の判決というのは、郷原氏がつぶやいているように、無罪という後世の評価に耐えうる結論を出しつつ、田中氏が言うところの政治的な部分にも十分に配慮したもので、苦し紛れといれば苦し紛れだが、落とし所としてはこれしかなかったのだろう(ちなみに、この「限りなく黒っぽい無罪」判決が出ることを事前に予想していたのが、八木啓代さんだった)。
であれば私はそれはそれで、うまい判決だと思う。

もっとも、この判決でマスメディアのビョーキはいよいよもって進行している。私はすべてを見ているわけではないが、偶然見た天声人語は以下のごとくであった。

********************
 政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。1983年秋、東京地裁は田中角栄元首相に有罪を言い渡し、闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派行動ともいえる創政(そうせい)会の旗揚げへと動く▼だれの時事漫画だったか、元首相が「ああせいこうせいとは言ったが、そうせいとは言っとらん」と嘆く傑作があった。田中は心痛と深酒で脳梗塞(のうこうそく)に倒れ、失意のうちに影響力をなくしていく▼さて、この判決は政治をどう動かすのか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の、無罪である。大まかな経理処理の方針は承知していたが、うその記載を巡る秘書との共謀までは認められないと▼小沢氏は折にふれ、「今後は一兵卒で」と殊勝な言を重ねてきた。くびきを解かれた兵卒が見すえるのは、秋の代表選か、集団離党や新党か。消費増税の前途多難といい、野田首相は頭が痛かろう▼民主党は、各自の当選を目的とした非自民の選挙互助会でもある。にわか作りの公約が破れ、政策や手法が敵方に似てくるほど、小沢流の原点回帰は説得力を増す。首相の使い捨てが続く中、「なれたのにならない」政治家の凄(すご)みも無視できまい。だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった▼若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を、蓄財術とともに聞いてみたい。
********************

この原稿を書いているのは、本当にプロの記者なのだろうか?
「この人が回す政治に実りは乏しかった」そうだが、ニセメール事件でボロボロだった民主党を見事に立て直して政権交代を実現したのは、圧倒的な実りではないのか?(でなければ、この筆者にとって政権交代は実りとは真逆のものだったのだろう)
無罪判決後も、その本質を見ようとせず、すべてを政局に結びつけて報道する朝日新聞社こそが「ミスター政局」集団ではないのか?
小沢一郎が「最後のご奉公」で何をしたいのかがこの筆者にはわからないらしいが、それは「国民の生活が第一」という政権交代の本義に戻すことであって、そんなことは私にでもわかる。
そして「蓄財術とともに」という形容。
何の工夫も伏線もなく、ただ思考停止した人間が、感情のままに書きなぐった原稿など、ただのクズ原稿でしかない。

私は最近、愛聴している「久米宏ラジオなんですけど」で唯一不満なのは、一部のコーナーで朝日新聞が
スポンサーになり、天声人語がどうしたこうしたというCMが入ることだ。

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2012/03/21

橋下徹は小沢無罪後の布石か?

東京地検特捜部という、マスメディアによれば「最強の捜査機関」ですら起訴できず、検察審査会という素人集団の起訴議決によって小沢一郎が起訴された「陸山会事件」が結審した。
この過程で明らかになったのは、小沢の「犯罪」ではなく、法治国家の根底を揺るがす検察の驚くべき不正と疑惑である。

起訴議決の根拠となった、検察から検察審査会に送られた捜査報告書は、小沢を起訴させるべく虚偽記載に満ちていた。
一方、無作為で選ばれたはずの検察審査員は、二回の起訴議決時の平均年齢がまったく同じという、天文学的確率の奇怪な現象が報告されていたが(しかも超高齢化が進行中にもかかわらず、その平均年令は30代半ばである)、ここへ来て、その検察審査員を選ぶパソコンソフトは、その人選を恣意的にコントロールすることかできる可能性が指摘されている。

・一市民が斬る!!
2月2日 こんなイカサマソフトに6,000万円もの血税が!最高裁事務総局発注の「検察審査員選定クジ引きソフト」操作マニュアルを見た!

また、発注元は「最高裁事務総局」という聞きなれぬ組織で、このソフト制作を競合の末に落札した富士ソフトという会社の顧問には意外な名が連なっていたという(「検察審査員」「選考」「節ソフト」「顧問」で検索した結果はこちら)。

この裁判だけを見ても、これだけの疑惑がゴロゴロ転がっている。
しかし、有罪立証の根幹である石川議員の供述調書(虚偽記載満載)の証拠採用が却下された際、毎日新聞社の主筆はテレビで「これで有罪にもっていきにくくなったが、まだわからない」とのたまったものだった。
この期に及んでもまだそのようなセリフを公衆の面前で吐く「ジャーナリスト」とは、いったいなんなのか。

そもそもーー。
3年前の2009年3月3日に小沢事務所の大久保秘書が逮捕された時から、この小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の事件は一貫して疑惑だらけだった。
その中身については当ブログでもこれまでさんざん書いてきたので割愛するが、にもかかわらずマスメディアに所属する「プロ」のジャーナリストたちは、一貫して検察側の主張に何の疑問を差し挟むこともなく、ひたすら小沢一郎を糾弾し続けた。

一方、ネット上には、プロのジャーナリストとは真逆の素人が多数いて、「小沢対検察」の行方をウォッチしていた。将棋にたとえると、プロのジャーナリストが観戦記者だとすれば、彼らはネット上のファンということになる。
ところが、観戦記者の見立てはことごとくハズレ、ネット上のファンがお互いに情報交換をしながらする分析の方がはるかに正しかったことが、ここへ来て証明されつつあると私は思う。

そうして3年以上に及んだ「小沢事件」に間もなく一つの結論が出る。
判決は普通に考えれば無罪だが、何しろこの国は普通ではない。したがって何が起こるかわからない。
たとえ罰金でも有罪判決が出れば、マスメディアはついに鬼の首を取ったがごとく騒ぎ立てて、小沢辞任論を展開するだろう。
では、無罪だったら?
私の予想では、「それでも疑惑が消えたわけではない」などと言い出す可能性もあるが、それ以上にマスメディアが誇張するのは、「どちらにせよ小沢一郎はもはや過去の政治家である」という印象操作だと思う。

ここ最近、大阪市長をやたらめったら持ち上げるマスメディアの最大の狙いは、ここにあると私は睨んでいる。つまり橋下のやっていることの是非はどうでもよく、小沢との対比で「若くて新しい政治家が出てきたことで、小沢のような古い政治家の役割は終わった」というキャンペーン張る、その布石が橋下なのだと思う。
つまり、小沢にとって検察との闘いに一区切りがついても、マスメディアとの闘いは残念なことにまだ終わらない可能性が高い。
しかし、それももはやそう長くは続かないはずだ。
楽観的に過ぎるかもしれないが、どんな組織でも、デタラメをやった報いは必ず来る。それを如実に示したのが東京電力で、その歴史の法則は不変であると思うのだ。

※そしてTBSはどうする?

朝ズバで森ゆうこ議員が語ったTBSによる水谷建設裏... 投稿者 torigonn


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2012/02/22

不毛な三年間で
法務・検察の闇を暴き切った小沢一郎の功績
そして小沢有罪待望論!?

先日、松本サリン事件の際に容疑者扱いされ、悪質きわまる報道被害にあった河野義行さんの話を聞く機会があった。
かねて、河野さんが到達した思索の高みについては知ってはいたが、実際に話を聞くと200名ほどの聴衆をあっという間に引き込ませる圧倒的な迫真力があった。

なかでも印象的だったのは、河野さんが現在、松本サリン事件で殺人ほう助の罪で懲役十年の実刑判決を受けて服役したオウムの元信者と、出所後に交流があるという話だった。
その理由を問われた河野氏は、「日本が法治国家であるなら、誤りを犯したとしても、刑期を終えればそこでリセットされるべきである」と答えた。
また、河野氏は取り調べた警察官に対してすら、「彼らも職務上、やむを得ない部分はあった」と言う。そして自分が受けた被害について恨みを持つということは、結局は自分にとっても損になると言う。私のような了見の狭い人間にはなかな到達し得ない心境で、感銘を受けざるを得なかった。

だが、その河野さんですらが唯一、聴衆に対して釘を刺したのは、「マスメディアの流す情報をそのまま信じてはいけない」ということだった。
その時、私の真後ろには有名なベテラン新聞記者、評論家数人が座っていたが、彼らはいったいこの河野さんの言葉をどう聞いたのだろうか――。

さて、「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」の会員である私は、昨日、速報でも書いたように、2月17日の小沢公判での石川調書の証拠不採用を受け、再度、田代政弘元東京地検特捜部検事ららへの1月12日の告発の捜査を粛々と進めるよう、二回目の捜査要請書を東京地検刑事部長あてに提出してきた(一回目はこちら)。

元来、このような文書が提出された場合、まずは文書課が窓口になるということで、現に一回目の提出では同課の事務官がやって来たが、今回は刑事部の事務担当統括官が、もう一人女性の事務官を連れてやって来た(※ちなみにこのような場合、彼らは首からさげたIDカードを必ず裏返しにやってくる。名刺をくれといっても「持ち合わせていません」と判で押したように同じ答え。なので、直接名前を聞くことになる)。
なぜ、文書課の事務官が来なかったかとういと、、われわれの顔を見たかったのだそうだ(^_^;)。そして、彼はにこやかに笑いながら「(捜査要請書を)三回、四回とこれからも出すのですか?」と聞いてきたものである。
もちろん、そんなことはわかりやしない。きちんと捜査をしてくれれば来ることはないし、わざわざ地検刑事部のエライ人にガン首晒すのは、こっちだって気色のいいものではないのである。

もっとも本日、朝日新聞デジタル版に出た記事を読むと、しつこく行く必要も出てくるかもしれない。

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小川法相「しっかり対応」 検事の捜査報告書加筆

 民主党元代表・小沢一郎被告(69)の元秘書を取り調べた田代政弘検事(45)が、実際にはなかったやり取りを捜査報告書に記載していた問題について、小川敏夫法相は21日の閣議後の記者会見で「あってはならないことで、しっかり対応したい」と語った。今後、何らかの処分を検討するとみられる。
 17日の小沢氏の公判で東京地裁は、元経理担当秘書・石川知裕衆院議員(38)らの取り調べに「違法・不当な方法があった」として調書の不採用を決定。捜査報告書の問題にも言及していた。
 小川法相は「どうしてそういうことになったのか。重大な関心を持っている」と発言。田代検事は虚偽有印公文書作成・同行使などの容疑で市民団体から刑事告発されていることから、刑事処分の行方をみながら、法務省も田代検事の処分を検討するとみられる。
(朝日新聞デジタル2012年2月21日11時47分)
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この法務大臣はちゃんとわかっているのか? われわれが指摘しているのは、単に田代検事一人ではなく組織的な犯行であるということ。しかも小沢公判の大善裁判長もそれを認めている。むしろ田代検事は上からの圧力でやむを得ず虚偽記載をした可能性が強いのであって、トカゲのしっぽ切りは断じて許されないのである。

ところで、私は2月17日のエントリーで、この三年間は本当に不毛だったと書いた。それは紛れもない事実だが、しかし何も得るものはなかったのかと言えばそんなことはない。
ポジティブにとらえれば、大収穫であった。
なにしろ、法務・検察がここまでイカサマとデタラメをやる組織であることを満天下に知らしめたのだ。これを収穫と言わずになんと言おうか。

そして、その最大の功績はもちろん小沢一郎にある。
もし、これが普通の政治家ならば、ここまでブレずに信念を貫き通すことはできなかったろう。実際、検察は最初の段階では、小沢が議員バッジを外せば、矛を収めた可能性が高い。
ところが田中角栄のロッキード裁判を欠かさず傍聴し、リクルート事件や金丸事件も経験した小沢は、検察がどのような組織か知り尽くしていた。
おそらくそれが、どんなに検察がメチャクチャな攻撃を仕掛けてきても、そしてマスメディアに袋叩きにされても、無実の主張を貫き通す原動力になったのだろう。
しかも、この間、一貫して政治力を失わなかったゆえ、検察は次々とあの手この手を繰り出さざるを得なくなった。
その結果、これまで誰も問題意識を持つことがなかった検察審査会がトンデもない組織であることがわかり、その検察審査会に自分たちが起訴できなかった案件を起訴するよう仕向けるため、検察が捜査報告書に虚偽記載までする組織だったこともわかった。
その小沢の功績たるや凡百の政治家が足元にも及ばない。

さてしかし、この小沢公判を正しく捉えている人のなかにも、依然として小沢は有罪になるのではないか?という疑念を捨てきれない人も少なくないようだ。かくいう私も下駄をはくまでわからないと思っている。

だが――。
ここまで来たら、小沢一郎が有罪になるのも、それはそれで悪くないと私は思い始めた(もちろん小沢サンとしては「もういい加減にしてくれや」という心境だろうが)。
なにしろ、これだけのデタラメを積み重ねて、誰が見ても無罪の状況で、それでも有罪判決が出れば、司法の狂気は極まるわけで、その有罪判決をもとに小沢に議員辞職を促すような議員はすべてクズ議員、新聞はクズ新聞であることが堂々と確定する。
田中良紹は、2009年の大久保秘書逮捕以来、小沢に対する検察の攻撃を、「炙り出し」だと言っていた。つまり誰が、どの組織がまともかまともでないかを炙り出すリトマス試験紙だというのである。
実際、それは本当だった。
であるならば、ここですべて白黒つけるのも面白い。将棋で言うところの「これも一局」なのではないかと思うのだ。
ということで、小沢有罪結構!
やれるものならやってみな!


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2012/02/06

陸山会事件
東京地検の新たな「虚偽記載」発覚!
朝日新聞の重要記事

小沢一郎元秘書の石川知裕議員を、陸山会の土地取引問題で取り調べた東京地検特捜部(当時)の田代政弘検事らを「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」が「虚偽有印公文書作成及び行使容疑」で告発した件(東京地検刑事部で受理)に関連して、昨日、朝日新聞が重要な記事を掲載したので、以下に引用します(私は東京新聞購読者なので、本日まで記事内容を確認できなかった)。

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石川議員取り調べの特捜検事
捜査報告書 他にも加筆

 資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反で、民主党元代表・小沢一郎被告(69)の元秘書・石川知裕衆院議口(38)を取り取り調べた検事が作成した捜査報告書に、実際には取り調べ中になかったやりとりが、小沢氏の公判で発覚した以外にも、記載されていることがわかった。

「隠し録音」と食い違い

 この捜査報告書は、小沢氏の強制起訴を決めた検察審査会に資料として提出されていた。17日の小沢氏の公判で東京地裁が証拠採用し、中身を調べる見通しだ。小沢氏の弁護側は「石川氏の供述調書の内容は信用できる」と審査会が判断した根拠の一つになったとみて、小沢氏の公訴(起訴)の棄却を求めている。
 この捜査報告書を作成したのは、東京地検特捜部で捜査に加わった田代政弘検事(45)。検察審査会が小沢氏の1回目の審査で「起訴相当」と議決した後の2010年5月17日に、保釈中の石川議員を取り調べた。上司の特捜部長あてに、その日の石川議員とのやりとりをまとめた。
 石川議員がこの取り調べをICレコーダーで「隠し録音」していたため、小沢氏の弁護側か公判で指摘して食い違いが発覚した。
 録音にないことが新たに判明したのはまず、この調べの日に供述調書を作成するかどうかのやりとり。捜査報告書では、田代検事が「署名拒否にしますか」と投げかけ、石川議員が「そんな、突き放さないでくださいよ」と述べたと記載されている。録音には石川議員が調書の作成をためらう様子は記録されているものの、こうした問答はなかった。
 また、石川議員が同年1月に特捜部に逮捕された直後の田代検事による取り調べを振り返り、「『弁護士には内緒にしてください』とお願いして、供述調書を作ったんでしたね」などと発言したという記載が捜査報告書にあった。しかし、録音にはこうした弁護士についてのやりとりは一切なかった。
 他にも、録音では田代検事が発言し石川議員が肯定したやりとりなのに、すべて石川議員の発言として記した部分が数力所あった。
 昨年12月に小沢氏の公判で弁護側が指摘してすでに発覚しているのは石川議員が逮捕中に、「政治資金収支報告書の虚偽記載を小沢氏に報行し、了承を得た」と認めた理由についてのやりとり。「検事から『11万人の選挙民の支持で議員になったのに、うそをつけぱ選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」などと石川議員が語ったと報告書に記載されたが、録音にはなかった。
 公判で証人として出廷した田代検事は、捜査報告書との食い違いを認めたうえで、「逮捕中に石川氏が話したことと記憶が混同して書いてしまった。虚偽ではない」などと弁明した。
 この捜査報告書をめぐっては、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が今年1月に、虚偽有印公文書作成・同行使などの容疑で田代検事らを刑事告発し、東京地検刑事部が受理している。

Asahi

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もはや、これは小沢一郎・陸山会の虚偽記載問題ではない。
一人の有力な総理大臣候補者を陥れるために東京地検特捜部が行なった、恐るべき「捜査報告書虚偽記載事件」である。

今回の朝日新聞の記事は大変に評価できるが、日頃から根拠なく小沢一郎を罵倒する同社の論説委員諸氏はどう説明するのか(思うに現場は頑張っているけど、ベンチがアホなんでしょうな)。

・朝日新聞 読後雑記帳
特捜検事の「虚偽記載」犯罪を徹底批判しない記事

あるいは、こういう恐るべき体質を持つ検察のリークを、2009年の3月(大久保秘書逮捕)以来、延々と垂れ流してきたメディアはどういう責任をとるのか(この期に及んでも検察リークを垂れ流し、しかもそれを指摘されてもドスルーする毎日新聞サンはとくに問われますネ)。

少なくとも、あの時点で、マスメディアが真っ当な報道をしていれば、今日の政治状況は非常に大きく変わっていたことは間違いないだけに、その罪は重大だ。。
しかも、当時、すでにネット上では、大久保逮捕に対する疑問が溢れかえっていたのだから、「まさか検察がこんなにおかしなことをしているとは思わなかった」とは言わせない。
とすれば結論はただ一つ。
マスメディアは東京地検の共犯者だったのだ。

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