「風流夢譚」を電子書籍化した理由
以下の記事は、志木電子書籍のページに掲載したものと同じものですが、当ブログにも転載いたします。
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昨日、朝日新聞朝刊文化面に「風流夢譚」(深沢七郎)に関する記事が掲載されましたが、改めてなぜ「風流夢譚」を電子書籍化したかについて書きたいと思います。
まず作品自体について。
この小説は1960年12月号の「中央公論」に掲載された短編です。
私にはそのあらすじを書く力量がないので、以下に中村智子氏が書かれた「『風流夢譚』事件以後 編集者の自分史」の中で紹介されているあらすじの一部を引用させていただきます。
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「私」はある晩、夢をみた。井の頭線の渋谷ゆきに乗っていると、朝のラッシュ・アワーで満員の乗客が、「いま都内の中心地は暴動が起こっている」とさわいでいた。渋谷駅で八重洲口ゆきのバスの乗り場に並びながら、「革命ですか、左慾(サヨク)の人だちの?」ときくと、警視庁や自衛隊の下っぱはみんな我々の方について、ピストルや機関銃で射ち合いをやっている、皇居も完全に占領してしまった、ということだった。
「女性自身」の旗をたてた自動車にのった女の記者が、「これから皇居へ行って、ミッチーが
バスがきたので、わーっと乗りこんで、皇居広場へ行った。おでん屋や、綿菓子屋、お面屋などが出ていて。風船をバァーバァー鳴らしていた。その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺されるところである。そのヒトの振り上げているマサキリは私のものなので、(困るなア、俺のマサキリで首など切ってはキタナクなって)と思ったが、とめようともしない。マサキリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下と美智子妃殿下の首がスッテンコロコロと金属性の音をたてて向こうの方まで転がっていった。あとには首のない金襴の着物をきた胴体が行儀よく寝ころんでいた。
「あっちの方へ行けば、天皇・皇后両陛下が殺られている」と教えられて、人ゴミをわけて歩いて行った。交通整理のおまわりさんが立っていて、天皇・皇后の首なし胴体のまわりを一方通行で順に眺めた。天皇の首なし胴体のそばに色紙が落ちていたので、拾って読もうとしたが、毛筆でみみずの這ったようなくずし字なので判らない。五十年も皇居につとめていたという老紳士が、「それは天皇陛下の辞世のおん歌だ」と読んでくれた。
(以下略)
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この作品が発表されたのは、いわゆる60年安保が収束した直後であり、また日本社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された時期とも重なります。
つまり日本が高度成長に乗る以前の、まだ物情騒然としていた時代だったわけで、この小説を掲載した中央公論社は、12月号の発売直後から右翼の激しい抗議にさらされます。
さらに、翌1961年2月1日には、中央公論社の嶋中鵬二社長宅に右翼の少年が押し入り、お手伝いの女性が刺殺され、夫人が重傷を負うという事件が起きました(嶋中鵬二氏は不在だった)。
「言論の自由」という点で、この事件が日本のジャーナリズム史に与えた影響は非常に大きく、また「中央公論」もその後、大きく路線を変更していきます。
そして、この小説は以後、海賊版をのぞくと、公式に活字化されることはなく、封印されてしまいました。
この短編小説を電子書籍化しようと思いついた経緯については、朝日新聞記事にあるとおりですが、「3・11後の今、改めて読まれる意味があると思った」(朝日記事)という部分について、以下にもう少し詳しく書きたいと思います。
「風流夢譚」という小説については、非常に高い評価から、愚作、駄作、とんでもない不敬小説とさまざまな評価があります。
前出の中村智子氏は、この点について、
「この作品にこめられているのは、在来の権威への徹底的な揶揄である。皇室、和歌、三種の神器、文化勲章、そして革命が、嘲弄されている。それもとぼけた語りくちでかかれているために、いっそうくだらないものとして貶める効果を生んでいる。ゲラゲラ笑いながらよんだという人と、神経をさかなでされ、とくにスッテンコロコロの箇所に怒った人と、二様の反応があったのは、現代の日本人の皇室感覚の複雑さを示している。あるいは劇画の残酷シーンを見なれている今日の若者がよめば、なんの感情もおこさないかもしれない。」
と書かれています(前出・「『風流夢譚』事件以後」)。
私は父親(事件当時、「中央公論」編集次長)が掲載号を所持していたために、かつて学生時代に「風流夢譚」を読んだことがありましたが(今から30年以上前です)、正直、当時の感想を今思い出すことはできません。
そして一昨年、電子化を思い立って再度この小説を読み直したのですが、その時に真っ先に感じたのは、3・11後の状況は、60年安保当時と似ているのではないかということでした。
日本の戦後、もっとも大衆運動が盛り上がったのは、60年安保であることは間違いありません。
当時の映像を見ると、国会前をデモ隊が取り囲み警察とも激しく衝突しています。時代は「安保以前のすべての争点は安保体制に流れ込み、安保以後のすべての争点は安保体制から流れ出た」(京谷秀夫『一九六一年冬「風流夢譚」事件』)ような状況で、60年安保は戦後民主主義を標ぼうする人びとに重大な危機と認識されていました。
日本は第二次世界大戦という多大な犠牲の上に、ようやく民主主義を手にしました。しかしながら、それはアメリカの手によってもたらされてもので、昭和天皇の戦争責任をきちんと追及し、国民自らの手によってかちとものではありません。
その意味で、実は日本は表面的には軍国主義から民主主義へと転換したものの、本質的な国家体制に変化はなかったのだと私は思います。
そして迎えた60年安保は空前の盛り上がりとなったものの、しかし最終的にはここでもまた何ら国家体制に変化をもたらさないまま収束しました。
「風流夢譚」が発表されたのは、まさにその頃でした。そして、私が二度目にこの小説を読んで思ったのは、深沢氏は、
「なんだ、安保闘争というのはその程度のものだったのか。これまで自ら革命を起こしたこともなく、民主主義も戦勝国からいただいた国民が、今回は何かしらやるのかと思って見ていたら、結局、なにも起らなかったし変わらなかったじゃないか」
という感想を持ったのではないかということでした。
したがって、深沢氏はそんな日本人への皮肉をこめて、革命にわくわくする主人公を登場させつつ、しかしそれは夢の世界のこととしたのではないでしょうか?
もちろん、これは勝手な解釈ですが、そう考えた時、3・11後の状況と50年前に書かれた小説がつながりました。
今日も深刻な汚染水漏れが報じられる福島第一原発は、2011年3月11日以後、3つの原子炉がメルトスルーして、いまも溶け落ちた燃料がどこにあるのかもわかりません。
つまりこの破局事故はまったく収束していないのであって、人類史上未経験の事態がいまこの瞬間も進行中です。
これには、さしものおとなしい国民も、脱原発の声を上げ始め、60年安保以来であろうデモが行なわれるに至りました。
ところが、それでもこの国の原子力政策は変わることはありません。
「たとえ東京電力が何度倒産しても、日本という国が破産しても贖いきれないほどの被害がすでに出ている」(京都大学原子炉実験所・小出裕章助教)にもかかわらず、原子力発電を推進してきた東京電力の会長、社長以下の経営陣、あるいは原子力ムラの人びとの誰一人として責任をとっていないのです(現首相の安倍晋三も、前回の首相時代、共産党の吉井英勝議員の質問に答えて「事故は起きない」と答弁しています)。
こんな状況の中、もし「風流夢譚」を現在に設定し直したら、、、
その舞台は皇居ではなく東京電力本社の前であって、断罪されるのはその経営者たちになるのではないか。
私はそんなふうに思ったのです。
そして、だとすると──。
50年前の深沢氏の「やっぱり何も変わらないじゃないか」という問いかけは、今なおわれわれ国民に、鋭く突きつけられているのであって、もしこれだけ破局的な原発事故を経験してもこの国が変わることができなければ、後世に多大な困難を残して何一つとして責任をとらないことになってしまいます。
本当にそれでいいのでしょうか?
小出裕章氏は「これだけの事故が起きても変わらなければ、この日本という国はダメだと思います」とおっしゃっていますが、このまままた「夢譚」に終わってしまっていいのでしょうか?
そういう思いも込めて、「風流夢譚」の電子化をした次第です。
※「風流夢譚」はAmazon以外での主な電子書店でも取り扱いしてます(koboは未対応)。
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