2012/01/20

大飯原発意見聴取会 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!

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「ナマであるように見えるほど、つまりリアルであればあるほど、メディアはウソをついている。つまり現実を“像”にすりかえ、“像”を現実として送り返している。(中略)ここから権力の源泉としてのあらゆるトリックが発生するのである。」

「メディアは現実を“像”に変える。そして“像”を現実そのものであるかのように錯覚させる。そこに、メディア・ファシズムとでも称すべき、こんにちの“管理”のホンシツがある。イデオロギーを統制するのではなく、“像”というコンセンサスを市民社会に共有させることで管理を実現するのである。」

「高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成は、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。」

いずれ岡庭昇著『テレビ帝国の教科書』(1985年)より
*****

いまさらだが、大飯原発再稼働の条件となる安全評価の意見聴取会での“混乱”について。

私は仕事をしながらつけていたテレビからの音声で、このニュースの一次情報を得たのだが、「反対派」「市民」「乱入」というような言葉が聞こえた。
そこでおやっと思ってテレビを振り返ってみると、案の定、この会を傍聴するはずだった市民が、さもトラブルの原因であるかのような映像が流れていたのだった。

もちろん、この期に及んでも原発を存続するため、「反原発という意志を持った市民=秩序を乱す社会常識のない集団」というネガティブ・キャンペーンのための“像”の拡散である。

この映像を見た素直な視聴者たちは、「反原発の人たちの行動は、どうも非常識だな」という印象を持つわけで、それこそが権力の意図であり、見方を変えれば、マスメディアがその共犯者であることの何よりの証拠映像といえるだろう。
ちなみに、このニュースを伝えるNHKは↓のようなものであった。

この映像でアナウンサーは早速、冒頭から「会議が開催できない異例の事態になっています」と喋り始める。そしてテロップは「傍聴不許可の人たち抗議 会議開催できず」。
この時点で、「反原発派のせいで、真っ当な会議が開催できない」という印象を視聴者にガッツリ与える寸法である。
しかし、では事実はどうだったのか。原発に関しては真っ当な記事を出す東京新聞はこう書いている。

*****
再稼働条件の原発安全評価 大飯3、4号機「妥当」
2012年1月19日 07時02分

(略)

■「今日中に」聴取会強行

 原発の専門家からの意見聴取会は、原発の再稼働への重要な節目となるとあって、再稼働に反対する大勢の傍聴者が詰めかけた。
 前回の聴取会で、傍聴者の一部が委員に詰め寄る混乱があったため、保安院は一般傍聴者の入場を禁止。別室で中継のモニターを見る形式にした。これに反発した傍聴者が会場になだれ込んだ。
 十数人の傍聴者は口々に「なぜ傍聴させないんだ」「こんな保安院に再稼働を決める資格はない」と、意見聴取のあり方や、聴取対象の専門家の中に原発関連企業から研究費を受け取っていた人がいることを批判。原子力プラント技術者の後藤政志委員が「仕切り直すべきでは」と流会を投げかけた。
 しかし、司会で東京大教授の岡本孝司委員は拒否。以後は退室を求める保安院側と原発反対派の間でにらみ合いが続く異様な雰囲気になった。
 その後、保安院は省内に別室を確保。委員を移動させた。説明に当たる保安院の職員と傍聴者がもみ合いになる一幕もあった。
 「今日やってしまいたい」(幹部)という保安院は、庁舎のエレベーターを止め、通報で駆けつけた警視庁丸の内署の警官隊を出入り口に配置。傍聴者を新たな会場に近づけないようにし、午後八時ごろ、審査書に批判的な後藤氏と井野博満東京大名誉教授の委員二人が欠席する中で聴取会を強行した。
 聴取会が始まると、保安院の担当者は淡々と評価報告書を読み上げ、「妥当」「有効」を繰り返した。
 この間、枝野幸男経産相は緊急記者会見を二回開き、「平穏に議論できない状況では、広く意見を求めるという聴取会の目的が果たせない」「ルールを守ってもらいたい」と述べた。
 井野氏は「原子炉の老朽化や、人為的ミスの可能性を考慮しておらず、審査は不十分だ。弱点を見つけることと、安全だから再稼働ということは別だ」と批判した。
*****

もともと、きちんとパスをもって傍聴のために入場した市民に対し、保安院側が別室に誘導しようとすれば、市民が怒るのは当然のことであり、そこですごすごと別室に従う方がよほど人間として問題があることは言うまでもない。
もちろん、NHKでもその経緯は一応なぞっているが、問題はそのトーンなのである。
たとえば↑の映像では、「原発の運転再開に反対する人たちなどおよそ20人が会議室に入りこんで抗議をつづけました」といっている(1分3秒あたりから)。
この「入りこんで」という、まるで市民が無理やり中央突破をはかったがごとき表現こそが、印象操作の肝である。
それは、例の北朝鮮の女性アナウンサー仰々しく独裁者を賛美するよりもはるかに国民を深いところで洗脳し、統制する。

実際の様子はこちら↓

そして枝野の会見の様子。

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この意見聴取会は、「政治的に再稼働すべきかどうか議論している場ではな」く、「あくまで客観的科学的技術的に専門家の皆さんに論議いただく場」だというのである。
しかもご丁寧にNHKはわざわざここにテロップを入れている。

しかし、前掲の東京新聞記事にもあるとおり、「この専門家のみなさん」の中には原発関連企業からカネをもらっていた委員が複数いた。

・田中龍作ジャーナル
「大飯原発ストレステストは妥当」 傍聴者排除し推進派だけのイカサマ専門家会議

つまり、現実には、これほど「政治的に再稼働をすべきかどうかを議論する」「客観的でない議論の場」はなかったのである。
だが、ここでNHKは、現実を“像”にすり替えた。
結果、視聴者は、この一見すると市民がただクレームをつけているだけのような“像”を現実と錯視し、「反原発=一部の危ない“市民”」というイメージを共有することになる。
まさに“空気”と“気分”による、完璧な統制だ。

ところで、こうして市民を締め出して行なわれた聴取会には、枝野がのこのことやってきて、しきりにぺこぺこと委員に向かってお詫びをしたという。
詳しくは、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」さんのエントリーをご覧いただきたいが、枝野が頭を下げている画像は必見だ(是非、見てください)。

・みんな楽しくHappy♡がいい♪
国民を締め出したストレステストの会議中「謝りに来た」枝野大臣(動画&書き出し)

さて、今日は本当はSPEEDIについても触れたかった。
これまで100億円以上のの日本国民の税金を投入して、まさに福島第一原発破局事故の時のためにつくられた「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」のデータを、文部科学省は真っ先に米軍に渡し、自国民に対しては秘匿した。
このデータを見たアメリカはさっさと米国民を80キロ圏外へと避難させる一方、日本人は避けられた被曝を避けられなかったどころか、正しい情報があればしなかった被曝までしてしまったのである。
以下は京都大学・小出裕章氏の話。

狂 っ て い る 。

腐 っ て い る 。

どこぞの国の独裁者の資質が云々などと言っている場合ではない。
この国の権力構造は、ヘドロどころか、まさに高濃度の放射能汚泥のようなものである。
このまま放置すると、国民はこいつらの毒にによる被ばくで死ぬことになる。


※お知らせ
冒頭で紹介した岡庭昇著『テレビ帝国の教科書 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!』の電子書籍版が、間もなく志木電子書籍より発売されます。
詳細は、追ってご紹介しますが、是非、ご期待ください!

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2011/11/07

非常時に普通であることは普通でない 〜 自衛のための暴動も起きない国

ここ最近、何人かの方とお目にかかって、同じようなニュアンスの言葉を聴いた。
ちなみに、その方々は私とは比べものにならないほど見識が高く、話をうかがうたびに勉強させていただいている、そういう方々の言葉。

A氏
「私の周りの外国人は、どの国の人もみんな、『日本人は頭がおかしいんじゃないか』と言ってますよ。これだけメチャクチャなことを国や東京電力がやっているのに、暴動すら起きないいんだから呆れてますよ」

B氏
「国会や政府を間近で見ていると、クーデターでも起きない限りこの国は変わらないんじゃないかと思うよ。この期に及んで何もしないで“焼き肉の会”だかを作って焼き肉ばかり食べに行って、国会ではいびきかいて寝ている議員がいるんだから」

C氏
「原発でこれだけひどいことになって、TPPで暴走して、このままいったら数年後には大変なことになっているだろうな。オレは最近、宮本顕二の暴力革命論というのは、あながち間違いじゃなかったような気さえするよ」

D氏
「中南米あたりで政治や社会がいまの日本のようになったら、間違いなく暴動が起きているね。とっくの昔に東京電力のトップは殺されて首でもさらされてるだろうし、それ以外の社員だって東京電力の人間だと周りの人に知られたら怖くて外を歩けないというような状況になっているはずだよ」

「原発事故の被害者に対する賠償を円滑・迅速に進めるため」という名目で、9000億円の公的資金が東電に投入されのだという。ところが、この会社は冬のボーナスを支給されており、その平均は200万だという。
東京都が受け入れた瓦礫の処理をするのは、東電の子会社。焼け太りである。そのことを東電は認めたが、記者会見で質問した記者は東電から締め出された。
東日本には、福島を中心に日本の法律をあてはめれば放射線管理区域になる地域が多数あり、それは千葉、埼玉、東京にまで及ぶ。本来、そこで人は生活してはならない。にもかかわらず、この現実に対して政府は無視を決め込んでいる。それどころか、福島では今週末に女子駅伝が行われるのだという。
これからの日本を背負う若者が高線量の地域を走る、つまり息を深く吸い込みながら駆け抜けるのである。狂気の沙汰とはこのことだろう。
私はこれまでそんなことは一度も思ったことはなかったが、第二次大戦中に学童疎開を当時の政府というのは、今の政府よりもなにがしかマシだったと思うようになった。

一方、やらせメールで大揺れの九州電力では、トラブルで停止していた玄海原発を再稼働した。その根拠は、事故の再発防止策をまとめた報告書を国が「おおむね妥当」だとしたからだそうだ。
福島であれだけの事故が起きながら、再稼働をするにあたっての基準は「完全」ではなく「おおむね」でいいというのである。
その九州電力のやらせメール問題。郷原信郎氏が中心になってまとめた第三者委員会の最終報告書の作成に参加した委員の一人は、なんと今になって自分で記者会見を開いて「九電が知事をかばおうとする行為は人であれば立派な人格。一般市民の目から見れば、信頼するに足る企業ということ」とのたまった。この人物は東洋英和女学院の教授だという。

TPPについては、もはやその交渉参加が日本にとってなんの国益ももたらさないことは明々白々だ。
当初はTPPとは農業問題に矮小化されていたが、実はそうではない。それはすでに明らかにされたが、私はあえて農業にこだわると、相変わらず「日本の農業は甘やかされている。バラマキの最たるものだ。日本の米は高い」などという言説をふりかざす輩がいる。私は以前から不思議に思うのだが、それだけ“甘やかされたオイシイ産業”だというのなら、なぜ就農人口はドンドン増えないのか。
農業への甘やかしはケシカランという人物に限って、電力料金が世界に比して高いこと、東京電力ほど甘やかされている企業はないことは指摘しない。
ついでにいえば、自動車産業がなぜ日本でこれほどに発展したかと言えば、国を挙げてこの産業をバックアップしたからである。

前エントリーでも中野剛志氏がブチ切れている動画を紹介したが、なぜ私がこの動画を貼り付けたかといえば、中野氏が怒っているからである。
公共の電波でああいう態度は良くないという意見ももちろんある。
しかし、これだけメチャクチャなことが目の前で展開されて、それでも怒らないのはむしろ心がどこか壊れているとしか私には思えない(あるいはドMか)。

その昔、日本社会党は憲法第9条の解釈として、非武装中立を主張していた。これに対して政府自民党の側は、自衛権はあると主張した。つまり、他国が攻めて込んで来た時には、こちらも丸腰でいるわけにはいかないのであって自衛のために戦う権利はあるというである。
私は、自衛隊というのは、田中康夫が言うように国際救助隊的な機能を持つ組織にするべきだと思うけれども、少なくとも自民党政権時代も、そして民主党による現政府も自衛のための戦争をする権利はあるという立場にある。
結果、自衛隊は大規模な軍事力を持つ軍隊となった。
だったら、政府や東京電力による暴行に対して自衛のための暴動を起こす権利もあるんじゃないの?と私は思う。
実際のところ、現状、日本で暴動が起きるとはとても思えないが(つまりそれだけ国民は飼いならされているわけだ)、しかしもう少し真剣に怒らないと後世に残る禍根はひたすら拡大していく一方であるーー。

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2011/10/05

731部隊と山下俊一

以下に書くことは、すでにネットでは少なからぬ人が指摘していたが、私は迂闊にも気づいていなかったーー。

まずは信濃毎日新聞のこちらのニュースから。

*****
・10人の甲状腺機能に変化 福島の子130人健康調査
認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信大病院(ともに松本市)が、福島県内の子ども130人を対象に今夏行った健康調査で、10人(7・7%)の甲状腺機能に変化がみられ、経過観察が必要と診断されたことが3日、分かった。福島第1原発事故との関連性は明確ではない。旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の被災地では事故から数年後に小児甲状腺がんが急増しており、JCFは今後も継続的に検査が受けられるよう支援していく方針だ。
 調査は原発事故から逃れて茅野市に短期滞在していた子どものうち希望者を対象に7月28日、8月4、18、25日に実施。130人は73家族で生後6カ月~16歳(平均年齢7・2歳)。医師の問診と血液検査、尿検査を受けた。
→記事の続きはこちら
*****

このニュースは私が読んでいるいくつかのブログでも取り上げられていたし、また小出裕章氏も以下の放送のなかで、この検査結果を問われて感想を述べている(6分過ぎから)。

しかしながら、肝心の福島県は県民の血液検査をすることに、まったく積極でないという。そして、その中心にいるのが山下俊一である。

・低気温のエクスタシーbyはなゆー
〔子供の甲状腺悪化〕福島県は楽観論一色「血液検査やらない」

私が上記のエントリーを読んで強く思ったのは、これではまるで福島県の人々を人体実験しているようなものではないかということだった(もちろん、そういう意見は以前からあったが)。そして、そこに第二次大戦中の旧陸軍満州第七三一部隊(通称731部隊、あるいは石井部隊)と共通する感覚を感じたのである(731部隊については、ネット上で検索をすればいくらでも出てくるので、詳しくご存知ない方は調べてみていただきたいが、要するにこの部隊は中国人、ロシア人、朝鮮人、、、他多くの国の捕虜に対してまったくもって非人道的、かつ大々的な人体実験を行った。そして人体実験を行う際、捕虜は「マルタ(丸太)」と呼ばれた)。

・真実を知りたい
石井部隊-”マルタ”生体実験

しかも、この731部隊の人脈というのは戦後も少なからず生き残り、多くの機関、組織へと入り込んで戦後史の都度都度で顔を出す(その一つが薬害エイズ事件である)。

・誰も通らない裏道
偽装、ミドリ十字、、、(1)
偽装、ミドリ十字、、、(2)

山下俊一に話を戻すと、この男が福島でやろうとしていることは、繰り返しになるが731部隊がやった行為と非常に似ている。そこでためしにネットでいくつかのワードを入れて検索をかけてみた。すると、山下俊一は重松逸造なる人物の直弟子だということがわかった。
この重松逸造とは何者かというと、放射線影響研究所(放影研)の理事長をつとめた経歴があり、1991年にチェルノブイリ事故への安全宣言を出した人物であった(参考:ウィキペデア・重松逸造)。

・ざまあみやがれい!
1991年「チェルノブイリ安全宣言」発表した重松逸造氏(IAEA事故調査委員長)を糾弾したドキュメンタリー動画(一部文字おこし)

では、さらに放影研とはどのような組織か? ホームページの沿革にはこう書いてある。

「財団法人放射線影響研究所(放影研)は、日本国民法に基づき、日本の外務省および厚生省が所管し、また日米両国政府が共同で管理運営する公益法人として1975年4月1日に発足しました。
前身は1947年に米国原子力委員会の資金によって米国学士院(NAS)が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)であり、翌年には厚生省国立予防衛生研究所(予研)が参加して、共同で大規模な被爆者の健康調査に着手しました。(以下略)」(下線太字はブログ主によるもの)

ABCC-放影研の歴史

また、↓の資料の19ページも参照していただきたい。

「放影研ニューズレター」

ここには、こう書いてある。

「放影研の研究成果は、放影研の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究成果と深く結びついています。ABCCは1947年に設立されましたが、当時は財政・運営ともにほとんどが米国によるものでした。日本側は主に、厚生省国立予防衛生研究所(予研)の人材を、広島・長崎のABCC内に設置された予研の支所に派遣することを通じてABCCにかかわることとなり、広島と長崎の予研支所長であった槙 弘博士と永井 勇博士は、ABCCの準所長も兼任することでABCCの方針決定に関与していました。」(下線太字はブログ主によるもの)

なるほど、これでわかった。
この国立予防衛生研究所(通称・予研。現在は国立感染症研究所)こそは厚生省の関連施設で、731部隊で生き残った人脈が深く入り込んでいる組織である
(ちなみに、今年に入ってからも↓のようなニュースがあった)

・47ニュース
新宿区戸山の人骨」発掘開始 731部隊との関連指摘も

つまり、山下俊一の経歴を少し手繰れば、即座に731部隊の人脈に突き当たるのだ。そして、その731部隊こそはありとあらる人体実験をやった悪魔の組織であった。
その組織の系譜に連なる人物が今、福島で壮大な人体実験をしようと張り切っている。
まさに「悪魔の飽食」の復活である。
私はその事実に、この国の底知れぬ闇の深さを見て慄然とした。

Gwngos

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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戦後日本の思想

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2011/09/29

権力と闘うということ

1970年にとある大手資本の子会社(従業員数250人前後)で起きた労働争議の記録映像を見る機会があった。
争議のきっかけは独裁的な権力をふるっていたこの会社の社長の数々の不正の発覚で、組合員全員で無期限ストに突入する。
ところが、会社は親会社の指示のもと、争議ゴロを取締役に据えるという強硬策に出る。警備員という名の暴力団員が多数雇われ会社をロックアウト。その一方で、組合の懐柔策に出て、数カ月後には第二組合が誕生。当然、彼らは職場復帰をする。
映像では、警備員(暴力団員)が労働者に殴りかかるところが映っている。
しかも驚くのは、警察がこの警備員(暴力団員)と一体化して、労働者を弾圧していることである。
というのも、親会社は警察と密接な関係にあり、日頃から警察に協力しているばかりか、そもそも警察署が建っている土地自体が親会社のもので、そこを好意で警察が使わせてもらっているのだという。
したがって、警察は徹底して親会社とそれに連なる子会社経営、そして第二組合の側に立ち、第一組合の組合員は続々と逮捕されていく。
ところが、それでも労働者はめげなかった。同業他社の労組が次々に支援連帯スト権を確立。本体の労組は100人を切るまでの人数になってしまったにもかかわらず、その倍以上の支援労働者が会社や親会社の前に駆けつける。
映像には当時のデモの様子も記録されているが、スクラムを組んでのジグザグデモが行なわれ、警察や第二組合員の一部と衝突を繰り返す……。
普通に考えると、これだけ彼我の差があれば、第一組合側がアッサリ負けるはずなのだが、しかしこの争議は最終的に組合側の完勝に終わった。
なぜそのような結果を出すことができたのか?
その最大の要因を一つ挙げれば、争議の間に起こされた数々の裁判で組合が連戦連勝したからだ。
つまり、司法が最後の砦として真っ当な判断を下していた、機能していたのである。

ここのところ、「戦後」とは何だったんだろうということを少しく考えている。
「日本は官僚独裁という意味において、戦前も戦後もなく一貫している」というのが私の持論で、それは今でも変わることはない。
ただ、最近、一つ思うのは、それはそれとして、やはり敗戦というのは独裁権力にとって大きな痛手で、国民をコントロールする上でのいくつかの大切な手段を失ったのだろうということだ。
結果、独裁権力を行使するにしても、どうしても効率が悪くなる。
労働運動が燃え上がったり、国民の目が日米安保に向き、ジャーナリストがこれを書き立て、一旦、裁判が起きれば司法が真っ当な判断を下してしまう。
効率を何よりも好む独裁権力にとって、これほどの非効率、ムダはない。
そこで、この非効率をなんとしても改善するべく費やしてきた日々が、つまり戦後なのではないだろうか。

このたび判決が下された「陸山会事件」の公判では、当初、検察が証拠申請した少なからぬ供述調書が却下されたため、これまでデタラメの限りを尽くしてきた検察も、いよいよ年貢の納め時かと思った人が多かった。
ところが、実際に下った判決は、そんな危ない供述調書を申請しなくても、状況証拠を出してくれれば検察が立証(デッチ上げ)したくてもできなかったことまで含めて、ジャンジャン認定してあげるよという内容であった。
これについて、郷原信郎氏はtwitter上で、↓のように述べている。

http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118449794925604864
http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118450385504579584

つまり、「じゃあ、これまで検察官が必死になってやってきたことはなんだったのか? バカにするな」というわけだが、一方で郷原氏と同期の元検事、若狭勝氏はこのように述べている。こちらは「それで有罪にできちゃうんだ! なーんだ、検察ラッキーじゃん」ということだろう。

ところで、この判決が下りた後、石川知裕議員が会見をした。大変、疲れているということで、珍しく司法記者クラブと自由報道協会が呉越同舟での会見となった(主催は石川事務所ということらしい。そんなことはどうでもいいが、こういうことが司法記者クラブの連中にとってはもっとも大事なのだろう)。
私もネットでこの会見を見たのだが、最前列に座っているのは自由報道協会、つまりフリーランスの面々ばかりである。そして、質問をするのもすべて彼ら。大手メディアの記者はその後ろに座って、パシャパシャとノートパソコンのキーボードを打つだけである(それにしても、いつも思うのだが、あれはいったい何を打っているのかね。音声なんて録音すればいいんだから、パシャパシャ打っても意味ないじゃん。それより会見者を観察するとかはしないのかね。毎日新聞の主筆とやらは、相手の顔色を見て記事を書くらしいですぜ)。
要するに、司法クラブの記者はこの判決についての疑問を一切、持っていないのである(普段、記者クラブで下げ渡し情報をもらうだけの体質が染みついているということもあるだろうが)。
そして、案の定、マスメディアはアリバイ程度に、この判決の危険性を述べる識者のコメントを載せたが、基本的には裁判官が下した判断をそのまま大々的に垂れ流した(5000万円授受ビデオを捏造したTBSなんぞは嬉しかったでしょうなあ)。
なかには「法律的には議論の余地が残るが、国民の常識的な感覚には近い。積極的、挑戦的な判決だ」などという法律学者のコメントもあった(「くろねこの短語」参照)。
驚くべきコメントですね。法律よりも国民の感覚、つまりポピュリズムが優先するというのである。事実がどうであろうとも、マスメディアがうわーっと書きたてて印象操作をした結果として出来あがった「国民の感覚」に沿った判断の方が正しいというわけだ。
過去に冤罪で苦しんだ多くの人々は、捜査当局から情報をもらったマスメディアが書き立てる記事によって、周囲の人々から「犯罪者」という印象を与えられ苦しんできた。しかし、この法律学者は「国民の常識的な感覚」に沿うことを是とするのである。いやはや、私は法律など学んだことのない素人だが、こういう人が権威として存在する法律の世界というのはいったいなんなんだろうと思わずにはいられない。

しかしながら、、、
それもこれも、すべては独裁権力が戦後、コツコツと打ってきた布石の結果なのだろう。

最初に触れた争議の映像では、警察と資本の密着ぶりが余すところなく描かれているわけだが、いま東京電力もあれだけの破局事故を起こしながら、何一つ罪に問われることもなく、本社の周辺は警察によって守られている。
それもそのはずで、平岩外四、那須翔といった東電の歴代トップは国家公安委員をつとめている。つまり東電という会社は国家権力と直結しているのである。
いま、脱原発側はそういう企業を相手にしている。

先日の脱原発デモでは少なからぬ逮捕者が出た。また、佐賀県庁へ抗議に行った山本太郎が建造物侵入で告発されるということもあった。これに対してネット上では批判の声が上がっている。もちろん声を上げることは大切だが、しかしこのようなことはあちらからすれば序の口で、どんな手を使ってでも弾圧してやろうと手ぐすねを引いているはずである。
しかも、かつてのように最後の砦である司法にもまったく期待できない、どころか状況さえあればまったくの冤罪をでっち上げられる可能性がきわめて高い。
いま私たちはそのような状況の中にいるわけだ。
では、この権力の決意に対して、こちら側はどのように対抗すればいいのか。
最近、私は、ただ大人しく行儀のいいデモをやっているだけでは、もはやダメなのではないかと思い始めている。

※まったくの余談
かつて大日本愛国党の赤尾敏という右翼の大御所がいた。いつも銀座・数寄屋橋の交番の前で辻説法をしていたのだが、もしこの赤尾先生が生きていれば、私はきっと数寄屋橋から東京電力本社の前に街宣車を回していたと思う。今考えると、赤尾敏という人は、もちろん多くの面で私とは考え方が異なるが、しかし立派な人だった。

Gwngos

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/09/09

1997年3月11日

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 事態が教えるものは、あまりにもはっきりしている。この程度の基本的、初歩的な事故を起こしうる設備がそもそも原子力発電所なのだ、ということだ。これにつけ加える、どんな理屈も不要だろう。
 この場合も、あたりまえのことをあたりまえといい切ること、すなわち常識こそが大事なのではないだろうか。危ないものを危ないと感じて、危ないものはやめようと提案し、危ないものに執着する論理は成り立たないと、ごくごくまっとうに考える市民の発想以外に、本来「原発論議」は存在しないなずなのだ。
 なぜそれなのに、あまりにも事態は「ほんらい」ではなく、「あたりまえ」ではないものがまことしやかに存在してしまうのか。むしろ「あたりまえ」を、そのにぎやかさで圧倒してしまうのか。むろん、それこそが情報帝国主義の、情報帝国主義である証拠なのだ、といってしまえばそれまでなのだが。
 原発は、いわば「国是」である。「国策」なのである。そして、それが国策であるかぎり、それについての情報はまったく市民に知らされず、それに対するあらゆる疑念自体が認められない。それは、まさに国策であるゆえに存在理由を持つのであり、そこに懐疑も、検証もあってはならないのである。それこそが一党独裁の強いる現実にほかならない。国策であるならなおのこと、十分な検証が必要なはずなのだが、むろんそういう「まとも」は、そこでは通用しないのである。
 危ないものを危ないと感じて、危ないものをやめようと提案して、危ないものに執着する論理はあり得ないとするところの、「まっとうな」市民感覚は、原発をめぐって存在を許されなかった。情報帝国主義は、さまざまな手だてをもって、それを押さえ込んできたのである。
 そのひとつに、原発を危険だなどというのは、科学的な無知のしからしむるものにすぎない、という「理屈」がある。これはけっこう有効な詭弁だった。この「理屈」は、「危険性などはない」という結論を、「無知」呼ばわりと引き換えにきめつけるけれども、その「無知」が納得するようには説明してくれるわけではなく、ただ懐疑は無知の結果であると、決めつけるだけなのだから。
 たとえわれわれ市民が、科学的な専門性を持たないのは事実だとしても、そしてそのかぎりでは「無知」であるのが事実であるにしても、それを「無知」呼ばわりすることで懐疑を嘲笑し、否定した論議は、ついに懐疑のなかにある無知を、懐疑を超えたところの「納得して安心した知的認識」に転じさせることができなかった。そんなにも、説得力のない専門性などというものがあるだろうか。
 はっきりいって、このきめつけにあったのは、論理でも専門性でもなく、ただ「無知」という高飛車な罵倒で、懐疑自体を封じ込める「政治」なのであり、そうである限り「無知」が正当に感じている懐疑や危惧に対して、「無知」よりはるかに非論理的であることははっきりしているのだ。
 さて、だからこそわたしは、さきの指摘にこそここでもどらなければならない。すなわち、この程度の基本的、初歩的な事故の可能性を持つのが、原子力発電所というものなのである、という指摘に。
 科学的な知識が、それだけで認識の優越性を保証するという考え方自体が意味を持たないが、それ以上にここでの皮肉な結論は判然としている。懐疑や危惧を無知呼ばわりした、科学的に優越している立場が、少なくとも専門家としては、この程度に基本的で、初歩的な事故を起こしてしまったのだ。つまりは、非専門家の「無知」が感じた懐疑や危惧こそが、じつは正当に事態を認識していたわけなのだから。
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株式会社志木電子書籍より岡庭昇著『かくもさまざまな言論操作』を発売した。
上記の引用は同書の『「国策」はどのような「許容」をも許容しない』という項の一節である。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

この引用の冒頭で指摘されている「事態」とは1997年に茨城県東海村にある旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)の再処理工場で起きた爆発事故のこと(ちなみに「もんじゅ」を開発したのもこの旧動燃である)。
今回、こちらのブログのエントリーを書くにあたって、この事故のことを検索して驚いた(つまりは気づいていなかったということでもあるのだが)。
その日付というのが3月11日なのである。つまり本年3月11日から遡ること14年前の同じ日に東海村で重大な事故が起きていたわけだ。
驚くことは、この事態に対する岡庭氏の指摘が、今日の福島第一原発事故と寸分の狂いもなく符号することである。
つまり――
日本の原子力政策というのは、どのような事故が起きても一つも反省することなく継続されてきたということだ。
後世の人たちが、この歴史を振り返った時、「もしもあの時に原子力政策を見直していれば……」という、その「もしも」のタイミングは一つや二つではなかったろう。しかし、そのすべてのタイミングにおいて、「事故」は「事象」と言い換えられて、何一つ変わらぬまま日本の原子力政策は官民一体となって暴走してきた。
そして行きついた果てが2011年の3・11だったわけだ。

「原発をやめろというならば、その前にクルマの利用をやめろと言え。原発事故の死者はいないが、交通事故の死者は年間5000人だ」というような与太を言う人間が今でもいるそうだが、そういう輩はずっと昔から存在していた。
つまり、原発というのは事故を起こしても大したことはないのだから、どんどんやれということなのだろう。
そもそも、今回の福島第一原発事故の死者がいないというのもまた言論操作の一環だと私は考えているが、一万歩譲ってそれが事実だとしても、それは事故を起こした原発周辺に普段着の人間が近づいていないからというに過ぎないのである。
交通事故を処理する警官が防護服を着て作業をしているか? 現場に長時間いると危険だから入れ替わり立ち替わりの人海戦術をしているか? その事故現場には百年単位で人が近づけないなどということがあるか?
つまり、もう比較の仕方がまったく異なるのである。
にもかかわらず、原発を再開しろ社説でわめきたてている新聞社もあるそうだが、だまされてはいけない。すべては「言論操作」なのである。

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戦後日本の思想

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/08/24

「暴力団関係者との付き合い」と「東京電力関係者との付き合い」に違いはあるのか?

島田紳助が暴力団関係者との交際を理由に芸能界を引退するという。
このようなニュースにいかほどの価値があるのかわからないが、今日あたりのワイドショーはこのネタで持ち切りになるのだろう。
昨晩もすでにバカ騒ぎの兆候は出ているようだが、私みたいなひねくれ者は、このような「発表」の裏には必ず何かの「隠蔽」があるのだろうと邪推するクセがついてしまっているので、そういう面で気を引き締めないといけないナとむしろ思う。

もとより、、、
島田紳助が引退しようが何をしようが、もちろん知ったことではない。だが、このニュースを聞いていくつか非常に引っ掛かったことがある。
そのまず第一は「暴力団関係者と付き合ったから悪い」という図式だ。
もちろん、暴力団というものが総体として社会的に「善」でないことは確かだろう。しかし、ではそこに所属する人すべてが「悪」なのかというと、私には疑問がある。つまり、どんな組織であろうと立派な人間はいるだろうし、ダメでワルな人間もいるだろう。
要は、一人ひとりの個人がどういう行為、行動をしているかが問題であって、「暴力団に属している=悪人である」とアプリオリに決めつけるべきではないというのが私の考え方である。
つまり、この決めつけもまた一つの印象操作なのではないかと思うのだ。
阪神大震災で地元の山口組がそれなりに市民のために頑張ったということは、知られた事実である。これはおそらくは東日本大震災でも同様だろう。もちろん、それだけをして、「だから暴力団は素晴らしい」と言うつもりはない。
しかし、そこで二番目の引っ掛かりとして、では今、島田紳助と暴力団の交際を大々的に報じているマスメディアは「善」の側にいるのか?
あるいは、これまで少なくとも表向きは「超一流企業」だった、しかし今や日本中に、いや世界中に放射能をばら撒いている東京電力は、暴力団に比べて「善」なのか? 
もちろん一概に比較をすることはできないが、現在、東京電力によって撒き散らかされている放射能汚染の影響は日本どころか世界中にまで及んでおり、しかもいつ収束するのかもわからない。結果、百年単位でその影響が続くことは間違いないわけで、まだ見ぬ子孫たちにまで多大な放射能汚染が残る。
一方、暴力団が覚せい剤や麻薬を売って莫大な利益を得ているのはもちろん悪であるが、しかしこの場合、購入する方にもある程度は自発的という部分があるわけで、いわゆる「自己責任バカ」の論理を用いれば、それを買って身を持ち崩すのもまた自己責任であるとは言える。
無論、これはこじつけであるが、ここで私がどうしてもこだわってしまうのは、繰り返しになるが、所属する団体によって個人の善悪が即座に判定されてしまうのかということである。
少なくとも私はそれは違うと思うのだ。
島田紳助がどういう人物と付き合っていたのかは知る由もないが、その具体的な中身がないまま、ただ「暴力団関係者との付き合いが社会的に問題だ」というのなら、ウソとデタラメまみれの原発を推進して国民を不幸のどん底に突き落とした東京電力(の原発)関係者と付き合っていた御用学者、マスメディア、あるいは原発広告に出ていたタレントの方がはるかに大問題であって、即刻、学会なり業界なりを引退するべきだろう。
無論、そのマスメディアや東京電力の中にだって立派な人はいるわけで、その所属団体員全員を悪と決めつけるつもりはないが、上記のような視点がゴッソリと抜け落ちて、「暴力団関係者=悪」という記号を振り回すだけのメディア、しかもその時点で自分たちのことを完全に棚に上げているメディアを私は信用できないのである。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/08/18

天竜川事故報道 ~ その「熱意」はなぜ福島に向けられないのか?

今朝、朝食を食べながらテレビを見ていると、日本テレビやフジテレビのワイドショーは天竜川の川下り船転覆の事故に長い時間を割いていた。そういえば、昨晩、やはり食事をしながらボンヤリ見ていたNHKのニュース9も同じだった気がする。
もちろん――
死者の出た事故で、未だ行方不明者がいるのだからニュースとして扱う必要はある。
だが、私にはどうしても違和感があるのだ。

このニュースを報じるキャスターやコメンテーターは「安全管理に問題はなかったのか」「事故後の対応に問題はなかったのか」と口々に言い、この船を運営していた会社の会見でも記者たちが同様のことを質問している。放送時間から考えても、大変な「熱意」である。
その同じ「熱意」をなぜ福島にも向けられないのか。
なぜ、彼らは川下り船の会社の経営者を問いつめるように東京電力を問いつめないのか?
なぜ、甚大な放射能災害が起きているのに、その問題について時間を割かないのか?
誠にもって不思議であるが、突きつめれば、要するに小さな会社はいくらでも叩けるが、これまで莫大な広告をもらっていた、そして現に今ももらっている会社の犯罪は伝えにくいということだろう。
そして、それはジャーナリズムではない。

一方、昨日は↓のようなこともっあったという。

・田中龍作ジャーナル
福島の子供が疎開求め政府と交渉―マイク押し付け合い回答避ける官僚たちのお粗末

これについて上記のワイドショーがどのように報じたのか報じなかったのかは定かではないが、おそらくは報じたとしても扱いは小さかったのではないか(ただしテレビ朝日の「モーニングバード」では放送し、またVTRで小出裕章氏や今中哲二氏も出演して、福島の放射能問題についてそれなりの時間を割いていた)。

それにしても、この記事内の官僚の発言というのは実に酷いものだ。
少し前に私はtwitterで「戦争中に当時の子どもを集団疎開させた当時の政府の方が、今よりもまだしもマシなのではないか」とつぶやいた。すると、「当時は将来の戦闘要員確保のために子どもを疎開させていたのだから、大して変わらない」という内容のリツイートをもらったのだが、たとえそうだとしても、やっぱり子どもを疎開させた当時の政府の方が、現在の政府よりもいくらかでもマシなのではないかと思うのであった。

↓こちらの小出先生の話もすごいです。「そんなことだろう」とわかってはいても、呆れる話。
・20110816 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/07/10

54基の原発(+六ヶ所村、もんじゅ)の存在こそ、日本が民主主義国家でないことの何よりの証明である

今さらながらではあるが、九電のヤラセメール問題について触れておく。
3・11以降に原発に関心を持った私の友人は、この問題が発覚すると「これはあまりにもひどい。すべての信頼が崩れた」と言って怒っていたのだが、私にはなぜ彼がそんなに怒るのか理解できなかった。
というのも、こんなことは日常茶飯事で行なわれていたことだからだ。
過去から現在にいたるまで、山のように積み重ねられてきた電力会社のウソ、デタラメの数々をふり返れば、この程度のことは大したことではないわけで、「ヤラセメールなんて普通じゃん」と思ってしまう私は、怒りのモチベーションが下がっているのかもしれない……と思っていたら、小出裕章先生も同様の感想をお持ちだった。

日本の原子力推進一派(行政&企業&政党)の最大の特徴は、デモクラシーマインドがひとカケラないことである。
というのも、正しく民主主義的な手続きを踏んで原発を作ろうとしたならば、おそらく日本には一基も作れないだろうからだ。
なにしろ日本列島というのは地震の巣窟である。そこに無理やり原発を作ろうとすれば、地元の住民が反対するのは当然のこと。漁業権を買い上げるといっても、その結果として海が放射能で汚染されたり、あるいは冷却用に使用された熱い海水をぶちまけられたりしたら(あるいは冷却水の取水口についてしまう藻を取るために、強烈な薬品を使っているとも言われている)、海そのものが死んでしまう。
原発によって利益を得る以外の真っ当な感覚の持ち主であれば、そんな危険とマイナスしかもたらさないモノは望むはずがない。
では、それでも原発を作りたい連中はどうするのか。
カネで住民の顔をひっぱたき、一方で今回のヤラセメールのような手口を使って民主主義的手続きを偽装するのである。そうして、「地元の同意を得た」と嘯いて、建設を強行する。
原発ができる地域というのは、過疎化した村落が多く、いわゆる日本的共同体の性格を色濃く残した地域が多い。そういう中では、いったん着工された原発に反対するのは勇気のいることになり、そうして「物言えば唇寒し」という状況が生まれる――。
つまり、推進側が原発を作るにあたって致命的に重要なポイントは、外形的には民主主義と言われているこの国のシステムを骨抜きにすることなのである。そして、これは国民を徹底的に監視、管理した上で、あらゆる利権を掌中に収めることに命をかけている霞が関の独裁体制と軌を一にしている。
なにしろ、この国では司法からメディアまで、すべてが“あちら側”だから、原発に反対する住民が裁判をやっても勝つことはなく、国家に楯突けば冤罪で嵌められることなど日常茶飯事のこと。
結果、福島第一原発のような破局事故が起き、一方で実質的に不信任を食らった総理大臣が官邸に籠城しても、暴動一つ起きない凄い国なった。

私はかねてより当ブログにおいて日本は民主主義国家ではないと主張しているが、この狭い国土に54基の原発と六ヶ所村の再処理工場、そしてもうどうにもならない「もんじゅ」が現に存在することこそが、その証明であると思う。

※本日23時よりニコニコ動画で『徹底検証!検察調書「大量却下」はなぜ起きたか? 』が行なわれます。是非、ご視聴ください!

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2011/07/04

前代未聞の核災害を“食”から考える

電力会社や原発の利権に群がる連中が、しきりに「原発をやめると電力料金が上がる」と脅している。
東京電力という歴史上、稀に見る核テロリスト集団の責任を追及するどころか擁護にまわり、国民を脅迫しているのだから始末に負えない連中である。
ただし、原発をやめた場合の電力料金について一つだけ言っておかなければならないのは、オール電化住宅に住む方々にとってはつらいということだ。
なぜならオール電化住宅というのは、そもそも原発が生みだす余剰電力(出力を調整できない原発は深夜の時間帯に不必要な電気をドンドコつくってしまう)対策として考えられたものだから(詳しくはこちら)。
当然、原発を止めれば余剰電力はなくなるわけで、となると値引きをしてまで売る必要はない。それどころか、本来だったら需要の少ない時間帯に電力を使われるのはむしろ困った事態であり、電力会社はこの時間帯の値上げに踏み切るかもしれない……。
と、まあさすがにそこまではしないと思うが、しかし東京電力を東の横綱とする各電力会社のデタラメぶり、開き直りぶり、無責任ぶり……は凄まじいものがあるから、自分たちの都合でオール電化住宅を販売しておいても、コロリと態度を変えてくる可能性はあるかもしれない。
というか――。
そもそも電力会社の社員や幹部の自宅はオール電化なのだろうか?
少しく興味深い問題である(その裏側を知り尽くした連中だけに、オール電化率が低いような気がする)。

さて、それにしても福島第一原発が依然としてなんの収束のメドも立っていないなか、これから私たちの生活はどうなるのだろうか。
たとえ、これ以上の破局的な事態が起きなくても(たとえば使用済み核燃料の山積みの4号機の状況が悪化するとか)、信じがたいレベルの放射能が垂れ流されているわけだから、これから秋口にかけて、いよいよもって深刻になるのが“食”の問題だと思う。

私はカツオが大好きなのだが、ついに今年の春~初夏はカツオを自宅で食べることはなかった。というのも、よく行く近所のスーパーのカツオは千葉産なのである。ま、私のようなジジイの入口に立った人間は、もはや放射能の影響などあまりなく、子どもさえ食べなければいいのだが、それでもやっぱり「どうなんだろう」と思ってしまう。
これが、秋の戻りガツオのシーズン、あるいはサンマのシーズンになった時にどうなるか。
もちろん国は御用学者を総動員して、「基準値を下回っているから大丈夫」「ただちに影響はない」などとわめきたてるだろうが、この国の権力がやることに信じるに足ることがほとんどないことは、3・11以降、明らかである。まして、小さな子どもを持つ親や、これから子どもをつくる若い男女にとっての大原則はセーフティファーストだ。
したがって、やはりこれは食べない方がいいということになる。
あるいは野菜、米にしても、福島周辺のものはある年齢以下の人は食べるべきではないと私は思う。
少し前に関東から関西へ居を移した人の話だと、引っ越して何が良かったかというと、まず第一に食に関する心配のレベルが相当に下がったことだそうだ。
ただし、食材を選んで買ったとしても注意しなければならないことがある。
これはチェルノブイリの時にも相当に横行したと言われているが、やはり産地偽装をしたものは出てくるだろう。ブローカーが安く購入して、これに偽の表示をして高値で売るということは、その方面の人ならば誰でも考えることだ。
しかも、そもそも日本は食の安全基準というものに対する抜け穴がたくさんある。したがって、これは注意しなければならない。
また、一度、加工されたものについても注意が必要だろう。カット野菜や、デパートやスーパー、あるいはコンビニで売られている惣菜などに、食材の産地が表示されているものはほとんどない。商売で惣菜を売る場合の最大のテーマは利益であるから、安く仕入れることができる食材があれば、どうしてもそちらへ流れる。放射能による汚染の場合は、食中毒などと違って実際に人体に影響が出ても因果関係を特定することは不可能だし、たとえ基準値を下回っている食材であっても、そもそもその基準値自体が怪しく、さらに20ミリシーベルト問題のように、今後その数値引き上げられていく可能性もある。であれば、やはり出来あいの惣菜に対しても注意をするにこしたことはない。
と、こう見ていくと、なんとも面倒くさい世の中になったと思われる方も多いだろう。

だが――。
私はこれはこれでいいことだとも思うのだ。
というのも、食というのは人間生活の基本であって、そもそもないがしろにしてはいけないものだから。
ところが、あらゆる面でコストを最優先する日本においては、これまで全体的に食についての関心が非常に低かったと私は思う。
もちろん、テレビをつければグルメ番組はあふれかえっており、むしろ一億総グルメじゃないかという批判はあるだろう。だが、それはあくまでマスメディアを通じて流された作られたものであって、本来的なグルメとはかけ離れたものだ(そもそも、テレビの場合は紹介する店からカネを受け取っているケースもあるという)。
個人で、あるいは家庭で、自分の食べる物、あるいは子どもが食べる物についてきちんと考えること。
これこそ、前代未聞の核災害を生き抜く基本ではないかと私は思うのである。

※参考リンク
「久米宏ラジオなんですけど」7月2日オープニングトーク

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2011/06/16

東京電力に破防法適用を!

数日前、用事があって知り合いの弁護士のところへ行った。
少しく要件を相談したあと雑談に。実はこの弁護士も反原発なのであるが……。

私「先生、なんで東電には強制捜査が入らないんですか?」
弁「エスタブリッシュメントだから……ですかね」
私「だって、あんなのただの犯罪集団じゃないですか」
弁「まあ、真面目に言うと、今回のケースで実際にどういう法律を使うかというと案外と難しいのかもしれませんね」
私「破防法を適用すればいいじゃないですか。私はオウムにも破防法を適用するのは反対だったけど、東京電力だけはいいと思いをすけどね」
弁「確かにオウム並にひどいですよね」
私「オウムもとんでもなかったけど、東電はその比じゃないんじゃないですか!」

上記の会話にあるように、私は一貫して破防法に反対の立場である。
しかしながら、このたびの東京電力にたげは適用するべきだと真剣に思う。

なにしろこの会社は現在進行形で日本を破滅に追い込んでいる。国民の命と安全よりも自社の存続を優先し、そのためならばどんなウソをつくことを平気だ。
そもそもなぜ原発を推進したかといえば、ひたすらカネ儲けをするためである。
そのために立地予定の地元を分断しようが、被曝労働者を出そうが、原発周辺の環境を汚染しようが平気の平左で、放射性廃棄物の最終処分地が見つからなくても、そんなことは自分たちが死んだ後のことだから知ったことではない。
そして、破局事故を起こしてもなお、国民に向かって「停電するぞ」と脅しをかける。ヤクザだってこんなここまではやらない(というか、阪神大震災にしても東日本大震災にしても、ヤクザ関係の方々というのは実は非常に真っ当で地道な活動もしている)。

つまり東京電力というのは、暴力主義的破壊活動を行った団体であり、さらに継続、反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行うおそれがあるというか、現在も日本列島を鋭意破壊活動中である。
このような人類史上稀に見る危険団体は、破防法を適用して解散させるしかないと私は思うのだ。

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