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日本の国連加盟が、昨年の十二月十八日の総会で決定された直後、重光前外相はとりまく記者団に向ってこう語った。
「満州事変以来の日本の混迷は今日この日をもって終った。これもついに国民の努力の結果である。この事実を基礎に謙虚な態度で過去のあやまちをふりかえり、二度と同じ間違いをしないようにしたいものである」(『朝日』31・12・19・夕刊)
「大日本帝国」最後の外務大臣、ミズーリ号調印式の政府代表、巣鴨のA級戦犯、そして国連加盟を承認された日本の外相と、このあわただしい十数年間それぞれの時期にそれぞれの歴史的な役目を負わされて来た人の言葉として、その中にはたしかに無量の感銘がこめられていたであろう。
私はこの重光前外相の言葉を率直に受取りたい。しかし、「日本の混迷は今日のこの日をもって終った」という意味が、戦争以来こんにちまでの数々の過失と罪悪を、ここでやっと洗いおとしたというような、そんな生やさしい安堵感のあらわれだとすれば、私はこの言葉を全面的に否定する。それは、昨年あたりしきりとかつぎ出された「もう戦後ではない」という合言葉の裏にひそんでいる責任回避の意識、早く過去の現実からすりぬけたいというあのうしろめたそうな願望に通じるものが感じられるからである。
とはいうものの、私はやはり重光氏の談話を額面どおり、善意に解したい。とすれば、むしろ今日この日から、「謙虚な態度で過去のあやまちをふりかえり、二度と同じ間違いをしないように……」という言葉にその重心をおかねばならぬ。それは、戦後十一年余の永きにわたって、まったく放置され、あるいは意識的に回避されて来た多くの問題を、この日からあらたな気持で直視し、検討するということであろう。けっして、いい加減に妥協したり、問題の焦点をズラしたりすることですりぬけられてはならない。そして、ここでとらえられたことは、過去がそのまま明日への架け橋としていかされるように提出されねばならないのだ。
この日から、これだけは正しくはじめられねばならぬ過去の解明──国連加盟を私は、そのような日として明記したい。
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私はその一つとして真っ先に戦争責任の問題を挙げる。
昨年は知識人や文学者の戦争責任がさかんに論ぜられた。それは天皇から共産党まで、徹底的に追究せよという意見から、全くナンセンスだという総無責任論まで、まさに百家争鳴であった。しかし、折から巣鴨を出所した荒木貞夫、橋本欣五郎両氏を筆頭とするA級戦犯が、無謀な戦争指導者としての責任に全く無自覚だといわれたのと比較して、それはともかく真摯な意図によっておこなわれたことだけはたしかであろう。
ただ私にはどうしても不思議でならなかったのは、知識人や文学者の戦争責任を、絶好の論争テーマとして取上げた新聞・雑誌・放送を含むジャーナリズムの態度である。正確にいうなら戦争責任論と、これを積極的に取上げたジャーナリストの関係についてである。
ジャーナリストは一体、知識人であるのかないのか。すくなくとも職能的には知識人から除外される根拠は一つもないだろう。あるとすれば、それは次にのべる無責任の意識においてである。
この一年間、知識人とくに文学者の責任がするどく追究されながら、ついにジャーナリストの責任については全くとりあげられなかった。戦争責任の問題で、文学者のみに追究の鋒先がむけられ、文学者よりはるかに政治に近接し、社会的影響力においても国民大衆と直結しているジャーナリスト(先に挙げた新聞・雑誌・放送関係者を含む)の責任が不問に附されているというバカげた法はない。文学者の戦争責任を“十大論争”などの一つにおさめているジャーナリズム自身は全く無風状態の中にある。つまり、このことは、戦争責任論がジャーナリストたちにとってはたんなる論争か特集記事のテーマにすぎず、しかもこの問題をとりあげている一部の新聞・雑誌編集者を除いて、大部分のジャーナリストにとっては、A級戦犯やパージ解除者にとってと同じように、すでに死語となっているという事実を示している。それは、十年前、各新聞社、雑誌社、放送局を襲った社内民主化と戦犯追放のあらしによって、片づいてしまったものと考えられているのである。
間違いの出発点はここにあった。言論と報道に携わるジャーナリストの責任問題が、役人や財界人などと同じ目尺で行われた戦後の形式的な責任処理(職階によってきめられたパージ)によって解消されうるはずがない。
私はジャーナリストなどという漠とした用語で表現したが、それは第一に新聞記者であり、第二に雑誌編集者であり、第三に放送関係者(とくに番組の企画・決定権をもつ者)であり、そして第四にマス・コミに登場する学者・評論家などである。
横にならべるとこういうことになるが、これは大きく二つに分けられる。つまり、書く者と、書かせる者の立場である。戦争責任追究に則していうなら、新聞や雑誌の上で言論・報道に携わった新聞記者や評論家の責任、それと新聞・雑誌社というマス・コミ機構の内部にあって編集に携わった者、つまり編集者の責任ということであろう。
ジャーナリストの戦争責任が、この一年間まったく取上げられていない、と私はいった。いや一年間だけではなかった。戦後ただの一度もジャーナリスト自身の問題として自主的に考えられたことはなかったのではないかと思う。
(以下略)
「ジャーナリズムと戦争責任」 丸山邦男 (1957年2月 「中央公論」掲載原稿より)
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しばらく滞っていた当ブログの更新を、なんとか元に戻したいと思っております。
この間、コメントをいただいたみなさま、公開もせずに申し訳ありませんでした。お詫びいたします。
それにしても、このひと月の間も世の中は順調に悪くなっている。
大飯原発を再稼働するという。「最終責任者は私だ」と総理大臣なる男はのたまった。
この男は、政権交代が実現した前回の歴史的な総選挙の際、「消費税増税をする前にやることがある。公約しないことはやらない」と大見得を切った。しかし、これは大嘘だった。
そして、福島第一原発の事故は収束したという、子どもでもわかる大嘘をついた。
歴史に残る二つの大嘘をついた男の言葉を信じるほど、私はお人好しではない。
福島第一原発の破局事故では、未だ誰一人として責任を取っていないわけだが、そういえばこの男は、「福島第一原発事故の個人の責任は問わない」旨の発言をしている。つまり、今後、再稼働した原発で事故が起きたとしても、端から責任をとるつもりなどないのだろう。
自分たちが起訴できなかった総理大臣の有力候補を何がなんでも法律には素人集団の検察審査会で起訴させようと捜査報告書を捏造し、目論見通りに起訴することに成功した集団がいる。マスメディアが「史上最強の捜査機関」と絶賛してきた東京地検特捜部だ。
検察審査会制度の良し悪しは別として、まったくもって市民をバカにした、コケにしきった話であり、法治国家の枠組みをぶち壊すおそるべき犯罪集団である。
ところが彼らの身内である東京地検特捜部の元部長によれば、こんなことは「小さなこと」なのそうだ。つまりこの程度のことは日常茶飯にやっていることで、もっと大きなことをいくらでもやっているということだろう。はからずもそれを告白してしまったわけだが、なるほどその結果がロッキードであり、リクルートであり、鈴木宗男であり、福島県知事、、、ということか。
とはいえ、当然のごとく疑問をもった市民団体が、この犯罪集団を告発した。ところが彼らは自分たちの手で捜査をして、近日中に不起訴の結論を出すという。近所の独裁世襲国家も腰を抜かし、尻尾を巻いて逃げ出すような話である。
さして有能とは思えない元検事の法務大臣が、さすがにこれではいかんという認識のもと、指揮権を発動するべく総理大臣相談したら、法務大臣はアッサリと更迭された。
・現代ビジネス
「指揮権発動について再び首相と会う前日に更迭された」、「小沢裁判の虚偽報告書問題は『検事の勘違い』などではない!!」小川敏夫前法務大臣に真相を聞いた
すでに少なからぬ人が忘れてしまったと思うが、菅内閣時代に柳田という法務大臣がいた。彼はマスメディアが言うところの「失言」で更迭されたが、実は至極真っ当な検察改革をしようとしていた。
ところが、さして問題とも思えない発言をメディアが針小棒大に取り上げて、あっという間に更迭されてしまった。
ついでに言えば──。
野田内閣発足時には鉢呂という経産大臣がいた。どうしようもない顔ぶれの内閣にあって、原発に対して比較的まともな認識を持つ人物であったが、この鉢呂もマスメディアが騒ぎたてた「失言」によってあっという間に更迭された。
・誰も通らない裏道
鉢呂辞任と柳田辞任の共通点
その後任には何の批判もなく、3.11当時の官房長官で、驚くほど多くの人びとに無用な被ばくをさせてしまった犯罪議員が就任した。この男は「ただちに影響はない」との詭弁を弄して国民を騙し続けていたが、先月末に行われた国会の事故調査委員会で「炉心も溶けているし、漏れているのはあまりにも大前提で、改めて申し上げる機会がなかった」とのたまった。
・痛いニュース
枝野官房長官(当時)「メルトダウンは分かり切ったことで言わなかった」
唖然とする発言で、即刻、経産大臣という役職を剥奪すべきだと私は思うが、先の内閣改造でも留任し、野田とともに大飯原発再稼働を推進する中心人物として居座っている。
思うに、野田、枝野、細野など、大飯原発再稼働を目論む連中は、しきりに大飯の安全性、健全性を強調するが、そもそも彼らの頭の健全性が失われているとしか言いようがない。
さて──
すっかりマクラが長くなってしまったが、、、(久しぶりのブログ更新であるとともに、先日、柳家小三治師匠の独演会を堪能したためか)。
本日、書きたかったのは朝日新聞が「好評連載」と胸を張る「プロメテウスの罠」についてだ。
私は朝日新聞の購読者ではないのでこの連載を読んでいなかったが、先日、単行本を読む機会があった。
連載直後から、ネットでも少しく話題になっていたので、期待して読み始めたのだが、冒頭部分からすでに大きな違和感を抱かざるを得なかった。
この本の「はじめに」にはこう書かれている。あえて全文を掲載してみよう。
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はじめに
2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故──いわゆる「3・11」は未曾有の衝撃を日本社会に与えました。
物理的被害の甚大さだけではありません。私たちが長い間「安全」と信じようとしてきたものが一瞬にして崩れ去り、社会の大前提が根っこから揺らいでしまいました。言い古された言葉を使えば「安全神話は崩壊した」のです。とりわけ原発事故は衝撃的でした。放射能汚染が明らかになるにつれて、私たち一人ひとりの心に「何を信じればいいのか」という不安と「どうしてこんなことになったのか」という疑問を広げてきました。
報道現場も例外ではありません。いや、より深刻でした。事故の実態をまず追わねばならなかった現場では、現に起きていることの情報すら希薄でした。不安におののく被災者、右往左往する政府や東電関係者を尻目に、汚染は福島県から県外にと広がり続けました。記者たちは「どうして」を自問しながらも、ただただ「何が起きたのか」を求めて走り回るほかありませんでした。それでも全貌をつかむことが到底できない、腹ふくるる日々だったのです。
ひと月ほどして私たち朝日新聞は、あの時、福島で日本で何が起きていたのかにもう一度肉薄し、同時にどうしてそうなってしまったのかに迫る長期連載を構想し始めました。事実を丹念に追うなかで、この世界史的事故の意味を問いたいと考えたからです。
原発は、戦後の日本が国策として決断し衆知を集めて作り上げ、万全の危機対策も誇ったはずの造営物です。電力は社会の近代化や成長の源であり、原発はまさに人々の生活を豊かにするために作られたはずです。
だが事故は防げず対応はもたつき、原発は人と社会に刃を向けました。原発の意味と歴史を知る私たちは、単に「人知の限界」「想定外」として済ますことはできません。科学技術への姿勢、政策決定の仕組み、政治や世論のあり方など戦後の日本社会の体質にも切り込まねばならないだろうという予感に満ちて、取材は始まりました。
原子力はときに、人間に「火」を与え文明をもたらしたとされるギリシャ神話のプロメテウスにちなみ「プロメテウスの第二の火」と形容されます。
この火はしかし、人々の生活にいったい何をもたらしたのか――
連載『プロメテウスの罠』は、2011年10月から朝日新聞紙上でスタートしました。分かりやすく事実をもって事態を語らしめようと、出来事の細部に徹底的にこだわりつつ、ほぼ連日の掲載を続けています。本書はその冒頭、第6シリーズまでの内容の書籍化です。
本書を通じて私たちの思いが伝わり、読者の皆さんがまだまだ続く朝日新聞紙上での連載にも熱いご声援を送ってくださることを願ってやみません。
二〇一二年二月
朝日新聞社 編集担当 吉田慎一
※下線はブログ主
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ありていに言えば、この「はじめに」を読んだ時点で、私は「こりゃダメだ」と思った。
なぜなら、この記者がア・プリオリに信じていた前提にこそ、日本の原子力産業の本質的な問題が潜んでいるからだ。
『言い古された言葉を使えば「安全神話が崩壊した」のです。』だって?
そもそもそんなものは存在しなかったんだよ。
それは推進派を含めた原子力に関わるすべての人が知っていた。だからこそ原子力ムラの連中は莫大なカネをかけて「安全神話」をでっち上げたのである。そしてメディアはこの工作に深く関与していた。
にもかかわらずこの記者は、「安全だと思っていたらこんなことになってビックリ仰天した」という立場に立っている。
これは、戦争中にさんざん大本営発表を垂れ流していたメディアが、敗戦を迎えて「日本は勝つと信じていたのに、まさかこんなことになるとは思わなかった」と言っているようなものではないか。
ただ、ここで思うのは、この記者が本当に単純に「安全神話」を信じていのかもしれないということ。だとすると、つまり朝日新聞社という会社は、原発の安全神話を疑うようなタイプの人間は採用していないのかもしれない。
そう考えると、記者クラブに所属して発表情報を何の疑念もなく垂れ流し続けるこの会社の体質(検察にしても原発にしてもみんなそうだ)も理解できる。要は、朝日新聞記者たる者、本当の権力に対しては疑問なんて持ってはいけないということなのだろう。
そして、この記者は「右往左往する政府や東電関係者を尻目に、」と書く。
確かに東電の現場は右往左往していただろう。しかし、では経営トップはどうだったのか。彼らはどのように動いていたのか。これを検証することこそ、福島第一原発の破局事故でもっとも重要な点であると私は思う。
なぜなら東京電力は史上稀に見る犯罪企業なのだから。
おそらく──
東京電力で経営責任を負う人々は、自分たちに火の粉が降りかからぬよう全力で情報を操作し、危ない証拠を隠滅し、あらゆる方面に圧力をかけただろう。東電の経営トップが事故後、どのように動いていたのか? そこに斬り込まなくて、何がジャーナリズムなのか。
「だが事故は防げず対応はもたつき、原発は人と社会に刃を向けました。」
たとえば、もしジャーナリズムが本来持っていると想定される使命をきちんと行使して、原子力産業を取材し、批判していれば、これほどまでの破局事故は起こらなかったと私は思う。ところが、実際には多くのメディアが、それも大きいメディアほどが、原子力産業とがっちりスクラムを組んで、「安全神話」の構築にせっせと汗を流してきた。そのジャーナリズムの責任を丸ごと抜け落とした上で、「原発は人と社会に刃を向けました」などと書くのは噴飯ものである。
「原発は、戦後の日本が国策として決断し衆知を集めて作り上げ、万全の危機対策も誇ったはずの造営物です。電力は社会の近代化や成長の源であり、原発はまさに人々の生活を豊かにするために作られたはずです。」
こういう文章を書く人間に、私はジャーナリストとしての資質があるとは到底思えない。
なにしろ、私のような素人でさえ、ちょっと調べれば原発の危機対策などほとんどなかったことなど知っている。この国では原子力災害は起きないことになっていたから、その対策など必要ないというのが基本スタンスだった。そして、コストアップの要因になる安全対策をどんどん切り捨て、そのかわりに「原子力は安全だ」という宣伝に莫大な予算を投入したのだ。
「科学技術への姿勢、政策決定の仕組み、政治や世論のあり方など戦後の日本社会の体質にも切り込まねばならないだろうという予感に満ちて、取材は始まりました。」
それほどの「予感に満ちて」いるのなら、まず自社の広告局へ行ってグループ全体で電力会社や電事連といった原子力関係のクライアントから過去から現在にいたるまで、どれだけの広告予算をもらっていたかを調べて発表するべきだろう。原子力産業を語る上で必要不可欠なのは、メディアとのつながりであり、それこそが「戦後の日本社会の体質」なのだから。
「本書を通じて私たちの思いが伝わり、読者の皆さんがまだまだ続く朝日新聞紙上での連載にも熱いご声援を送ってくださることを願ってやみません。」
繰り返して書くが、自分たちの責任をまったく棚上げどころか「ないもの」として、「熱いご声援を送ってくださることを願ってや」まないというこの認識は、見当違いもはなはだしい。
そして私は思うのである。この「プロメテウスの罠」という連載は、そもそも朝日新聞が自らの責任から目をそらすための「罠」なのではないか、と。
もっともこれは今に始まったことではなく、それが日本のマスメディアの体質であることは、最初に引用した丸山邦男氏の文章が、今読んでもまったく古びていないことが証明している。