2012/11/22

考えてみれば当たり前の話 〜 選挙後の枠組みは自公民

近年の政治の混乱の原因が、参議院の構成(衆議院との与野党の逆転)にあることは、田中良紹氏がつとに指摘されているところである。

日本の憲法においては実は参議院の力が強い。衆議院で過半数を握っていても、参議院が逆転されていると法案は通らない。それを乗り越えるためには衆議院での再議決が必要だが、そのためには3分の2以上の議席がなければならないのだ。

2007年、小沢一郎代表で参議院選挙を戦った民主党は自民に勝利して参議院第一党となった(ちなみに、これはあの前原の偽メール事件でボロボロになった民主党を見事に立て直した成果である)。
するとその後、当時の自民党・福田康夫と民主党・小沢の間に大連立構想が浮上する。
当時は私も「小沢は何を考えているのか!」と腹がたったが、その後、田中良紹氏の解説を聞いて、「なるほど、そういう意図があったのか」と思った。その時に書いたのが、以下のエントリーである。

大マスコミが報じない政局

今、考えてみると、福田康夫(この人物はここ最近の自民党総裁の中ではきわめて真っ当だった気がする)と小沢一郎が組むというのは惜しいチャンスを逃したと思うのだが、それはともかく参議院のねじれ対策が国会運営上、非常に重要なのは確かで、ゆえに青木幹雄、輿石東といった参議院の実力者が、その時々で権力の中枢に影響力を保つことになる。

2009年の総選挙で政権交代を実現した民主党にとって、そういう意味では2010年の参議院選挙は本当に大事だった。ここでごくごく普通に勝てば、自民党はもうぐうの音も出ない状態に陥ったことは間違いない。
そして、それは十分に可能だった。
当時、鳩山由紀夫が普天間移設問題(※注)でメディアの総攻撃を受けて小沢とともに退陣した後に菅直人が総理となったわけだが、この時に民主党の支持率は大幅にアップしている。したがって、そのまま参議院選に突入していれば、民主党は衆参両院で安定的な過半数を得ることができたはずで、おそらく鳩山、小沢もそれを見越して退陣したのだろう。

ところが、、、
選挙前になって突然、菅直人が消費税増税を言い出した。
当時、私は有田芳生氏の選挙を手伝っていたが、戦いを始めた途端に後ろから弾が飛んできたのだから驚いた。道行く人で「鳩山、小沢はけしからん」という人はまったくいなかったが、「菅はけしからん」という人なら山のようにいた。
結果、民主党は大敗し自民党が息を吹き返したわけだ。

こう考えると、菅直人の責任は重大だが(幹事長は枝野)、それにしても不思議なのは、なぜ菅があの時急に消費税のことを言い出したのかだ。私には「わざと負けるために」言い出したとしか思えないのである。なにしろ参議院選挙で勝っていれば政権は安定し、自民党は衆議院選挙に続く大打撃を受けていたはずだ。だったらそれから消費税に取り組むというのが普通の考えだろう。しかし菅はそうしなかった。

そして現在の野田政権。消費税増税という重大な公約違反をした末に解散に打って出た野田は、候補者にTPPで踏み絵を踏ませて純化路線を行くのだという。
かつてメディアは小沢一郎に“壊し屋”というレッテルを貼ったが、それを言うなら野田ほどの壊し屋はいない。2009年に300議席以上を獲得したにもかかわらず、小沢グループが離党し、さらに解散の段階で過半数割れ。選挙後の議席は2桁との予想もある。
にもかかわらず野田が平然としているのは、参議院の数があるかぎり、どんなに衆議院の数が減っても自分たちは無視できないということを知っているからだろう。

数日前、石破茂が「連立という話ではないが、政策が合うのならスピーディーに進めていかないと国民のためにならない。基本的には(民主、自民、公明の)3党だ」「維新の会は参院で議席を持っていない。衆参のねじれの解消には寄与しない」と言ったそうだがこの認識は正しい。
総選挙の結果、自公民を足して過半数を越えれば第三極など必要ないし、参議院のねじれも解消する。

そもそも現在、民主党の中心にいる野田や前原一派は元々自民党に近い連中である。小沢一郎が西松事件という捏造事件がきっかけで代表の座を追われた時には、自民やメディアと一緒になって小沢の足を引っ張っていたし、前原にいたっては「そもそも2009年のマニフェストはおかしいと内心では思っていた」などという始末だ。
そういう意味で、いま野田がやっているのは、選挙後に、より自公と連立しやすくするための、いらない連中の振り落としと見ることもできる。
そして、実はひょっとしてこれが霞が関を中心とした、マスメディアを含めた既得権益集団が描いた「政権交代潰し」の最終的な着地点なのではないと私は考えたりする。

(※注)
鳩山由紀夫の選挙不出馬、政界引退について、マスメディアは一斉に「総理時代に普天間移設問題で信用を失った」と書き立てている。
しかし、沖縄県民の中には鳩山に対して「普天間移設が簡単でないことはわかっているが、県民の総意を初めて口に出して実行に移そうとした人」と評価をする声もあるということを、昨日、ラジオで二木啓孝が喋っていた。

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2012/08/10

従米メディアの真骨頂
読売新聞政治部著『民主党 迷走と裏切りの300日』は
『戦後史の正体』の最高の副読本だ!

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 このように米国は、好ましくないと思う日本の首相を、いくつかのシステムを駆使して排除することができます。難しいことではありません。たとえば米国の大統領が日本の首相となかなか会ってくれず、そのことを大手メディアが問題にすれば、それだけで政権はもちません。それが日本の現実なのです。

孫崎亨著『戦後史の正体』より
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きわめて偶然なのだが、『戦後史の正体』を読んだ後に、読売新聞政治部『民主党迷走と裏切りの300日』(新潮社)という本を読んだ。
これがまあ、当ブログをご覧いただいているような方々にとっては、まさしく反吐が出るような内容なのだが、しかし『戦後史の正体』を読んでからこの本を読むと大変に興味深い。『戦後史の正体』の副読本といってもいいほどなのである。

今日の読売新聞を築いた中興の祖である正力松太郎が、この正力がCIAの協力者だったことは、もはや知られた事実だ。つまり読売は日本を代表する従米メディアである。
そこで、『民主党迷走と裏切りの300日』であるが、その内容をひとことで言えば、従米メディアの親玉による鳩山由紀夫と小沢一郎への罵倒である。

私は以前、「問題は最初にタイトルをたてること」というエントリーを書いたことがある。
これは週刊誌などでも使われる手法だが、マスメディアでは、まず取材をして様々な事実を掴み、そこから真実を探るのではなく、最初に目指す方向性のタイトルをたて、そのタイトルを成立させるべく事実を切り張りしていくということがよくある。そしてそれは、往々にして真実ではない。

問題は最初にタイトルをたてること

読売の現・主筆である渡辺恒雄は、よく週刊誌メディアを三流呼ばわりするが、この『民主党迷走と裏切りの300日』はまさにそういった類の本で、とにかくタイトルを最初にたて、あとはそこへ向ってあらゆる“事実”を切り張りする。
しかも、切り張りするのは“事実”だけでない。

(行政刷新会議)発足翌日の23日、2010年度予算概算要求についてヒアリングを始めたところ、民主党側から「当選したばかりの新人衆院議員を仕分け人に使うのは困る」とのクレームがついたのだ。「仕分け人」の人選を巡る事前の調整不足が原因だった。「選挙至上主義の小沢幹事長が横槍を入れたのでは」との憶測も流れた。(『民主党迷走と裏切りの300日』42ページ 下線部は引用者)
小沢の不満の背景には仕分けチームの仕事によって、小沢が新人議員に求めた、再選を目指した選挙区での活動重視の姿勢が崩れかねないとの思いもあった。同時に、仕分けチームの統括役を務める枝野と仙谷由人行政刷新相がともに、従来から小沢の政治手法に批判的だったことから、「小沢は仙谷らの邪魔をしたかったのではないか」といった憶測も呼んだ。(同43ページ)
その新人議員たちは国会召集後、毎朝、国会内に集められ、山岡賢次国会対策委員長ら国対幹部から指導を受けている。指導内容には首をかしげるようなものまである。
「ハートマーク付きの携帯メールを送らない」
「一斉にトイレに立たない」
 新人議員の中には「いくらなんでも子ども扱いだ」と反発する向きもあるが、だれも表立って言わない。「またあの人に激怒されるのが怖い」からだ。(同47ページ)
また、民主党内では、小沢幹事長が選挙での勝利を最優先に掲げているため、「『与党議員は国会審議に時間を割くより、選挙区での活動に集中すべきだ』と考えて、小沢が国対に指示したのではないか」と見る向きもあった。(同47ページ)

どうですか、吐き気がしたでしょ(^_^;)。
このような正体不明の“憶測”を駆使する一方、都合の悪い“事実”は黙殺する。

たとえば、小沢の「西松事件の違法献金事件」などと書いておきながら、その後、この事件が公判で雲散霧消してしまったことには一切触れず(つまり東京地検特捜部がいかに杜撰かということには目も向けず)、しらっと陸山会事件が登場し、石川知裕代議士が逮捕された“衝撃”を書き立てるのである。

もっとも、今からみると完全に墓穴を掘っている部分もある。それがたとえば以下のような部分だ。

超特大の新年会は、小沢が権勢の頂点にあることを見せつけるものだったが、出席者の中には一抹の不安を抱えている者もいた。この日(※引用者注 2010年元旦)、読売新聞が朝刊1面トップで「小沢氏から現金4億円 土地代の相談後 石川議員供述」と報じていたからだ。
 記事は小沢の資金管理団体「陸山会」が04年に購入した土地の代金を政治資金収支報告書に記載しなかった問題で、購入代金に充てられた現金4億円について、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員が東京地検特捜部の事情聴取に対し、「小沢先生に資金繰りを相談し、現金で受け取った」と供述していることを報じたものだった。(前掲書180ページ)

読売さん、小沢を追い込む重要な役割をいただいていたんですなあ、、、(w

一方、鳩山への罵倒の中身は、普天間基地移設問題をめぐる「日米関係」に端を発しているわけだが、ここで際立つのは読売の凄まじいまでの従米ぶりだ。

バラク・オバマ大統領のアジア歴訪を間近に控え、ホワイトハウスではこの日、対日政策を巡る国連安全保障会議(NSC)の会議が開かれていた。
 この会議が異例であったことは、NSCが前日、日本を最初の訪問地とするオバマのアジア各国歴訪に関する詰めの打ち合わせを済ませたばかりだったことからうかがえた。いかに日本を巡る問題がオバマ政権を悩ませているか、ワシントンの外交サークルはただちに感得した。(前掲書 56ページ)
国務省のイアン・ケリー報道官は「日米関係をどうしたいのかは、日本次第だ」と突き放す姿勢を示した。(前掲書61ページ)

アメリカとギクシャクしたり突き放されたりすることは、読売的には大変なことであるらしい。

2009年11月13日午後3時40分、オバマ大統領が大統領専用機「エアフォース・ワン」で羽田空港に到着した。日本国民の間に期待のあったファーストレディー・ミシェル夫人の姿はなかった。ワシントンの私立学校に通う娘二人、マリア(6年生)、サーシャ(3年生)の面倒を見るためだった。ホワイトハウスの報道官は、ファーストレディーとしての公務と同時に、何よりも子どもに対する責任を優先したのだと説明した。(前掲書67ページ)

夫人が来日しなかったからといってそれがどうしたというのか? そもそも「日本国民の間に期待」なんてあったのか? ファーストレディが来ないのはアメリカが怒っているからだとでもいうのか?
私はあえていうが、こんな調子だからこそ周辺国からもなめられるのだと思う。

ちなみに読売新聞社の安保観は、

 鳩山は「日米同盟の深化」を今後1年かけて協議することを呼びかけ、オバマも同意したと胸を張った。鳩山側近は「首相は非軍事分野での協力を重視していく意向だ」と解説する。
 だが、日米安全保障条約は、米国が日本を防衛する一方、日本は米軍に基地を提供することで成り立つ。在日米軍が日本の安定と繁栄の基盤を提供しているのは、紛れもない事実だ。この点を重視しない同盟の「深化」を米国は認めないだろう。鳩山が進めようとしているのは、「同盟の変質」にほかならない。(前掲書70ページ)

というものである。『戦後史の正体』を読んだ読者は、この認識が噴飯ものであることをおわかりいただけるだろう。

 

ダレスが日本との講和条約を結ぶにあたってもっとも重要な条件とした、日本国内に「われわれが望むだけの軍隊を望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」という米国の方針は、その後どうなったでしょうか。

 答えは、「いまでも変わっていない」です。

 (中略)

 二〇〇九年九月から二〇一〇年五月まで、鳩山由紀夫首相が普天間基地問題で「最低でも県外」とし、「国外移転」に含みをもたせた主張をしました。これは日本の首相として、歴史的に見てきわめて異例な発言でした。日本側から米軍基地の縮小をもちだしたケースは過去半世紀のあいだ、ほとんどなかったからです。ですから鳩山由紀夫首相のこの主張は、米軍関係者とその日本側協力者から見れば、半世紀以上つづいてきた基本路線への根本的な挑戦でした。そこで鳩山首相を潰すための大きな動きが生まれ、その工作はみごとに成功したのです。(『戦後史の正体』142~143ページ 下線部は引用者)

故・丸山邦男(ジャーナリスト。丸山真男の実弟)は『遊撃的マスコミ論』のなかで日本のメディアが伝えるニュースについて、以下のように書いている。

 ひとくちに誤報といっても、ニュースが誤ってつたえられる過程で、さまざまなニュアンスの違いがみられる。三樹精吉氏の『誤報』によると、誤報は、①虚報、②歪報、③誤報、④禍報、⑤無報……の五つに分類されるという。「公正な報道」という観点からすれば、大小の誤報とその政治的社会的影響力にてらし、大体この分類に振りわけられると思う。ただこれに、私なりにちょっと手を加えさせていただくならば、次のような類別が可能ではないかと考える。
 ①虚報──三樹氏の規定どおり完全に事実無根の報道。
 ②歪報──文字どおり事実を歪めた報道だが、そこには(イ)誇報と(ロ)矮報の二種類がある。語法上おかしいかも知れないが、誇報とはある事実をとくに誇大につたえることであり、矮報とは何らかの意図で、逆に事実よりも矮小化して報道することを指す。
 ③誤報──報道機関の機構上の欠陥からうまれる過失や、作為はないが記者の軽率さによって生じるもの。
 ④禍報──意図はないが、周囲の状況や記事作成上の不手際から、読者に誤って受けとられるばあい。不作為の歪報。
 ⑤無報(あるいは不報)──何らかの事情で報道されず終いになること。これには意識的な黙殺、つまり「自主規制」によるものと、直接に外部から圧力が加えられてニュースが抹殺される「言論統制」によるものと、二つがある。
 ⑥削報──矮報と無報(不報)にそれぞれ近いが、ある部分にかぎって、外部からの圧力や自己検閲によって記事を故意に削除すること。
 ⑦猥報──戦後の「言論の自由」によってジャーナリズムに根づよく腰をすえたエログロ・スキャンダリズム。主たる原因はマスコミの過当競争だが、注意すべきは、いわゆる識者のいうように“劣情を刺戟”することに問題があるのではなく、むしろ既成の道徳観や性にたいする偏見から、故意に男女問題をスキャンダル化して報じることに、マスコミの偽善性が特徴的にあらわれている。

『民主党迷走と裏切りの300日』はこの①~⑥手法を駆使して、鳩山と小沢を叩きに叩く(ちなみに今年になって出てきた小沢夫人の件は⑦の変型だろう)。
そこには、選挙による初めての政権交代という歴史的意義、それはなぜ起きたか?(=自民党はなぜ有権者から見放されたか)というような視点はない。
しかし、そうやって読売が叩けば叩くほど、実は鳩山政権というのが、アメリカに対してクソ粘りをしていたことが見えてくる。私はこの本を読んで改めて、「鳩山政権はもったいなかったナ」と思わずにはいられなかった。

そう思いつつ本文を最後まで読み、何気なく奥付に目を落として驚いた。
この本の初版発行日は「2010年6月25日」。なんと前回の参議院選挙公示日の翌日なのであった。


──志木電子書籍からのお知らせ──
本エントリーで紹介した丸山邦男著『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』(1976年創樹社)は、志木電子書籍から電子化されて今月より好評発売中です。
電子書籍化にあたっては、新たに単行本未掲載の「ジャーナリズムと戦争責任」(1957年2月「中央公論」掲載)を付けくわえて再編集をしております。

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2012/04/28

落とし所としてこれしかなかった判決と
ますます進行するメディアのビョーキ

本や雑誌を読んでいて、時々、「うまいなあ」と思う原稿がある。
もちろん「うまい」にもいろいろな種類があるわけだが、私が反応するのは、きわどい内容をギリギリの線で書きながら、しかしなおかつ、どこから突っつかれても大丈夫という書きようをしているライターの原稿を読んだ時だ(ちょっとわかりにくいけど)。

さて、陸山会の小沢判決。
私はこれまでの経緯を考えると、ひょっとして有罪もあるかも、、、と思っていたが、蓋を開けてみれば無罪という至極真っ当な判決が下った。
2009年3月以来の小沢vs.検察の流れをきちんと捉えていれば、この結論は誰にでも腑に落ちるものだが、その当りまえの結論が当たり前に出るかどうかが不透明だったところに、この国が抱える本質的な問題点が潜む。

私は今回の裁判長がどのような人物かは知る由もないが、おそらく無罪判決を書くには相当なプレッシャーがあっただろう。
一人のまともな法律家としてみればどう考えても無罪。
しかし、自らが身を置く世界をぐるりと見回した時、その当たり前の帰結そのまま文字にするのはためられわれたはずで、そこらへんを郷原信郎氏は、以下のようにツイッターでつぶやいている。

@nobuogohara
小沢氏無罪。あまりに当然の判決だが、その「当然の判決」をすることが、大善裁判長ら3人の裁判官にとっては、とてつもなく大変なことだったのだろうと思う。主文を2回読んだ裁判長の気持ちもよくわかる。裁判官としての矜持に敬意を表したい。

@nobuogohara
今日の「八方美人的判決」の評価は難しいが、おそらく、まず無罪という結論を決め、それをどのように社会的に受け入れ可能なものにするか苦心惨憺した末に、あのような内容になったのだと思う。「小沢排除」の政治的、社会的圧力が高まる中、刑事裁判の最後の良識を守ったと評価すべきだ。

無罪判決以後、マスメディアは鬼の首を取ったように「判決は、小沢氏の政治団体の政治資金収支報告書の内容はうそだったと認めた。」と横一列で書き立て、限りなく黒に近いグレーなのだから「説明責任を果たせ」とわめきたてている(カッコ内はいずれも朝日新聞社説)。

やれやれという他はない。
そもそも、ここに至る発端は、政権交代が確実とされた2009年の衆議院選挙直前、次期総理大臣の最有力候補だった小沢一郎の秘書である大久保隆規氏を検察が政治資金規正法違反で逮捕したことだった。
これが「西松事件」なわけだが、当時、検察側の代弁者としてメディアに出演していた宗像紀夫(元東京地検特捜部長)でさえ、これは入口であって、その先に大きな疑惑があるはずと言っていたものだった。
ところが検察は結局、大久保氏を政治資金規正法違反でしか起訴することができず、しかもその公判は検察側の証人が検察の主張と真逆の証言をして吹っ飛んでしまった。
そうして浮上してきたのが、「陸山会事件」なのである。
まあ、これ以上、私がクドクドと書いても仕方がないので、以下の田中良紹氏のエントリーを読んでいただきたいが、田中氏も書いているがごとく、公判の中では「会計学の専門家である筑波大学の弥永真生教授は石川議員の作成した政治資金収支報告書は虚偽記載に当らないと証言」しているのだ。

・田中良紹の「国会探検」
政治的事件の政治的判決

話を戻すと、今回の判決というのは、郷原氏がつぶやいているように、無罪という後世の評価に耐えうる結論を出しつつ、田中氏が言うところの政治的な部分にも十分に配慮したもので、苦し紛れといれば苦し紛れだが、落とし所としてはこれしかなかったのだろう(ちなみに、この「限りなく黒っぽい無罪」判決が出ることを事前に予想していたのが、八木啓代さんだった)。
であれば私はそれはそれで、うまい判決だと思う。

もっとも、この判決でマスメディアのビョーキはいよいよもって進行している。私はすべてを見ているわけではないが、偶然見た天声人語は以下のごとくであった。

********************
 政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。1983年秋、東京地裁は田中角栄元首相に有罪を言い渡し、闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派行動ともいえる創政(そうせい)会の旗揚げへと動く▼だれの時事漫画だったか、元首相が「ああせいこうせいとは言ったが、そうせいとは言っとらん」と嘆く傑作があった。田中は心痛と深酒で脳梗塞(のうこうそく)に倒れ、失意のうちに影響力をなくしていく▼さて、この判決は政治をどう動かすのか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の、無罪である。大まかな経理処理の方針は承知していたが、うその記載を巡る秘書との共謀までは認められないと▼小沢氏は折にふれ、「今後は一兵卒で」と殊勝な言を重ねてきた。くびきを解かれた兵卒が見すえるのは、秋の代表選か、集団離党や新党か。消費増税の前途多難といい、野田首相は頭が痛かろう▼民主党は、各自の当選を目的とした非自民の選挙互助会でもある。にわか作りの公約が破れ、政策や手法が敵方に似てくるほど、小沢流の原点回帰は説得力を増す。首相の使い捨てが続く中、「なれたのにならない」政治家の凄(すご)みも無視できまい。だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった▼若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を、蓄財術とともに聞いてみたい。
********************

この原稿を書いているのは、本当にプロの記者なのだろうか?
「この人が回す政治に実りは乏しかった」そうだが、ニセメール事件でボロボロだった民主党を見事に立て直して政権交代を実現したのは、圧倒的な実りではないのか?(でなければ、この筆者にとって政権交代は実りとは真逆のものだったのだろう)
無罪判決後も、その本質を見ようとせず、すべてを政局に結びつけて報道する朝日新聞社こそが「ミスター政局」集団ではないのか?
小沢一郎が「最後のご奉公」で何をしたいのかがこの筆者にはわからないらしいが、それは「国民の生活が第一」という政権交代の本義に戻すことであって、そんなことは私にでもわかる。
そして「蓄財術とともに」という形容。
何の工夫も伏線もなく、ただ思考停止した人間が、感情のままに書きなぐった原稿など、ただのクズ原稿でしかない。

私は最近、愛聴している「久米宏ラジオなんですけど」で唯一不満なのは、一部のコーナーで朝日新聞が
スポンサーになり、天声人語がどうしたこうしたというCMが入ることだ。

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2012/04/25

速報!~ 東京地検特捜部「捜査報告書虚偽記載事件」
最高検察庁に新たな告発状を提出!

健全な法治国家のために声を上げる市民の会は本日、最高検察庁に新たな告発状を提出いたしました。被告発人は、

偽計業務妨害 刑法233条
・佐久間達哉(法務総合研究所国連研修協力部部長)
・木村匡良(東京地方検察庁公判部副部長検事)
・大鶴基成(元最高検察庁公判部部長検事)
・斉藤隆博(東京地方検察庁特捜部副部長検事)
・吉田正喜(元東京地方検察庁特捜部副部長検事)

偽証罪 刑法169条
・田代政弘(法務総合研究所付検事)

犯人隠避罪 刑法103条
・堺徹(東京地方検察庁特捜部部長検事)

です。
告発状は↓をご覧ください。

告発状

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2012/01/14

野田改造内閣 ~ 霞が関による政権交代潰しの到達点

まずは植草一秀氏のエントリーで紹介されていた動画をご覧いただきたい。

野田改造“増税一直線”内閣が発足した。
私の感想はただ一つ、この政権は2009年の政権交代の意義を叩き潰す霞が関独裁の総仕上げ、到達点だなということだった。
私の考えでは、長らく自民党とタッグを組んできた霞が関独裁は、ある時期から「政権交代止むなし」と考えるようになった。といって、その政権がコントロール不能であっては困る。そこで、民主党内に第二自民党勢力を育てることにした。

それはそれでうまくいったが、彼らは自民党の手錬れ議員とは比較にならないほど“お子ちゃま”で、前原なんぞは偽メール事件で大ズッコケしてしまった。
まあ、民主党がズッコケたままであれば自民党政権が続くわけだから問題ないのだが、ここで小沢一郎が登場して代表に就任、民主党をまたたく間に立て直す。

これに驚愕したのが、霞が関独裁を中心とした既得権益勢力だ(もちろんマスメディアもそのコアメンバー)。
民主の“お子ちゃま”たちが主導する政権交代であれば、赤子の手をひねるようなもので、それこそかつての自民党よりもコントロールしやすいが、小沢は違う。
なにしろ、自民党にいれば確実に総理大臣になれたにもかかわらず(というかその前の時点でチャンスがあった)、既得権益勢力に担がれることを潔しとせずに野に下ったのである。
そして紆余曲折の末、民主党に合流、政権交代を目指して打ち出したキャッチフレーズが「国民の生活が第一」。

かつて田中康夫が長野県知事時代に「官は民のパブリックサーバントでなければならない」と演説して県職員の反発を食らったが、およそ官僚というのは国民の生活など知ったことではない(その象徴が現在の福島県であろう)。
そういう連中から見ると、小沢一郎というのは第一級の危険思想の持ち主であり、たとえ民主党が政権をとったとしても、なんとしても小沢総理だけは避けたい。
そうして2009年3月、まさに政権交代を賭けた衆議院選挙の直前に浮上したのが、小沢の「政治とカネ」に関する(ねつ造)疑惑であった。

ま、ここらあたりをクドクドと書いても仕方がないので端折ると、結果として小沢は民主党代表の座を下り、総理大臣の座は鳩山→菅→野田の順となる。。
この間、小沢を幹事長に起用した鳩山は普天間で激しいバッシング(メディア・ファシズム)を受け辞任。あとはもう、小沢から離れることだけがテーマであるかのごとくマスメディアが風を吹かせ、「国民の生活が第一」どころか消費税増税路線をひた走る。

そして、今回の改造内閣。
「国民の生活が第一」を実現するべく小沢一郎が目指した「政治主導」は雲散霧消し、完璧に霞が関が権力を再掌握したと私は思う。それを実感したのが、法務大臣人事である。
今回法相に就任したのは小川敏夫。以下、東京新聞の記事を引用してみよう。

*****
死刑 執行再開の可能性

 平岡秀夫法相が在任四カ月で退任し、後任の小川敏夫氏の同行が早くも注目を集めている。民主党政権では死刑反対の法相などが続き、死刑執行はこの一年半停止状態。前任者は死刑に慎重姿勢だったが、新法相は就任早々「しっかりと職責を果たしたい」と宣言、執行再開の可能性が出てきた。
 国内の最後の死刑執行は死刑反対を高原していた千葉景子法相が一転して命令し、確定囚二人が執行されたが、後任の柳田稔氏、仙谷由人氏はともに約ニカ月で交代。続く江田五月氏は「(死刑には)より深い議論が必要」として約九カ月間の任期中、執行を見送った。
 執行慎重派として知られた平岡氏も最後まで命令を出さず、昨年は一九九二年以来十九年ぶりに執行ゼロの一年に。確定死刑囚は戦後最多の百三十人に膨れ上がる事態となり、法務省幹部は「後任の法相は執行できる人が条件となっていたはず」とみる。(以下略)
*****

私は死刑という制度は霞が関独裁の根幹をなすものだと思う。というのも、死刑というのは法務行政(ひいては霞が関全体)の無謬性を前提としているからだ。
対して、たとえば亀井静香が死刑に反対するのは「自分は警察官僚だったからわかるが、冤罪が起きる可能性は否定できない」という理由だ。
私もそうだと思う。したがって死刑制度は廃止した方がいい(ちなみに私は終身刑論者であり、その方が犯罪の抑止になると思っている)。だが、現に死刑制度はある。
その場合、官僚の無謬性に疑問を投げかけ死刑執行を止めることができるのは政治家だけである。つまり死刑の執行停止は政治主導の象徴となりうるのだ。
が、これは霞が関の独裁権力者たちにとってはあってはならない、かつ我慢のならないことだろう。

私は菅政権で死刑反対論者だった千葉景子が法務大臣として死刑を執行した時、「千葉景子、死刑を執行 ~ 霞が関の高笑いが聴こえる」というエントリーを書いた。
死刑反対論者だった千葉は霞が関に屈服したわけだが(というより、最初からその程度の思想の持ち主でしかなかった)、しかしその後、少なくとも死刑についてはそれなりに民主党政権は頑張っていた(まあ仙谷なんぞは臨時の法相だから評価できないが)。
ところが、それがここへきてついに崩れるのならば、それは霞が関独裁の正真正銘の完全復活であり、しかも自民党時代よりもさらに悪い、なんの歯止めもきかない恐るべき政権になるのだと思う。

ただし死刑の執行権を取り戻した(であろう)官僚が、唯一気になるのは、いわゆる陸山会裁判の行方だろう。
健全な法治国家のために声を上げる市民の会が1月12日に最高検察庁に提出した告発内容は、法務行政が無謬とはほど遠いどころか、恐るべきねつ造をする可能性を示唆している。
この告発の行方がどうなるかはわからないが、霞が関は今後、マスメディアを総動員して「たかが市民団体の告発とは関係なく、小沢一郎は悪である」という大キャンペーンを張ることで、この疑惑の払拭にかかるだろう。

と、こう考えるとはまだまだ霞が関独裁との闘いは終っていない。
「国民の生活が第一」を取り戻せるかどうかの、まさに正念場にさしかかっている。

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2011/09/26

「陸山会事件」判決 ~ マスメディアは「西松事件」に遡って総括すべきである(追記あり)

本日午後、「陸山会事件」の判決が出る。マスメディアは「陸山会事件」と表記し、主に石川知裕衆院議員を中心にした報道をしているように見受けられる(あくまでザックリした印象だが)。
しかし、この事件のそもそもの発端は「陸山会事件」ではなく、「西松事件」なのである。
2009年の3月、小沢一郎の秘書である大久保隆規氏が逮捕、起訴された。
時、あたかも政権交代を賭けた大一番の衆議院選挙前。
民主党代表は小沢一郎であり、何事もなければ総理大臣の座は確約されていた。
そこに起きたのが「西松事件」であった。
マスメディアはこれをきっかけに小沢の責任論を展開、総力をあげて「辞任すべき」という論陣を張った。
当時、有力とされる「政治記者」はこぞって「政治とカネの問題=小沢」とはいう印象操作に狂奔し、新聞記事のリードには、小沢という固有名詞の前にしばしば「西松事件で秘書が逮捕された……云々」という形容詞をつけていた。

たとえば、以下は2009年3月10日の日経の社説である。

*****
 政治の現状にあきれ果てた。これが大多数の国民の実感だろう。経済危機が一段と深刻になっているのに、政治は機能不全に陥っている。日経平均株価は終値ベースでバブル経済崩壊後の最安値を更新した。
 西松建設の巨額献金事件で公設第1秘書が逮捕された民主党の小沢一郎代表への批判が強まっている。先週末に共同通信など各報道機関が実施した世論調査では、辞任を求める声が5―6割に達した。8割前後の人が小沢氏の説明は「納得できない」と回答している。
 麻生政権への視線も厳しい。大きな「敵失」にもかかわらず、内閣支持率は10%台に低迷。世論から不信任を突きつけられたままだ。
 私たちは来年度予算成立後の衆院解散を求めてきた。世論調査の結果は、国民が自民、民主両軍にピッチャー(党首)を代えて決戦に挑む覚悟を求めているようにもみえる。民主党も自民党も危機管理能力を問われており、政治のリセットに向け早急に態勢を整える必要がある。
 民主党内では小沢氏の代表辞任は避けられないとの見方が広がっている。小沢氏は身の潔白を強調しているものの「個々の一つ一つの献金についてはわからない」と述べるなど、説明にはあいまいな点が多い。
 小沢氏は秘書が起訴されることはないとの見通しを示しているが、この前提が崩れれば政治的、道義的な責任は免れない。次期衆院選への影響も含め、民主党は小沢氏の進退問題で賢明な判断が求められる。
*****

あるいはこんな記事も。

・ザ・ジャーナル 岸井成格
小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局

さて、ではこの「西松事件」はどこへ行ったのか? すでにこのブログでは何回も書いてきたことだが、なくなってしまったのである。
検察は大久保氏を逮捕、起訴して公判に持ち込んだが、その過程で、なんと検察側の証人が検察の描いた構図を否定する証言をし、結果、検察は窮地に追い込まれた。
そこで勃発したのが「陸山会事件」であり、石川議員とともに大久保氏も再び身柄を拘束された。そして、大久保氏の公判は「西松」から「陸山会」へと訴因が変更されたのである。
しかして、、、
本日の判決では、大久保氏は無罪と言われている。
また、石川議員についても、JNNの大スクープがあったにもかかわらず、それが公判に影響を与えたという話は一切ない(↓動画の3分50秒あたりから)。石川氏の場合は執行猶予付きの判決も予想されているが、実質的には無罪といっていいだろう。


asazuba3 投稿者 thinkingreed

つまりこの2年間の小沢をめぐる「政治とカネの問題」というのは、何の実態もない印象操作、言論操作だったのだ。にもかかわらず、検察審査会による強制起訴議決の末にこれから始まる小沢公判は、この「陸山会事件」の延長線上にある。
いったいこの状況はなんなのか?

歴史に「たら、れば」は禁物だが、もし「西松事件」というでっち上げがなければ、小沢一郎は総理大臣になっていただろう。そして、おそらくは「国民の生活が第一」の公約を実行し、昨年の参議院選挙でも勝利をおさめ、政権は安定したものになっていたはずだ。
そしてまた、もし小沢が総理であったならば、3・11後の、とくに福島第一原発破局事故への対応もまったく違ったものになっていたものと思う。
その意味で、この2年間、政治を不必要に混乱させて国民生活を悪化させ、しかも原発事故での人災的側面を拡大させた張本人は、突き詰めれば検察とメディアだと私は断言する。
にもかかわらず、その張本人たちが↓のような与太話をしているのだから、呆れる他はない。

・おーい、とらちゃん出番だよ!
「対談」橋本五郎・星浩・飯尾潤 なぜ、「政権構想」はここまで空虚になったのか。(鍋常のゴミと、朝日のゴミに、言われたかぁ~ないってもんだ~♪)

いま、「西松事件」→「陸山会事件」の総括を求められているのはマスメディアである。

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以上、ここまでは本日、午前中に書いたものである。
そして午後、判決が出た。
結果は3人の秘書、全員が有罪。

これを受けて早速、朝日新聞は、小沢一郎についても「政治的責任」を問う姿勢を示している。

つまり、私の予想は外れたわけだ。
が、しかし、だからこそ私はこのニュースを聞いて慄然とせざるを得なかった。

そもそも、この公判の論告は↓のようなものであった。

・郷原信郎 TwitLonger

郷原氏のこの文章を読むと、氏は少なくとも司法はまともな判断を下すだろうという予想の下に特捜検察批判をしている。ところが、判決はそうではなかった。
私はここに、これまで一応、戦後の日本が装っていた法治国家やら民主主義国家といった素振り、建前をかなぐり捨てた独裁権力の意志を見るのである。
そして、この小沢一郎への弾圧から東京電力の救済まではすべてつながっている。
片や総理の座を目前に冤罪をでっち上げられ、片や人類史上最悪の放射能災害を引き起こし、それが今も続いているにもかかわらず、その会社から一人の逮捕者も出ることはない(しかもこの会社が発表はウソとデタラメだらけである)。これらすべては権力の意志によるものに他ならない。
検察批判のデモを主催すれば痴漢冤罪の罠が待ち受け、電力会社へ抗議に行けば逮捕される国。
しかも、ほとんどの国民がそれに対してさしたる疑問も持たず、わが身にも放射能が降りかかっても怒らない国。
ニヒリズムなのか、はたまた岡庭昇氏が指摘するようにエゴイズムの極なのか、、、
2011年9月26日は、かくも奇天烈な国に生きているということを再確認した日なのであった。

そしてもう一つ。
これから反原発や反検察の運動しようという人たちは、相手が恐るべき独裁権力であることを、まず心にしっかと刻み込み、根性を据えてから行動を起こしていただきたい。


参考リンク
小沢秘書逮捕報道~いま問われているのはメディア自身である

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/06/13

6.11デモ ~ 諦めたら喰いものにされるだけ

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 自分のからだを自らの手で慈しみ、自らの努力で大事にしよう。するとそこで“守る”ことがみるみるうちに“問う”ことに、さらには“闘う”姿勢に転換していくはずである。防衛が攻撃へ反転する。この新鮮な発見が、すべての始まりだ。逆に言えば、この発見がないかぎり、システム化した社会によって、いいように踊らされるだけである。文字通り、それはわたしたちのからだが“喰いもの”にされるということだ。
 拙著『飽食の予言』シリーズ(情報センター出版局)を通して、わたしが警告してきたように、わたしたちはいつも“食べる”という幻影のなかで、実は“食べさせられている”のであり、“食べられている”のである。このシステムをどこかで断ち切らなければならない。断固たる、わたしたちの決意によって終わらせなければならない。
 つまり、こうだ。
 この社会は、わたしたちのからだを虎視眈々と狙っている。いや、わたしたちのからだを蚕食することこそが、日本の鎖国的な収奪システムの、不可欠の土台になっている。だから、だれもわたしたちのからだを救ってはくれない。自分で大事に扱い、救出しないかぎりは。そして自分のからだを大事にするということは、システムの蚕食から自分のからだを奪い返すということなのだ。そこからでなくては、なにひとつ肝心の行動は始まりはしない。
 奪い返されたからだを基本として、はじめてわたしたちの主体性が確立する。
 言い換えるなら、この暴力的なまでにゆがんだ工業社会、生産力だけに価値を置くことで人間を殺す異様さが、もはや究極の世紀末的様相を見せているニッポン鎖国に、たった一人でもきちんと向き合うことができるようになるのだ。

岡庭昇著『一九九九年の平らげ方』(情報センター出版局)より
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ということで6.11は永田町と新宿へ行ってきた。

まずは木下黄太氏の呼びかけに応じて永田町へ。
こちらはデモとはまったく違う、ただのゆるーい散歩。木下氏のブログ、及びfacebookでの呼びかけにどれだけの人が呼応するのかと思ったが、15時に永田町につくと黄色いアイテムの人がチラホラ。
みんなバラバラに歩いているが、なんとなく国会正門へ。

ワンコも黄色。
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面白かったのは警察関係の方々。なんだか突然、黄色いアイテムをつけた人が国会周辺を散歩し始めたことに明らかに動揺。「これは何かの集まりですか?」とか「主催者の方はどなたですか?」とか聞きまわっている。
「いや、まあ散歩しに来ただけなんですけどね」。
ついには警察、「正門前にいるみなさんは、散歩してくださーい」と拡声器で呼びかけ(笑)。
ということで、私もまあ国会をぐるりと散歩して、地下鉄で新宿へ。

地上に出るとちょうどデモがやって来た。

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集まった人数はドイツなどの反原発デモに比べればまだまだ少ないかもしれない。
けれども、ずっと反原発だった私としては、「こんなに人が集まるようになったか、、、」とやはり感慨深い。破局的事故が起きてしまった後というのが残念ではあるが……。
しかしそれでも前進である。プロゴルファーの青木功の言葉に「朝一番のティーショットがチョロでもいいんだよ。ちょっとだけでも前に進んでいるだから」というのがある(私の好きな言葉の一つ)。その例えで言うならば、今回のデモはまっすぐに100ヤードぐらいは飛んでいますね。大いなる前進です。

歩道橋の上も鈴なり。
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こんなカッコした官房長官もいたな。
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タマミちゃん(なんだかよくわからないけど)。
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いろいろな方がいらっしゃいます。
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個人的にウケてしまった「寺ベクレル和尚」。
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プラカードもいろいろ。
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座布団一枚。
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警察関係の方々も黄色いアイテムを身につけてデモに参加ちう。
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お父さんの肩車の上で疲れて寝てしまった女の子。この子たちのために頑張らんといかん。お父さん、お疲れさま。あれって重いんですよね。私も経験あります。
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新宿駅東口。
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そしてアルタ前へ。イニエスタもいるな。
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アルタ前にこんなに人がいるのを見るのは久しぶり。
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さてしかし、、、
福島第一原発はまったく収束する気配がなく、しかも政治もマジでレベル7、どころかメルトスルーでレベル8に引き上げか?という状態。
国会ではどさくさにまぎれてコンピュータ監視法案という天下のクソ法があっという間に「スルー」(これぞ独裁国家の証)。
その意味では、まだまだこの国には怒りが足りない。
私は思うのである。
諦めたら喰いものにされるだけだ、と。

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2011/06/11

6・11 ~ 今こそ行動の時!&お知らせ

ここのところ当ブログを更新できなかった。
その理由は、政治にも原発事故にも幻滅したから……
というわけではない。
いや、もちろん幻滅はしているが、ここで挫けてしまっては悪どい連中に負けてしまうのである。
ま、私は50年近くを生きて、それなりにいい時代を過ごしてきたからそれでも仕方がないのだが、しかし孫子の代にまで思いをいたせば、ここで引き下がるわけにはいかない。。

私は子どもが好きだ。
よく電車の中などでキャーキャー言っている子どもをしかめっ面で見る人がいるが、私はぜんぜん気にならない。
それどころか、ほっぺたをチョンと突つきたくなる。
だが3・11以降、そういう子どもを見ていると、そんな衝動よりも本当に「今、なんとかしないと本当にこの子どもたちの将来は大変なことになる」と思いが先に立つ。
残念ながら、すでに彼らの未来は十分に大変ではあるのだが、それを少しでも軽減するべく行動することは、今の時代に生きるすべての大人の責務だと思う。

時々……
「自分は子どももいないし、そんなことは関係ない」
と冷やかに言う人がいる(私見では男性に多い)。
しかし、そういう人だって子どもたちが元気に成長してくれなければ、自分の老後が危ういのだ。
当ブログでは同じことのまたも繰り返しになってしまうが、現在のこの事態に対してそういう「想像力」を少しでいいから働かせていただきたいと思う。
現実問題として、3カ月にわたって福島の放射能はダダ漏れ状態だ。
これはもう本当にとてつもないことであって、時とともに“食”や“健康”について、ますますもって重大な影響が出てくるわけで、このまま放置すればするほど、その被害は幾何級数的に増大してく。
こういう中にあって、もっとも優先すべきは子どもや若い人の命と安全であり、その第一原則は「セーフティファースト」だと思う。
人類がいまだかつて経験したことのない放射能災害においては、どんなに用心しても、どんなに安全マージンを取っても取り過ぎることはない。
そのためには、これまで[原発は安全だ」と言い続けてきたすべての人間の言うことを信じないことが重要だ。そういう連中の言ってきたことはすべてウソ、デタラメ、あるいは間違いだったことは、この状況を見れば明々白々である。
にもかかわらず、原発をこれまで推進してきた自民党と、これからも進めようとしていた民主党が連立するだって? 冗談を言ってはいけない。
とここまで書いたところで、6月2日のエントリーと同じような内容になってしまったことに気づいた(脳みそがトロトロなのです)。
が、とにかく今、行動しなければ末代までの恥と禍根を残すことになる。
これまで妻は私が「やれ、小沢だ、検察だ」といってデモへ行ったり最高検へ前田恒彦を告発に行くのを冷やかな目で見ていた。その顔には「あまりヘンなことをしないで欲しい」という表情がありありと出ていた。
ところが、その妻が先日、「私も6月11日はデモへ行ってみようかな」と言った。
そう思う人が一人でも増えて欲しいと切に願う次第である。

・6.11 脱原発100万人アクション (No Nukes Action by a million people)

※最後に一つお知らせがあります。以前にもちょっと書きましたが、当ブログでこれまで書いてきた原発やメディアに関するエントリーをもとに電子書籍を刊行することになりました。タイトルは、

「東京電力福島第一原発事故とマスメディア」

です。詳細は近日、ご報告いたしますが、iPhone、iPad、アンドロイドにも対応したものとなる予定です。

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2011/06/07

田中良紹の「国会探検」〜 「うそつき」の「もがき」

以下、全文転載。

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 内閣不信任案の否決は菅政権を支持した否決ではない。政治空白を作らずに菅総理を辞めさせるための否決である。そして菅総理が延命のためにもがけばもがくほど自分の首を絞める仕掛けである。ところが案の定と言うか菅総理とその周辺は延命のための「もがき」を始めた。

 鳩山前総理が口頭で今月中の辞任を迫ったとされる合意書には「退陣」の「た」の字もない。しかも内輪の合意書であるため「民主党を壊さない」とか「自民党に政権を戻さない」とかが真っ先に書いてある。これが表に出れば自民党が反発する事は必至である。そこに仕掛けがある。

 その上で不信任案は大差で否決された。大差の必要があったからである。これで菅総理の心に「延命可能」の思惑が生まれた。大差の否決は延命のための「もがき」を誘う。しかしなぜ大差の否決が生まれたのか。それは小沢一郎氏の指示があったからである。「自主判断」の指示がなければ大差の否決にはならなかった。

 合意書には「退陣」が書かれていない。不信任案は大差で否決された。菅総理の表情に笑みが生まれる。そこで菅総理は鳩山前総理との口頭での約束を反故にし、原子炉の冷却停止のめどがつく「来年1月」を退陣の時期と明言した。しかし原子炉の冷却停止が来年1月に出来るかどうかは誰にも分からない。ズルズル延びる可能性もあり、菅総理はいつまでも居座る事が出来る。

 むしろ延命のために冷却停止を引き延ばせば、総理の延命が国家の損失を招く事になる。ところが岡田幹事長や枝野官房長ら菅総理の周辺は「合意書にある事は退陣の条件ではない」と一斉に鳩山発言を否定した。これを鳩山前総理は「うそつき」と呼んだ。現職の総理、官房長官、与党幹事長を「うそつき」と断じたのだから尋常ではない。鳩山発言が本当なら日本は「うそつき」が権力を握った国になる。

 しかし「もがき第一弾」とも言うべき菅総理の発言はメディアにも評判が悪かった。メディアは「総理退陣表明」でニュース速報や号外を出した手前、来年までズルズル居座られると立場がなくなる。「それはないよ」と言う話になった。これを見て鳩山前総理の言う「うそつき」たちは「もがき第二弾」を点火した。退陣時期を8月に前倒しすると言い出したのである。

 民主党代表選挙が9月に行なわれる事から、そこまで菅総理を延命させ、民主党内の菅支持派の体制を立て直そうとしたのである。メディアは「総理周辺が菅離れを起こしている」と書いたがそうではない。菅総理の影響力を削がれまいとする「うそつき」たちの「もがき第二弾」なのである。

 そしてそれも難しいとみるや「もがき第三弾」が点火された。それが「大連立」である。菅総理は鳩山前総理との約束どおり今月中に退陣する。その見返りに「小沢抜き大連立」を図ろうと言うのである。大臣ポストと民主党マニフェストの破棄をエサにして、内閣不信任案で共同歩調を取った自公と民主党内小沢グループの間に楔を打ち込み、菅周辺は生き残り、菅総理も退陣後の影響力を確保しようと言うのである。

 これら「もがき」に共通するのは全く国民の方を向いていない姿勢である。第一弾、第二弾は自分の利益と自分たちの都合だけであった。第三弾は一見与野党が協調する体制を作るかのように見えるが、まったくそうではない。マニフェストの異なる政治勢力が連立を組むためにはそれなりの手続きが必要で、まずは辞めていく総理の側が提案する話ではない。

 自民党の谷垣総裁が「新しい民主党代表が決まらなければその話をする事は出来ない」と言うのはその通りである。それにも増して国民が選んだマニフェストを変えるには国民の理解を得る必要がある。この時期に選挙をやる訳にはいかないから、国会議員が良く良く有権者の意見を聞きながら党内で調整を図っていく必要がある。

 与野党協調の道は「大連立」にあるのではない。これまで協調体制を作る姿勢をまるで見せなかった菅政権に退場していただき、全政治勢力が結集して「復興のための臨時政権」を作る事なのである。マニフェストを変える必要もない。大臣ポストを各党に割り振る必要もない。復興のための組織に超党派で適材適所の人物配置を行なえば良い話である。

 復興のための組織は時限的なもので、復興の道筋が出来れば解散する。しかし現状の菅政権では国民経済にも被災者の救済にも見通しが立たないため、今回の不信任案提出問題が起きた。それが不信任案を可決しようとした与野党の共通認識である。「大連立」を組まなくともすでに与野党には共通認識と協調姿勢があり、政治空白を作らずに復興作業を行う事は出来るのである。

 鳩山前総理の言う「うそつき」たちは「大連立」を提案すれば時間稼ぎが出来ると思っているのかもしれないが、「大連立」で時間を浪費する訳には行かない。しかし「うそつき」たちが「もがいた」ため、ついに自民党の谷垣総裁は菅総理に対して来週中の退陣を要求した。「もがき」によって退陣時期は早まっていくのである。
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リンク元は→こちら

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2011/06/03

内閣不信任案は「アングル」か?

昨日昼に行われた民主党の代議士会の中継を見ていて私が驚いたのは、菅直人が「一定のめどがつくまで私に責任を果たさせてほしい」と言った瞬間にピロリロリ〜んという音が鳴ってNHKの画面に「菅首相が退陣を表明」という趣旨のテロップが流れたことだ。
菅発言を聞いて私が「とゆーことは、当分、辞めないんだナ」と思っていたら、次の瞬間に真逆のテロップが事前に打ち合わせができてたいかのように流れたのである。
しかし、この菅直人の投げたクセ球で内閣不信任案否決の流れが決まった。

午後、仕事先との打ち合わせまでの間、内閣不信任案の採決の様子をパソコンで視聴した。最後までは見られなかったが、賛成討論の大島理森と石原伸晃の部分は見た。この大島という人物は自民党核融合エネルギー推進議員連盟副会長、自民党電源立地等推進及び原子力等調査会会長、自民党エネルギー戦略合同部会顧問、社団法人原子燃料政策研究会理事、元原子力委員会委員長、青森県六ヶ所村再処理施設誘致推進で、かつ東電株主なのだそうだ(「世に噛む日々」より)。
石原伸晃は菅直人の唯一の功績である浜岡原発の停止要請をヒトラーのようだと決めつけていた。
内閣不信任決議案は圧倒的な大差で否決され、その夜、菅直人は早期退陣を否定した。

もはや素人には理解し難い状況である。

菅直人の頭の中にはたった一つのことがらしかない。それは、とにかくできる限り長く総理の座に居続けること。すでに大震災から3カ月になんなんとしている。その間の政府の対応はお粗末としかいいようがない。そういう状況で、こんな人間が総理ではダメだということで民主党内から不信任決議案への賛成論が浮上してきたわけで、にもかかわらず辞任するのが6カ月先というのではお話にならない。
だが、一方で上記の大島の肩書を見てもわかるとおり、これまで原発の利権にまみれてきた自民党に政権を戻すわけにも絶対にいかない。
つまり、今回の政局の一つのポイントは、菅の首に鈴をつけることと、自民党を復活させないことという二つの解を同時に求める必要があった。

そう考えると……。
今回の落とし所はそれほど悪くはない。
twitterで「今回の菅対小沢の政局は自民党の液状化を狙った、プロレスで言うところの『アングル』ではないか?」というメンションを送ってくれた方(@hatoさん)がいるのだが、なかなか深い読みだと思う。
まずは自民党の息の根を止めて、しかるのちに菅を引きずりおろす。
菅とすれば、自分に不信任を突き付けた相手と連立するわけにはいかない。しかし、一方では与党内に政権を危うくするに十分な数の集団がいる。となれば、政権は弱体化せざるを得ない。

と、ここまで書いたところで……。
田中良紹氏の「国会探検」が更新された。
あとは政治を読むプロにお任せします。

・田中良紹の「国会探検」 菅政権の最期


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