伊集院光の原発廃止論
久しぶりにラジオネタを(元々、このブログは政治やら原発のことやらばかりを書いていたのではなく、私の好きなAMラジオの話なんども好き勝手に書いていたのである)。
今週、月曜日深夜の関東圏のAMラジオ放送は、すべて「なでしこ対フランス」の試合の中継だった(それも音声はすべて同一。これを伊集院光は「バカですよね」と言っていたが、いたって同感)。
結果、深夜放送のキー局は通常の番組を流さなかったが、ネットしている局向けには通常の番組が放送された(これを「裏送り」ということはラジオマニアの私も初めて知った)。
したがって、私の愛聴番組である「伊集院光 深夜の馬鹿力」も関東では聴くことができなかっのだが、幸いなことに地方の友人が録音してくれて、その音源を貸してくれたので、この「裏送り」の番組を聴くことができた。
とはいっても、やはり関東圏のリスナーに配慮して、今回の放送はいつもやっている通常コーナーはなく(といっても「深夜の馬鹿力」の場合、伊集院のフリートークが圧倒的に長いのだが)、リスナーから来た質問に伊集院が答えていくという形がとられたのだが、そのなかに「最近、原発反対のデモが金曜日に行われていますが、伊集院さんは原発の再稼働についてはどう思われますか?」という質問があった(おそらくこういう質問も、通常放送であれば絶対に読まれないだろう)。
以下が、伊集院のそれに対する答え。
えーと僕はですね、再稼働するしない、廃止するしないっていう議論より先に、“原発がなくなったほうがいい派”としては、国内の原発のなかで、まずこれはないねというものをすべて廃炉にするから始めたほうがいいと思うんです。
結局、いまの段階だとゼロか100かみたいな議論に絶対なっていく、これはあまりスピード感があるものとは思えないんですよ。だから真ん中に、頭がいいというか悪知恵が働くというか、うまく揚げ足が取れたりとか理詰めでいける人が、じゃあそのいまある原発のなかで順位をつけてくださいと、いろんな総合的に安全だったり必要だったりしていくと、少なくとも今の稼働率でこの夏乗り切れているということは、いらないものが相当にあるはずなんです。そのいらないものに関して、廃炉の確定をガンガン出していった方がいいと思うんです。そうじゃないとなか、なかちゃんと実利が取れないような気がして……。
なんでしょうね、今まで原発って安全と言われていたことも危険って言われてきたことも、どれもこれも、危険度ですら、原発を作ってる人側から教わったことばっかなような気がするんだよね。
だからもう今や、たとえば歴史の教科書が全部ウソでしって言われたのとあんまり変わってないから、どうしていいかわからなんですよ、何か自分の中で原発に関して。ただこんなになくていいことは少なくても確定でいいだろうっていう、それだけでもやっていく価値はある気がするんだよね。
そうじゃないと裏表ゲームになった時に、全部取られる、全部稼働に近いような状況が起こるような気がするんで、まず少なくとも全廃する、もしくは全稼働するという話をいった置きましょうと。少なくともいらないものを全部壊し始めましょうよという、停めて廃炉にすることをしましょうというのをやるのはいかがでしょうか?
ちなみに、伊集院は昨年3・11以降、つい先日まで奥さんと別居していた。
そもそも伊集院は大変な愛妻家だが、震災や原発の影響を心配して、奥さんを和歌山の実家に帰していたのである。
さて、そういう伊集院の原発廃止論はなかなか面白い。
確かにそういうモノ言いをしてみて、電力会社がどう出て来るかというのは見てみたい気がする。
だが──。
おそらく、こういう案を出しても、原子力ムラは一切、受けつけないだろう。
なぜなら、廃炉にしたら原発を解体しなければならない。ところが、このコストがどの程度になるのか皆目見当もつかないからだ。
しかも、そこから出て来る膨大な放射性廃棄物の最終処分地はどこにもない。
だいたいが、この放射性廃棄物は万年単位での管理が必要だが、なにしろ原子力ムラの連中は、福島第一原発を襲った津波は千年に一度のものだから想定外と言っているのである。そんな連中が万年単位の安全など確保できるはずもないのである。というか、そもそも万年単位の管理が必要という時点で、小出助教がおっしゃるように、それは科学ではない(ところが、実際にはその研究にもジャンジャカとカネが投入されている)。
伊集院も言っているように、現状ですでにこのクソ暑い夏を乗り切れている。ということは、原発はほとんど必要ない。だが、これを停止したが最後、電力会社には天文学的な額の廃炉コストが降りかかってくる。
東京電力について言えば、さらに福島第一原発処理という天文学的額のコストがプラスオンされる。
もし、このコストが降りかかってきたら、電力会社はどこもかしこも大苦境に陥る。
それだけは自分たちの生きている間は避けたい。だったら危険だろうがなんだろうが、とにかく動かしちまえ。後世に生きる人たちのことは知ったこっちゃないというのが、原子力ムラの立場だろう。
要は、自分たちが見たくないものを見ないために、危険を承知で原発を動かそうとしているのである。
昨日は消費税増税の法案が可決された。
野田という日本の憲政史上稀に見るウソツキ男は、「孫子の代にツケを残さない」ための決断だという。
誰が信じるか、そんなこと(財務省 外国格付け会社宛意見書要旨)。
一方、原発は作って稼働してしまえば、万年単位のツケが孫子の代に必ず残る。しかも、事故が起きればさらなる悲劇が起きる。
誤解を恐れずに言えば、たとえ財政が破たんしても山河は残るが、原発が事故を起こせばそれも残らないのである。
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