退職後~私の経歴と今考えていること
昨日をもって25年間勤務した会社を早期退職した。
政局が緊迫していくなかで書きたいことはいくつもあったのだが、ここ最近は仕事の引き継ぎや挨拶回りなどをするだけで精一杯で、ブログを書く余裕がなかった。
しかし、これからは少なからぬ時間ができるので、できるだけ更新頻度を上げていこうと思っている。
そして現在進行形の政治やメディアの話と並行して、これまでの自分の会社員生活を振り返るエントリーも書いてみようと思っている。
ということで、以下、私の経歴と今考えていることを書きます。
私は1985年、東京都文京区にある光文社という出版社に入社した。
最初の配属はカッパ・ビジネス編集部(カッパ・ブックスグループの一部署)、その後、いろいろな組織変更があったが要するにカッパ・ブックスのグループの中でまずは15年間を過ごした。
ここで最初に担当したのが小室直樹氏であった。もちろん、この時には直属の上司(彼が小室直樹氏を世に出した編集者だった)について、いわゆるカッパ・ブックスの本作りのノウハウを学んだ。
その後、徐々に一人立ちをして、ビジネス書やハウツー本から一般のノンフィクションに至るまで、ほとんどありとあらゆる本を作った。
そして、当ブログに時折アクセスをしていただいている方からお叱りを受けることを承知で書けば、その中には小泉純一郎著「郵政省解体論」、「官僚王国解体論」という二冊も入っている。この二冊の本は、いずれも大した内容ではないが、しかしその後の日本の政治の流れに少なからぬ影響を与えたことも事実である。当たり前のことだが、これらの本ができた経緯について私は誰よりもよく知っているわけで、当時のことはこれから書かなければならないと思っている。
さて、入社から15年後の2000年、私は週刊宝石編集部に異動した。私たちの世代にとって週刊宝石は憧れの職場だったが、この頃には徐々に部数が落ち始めており、それが社内でも少しずつ問題になっていた。
しかし、私としてはやっと初めての異動を経験したことがとても嬉しかった。ただ、年齢がすでに30代も後半にさしかかっており、ここから週刊誌の生活をスタートさせるにはちょっと遅かったことも事実である。だから、週刊宝石では大した仕事はできなかった。
そしてこの2000年の夏、光文社では役員の改選があり、常務だった並河良氏が社長に就任した。この並河氏はJJ、CLASSY.、VERYという光文社の米びつとなる女性ファッション誌の創刊編集長で、その後、男性誌のBRIOの創刊編集長も務める。要するにファッション誌の天皇ともいえる存在で、その影響力は自分の担当分野以外にも広告部門にまで及び、その権力は絶大なものがあった。
そういう人物が光文社の代表取締役に就任して、「光文社はネットよりも紙媒体を中心にやっていく」と高らかに宣言して最初に乗り込んだのが週刊宝石だった。そして結局、週刊宝石は2001年1月をもって休刊になる。私の10か月あまりの週刊誌生活はあっけなく終わり、いいことはあまりなかった。ただ、一つの雑誌が休刊になる現場に居合わせるという、それはそれで貴重な体験をした。
その後、私は書籍部門に戻ったが、2002年の10月から広告部へ異動となり、昨日、早期退職するまでの8年弱、広告営業に従事した。
この間、広告営業の現場から目撃したのは、並河氏が自社の、まして自分が作った媒体の広告を含めた収益モデルをぶち壊していく姿だった。私なんぞは、高杉良氏の小説「濁流」で描かれた某経済雑誌の社長兼主幹にそっくりだなと思ったほどだ。しかしこれに対して現場の危機感は日ましに高まっていったにもかかわらず、社長に近い役職の人ほど何も言えなかった。逆らえば自分の身が危うくなることが怖かったのだろうが、それは私には不作為の罪にしか見えなかった。
一方、「並河改革」は書籍部門にも及んだ。カッパという名前が嫌いだったらしく、カッパ・ブックスというブランドは光文社から消されてしまった。光文社新書が創刊され成功するという慶事もあったが、しかし長年にわたって先人が培ってきたブランドを捨てる必要があったのかは大いに疑問が残る。
また、文芸部門に対しては、大きな収益源だった官能小説禁止令を出し、「芥川賞や直木賞作家を使え」という指示を出したという。だが、そんな路線が官能路線以上の大きな収益をもたらすはずはなかった。
そうして、まるで三光作戦のような経営を繰り広げた結果、光文社の屋台骨は揺らいだ。
ところが並河氏にしても、あるいはその指示を受けて動いた人たちにしても、誰一人として責任をとることはなかった。それどころか、並河氏の肝煎りで創刊した雑誌が大ズッコケをしても編集長は責任を取らされることもなく、むしろ出世していく。それは丸山真男が指摘するところの「天皇制の無責任体制」のようであった、、、
私は自分が長く勤務した会社が立ち直ることを強く願っている。だが、そのためには2000年から8年間続いた並河時代に何をどう間違えたのか、そしてその責任の所在はどこにあるのかをきちんと総括することが絶対に必要だと思っている。
そこで私自身が目撃したこの時代のドキュメントも折に触れて書いてみたいと思う。
ちなみにその話は週刊宝石休刊からスタートする。
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