広告には必ず意図がある
~ 私が「はてな」のタイアップ広告にこだわった理由
以下は、「ざまあみやがれい!」さんのサイトにコメントしたものですが、当ブログにも転載しておきます。
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大変に遅まきながら、津田氏が貴ブログに寄せられたコメントについて、私の感想をいくつか書かせていただきます。
まず、津田氏は、「僕も出版業界に10年以上いる人間ですし、PR記事に対してクライアントが口を出して、その指示に従わなければいけないなんてことは当然知ってますよ。」とお書きになっています。
私は出版業界に1985年から2010年の25年間いましたが(いまもその近くにおります)、広告というものに対する認識をきちんと得ることができたのは、最後の8年弱、広告部に勤務してからでした。
「PR記事に対してクライアントが口を出して~」とありますが、正確な用語を使えば、これはタイアップ広告です(媒体側制作する広告。これに対してクライアント自身が制作するのが純広告)。つまり完全な広告なわけで、そうであれば媒体社側がクライアントの意向に従うのは当然のことなのです。
タイアップというのは、その媒体のデザインなどを踏襲して一回限り作る広告です(純広告に比べて広告色が低く、読者や視聴者からスキップされにくいという特徴があります)。これは前述したように媒体社側が制作しますが、この広告制作過程では、純広告とは比べものにならないぐらい多くの地雷(トラブルの種)があります。
私もずいぶんとタイアップ広告に関わりましたが、打ち合わせから掲載まで、すんなり終わることはまずないのがタイアップ広告で、営業努力の結果、大きなタイアップが取れれば嬉しいのですが、いざ制作となると苦労の連続でした。
さて、そのようにトラブルの種があちこちにあるタイアップ広告ですが、その原因の一つに媒体社側の編集やライターの広告に対する認識が甘いという問題があります。クライアントが「こうして欲しい」と要求したことについて、「そんなことはできない」と編集側が突っぱねるのです。これはよくあるトラブルなのですが、なにしろ広告なので、基本的にクライアントの言うとおりにしなければなりません。当たり前のことですが、しかしそれで揉めることは実際に多いのです。
ところが、はてなは津田氏に対して「単なるPRにはしない。環境省と折り合いがつかなければ最悪の場合、記事をPRではない形にしてでも掲載する。折れないところは絶対折れないから協力してくれ」と言ったとのこと。
これは相当に問題発言で、本来、タイアップ広告を作る上で、媒体社が言うセリフではありません。
では、なぜはてなは津田氏にこのようなことを言ったのでしょう?
まあこれも「邪推」でしかありませんが、環境省といのうは、これまでのはてなのクライアントとは1ランクも2ランクも上の、第一級のクライアントです。そこから問い合わせがあった。たとえていえば、堤防でハゼ釣りをしていたら、いきなり竿先が曲がって黒鯛が食いついてきたようなものでしょう。
となれば、どうしてもこれを釣り上げたい。その条件が津田氏の起用だったので、口説きにかかったのだと思います(担当者は社内から、「絶対にこのタイアップをとれ」と言われたことでしょう)。
これに対して津田氏は「そういうことなら」と受けるわけですが、もしタイアップ広告というものを理解していれば、そんなセリフを真に受けることはないでしょう。
また受ける理由としてもう一つ、「正面切って取材依頼をしても断られるのが目に見えてい」て、「取材の過程でそこ(20km圏内)に入れるのは大きな意味があ」ったとのこと。
ここらへんは考え方だとは思います。
確かに正面切って取材を依頼すれば断られるでしょう。しかし、だったらゲリラ的に入っていけばいいわけで、現にそうしている人もいます。
かつて鎌田慧氏は期間工としてトヨタに入り、生産ラインの過酷な労働を自ら経験して『自動車絶望工場』という本を書きました。これについては、その取材方法がフェアではないなどという批判も起きましたが、しかし真実というものが用意された取材では見えないことも事実です。まして原子力というのはもっとも閉ざされた世界なわけです。
話を戻します。
繰り返しいいますが、これはタイアップ広告なので、その内容の良し悪しは別としてクライアントの意向が最優先されます。
「最終的に環境省が折れなければ、掲載しない、もしくは僕のブログで発表するというギリギリの判断をはてな側も覚悟してました。いろいろ直せって言われたところもありますが、直したくない場所、削れない場所は削らなかったので、ある意味では環境省が折れた部分もある、ということです。」
とのことですが、これは環境省が広告としてギリギリ譲歩できる線まで書きなおさざるを得なかったということでしょう。
ちなみに、環境省がここで広告として成立する線まで引かないのは当たり前です。なぜなら、この広告には税金が使われているのだから、環境省の意図する内容が成立しなければ、つまり税金の無駄遣いになるわけです(くどいようですが内容の良し悪しは別です)。
津田氏は「僕は環境省から直接ギャラをもらったわけではなく、その博報堂のPR業務に協力したはてなから原稿料をもらっています。」と書いています。
このタイアップ広告は環境省が博報堂を通じてはてなに発注しています。
したがって環境省ははてなとの間で合意した広告掲載料を博報堂に払い、博報堂はそこから代理店マージンを引いた金額をはてなに払います。はてなはそのなかから津田氏に対する原稿料を払ったのです。もちろん、はてなへの広告掲載料には原稿料の他に取材費も含まれています。つまり、はてなが支払おうがなんだろうが、原資は税金なのです。
ちなみに、およそどんなタイアップ広告であれ、クライアントが直接、原稿制作に関わった人にギャラを払うことなど絶対にありません。
たとえばファッション誌におけるタイアップで、カメラマン、デザイナー、モデル、ライターなどへのギャラは、すべて編集部が払いますが、そのカネはもともとはクライアントから入ってきた制作費です。
とここまで書けばおわかりいただけると思いますが、税金から掲載料をもらい、税金で取材して、税金で原稿料が支払われるタイアップ広告において、いざとなったら掲載しない、PR記事としてでなく掲載する、自分のブログで発表するなどという選択肢は最初からあり得ないのです。
はてなと津田氏が最終的に、想定した「最悪の場合」のケースを選択しなかったのは、要するにそんなことはできなかったということです。
さて、しかして、私は別に津田氏を批判しているつもりはありません。
誰がどんな仕事をしようが、それはまったく個人の勝手です。
では、何故にこんなことをつらつらと書いているかというと、要するに今回の津田氏の原稿は「広告」だということを言いたいだけなのです。そして、広告である限り、それはジャーナルとはまったく別のものなのです。
このコメント欄の2で「びとう さとし」さんが、
「広告記事と報道記事をわけて考えることが必要だと思いますよ。
新聞や雑誌などで「PR記事」と書いてあるのは、広告(記事です)。私がいた新聞社では、「パブリシティ」「パブ記事」などと呼んでいました。そこにジャーナリズムを求めるのは無理があります。報道記事ではありません。」
とお書きになっていますが、私もまったく同感です。
つまり、タイアップの内容がどんなものであれ、広告である限りはクライアントに必ず意図があるのです。それがどこにあるのか? それを読み取ること、あるいは読み取ろうとすることが大事だと私は考えています。
今、世の中には様々な情報が溢れかえっています。その中には、官がメディアに下げ渡した、いわゆる記者クラブの発表情報もあれば、広告とは見えない広告、パブリシティ記事など様々なものがあります。
受け取る側の読者は、単純にそれらの情報を真に受けてはいけないと私は思っています。この記事はなんなだろう、どういう意図があるのだろうということを考えながら情報を見ていかないと、なかなか真実というものは見えてきません。
津田氏が書いた記事についても同様です。読んだ人が、単に津田氏の書いた原稿を云々するのではなく、それが広告であることを認識し、クライアントである環境省の意図がどこにあるのかを読み取って欲しい。その注意を喚起したいがために、このようなことを書いてきたわけです。
以上、長々と失礼いたしました。
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