10月11日付日経夕刊 田中俊一のインタビュー記事を読む
社会人になって自分で新聞を購読するようになってからの履歴は、朝日→日経→東京である。
元々は親がずっと朝日だったので、自分も朝日を購読するようになった。
が、その後、朝日の、とくに政治面があまりにひどいので、1990年頃に日経に変えて、以後は数年前まで日経を購読していた。その日経も政治面はひどいものだったが、スポーツ面や経済面は気に入っていたことと、逆にひどい記事を読むとブログのネタになるということもあり、数年前までは購読していたのだった。
しかし、その日経も「西松事件」以来の小沢関連記事のあまりのひどさに見切りをつけてやめてしまった。
その後、しばらく新聞は購読していなかったのだが、やはり私のような世代は新聞を読みたい。そこでネットで評判の良い東京新聞を購読することにしたのが1年ちょっと前。
その東京は評判に違わず、とくに原発については連日いい記事を書いている(政治面、経済面は大したことないが)。私は東京新聞を読むようになって「新聞とはこれほど心穏やかに読めるものなのか」と思ったものだが、その一方、あまりブログを書く意欲も湧かなくなってしまった。
というのも、東京新聞のことはブログで多くの人が書いているし、facebookなどでも流れてくる。そうなると、これを読んでいるうちに、「ま、いいか」となってしまったのだ。
そこで、今月から再度、日経(※注)に切り替えてみた(w
久しぶりに読む日経はなかなかに面白い。スポーツ面、経済のちょっとした記事は相変わらず充実しており、一方、政治面にはレベルの低い「政事」記事が並んでいる。
そして、この新聞を見ていると、基本的に福島第一原発で起きた、史上もっとも大きな破局事故は、ほとんど過去のごとき気分になってくる(これは日本のマスメディアに共通するが)。
通勤電車の中で日経を読んで出勤するビジネスマンは、こうして日々洗脳されていくのだろう。
さて、前フリが長くなってしまったが、そんななかで一昨日と今日、気になった記事があったので、少々コメントをしておきたい。
まずは11日夕刊の「ニュースな人ヒト」という囲み記事。登場するのは「原子力規制委員会の初代委員長 田中俊一さん」で、タイトルは『「福島の声」胸に改革主導』(記事を書いたのは科学技術部の川合智之記者)
以下、全文引用はせずに部分部分を見ていくと……(以下、下線部はブログ主)。
福島県出身で、高校まで過ごした。山登りや魚釣りに明け暮れたふるさとの景色は、東京電力福島第1原子力発電所の事故で一変した。事故直後には原子力の研究者と連名で「国民に深く陳謝する」といち早く謝罪。以来、率先して福島県に入り、自らの手で除染活動を手がけてきた。
「今のような状態のままでは、原子力の再生は絶望的だ」。福島で被災した住民とともに除染に取り組む中で、そんな思いを強くした。「避難住民が帰ってこられる状況をつくり出さない限り、どう原子力政策を進めていいかわからない」と自問する日々が続いた。
この部分の後に出てくるが、この田中俊一氏は東北大学原子核工学科卒。つまり京都大学の小出裕章助教と同じで、経歴を見ると、卒業年次は小出氏の7年前ということになる。
その小出氏は、かねがね「除染」には基本的に意味がないことを警告してきた。
この田中氏は記者によれば、「静かな語り口の中に、原子力規制の改革をめざす強い意志がにじむ」のだそうだが、日本原子力学会長を務めたような人物が、除染などやっている場合ではない(もちろん除染も必要だが)。
そして、「避難住民が帰ってこられる状況をつくり出さない限り、どう原子力政策を進めていいかわからないと自問」したということは、避難住民のみならず、いまもなお「日本の法律に照らせば住んではいけない地域」(小出助教)に住んでいる多くの人びとを避難させるということは、頭から考えていないということだろう。
ちなみに、私が小出先生にお話をうかがった時、先生は「どんなにカネがかかろうとも、私はそれをやるべきだと思う」とおっしゃっていた。
事故を防げなかった規制行政の刷新という重い任務を背負った原子力規制委員会。委員長就任の打診には「正直断りたい気持ちもあった」というが、「背中を押してくれたのも福島の声だった」。
ふるさと福島の再生を願う気持ち、事故を防ぐことができず申し訳ないという反省――。「もう二度とこのような事故を起こしてはならない」。こう強く決意し、最終的に就任を引き受けた。
この記事の中には、具体的に田中氏の背を押した「福島の声」なるものは一切出てこないが、いったいそれはどういう「声」だったのか? 「福島の声」にもいろいろとあるだろう。「もう原発は一切勘弁してくれ」という声もあれば、「それでも原発を推進してくれ」という声もある。彼はそのどちらの「声」に押されたのかは、この記事では不明だ。
また、田中氏には「事故を防ぐことができず申し訳ないという反省」があるらしい。
であれば、本来、彼が真っ先にするべきことは、責任を取るということだ。
今後、この破局事故の影響は想像を絶するほど長く続き、百年、二百年後の人びと、いや千年後の人びとですらが、われわれの世代を恨むことだろう。
それだけの事故を防げなかった責任者が何も責任を取らず、規制行政の長に就任するというのは、およそ歴史の審判に耐えられないと私は思う。
まず「急務は地に落ちた規制への信頼を回復すること」と位置付け、委員会の運営はできるだけ透明性を確保するように事務局に指示したばかりだ。
規制委員会発足時に赤旗の記者の排除しようとした人物について、今ごろまだこんなことを書いているのだから、私は腰を抜かした。
・みんな楽しくHappy♡がいい♪
原子力規制委員会「会見赤旗排除」田中俊一と広報課長のとても見苦しい言い訳 9/26(会見内容書き出し)
まあ、結局、赤旗も会見には出られことになったが、上記のブログエントリーを読んでいただければわかるが、田中俊一というのは、つまりはこの程度の人物だ。
「いまこのときも放射線への不安に向き合って毎日過ごしている人がいる」。そんな福島の人々への思いを常に念頭に置きつつ、原子力規制行政の改革という大きな課題に挑む。「世界で最も厳しい規制にする」のが目標だ。
もちろん、福島の人々の放射線への不安は大変なものだが、しかしそうした不安を持っているのは福島の人びとだけではない。関東や東北の少なからぬ地域でも放射能への不安を持っている人は多く、実際、「日本の法律に照らせば住んではいけない地域」はある。
そういう事実をサラリとスルーすることろに、この記事(記者)の意図が透けて見えてくる。
ということで、この記事を書いた川合智之さんへ。
このような記事を「提灯記事」といいます。
さて、次に本日の日経の記事に触れようと思ったのだが、長くなってしまったので、それは次のエントリーで。
なお、上記の最後の下線部部分は、次のエントリーとも関連します。
※注
ただし電子版のみ。これがしかしなかなかいい。iPadで読むと文字を拡大できるし、気になった記事はメール送信をできる。また、私の住む地域は13版なのだが、電子版は当然ながら最終の14版だ(スクープは最終版にしか掲載されないので、これまで自宅で読んだ日経と、会社で見た日経の1面トップが違うということが時々あった)。
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