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2012/08/18

「週刊新潮」の「報道ステーション記事」を考える

先週発売の週刊新潮に『「テレビ朝日」看板番組の裏の顔 「報道ステーション」は闇金融に手を染めた』という記事が掲載されている。今週はお盆休みで週刊誌も休みなので、現状では最新号である。ちなみに、週刊誌は2週合併号となった場合、通常の号よりも発行部数を何割か上積みする。そういう部数の大きい号での「報道ステーション」ネタに私は「おっ、来たな」と思った。

ちなみに私は「報道ステーション」を日常的にはまったく見ていない。ただ、この番組が原発に対してそこそこ真っ当な立場で報道していることはネットからの情報で知っており、該当する部分の動画がアップされると削除される前に見るようにしている。
「このぐらいは最低限、報道しなければダメだろう」というぐらいの内容だが、マスメディア総崩れ状態のなかにあっては、残念ながらこの程度でも貴重な存在だと言える。

その「報道ステーション」が「闇金融に手を染めた」という。何事かと思って記事を読んでみると、要は『「報道ステーション」の制作会社(古舘も役員をつとめる古舘プロジェクト)の社長が闇金融に手を染めた?』という内容で、そこから「制作会社の社長」と「?」を取ってタイトルにしているわけだ。
古舘プロジェクトの社長が10人ほどの人にカネを貸していて、貸金業法違反の可能性もある。もし本当にそうであれば、これは闇金融だというのである。話にすればそれだけなのだが、前段ではさまざまな関係者のコメントを駆使して、この社長が怪しい人物であるということをこれでもかと印象づける。その中には「闇金の帝王と呼ばれている」とか「出資法違反の法外な金利で貸している(=闇金融のイメージ強調)」というコメントもある。
だが、実際にこの社長に取材すると、至極真っ当な金利で貸していることが判明。また人数も10人ほどで、これが「闇金の帝王」という立派な呼称に値するかは微妙なところだろう。
つまり、あとはこの社長の行為が貸金業法違反かどうかの問題で、それが立件され有罪の判決が出れば罪となるわけだが、『「報道ステーション」は闇金融に手を染めた』というタイトルは、現時点での真実とはかけ離れた事実のつぎというしかない(それが週刊新潮の伝統的な編集テクニックなのだが)。

ところで週刊誌という媒体は記者クラブメディアでないことはよく知られている。それが「週刊誌のジャーナリズムはゲリラ」と言われて評価される所以でもあるのだが、本当にそうなのだろうか?
その話をする前に、週刊誌がどのように作られているかをちょっと説明しよう。

週刊誌という組織のトップはもちろん編集長である(その上に発行人がいるが)。編集長の下に複数の班があるのだが、これは雑誌の「折」によって分かれている。一般に週刊誌というのは、グラビアがあり、ざら紙の記事ページがある。グラビアの中にもカラーとモノクロがあり、モノクロはニュースに対応する。記事ページも「折」によってその役割が異なり、外側の折(週刊誌の最初と最後のニュース記事部分)は締切時間がもっとも遅い。そして内側に入っていくほど締切が早くなり、そういう部分には連載モノが入る。
そしてこの折ごとに班があり、担当デスクがいて、その下に編集者いる。さらに各班にぶらさがった形で記者がいるのだが、社員なのは編集者までで、記者は契約である。
週刊誌の場合、取材をするのはこの記者で、記者がネタを編集に上げ、そのなかから「ゴーサイン」が出たものを取材して記事にしていく。

ではその記者はどこからネタを拾ってくるかといえば、これはもちろん一人ひとりがさまざまなネットワーク、ネタ元を持っているわけだが、たとえばニュース班の記者であれば、やはり重要な情報源はクラブ所属の記者ということになる。つまり、記者クラブに属さない週刊誌といえども、クラブと無縁でないのであって、いざとなれば権力が情報をコントロールすることは十分可能なのだ(先日、当ブログで読売新聞政治部著による『民主党 迷走と裏切りの300日』という本を紹介したが、この本の版元は新潮社だ。しかも読売新聞政治部による本はこの他にも数冊あり、こういった点からも、たとえば読売の政治部と新潮社の関係がうかがわれる)。

まあ今回の記事のネタ元が誰で、どんな経緯で掲載されたかは知る由もないが、しかしここ最近の報道ステーションの原発報道をふり返ってみると、やはり何かしらの「意図」を感じずにはいられない。そこで、以下に私の推測を週刊誌風に書いてみよう。

********************
原子力ムラの虎の尾を踏んだ? 古館伊知郎

いま売りの「週刊新潮」に『「テレビ朝日」看板番組の裏の顔 「報道ステーション」は闇金融に手を染めた』という記事が掲載されている。なんともはや、おだやかでないタイトルだ。早速、その裏を追ってみた。
「古館が虎の尾を踏んだんですよ」と声を潜めて話してくれたのは、テレビ朝日に近い関係者。
「報道ステーションは視聴率もいいし、バックに権力べったりの朝日新聞がついているから、内容も何の問題もなかったんです」
ならなぜ、今ごろ、こんなネタが出てきたのか。関係者が続ける。
「古館の原発に対するスタンスです。とくに福島第一原発については収束したというのが業界の一致した報道基準。もはや過去の話であって、大々的に報道する必要はない。むしろこれからは、広告復活に向けて電力業界と一致協力するというのが放送関係者の基本路線です。ところが古館が妙に原発に対して突っ張り始めたので、局のトップも心配していました……」(前出・関係者)
確かにここのところ、古館は原発に対してマスコミ的には尖ったコメントをし続けていたが、その発端となったのは、今年3月11日に放送されたスペシャル番組だった。古館はその中でこうコメントしたのだ。
「原子力村という村が存在します。 都会はこことは違ってまばゆいばかりの光にあふれています。 そして、もう一つ考える事は、地域で主な産業では中々暮らすのは難しいという時に、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。その根本を、徹底的に、議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを強く感じます。 そうしないと今生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の報道ステーションの中でそれを追求していきます。もし圧力がかかって番組を切られても、私はそれはそれで本望です。」
ここから「報道ステーション」でマスメディアとしては“異例の”原発報道が始まった。これに対しては、テレビ朝日の中からも心配する声が上がったという。語るのは広告関係者。
「あの古館発言は禁句です。そもそも原子力ムラの中にはマスメディアも含まれていて多額の広告費が流れていました。3.11後もその流れはまったく変わっていません。にもかかわらず、その秩序を乱すのは、まさに虎の尾を踏む行為です」
一方、こんな見方もある。
「それでも最初のうちは容認されていたのです。あまり踏み込みさえしなければ、この程度の番組はむしろガス抜きになるという見方もありました。ただ、ここへきて首相官邸前での脱原発デモの規模が大きくなり、全国的な広がりを見せ始めたことで原子力ムラにも危機感が募ってきました。その流れで「報道ステーションもそろそろ叩いておかないと」ということになったんでしょうね」(放送関係者)
では報道ステーションはどうなるのか?
「週刊新潮はもともと権力にもっとも近いメディアで、これまでも反原発運動などを叩いてその見返りに広告をもらってきました。新聞や放送とはまた違った役割を持った権力の別働隊です。今回は原子力ムラがそういう雑誌を使って『これ以上やったら許さないよ』というシグナルをテレビ朝日に対して送ったのでしょう。もちろんそのことは番組関係者だってわかっています」(雑誌関係者)
今後の報道ステーションに要注目だ。
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マスメディアの今日抱える問題点を30年以上前から鋭く指摘していた丸山邦男(政治学者・丸山真男の実弟)著『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』(1976年創樹社)は、志木電子書籍より好評発売中です。本書の中には「“新潮ニヒリズム”の正体」という章もあります。

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コメント

「にんげんどうし」

今日の「ぼちぼちいこか。。。」さまのエントリーをご紹介します

>8月20日 去年の動画ですが・・・
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3528399.html

政治的・経済的なことでぶつかっていても、いざ向き合ってみると人ってこういうことができてしまう。その壁をひょいっと超えてしまったりできる。

去年の動画ですが、今だからこそご紹介させていただきます。

動画のURL
>>http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=kXqWJNOAX8M

彼の行動力に感服します。

失礼します。

投稿: 通りがけ | 2012/08/21 17:37

「地位協定スパイ霞が関役人の国家反逆領土重大刑事犯罪(内閣国会議員全員共謀共同正犯)」

領土とは海抜ゼロメートル以上の土地の面積です。

昨年4月に霞ヶ関直属国家公務員による憲法三権分立規定上国家反逆罪と等価の赦しがたい越権職務怠慢公金(国家予算)横領犯罪がありました。

311大地震で東北太平洋側沿岸部各所に大規模な地盤沈下を生じ日本領土の国土が海没減少しました。
国交省の役人はただちに海岸線の精確な再測量を行い政府へ領土の減少量を迅速に報告公表しなければならなかった。現在の航空衛星写真技術をもってすれば地震直後から非常に精確な測量が簡単にできます。
しかるに岩手宮城福島県の迅速な再測量を行う公務執行責務を有する国交省の担当役人は、「各県への国交省地方交付金基本額は県域面積に比例配分各県交付されており、3月内に再測量すれば4月から国交省予算交付金額の面積減少分減額交付が避けられないので3月内にはあえて再測量(やればすぐできるけど)しない」と大臣名でなく(当時は誰だったかな前原かな)自分の役職名で新聞発表しました。このため4月からの予算執行は本来厳密に為されなければならない減額措置が行われず予算満額執行された。

そもそも予算の金額は国会の承認を得た金額が1銭の間違いもなく役人によって執行されなければならない。この役人は職務怠慢の理由として「被災地が復興のために大きな予算措置が必要なとき交付金を減額するにしのびないので(やればすぐできる以上すぐやるべきだった)再測量を行わないと自分の判断で決めた」と述べ、故意の確信犯で県域面積を過大に捏造報告して交付金予算を水増し請求し憲法上許されざる役人越権裁量で予算横領執行した刑事汚職犯罪を自白したのである。特捜部は直ちに国交省へ捜査にはいるべし。

時の官吏の長国交大臣も、また本来予算を決める憲法上唯一の権限者国会議員も、この国交省直属公務員の汚職刑事犯罪を今に至るまでまったく糾弾告発していないのはどうしたことか。無知なるがゆえならば全員国会議員も大臣も失格罷免相当であり、知りながら黙過したならば全員共犯で刑事有罪公民権五年停止である。時効はずっと先である(あるいは重大事犯だからないかも)。

納税者主権者国民として国会議員と政府に説明責任を果たすよう求める。果たさなければ共犯として刑事告発を免れられないよ。

投稿: 通りがけ | 2012/08/21 01:47

「すべての声は訴える」

戦争と原発事故は人災の極致でありともに地球に対する最悪の犯罪である。すなわち核兵器と原発は同じものである。

峠三吉は36歳で死去したがこの世の戦争のすべてを見通して子供たちのためにこの詩を遺した。

この詩に書かれた自分の物欲や征服欲支配欲を満たすために戦争を起こして他人を殺戮することを何とも思わない人間と呼ぶに価しない人間以外のこのようなものたちをこれ以上この世に作り出さないために、

「すべての声は訴える」を全世界の子供の教科書に掲載しよう!

すべての子供たちを心正しく育てることこそが人間に天与された使命である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして「すべての声は訴える」

まず東電管理職吉田福一原発所長は現場最高責任者として冷却停止直後に最優先で消防署へ住民待避要請を出さねばならなかった。
菅総理は国の最高責任者指導者としてただちに放射能非常事態宣言を全国民に対して発令しなければならなかった。

この二つの大罪は懲役数十万年に相当する地球への破壊テロ犯罪である。

余の者米軍国会議員霞ヶ関全省庁奇形司法NHK電通記者クラブマスゴミはすべてこの戦争非人道犯罪と同じ棄民テロ犯罪の国内証拠隠滅犯行にかかわっており共謀共同正犯である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ee0b.html

投稿: 通りがけ | 2012/08/20 09:44

「すべての声は訴える」を全世界の子供の教科書に掲載しよう!

   こどもの原爆被爆体験詩集『原子雲の下より』の序文に寄せて
       峠 三吉 
   (未発表遺稿から下関原爆展事務局書き起こし文に≪加筆≫)

////////////////////////////////
すべての声は訴える


青空に雲が燃えていたら
アスファルトの道路が 熱気にゆるんでいたら
雑草や埃(ほこり)の匂いが風に立ちこめていたら
戦後七年
決して明るくなってゆかぬ生活の疲労の中で
広島の人々は
ふとあの悲惨な日々の感覚に打たれることを
炎の中の瓦礫(がれき)の下の呼び声に憑(つ)かれることを
訴えどころのない憂憤(ゆうふん)に ひそかに拳をふるわして耐えていることを
此(こ)の詩集を手にするあなたに知ってもらいたい

それは決して遠い記憶ではない
今、眼に映っている対岸の建物の壁が
突然破れ、瓦がはげ落ち
頭脳の奥で閃光(せんこう)がひらめいても
それは決して新しい事件に遭遇(そうぐう)したのではなく
それは
自分の生きようとする正しい力が
何か巨大にして非人間的な圧力によって
遂(つい)にうち負かされてしまったのだ という絶望感で
受けとられるものにちがいない

此の詩集を読もうとする多くの人に知ってもらいたい
広島の、そして長崎の人間は
原爆の炎の中から脱出して起ち上がろうと努めつつ
その意味する欺瞞(ぎまん)的な力の中で
まだ必死にもがいている
もがいていながらも
私たちは
あの炎と血膿(ちうみ)のしみついた皮膚の感覚で
愛する妻子や父母を茸(きのこ)雲の下で見失った
涙にまみれた体で
今はもう知ろうとしている
原爆を戦争に直接関係の無い老若男女の日本人の上に投下し
その後にわたってその所有を独占しようとし
その脅威(きょうい)をふりかざして
世界を一人占めにしようとして来た意志
日本が侵略されるという囁(ささや)きを吹き込み
再軍備にかり立て
そのような政策に反対する国民の口に破防法(はぼうほう)という
猿ぐつわを噛(か)ませる意志が
すべて一つのものであるということを
もうはっきりと知ろうとしている
そして
此の詩集をお読みになるあなたも
きっと知るにちがいない
私たちが一個の人間として
正しく幸福に生きようとするねがいを
何時(いつ)の時代でも 常にはばんで来たものがあったとすれば
その力こそまさに此の暗い意志であり
その権力こそまさに
私たちを戦争にひきずりこむものであったということを

噫(ああ)そして 私たちは知ることが出来る
世界最初に原子爆弾を頭上に落(おと)された日本人だという
黄色い皮膚にかけて
漆黒(しっこく)の瞳(ひとみ)と流れる黒髪にかけて知ることが出来る
今はもう
戦争を、その物欲と権力保持のために欲(ほっ)する
一握りの、人間と呼ぶに価(あたい)しない人間以外の≪ものたちへむけて≫
世界中の
真実と労働を愛するすべての人々と共に
腕を交(く)みあって
平和へのたたかいを進めてゆくことこそが
私たちの正しく幸福に生きようとする
人間としてのねがいを
達成(たっせい)する唯一(ゆいつ)の道であるということを
私たちは日本人として
植民地支配に苦しんで来た
アジアの人間として
知ることが出来る

そのために
そうだ、それを信じるために
多くの語り難(がた)い苦痛を越え
多くの語ることによる危険をしのぎ
老人も主婦も、未亡人も、青年も
又、勇気ある教師にみちびかれた子供達も
すべての人々が
血と涙にいろどられた叫びを
此の詩集に寄ってあげているのだ
どうか
此の信頼と愛が
戦争を憎み 原爆を呪(のろ)う無数の声の中で
大きな稔(みの)りを持つように
その声の底にかくれつつ 永遠に絶(た)ゆることのない
地下からの叫びが
生きている私たちの力によって
癒(いや)されるように!
原爆が再び地上に投ぜられることなく
原爆を意図するものが 世界中の働く者の力によって
一日も早く絶滅されるように!
此の詩集はそのためにあなたにおくられるのだ

一九四五年八月六日、午前八時十五分
広島に世界最初のウラニュウム二三五爆弾が投下され
九日 午前十一時
長崎にプルトニウム爆弾が投下された
広島では全人口四十万のうち
二十四万七千の生命が奪われた
軍事的には
勝負をそれのみで決しうるほどの力はでないといわれる
原子爆弾が
なぜこのような悲惨な現実を呼び起こしたか
落とされた広島は
無防備の市民の上であったし (長崎では市街に近い宗教地域の上であった)
落とされた時間は
市民をまるで屠殺場(とさつじょう)のように中心部に集めていた
それらはすべて
見事に計画されていたといえる
あの茸(きのこ)状をした雲の下には何があったか
そこにあったのは
疎開(そかい)できぬ児童を集め、あるいは勤労奉仕に生徒を集めた学校、陸軍
 関係のみでも五万人の患者を収容していた病院、青年の出払ったのち堆積(た
 いせき)する事務に追われていた官庁、銀行、聖戦の勝利を祈らされていた教会
 、主人をとられ主婦と子供で守っていた商店であり
それらはすべて破壊されたが
炎の海の外側にあった
多くの軍需工場は
 (三菱造船、三菱重工、旭兵器、日本製鋼、兵器被服廠-西条・八本松へ疎開
 -東洋工業、油谷重工等)
窓、扉、天井が破壊された程度で
殆(ほとん)ど無傷であり
国鉄は三日間でその機能を回復した実状であった
その炎の海で死んだのは
勤め人、学生、小児などの老若(ろうにゃく)市民であり
兵隊にしても
すでに出しつくされたあとの力弱い兵隊であった

一九四五年の春から夏にかけて
日本中の都市が夜毎(よごと)に焼きつくされる
戦争の炎の前で
広島はあわれな生きもののように顫(ふる)えつづけていた
今夜こそ危ない
今夜こそ焼かれる、という噂(うわさ)
あるいは広島は水攻めにするのだというような噂によって
夜闇(よるやみ)にまぎれては逃げようとする市民、橋の畔(ほとり)にひかえて
 逃がすまいとする軍や自衛隊≪原文まま≫
飢えた隣組(となりぐみ)の行列の間(あいだ)を
野菜を満載した軍のトラックが走りすぎる混乱の中で
河が白く埋まるほど、七月末 空から撒(ま)かれた七種類のビラには
原爆の廃墟(はいきょ)と同じ絵が描かれてもあったが
すでに疎開のすべはなく(そのビラを持っていると死刑にすると脅され、警察が
 人をやとって船を出し、拾い上げて焼却させた)
それでも五日の夜、広島をいよいよ焼き払うと
ビラが落とされたという
二、三日前からの噂によって
市民の多くは周辺の山や畑に逃(のが)れ、濃い闇空の銀河のもと
不安な一夜を明かした
夜半、豊後水道より広島湾上空へ
二百のB29は侵入し旋回数十分 広島を襲うと見せて
突然進路を西南方へ変え
光市の方面へ飛び去った
明け方 空襲警報は解除され
県内に侵入している敵機は四機、そしてやがて離脱したと
ラジオは報じ
七時五十分、警戒警報も解除された
この時、市民はB29の爆音をきいたが
黒めがねをつけた米人の乗員が
人類の恥辱(ちじょく)をのせた三機によって
高々度より侵入しつつあった事を誰が知り得たろう
そして今夜も無事に済んだとほっと安堵(あんど)した人々が
家に帰り、急いで朝食を済まし(朝食の炊事の火はまだ消えるほどの時では
 なかった)
出勤者は仕事場へ、学生、生徒は学校から作業場へ
隣組は市の周辺町村から市の中心部へ
畑仕事をやめて松根掘りに日をあかしていた郡部からの義勇隊もそれらと一
 緒に市の真ん中へ・・・・・・
それは統計ではかり出したように
一日の中で最も多数の市民が屋外に溢(あふ)れている時間であった

此の広島という都市の、雛鳥(ひなどり)のような中心部
この選ばれた時間
広島はどんな無心な表情をしていただろうか
爆心直下の広島中央郵便局では(本局とよんでいた)
丁度(ちょうど)夜勤と日勤者の交替時(どき)にあたり
全員六百名が 古めかしい煉瓦(れんが)造りの建物内に充満し
一人の老小使いのみが
玄関わきの塵溜(ちりため)にごみを捨てに出ていたところだった
七、八百米(メートル)東北方の練兵場では
丁度その朝入隊した男たちが(中年の兵隊か一度病気で帰り再度招集された
 ものたちであった)
軍服をつけて整列し
見送りの家族が旗などをもって
名残(なごり)を惜しんでいる時だった
千米はなれた県庁では、防空当直二百名が帰宅し
他の庁員が出勤し
動員学徒の少女たちが掃除バケツをもって廊下を
歩いていたとき
約千五百米の市役所裏 雑魚場町の一帯では
県立高女、県立一中、私立二中、女学院高女、女子商業、その他の一、二年
 生が教師に指揮されて疎開家屋のあと片付けに
とりかかっていたところ
又同所、あるいは同じ距離の土橋町一帯では市近辺よりの隣組、義勇隊の老
 人や子どもを背負った主婦たちが
同じ仕事にとりかかろうと集合して汗を拭(ふ)いていたときだった
二千米はなれた横川町の狭い商店街は郊外より
市内へ出勤する人の群(むれ)で埋まり
三千米はなれた家庭では作業へ、あるいは職場へ
家族を送ったあとの年よりが幼児が
朝食のあと始末に働こうとしていた

ああ そのような
戦争の末期の不安のなかで
常に天皇を頭(かしら)とする権力者たちの意のままに
父や夫や息子をさし出し
ダイヤも金も、あらゆる財産を投げ捨て
ぼろをまとい大豆を囓(か)じり野草をたべながら
従つてきた国民が
その愚かなほどに無心の表情を
八月の青空にむかって曝(さら)していたとき
TNT二万トン爆弾より強力な
グランド・スラムの二千倍以上の爆破力を有する
そしていまや
太陽の力が源泉となる勢力が(八・六トルーマン声明)(二〇〇〇呎(フィート)
 直下の温度は摂氏三〇〇〇~四〇〇〇度-ロスアラモス科学研究所「原子
 兵器の効果」より。トルーマン大統領がいかにもやさしくヒルダと呼んだ)
上空五百米(メートル)に於いて放射されたのである
大部分の子供達が此の詩集の中で
「ピカッー」と光ったという印象を伝えているほど
この時の光線の印象は強烈なものであり
体験者たちは
赤・紫・白・黄・紺色・橙(だいだい)色だったと様々な感じを伝えているが
その強烈な光りは
それを直視したすべての人の視力を奪い
その瞬間から広島の悲劇は始まったのである
中央郵便局は未曾有(みぞう)の衝撃を真上から浴びて瞬時に倒潰し全員死亡
老小使いのみ一人生き残っていたが二、三日後に死亡し
練兵場の一隊は全部赤剥(む)げになったり
半裸で作業中の兵隊はみじめであった
真黒く炭化したりして散乱した(軍関係の死亡者は一二五、八二〇人と算出され
 ている)
県庁で圧殺(あっさつ)をまぬがれた人々は水を求めて河岸へ
いざり寄り
万代橋の西詰では二日後まで死体の山が
河底から土手より高く重なって盛り上がっていた

疎開家屋のあと片付にとりかかっていた中学校、女学校の
下級生徒たち、又それを引率指揮していた先生たちの
最後の模様をどのようにつたえたらよいだろうか
思い思いの服装に新しい麦ワラ帽をかぶったり
歌を唄いつつ友人とふざけあったり 作業場に到着した
すべて十三、四才の少年少女たちが
突然の(不意の)閃光に出あい 打ち倒され
煙のはれ間やっと起き上がったものは
すでに花のようなもとの姿は奪われて
頭髪は焼け、前日に黒く染めた着衣は焦げ飛び、皮膚は剥(は)がれて肉が露出
 し 顔はふくれた
降(ふ)りくる石や材木に打たれた傷は石榴(ざくろ)のように口をあけて
その場で死んだものの骨、水槽の中に教師に抱かれて死んでいる死体
母を呼び 教師を呼び
歩けぬものは腹這(はらば)って比治山方面へ逃れて行く
土橋方面の隣組は多くが火傷(やけど)の傷手(いたで)と焔(ほのお)に追われ
天満(てんま)川に這い降りて水に流されたらしく この辺りの消息はよくわからない
家庭の悲惨も同じであった
瞬時に倒潰(とうかい)した家屋の間から 焔に包まれる最後まで
助けを求めて掘られた腕(倒壊した家の下敷きになった子供を救ってくれと哀訴(あい
 そ)する母親の必死の顔付(かおつき)は、長く忘れる事が出来ない)
熱いよう熱いようの 細々とつづいたよび声は遂にとだえても 助けの力を得ることなく
広島全市が焼けはてて骨となっても
骨のひらい≪拾い≫手さえ帰って来ない
此の時 たつ巻をよび風をつのらせる炎の上、市の西北一帯に真黒い豪雨が降り
己斐(こい)の山上にしばらくかかっていた虹の色は生き残った人々の記憶につよく
 残っている

夜に入っても全市の炎は明々(あかあか)と空を焦がしている
このとき市の周辺の町村の
病院、学校、お寺、個人の家などには
逃れてきた人々が折り重なって倒れ
次々と口鼻から血を吐いて死んでゆきつつあった
 (義勇隊を送った部落は軒並(のきなみ)に二人、三人死に、探しにゆく。葬式を出す。
 怪我(けが)をして帰ってくる割当の罹災者はなだれこんで眼も当てられぬ光景)
看護の婦人会など夜になると恐怖のために逃げ帰る程だった
こうして即死したものは骨とドクロになり(一中の焼跡にはドクロが机の配列の通りに
 並んでいて手に取ろうとすると灰となって崩れた。中心部では骨も何も無い)
火傷のものは一週間から八月中旬までの間に
膿(うみ)と蛆(うじ)にまみれたまま次々と死に
九月頃 無数の蝿(はえ)が発生した
八月二十日頃より原爆症が始まった
体に無疵(むきず)のものが髪がぬけ 急に下痢(げり)、嘔吐(おうと)、発熱し
口からの出血は止まらず 全身に斑点(はんてん)が現れ死亡する
この手のほどこしようもないこの症状が
生き残った人々の上を襲った(ひどいものは白血球が五百まで減少した。健康体で
 七千~八千、一千以下では生命が危ない)
薬品類はすでになく
栄養を、新鮮な果物を、といってもこの時国民の誰が
それらを手にし得(え)よう
このような時でさえ一部の病院では
金のあるものは あたう限りの治療をうけ
身よりも金もないものは形ばかりの治療で放置された
そして一方火傷の人々は
幾度(いくたび)皮膚が貼っても又その底からの膿(うみ)で破れ
その苦痛は自殺を欲(ほっ)する苦しみ

このような中で死ぬものは死に 残るものは残ったが
戦後七年間の歩みの中で
この原爆の影響がどのように尾をひいているか
東雲(しののめ)付中≪附属中学≫で生徒たちに「生い立ちの記」を書かせたら
殆ど全部のものが原爆のことにふれていたというほど
広島の人々の間にしみ通っている原爆が
ケロイドにより原爆症により いかなる被害を及ぼしているか
広島の中心地にいる人は体験者が殆んどいない、
それは大抵(たいてい)の家が一家全滅してるからだ
あの驚きのために気のふれた(健忘性失語症)子供
馬鹿になった(記憶喪失)青年
治療ののぞみない体に絶望のあまり自殺をしようとするもの
それらの悲しみと苦悩は
すでに今迄(まで)の年月の間で耐ええぬものは死に
耐えうるものは踏みこえて来たものの
顔面のケロイドのために平常は家にひきこもり、八月六日の命日のみには
爆心地の供養塔に参りにゆく姿の見られる娘さんたちの
胸に秘めた涙は何によって慰められる事が出来よう
又 詩の中にもかかれているように 禿(はげ)よ禿よとけいべつされる
子供たちの悲しみを誰が癒(いや)してやれようか
しかも 七年たった
現在でも尚(なお)、「原爆の子」の伊藤久人君が今春死亡したように
原子爆弾症は継続して起こりつつあり 戦後現在まで
全く何ともなかった者が急に白血球の減少 又は急増(きゅうぞう)を来(きた)
 して死に瀕(ひん)しつつあること
又 遺伝的悪影響が科学者(ハックスレ-)によって説(とな)えられ
ワシントン二二・三・十六発AP共同は米陸海軍軍医ならびに
科学者からなる原子爆弾の被害調査委員会が、広島および長崎の爆撃生存
 者について医学的調査をつづけて来たが、二十六日生存者の間から数名の
 奇形児が生まれたことを発表した。但し原爆が直接の原因であるとの確証は
 まだあがっていない(毎日三・二八)
と報じられるようでは
一体どうなるであろう
そして又 それらはすべて治療の方法がなく、その見通しさえないとしたら
又落(おと)された時どうなるのであろう
原子爆弾の使用されぬことを
再び戦争の起こされぬことをねがう必死の声は
この苦悩の中から叫び出されているのだ

一九四五年 ドイツの降伏後三ヵ月でソヴェートは日本に宣戦すると決まった
 ヤルタ会談が二月に終り、四月一日米軍は沖縄に上陸
同≪四月≫五日小磯内閣は退陣
同日モロトフ外相が、日ソ不可侵条約の不延長を通告して来た
五月八日ドイツはついに無条件降伏をしたが
ソヴェートの戦力消耗を待つように、第二戦線の形成をおくらし≪遅らせ≫て
 いた米英がスターリングラードの反撃より急に赤軍が攻勢に転じると、作戦
 上の無理をおしつつ イタリーやノルマンディーに上陸し、ベルリンの争奪戦
 が行なわれる
そのような中で
日本の戦力もすでに打ち滅(ほろ)ぼすべき敵ではなく
早く飼いならして次の相手に
使用すべくねらわれていた
然(しか)も日本の財閥と軍閥はそれを知って、国民を本土決戦の叫び声の中
 においやりながら(君が代をうたい、「日本は勝ちますね」と先生に死の前に
 ささやいた女生徒〈進徳高女〉のようなものはどこにでもいた)
天皇制を保持(国体ゴジ≪護持≫)しながら戦争を終えるケイキ≪契機≫をつ
 かもうとねらっていた
二人の客に媚(こ)びを売る女のように
前総理大臣広田をソヴェートに当たらせ
横浜銀行スイス代表者にアメリカ実業団との交渉をさせようとした
六月二十一日 沖縄での日本軍の組織的抵抗は終り
七月十六日 ニューメキシコで世界最初の原子爆発が行われた
その翌日ポツダム会議開催
二十六日同宣言発表
すでに八月八日にソヴェートが対日宣戦布告するのは明瞭であるし
そうなれば赤軍がいかに短時間で日本に到着するかは
充分予測される
このような中で
「何故原爆を使用するなら、連合国主催の実験でその威力を示しその基礎に立
 って日本に最後通牒を発し、責任の負担を日本人自身にゆだねなかったか」
といい
この詩集の中で子供たちが
「なぜ広島に落したか」と責め
「どうせ落るなら砂漠におちろ」とうたっても
「もし原爆投下の目的がロシアの参戦前に日本を叩(たた)き潰(つぶ)すことに
 あったとすれば、ないしは少(すくな)くともその目的が日本の崩壊(ほうかい)に
 先立つロシアの参戦をして名ばかりの参戦に留(とど)まらしめることにあったと
 すれば・・・・・・」
そのようなことは時間的にも
又そうでなくとも考えられなかったのである

こうして八月六日、広島の上に原子爆弾一号は投下された
そうして八月九日、ソヴェート軍が満州国境より急速力で
南下しはじめた朝、長崎に二号が投下された
かくして十四日
日本はポツダム宣言を受諾(じゅだく)し
終戦の詔勅(しょうちょく)が出された
その中で天皇は
「加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所 真ニ
 測ルヘカラサルニ至ル」といわれている
K・T・コムプトン博士は「原子爆弾の使用がアメリカ人、日本人の数十万-おそらく
 は数百万の生命を救ったという確固たる信念をいだくに至った」
とのべ
とにかくこれによって
日本は降伏し 米国は一挙に日本を占領し
日本の天皇と財閥、軍閥はその力を保存したまま国民の前に
戦争をやめるいいわけを得たかたちとなった

そうしてこのことがその後(のち)効果をあげるために
どんなに言いひろめられたかを見るのは興味深い
先ず 原子爆弾の絶対的な威力をつたえる言葉が流布(るふ)された
「この威力 正に火薬二万トンに匹敵」(中国二〇・八・一五)
「今後七十年は棲(す)めぬ-戦争記念物広島、長崎の廃墟-」(毎日二〇・八・二四)
「死者なほも続出」(朝日二〇・八・一三)
「広島の被害世界一」(中国二〇・九・四)
そして永(なが)く原爆のことを書くことが禁止されていた
この恐怖とともに
原爆こそ日本の救い主だった、感謝すべきだ
原爆は平和をもたらしたものであり、広島の犠牲者は
平和のための殉教者(じゅんきょうしゃ)のように扱われ、家族を失った人々は
それをもって諦(あきら)めようとした
諦めさせるには広島が真宗(しんしゅう)の伝統的地盤であるということは
もって来(こ)いであったし
長崎もカトリックの地盤、しかもわざわざ信徒たちの居住地の上に落としたのも
 意味のない事ではないと思われるのだが(医科大学、養育院、天主堂のある
 町はずれの地区)
かくして「ノーモア-ヒロシマズ」が叫ばれ
片方でアメリカを美化し
片方で広島では平和を売り物にすることとなった(広島平和記念都市建設法案が
 二四年めでたく議会を通過する)
毎年の八月六日 爆心地の平和塔の前で市が主催する平和祭は、花火をうちあげ
 鐘(かね)や鳩(はと)や展覧会や踊りの大会と賑(にぎ)やかにくりひろげられ、五人
 の孤児たちが父母に再会しようと少年僧になったことがもてはやされ、ミス・ヒロシマ
 が長崎の土をはらはらふりかけたりするが、生き残った人々の根深い反発を受けた
しかし一九四九年、ソヴェートの原爆所有が明らかとなり
一九五〇年六月二十五日、朝鮮戦争が始まってより
その声が変化してきたのを私たちは知っている

今までの悲惨さによる威嚇(いかく)から(水素バクダン!)
原爆の記憶を抹殺(まっさつ)しようとする動きに変わってきた
原爆広島の象徴(しょうちょう)になってきた産業奨励館のドームを崩し
原爆娘は戦犯(せんぱん)を慰問(いもん)させられ
原爆一号といわれる十六回の手術を繰り返したK氏のケロイドの体も日赤から追放し
一方、精神養子の運動が行われ
広島の廃墟と魂(たましい)の傷痕(きずあと)を緑の芝生と植民地的文化によって
埋めつくそうと変わってきた
再軍備は原爆投下の意味の延長であり
その中ではすでに戦争を否定(ひてい)する平和の声は弾圧(だんあつ)される
 (一九五〇年の官制的なものも平和祭の全面的禁止!)
そして一九五一年の八月六日の式典には朝鮮戦線からの
パイロットが参列し
広大学長は戦争を肯定(こうてい)する平和をとなえる

この中で誰が沈黙(ちんもく)していられるだろうか
広島の 長崎の
いや日本人としての私たちがどうして黙って居(お)れようか
この詩集の中で大人たちは「死ぬ前でないと本当のことはいえぬ」
という叫び声をあげた
子供たちは真向(まっこう)から戦争と原爆反対の声をはり上げる
この仕事の中で結ばれた子を失った主婦は、夫を失った未亡人は、ケロイドの娘は
共(とも)に立ち上がって原爆を落としたものに対し「つぐないを!」
と叫ぶ
流された血はつぐなわれねばならぬ
しぼられた涙は拭(ぬぐ)われるべきだ!
しかも未(いま)だ この詩集に現れたものの何倍、何千倍の声が
心の奥に秘(ひ)められているならば!・・・・・・

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投稿: 通りがけ | 2012/08/19 19:08

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