マスメディアの正体 その1
『戦後史の正体』を読んで
~ メディアが潰した「福田自民」、「小沢民主」の連立構想は「対米自主派連立」だった
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「今日において新聞を引っくるめてマス・コミの勢力は、ある意味で政治以上に強力であるということができる。マス・コミが協力すれば、一政権を倒すぐらいは易々たるものであるが、政治の力では、右にせよ左にせよ、ファシズム的専制政治が出現しない限り、一新聞を倒すこともできないであろう」(『毎日』9・29・阿部真之助「民衆が自由を支配する」)
こういう事実を正しく指摘する人は案外すくない。マス・コミが独自の権力機構を形成しつつ、社会の既成支配権力──政府・官僚・財閥──に拮抗し、一つの支配権力を優に凌駕する実力を貯えてきているといういい方は、けっして誇大な表現ではない。
(1957年2月 『中央公論』 丸山邦男「ジャーナリストと戦争責任」より)
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孫崎亨著『戦後史の正体』を読んだ。
といってもまだ一度、読んだだけで、この本は少なくとも数回は読んでみる必要がありそうだ。
その感想については、これから折々に書いていきたいと思うが、私が一読してつくづく思ったのは、「やっぱりメディアが問題なんだな」ということ(これについては孫崎氏も「今回、戦後七〇年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。」と書いている。『戦後史の正体』370ページ)。
いまとなっては汗顔の至りだが、私もかつてはマスメディアの報道を信じていたので、田中角栄がロッキード事件で逮捕され、その後、裁判になった時には朝日新聞や朝日ジャーナルの立花隆の記事を熟読したものである。
私の場合、そういうメディア観をぶち壊してくれたのが岡庭昇氏の著作であり、以後はできるだけ慎重に報道のウラを読むようにしてきたのだが、それでも時としてメディアの罠にハマってしまうことがある。
最近(といっても四年前だが)の例で言えば、その一つが福田康夫政権時代の幻の自民、民主(小沢一郎代表)連立構想だった。
これについて例によってマスメディアが徹底的に叩きまくり、また民主党内でも現在の主流派である前原、野田、枝野といった勢力が猛反対したものだった。が、私も当時は「小沢は何を考えているのだろう」と思ったクチである。そして、その真意がわかった時に書いたのが↓のエントリーだ。
歴史に「れば、たら」はないが、もし当時、この連立がうまくいっていたら、日本の政治はまたずいぶんと違った流れになっていただろう。
が、今回、『戦後史の正体』を読んでさらに気づくのは、この連立構想が自民・福田、民主・小沢という、それぞれの党内の対米自主派主導によるものだったということだ。
つまり、米国の対日政策という観点からすれば絶対に許されない、叩き潰さなければならない構想だったわけだ。
そしてメディアが大バッシングを展開し、見事にこの構想は葬り去られた。
一方、今回の消費税政局については、四年前とはうってかわってメディアはしきりに「民主と自民は手を組め」と勧めた。それは現在の民主、自民の体制が両方とも対米追随派(というか従米派、屈米派)だということだろう。
・田中良紹の「国会探検」
消費増税は真珠湾攻撃か
※お知らせ
冒頭で紹介した「ジャーナリストと戦争責任」を収録した、丸山邦男著『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』(1974年刊)は来月初旬、志木電子書籍より再編集した電子書籍版として刊行されます。
丸山邦男著
『遊撃的マスコミ論 オピニオン・ジャーナリズムの構造』
著者略歴&立読み版
※お知らせその2
本日はもう一本エントリーがあります。最初はつながっていたのですが、長すぎるということで分けたのですが、話としては最後に微妙につながります。
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