志木電子書籍からの新刊情報 ~ 「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」発売!
株式会社志木電子書籍(代表は当ブログ管理人)からの新刊情報です。
タイトル:『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇
価格: 500円(税込)
(※まずはボイジャーストアでの販売が先行しますが、近日中に紀伊国屋やソニーリーダーストアなど左にある「電子書店リンク」の書店でも販売いたします<発売日は決定次第発表>。さらに取り扱い電子書店も来月初めから増えます。)
岡庭昇氏の著作としては、弊社では2冊目の電子化となります。
まずは目次のご紹介。
二〇一二年──電子書籍版への序文はじめに──メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ
Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する
1 ロス疑惑とテレビの新時代
“疑惑”という名の公開処刑イベント
2 かい人21面相と事件の“顔”
仮説・グリコ‥森永不連続説
3 倉田まり子と国家のスキャンダル
“コト”が“ヒト”にすりかわる
4 山口組と劇場犯罪
あらゆるスキャンダルはイベントとなるⅡ テレビは空気のような罠である
1 体験的“抗議電話”
それはリアクションとしてのアクションである
2 安心は既視感のなかに
メディアに出るのはエライ人、か?
3 テレビは“市民”のパスポート
永遠に停滞するわれらの至福の共同体Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
1 われらの“現実”は仮装する
メディアの権力を解剖する
2 一枚の写真とイメージの罠
感性の支配が確立するとき
3 スキャンダルのケインズ理論
広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
4“像”は君臨する
露出する人々は権力を得るⅣ 逆説のカラクリが情報を戦略する
1 情報帝国主義の完成
統制がリーグとなり、リーグが統制となる
2 真のスキャンダルは逃亡する
タレント・スターという機能
3 メディア・ファシズムヘの逆転技
官能を研ぎすませよ!あとがき
1985年に刊行された本なので、出てくる事件は古いですが、しかし、書かれている内容はまったく古くありません。
それどころか、現在起きている福島第一原発の破局事故をめぐるさまざまな情報、あるいは政治、とくに小沢一郎の「陸山会事件」についての情報など、マスメディアがながすあらゆるニュースについて、これまでとはまったく異なる視点を読者のみなさんは持つことができると思います。
私はかつて、田中角栄という政治家は大変に悪い、金権政治家だと思っていました。
だから、東京地検特捜部によって田中角栄が逮捕され、総理の犯罪として裁かれたことに喝采を送ったものでした。
しかし、この「総理の犯罪」と命名された戦後最大の“疑獄事件”を徹底的に見直す必要があると今は思っています。
岡庭氏は文中でこんなことを書いています。
《ヨーロッパをひとつの妖怪が徘徊する、共産主義という名の妖怪が》と若きマルクスは誇らかに書きつけた。いま、ずっとネガティブな意味であるが、市民社会を一つの妖怪が徘徊する、既視感(デジヤ・ヴユ)の他者であるところの“像”という名の妖怪が、とわたしは書きとめておかなければならない。
高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成とは、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や戒律や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは法や規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。
このメディア・ファシズム状況の中核にあるものが“像”である。メディア批判は、報道の右傾化を憂うといったおなじみのスタイルにおいてではなく、メディアそのもののホンシツをつかない限り成り立たない。そのとき、メディアの支配力の源泉である“像”のトリックこそが、批判的な課題として考察されるべきである。
“像”とは、読んで字のごとく“像”である。たとえば山口百恵、田中角栄、三浦和義という名前から、われわれがおおむね共通に浮かべるイメージが“像”である。モモエにも、角栄氏にも、三浦サンにもさまざまな表情やシチュエーションがあるのだが、われわれはただひとつの“像”を条件反射するのだ。それは記号化された顔である。同時に意味が記号化している。彼らは既視感(デジヤ・ヴユ)のかたまりであり、それゆえ他者総体を代行している。つまり彼らが記号化されることは、現実そのものを記号化するということなのだ。そのことによって、われわれは空気の制度をみずからの手で完成しているといわねばならない。
現実が“像”におきかえられる。同時に“像”もそのままたれ流されるだけでは“条件反射”を保証されないから、さまざまに“像”のころがし方が発達する。たとえば角栄さんに顕著だったような、“像ころがし”だ。三浦印や角栄印の場合のように“像ころがし”はますますテレビの支配機能を尖鋭にした。それに“像”をひきしめるスパイスの投入がある。スキャンダルの使用である。そんな風にして、現実と“像”をすりかえるメディア力学は、ますます盛大に栄えている。
しかし、現実を記号に変え、他人の生き死にをイベントにすりかえるメディアと共犯に立つことで、市民たちはいずれ手ひどいしっぺ返しをうけるだろう。GNPぼけして忘れているが、半世紀前の日本人たちは、いよいよ自分が死地にひっぱられるまで、祖国ニッポンが自分たちの檻であるなどとは夢思わず、さまざまな国家製の物語や記号を娯楽していたのである。
↓こちらでは「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」もお読みいただけます。
・志木電子書籍からのお知らせ ~ 「テレビ帝国の教科書」がボイジャーストアより発売されました!
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント
こちらは長周新聞「岩国市長選 オール与党の福田「圧勝」構図、無惨な結末」http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/siminsyudoudezensjineisibaru.html
という記事ですが、
ここには防衛省の犯罪だけでなく以前にも書いた「総務省所轄選管公務員の防衛省公務員憲法違反黙認幇助という、総務省にも公務放棄に関する憲法違反」が見られますね(>>内の記載> 今回の市長選は、福田陣営には自民党、「全面支援」の公明党(創価学会)、「米軍再編見直し」の公約を投げ捨てた民主党、連合、自治労なども応援につき、あらゆる組織や企業を締め上げて「福田圧勝」の構図をつくり、組織ぐるみの集票コントロールに躍起になった。さらに、土壇場になって「日共」集団が「米軍反対」票を割る独自候補を立てて側面援助。自民党県議をはじめ、保守系から革新系まで市議がこぞって「福田市長を支持しています!」と街宣カーで流したりチラシを配布し、票集めに奔走した。その姿は、選挙後に「我こそは」と福田陣営のステージに上がって万歳三唱するバカ騒ぎぶりと合わせて、「あれほど市長と議会が仲良しクラブなら議会などないに等しい」と市民の冷たい視線を集めた。> 別の市民は、「井原さんが負けたということと“米軍の受け入れ”を市民が認めたということとはまったく別。土建業者には前回選挙で国が予算を凍結し、市の予算が組めなかった悪夢が残っていて“井原になれば、また仕事がゼロになるぞ”という脅しがあるなかで鋭かった。当選後、福田市長が“もう対立をなくし、岩国はひとつだ”といっていたが、米軍と市民が“ひとつ”になることなどありえない話。民間空港も必ず赤字になって市が負債を抱えることになり、国の補助金だけが取り柄の福田市政が行き詰まるのは時間の問題だ。今後は、反対運動も特定地域の運動でも一部の人間のものでもなく、もっと広く全市的な運動にしていかないといけない」と語った。> 連合とその傘下の自治労・岩国市職も公然と福田支援をやり、公務員給与削減に反対する一方で米軍再編に賛成した。以前から「職員給与削減」を掲げる井原氏と対立しており、福田市長との間で労使協定が結ばれているといわれる。「財政が厳しいから米軍再編を認めよ」と市民を脅しておきながら、自分の懐だけ守ることを優先したことは当然にも市民からの風当たりを強める関係である。市民の支持を失うことは、当局が打ち出す人員削減や給与カットにも対抗する基盤がなくなり、みずからの首を絞める自爆路線となった。> 市議選でトップ当選し、基地反対運動の第一人者として自負する田村順玄市議も市職員から票をもらう関係上まったく動かず、「選挙事務所に1、2回顔を出しただけでなにもしなかった」と信用が低下している。<<
市長選は、米軍容認で野合したオール翼賛体制の福田陣営が市民を動員できない脆弱さを物語るとともに、あらゆる政党が市民を裏切るなかで、市民世論が候補者を縛り付け、どの陣営も読むことができない市民の自主的な投票行動によって「米軍反対」の崩れぬ市民の意志をあらわすものとなった。
今後の市民運動において、福田市政の頼みの綱であった「日共」集団のインチキが暴かれ、「艦載機移転反対=井原支持者」というレッテルも通用しなくなり、市民はそれらの政治勢力に気兼ねなく自由な政治行動ができる条件が大きくなった。投票者の4割を超える3万票の力も今後の福田市政を縛るものとなる。
市民の要求は「米軍基地撤去」であり、第2次大戦から続く占領支配のなかで、日本の富を吸い上げたあげく、再び郷土を核攻撃の標的にさらす米軍、それを容認し、郷土を売り飛ばす自公民オール与党の売国政治と全市民との矛盾は「ひとつ」になることのない非和解的なものである。その対立点が鮮明になったことで、「おとなしい」といわれた岩国市民の大衆的な運動は強まり、米軍艦載機移転反対の1万人規模の集会や住民投票で圧倒的な反対世論を突きつけてきた。その矛盾は今後ますます鋭くなっていく関係にあり、運動を破壊してきたすべてのインチキ勢力が信用を失うなかで福田市政を縛る全市民的な力は一層強まるすう勢となった。
(了)
参考:選管の犯行の実例。
1.【竹原市長】実は当選してました。
http://www.youtube.com/watch?v=uBH6A2e8Di8&feature=related
2.「住民投票の書き方 ~2月6日(日)、名古屋市議会・解散投票」Goodbye! よらしむべし、知らしむべからずさま
http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2011/02/26.html
3.以下、書ききれませんw
投稿: 通りがけ | 2012/02/03 21:23
公務員の憲法違反は国家反逆罪です。防衛省全体の組織犯行であることも前記で明らかです。
これで防衛省官僚全員逮捕起訴有罪懲戒免職ですね。
法治国家日本国内で霞が関官吏にも政治家首長にも議員にも誰にも日本人に治外法権は無いのである。
投稿: 通りがけ | 2012/02/03 11:36
「霞ヶ関は憲法違反テロ組織そのものである」
その証拠として先の1月29日岩国市長選に立候補した井原勝介氏のブログ記事を転載する。
「井原勝介ー草と風のノートー」さまhttp://ihara-k.cocolog-nifty.com/blog/
(転載開始)
>2012年2月 1日 (水)
市長選を終えて
ブログを再開する。
市長選挙を終えて、多くの市民のみなさんのご期待に添うことができず、申し訳ない想いで一杯である。
そして、愛する岩国の行末が心配である。
その顛末はおいおいお話するとして、沖縄で事件が起こった。
沖縄防衛局長が、近く行われる宜野湾市長選挙に関連して、職員に指示を行ったという。
事実とすれば、公職選挙法の地位利用に該当、明らかな違法行為である。
これは氷山の一角であり、組織ぐるみでこうした行為が行われているのであろう。
もちろん、岩国の選挙も同じである。
2012年2月 1日 (水) 経済・政治・国際 | 固定リンク
・・・
コメント
今回の市長選、
選挙結果の奇怪な一端が今朝の東京新聞の特報で明らかになった。
矢張り不正な選挙だった。
過去、あらゆる不正を重ねながら岩国市は、岩国市民は、売り飛ばされて来た。
岩国でも選挙関与疑惑 市長選直前 小中校にエアコン
2012年2月2日 東京新聞朝刊
米軍岩国基地を抱える山口県岩国市で、一月二十九日に投開票があった市長選の直前、中国四国防衛局が市内の全小中学校にエアコン設置を決めていたことが分かった。沖縄防衛局長が宜野湾市長選への投票を呼び掛けた「選挙への関与」が問題化する中で、岩国でも「現職を有利にする事実上の選挙運動ではなかったか」との批判がくすぶっている。 (編集委員・半田滋)
岩国市へは、米軍再編に基づき、二〇一四年に米空母艦載機部隊が移転する。〇八年の市長選で「受け入れ反対」を表明した現職の井原勝介氏は防衛省から市庁舎建設の補助金を止められ、国と協議すると訴えた新人の福田良彦氏に敗れた。
福田氏の当選直後、防衛省は市庁舎の補助金支払いを表明。さらに山口県と岩国市が開発に失敗した愛宕山を米軍住宅用地として買い取りを決めたり、米軍再編交付金で小学生以下の医療費無料化を実現するなど、福田市政を支えている。
昨年十二月、中国四国防衛局は市の要望に応え、基地周辺整備事業の名目で二億四千万円かけて市内全小中学校の教室にエアコンを設置することを決めた。これまでは騒音に悩む基地周辺の学校が対象だったが、騒音とは無縁の学校にも設置する。全校にエアコンが入るのは山口県では岩国市だけだ。前職の井原氏も立候補した一月の市長選では、エアコン設置を含め、四年間の実績を強調した福田氏が圧勝した。
田村順玄岩国市議は「岩国市が独自にやれない事業を国が次々に実現させている。それも福祉にカネを注ぎ、反対しにくい空気をつくるのが巧みだ。国の意に沿う市長を応援する事実上の選挙運動は日常的に行われている」と批判している。
投稿: 五橋 | 2012年2月 2日 (木) 21時52分
>2012年2月 2日 (木)
沖縄防衛局長の「講話」
沖縄防衛局長が特定の市長選挙を間近に控えて関係職員を集めて「講話」をする。
その意図は、明らかであろう。
すなわち、投票依頼であり、違法行為である。
岩国の市長選に関しても、防衛省は12月に、小中学校の全教室にエアコンを設置するという特別の予算措置を決定していたという。これは、現職市長の重要な公約であり、税金を使った選挙運動である。
自らの意図を実現するためには、手段を選ばず何でもやる、これが、国のやり方である。
(転載終わり)
投稿: 通りがけ | 2012/02/03 08:31
「じゃぁどうするか?」
> 二階堂ドットコムhttp://www.nikaidou.com/archives/21382
■ いい人は、先に逝く
「世の中にあきた」
といって妹だのどうのこうのと言って遊びほうけていた私。日本なんかどうにでもなりやがれ、と思っていた私のようないい加減な人間でも相手をしてくれていた漢(おとこ)がいた。
株式会社富士鳥居 代表取締役社長 栗原直弘、その人である。
http://www.fuji-torii.com/baishiken/diary.cgi
↑よくブログを紹介していたので、ご存じの方も多いだろう。
本日、近親者から、栗原さんの訃報を聞いた。
「オレの茶色い髪を見ないうちに死ぬなんてずるい(私が髪染めてからまだ見せてなかった)」
と思ったのだが、栗原さんみたいなまともな人、いい人こそ先に逝ってしまう。まだ若いのに・・・寂しいことだ。
肺の調子が悪い、と聞いていたし、「一緒に食事したかったのですが体調がきつくて」というところで、かなり悪そうだなとは思っていたのであるが・・・本人が否定するので突っ込まず、こちらもいろいろあったのですっかり無沙汰してしまったら、逝ってしまわれた・・・
きっと栗原さんはその辺にいる。だって、31日から何となく調子悪くてアタマ痛くて体重いんだもん。風邪かと思ったけど違うし・・・そういうことだったのか。
「栗原さん、安らかに眠ってください。でも、もし目を覚ましたら、日本を天上界から見守ってくだされ。あと、もしどこかで梨元さんに会ったら、『ネタがないのでスクープください』って言っといてください。それにしても、お疲れ様でした。これからは日本の守護霊となってくださいませ。ほんと、何も恩返しできなくて、お世話になるばかりで申し訳ございませんでした。」
合掌。
(転載終わり)
上記の「梅覗軒 富士鳥居 店主ブログ」さまURLから「じゃぁどうするか?」全文転載します。http://www.fuji-torii.com/baishiken/diary.cgi?no=163(転載開始)
じゃぁどうするか?
今回は、昨年(2011年)10月7日から14日の記事を再編集して掲載します。
座右の銘
日本語には「座右の銘」という言葉があります。この言葉を中学生の諸君や若い人達のために簡単に説明すれば、「自(みずか)らが生きて行く上で、人生の目標や心の支えとなる言葉」という意味で、自己紹介の時などに使います。
この梅覗軒の「座右の銘」は、「じゃあどうするか?」(笑)、多くの偉人や著名人の「座右の銘」に比べると、まことにショボイ(爆)。今回も「おやじの寝言」ですが、しっかり目を覚まして書きますので最後まで読んで下さい。
いつも同じことを言うようですが、私がこのブログを続けている理由は、真面目に働いている人達やお年寄り達が安心して暮らして行ける社会、今の子供達やこれから生まれてくる子供達が将来に夢を持てる世の中を実現したいからなのです。
近年、世界中の政治や経済が混乱し、一段と「お金」と「暴力」による「富」の一極集中が進みんでいます。これは、世界中の人々が低賃金で働き安物を消費するだけの「お金の奴隷」となって行く構図なのです。しかし、まだ日本には自浄作用が残っており、むしろ、かつての日本的な循環型社会が世界を変え、世界を救うと信じているのです。
「じゃぁどうするか?」
原発事故以降は、多くの人が日本の政府の発表やマスコミに疑問を感じ、自然発生的なデモも行われるようになりました。しかし、そのような意識と知識がある方はごく一部で、まだ多くの日本人は、日本の現実を知ることなく、日々の生活に追われ、漠然とした閉塞感の中で方向性を失っているのではないでしょうか。
「じゃぁどうするか」、私はこのような閉塞感の中で、確かな「日本美術」と「店」を維持することで「日本文化」を継承し、このブログを書くことで「日本の心」「日本的な在り方」を守ろうとしています。そのためにも、私は今回の特集において、日本が「表社会」と「裏社会」、「表の経済」と「裏の経済」の「二重構造」になっていることを一人でも多くの人に知っていただきたいと思います。
先日アメリカのウォール街で始まったデモはワシントンDCに飛び火し、デモの争点も、漠然とした「政治や経済への不満」から「1%の資本家による国の私物化」へと変化しました。このことは、アメリカ社会が「表向き」と「実態」に分かれている表れであり、日本もまた同じように「二重構造」になっているのです。
日本やアメリカに限らず、この世界は表向きの政府が行う国家運営と、国際金融を中心とした一部の権力と血筋や閨閥(けいばつ)などでつながったグループが決定権を持つ、見えない「世界政府」との「二重構造」になっており、彼らの作った一般の人達の目に見えない搾取と蓄財システムによって、近年一段と「持てる者」と「持たざる者」の格差が一段と進んでいるのです。
世の中の二重構造
以前このブログで「国家は国民のために存在しているのではなく、政治家や役人のために存在している」と書きました。読者の皆様、どうか冷静の今の政治や行政を見てみて下さい、これこそが世の中の「二重構造」の実態であり、実は一般の人には見えないところで、一部の権力のためにさまざまな形で大きなお金が集められ、彼らのために運用、運営されて来たのです。
「見えない大きなお金の動き」とは、使い道の解りずらい国民の税金や公共料金を一部の政治家や役人、企業や特殊法人などが、国民に見えないところで分配するシステムであり、一般の人々は投資とは名ばかりの株や金融商品による合法的?な詐欺まがいの搾取されているのです。そこには飼いならされた一部の学者やマスコミによる誘導と洗脳があるのです。
今までは見えなかったそのような「裏のお金」の尻尾が、今回の原発事故で見え隠れし、その後の原発の処理の過程で、マスコミを含めたその構造が見えてきたのではないでしょうか。そもそも、人間の力ではコントロールできない原発を、核燃料の処理問題すら解決しないうちに始めたのは、一体誰のためだったのでしょうか。実は、このような「裏金のシステム」は明治時代に始まり、今でも脈々と継承されているのです。
日本でも長年に渡り、国民のために使われるはずの国税や地方交付税、公共料金などの一部が陰で配分されて闇に消えて行くさまざまなシステムが構築されてきました。政府や地方自治体が作りだした事業に国民の税金が注がれ、その一部を分配するシステムは、無責任な税の浪費を重ねてきました。そして、天下り先を含め、そのような分配システムを作り、維持することがキャリア官僚の仕事になっているのです。
お手盛りの世界
例えば、ある地方自治体が地元に美術館を作るとします。その予算は国からの地方交付税や自治体のお金、ようするに国民の税金です。そして、美術館を建てる大義名分は「県民や市民のための文化施設と交流の場」などなど、善いことずくめですが、言うまでもなく、その原資は私達の税金なのです。
事業の発案と同時に、調査委員会や準備委員会が設けられ、それぞれの委員会に予算が着き、それが会議費などに消えます。そして、用地の選定に始まり、建設費、収蔵品、集客に関する調査なども行われますが、実はこの予算や支出、収入や維持費はかなり甘い試算で、一度事業化が決定してしまえば、後にいくらでも増やせるシステムであり、そこに利権と裏金が生まれて行くのです。
そして、この調査委員会や準備委員会の主な仕事は、賛成派や反対派の擦り合わせで、場合によっては反対派に対する政治的な取引や金銭的な供与が約束される場合もあるのです。ごく初期の段階から何故このようなことが行われるかといえば、実はすべての物事は「美術館を建てるありき」で動き始めているのです。言い換えれば、土地の取得に始まり、美術館を建てる利権と予算(税金)を分配するために建てられるのです。
そこには美術館に関係した道路や景観、場合によっては公園や体育館などを併設した一大施設の建築のために大きなお金が使われ、その規模と管轄の部署に合わせて、水面下でそれぞれの関係者に建築会社などから「お小遣い」が出るというシステムなのです。もちろん美術館ですから中には美術品が飾られるはずなのですが、我々美術商はヨーロッパのオークションでよほど有名な絵画などを買って納めでもしない限り「お小遣い」など出せませんから(笑)、自ずと美術館の根本である展示品の購入予算は少なく、結局は建築の方により大きな予算が付くことになるのです。
宇宙基地?
バブル時代、そして、その後も景気対策と称して、読者の皆さんの街にも、ある日突然のように素晴らしい建築のさまざまな施設が出来、鳴り物入りでオープンしたことでしょう。しかし、今ではその多くが廃墟のようになっているのではないでしょうか。
もちろん美術館の中には、それぞれの教育委員会や学芸員の方々の努力で、今でも集客の多い館もありますが、もともと地元出身の画家や工芸家の作品が並ぶ常設展では入れ替えも少なく、よほど魅力ある特別展や企画展でもなければ人は集まりません。
以前、ある資料を探しに出向いた地方美術館はアクセスの悪い辺鄙(へんぴ)な場所にありながら、近未来の宇宙都市を彷彿とさせるすごい建物で、その時に展示されていたのは、地方美術館を巡回しているイベント屋さんの持ち物である「北斎漫画」でした。
人気が無く寒々しい館内で、ようやく脚立(きゃたつ)に登って作業をしている人を見つけ、学芸員の居場所を尋ねると、その人は「私が学芸員です。」と名乗り、「バブル崩壊後は年々動員数と職員の数が減り、経費削減のために蛍光灯を間引きしている。」と言うのです。
張り子の寅
美術館に限らず、バブル時代以降に多くの地方自治体が建てた施設の維持管理費が今では地方行政の重荷となっています。さらに、一部の自治体では、商社や出入りの業者にそのような建物の維持管理と抱き合わせで仕事を出して帳尻を合わせていますが、実はそれもまた私達の税金なのです。
かつて私達の年金で建てられたさまざまな施設が、その立地の選定や運営の失敗で、「追い銭」まで払って叩き売られました。しかし、美術館などは使い勝手も悪く、建物の特殊性から維持費も掛かり、売るに売れずに廃墟と化しているところも多いのです。
「想定外」とはすごい言葉で、「誰もこのようになるとは思わなかった。」と口をそろえて言いますが、計画段階で反対派や慎重派の意見は、賛成派?の学者や関係者によって退けられ、せっかくお小遣いがもらえる事業に反対する者は粛清されてきたのです。
このような構図はもちろん文化事業ばかりでなく、さまざまな利権が発生する事業に付随しているのです。さて、ここまで読んで読者の皆様の身の回りにも何か思い当たる節はないでしょうか、すべての物事にはこのような「裏金の世界」が存在しているのです。
善い悪いではなく
今回の「じゃぁどうするか?」を読んで、「闇の利益」を得る側にいた人達、或いは今も現役で利益を得ている人達は御立腹かもしれません(笑)。しかし、皆さんの「お小遣い」や「退職金」のために、すべての国民や子供達に負担を強いるシステムを「人として」どう思われるでしょうか。
これは戦争と同じで、関わった一人ひとりはただ自分や家族のために一生懸命働いただけで、ある意味では責任はないのです。ただ、その結果として一部の人々の物欲のために税金や公金が使われ、後々までそのツケが残ることは「想定外」ではなかったでしょう。
確かに、お話してきたような公共事業によって、社会の発展や多くの雇用が生まれたことも事実であり、ある意味ではこのようなシステムが日本経済を回し、私達がその恩恵を受けてきたことも事実です。もし責任があるとすれば、このようなシステムを長く見過ごしてきた私達にも責任があるのです。
では何故、今更ながらこのような事を書いているのかといえば、今回の原発事故において、未だ「闇の集金システム」を維持するために、一向に事故処理が進まず、海はもちろんのこと広い地域に放射能汚染が広がり、その処理のために新たな利権構造が生まれていることを、「人として」どう考えるかということです。
正しく知ること
今回の「じゃぁどうするか?」は、過去にこのような利権や不正に関わった人々の責任を追及しているのではありません。何故ならば、過去は取り戻しようがないのです。だからこその「じゃぁどうするか?」であり、今この瞬間から「利権」と「闇金」のシステムを止めるべきなのです。目先の小銭や物欲のために、私達は多くの日本人と国土を放射能で汚染してしまいました。
そして、その汚染の恐怖は今の子供達やこれから生まれてくる子供達にまで重くのしかかって行くのです。今ここに至っては、「民主」だの「自民」だの、「右」だの「左」だのと言っている場合じゃないのです。むしろ、原発を始めとしてすべての利権構造に関わってきた人達こそが自ら身を正し、内部から大きな声を上げるべきなのです。
そもそも「資本主義」とは「主義」ではなく、一部の人々の「集金システム」であり、そのさまざまなシステムが独り歩きを始めているのです。そして、このままでは今は利権側にいる人もいつかは破綻します。私達は今正に人間が「お金の奴隷」になるか、「人の心を取り戻せるか」の瀬戸際にいるのです。
「じゃぁどうするか」、先ずは今回お話ししてきたような闇の「利権」と「分配」システムがあることを一人でも多くの人が知り、利権や金を受ける側も供与する側も、このままでは日本という国自体が破綻することを知るべきなのです。そして、一人ひとりが「人としてどうあるべきか」を考え、自分の親を含めた「お年寄り」や子供を含めた「未来の子供達」のために声を上げるべきなのです。
完
投稿: 通りがけ | 2012/02/02 21:47
「極東米軍の最近の動向に合わせた活発な米政翼賛会活動」
アメポチスパイ米政翼賛会日本記者クラブマスゴミが一切まったく報道しない極東米軍の最近の動きについて、注意喚起のため以下の記事をタイプ転載します。(前のと差し替えてください)
「米軍常駐化の企み」南シナ海の緊張激化を意図
フィリピン;抗議行動高まる
(2012年1月30日発行の長周新聞2面記事をタイプ転載)
アメリカとフィリピン両政府は、南シナ海での中国の「脅威」に対抗するとして、米軍のフィリピン常駐態勢をつくろうとしている。昨年のオーストラリア、シンガポールに次ぐ動きで、先にオバマ政府が公表した新軍事戦略にそって、アジア太平洋地域で日本、「韓国」、タイ、シンガポールなどを先兵に、「中国包囲網」を形成し、アメリカの覇権を維持しようとするものだ。フィリピンの進歩的団体・バヤン(新愛国者同盟)は28日、首都マニラのアメリカ大使館に向けて抗議行動を起こしている。
ワシントンで開かれていた米比両国の国防・外交の次官級協議は27日に共同声明を発表。昨年11月の「マニラ宣言」にそって「盟友関係を拡充・強化し、21世紀の挑戦に対応する。とくに海上防衛協力を深化・発展させる」とうたった。
両国政府の合意内容を見ると、米軍は先のオーストラリア常駐と同じく一定規模の米軍をフィリピン基地にローテーション派遣することが眼目である。そのためアメリカはフィリピン海軍に2隻目のフリゲート艦を供与し、戦斗機を持たない空軍にF16戦斗機12機を供与する他、海岸警備隊にも先進的な要員訓練設備と通信設備を提供する。また、米比合同軍事演習の回数を年1回から増やすこと、フィリピン軍基地で米艦船と航空機への補給を行うことでも合意した。
以上の基本合意は、フィリピンのガスミン国防相が2月以降に訪米し、具体化して協定にするとされるが、進歩的団体・バヤンは27日に抗議声明を発表した。レイエス書記長は、米比の「戦略協議」は要するに米軍と米艦船を多数フィリピンに常駐させるためだと指摘。フィリピン当局は、米軍基地をフィリピンに戻すものでないといっているが、実質は米軍の常駐態勢をつくることだとして、「彼らが米軍は一時的に来るだけだというのは真っ赤なウソだ」と指弾している。
フィリピンはかつてはアメリカの植民地。戦後は「相互防衛条約」や軍事援助などで目下の「同盟者」とされてきた。反米世論の高揚のなかで、1991年に乗員が米比企地協定を破棄し、クラーク、スビック両基地はたたき出された。だが、親米政府が98年に米軍の「一時駐留協定」をアメリカと結び、とくに2002年から、「反テロ」の名目で、南部ミンダナオ島に600人の米特殊部隊が派遣されていた。
バヤンのレイエス書記長は、「一時駐留協定」が米軍常駐にゴーサインを出したとし、「われわれはフィリピンをアメリカの覇権追求の前哨基地にしてはならない」と呼びかけている。昨年11月のクリントン米国務長官の来訪に抗議したデモは、アメリカはフィリピンとアジア太平洋地域の事柄に干渉することをやめるよう求め、フィリピン当局が南シナ海問題でアメリカに利用されないよう呼びかけた。
米比両軍の定期合同演習「バリカタン」が4月に実施されるが、それが米軍常駐計画の狙いを端的に示している。
これまで一年一度の合同軍事演習「バリカタン」は、北部のルソン島周辺で実施されていた。今年、南沙諸島周辺海域で実施されるのは、2004年以来のことである。しかも演習は初めて、南シナ海にあるフィリピンの石油・天然ガス田の防衛を想定し、南沙諸島に近いパラワン島西部の海域で行われる。まさに南沙諸島の領有権をめぐって、中国とフィリピンの間に紛争があるだけに、米比両国が意図して緊張を激化させるものだ。
日本に対しても、アメリカは中国海軍の出口が沖縄の宮古島周辺だとして、それをけん制するのに南西諸島への自衛隊配備を要求、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張させて、昨年秋は九州日出生台で大規模な上陸演習を行った。普天間問題の早期決着を迫ることも、沖縄を「対中戦略の最前線」と位置付け、日本を中国攻撃の前線基地としようとするものである。(了)
投稿: 通りがけ | 2012/02/02 11:41