東京電力福島第一原発事故について 〜 その1 圧倒的少数派
実に久しぶりのブログ更新となってしまった。
原子力発電というものにかねてから重大な懸念を持っていた人間としては、今こそいろいろな情報を出していかなければならないのはわかっているのだが、、、
まず、最初に書いておくと、私はとくにどこかへ避難したわけではなく、埼玉県南部の地に留まっている。最初は春休み中だけでも妻の実家へ子供を連れて行こうか、、、とも思ったのだが、この妻の実家の場所というのが浜岡原発から30キロぐらいの場所に位置しており、果たしてそこへ行くことがリスクの回避になるのか判断がつかなかった(11日以降、静岡でも比較的大きな地震があったことも影響した)。
そうしたなか、とくに震災から最初の1週間は、恥ずかしながら相当にうろたえた。
地震とともに原子力発電所の問題が出てくることはまことにもって想定内のことであったが、それでも現実に原子炉が爆発する映像を見ると、心の底から恐怖を感じて慄然とした。
1週間ほどは、やらなければならない仕事もまったく手につかず、ただひたすらネットの情報を見続け、親しい友人と「どうしたらいいのか」という相談もした。
また、幼い子供と妊娠中の奥さんを持つ若い友人からは、「関西方面へ家族を移そうかと考えているのだが、、、」という相談を受けた。私は彼にアドバイスをできるような立場ではない。したがって、「これはあくまで個人的な考えで、いろいろな人に意見を聞いて最終的に自分で判断して欲しい」と前置きをつけた上で、「もし、家族を移せる場所があり、しかも金銭的な負担もなんとかなるのならば、そうした方がいいのではないか。何もなければそれでいい。しかし何かあったら必ず後悔する。子供と身重の奥さんはセーフティファーストを最優先するべきではないか、、、」。
結果的に彼は家族を関西に移した。その決断をした時に親族の中には「テレビで安全だと言ってるから心配しすぎじゃないのか?」と言った人もいたという。しかし、そのテレビは長らく「原子力発電がこのようなことになることは絶対にない」と言ってきたのである。で、あれば、そのような言説を信じること自体がナンセンスである。そして案の定、それからしばらくして、これも想定されたことだが、首都圏でも飲料水の問題が出てきた。
さて、ここまでお読みになっていただいた方はおわかりの通り、その文章は相当にグダグダである。ま、それはいつものことだが、この続きもいつにもましてグダグダで脈絡がなくなるはずだ。この点については、それだけ私が現在も動揺しているということでお許しを願いたい。ということで、これから先は話の脈絡は無視して、頭に浮かんでいることを細切れに書いていこうと思う。
この1週間ちょっとの間、頭の片隅からずっと離れない言葉がある。それは「圧倒的少数派」という言葉だ。これは元東芝技術者の後藤政志氏が、CSで放送している愛川欽也の番組に出演した際に使った言葉である。この番組で愛川欽也は「原子力発電がこれだけ危険なものだということを技術者たちは認識していなかったのか?」というような質問を後藤氏にした。すると後藤氏は「自分は設計のグループ長をしていたが、部下も含めてこのような過酷事故はありえないと言っていた。したがって自分のような人間は圧倒的な少数派でした」と述べた。
圧倒的少数派
この言葉は私の心に深く印象に残った。そうえいば、原子力関連の本を読めば読むほど、そして政治とメディアと原子力産業の癒着を知れば知るほど、これだけ危険だということが素人でもわかるのに、なぜ多くの人が「原子力をやるのは仕方がない」と思っているのかが不思議であった。親しい友人であっても、こと原子力の問題になると、「この人は反原発」というレッテルを貼られていたような気がする。そして、私のような人間は圧倒的な少数派であり、時には嘲笑されたものである。
しかしながら、その圧倒的少数派が懸念していた重大事故(シビア・アクシデント)が現実に起きた。人知の及ばない放射能による影響が千年、ことによると万年単位で続くという意味で、歴史に残る重大な事故であり、それは通常の戦争によって起こる殺戮とはまったく異なる、しかしながら史上稀にみる災害規模になるだろう可能性が依然として高い。
にもかかわらず、、、
この国においては、それでもやはり圧倒的少数派は依然とし少数派のままである。そうしてテレビでは、「ただちに健康に害は及ぼさない」だの「この程度の放射能は大したレベルではない」という御用学者の言説が垂れ流され、果ては「放射能による被曝は、百姓に土がつくようなもの」と言い放つ人物まで登場する次第である。ちなみに、この発言をした石川迪夫という人物の役職名は「日本原子力技術協会理事長」であることを是非、記憶されたい。
原発が過酷な状況に陥って以来、東京電力や原子力保安院が日々、会見を行っている。ま、どうしうもない内容だが、それにしてもここでの記者と東電や保安院のやり取りは、いま日本人にとってもっとも重要なニュースであると思う(東電や保安院のデタラメぶりを知るというだけでも)。
ところが、この会見を生中継で放送する地上波のテレビ局はない。したがって私はいつもニコニコ生放送か岩上安身氏のUST中継を見ている(もう一つ、私がテレビということで唯一評価するのは、CSで放送されているTBSニュースバードである。この番組は会見があると随時、そちらに切り替える)。
これに限らず、まともな情報がマスメディアにはほとんどないというのは、これまた想定された事態ではあるが、まことにもって驚くべき事態である。
しかも、そうした状況の中で、岩上安身氏がフジテレビから、鳥越俊太郎氏がテレビ朝日から、それぞれ姿を消す。TBSラジオでは上杉隆氏が降板する。まあ、マスメディアのほとんどが腐りきっていることはわかっていたが、その惨状は目を覆うばかりである(ただし文化放送は吉田照美、大竹まことなどの充実が目立っている)。
やはりグダグダと長くなってしまった。
今回のエントリーの最後に、東京電力について書いておく。
私はかねがね、この会社は日本一の不敬企業であり、国賊企業だと思ってきた。
その東電の連中、そして他の電力会社、原子力関連企業や御用学者は口を揃えて「今回の地震は想定外であった」と言っているが、大ウソである。
なんとなれば、この事態を想定していた学者や国会議員はいるのだから。
つまり、彼らはこのような事態を無視していたにすぎない。なぜなら、それを考慮に入れてしまうと桁違いのコストアップになってしまう、、、どころか原子力発電そのものが不可能になってしまうからだ。
私が原子力発電に反対して来た理由は、突き詰めれば一つしかない。それは原子力発電の場合、絶対に安全でなければならないが、その絶対を確保することは不可能だということに尽きる。原子力発電の場合、事故の確率論など意味はないのである。なぜなら、事故を起こしてしまえば破局しかないのだから。
東京都知事は「それでも自分は原発推進派だ」と言ったそうだ。その理由は「原発がないと経済が立っていかないから」だという。福島でこれだけの事故が起きれば、もうこの時点で日本の経済は深刻なダメージを受けて「立っていけなくなる」ということが、この人には理解できないらしい。
誤解を恐れずに言えば、、、
今回の地震による被害に原発事故が含まれなければ、復興は十分に可能だった。もちろんこの地震、津波によって亡くなった方々には哀悼の意を表さずにはいられないが、しかし地震という自然災害を避けて通ることは難しい。だが、自然災害というのは回復が可能な災害しかもたらさない(もちろんそれには長い年月がかかるが)。ところが、放射能による災害というのは、復興をきわめて難しいものにする。なにしろ、一度、事故が起きてしまえば、その付近に住むことすらできなくなるのだから。しかも、これだけ事故の規模が大きくなれば、首都圏への影響だって避けられず、放射能の影響が出始めれば関東圏の地価だって下がるだろう。となれば、これはもう経済的にも一大事である。
とはいえ、、、
いまはこの事故の規模をできるだけ小さくすることに全力集中するしかない。
そこで話を東京電力に戻すと(本当にグダグダで申し訳ありません)、私はこの事故を想定しなかった連中に、事故後の後始末を託すということに、そもそも巨大な「?」をつけざるを得ない。
どう考えても、こういうこともあり得ると考えていた人々に、この事故に関する解析と対策を講じてもらった方が、最悪の中でも結果は少しは良くなると思うのだがいかがだろうか。
というか、そもそも私に言わせれば東京電力はオウム真理教すら足下にも及ばない、巨大な犯罪者集団であって、少なくとも経営者は即刻、逮捕するべきなのである。
その上で、東京電力を政府の監視下において、いま現在、社内でやっている原発対策のすべての会議に第三者を入れるべきだろう。
あまりにもグダグダで、かつ長くなってしまったので、稿を改めます。
本日中に、できればもう一つエントリーを書きたいと思います。
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