「小沢一郎政経フォーラム」レポート
9月24日に都内で開催された「小沢一郎政経フォーラム」に行ってきた。
一部、報道にも出たけれども、懇親会での挨拶で小沢一郎は「もし天が命ずることがあれば、自分の命を賭けてやらなくてはいけないという決意をいたしております」と発言して盛大な拍手を浴びた。
以下はその時の動画。ホテルの地下の宴会場で、ソフトバンクの回線の状態がきわめて厳しいなか、iPhone(しかも3G)でUSTREAMを使って中継した録画なので画質は悪いのはご容赦いただきたい(とくに最初の部分は乱れます)。
もう一つは、このフォーラムで講演した田中良紹の懇親会での乾杯の挨拶。こちらは音声のみ。
なお、この田中良紹の講演は記者クラブ問題、ロッキード事件について、「政治とカネ」についてなど大変に興味深いものだった。この講演も全部ではないが録音した(ただしiPhoneでの録音なので音質は悪い)。
・田中良紹講演 その(1)
・田中良紹講演 その(2)
・田中良紹講演 その(3)
この田中良紹の話のなかで、私が「なるほど!」と思ったのは以下の部分だった。
「(「田中角栄とは何か」という番組をつくるために)新潟へ行った時には、実は幕末維新、戊辰戦争に話が遡りまして、官軍に焼き打ちにされた長岡、県庁所在地を小さな漁村であって新潟に移されて、その後その官僚政府にいじめられた新潟、長岡。その恨みや反発、官僚政治に対する反発が田中角栄さんを支えているということを知りました。で、田中さんも、だから娘を福島へ嫁にやったり、あるいは北海道の開発ということを非常に考えている人だったと思いますが、そういうマインドがあったと思います。要するに、明治からのこの薩長藩閥政府がつくってきたいびつな日本の構造を変えようとしている。それがもしかしたら日本列島改造論かもしれないんですけれども、そういうことを感じたり、あるいは自民党の中で取材をしていても、数の論理とよく言われましたけれども、もしかすると戦後民主主義を体現しているのは田中さんじゃないかという気が私はその時したんですね」
実はかつて小室直樹先生は「自分がなぜ田中角栄を擁護するのか」ということについて、「もちろん角栄の政治家としての資質を評価しているからだが、もう一つ、会津出身の自分としては越後の角栄を守らなければいかん」というようなことを言っていたのである。
私は田中直紀という人が福島県から衆議院選挙に出たのは知っていたが、そのことと越後-会津を結びつけたことはなかったで、「なるほどーっ」と思ったのであった。
なお、このフォーラムのレポートは以下のブログにも詳しい。
・スピンアウト
小沢一郎政経フォーラムと田中良紹氏講演
・父さんの日記
「今度こそ静かに、しばらく充電します。そしてまた天命が降りることがあれば・・・」(小沢一郎 2010.9.24)
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