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2010/08/15

ドキュメント出版社 その9

週刊宝石休刊(6)

前回は2000年11月3日のデスク会議のことを書いたが、ここから週刊宝石の休刊が決まるまでの間、実は私の手元にはあまりメモが残っていない。
一方で、自分が属する班のプラン会議のメモはしっかりと残っているので、編集部内では不安の空気に包まれつつも日々の仕事をしていたことになる。ただし手帳を見ると、通常のデスク会議にはさまって全体会議が頻繁に行われている。
まずは11月7日。これはおそらく3日に金藤編集長が発表した二段階改革案を部員全員に知らせるものだったと思う。私の拙い記憶では、「これで社長は受け入れるのか?」といった疑問の声も出たような気がする。
さらに11月15日、16日にも全体会議は立て続けに行われている。これは手帳の記述ミスなわけではなく、13日のデスク会議の時点でこの両日に全体会議が行われることが記されている。
ということは15日が並河氏への改革提案前日、そして16日は提示後の報告であったと思われる。

さて、ここがもっとも肝心なヤマ場なわけだが、実はこの全体会議についてはメモも記憶もほとんどないのである。ただ今こうして書きながらぼんやりと思い出してくるのは、編集部の出した二段階改革案は却下されたということを伝える鈴木取締役の姿である。ただ、その時の会議の雰囲気がどんなものだったかは残念ながら記憶にない。
その後、17日のデスク会議では活版厚紙ページ(16ページ)の廃止と4C中質ページ(普通のカラーページよりも紙質は悪いが、この紙を使って特集記事を作るのが週刊宝石は得意でかつては人気があった)を増やすことが記されている。つまり誌面の体裁の手直しである。
またメモには記されていないが、表紙のデザイン変更も話し合われたはずで、これはグラビア班の表紙担当がデザイナーと早急に話し合うことになった。
とはいえ編集部からの改革提案は却下されたはずであるから、そうしたなかで誌面の手直しを進めていいくのはどうなるんだろう、、、と思ったことも事実である。

そうして私の手帳では二週間ちょっとが過ぎる。この間は編集部内では毎週の締切をこなしながら年末の合併号の企画を考え、さらに誌面の手直しについても動いていたと思う(どうも曖昧な話ばかりで恐縮だが)。
そして迎えた12月6日の夜。週刊宝石の忘年会が椿山荘で行われた。編集部員の他に記者、カメラマンといったスタッフ、さらに社外のスタッフ、印刷所関係者、社内の関連部署の担当者などを招いてのこの忘年会は、後にいくつかのメディアにもその時の様子を書かれるものとなった。
といっても、この忘年会も頭の中にイメージとしては残っているのだが、詳しい雰囲気などは覚えていない。ただ、とにかくこの難局を乗り切るべくみんなで頑張ろうというムードはあった。そして忘年会が進み、おそらくは最後だったと思うが、鈴木紀夫取締役が挨拶に立った。アルコールもずいぶん入っていたであろう鈴木氏は、話の脈絡のなかで「私は今、社長と闘っているんですよ!」と言った。
苦しい状況の中での忘年会で、しかも出席者は全員が週刊宝石の存続を願っている。そうしたなかで出たこの発言はその場の勢いというものもあったのだろう。が、この発言が並河氏の耳に届いた段階で週刊宝石の休刊が決まったと書いたメディアがあったことは事実である。
ただ今になって考えてみると、この鈴木発言があったにしろなかったにしろ、週刊宝石休刊の路線はすでに決まっていたのではないかとも思う。

ただ、ここから事態が風雲急を告げたのも確かで、この忘年会から5日後の12月11日月曜日に週刊宝石休刊が現場に伝えられた。
以下はこの日に行われたデスク会議のメモ。ちなみにこの会議は最初はデスク会議だったが、途中から編集部にいる部員全員も呼び込まれたと記憶している。

・12/18付で新雑誌開発室を設置する。室長は図書編集部(書籍部門)編集長の三橋和夫氏となる。これに伴い、三橋氏の後任の人事も行われる。
・この新雑誌開発室は週刊宝石の受け皿の研究をし、社長が直接担当となる。
・鈴木紀夫取締役の週刊宝石担当委嘱を解き、横田可也取締役(女性自身担当)が担当役員(発行人)になる。
・新雑誌は「AERA」的なものを考えており、発行人は横田氏、編集長は三橋氏となる。
・この件については並河社長と矢島介氏(当時の肩書は副社長であったと思う)の間で決定され取締役会で承認された。
・現編集部メンバーを母体として新編集部を組織する。
・新雑誌は広告が入り、家に持って帰れる雑誌を目指す。
・本来、社格にあうべき雑誌を模索する。
・社長、横田氏より部員への説明がある。
・週刊宝石は休刊ではなく、週刊サンケイがSPA!に、あるいは週刊読売が読売ウィークリーになったようなリニューアルである。

以上のことは鈴木取締役の口から伝えられたものであろう。

さらのこの1週間後の12月18日午後、鈴木氏が週刊宝石担当を退任し横田氏が着任するのに伴って全体会議が行われた。その時のメモ。

・以下は役員会で決定されたことである。
・週刊宝石は1月最終週の1月25日の発売をもってストップする。
・2月頭に新雑誌のコンセプトの発表会をする予定。
・リニューアル誌のスタートは5月最終週を予定。

その後、週刊宝石に在籍するスタッフの処遇にについての話があったあと、この日のメモの最後には一行「週刊宝石というタイトルは残らない」と記されている。
この日の会議であったか、別の機会のデスク会議であったかは覚えていないのだが、私の耳には横田氏の「週刊宝石を粛々と終わらせてください」という言葉が残った。

つづく

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