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2010/08/11

ドキュメント出版社 その7

週刊宝石休刊(4)

週刊宝石はとにかく何がしかの誌面刷新をしなければ生き残れない状況になっていた。しかしどのように変えるのか? それを編集部員が考えるのはなかなか大変だ。というのも週刊誌の編集部には当たり前の話だが毎週必ず締切がやって来る。したがって、まずは目の前の仕事をこなしていかなければならない。その上で現在の流れをまったく否定して別のことを考えるというのはなかなかに難しことだった。
まして2000年9月というとシドニー五輪というビッグイベントがあり、さらに10月は創刊記念月間でその記念号のその企画も考えなければならなかった。
当時のデスク会議の記録を見てみると、この頃はとりあえず一部の折の紙質を変えたり企画を手直ししたりといった微調整をしている。
また、売れ行きについては合併号の仕上がりはそこそこにいいが、通常号の仕上がりは芳しい状況ではない。ただしそれは当時としては芳しくないのであって、今になってこの数字を見ると「それでもまだこんなに売れていたんだ」と私なんぞは思ってしまう。

さて、そうしたなかで10月16日月曜日に行われたデスク会議のメモを見ると、夏の合併号以降の売れ行きの数字とともに、「10/19 並河社長登場」という文字がトップに書いてある。つまりこの日に並河氏が出席しての全部員会議が開かれることになったことが伝えられたのである。

迎えた10月19日。会議は朝の10時からスタートしているのだが、実は私の手元には前年度の週刊宝石の決算の数字と新年度の第一四半期の数字、さらに当時のの実売率以外、あまり詳しいメモは残っていない。
したがってこの会議の詳しい内容は思い出せないのだが、いまでもその時の光景は頭の中に残っている。並河氏、鈴木取締役、金藤編集長をコの字型に全部員が囲んだ中で、もちろん口火を切ったのは並河氏だ。その中で私が覚えているのは、「今のままではダメだ」という話とともに「週刊宝石が絶好調の頃は編集部員がみんな肩で風を切って歩いていたじゃないか。(自分は)バカだなと思ったが、あの時の勢いはどこへ行った」というフレーズである(細部の記憶は曖昧だが、だいたいこのような内容だった)。
これには「なるほどな」と私も思った。また、他にも並河氏の話には首肯し得る箇所あった。

さてしかし、、、
一方で並河氏の話で大変に引っ掛かったこともある。それはこの会議で出てきたのかどうかは覚えていないのだが、以後、並河氏がよく口にしたフレーズで、私はそれに対してとても違和感というか抵抗感があった。そのフレーズとは、

「家に持って帰ることができる雑誌を作れ」

つまり週刊宝石は「家に持って帰ることができない雑誌」だからダメだというのである。
確かに週刊宝石は「処女探し」とか「あなたのおっぱい見せてください」といった企画で部数を伸ばした雑誌ではある。私が異動した時にはすでにそういった企画はなかったが、しかし柔らかめの企画がウリであったことは間違いない。「だから週刊宝石を買ったサラリーマンは妻や子供がいる家には持って帰れない、そういう雑誌はダメだ」と並河氏は言うのである。

まずもって私は「家に持って帰れない雑誌がダメだ」とは思わない。ヌードグラビアがあってもそれが読者のニーズを満たすものならいいではないか。ただし他の部分(たとえば活版ページ)で柔らかい記事に交じってきちんとジャーナリズムの役割を果たすページがあればいい。ついでに誤解を恐れずに言えば、チト古い考え方ではあるが「反権力はエロに宿る」とさえ私は思っている。
読売新聞の主筆を名乗る老人は、ことあるごとに雑誌を侮蔑する言葉を投げつけるが、ジャーナリズムとしては既得権益者に対する世論誘導装置でしかない新聞よりも雑誌の方がはるかに真っ当だ。

しかし並河発言に対する違和感、抵抗感というのはそういうことではない。私が言いたいのは、では並河氏が創刊したJJは「家に持って帰ることができる雑誌なのか?」ということなのだ。
1990年代の半ばぐらいだったろうか、アダルトビデオに対する規制が議論されていた時にあるAV監督が「自分たちを規制するよりもJJのようなファッション誌を規制するべきではないのか?」と発言しているのを目にしたことがある。どういうことかというと、つまり自分たちのようなエロを有害だということで規制するよりも、世の中の若い女の子の価値観をカネやモノ一色に染め上げるファッション誌の方がよほどに有害だというのだ。私はこれはこれでなかなか傾聴に値する議論だと思った。
確かに当時は女子高生などの援助交際などが社会問題となっていた時期だが、彼女たちはそうして手にしたカネで何を買うかといえばファッション誌で見た高級ブランドのバッグなのである。
私は日本という国は世界で唯一成功した社会主義国家だというような主張には与しない。なぜならこれまた誤解を恐れずに言えば、真っ当な社会主義というのはもう少しいいものだと思うから(キューバとかね)。
だが、一方で日本が不思議なクラスレス社会であることは事実だと思う。
欧米にはそれがいいか悪いかは別にして階級というものが存在する。そうして高級ブランドというのは上流階級に向けて作られ売られるものとして存在している。ところが日本ではある時期から普通の庶民の、それも若い女性が高級ブランドに殺到するようになった(今はまた時代が変わってきたが)。
これに何より驚いたのは欧米の高級ブランド自身だろう。なにしろ自分たちが相手にしてきたクラス(マーケット)とはまったく違うのだから。しかも彼らの心の底には厳然と日本人に対する差別意識があるから、最初はこの現象を苦々しく思っていたはずだ(実際、私はそういう話を聞いたことがある)。
ところが、このマーケットがどんどん拡大していって、全体の売上げに占める日本市場の割合が無視できないまでに大きくなってしまった(今は中国の成長がものすごいが)。こうなると欧米の高級ブランドも本気になって日本市場を開拓せざるを得ず、それとともに宣伝予算を投下していく。それがまた女性ファッション誌全体の成長を促していった。そのスタートから先頭を切って走っていたのがJJという雑誌である。

だが、話は戻るが、ではJJは本当に家に持って帰ることができる雑誌なのか。実は私にも現在大学生の娘がいるのだが、この当時、つまり十年前に私が思ったのは「たとえ娘が大学生になってもJJは持ち帰らないし持ち帰れない」ということだった。
なぜなら娘がカネとモノという尺度だけで人間の価値を測るようになって欲しくなかったから。少なくとも、それよりももっと大事なことがたくさんあることがわかる人間になって欲しいと思った。
ま、それがいま実現しているかどうかはかなり微妙なところではあるのだが、、、
とにかくこの「家に持って帰ることができる雑誌」という考え方は、「見た目」というきわめて表面上の問題を一皮めくるとなかなかに深いテーマである。
しかし、私の印象では並河氏というのはとかく「見た目」という浅い部分にこだわる人で、これはおいおい書いていくつもりだが、それは対週刊宝石以外のあらゆる媒体(書籍も含めて)に対しても同様だった。

つづく

おまけ
今朝、部屋を整理していたら河内孝著「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書)という本が出てきた。これをパラパラと再読してみると面白い。そのなかにこんな一節があった。
これは新聞社だけでなく、あらゆる出版社、放送局に言えることだと思う。

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 今後の新聞経営で大事なのは、社長を編集局出身以外から選ぶことです。個人の能力や資質を言っているのではありません。新聞記者は、人の弱みや落ち度を探って書くのが商売。自分で何かをやり遂げたり、企業の経営責任を取ったりするようには育てられていないのです。これだけ経済活動が複雑化している時代に、五〇歳を過ぎて初めて損益計算書を見る人(私もそうでしたが)に経営は任せられません。(184ページ)
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