ドキュメント出版社 その6
週刊宝石休刊(3)
前回、書いた8月26日の会議の中では、誌面改革の議論とは別に、もう一つ編集長からの連絡事項があった。
それは当時週刊宝石が抱えていたいくつかの裁判に関することだった。
週刊誌という媒体を抱えている限り、記事に関する名誉毀損問題が起きるのはある程度仕方がないことであるし、実際、週刊誌の編集部というのは日常的に裁判を抱えている。
もちろん週刊宝石も裁判を抱えていたわけだが、この裁判の行方がいずれも芳しくなかった。
ある芸能人との訴訟では裁判官の訴訟指揮によって和解が成立したのだが、週刊宝石側が主張する事実を法廷で立証できず、勝てる見込みがなかったに過ぎない。したがって誌面に出すお詫びの文面も編集部にとってはきつい内容で、また和解金も高額となった。しかも他にも似たような状況の案件がいくつかあったのである。
これに業を煮やした顧問弁護士が、女性自身、週刊宝石、FLASHの週刊3誌の編集部員に記事を作成する上での注意事項を改めてレクチャーするセミナーが行われるというのが、編集長からの連絡事項だった。
このセミナーは9月21日に行われており、私の手元には顧問弁護士作成による「名誉毀損裁判の動向」というペーパー2枚が残っている。内容は「名誉毀損」と「ニュースソース」の二項目からなっており、これをもとに当時の名誉毀損裁判の動向、記事の作り方に関する注意がレクチャーされた。
このセミナーで私が印象に残っているのは、
・名誉毀損の際の賠償金額が高額化している。したがって記事化する場合はくれぐれもウラ取りをきちんとして些細なことで記録をしておくこと。
・裁判の際には原告側は本人が出廷して証言をするケースが増えている。それまであまりそういうケースはなかったが、週刊宝石の裁判でも本人が出廷して若い女性が目を潤ませながら証言し、裁判官の心証はこれだけでも大きく変わったこと。
などといった点で、弁護士は「今時はデジタルカメラだって安くなっているんだから、記者に持たせて取材した場所の写真を撮るぐらいのことはできるでしょう」と言った。
ここでこの弁護士の言葉を含めて、週刊宝石編集部のIT事情についてここで少しく敷衍しておきたい。
週刊宝石に異動して最初に驚いたことがある。それは編集部内にパソコンが数台、それも共用のものしかなかったことだ。私は最初、活版のニュース班にいたが、ここからパソコンが設置されている場所までの距離は結構あり、何かをネットで調べるたびに編集部員は席を移動していた。
それまで私が在籍していた書籍の編集部は各人のデスクに自分用のパソコンがあり、それを使って編集作業、そして日常的な打ち合わせや原稿のやり取りもメールでやっていたので、これは驚きだった(ただし自腹で買ったパソコンで会社から支給されたものではなかった)。
なので私はほどなく自宅からパソコンを持ち込んで自分のデスクに置き、「いつでも使っていいから」と周りの部員に言った。実際、締切日の夜に突発的なニュースが飛び込んできた場合などは、いちいち席を移動してネットで情報収集をしている場合ではないのであった。
また、異動直後に同業他社の友人編集者と飲んだ時のこと、、、
ある週刊誌の編集者から「まさかまだアンカーマンの原稿が手書きじゃないでしょうね?」と笑いながら聞かれたのだが、実はその「まさか」だった。
週刊誌のニュース記事というのは、あるテーマが決まると、記者が取材してデータ原稿を書き、さらにそれに肉付けするデータを集める。そうして締切日にアンカーがそのデータを元に原稿を仕上げる。だからそのデータ原稿がテキストデータであればアンカーマンは作業をやりやすいし、レイアウトに沿った行数に仕上げることができる。
しかし、当時の週刊宝石の主力のアンカーマンは手書きだった。が、実はこのアンカーマンはワープロ(当時は)でも作業はできる人だったのである。むしろ編集部側のITレベルがまったく低かったので手書きにしていたらしい。また、別のアンカーマンはパソコンで原稿を書いていたが、最終的にはプリントアウトして生原稿として編集に渡し、編集もそれを生原稿として印刷所に入稿していた。
私が異動して最初の頃、締切の日の明け方に上がってきた手書きのアンカーマンの原稿を少し大幅に直していたら、編集部員はその後、行数を必死になって数え直しているので「これぐらいの原稿量だったら、私がパソコンで打ち直してやろうかナ」なんて思ったものだった。
ことほど左様に編集部内のIT化が遅れていたので、「記者にデジタルカメラを持たせなさい」という弁護士の話(指示も)も結局は実現しなかった。
もっともこれは週刊宝石のみの問題ではなく光文社全体に言えることで、しかも現在にいたるまで解消されていないのだが、とにかくデジタルに弱い。
これは後に私が広告営業をやっていた時にも痛感したことであるが、この点についてはまたいずれ述べる機会があるだろう。
話を元に戻そう。
週刊宝石が低迷してしまった一つの原因として、スクープと銘打って掲載した記事の信頼性が低かったことがある。前述したように裁判を起こされて惨敗するケースもあったわけだが、なかでも特筆すべきは三億円事件に関する記事だろう。
これは私が週刊宝石へ異動する何年か前のものだが、数週間にわたって三億円事件の真犯人がいたというような記事を掲載した。が、当然ながらこれはガセネタだった。
この記事が掲載された頃、私はある夕刊紙の記者から「あの記事のネタ元はデマを言うので有名なヤツだ」と聞いた記憶がある。この記者は「だからあのネタは危ないとオレは言ったのに、、、」と続けた。
ちなみに週刊宝石のこの記事を掲載した号の売れ行きは大変に良かった。しかし、それはあくまで瞬間風速の話で、この記事によって受けた週刊宝石というブランドが受けたダメージは大きかった。
つづく
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。

コメント