ドキュメント出版社 その5
週刊宝石休刊(2)
昨日のエントリーで一つ書き忘れたことがあった。
それは並河氏が就任の挨拶で「光文社再建3年計画」を出すと言ったことである。この話を聞いた時には「どんな計画が出てくるんだろう」と少しく期待したものだったが、その後、この計画が具体的になることはなかった。
この点については組合も団交の席で何度か質しているが、確たる返事があったという報告はついになかった。
さて、2000年の8月。当時の手帳を見ると、週刊宝石は7日(月)に夏の2週合併号が校了になっており、私は8日(火)から14日(月)まで夏休みをとり、15日(火)から出勤となっている。そして18日(金)の13時から会議と記されている。同じ15日の17時からはデスク会議が行われているから、この13時からの会議は編集部員全員が集まっての全体会議である。
夏前に急きょ編集長を引き継いだ金藤氏はしばらくは4月以降の体制で編集部を運営していたが、この夏休み明けの週から班編成を見直した(ちなみに私もこの時、活版のニュース班でダメを出されてグラビア班に移った)。
全体会議はそれに伴い開かれたものだが、この会議には鈴木紀夫取締役も出席していた。そして当時のノートにはその鈴木氏の話の内容が記されている。以下その内容を列挙すると、、、
・新社長になった並河氏と鈴木氏の会談があったが、話のすべては週刊宝石のことだった。
・並河氏の指示は、「とにかく即刻、誌面を変えろ」というもので「変えれば評価する。8月9月が勝負」とのことだった。
・「数字よりも企画が大事であり5本の柱を用意せよ」と言われた。
さらに前期の週刊宝石の決算内容や並河氏が社長就任後にスタートした新しい期の売上目標が具体的に列記されている。
つまり、この会議でいよいよ新社長が掲げる「改革」の最初のターゲットが週刊宝石であり、何がしかの誌面改革をしないと大変なことになるという意識が編集部員の中で共有化されたことになる。
そして会議では編集部内の各班ごとに早急に改革案をまとめるようにとの指示が出された。
その各班ごとの改革案を持ち寄ったデスク会議が行われたのは8月26日土曜日の19時からだった。この時はいつも会議が行われる編集部横の小さな会議室ではなく、普段は使わない本社ビルの会議室を使用し(週刊宝石は本社ビルの隣に位置する第二ビルの中にあった)、時間が時間だけに弁当が支給されたのを記憶している。普段とは異なる会議室を使用したのは、おそらくは他の編集部員や記者の目を配慮してのことではないかと思う。
以下、この時のメモを見ながら会議の様子を書くと、まずは週刊宝石の部数会議(※)の報告から始まっている。これについて喋ったのはおそらく鈴木紀夫取締役だろう。
(※部数会議とは各媒体ごとに月一回、経営、編集、営業(販売、広告)、宣伝が集まって行われるもので販売部が主催している。まずは販売部が媒体の販売状況を説明し、その後、編集長がこれからの編集内容やこれまでの良かった点、悪かった点などを総括し、経営陣を中心に意見が述べられる。その後、広告予算や宣伝計画が発表されて30分ほどで終了するものである)
それによると、この部数会議で並河社長から厳しい意見があった。曰く、
・編集長が交代しても誌面は何も変わっていない。ということは何もしていないということだ。
・誌面にメリハリがない。
・誌面が白っぽい。紙質が悪い。
・レイアウト、写真、見出しが悪い
・表紙も安っぽくて良くない。
・一流誌の自覚がない。もっと気概を持て。
・オヤジ臭い。もっと若くフレッシュな都市型サラリーマンをターゲットにすべき。
・週刊誌は「今週」を切り取るものだ。いまのままではダメ。
・大阪の宣伝予算を削減したのは良くない。
最後の宣伝予算については宣伝部に向けられたものだが、それ以外は編集部に向けられたもので、ようするにほとんどすべてを否定されているといってもいい内容である。
この話を聞いたあと、鈴木取締役が作成した討議資料が配られた。私の手元に残っているのは鈴木氏の手書きの文字で書かれた2枚組のもので、1枚はターゲット読者とすべき35歳のサラリーマンの思考回路が「仕事、会社」、「家庭、家族」、「趣味、遊び」などの項目に分かれており、さらに各項目の中身が細分化されたもの、もう1枚は「(週刊宝石の)新しい柱を打ち立てる」ための構成要素が列挙されたものであった。
そして会議ではこの資料を見つつ、各班ごとの改革案が発表されていった。いま、そのメモを見ると各班とも短い期間ではあるが読者調査を実施し、いろいろな意見を出し合っている。が、その内容は並河氏が求める抜本的な改革とは明らかに趣を異にする、どちらかというと既存の各班の方向性を読者ターゲットに合わせてブラッシュアップするというものになっていた。
しかし、それは当然のことであったと思う。なにしろ部数が低下したとはいえ週刊宝石にはまだまだ多くの読者がついていたし、なによりもみんなの頭の中に、わずか数年前、並河氏の号令一下行われた女性自身の大リニューアルが見事に失敗した記憶が残っていたからである。
つづく
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