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2010/08/18

ドキュメント出版社 その11

週刊宝石休刊(8)

前回、書いたことに間違いがあった。それはスタッフ説明会についてである。確かに12月21日の手帳にはスタッフ説明会と記されている。だから説明会は行われたと思うのだが、金銭的な条件などはこの日に提示されたのではなく、1月25日に行われたスタッフ説明会(後述)の席上だった。とすると21日の説明会は、とりあえず休刊の経緯の説明ということなのだろう。ここらへんは曖昧で大変に申し訳ないのだがとりあえず訂正いたします。
さて、この翌日の22日、私は永田町の衆議院議員会館で飯島勲氏と会った。飯島氏は「(休刊は)驚いたねえ」と言いながら週刊宝石の親しい記者と私の身の振り方を尋ねたが、この時点ではまだ何も答えられなかった。
その後、会社に戻ると夕方には年内最後のデスク会議。その時のメモを見ると10月以降の週刊宝石の仕上がり部数が記されているが、今見るとそれほど悪くはない(まあ当時と現在とでは数字の見え方がまったく違うのだが)。
さらにこの会議では年明けから休刊までの3号の編集内容が議題になっている。各班がそれぞれメモリアル企画を作りつつ、最終号とその1号前はカラーページを増やし、定価を320円にすることになった。

年末の合併号の締切は12月24日。翌25日は自分で企画担当していた梁石日氏のグラビア連載の撮影を新宿でしたが、この時に撮影した写真が連載の最後に使う写真となった。そして26日は都内のホテルでやはり連載をしてもらっていた関西の芸人に週刊宝石休刊を伝えると、この芸人氏はとても残念がっていた。

こうして慌ただしく20世紀の最後の年が終わり、明けて2001年は1月4日が週刊宝石の仕事初めだったが会社の始業日は1月5日。この日は午前中に椿山荘で始業式が行われている。これは年頭に社長の挨拶を聞くというもので毎年行われているものだが、この時に並河氏がどんな内容の話をしたのかは残念ながら覚えていない。

1月6日にはデスク会議がありスタッフ問題と休刊前2号についての内容が話し合われている。1月9日には全体会議があったがこれに関するメモはほとんどなく、1月12日にデスク会議。ここでは週刊宝石の最終号(928号)発売日の16時30分からスタッフ説明会、そして18時から編集部内でビールパーティをすることが記されている。私が前回、書いたスタッフ会議はこちらのことだった。
また、さまざまな伝票の精算手続きについての注意事項があり、それともう一つ「異動の希望」と記されいる。編集部がなくなるということは、当たり前の話だが部員も異動しなければならない。これについては金藤編集長と個別に面談をして希望を出すようにということだった。
この個別面談は、私自身についていつ行われたのかは記されていないが、その内容についてはよく覚えている。私はカッパ・ブックスへ戻ることを希望した。すると編集長は「もう週刊誌はいいのか?」と言ったのだが、もとより私が新雑誌へ行く可能性はないだろうと思っていたし、もともと無理を言ってカッパを出た経緯があった。その古巣もいろいろと大変だという話が耳に入ってきていたので、できることならカッパ・ブックスに戻りたいという希望を述べたのだった(ただし最終的に私が戻ったのは書籍の編集部ではあったがカッパ・ブックスではなかった)。

1月19日。最終号を作っている最中に行われたデスク会議では、新雑誌の創刊が6月にずれ込むことが伝えられた。その他に記されているのはスタッフの個別面談が2月7日から9日まで行われること、編集部員は1月31日までに荷物を整理しておくこと、人事異動は2月初旬に発令すされる予定だがとりあえず2月2日までは出社すること。そして人事異動の発令日に全体会議をするというようなことであった。

つづく

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コメント

「週刊宝石」は、江戸川乱歩が関わった推理小説雑誌「宝石」と何らかの関係があるのかなぁとふと思いました。(横道に逸れてすみません)

投稿: Linus | 2010/08/22 02:26

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