ドキュメント出版社 その3
編集者と経営者
1999年、並河氏は男性誌BRIOを創刊する。女性ファッション誌で大成功をおさめた並河氏が初めて男性誌を作るということで社内外の期待は大きかった。
そのBRIOは昨年、残念ながら休刊してしまったため、結果的には大成功とはいえないのかもしれいない。だが、それでも光文社の収益に大きく貢献したことは事実である。
2000年代半ばには男性ファッション誌の創刊ブームが起きるが、これはBRIOとそして2001年に創刊されたLEONの成功があったからに他ならない。
この両誌はいずれも発行部数は女性誌ほど多くなかったが、そのわりに広告収入は好調だった。発行部数が少ないということは製造費も少なくていいわけで、そのわりに広告が入るとなればビジネスモデルとしては申し分ないわけで、他社もドッとこのカテゴリーに参入してきた。
ただし、BRIOがすでに休刊してしまったように、このジャンルは現在非常に厳しい状況にある。それは広告環境がここ数年で激変してしまい、こういう男性誌ビジネスが根本的に成立しなくなってしまったからだ。そういう意味では男性ファッション誌というのは雑誌広告ビジネス良かりし時代の最後に咲いた徒花的存在と言えるかもしれない。
話は少しそれるが、出版不況なる言葉が世の中に定着しだしたのは1990年代の半ばあたりからである。
書籍を編集していた私にもそれは実感としてあって、かつては25,000部から30,000部ぐらいがメドだった初版部数は時とともに20,000部、さらには15,000部へと下がっていったし、また既刊本の重版も減り始め、書籍部門全体としての採算性は悪くなっていった。
しかし、会社全体として見ると、それで経営がおかしくなるということはなかった。
その理由は雑誌ビジネスがしっかりと成立していたからである。
つまり出版不況は書籍専業の会社にとっては最初から大問題だったが、雑誌も発行しているいわゆる総合出版社にとっては経営を直撃するまでには至らなかった(もちろん書籍が売れないのは、とても困ったことだが)。
ところがここ数年は総合出版社もまた青息吐息の状態にある。それは雑誌(=広告)という高い利益率を誇ったビジネスモデルが崩れてしまったからに他ならない。要するに総合出版社にとって出版不況よりも広告不況の方がより深刻な問題だったわけだ(これは新聞にしてもテレビにしても同様)。
もちろん総合出版社にしても個別の会社によって置かれた状況は違う。
書籍、雑誌の他にコミックを持っている会社はコミック誌の売上げがあり、単行本コミックの売上げがある上にさらにライツ収入もある。また、雑誌コンテンツをうまくデジタル化することに成功した会社は、そこからデジタル広告の売上げ、さらにEコマースへとつなげることもできる。
つまりポートフォリオ的な考え方に立てば、売上げを構成する要素が多ければ多いほどリスクは分散されるわけで、さらに今後の出版業はデジタル化の成否が会社存続のキーポイントになる。
さて、ここまでが1990年代の話になるわけだが、並河氏によって創刊された雑誌はどれもこれも光文社の収益に莫大な貢献をしている。2000年代に入って創刊されたSTORY、HERS、美STORYといった雑誌も並河氏が築いたラインから派生した雑誌であって、光文社は並河氏の業績抜きに語ることはできない。その意味で間違いなく偉大な編集者であった。
だが、一方でこの成功は広告という圧倒的に利益率の高いビジネスと密接不可分の関係にあったこともまた事実である。つまり見方を変えれば、並河氏の業績は女性ファッション誌という広告の器をつくったことにこそあった。しかし、そう指摘されることは並河氏にとって本意ではないだろう。なぜなら編集者だから。
私はかつてホンダの社長を務めた川本信彦氏を二度ほど取材したことがある。川本氏というのはF1を初めとするホンダのレース活動を指揮し、かつては自らもレースエンジンの開発に携わった本田宗一郎直系の生粋のエンジニアである。
その川本氏が社長を引き継いだ時、ホンダの業績は決して良くなかった。が、ここからホンダはミニバン路線に転じて快進撃を開始する。
おそらくエンジニアとしての川本氏にとってミニバンというのは血が騒ぐクルマではなかっただろう。しかしホンダという大企業の社長としての川本氏にとって、ミニバンはなくてはならないカテゴリーであったはずだ。
つまりエンジニアとしての立場と経営者としての立場は自ずと異なるものなのである。
私が残念だなと思うのは並河氏の場合、社長になっても偉大な編集者であり続けたことである。それはいいこともあった半面、負の側面も少なくなかった。
※タイトルを変えました。現在、失業中とは言え、選挙の手伝いなどもあって少々バタバタしているので、この続きはしばらくしてから再開します。
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コメント
文中で川本氏の件を引用されていましたが、彼ほどエンジニアの魂を持ちつつ、十年単位で先を考えていた経営者は、最近の日本には珍しいと思います。
在任中は、大胆なリストラを断行(F1撤退が象徴的でしたね)し、ヒトラーとまで揶揄された人ですが、ホンダジェットを強く推し進めたのも、燃料電池車の開発で独自路線に舵を切ったのも、川本氏だったと記憶しています。
クリーンカーとして電気自動車より遥かに本命の位置にある燃料電池車で最先端を走るのは、本田、ダイムラー・バラード連合、トヨタの3社と言われています。
経営者として冷徹な判断を下しつつも、目利き(エンジニア)として未来への布石を確実に打った彼は、私が尊敬する経営者の一人です。
逆に、現場に居た時は偉大な存在であった人が、地位が上がっていったものの経営者に脱皮できなかったという例は、非常に多いような気がします。私の会社でもいろいろと目にしました。
人間の非常に悪い癖ですが、何かに成功すると、何でもできるような錯覚に陥ってしまうのだと思います。
謙虚にメタ思考を働かせながら、自分をコントロールすることが出来る人に経営を託さないと、どんな優良企業でも自滅の道をたどるのかもしれません。
投稿: 悪代官 | 2010/06/21 14:50
次号を期待しています。
投稿: toshichan | 2010/06/12 11:19