« 取材直前の逮捕劇~「検察史上類を見ない犯罪」の真相~ (ザ・スクープSP  100516) | トップページ | 霞が関独裁との闘いは、ここからが正念場である »

2010/06/01

退職後~私の経歴と今考えていること

昨日をもって25年間勤務した会社を早期退職した。
政局が緊迫していくなかで書きたいことはいくつもあったのだが、ここ最近は仕事の引き継ぎや挨拶回りなどをするだけで精一杯で、ブログを書く余裕がなかった。
しかし、これからは少なからぬ時間ができるので、できるだけ更新頻度を上げていこうと思っている。
そして現在進行形の政治やメディアの話と並行して、これまでの自分の会社員生活を振り返るエントリーも書いてみようと思っている。
ということで、以下、私の経歴と今考えていることを書きます。

私は1985年、東京都文京区にある光文社という出版社に入社した。
最初の配属はカッパ・ビジネス編集部(カッパ・ブックスグループの一部署)、その後、いろいろな組織変更があったが要するにカッパ・ブックスのグループの中でまずは15年間を過ごした。
ここで最初に担当したのが小室直樹氏であった。もちろん、この時には直属の上司(彼が小室直樹氏を世に出した編集者だった)について、いわゆるカッパ・ブックスの本作りのノウハウを学んだ。
その後、徐々に一人立ちをして、ビジネス書やハウツー本から一般のノンフィクションに至るまで、ほとんどありとあらゆる本を作った。
そして、当ブログに時折アクセスをしていただいている方からお叱りを受けることを承知で書けば、その中には小泉純一郎著「郵政省解体論」、「官僚王国解体論」という二冊も入っている。この二冊の本は、いずれも大した内容ではないが、しかしその後の日本の政治の流れに少なからぬ影響を与えたことも事実である。当たり前のことだが、これらの本ができた経緯について私は誰よりもよく知っているわけで、当時のことはこれから書かなければならないと思っている。

さて、入社から15年後の2000年、私は週刊宝石編集部に異動した。私たちの世代にとって週刊宝石は憧れの職場だったが、この頃には徐々に部数が落ち始めており、それが社内でも少しずつ問題になっていた。
しかし、私としてはやっと初めての異動を経験したことがとても嬉しかった。ただ、年齢がすでに30代も後半にさしかかっており、ここから週刊誌の生活をスタートさせるにはちょっと遅かったことも事実である。だから、週刊宝石では大した仕事はできなかった。
そしてこの2000年の夏、光文社では役員の改選があり、常務だった並河良氏が社長に就任した。この並河氏はJJ、CLASSY.、VERYという光文社の米びつとなる女性ファッション誌の創刊編集長で、その後、男性誌のBRIOの創刊編集長も務める。要するにファッション誌の天皇ともいえる存在で、その影響力は自分の担当分野以外にも広告部門にまで及び、その権力は絶大なものがあった。
そういう人物が光文社の代表取締役に就任して、「光文社はネットよりも紙媒体を中心にやっていく」と高らかに宣言して最初に乗り込んだのが週刊宝石だった。そして結局、週刊宝石は2001年1月をもって休刊になる。私の10か月あまりの週刊誌生活はあっけなく終わり、いいことはあまりなかった。ただ、一つの雑誌が休刊になる現場に居合わせるという、それはそれで貴重な体験をした。
その後、私は書籍部門に戻ったが、2002年の10月から広告部へ異動となり、昨日、早期退職するまでの8年弱、広告営業に従事した。
この間、広告営業の現場から目撃したのは、並河氏が自社の、まして自分が作った媒体の広告を含めた収益モデルをぶち壊していく姿だった。私なんぞは、高杉良氏の小説「濁流」で描かれた某経済雑誌の社長兼主幹にそっくりだなと思ったほどだ。しかしこれに対して現場の危機感は日ましに高まっていったにもかかわらず、社長に近い役職の人ほど何も言えなかった。逆らえば自分の身が危うくなることが怖かったのだろうが、それは私には不作為の罪にしか見えなかった。
一方、「並河改革」は書籍部門にも及んだ。カッパという名前が嫌いだったらしく、カッパ・ブックスというブランドは光文社から消されてしまった。光文社新書が創刊され成功するという慶事もあったが、しかし長年にわたって先人が培ってきたブランドを捨てる必要があったのかは大いに疑問が残る。
また、文芸部門に対しては、大きな収益源だった官能小説禁止令を出し、「芥川賞や直木賞作家を使え」という指示を出したという。だが、そんな路線が官能路線以上の大きな収益をもたらすはずはなかった。
そうして、まるで三光作戦のような経営を繰り広げた結果、光文社の屋台骨は揺らいだ。
ところが並河氏にしても、あるいはその指示を受けて動いた人たちにしても、誰一人として責任をとることはなかった。それどころか、並河氏の肝煎りで創刊した雑誌が大ズッコケをしても編集長は責任を取らされることもなく、むしろ出世していく。それは丸山真男が指摘するところの「天皇制の無責任体制」のようであった、、、

私は自分が長く勤務した会社が立ち直ることを強く願っている。だが、そのためには2000年から8年間続いた並河時代に何をどう間違えたのか、そしてその責任の所在はどこにあるのかをきちんと総括することが絶対に必要だと思っている。
そこで私自身が目撃したこの時代のドキュメントも折に触れて書いてみたいと思う。
ちなみにその話は週刊宝石休刊からスタートする。

|

« 取材直前の逮捕劇~「検察史上類を見ない犯罪」の真相~ (ザ・スクープSP  100516) | トップページ | 霞が関独裁との闘いは、ここからが正念場である »

コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

投稿: 職務経歴書の書き方 | 2010/10/12 20:03

並河さんには90年代半ばに一度だけお会いしたことがあります。クライアントの業界関連とはいえ、中小マスコミの若手社員からの面談願いに気さくに応じてくれて、ファッション誌の在り方について持論を語ってくれました。ですから、ずっと好印象を持ち続けていました。けれども、経営者としては不適格性を抱えた方だったのですね。私も昨年、それまでは仕事の上で一つの目標にもなっていた会社の幹部の突如退職、翌日から他社の重役就任という椿事に遭遇し、経営者の在り方、組織で責任ある立場にいる人の生き方について色々と考えさせられました。このブログを読んで、また、その人物のことを思い出してしまいました。

投稿: 山南さん | 2010/08/13 11:49

がんばって

投稿: 山田新太郎 | 2010/06/07 01:41

はじめまして。ツイッター経由できました。

さて、10年ほど前JJ読者でしたが、なぜオフィシャルサイトを作らないのか、疑問でした。CanCamは読者の掲示板を作り活発に書き込まれていました。99年のことです。
また最後のページにある読者の投稿コーナーもありませんでした。今でも設けてないと思います。
他のファッション誌は読者コーナーが面白く最後から読むくらいだったので、これも不思議でした。
あまりリアルな読者の意見は必要ないのかな?と思いました。
ですから、なぜ当時「ネットではなく紙面」との方針になったのか、どんな経緯を経て方針転換されたのか(美STORYのサイトは楽しいと思います)差し支えなければ、書き綴っていただきたいです。
よろしくお願いします。

投稿: よいこら | 2010/06/02 22:47

 正鵠を突いた論説と独自の視点に感服し、数年前から興味深く拝読させていただいております。「もしや?」とは感じておりましたが、光文社の方だと伺い、改めて驚いております。
 実は私も出版界、ただし片隅で何とか生きている無名のライターです。しかも光文社の編集者の方には身に余るほどの場を与えていただいた一人です。
 始まりは「DIAS」。引退するJリーガーのノンフィクションを書く場を与えていただきました。サラリーマンを辞め、この世界に入った私にとって、初めての物書きらしい仕事でした。しかし翌週、取材記事の依頼を下さった直後に、休刊の知らせが入りました。
 その後は「VS.」からお話をいただき、その結果、毎月のように書く場をお与えいただき、ずぶの素人から出発した私のライター生活は、ある意味、軌道に乗り始めていました。
 ところが「VS.」で初めて迎えたワールドカップの直前、再び悲しい知らせが届きました……。
 あれから4年、良いのか悪いのか、私は今だにこの仕事をやめようという気が起きません。きっと光文社さんにお世話になっていた時代に味わった充実感、それも堅気の頃には味わえなかった充実感が忘れられないからでしょう。
 もっとも、厳しい現実から目を背け、意識的に「やめよう」と考えないようにしているだけなのかもしれませんね。
 先日、「DIAS」でお世話になった方から、お辞めになる旨のメールをいただきました。ご連絡をいただいた方々以外にも音羽を去った方々がいるかもれません……。
 ただこちらからは連絡できずにいます。「辞めたよ」という言葉を聞くのが怖いのです。
 しかしそれは「自分も足を洗おうかな……」と考えてしまうことへの恐怖と表裏一体なのかもしれませんが……。
 

投稿: sawasawa | 2010/06/02 15:55

私事、最近ストレスで不調の最中でしたけど、こちらの“処方箋”は効果てきめん!期待してます(^O^)

投稿: リキロン | 2010/06/01 20:11

今までで一番次回のアップが楽しみなことになりました・・

私も思うところがあって2004年に早期退職(自分なりの定年退職)をしました

どっち道其の後1年後に肩たたきが在って先輩は全員退職しました・勿論たった一人残った同期も退職しました

再就職はしないつもりですが、時間があるので宅建試験にチャレンジ2008年に合格
今は行政書士の勉強に週3日学校に通っています(昨年は無念の不合格・・)
今はぼんやりと又働くかな?とは思っていますが・・・
会社が変化するときはほんとに断末魔の苦しみで・・社員も会社自身も生みの苦しみです・・私のいた会社は今は落ち着いて中国市場でせっせと稼いでいるようです
後輩に聞いたらボーナスも悪くなかったから大丈夫なんでしょう・・今は企業年金を60歳待たずにもらっているので後輩に頑張ってもらわないと(笑)・・次回作お待ちしています

投稿: 大和は国のまほろば・ | 2010/06/01 17:26

「私自身が目撃したこの時代のドキュメントも折に触れて書いてみたいと思う」楽しみにしています。

投稿: toshichan | 2010/06/01 10:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 退職後~私の経歴と今考えていること:

« 取材直前の逮捕劇~「検察史上類を見ない犯罪」の真相~ (ザ・スクープSP  100516) | トップページ | 霞が関独裁との闘いは、ここからが正念場である »