リストラされたオッサン(自分)が意外に明るい理由
3月28日のエントリーに対して、いくつかのコメントをいただいた。この場を借りて御礼と感謝を申し上げます。
その中でhash様が「暗い流れかと思いきや、むしろ望んでいるように見えたのでコメントしてみました。」とお書きになっている。
そう、実は私はあまり悲観的になっていない。むしろ今は晴れ晴れとしている。もちろん、これから塗炭の苦しみを味わうかもしれない。が、それでも気分は悪くないのである。
会社の同僚で同じく早期退職の対象となって悩む同僚からも「お前はどうしてそんなに明るいのか?」と言われる。ま、その第一の要因はバカだからだ。なるしろこのオッサン(自分のこと)、「辞めるから、最後だから、といって部内や広告代理店の女の子を食事に誘えるかな?」などとアホなことを考えているのだから(大爆笑)。
で、まあそれはそれとして、しかしなぜ私があまり暗くないのか? それを今日は書いてみようと思う。
当ブログの大きなテーマの一つは既存メディアへの疑問である(一応、そのつもりだったのですが、、、)。
これについては、実はずいぶん前から「おかしいのではないか」と思っていた。しかしながら、そういう自分が既存メディア(といっても端くれだが)の側にいるというのは悩ましいパラドックスであった。
そうした中で2000年代の初頭から広告営業に従事するようになった。正直に言えば、最初に広告へ異動を通告された時には相当に不満だったのだが、しばらくしてこれはなかなか自分に向いている仕事だと思うようになった。
ま、それは自分が外向きの人間だからなのだが、何しろ広告業界は若い。梅田望夫が「自分はある時からできるだけ年上の人とは話さないで、年下の人と話すようにした」というようなことを書いていたと記憶しているが、この業界にいる限り、ほとんどは年下の人との仕事となる。しかも、彼らはみな難関の広告代理店に入ってくるぐらいだから優秀だ。40代の物忘れが激しくなったオッサンにとって、彼らから受ける刺激というのは格好のボケ防止となった。
一方、社内で自分より年上の人を見渡すと、大変に申し訳ないのだが少なからぬ人、いやほとんどの人が思考停止に陥っているように見える。「かつては優秀な人だったのにナ」というよな人でも、年齢と役職が上がるにつれて、話の内容を聞いていると「おやっ?」と思うようになった。
かつて、ある経営評論家が「出世と教養の摩耗は比例する」と言ったのを聞いたことがある。会社員というのは得てして大学を卒業した時に最高の教養を持っているが、会社に入って出世の階段を上がっていくと、その教養がだんだんと摩耗していくという意味なのだが、まさにそんな人が多いのである。
私の会社での役職は平社員より1階級だけ上という、まあこの年齢にしては情けないもので、同期の中には部長職以上の人間も多い。また、自分より年下の人間もどんどん偉くなっていく。で、まあこれは負け惜しみで言うわけではないが、しかし私の目から見ると、そういう彼らはみんなズレている。あるいは現状認識がまったく世の中の流れとかけ離れていると感じるようになった。
一方、広告営業の現場にいると、その変化の流れは驚くばかりである。Webの伸びは想像より早いことはわかっていたが、その想像すらを超えていく。
ところがその変化に既存メディアの側で最初の段階から気づき、手を打ってきた人というのは少数で、まして私の所属する会社ではまったく皆無だった。
これに言論機関としてのメディアの劣化が追い打ちをかける。これは今に始まったことではないが、とくに昨年3月3日に小沢一郎の秘書である大久保隆規氏が逮捕されて以降、それが顕著になった。
私は2008年から2009年にかけて世の中がガラリと変わったと感じていたのだが、あの大久保秘書逮捕以降のメディアは、その変化にまったく気づくことなく、既得権益にどっぷりと浸かったままこれまでと同じことをやっている集団の断末魔にも見えてきた。そして自分の所属する会社も完全にそちらの側にいた。
「これはダメだな、、、」
と思った。しかし、かといって会社というのはそれはそれで簡単に辞められるものではない。なにしろ生活があって、子供の教育費はまだまだかかるし住宅ローンだってある。だが、自分の所属する組織も業界全体の先行きも暗い。
「まいったな、、、」
と思っていたところへ降ってきたのがこの早期退職の話だった。そして、そこで手にすることができる退職金というのは、一応、割増されていて、当面はなんとかなるという金額だった。
しかし、それでも「本当に辞めて大丈夫なのか?」という不安はある。辞めてどうするのか? 新しい時代、明治維新にも匹敵するような歴史的な節目が来ているという確信はあるし、多少、自分の頭の中で描いているイメージはある。が、そんなものは所詮、絵に描いた餅なのではないか、、、
そのようなことが頭の中でグルグルと巡り回っている時、たまに会って情報交換をしていたベテランのフリーランスのジャーナリストがこんなことを言ってくれた。以下、そのおおよその会話。
「辞めるのか?」
「そうしたいと思ってるんですよね。先行きは暗いし、当面、なんとかなる程度のお金はもらえるし」
「ならいいじゃないか。で、次のアテはあるのか?」
「いや、それはぜんぜんないです。やってみたいことはあるけれど、それで食っていけるのかはまったくわからないし、、、」
「うん、しかしだな、25年間やってきて次の仕事を見つけられなかった、フリーになって食っていけなかったとしても、それはお前に力がなかったんだから仕方がない。自己責任だ。だけど、このままダメだと思っている会社や業界に止まって一緒に沈没するよりは自己責任の方がはるかに納得できるじゃないか。そうは思わないか?」
この最後のフレーズは心に響き、刺さった。
そして迷っている自分の背中を辞めるという方向へ押してくれた。
どっちにしてもダメならば、自己責任でダメになった方が納得がいく。まさにその通りである。
そうして辞める決意をすると、おかしなもので急に心が軽くなり、依然として悩んでいる人や「何がなんでも残る」と明言している人のことを「気の毒にな、もったいないな」と思うようにさえなってしまった。
ま、もちろん人はそれぞれであるが、、、
3月28日のエントリーを佐々木俊尚氏がコメント付でtwitterに流してくれた。
そのコメントにはこう書いてあった。
「いつかは人生は終わる。終わることを意識してもしなくても結果は同じ。だったら意識しないで夢中になった方が楽しいと思う。」
このコメントもまた心に刺さった。
終わることは怖いけど、しかしずっと終わらないわけでもないのだから、だったらここで夢中になってチャレンジしてみるのも悪くはない。
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コメント
天って漫画ごぞんじでしょうか?麻雀の漫画なんですが、最後の3巻は麻雀関係なしで人生観に関する話です。最近はここでの台詞が一番胸にささりました。
http://kaijiblog.seesaa.net/article/24476628.html
台詞が引用されてるので宜しければ。
人生、ただ一生懸命やったかどうかじゃなく、勝負したかどうかだと思いますね。
投稿: hidetora23 | 2010/04/05 12:05
非常に共感しました!! 私も既存メディア内で働き、それ自体にずっと疑問を持ち続けている一人です。で、いつかは「自分の船」を作りたい! と考えています。
「ダメでも自己責任の方が納得いく」…確かに!! 私の場合、船出はもう少しだけ後(でも近い将来)になりそうですが。
同じ40代のおっさんとしてお互い頑張りましょう!!
投稿: | 2010/04/05 09:25
こんにちは。今日のエントリー、とっても共感しました。私の場合は、会社をやめる前に、こちらのブログを発見し、また佐々木俊尚氏はじめ、メディアに関わる方々の本を読んで、早く、タイタニックから降りないといけないと思っていた最中の、数回目のリストラでした。なんといっても、自分で言うのもなんですが、人生80年からすれば、40代は、まだ若いと思っています。会社といっしょに沈没しますという人も多かったですが、思考停止の人ばかりでした。この人たちは、また、次回、確実にリストラされると思います。イス取りゲームで、身体を壊したり、消耗していくよりは、多少時間がかかっても、前向きに再出発することに決めて、よかったと思えるこの頃です(まだ、仕事決めてないんですが)。佐々木氏の「2011年、新聞・テレビ消滅」を読んで、新聞消滅のほうが、ちょっとわからなかったのですが、注目していきたいです。
投稿: JIRI | 2010/04/04 16:03