« 西松事件の訴因変更こそ大事件ではないのか? | トップページ | 鳩山政権 ~ ヨタヨタなのか?したたかなのか? »

2010/02/18

「インビクタス/負けざる者たち」を見て、サッカー日本代表のことを考えた

先日の日曜日に息子と一緒に近所のシネコンで「インビクタス/負けざる者たち」を観た。
私は一応ラグビーファンなので、1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会での日本代表の試合はテレビ観戦していたし、この映画のハイライトとなる決勝の南アフリカ(スプリングボクス)対ニュージーランド(オールブラックス)戦も観ていた。
といっても単純に観戦していたに過ぎず、ネルソン・マンデラについても今日まで上辺の知識しかなかった。
したがって、27年間にわたって政治犯として投獄され、1994年に南ア史上初の黒人大統領に就任したマンデラが、翌年開催されるラグビーワールドカップを白人と黒人の融和のまたとないチャンスとみて、これに賭けていたことは知らなかった。
それにしてもこの映画で描かれているマンデラの胆力、眼力、そして自分を迫害した続けた白人を赦す奥深い人間性(そんな言葉でも足りないが)を見ていると、一国の指導者、あるいはトップが持つべき資質とは何かを考えずにはいられなかった。
そして、エンドロールで実際のマンデラがスプリングボクスのジャージを着て競技場で大観衆に向かって笑いながら手を振っている当時の写真が映ると、このシーンをリアルタイムで見ていたことを思い出して胸が熱くなった。

さて、同じ日の晩はサッカーの東アジア選手権の日韓戦があった。結果はご存じの通りで日本惨敗。
私はかねてより日本代表監督は代えた方がいいと思っていたのだが、この試合を見てますますその思いは強まった。
何しろゴールへの道筋が見えない。もちろん選手たちはオフ明けにも関わらず一生懸命に体を動かしているのだろうが、何か漫然とやっているように見える。しかも一方では狭いところでのパス交換という戦術(?)に拘泥している。
こんな様子を見ていたら、私は1995年のラグビー日本代表を思い出した。

「インビクタス」の中で本筋とは別の部分で私には印象的なシーンがあった。それはマンデラがロムー(当時の世界最高選手)を擁するオールブラックスがいかに強いかをクルマの中で聞いているシーンだ。この大会のオールブラックスの予選の戦績を聞くマンデラ。
「アイルランド戦は43-19、ウェールズ戦は34-9、日本戦は145-17、、、」
するとマンデラはビックリして「145点?」と聞き返す。
そう、この試合こそが日本のラグビー関係者やファンを長く悩ますトラウマとなった大惨敗試合なのである。
もちろん私もテレビで観ていたし、今でもこの試合を録画したビデオは所持している(再生したことはないが)。
今、思い出してみると、この試合をなんと形容すればいいのだろうか、、、とにかく正視に堪えられなかった。
ワールドカップという最高の舞台、全力で来る世界一の相手に対し、すでに予選敗退が決まった日本は何もできず80分間、ほとんど攻められ続けた。
当時はまだインターネットではなくパソコン通信の時代だったが、ラグビー関連の会議室(掲示板のようなもの)で、「恥ずかしい」と書き込んだ人がいて、それがきっかけとなってずいぶんと議論になった記憶がある。
その後、何人かのラグビージャーナリストがこの大会について書いた文章が発表されたが、それによってチーム内部に深刻な対立があったことや士気の低い選手が少なからずいたこと、そして何よりもまったく無能だった監督の存在が明らかになった(実は監督の無能さはそれ以前からわかっていたのだが、ここまでひどいとは思っていなかった)。
つまりこの145失点は単に絶望的な実力差の結果だったのではなく、多分に“人災”の要素が含まれていたのである。
私は大変に弱いラグビーチームを応援しているからよくわかるのだが、いくら強い相手と試合をしても145点も取られるというのは、それはそれで大変である。たとえば大学の1部のトップチームと2部リーグの弱いチームが戦っても100点差はつくだろうが、それ以上の差はなかなかつくものではない。
ところがそれだけの得点差が国同士のテストマッチで、ましてワールドカップという舞台でついてしまったのである。

サッカーに話を戻すと、私は今の日本代表を見ていると、南アフリカの地で行われるワールドカップにおいて、歴史的惨敗という悲劇が再び起きるのでははないかと不安になる。
岡田監督はワールドカップにおいてベスト4を目指すという。個人的にはなんとも荒唐無稽な目標だと思うが、監督自身がそういう目標設定をすることは悪いことではない。
しかし、いったん口にした限りは、それを少なくとも選手に信じ込ませなければならない。そのためには単なる戦術立案や選手起用にとどまらず、ミーティングなどでの言葉の力が必要だろう。どんなに難しい目標であっても、選手が「この人についていけば、実現するかもしれない」と思えば組織は変わる。
ところがいまの日本代表には、選手が監督の言っていることを信じているフシが感じられない。しかも監督は監督で選手に対して「そんなことではベスト4にはなれないぞっ!」などとやっているらしい。そんなことでは、とてもではないがいい結果は出るとは思えない。

ラグビー日本代表が145失点した試合は、実はオールブラックスはレギュラーメンバーではなかった。したがってロムーも出場していない。予選突破を決めていたオールブラックスは、控え選手を中心のメンバーを組んだのだが、彼らは決勝トーナメントでの試合出場を目指してアピールをするために非常に士気が高かったという。一方の日本は予選敗退が決まっており、何の目標もないなかで世界一の強豪を相手にし、しかもレギュラーの何人かは出場をしなかった。監督は「大惨敗しなければいい」ぐらいのことしか考えていなかったという。

日本のサッカー関係者やファンは、今こそラグビー日本代表がなぜ南アで大惨敗したかを研究した方がいいと思う。


|

« 西松事件の訴因変更こそ大事件ではないのか? | トップページ | 鳩山政権 ~ ヨタヨタなのか?したたかなのか? »

コメント

映画、初日に観てきました。イーストウッド監督はさすがですね。
劇中のマンデラの人間としての深さに初めから涙涙でした。
スポーツに疎い私にもあの日本戦での点数差にはびっくりでした。
スクラム(というのですか?)を組む選手たちの体がギシギシ、ミシミシ音を立てるシ-ンを観ていると、単純に体力の問題なのではと思わされたのですが…。

投稿: ishii | 2010/02/20 12:52

僕は中学までは野球選手になろうかなと夢を描いた少年でしたが、今は単なるサッカー・ファン(管理人さんとは同じ埼玉出身なので「浦和レッズ」、野球は「西武」、単純です。)ですが、『インビクタス』は近いうち観に行きましょう。
南アのマンデラがテーマとは、やはりクリント・イーストウッド監督ですか、嬉しいですね。

まだマンデラが獄中に居た頃、僕も全く知らなかったこの政治囚の嘆願・救援運動をアムネステイとは別にやってたのが組合時代の知人=トロ系の活動家で「こういう黒人解放の政治囚が居るから、応援してくれ」と言われ、”黒人運動はアメリカ”位の知識しかなかった僕を、南アフリカに眼を向けさせてくれたのでした。
40年前に戻ることができたら、労働組合運動の僕の関心は、欧米から「第三世界」=ラテンアメリカやアフリカ世界の連帯の方により強く向けられた、今となっては残念です。
今や、アフリカ等第三世界に対する”中国の政治的・経済的覇権政策”は、色んな視点から注視すべき問題がありそうです。

投稿: 田村 秋生 | 2010/02/19 13:09

いつも楽しく且つ興味深く読まさせていただいています・・

ホントに岡田監督では駄目なんじゃ・・と思っていたことが的中してしまいました

でも何処が駄目なのって?素人の私では良くわからないのが現状です
オシム監督ほどの人物でなくても日本には適任者はいないんですかね
結構やばいところまできているように見えました・・

投稿: まほろばです | 2010/02/18 20:25

激しく同意します。
特にサッカー協会の理事の一人にまさにその最大の戦犯の平尾旧プレイングコーチがいる現在ではね。
今でも遅くないから、オシム前監督に立ってもらわないと、145の二の舞でしょう。

投稿: You | 2010/02/18 19:00

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「インビクタス/負けざる者たち」を見て、サッカー日本代表のことを考えた:

» 『インビクタス―負けざる者たち』 [坪井の何でも見てやろう]
日本語公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/ 「プロジェクトX」のような成功譚、あるいはスポ根ものというものは世界のどこでも 基本的ストーリー展開というものは変わらないようだ。 私がかつて「力道山物語 怒涛の男」(1955年 森永健次郎監督)「若ノ花物語  土俵の鬼」(1956年 森永健次郎監督)「川上哲治物語 背番号16」(1957年  滝沢英輔監督)「鉄腕投手 稲尾物語」(1959年 本多猪四郎監督)を一挙に見て、 ストーリー展開等がほとんど同... [続きを読む]

受信: 2010/03/14 08:39

« 西松事件の訴因変更こそ大事件ではないのか? | トップページ | 鳩山政権 ~ ヨタヨタなのか?したたかなのか? »