田中康夫と前原誠司の質疑応答を見て思ったこと
取り急ぎ衆議院国土交通委員会での田中康夫と前原誠司の対決の感想を書いておく。
まず第一にわかったのは前原誠司という人物が、やはり私には受け入れ難い人物であったこと。
国の直轄事業である八ツ場ダムや川辺川ダムについては民主党のマニフェストに従って中止するようだが、では都道府県が建設、管理し、同じくムダであることが指摘されている補助ダムについてはどういうスタンスなのか?と問われた前原は「補助ダムは国の事業ではないので、法律的にやめろとは言えない」という主旨の答弁をした(ここで私はtwitterで「前原クソバカ答弁」とつぶやいた(^_^;) )。
呆れた田中康夫が「それを変えていくのが政治ではないのか」というようなことを諭すように言うと、しかしそれでも「法律があるので中止しろとはいえない」の一点張り。横に座っていた馬淵澄夫の顔が終始難しい顔をしていたように見えたのは気のせいか? そして「をいをい、その答弁でいいのかい、副大臣の辻元さんよ」と思ったのは私だけだろうか?
続いて取り上げられたJALの問題にしても、前原の浅薄さが浮き上がるばかり(そもそもキレ気味だったし)。委員会の質疑としてはなかなかに面白い見世物であったが、およそ同じ与党同士という雰囲気ではなかった(近日中にアーカイブが衆議院TVにアップされるはず)。
「前原がこの調子でこのまま大臣を続けるなら、鳩山政権はダメだナ、、、」と思いながら、駅のスタンドで本日の日刊ゲンダイを購入して毎週水曜日に掲載されている田中康夫「にっぽん改国」を読むと、本日のタイトルは「ぼくこそ真の『保守』なのです」。曰く、
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民主党も自由民主党も、何(いず)れの党内も新自由主義派、既得権益派、共生社会派の3派に大別出来る、と小沢一郎氏の“懐刀”たる平野貞夫氏は指摘します。実は前者に於いては労働組合、後者では業界団体の「族議員」として、“同衾(どうきん)”するのが既得権益派だ、と。
他方で、行き過ぎた新自由主義派は、弱肉強食社会を生み出します。然(さ)りとて、気概無き凡百の共生社会派も、悪平等社会に堕し勝ちです。求めるべきは、切磋琢磨の共生社会にも拘(かかわ)らず。而(しか)して、それこそが真の「保守」が目指すべき使命なのです。
平野氏は、「鳩山首相の周辺に居る官僚出身の政治家には、国家権力を動かす力量が足りない。役所で係長、課長補佐になった程度でバッジを付け」、「偏差値で育った連中だから、人間の捉え方が歪(いびつ)で、理屈と計画表と数字さえ合えば、世の中が動くと思っている」。「或る意味で彼ら自身が最も官僚的なのだ」と「月刊日本」11月号で看破した上で、「鳩山政権の亀井静香氏と藤井裕久氏は対照的。藤井は官僚の立場に立っていると言わざるを得ないが、亀井氏はやり方は結構乱暴だが、官僚主導を止めるべく、内閣のスタッフとは別の発想で動こうとしている」と評価します。
正(まさ)しく、真の保守が目指すべき、「切磋琢磨の共生社会」。この理念と気概を共有する1点に於いて、表層的には「保守」とは掛け離れた存在と看做(みな)され勝ちな田中康夫にとって、小沢一郎氏も亀井静香氏も、得難き“畏兄(いけい)”と呼び得るのでありましょう。
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なるほど。であれば、鳩山由紀夫が今後、この3派のどこに軸足を置くかによって政権の性質、方向性も自ずと変わっていくことになる。今、実は政権内部で各派の綱引きが始まっているのかもしれない。
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コメント
「さとし」さん他皆さんのコメント、他のブログ等でのこの間の鳩山政権、新党問題などの次々と生起する政治的攻防・事態に対する発言を聞いてて、僕は「3・3小沢事件」から衆院選”圧勝”までの「苛立ち!」より、平静で居ます。
誰かも言ってましたが、”やっと!(政権交代が)出来たんです!!”・・・明治官僚政府の成立以来およそ140年余、さまざまな大正デモクラシー、平民運動があったり、ロシア革命に刺激された左翼運動・その悲劇があったり、戦後の占領・平和憲法下での労働運動・安保反対運動の盛り上がりにも政権奪取はならず、そして自死1日90人余を11年以上ももたらす”夢も希望も無い”不名誉な国になってしまっていた・・・どの党が、どんなリーダーがこの”政変”を、このささやかでさえあっても良い・一歩前進の「政権交代」をともかく現実化させているのです。
「さとし」さんの言葉をお借りすれば、正に<ここから先は民主主義の産みの苦しみ、血を流すしかないのかもしれない。我々にその勇気と信念があるだろうか。>
僕もそう思います。
以前は『海援隊』の議論にちょっと加わりましたが、議論のための議論?、行動に繋がりそうもない「議論室」はそういう人たちに任せておけば良い。
フランスのブザンスノ氏達が求める左派運動の(政権の)中身にはほど遠いにしろ、一足先にこの国は初めての”政治転換”を起こしてるのです。
僕は、そういう目線で、「有田氏の民主党入り」「小沢氏と鳩山政権攻撃」等など冷静に見ていられます。それぞれが「己の心の信ずるままに」政治的バトルするべきで、”勝つか負けるか”・・・少なくとも僕は小沢=鳩山、菅、岡田氏が連携した『民主党政権』が2期8年、首相がその中で代わっても良い、続けて欲しいと思っています。その為に、外であるか中に居るかは別にして、田中氏、有田氏、亀井氏はこの政権を支えて欲しいと願うばかりです。
『和して、同ぜず』・・・然し、「和」を崩す企みには、僕はそれらに闘いを挑みたいと思いますね、自死者の無念のためにも。
投稿: 田村 秋生 | 2009/11/20 12:06
民主党が今の寄り合い所帯のまま、我々が求める官僚主導体制の解体と民主主義体制の骨格作りを行うことは、非常に困難であると考えています。
既得権益組(新自由主義派も、彼らの政策が特定集団の利益拡大と一般国民の脆弱化をもたらすという意味で同類だと思います)である連合や政経塾出身者をどうやって骨抜きにするのか、地方議員と国会議員との「思考のねじれ(?)」をどう解消していくのか、注意深く見守っています。
今回の選挙のように、マスコミ報道からは全く見えないところで、地殻変動が起きているように思えます。
今回の組閣が発表されたとき、田中良紹氏が、外相、国交相、厚相に、反鳩山&小沢が揃った顔ぶれを見て、「考えた人選」とコメントされていたことを思い出します。
彼らが国民の納得する良い仕事をすれば政権にとってプラスなのは言うまでもありませんが、仮にヘマをしでかせば、彼らの党内の影響力が一気に低下するからです。
マスコミの喧騒を避けて、一段高いところから事態の推移を注意深く見守りたいと思います。
投稿: 悪代官 | 2009/11/20 02:46
”新党”問題はいつか提起されるとは思ってたので、驚くことではありませんでしたが、平野氏の「3派」論の解説はほとんど納得できます。
敢えてここで政治的スタンスを言っておけば、僕はまだ「保守」という概念になじめないでいる人間ですが、”この国の”「左派」は現在”不在”と思ってるので、田中康夫氏の”発想”は最も今の僕には”近い”ものとして、陰ながら応援してるのですが・・・。
フランス語が初歩のままできてしまったので、正確な政治的発言、意味が理解できてる訳ではありませんが、仏「NPA(反資本主義新党)」のブザンスノ氏などの「左派」運動には共感できるものがあります。もう仏・共産党はほとんど不在?のままでありながら、若き仏・左派リーダーは”闘う左派の統合・連帯”を求めて、テレビ討論ではスター並みの人気度?か、若者や労働者、国民にに真剣に訴えてる姿は、共感するゲバラを想いおこさせます。
<ご参考までに>
http://www.npa2009.org/npa-tv/all/13982
投稿: 田村 秋生 | 2009/11/19 10:06
有田さんが民主党入りのニュースを見て、仰天しました。もう寝ようかと思ったところなのに、目が冴えてしまいました。
これはどう理解したらいいのでしょう・・。
投稿: Linus | 2009/11/19 01:51
我々国民は今までと同じようにお任せ主義でおれば、民主党も自民党化するということを認識しなければならない。
管理人さんや他のブログを読んでて思うことは、皆一様に苛立ちを抱え、限界を感じてるように思う。それは当たり前で、全国民がテレビというものから殆どの情報を得てるという現状があるからだ。
ここから先は民主主義の産みの苦しみ、血を流すしかないのかもしれない。我々にその勇気と信念があるだろうか。我々にそれができなければ、我々自身も闘おうとしない政治家と同じである。しかし、政治に興味を持たない今の日本国民の為に我々は立ち上がれるだろうか? 私の中にあるのはこのジレンマです。殺された石井紘基氏もこのジレンマと闘いながら良心に従い活動していたのだと思う。
管理人さんや他のブロガーの方も、私と同じで最後の一線まで踏み込めない自分に対して苛立ちを覚えているのではないか。私はそのように感じます。
ここから先はどれだけの方たちが、その一線を越えられるかが勝負だと思います。
生意気ことばかり書いて失礼しました。
投稿: さとし | 2009/11/18 14:35