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2009/07/23

尼崎から「改国」宣言~全文

「アメリカン・ドリーム」を夢見た人々と同じく、「アマガサキ・ドリーム」の期待を抱いて移り住んだ市井(しせい)の人々が、尼崎市民には数多いのです。 “やっちゃ場”の活気と活力に満ち溢れる街、と形容し得る所以(ゆえん)です。
 思えば、阪神間と呼ばれる地域は、一ノ谷の源平合戦以降、絶えて歴史の教科書に登場しませんでした。再び、“時代の舞台”となるのは、明治維新以降です。殖産興業の掛け声と共に、神戸には巨大な造船所や製鉄所が誕生しました。
 他方、同じく阪神間なれど、市外局番も兵庫県内で唯一「06」の、大阪と接する尼崎では、紡績工場を始めとする町工場が営まれ、九州や四国、更には奄美大島、沖縄の島々から移り住んだ人々が、モノ作り産業の現場で勤務します。
 富国強兵の宿命を課せられたのが神戸であるとすれば、経世済民の希望を求めたのが尼崎。それは、映画「ALWAYS三丁目の夕日」の原作者・西岸良平氏が描く世界そのものなのです。
 利用者=消費者不在な経営効率至上主義の暴走を続けた挙げ句に数多くの犠牲者を生んだJR西日本の列車事故発生直後、迅速且つ適切な齊藤十内社長の決断と指示の下、日本スピンドル製造株式会社の従業員が、隣接する尼崎市公設卸売市場の面々と共に救出活動に駆け付けたのは、偶(たま)さかの行動ではない、と僕には思えます。
「世を経(おさ)め民を済(すく)う」経世済民こそは、人が人のお世話をして初めて成り立つ福祉・医療・介護・教育・環境の現場に傾注投資し、地域の活力と雇用を生み出す政治の立脚点たるべきです。而して、拙(つたな)き文章と発言を続けていた口舌(こうぜつ)の徒(と)・田中康夫に、信念と行動力の有言実行者たれ、と目を見開かせてくれたのが、大震災後の阪神間でした。
 日本の開国であった明治維新から140年有余、旧態依然な公共事業の現状に象徴される官僚統治・中央集権の既得権益社会を抜本的に改めるべく、尼崎の地で働き・学び・暮らす人々と共に「日本の改国」を。それは、善男善女の代弁者たる政治家が、官僚機構の下手人たる政事屋へと朽ち果てている惨状を、尼崎の地から「改国」する闘いでもあるのです。

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