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2009/06/05

「THE JOURNAL」への疑問

男性にはあまり知られていないが、女性、とくに主婦層から圧倒的な支持を得ているクックパッドという料理レシピのサイトがある。多くの女性が自分のレシピを投稿する一方で、実際にそれをつくってみた人がコメントをする。するとさらにレシピ投稿者がコメントを返すことができる。
なにしろ投稿しているのが主婦なので、素早く作る、手抜きをしたいけど美味しく作りたい、あともう一品を軽く作りたい、、、などといった日々の生活のなかで彼女たちが考えるレシピが多々あり、それを素早く検索することができるのが特徴だ。
いまやこのクックパッドは巨大サイトに成長したわけだが、その中身は従来のメディアで展開された料理番組や記事とはまったく違う。そもそもここには権威のある料理研究家や料理人といった人たちはまっくた登場しない。そのすべてがこのサイトの一般ユーザー(女性が9割とのこと)で占められている。つまり既存メディアにおける権威や価値とはまったく無関係なのである。
私の妻もこのサイトをよく利用しているが、夕方になるとアクセスが集中してつながりにくくなるので、なるべく空いている時間に検索をするようにしているという。それでも夕飯を作っている最中に私がパソコンを使っていると、「ちょっとどいて」といってクックパッドで検索をしている。その結果、これまではそれなりに料理の本や番組、あるいは女性誌の記事を参考にして料理をしていた彼女は、もはや既存の媒体にはほとんと接触しなくなってしまった。
そうしてこのクックパッドを見ていると「Webにおけるインタラクティブ、フラットというのは、こういうことをいうんだろうナ」と思うのである。

このクックパッドとはおよそ真逆なサイトが「THE JOURNAL」だ。
私もこのサイトは時々見るが、執筆者は玉石混交である。田中良紹のような玉もいれば岸井成格のような石も転がっている(私の場合、基本的には田中良紹の「国会探検」だけをRSSで購読している)。ただ、執筆者はすべて「プロ」と称する人々である。
私がこのサイトに疑問を持ったのは、岸井成格の小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局という見るに堪えない原稿に多くの人の批判的なコメントがつき始めた頃からである。この原稿がアップロードされたのは4月1日であるが、それから2ヶ月以上たった現在も、この原稿は放置されたままで岸井本人も、そしてサイトの創設者である高野孟からもなんのリアクションもない。

そこでこのサイトを改めて見てみると、高野によって書かれた「《THE JOURNAL》宣言」なる一文があった。
これを読んでみて、私の疑問はますます膨らんだ。
この宣言は冒頭で以下のように宣言している。

その名も《THE JOURNAL》、「これがジャーナリズムだ!」という心意気で、インフォメーションの量の多さではなくインテリジェンスの質の高さを追求する、まったく新しいブログ・サイトを創設します。ネット上では、マスメディアの報道を借りて細切れにして並べただけのニュース・サイト、アマチュアが自由にニュースを論じる掲示板やSNS、市民記者や読者が参加する双方向性を活かした新聞、個々の記者や専門家による個人的発信など、様々な試みが展開されています。しかし、多数のプロフェッショナルなジャーナリストをはじめ各分野の知の達人たちが協働して1つの情報解放空間を共有し、「これでいいのか、日本!」と論じ合っていくクオリティ高いメディアは、まだどこにも存在していません。この国ではまだほとんど誰も踏み込んでいない独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史が、ここから始まります。

このサイトというのは「プロフェッショナル」と称する「ジャーナリスト」が「協働して」「論じ合っていく」「クオリティの高いメディア」を目指しているとのことで、「独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史が、ここから始ま」るというのだが、私の印象ではすでにネット上には相当にすぐれたブログ・ジャーナリズムが存在していると思う。
その中にはプロの書き手もいるが、一方でプロでない書き手も相当数存在する。後者はプロではない、つまりジャーナリズムを生業としているわけではないが、しかしその分析、評論の力量、クオリティは「プロと称するジャーナリスト」をはるかに上回っているケースもしばしばある。そのレベルと比較すると、はっきりいって「THE JOURNAL」の執筆人の力量は大したことはない。(もちろん田中良紹のような例外もある)。

ま、それは当然で、そもそもこの執筆陣のなかには「?」の人物も少なくない。前述の岸井しかり、高野孟にしても、小沢秘書問題では一見、まともなことを書いているように見えるが、「小沢一郎は飛びぬけた金権体質で、そんなことは誰でも知っている」といとも簡単に書く。それに対する根拠をコメントで求められても無視を決め込んでいる。田原総一朗については言わずもがなだし、二木啓孝にしても飯島勲を前にすればご意見拝聴に徹することしかできないレベルだ。
週刊朝日編集長の山口一臣は昨年の秋葉原の連続殺傷事件の際に『「若者」に気をつけろ!』というタイトルをつけ、あるいは握手している麻生太郎と島耕作を表紙にした人物である。今年になって「朝日ジャーナル」を「怒りの復活」したそうだが、私は目次を見てそのあまりの旧態依然ぶりにすぐに手に取った雑誌を元に戻した。

「THE JOURNAL」に話を戻すと、私がこのサイトに感じる違和感のもとは、結局のところ「《THE JOURNAL》宣言」に象徴される権威主義の匂いにある。
既存メディアを批判するのは結構だが、そもそもそれをつくってきたのはまさにこの人たち自身だ。それをいまになって日本のマスメディアは瀕死の状態だから自分たちは「独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史」をここから始めるという。それでいてやっていることはというと、相変わらずの一方通行で、原稿を書いてはみたものの批判が出ると無視を決め込む。そこにはWebの最大の特徴であるインタラクティブでフラットな空間はない。
せいぜいが「読者はコメントをつけられますよ」という程度のものでしかないのである。いったいこのどこが「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」なのだろうか。
むしろ参入障壁という規制に守られた既存メディアの枠には入れなかった無名の人々の独自の視点、疑問、批評の方がはるかに新鮮であり、それらが互いにトラックバックされることで議論が深まっていくことこそが「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」なのではないのか、そうしてこの場合、権威などというものはさしたる意味はないのではないか、と私は思うのである。

私は少なくとも「THE JOURNAL」は「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」にはなり得ないと思う。もちろん、Webに活動の場を移しても光り輝くプロのジャーナリストはいるだろうが、プロなら誰もがWebで通用するわけではない。むしろ誰でも参入できるブログ・ジャーナリズム市場のなかで多くの人の目にさらされた中から頭角を現してきた素人の書き手の方が、名前だけのプロよりもはるかに優秀である可能性は高い。
つまり、「既存メディアでプロだった」という経歴は、ブログ・ジャーナリズムの時代にはあまり意味がないのである。
おそらく「THE JOURNAL」は既存メディアの限界を素早く感じ取った「嗅覚」の鋭い人々が選んだ次なる舞台だったのだろうが、残念ながらそこではかつての「権威」は通用しない。

※私でもできたクックバッドのパスタ・レシピ
あたしんちの♪ミートソース(息子が「クソうまい」といった)
牛乳・全卵で☆濃厚カルボナーラ☆

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コメント

お説鋭いですね 同意します。
私も最近感じるのですが         「クリフオード ストール」と言うアメリカのおっちゃんが書いた「インターネットはからっぽの洞窟」と言う本見たんですが、考えこんでしまいますね。要するに人間関係が壊れている社会はなにをやってもあきませんな。
鳩山さんの「友愛」にすがることにしますか。

投稿: | 2009/06/08 00:18

はじめまして、こんにちは。
私もTHE JOURNALを読んでます。
仰る通り玉石混合ですね。
あそこは記事そのものよりも、コメントを
楽しみにしています。

>おそらく「THE JOURNAL」は既存メディアの限界を素早く感じ取った「嗅覚」の鋭い人々が選んだ次なる舞台だったのだろうが、残念ながらそこではかつての「権威」は通用しない。

という意見は面白いです。
ただ、1つ。既存のメディアは顔と実名を明らかにしています。
内容、スタンスは別にして、個人の名誉、責任を負って書いている点は評価できると思います。
クックパッドは嫁さんに紹介してやりたいと思います^^

投稿: 山本 | 2009/06/05 19:07

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