小沢関連~小沢秘書逮捕と見るに堪えない「原稿」
「われわれは印象社会とでも呼ぶべき牢格子=島国のなかに囲い込まれているが、その印象の表面をあくまで印象としてかき回す、いわば記号操作こそが、最高度に達した権力の手法にほかならないのである。」
「マスコミと裁判所は権力の手法の二大武器だ。そして、それらはみごとに重なっている。」
(1989年7月31日初版 岡庭昇著 『この情報はこう読め』より)
この国のメディアの得意中の得意技は、レッテル張りによる印象形成と、その印象の洪水のような垂れ流しである。この際、その印象が事実かどうかはまったくの無関係だ。
今回の小沢秘書逮捕でもその技がいかんなく発揮されている。
ただ、今回はこの印象形成に対する疑問が市井の人々からわき上がっているのがこれまでと違うところである。
ネットが発達するようになって(実はパソコン通信の時代からそうなのだが当時とはスケールが違う)一つ世の中が大きく変わったのは、自分一人で思っていたことを実は多くの人が同じように思っていたことがわかるようになったことである。さらに、そういう人たちがメールやブログでつながるようになった。しかも彼らが発信した情報は検索と口コミによって多くの人々の目に触れることが可能になり、しかも無視できないトラフィックを得るようになってしまった。
これまで新聞記者は自分の書いた原稿について同業者以外から公然と批判されることはなかったろう。しかし、いまや無名の人たちがこの原稿を読んで、その内容を吟味し、論じることができる。
だが、そこのところがまったくわからない旧態依然とした記者たちは(しかも彼らは往々にして権威主義者である)、今日も昨日までと同様の手法で原稿を書き続ける。ちなみに下記のリンクで一番面白いのは、コメント欄である。
・岸井成格の「政界疾風録」
小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局
※明日売りの「週刊文春」には「小沢一郎の賭け」というタイトルの櫻井よしこ、郷原信郎、上杉隆の鼎談あり。内容は読んでいただくしかないが、一点、郷原氏の指摘だけ引用しておく。
「もし今回の摘発が正統だとすれば、小沢代表以外の全国会議員が、検察にお目こぼししてもらっている状態です。これでは、もはや検察は“将軍様”。国権の最高機関である国会よりも検察の権力が上、という構図ができてしまうことが問題だと思うのです。」
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