彼らの悲願
本日の日経朝刊9面にあった「きしむ雇用」という記事のなかに興味深い部分があった。
「日本自動車工業会によると、日本車メーカーが大規模減産に伴う人員削減に要した時間は、一九九三年の第一次石油危機後は四・九%減らすのに二年、バブル崩壊後は二・四%減らすのに二年。二〇〇〇年前後のITバブル崩壊後は二〇%超減らすのに六年近くかかった。当時は正社員が大半を占め、労働組合との交渉や早期退職の募集に時間を要した。
それに比べると今回の調整速度はずばぬけている。『非正規社員の存在が柔軟な生産調整を可能にしている』(自動車大手幹部)。過去最速の生産調整の結果、各社は過剰な在庫を抱え込まずに済み、需要が戻れば業績が回復しやすい。雇用の流動化が企業の危機対応力を高めたともいえる。」
連日報道される非正規社員の解雇問題。とくにトヨタやキヤノンといった日本経団連トップの出身企業で大量の解雇が起きており、それに対する批判が高まっている。
が、上記の記事を読むとわかることは、「(トヨタやキヤノンは)これまでやりたくてもできなかったことが、ついにできるようになったので早速やっている」という露骨な本音だ。
賃金には下方硬直性があるというが、経営者にしてみれば正規社員を減らそうにも同様の硬直性がある。
これは雇用される側の立場から見れば一つのセーフティネットであるが、経営者から見ればコストになる。
そこでいつでも調整できるような弁として、かねて経団連の悲願だったのが非正規社員の導入である。
とくにトヨタなんぞは長年、コストダウンに取り組むだけ取り組んできたため、もはや普通にやっていたのではコストを下げる余地はなくなってきている。しかし、ふと目を移すとそこには雇用という、彼らからすれば手つかずの“宝の山”があったということだろう。
ここにおいて問題なのは雇用という、人間が生きていく上でもっとも重要なものが意図も簡単に生産調整の道具となっていること、企業の危機対応策の中にこれまた意図も簡単に組み込まれていることである。
これはある意味で人間存在の基本に関わる問題だ。
それだけに、これまでの経営者や政治家はさすがにここには手をつけなかったわけだが(やりたかっただろうが)、そこに登場したのが小泉純一郎である。小泉は“改革”と称して竹中平蔵、奥田碩、御手洗冨士夫らと手を組んで、一挙にこのセーフティネットをぶち壊した。
その結果、現出したのが今日の状況なのだと思う。
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