いまwebのニュースを眺めていたら、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏が自殺したというニュースを目にした。
この「疑惑」は私が学生だった20年以上前、週刊文春に掲載された「疑惑の銃弾」という「スクープ連載」を発端に、日本中で話題となったもので、当時はすべてのメディアがこの文春記事を追って報道合戦を展開した。
一方で、この「疑惑」はメディアの報道のあり方というものを根本から問われたものでもあった。
なにしろあらゆる媒体が報道合戦を繰り広げた結果、それこそ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに(そういえばビートたけしが出てきたのもこの頃で、当時の雰囲気をこのフレーズは的確に言い当てている)、ありとあらゆるメディアが三浦氏が「疑惑」とされた事件の犯人であるとの前提のもと、裏づけのないデタラメ記事を書き散らしたり、三浦氏の人権をまったく無視した取材を繰り広げた。
その背景にあったのは「自分たちだけでなく他のメディアもやっている」、「面白ければいい、視聴率が取れればいい」という考え方である。
結局、三浦氏は逮捕されたが、この際はメディアが作った信じられないぐらいの数のカメラの列の間を拘束された三浦氏が素顔のまま引き回されフラッシュを浴びるという「儀式」までが行われたと記憶している。
ところが三浦氏は拘置所の中から一人で裁判を起こしてこれらのメディアとの戦いを始めた。
そしてこの戦いでメディアは負け続けた。
さらに自身の裁判についても本件とされたものについては無罪を勝ち取った。
しかし、メディアの内部ではほとんど反省は見られなかった。
むしろ悪びれもせず、「当時はみんながしていたから自分もした」、「あの時は疑惑を取り上げれば視聴率が取れた、媒体が売れたから当然だった」と思ったはずだ。
そうしてメディアはいくばくかの慰謝料を払いながら、同じような事件があれば「ロス疑惑」と同じようにバカ騒ぎを繰り返した。
このような経過を経て、長い拘留から解放された三浦氏が、またぞろサイパンで今度はアメリカ側に拘留されてロサンジェルスに移送された。まずこのサイパンでの拘留について私は強い違和感を感じた。
一方で、ここまで負け続けたメディアの側は、さすがに当時よりも節度は保ったものの「やっぱりやってたはずだ」という「空気」をしたたかに漂わせることは怠らなかった。
三浦氏の「疑惑」が本当にあったのかどうかは知る由もない。が、少なくともこれだけのメディア(&権力)の総攻撃に対して、支援者はいただろうが基本的に“個人”として戦い、しかも一定の勝利を収めた三浦氏に対して、私は敬意を感じていたし、その気持ちは今でもかわらない。
個人的にはロサンジェルスに行っても頑張って欲しかったし、多分、彼ならそうするのだろうと思っていた。
しかし日本でのあまりにも長い拘留、そこからやっと解放された後にまた今度はアメリカ側からの拘束。そうして日本のメディアの反撃。
さしもの強靭な精神力をもってしても、これ以上、戦うだけの余力はなかったのだろう。
さらには年齢的なものもあったと思う。
この件で私がとても印象に残っているのは、三浦氏が拘留された当時の手記で、彼は自身の置かれた環境をして「日本は本当に民主主義の国なのか?」ということを常に問いかけていた。それは司法、メディアという権力の権化と対峙した人間のまさしく実感であり、しかもタブーだった。
つまり三浦氏は権力にとって鋭くとがった、しかもやっかいな棘だったのだと思う。
今回のサイパンでの拘束は日本とは関係なく、アメリカ側が勝手にやったもので、しかも本当に新証拠があったのかもしれない。
それはわからないが、私は日本の官&メディアという圧倒的な独裁権力を相手に一人で戦った個人として心から敬意を表するし、その死を残念に思う。
三浦和義氏のご冥福をお祈りする。