教員不正採用の徹底調査こそ「安心実現」への道
第二次福田政権のスローガンは「安心実現内閣」であり、消費者行政に力を入れていくそうだ。
農相などは「消費者がやかましいから徹底してやっていく」という(これに対して福田首相は「『あまり適切な言葉でない』と述べ、不適切だとの認識を示した」(日経)というが、「あまり適切な言葉でない」と「不適切」はイコールなのだろうか?) 。
そこで、もし本当にこの内閣が国民の安心を第一に考えるのならば、何よりも優先してやって欲しいことがある。
それは大分県以外の都道府県のにおける教員採用の徹底的な実態調査である。
おそらく教員不正採用問題が、大分県の特殊ケースだと考えている人はほとんどいないだろう。私自身、採用ではないが異動についてならば、政治家の口利きというものがいかに絶大な威力があるかを目の当たりにしたことがある(もちろん大分のことではない)。
数週間前に「教育委員会」という特集を組んだ「久米宏 ラジオなんですけど」に寄せられた意見でも、これが大分独自の問題だと思っている人は皆無である一方、「口利きを一度断ると二度と採用されない」など内部告発のようなメールも多数あった。
ところで公立学校へ子どもを通わす親にとって、何よりも重要なのは教員の“質”である。
私も公立学校の教員を親の立場から十年以上見てきたが、「いい先生だな」と思った教員の数は決して多くない。
一方で年によっては明らかに問題教員に当たってしまうこともある。こうなるとその1年間はとにかく我慢するしかない。いくらなんでもおかしいと思っても“やかましく”文句でも言おうものならばどんな成績をつけられるかわからない。教員は子どもに対して「成績表」という生殺与奪の権を握っているのである。
ここで思うことは、公立の教員というのは一度なってしまうと、競争原理がまったく働かないということである。
もちろん教育の現場とマーケットという考え方が必ずしもなじむとは思わないが、しかし問題のある教員が何の罰も受けずに生きのびられる環境にあることも事実で、そこが私立の教員や塾の教師と違うところだ。
そもそも、、、
一般の企業であれば、どんなに優秀な大学を卒業しても、入社早々から戦力として一人前に働くことはできない。これは社会経験が少ないから当然のことであり、先輩社員について徐々に仕事を覚えていくものである。
ところが公立学校の教員というのは採用されると途端に子ども、そしてはるかに年上の親からも「先生」と呼ばれる存在となる。しかも食いっぱぐれがない。そういう環境で教員としての向上心を持つのはなかなか難しいように思うのである。
しかも、「久米宏 ラジオなんですけど」に寄せられたメールにもあったが、教員への情熱があっても(口を利いてくれる人がいないため)何度試験を受けても落ちてしまう人がいる一方で、能力とは関係なく合格していく人もいるという。
それでもかつては教員の採用枠自体が広かったから口利き採用ばかりではなかったろうが、この少子化の時代は採用枠も狭い。したがって、おそらく口利き採用の率は上がっているはずだ。
と考えていくと、これはただごとではない。
かつて田中康夫は長野県知事に就任した時、「県の職員はパブリック・サーバントでなければならない」と言ったが、私に言わせればこれは教員だって同じである。であるならば、国や自治体は安心で質の高い教育サービスを提供しなければならないはずで、これも一つの消費者行政だ。
口利き、つまり公正な競争を経ないで採用された教員が子どもを教育し評価をするというのは、あってはならないことなのだから徹底的に調査をして、せめて「灰色教員の比率」ぐらいは公表して欲しいものである。
もっとも、徹底調査をしたら収拾がつかなくなり、与党のみならず野党にも飛び火するだろう。つまりこの問題は現在の日本の縮図だと思うのである。
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