新聞の政治面は究極のタイアップ広告
昨日、帰宅して夕食を食べているとレッドカーペットという番組を息子が見ていた。見るとはなしになんとなく画面を見ていると(そもそもこの番組に出演する“芸人”の何が面白いのかさっぱりわからない)、全身タイツで胸にヌーブラを着けた女の子2人組が出てきた。彼女たちは何か芸をしているようなのだが、何を言っているのかはわからなかった。ただやたらに「ヌーブラ、ヌーブラ」と連呼している。
テレビ内ではみんなで受けているのだが、これを見ていた私はぜんぜん違うことを考えていた。
それは、、、
「これって深いところでカネが出ているヌーブラのタイアップ? なわけないか、、、」
もちろんこれは彼女たちの“芸”のためのアイテムなのだろうが、それにしてもなかなかの宣伝効果ではある。実際にヌーブラのクライアントがこの露出の仕方を喜ぶかどうかは微妙なところだが、少なくとも広告業界で言うところの“ノイズ”は立っており、広告代理店の人間ならば、求められれば即座にその広告効果をもっともらしく数値化することはできるだろう。
ところで、これは以前にも書いたと思うのだが、広告には純広告とタイアップ広告がある。純広告はクライアント側が制作するもので思い通りのビジュアルと広告表現が可能だ。ただし欠点はこれが誰の目にもはっきりと広告だとわかってしまうことで、それがわかった瞬間、見ている方はスキップしてしまう可能性が高い。
これは新聞、雑誌などによく見られるケースだが、HDDレコーダーに録画したテレビの視聴においてもCMのスキップは広告業界的には大きな問題である。
そこで近年、クライアントの志向が高まっているのがタイアップである。これは雑誌や夕刊紙などに顕著だが、各媒体に合わせてその都度都度でつくる広告である。
制作は基本的に媒体社側が請け負い、その媒体にあったテーストで広告をつくる。たとえば専属モデルを起用したり、レイアウトなども媒体社側のデザイナーを起用することで編集誌面と広告の区別がつきにくくなる。結果、読者の側からすれば記事のつもりで広告を“読む”ことになり、純広告よりも効果が上がる可能性が高い(この中間にクライアント制作、あるいはプロダクションなどに外注する記事広告があるが、これはやはり広告に見えることが多い)。
もちろんタイアップにもデメリットはある。純広告に比べると表現に縛りがかかるし、なによりも広告代理店を間に挟みつつもクライアントと媒体社がやり取りをする分、原稿制作の手続きが非常に煩雑になるし、ちょっとしたことが大きなトラブルに発展してしまうこともある。
しかし、それでもとくにここ最近、雑誌や夕刊紙においてはこのタイアップをいかにとっていくかがポイントになっている。
と長々と書いてしまったが、実は今日書きたかったのはそのことではない(^_^;)。
ここで話がガラッとかわってしまうのだが、例の暫定税率の再議決の件で個人的に改めてわかったことの一つは既存のメディア、とくに新聞記事の政治面は読むに値せず、またテレビに出てくるキャスターやコメンテーターの主張は聞くに値しないということだった。
ことここに及んでも与党寄りの報道を続け、自民党幹事長(この人物はこれまであまり政界では目立たなかったが、ものすごいアホでレベルが低いことも今回よくわかった)が記者会見で吐いた「これが政権担当能力」などというセリフをなんの批判もなく垂れ流している。
相も変わらず記者クラブに所属する連中が、与党や官からの下げ渡し情報を何の検証、調査もしないままに、さもこれが“真実”であるかのごとく書き、それを読者や視聴者に刷り込んでいく。結果、この“報道”が世論を動かす。
これまでも幾度となく批判されてきた記者クラブ制度なわけだが、広告的視点からこのシステムを見ると、まさにクライアントが求める究極の「タイアップ」の形態である。
クライアント(与党や官)は「こう書いて欲しい」と思うことを記者に渡す。すると記者はそれを政治面にリアルに“記事風”に書く。これが「提供:自民党」だの「提供:財務省」といったクレジットが入ってしまっては台無しだ。ここで肝心なのはそれが「ノンクレジット」であること。
ところで雑誌などでもそれが記事なのか広告なのかを見分けにくいページというのも確かにある。それでもよくよく見ればクレジットが入っていることもあるし、あるいは入っていなくてもその記事の掲載ページが後ろの方だった場合、タイアップである可能性がある。(単純に純広告に対するサービスとしての編集記事というケースもある)。
雑誌で言えば広告スペースとしては一般に“より前のページ”であるほど価値が高い。ただしやはり編集記事があっての媒体であるわけだから、最初からタイアップというわけにはいかない。
ところが新聞の場合、1面やら2面やら3面、さらには社説にまで堂々と記事と見まごうタイアップを掲載でき、それが効果抜群なのだからクライアントにしてみればたまらない。それを読んだ読者は最初は疑問でも「新聞が書いているんだから、今回の暫定税率の復活はしかたがないけど、いずれ一般財源化すればいいんだナ」となっていき、ついには世論調査でも与党有利の結果が出るというわけで、恐ろしく洗練された広告手法である。
自分がジャーナリストなる範疇に入ると思っている人々ほど、往々にして「広告」というものを忌み嫌う傾向が強く、またプライドが高いものだが、なんのことはない、そんな連中こそが究極の広告手法の手練れなのである。
というようなことを考えるきっかけをつくってくれたのはこちら↓。
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