コメンテーターが作り出す「空気」
以前からとても気になっていることなのだが、テレビのワイドショーには必ずコメンテーターと称する人が出てくる。
この人たちはさまざまな事件や政治の問題についてのVTRを見たあと、司会者から話を振られたところで“さも中立なふりを装って”意見を述べる。さらにそのコメントを継いで司会者が締めるというパターンが定着している。
これは日曜日にやっている政治討論番組などでもそうで、与野党がキャンキャン言い合ったあと、真ん中に座っている“一見、中立を装った有識者”がコメントを述べて全体を締める。
ところがこの中立を装ったコメントというのがくせ者で、得てして強いバイアスがかかっている。
ま、個人のコメントにバイアスがかかっていること自体は当たり前のことで、そもそも中立などとういのはあり得ない。
問題はそのコメントが締めに使われることである。
「朝まで生テレビでもっとも重要なのはCM前の最後の10秒をとることだ」と田原総一朗が言っていたのを聞いたことがある。どんなに議論が白熱していても、CMへ行く前の最後のところで断定口調で話すと、その印象が強く残るのだそうだ。ましてCM明けに話題が別のことに変わっていれば、その効果はさらに上がるらしい。
つまりテレビにおける締めのコメントやセリフというのは、山本七平が言うところの「空気」をつくるための非常に有効なツールなのである。
そしてここで作られた「空気」というのは「お茶の間=世論」に強い影響力を持つ。
さらに、あるテーマにおいて一つの空気が出来上がると、この国のマスコミというのは雪崩を打ってその方向へ流れていく傾向がある。
これはとても危険なことだと思う。
そこでいつも思うのだが、、、
コメンテーターと称する人たちは、たとえば政治的なイシューについてのコメントをする場合、せめてその前に直近の国政選挙における自分の投票行動を示してほしい。その上でコメントをすれば、見ている方はそこにかかっているバイアスを多少なりとも修正して受け取ることができると思うのだがいかがなものだろうか。
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