亀田のライセンスよりもTBSの放送免許を取りあげるべきである
暗澹たる気持ちになった試合。ひとことで言えば、昨日の内藤-亀田戦を見た感想はそういうことになる。
ただし亀田親子に対してではない。この試合を放映したTBSに対してである。
もちろん亀田親子のボクシングに対する姿勢はまったくもって論外だ。昨日の試合内容や態度、ラウンドの合間の父や兄からの小声のアドバイスの内容などはボクシングと呼べるものではなく、そもそもこの親子にはボクシングに関わる資質が皆無であることは明らかだし、ライセンスを取り上げるべきだという批判もうなずける。
しかし、それでもなお彼らもまた被害者なのではないか思うのである。
ひょっとすると亀田親子はボクシングに熱中はしているがちょっとピント外れの、ちょっと粗野だが素朴な人間性の持ち主なだけなのかもしれない。
ま、それはわからないが、少なくともおよそ真っ当なボクシングとは縁遠いこの親子を煽りたてて視聴率取り=金儲けの道具にしたのは間違いなくTBSである。言葉は悪いが亀田親子は単なる猿回しの猿であって、最大の問題は彼らを後ろから操っていた連中だ。
しかも昨日の試合でTBSが卑劣なのは、日本人同士の注目の試合ということで、「公平性」を打ち出したことだ。もちろん放送は圧倒的に亀田寄りではあったが、それでも最後のところで「公平」を口実に亀田が負けた場合の「保険」を自分たちにだけしっかりとかけたのである。
「視聴率が取れれば」、あるいは「売れれば」なんでもいいのか?という疑問が提示されることはよくある。これに対する私の答えは「視聴率を取ること」「売れることは」非常に重要だということだ。したがって視聴率競争や販売競争がなんでもかんでも悪だというつもりはないし、むしろ利益を上げるという行為自体はまったく正しいのは当たり前のことである。
しかし同時に、いくら儲かるからといってもやってはいけないこともある。昨日のTBSの放送はその許容限度をはるかに越えていたと思う(亀田戦はいつもそうだが)。
ここでTBSがとくに批判されなければならないのは、電波という公共性が高く、しかも圧倒的に影響力の大きい媒体の事業者であるということだ。にもかかわらずプロレスのような興業ならともかく、真っ当なスポーツのありようをまったくのでっち上げによってねじ曲げたあげく、自らが持つ「装置」で宣伝しまくるというのは、ボクシングにおいて相手を抱えて投げつけるのと同じく禁じ手である。
その意味で昨日の試合はこの局が放送事業者としての資質に欠けることを十分すぎるほど露呈したわけで、亀田のライセンスを取り上げるよりも、まずTBSの放送免許を取りあげるべきである(もっともこの状況は他局においても、また新聞においても似たようなもので、要はこの二つのメディアというのはそもそもロクなものではない)。
最後に昨日の試合のそれ以外の雑感
・あの手の番組は、生放送を見逃した場合、自分で録画したものを見るよりも、ニコニコ動画で見たほうがはるかに面白い。また生で見ていても、あるいは結果がわかっていても改めてニコニコで見るのは面白くしかもその面白さが圧倒的。日本ではyoutube以上のアクセスがある理由が改めてわかった。
・内藤の「国民の期待にこたえたい」というキャッチは自分的には今年の流行語大賞。
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