落合博満は“深い”
30年来の中日ファンである。といっても名古屋とは何の縁もゆかりもない神奈川出身で、ナゴヤ球場にもナゴヤドームにも一度も訪れたことはない。
では、なぜドラゴンズファンになったかというと、そのきっかけは巨人のV10を阻止したからである。つまり読売嫌いなのだ。
以後、30年にわたり中日を応援し、その間、二度のリーグ優勝をスタジアムで見た(1982年と1999年)。
とはいえこの30年の間には力を入れて応援していた時期とそうでない時期がある。傾向的にいえば年をとるとともに熱意が薄れつつあるのだが、ここ最近、落合が監督になってからは再び力を入れて試合を見ている。
それは落合監督が“深い”からだ。
とはいえ最初に落合が監督になると聞いたときには「果たして大丈夫なのか?」と思った。球団が落合か野村(克也)で迷ったという話を何かの記事で読んだときには「野村の方がいいのでは」とも思ったものである。
そうして迎えた1年目。補強はなく現有戦力の底上げを旗印にキャンプで初日から紅白戦、さらに開幕投手は川崎憲次郎。「やっぱり落合という人は監督というタイプじゃないんじゃないか」と思いながらのシーズンインであったが、結果的にはセリーグ優勝。
以後、監督4年のうち日本シリーズに3度出場しているわけだが、この成績以上に心を引かれるのは落合という人物が監督として(&人間的に)非常にレベルが高いと見受けられるからである。
落合と言えば代名詞は「オレ流」、それが転じて現在では「オレ竜」などと言われている。マスコミが作り上げたイメージは「孤高の人」、「自分勝手にやっても結果さえ残せばいいんだろ的な人物」というあたりになる。これは実はマスコミ的には「話題にしやすく」かつ「非常に叩きやすい」タイプである。
監督としてこれだけの結果を残しているのにもかかわらず、マスコミでは必ずしも落合を好意的に報道していない、どころかむしろネガティブな記事の方が圧倒的に多い。
その原因をたどっていくと、どうやら報道陣と落合との関係が良好ではないからのようだ。そこでマスコミは反落合に位置する人物を取材して、そのコメントを大きく報道する。現在の中日のコーチングスタッフを見ると、要所を生え抜きではない人物が占めており、それを面白く思っていないOBあたりを取材すれば、いくらでも「見栄えのする」コメントを取ることはできるだろう。
しかし、監督の仕事というのは勝つことで、そのために優秀なスタッフを連れてくるのは当たり前のことだ。しかもこのコーチたちは現役時代から落合と仲のいい麻雀仲間というような類ではなく、むしろあまり接点がなかった人物もいるらしい。にもかかわらずコーチとして中日に呼ばれたのは、落合がその人物の能力をじっと観察していたからだ。
私が落合という人はすごいナと思うのは、選手に対する、あるいはコーチに対する、あるいは野球そのものに対するこの観察力、あるいは洞察力の深さである。
それは落合自身の著書「超野球学」を読むとよくわかる。
また個人的に印象に残ったケースをあげれば、中日の元エースだった野口がフリーエージェントで巨人に移籍した時のことが思い出される。このときマスコミは、野口はまだ十分に使えるのに落合に嫌われているというニュアンスの記事を盛んに書いていた。そうして野口は巨人へ。すると落合は巨人捕手の小田を人的補償として獲得した。マスコミ的には巨人の「大得」という形だが、実際には野口は巨人でもほとんど使い物にならず、一方、小田は谷繁の控えとして貴重な戦力となる。しかも、巨人はレギュラー捕手である阿部がケガをすると、一挙に捕手難に陥ったのである。
落合という人は、このように野球に対する見方が圧倒的に深い一方で、いわゆる日本人にありがちな浪花節的、情緒的な部分を優先しない、きわめて能力優先のドライな思考の持ち主なのだろう。したがって、いまのスポーツマスコミのレベルの低さも見抜いているはずで、それがゆえに素っ気ない態度をとるのではないだろうか。
しかも、もちろん自軍の情報をリップサービスで漏らすなどという気前のいいことはしない。それがマスコミから見ればきわめて面白くないことで、「ファンサービスの精神に乏しい」というような的はずれな批判へとつながっていく。
その昔、巨人の黄金期をつくった川上哲治は「哲のカーテン」と言われるほど自軍の情報を出さなかった。
「落合戦記という本」を読むと、その川上が落合を非常に高く評価しているという。
落合博満は監督として「平成の川上哲治」だと思う。
中日は楽天をのぞけば日本一からもっとも遠ざかっている球団である。
が、今年は私も生まれて初めての中日の日本一を見られるのではないかと期待している。
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