身体検査とアノミー
ここのところ「身体検査」という言葉がまことしやかに使われている。
もちろんこれは安倍政権の相次ぐ閣僚の不祥事による辞任の際に用いられているわけだが、この言葉を私が初めて知ったのは豪徳寺三生著「永田町の掟」という本の中においてである。
この豪徳寺というのは実は飯島勲のペンネームで、同書はのちに本名で講談社から「代議士秘書」というタイトルで文庫化された。ただこの本の中では「身体検査」ではなく「健康診断」という言葉が用いられている。が、やはり閣僚を登用する場合にスキャンダルが起きないよう、事前に身辺調査をすることを指している。豪徳寺(飯島)によればこの健康診断は宮沢内閣の頃からなぜか行われなくなったという。
この本が最初に出版されたのは1995年、つまり村山内閣の時代で小泉が総理大臣になるまでにはまだ時間がある。しかし、おそらく飯島はこの頃から、もし小泉内閣が誕生した暁には絶対に健康診断をやらなければならないと心に決めていたのだろう。
そういう意味では安倍と小泉の差は秘書の差、あるいは周りを取り囲むスタッフの差であるのかもしれない。
ところで私が不思議でならないのは、この飯島の著書の中身があまり世間で批判の対象になっていないということだ。
この本が文庫化された頃というのはちょうど小泉が総理に就任する前後だったと記憶している。そのおかげで結構な売れ行きを見せたはずだ。にもかかわらず当時もいまもこの本の内容に言及する識者はいなかった。
そこでいま改めて読み返してみると、ここには長く続いた自民党政治の本質がある意味で余すところなく描かれている(その意味では非常に面白く、エピソードの中には思わず笑ってしまう箇所もある)。それは徹底した利権政治であっておよそ理念などとういものからはほど遠いものだ。しかもそれを総理大臣秘書官にまでなった人物が一次情報をもとに書いているわけだから信憑性は100%といっていいだろう。
そうして小泉は実はこの利権体制を守るために、一見、それをぶち壊すように見せかけるという「逆張りのパフォーマンス」をしたに過ぎない。そうしてその後安倍政権という順目の体制に戻すことで日本の利権政治はさらに長く続くというのが一部の人間の算段だったと思う。
しかし、小泉の「逆張り政治」は非常に効果がある一方で副作用も激烈だった。しかもその後に政権の座に就いた安倍が血筋以外はなにもないまったくのバカだったことが誤算だったと思われる(もちろんある程度バカだということは事前にわかっていただろうが、それにしても予想外にバカだった)。
かくして日本の政治は前代未聞の液状化現象を呈している。この状況はまさしくアノミー(無秩序状態)であり、小室直樹博士によればそれは死に至る病である。
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