世界の独裁者が憧れる国
国民から巻き上げた金を無茶苦茶に浪費したあげく、年金の記録がないと平然といいのける。ことここにいたっても不明の5000万件を1年で調べるとうそをつく(といってもアベシンゾーのこの言葉にはさすがに官僚もびっくらこいて否定してしまったとのこと。当然のことだが、この国の本当の権力者である官僚の言うことの方が正しい)。この件で責任を取った人物はいまのところ見当たらず、歴代の社保庁長官を直撃すれば逆ギレする始末。
しかしこの呆れるほどの、底なしの無責任さは厚労省の官僚に限ったことではない。はっきりいってすべての官庁の官僚が同じレベルで腐っているのである。
普通の国ならとっくの昔に暴動が起きても良さそうなものだが、しかし今日も明日も明後日もそんなことは起きないだろう。その理由は、、、
文部省(現・文部科学省)が行ってきた教育にある。第二次大戦以降、この国の官僚がもっとも力を入れてきたのは国民から「考える力」を奪うことである。もちろん戦前、戦時中は徹底的に思想教育、洗脳をしたわけであるが、しかしその結果敗戦という破局を迎えてしまった。これに懲りた官僚は戦後、国民に見た目の豊かさを与える一方で企業にとって使い勝手のいいロボットのような人間を大量生産する道を選んだ。この人たちは会社のために必死に働き企業に莫大な収益をもたらす一方で、過労のために倒れても文句一つ言わない。官僚らと癒着した経営者の悪事がバレそうになれば黙って自殺して幕を引いてくれるというありがたい存在である。
そういう人間を作り上げるための教育というのは、企業のパーツとして生産性を上げるためのもので、その際、もっとも大事なことは、深く物事を考えることなく処理能力を高めるということに尽きる。
その典型が団塊の世代というヤツである。たとえば「島耕作」というマンガがあるが、この主人公(=作者)の現状肯定ぶりはことここに至っても驚くべきものがある。この世代がとくにタチが悪いのは、一方で「自分たちは逃げ切れる」という感覚を持っていることだ。私の知人は「団塊の世代は時代がつくった失敗作品」と評しのたが、これはけだし名言だと思う。
話を戻すと、独裁者にとって致命的に重要なのは国民をいかに抑えるかである。たいていのは場合は圧倒的な権力を背景にした恐怖政治によってであるが、日本の官僚が作り上げたシステムは一見、民主主義の仮面をかぶっている。もちろんその背後では自衛隊や警察が国民を徹底的に監視しているわけだが、それを露骨に出さないところがミソだ。政界には与党と野党がおり、一応、そこには対立があり、マスコミは権力をチェックしているように装っているが、実のところすべては官僚独裁のためのツールなのである。
こうして出来上がった独裁国家は世界の独裁者が憧れる理想的なモデルと言えるだろう。
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