2011/08/09

きわめて私事の話 〜 1年後

昨年の春、私は↓のようなエントリーを書いた。

・きわめて私事の話

・リストラされたオッサン(自分)が意外に明るい理由

会社を辞めたのが昨年5月。
それから1年2カ月がたって、結局、私は出版業に戻ることになった(といっても電子書籍だが)。
実は会社を辞めた当初は、この業界に戻ることはないだろうと思っていた。なにしろ見切りをつけて辞めたのだから。
しかし、25年間の会社員生活を経て、わずかでも身についたものがあるとすれば、それは出版に関わること、とくにノンフィクションの書籍を制作することだった(これだけは、いまはなくなってしまった「カッパ・ブックス」で叩き込まれた)。
そうして、辞めた直後は有田芳生さんの参議院選挙を手伝ったりしていたが、それも終了すると、秋口からはなんとなく電子書籍の制作に関わる仕事を始めていた。
といっても、それは大きなお金になるようなものではなかったのだが、しかしその過程で気がついたのは電子書籍でも出版編集の経験は役立つということだった。しかもその人数はまだ少ない。
逡巡しながらも、「だったら電子書籍をやってみようかーー」と思い始めたところで3.11がやって来た。
なにしろ私は反原発なので当初はずいぶんとうろたえたが、少し落ち着いてくると、「自分のブログの中で原発とメディアに関するエントリーをピックアップして、電子書籍のデータを作ってみようかな」と思いつき、実際にやってみると、データを作るところまではできそうだった。
「こうなってくると売りたいな」と思うのは人情である。そこでボイジャーに持ち込んでみると、これを快く了承してくれて、しかも私自身が発行元になることもOKだという。そしてさらに、「せっかくやるのなら、他にも出してみてはどうですか?」という提案までいただいたのだった。
もっとも、最初は「そう言われてもどうしたものか、、、」と思ったのだが、考えているうちにいくつかの企画が浮かんで来た。
実は電子書籍の側から、いまの大手出版社のやり方を見ていると、意外に隙間があることに薄々気がついていた。が、だからといってその隙間が商売になるかどうかはわからない。

そもそも、これまで会社を辞めて自分で出版社を作ってみたものの、何冊かの本を出してすぐにコケたという話はこの業界にはゴマンと転がっている。
かつて出版業は「机と電話があれば、明日からできる」などと言われたものだが、実際はそう簡単なものではなく、たとえいい原稿があったとしても、紙を買ってそれを印刷し、取次ぎを通して書店に流通させなければならない。その間には、たとえどんなに少部数の本でも100万単位のカネがかかる。しかもこれが売れなければ返本となり、在庫リスクが発生する。つまり出版業とはそう簡単なものではないのである。
ところが、電子書籍の場合は制作コストが紙の本とは比較にならないほど劇的に安い。しかも在庫リスクがなく、さらに絶版もない。
そう考えてみると、大きな部数を望めない本であっても出すことはできる。もともとベストセラーを出せるような編集者ではなかった私としては、これは悪くない話である(笑)。
ということで改めて考えてみると、いくつかの企画が思い浮かんできた。それは当然のことながら大部数を望めるものではなかったが、逆に言えばこれまで商業出版社に属していた身として、私のような者でも部数というものに第一義的に企画が縛られていたことに気づかされもした。
そうしてみると、少なくとも何冊かの電子書籍は作れそうである。だが、そのために会社まで設立するのもどうかと最初は思ったのだが、これについては出版契約書を個人で交わすわけにはいかないという結論を出さざるを得なかった。

ということで会社を辞めて1年後、とりあえず電子書籍専門の会社を作ることに至ったわけである。
ま、これがいつまで続くのかはわからないけれども、とりあえず志だけは持ってやってみようと思っている。
以上がとりあえずリストラから1年後のご報告。

「志木電子書籍」誕生のことば

 水平社宣言の結語は「人間(じんかん)に光あれ」と読むという。
「じんかん」とは「人と人の間」、転じて「すべてのもの」。したがってこの結語には「すべてのものに平等に光が当たるように」という願いが込められている。
 しかし、残念ながら水平社宣言から九十年近くたった今も、この願いは実現していない。
 それどころか、大きな者、強い者が、小さな者、弱い者を支配していく構造は、第二次世界大戦を経て、より巧妙に強化された。
 しかし、二十一世紀に入るとともに、この体制に綻びが見え始めている。その最大の原動力はインターネットの普及にある。
 一人ひとりが自由に情報を発信する手段を持ち得たことで、マスメディアによる情報独占(それは同時に情報コントロールを意味していた)は崩壊し、さらにマスメディアよりも速く、かつ正確な情報を誰もが入手することが可能になりつつある。
 二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の破局事故は、日本社会のありようを根底から変えてしまう不幸な出来事だった。
 そんな中で唯一の光明は、多くの人びとがネットを通じて情報交換し、また連携し始めたことである。しかも、それは行政やメディアの思惑とはまったく異なるレベルで有効に機能し始めている。
 志木電子書籍はネットを拠点に活動し、これまでマスメディアの“発表情報”の裏に隠されていた真実に光を当てていく。
 かつ、それをいつでも、どこでも、どんな立場の人にも提供していくことで、小さいながらも「人間に光あれ」を目指す一員でありたい。

二〇一一年七月八日
株式会社志木電子書籍

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・『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2010/12/31

今年の○と×

今年もお世話になりました。
締めくくりとして、個人的な○と×をアップします。

まずは菅政権と民主党に過去最大の×。
年末にきて、この政権はついに国民総背番号制の導入を進めることを決めたという。

・低気温のエクスタシーbyはなゆー
年末のドサクサにまぎれて「共通番号制度(国民総背番号制)」導入決定

日本は霞が関による超管理独裁国家であるというのが私の持論だが、国民総背番号はその霞が関の悲願である。来年はこの制度導入のための大キャンペーンがマスメディアを中心に行われるのだろうが、どんなにメリットがあろうとも、現在の霞が関体制においては、独裁の効率化、つまりさらなる国民締め付けの道具でしかない。

・本のセンセのブログ
「日本一新の会」代表 平野貞夫氏による論説~@jaquie35さんの連続つぶやきより編集

マスメディアに×。
もともと日本の記者クラブ制度というのは、霞が関からの情報下げ渡し制度でしかないわけだが、それにしてもここ最近のマスメディアの劣化は凄まじい。おそらくそれは、広告収入の激減による経営悪化と無縁ではないだろう。マスメディアは、これまで濡れ手に粟の莫大な広告収入を得てきた。それが社員の高収入を支えてきたわけだが、もはやその原資がない。かつてのようにマスメディアに気前よく正規料金を払って広告を出してくれるクライアントは、非常に少ない。逆に言えば、いまでも正規料金を払って広告を出してくれるクライアントに対しては最上級のもてなしをする必要がある。ちなみに、政府広報や電力会社の広告というのは、いまでも正規料金である。

TBS(テレビ、ラジオとも)に×。
マスメディアの中でも、とくにTBSの劣化が著しい。テレビはともかく、私はラジオについては評価してきたのだが、今年はアクセスという非常に重要な番組が姿を消した。また、平日の帯の番組も、その内容については「?」がつくものが多い。その結果、録音をして聴く番組以外は、文化放送にダイヤルを合わせる日が多くなっている。ということで文化放送に○。
ただし「伊集院光 深夜の馬鹿力」、「久米宏 ラジオなんですけど」、「安住紳一郎の日曜天国」は今年も○。これまで伊集院、久米は名人だが、安住は実力のある真打だと思っていたが、今年は名人への道を歩み始めたと思う。
TBSに話を戻すと、この会社は横浜ベイスターズの売却にも失敗したことも含めて、経営陣に根本的な問題があるように見える。ちなみに今年、書こうと思って書けなかったエントリーの一つは「TBSの心ある社員のみなさん(とくに若い方)へ」というタイトルであった。これはまた来年に。

radikoに○。

USTREAM、twitter、ニコニコ生放送に○。マスメディアが劣化してもまったく困らないのは、ネットから正しい情報が入ってくるからである。この流れはもはや止めようがない。発言の場をネットに移した小沢一郎の戦略は正しい。

有田芳生さんの参議院当選に○。ダメダメな民主党ではあるが、個々には素晴らしい議員がいる。ここ最近の有田さんの活動を見ていると、選挙を手伝って良かったと思う。

森ゆうこ議員に○。素晴らしいのひとこと。

小室直樹先生の訃報に×。
↓は会社のロッカーを整理していたら出てきた本。目次トビラには先生のサインが入っていた。
この本の中に練馬のアパート時代の小室先生の貴重写真が載っている。最初はスキャンしようかと思ったが、ちょっと考えてやめました(笑)。

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中日ドラゴンズのセリーグ優勝に○。日本シリーズ敗退に×。
昭和49年、巨人の10連覇を阻止して以来のドラゴンズファンである私にとって、この年の日本シリーズで敗れたロッテに再び負けてしまったのは残念で仕方がない。ただし、落合監督に対する信頼は微動だにしない。落合博満は平成の川上哲治である(関連エントリー→落合博満は“深い”)。

ワールドカップ日本代表に○。岡田監督、悪口を言ってごめんなさい。駒野のPK失敗は、ドーハの悲劇と同じく、サッカーの神様が下した「ベスト8はまだ早い」という裁きなのだと思う。

ザッケローニ新監督に○。ヨーロッパでは「終わった人」という評価もあったが、その風貌を見ていると、「日本もやっとサッカーの本場から監督を招へいできるようになったんだナ」という感じがする。もちろん、オシム監督も素晴らしかったが、ザッケローニにはテレビでよく見るヨーロッパの一流クラブの監督という雰囲気がある。そして、いかにもイタリア人しらいファッション。いずれ男性ファッション誌(「LEON」あたり)の表紙を飾るのではないだろうか。

浦和レッズに×。フィンケ監督の辞任は仕方がないと思う。

最後に自分のことについて。
25年間勤務した会社を辞めたことに△。この判断が正しかったのかどうかは、まだわからない。
ちなみに、すでに少々やっているのだが、来年からは本格的に電子書籍に関わる仕事をする予定です。
また、「ドキュメント出版社」のつづきも当ブログでは折をみて書いていこうと思う。とりあえず今考えているのは、私が創刊から休刊まで広告営業を担当した「VS.」(バーサス)というスポーツ雑誌についてである。

以上、今年の○と×、そして△でした。

ではみなまさ、良いお年をお迎えください。


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2010/09/13

小室直樹先生の訃報に接して ~ 田中角栄、小沢一郎、そして民主党代表選

先週の9日、ふと立ち寄った古本屋に小室直樹先生の『田中角栄の遺言 』(サブタイトルは「官僚栄えて国滅ぶ」)という本があった。本の状態は良く、帯には「“悪”に強いから、国が治まる 『最良の官僚は最悪の政治家である(マックス・ウェーバー)』」と書いてある。
折しも民主党の代表選挙がたけなわで、田中角栄の直系である小沢一郎はメディアから激しいバッシングを受けている。そうしたなか、ネット上では茂木健一郎氏による田中角栄に関する連続ツイートが話題になっていた。
私はこの本を買おうかなと思ったのだが、なぜか買わずに古本屋を出てしまった。
そうして帰宅の途次にツイッターを見ると、ある方から小室先生が亡くなられたのではないかというダイレクトメッセージが入っていた。しかしなかなか確認が取れない。結局その翌日、グーグル検索で小室直樹と入れてみたところ、副島隆彦氏の掲示板に行きつき、そこで訃報を確認した。

さて、、、
書きたいことは山のようにあるし、書けないことも山のようにある。
といいつつ、実は当ブログでは小室先生について2回ほど書いている。

・ある博士の思い出

・ある博士と立川談志

この時には名前を伏せていたが、この「ある博士」こそが小室先生である。
最初のエントリーでは小室先生に初めてお目にかかった時のことが書いてあるが、これは私が光文社に入社して2日目のことだった。中学ぐらいから朝日ジャーナルを読んでいた私は立花隆の「ロッキード裁判傍聴記」などを読んでいたため(今となっては失笑)、小室直樹というのは極右のちょっと頭のおかしいオッサンだと思っていた(小室先生ごめんなさい)。
ところが入社して2日目に直属の上司となった人物が「じゃ、これから小室さんのところへ行くから」という。私が教育を受けることになったこの上司は「ソビエト帝国の崩壊」で小室先生をスターにした編集者だったのである。
私以前にこの上司の部下となった先輩もやはり小室先生の担当をしており、そして私、さらに私の後輩で数年後に編集部に入ってきた新入社員もやはり小室先生の担当をした(この後輩の名前を「たぬきち」という)。
話を戻すと、だから私は最初に小室先生の家に行くと聞いた時にはエライことになったと思ったものである。そして実際にエライことになった(「ある博士の思い出」を参照してください)。

しかし、小室先生と付き合っていくうちに、私はすっかり小室先生のファンになっていった。
なにしろ、これほどまでに博識でなんでも知っている人は、後にも先にも見たことがない。そして輝かしい学歴を持ち、「大学の教授があまりにバカだから、その大学教授に勉強を教えていた」ともいわれる小室先生。でありながらどんな人とでも分け隔てなく話をしてくれた。今では考えられないことだが、当時の本の奥付には小室先生の自宅の住所が書かれており、時々、そこへやってくるファンもいたのだが、嫌な顔一つせず酒を飲みながら話をしているのだった。

週刊宝石の創刊時の人気企画の一つに「横山やすしの激情むき出し対談」というのがあった。これは私の入社前のことだが、この対談に小室先生が登場。小室先生は対談に入る前から酔っぱらっていたという。そして始まった対談は最初こそ「ソ連はけしからん」ということでやすしと小室先生は意気投合していたが、だんだんと雰囲気は怪しくなり、やすしが「あんたはいったい何なんや!」と言うと小室先生が「ルンペン」と答えたところでやすしが激怒! 結局、「出ていけ!」「ルンペンでなんで悪い!」と大決裂してしまった。
そして週刊宝石の担当はやすしを羽交い絞めにしておさえ、小室先生の担当である私の上司と先輩は泥酔した小室先生をズルズルと引きずって部屋を出たという。入社してからその当時の話を関係者から聞いたが、「あの時は大変だった、、、」とみんな口をそろえつつ、しかし誰もが楽しそうに話してくれたものだった。そして当時の週刊宝石では、その一部始終がすべてそのまま掲載された(ここらへんに当時の週刊宝石の勢いを見てとれる)。

どんどん話が脱線していくので再び話を戻す。
小室先生のご逝去を確認した私は、土曜日に再び件の古本屋に出向いて『田中角栄の遺言』(平成6年6月15日初版発行)を購入した。
以下、この本からいくつかの部分を引用してみる。

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 棺を蓋(おお)いて事定まる(『晋書』劉毅伝)という。だが、田中角栄は棺を蓋ってなお事は定まっていない。いまだ激しい毀誉褒貶の中にある。汗牛充棟の角栄論は、読者諸賢すでにご存じのとおりだが、最重要な論点にはまだ触れられていないのだ。気付かれてさえいないとまで言ったほうがいいだろう。
 それは、田中角栄こそが、唯一人の立憲政治家、唯一人のデモクラシー政治家であった、このことである。立憲政治すすんでデモクラシーの眼目は、議会を有効に機能せしむることにある。
 しからば、議会の最大の機能とは何か。自由な議論を通じて国策を決定することである。国権の最高機関として立法を行なうことである。角栄は、これを見事に実行した。そして角栄なき今、一人としてこの道を辿る者なし。
 では今、国権を行なう者は誰か。役人である。役人が法律を作り、解釈し、施行する。日本の国家権力は立法、司法、行政の三権のことごとくを役人に簒奪(さんだつ)されてしまった。デモクラシー死して、役人クラシーとなったのである。彼らの視野にあるのは、法律と前例と、自らの権限と昇進のみ。自由な意志、自由な言論とは無縁の衆生(しゅうじょう)である。
「最良の官僚は、最悪の政治家である」――役人は運命のい使(「いし」「い」は漢字 (命令))に甘んずるだけである。が、運命を駆使するところに政治家の本領がある(マキャヴェッリ)。
 役人が行なう政治ほど、危険な政治はない。戦前、戦中の軍人官僚の政治を見よ。
 かかるときに、ああ、この内患外憂――。もしもデモクラシーを信奉するならば、今こそ角栄が鑽仰(さんぎょう)される。欣求される。

(「まえがき」より)
******

******
 デモクラシーというと、多くの日本人は、完全無欠で人類が到達した最高の政治形態だと思っている。とんでもない。デモクラシーの評価については、古代ギリシア以来、論究されてきた。古来、批判者、否定者も多い。デモクラシーの熱烈な支持者であればあるほど、その欠点に敏感である。これは刮目すべきことである。はじめに、注意しなければならない点が二つある。
 まず第一に、これは人間の自然状態(natural state)ではなく、めったにないものだということ。デモクラシーは三〇〇〇年に一度咲く仏典にいう優曇華(うどんげ)の華のように珍しい。

(中略)

 したがって、もしもデモクラシーを欲するならば、滅多にないかよわいものなのだから、常に守り育てていかねばならない。そうしないと、あっという間に消えてなくなる。デモクラシーが、自然現象のごとく、自然そこにあるものだという考え方は、とんでもない間違いである。

(中略)

 つまりデモクラシーにはベラボウにカネがかかる。それは、デモクラシー諸国における常識である。デモクラシーを自然状態に放ったらかしておいても存続しつづけるなんて、彼らはけっして考えない。まことに貴重なものだから、膨大なおカネをかけても、これを維持する値打ちがあると思っている。
 ところが日本人の考え方はまったくの逆。政治改革に関する論議は、金権政治はよくないから、カネがかからない政治にしようというのが、犯すべからざる大前提になっている。
 これは、実はデモクラシーの否定につながる。カネをかけてでも守りたいのがデモクラシーなのに、カネがかからず、腐敗、堕落さえしなければいいという。思い出してもみよ。大正デモクラシー(当時、民本主義と訳された)が、相当に発達したにもかかわらず、一気に崩れたことを。議会の政党が、政友会も民政党も金権政党に堕落して、汚職に次ぐ汚職、国民は、これに愛想を尽かしたからだが、その直後に軍部独裁政治が始まった。
 すなわち、日本人には汚職をデモクラシーのコストと考えるセンスがなかった。膨大なカネがかかるものだということを国民が理解していなかった。そこで軍人と右翼が暴れて、血盟団事件、それから五・一五事件、二・二六事件が起こり、ついにデモクラシーは葬り去られた。ところが、その後にできたのが近衛文麿の政治であり、その後の軍人政権。
 今度は堕落しない。近衛文麿は、生まれながらにして天皇陛下の次にエライのだから、悪いことをする必要がない。その後の軍人も、イヤイヤながら首相になった。だから首相も閣僚もカネに関しては清潔だった。だが、その政権が歩んだ道は、あの戦争ではなかったか。

(中略)

 日本人がデモクラシーの本質に無知で、田中角栄を殺したために、角栄の呪いか天意か、立法も司法も行政も、日本の三権はすべて、役人が独占するところとなってしまった。
 下剋上は日本史の通例ながら、今や、公僕変じて権力者となる。豈、偶然ならんや。
 しかも――ここが致命的な点なのだが、日本人はまだ、ことの重大さに気付いていない。暗愚な殿さまが、弑殺(しいさつ)されるまで簒奪者に気付かないように。
 日本のマスコミは、汚職を報ずるときには、春先のドラ猫のごとく喧噪をきわめる。だが、役人の横暴を伝える段になると、監督官庁を恐れるあまり、われ関せず焉(えん)。政治家がことごとく官僚の傀儡と成り果てた事実を白日の下に晒しても、風(ふう)する馬牛(ばぎゅう)も相及(あいおよ)ばずで、関心を示さない。
 官僚による政治がいかに恐ろしいか、その解明が本書の主テーマの一つである。

(「プロローグ――誤解だらけのデモクラシー理解」 デモクラシーには膨大な金がかかる より)
******

いかがだろうか。この後にYouTubeにアップした動画を二つ貼りつけるが、そこに投稿されたコメントの中に「現在いろいろ言われてる争点が全部出てますねw」と書かれたものがあったが、上の文章にも今日の、そして目前に迫っている民主党代表選の争点がクッキリと浮かび上がっている。
と、ここまで書いたところで有田芳生さんのブログを見たら「小沢一郎さんの時代認識」というタイトルのエントリーがアップされており、その中にこう書いてあった。
「ここで9日に参議院選挙で当選した議員と小沢一郎さんとの懇談で印象に残ったことを記録しておく。まず代表選への立候補について「私にできるのだろうかと自問しながら判断した」ことと周辺の支持者に押されたことが大きかったという趣旨を語っていた。いちばん驚いたのは時代認識であった。「この閉塞感のなかにあって、このままではかつてのようにナショナリズムが高まることで、日本はさらに危険な情況になる」と小沢さんは言った。」

民主党代表選を小室先生はいかに見ていたか、またその結果をどう分析したか。
今となっては聞くことができない。
まことにもって残念の極みである。


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2010/07/26

参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その8

7月10日土曜日、選挙戦最終日の候補者のスタートは8時に東京メトロ有楽町線の平和台駅前。そこから候補者の選挙カーに伴走車、さらに長瀬達也区議の軽ワゴンの3台が連なって行動することになった(もう一台の選挙カーは都内を走り回った)。
平和台での街頭演説が終わると長瀬車、伴走車、選挙カーの順で巣鴨を目指す。長瀬車に乗り込んだY氏と伴走車の助手席にいる私はトランシーバーで連絡を取り合う。伴走車を運転しているK君に向かって「なんか最後に来て選挙っつー感じになってきたな」と私。
ちなみにこの日は、ここ最近ほどの猛暑ではないが暑い日だった。

巣鴨に到着すると、まだ時間的には早い雰囲気もあったが商店街を練り歩き。その間に周辺のマンションに全力でチラシのポスティングをすると、この時点で大汗。最初からこんなに飛ばしていて最後まで体力がもつのだろうかと思う。
巣鴨を出発すると次は上野へ。アメ横の商店街を練り歩いてから上野松坂屋の前でスポット演説をして、次はほおずき市でごった返す浅草。場所取りをする他党の候補者カーもたくさん集結中。佐藤ゆかりが選挙カーの上から絶叫しておりました。
こちらは候補者ともどもクルマを早々に降りて、雷門から人人人の商店街を練り歩くと反応は良好。

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浅草ビューホテル前まで到着すると、ここから上野方面へ戻る途中のコンビニで若干の休憩。
普段だと遊説の途中では適度に休憩を入れて昼食の時間もそれなりにあるが、今回は休憩はなし。昼食もコンビニのトイレ休憩の途中でおにぎりを買ったりする程度。あとは移動中にそのおにぎりを食べながら全力で都内を駆け巡るという強行スケジュールである。
秋葉原でチラシ配りと演説をすると水天宮、門前仲町、月島へと車を流す。月島の高層マンション街で演説中は集合住宅にポスティングをしようと駆け巡るが、こういったところの新しい高層マンションはセキュリティも厳しいのであった。
その後、月島の商店街へ行ってみよとうと私が提案。「土曜日の月島商店街は人がいるかなー」と内心不安に思いつつもとりあえず行ってみると、そこはお祭りの真っ最中なのであった。早速、選挙カーから候補者と運動員がドヤドヤと降りて練り歩き開始!

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ここらへんになってくると疲れよりも「選挙運動ができるのもあと数時間しかない」という気持ちの方が強くなる。
そして月島から銀座へ。ここは歩行者天国なので、もちろん練り歩き。するといろいろな候補者の姿が見える(ただし候補者が練り歩いているのは有田さんだけ)。
銀座4丁目交差点では某巨人のOBを応援する某都知事が街宣車の上から演説中だった。

「あっ、本物の都知事がいるよっ」

とは私。実はズッコケ軍団の一員であるI君はその名字から「都知事」と呼ばれているのであった。もっとも当陣営の都知事はもう一台の選挙カーに乗っていたので、この日、本物の都知事を見ることはなかったが、、、

銀座通りを練り歩くとそのまま有楽町へ。夕方になった有楽町の丸井前は国民新党が場所取りをしていたので演説できなかったが、それでもさらに有楽町から数寄屋橋方面をグルッと練り歩く(と、こう書いてみると、まあよくぞこれだけみんな歩いたものだ)。
さらに選挙カーで銀座を回った後は首都高速に乗って池袋へ一目散に走る。実は池袋西口で東京選挙区の小川敏夫候補の最後の演説会があり、そこで有田さんもスポット演説をすることになっていた。
ところが池袋の西口に入ると道が大混雑。そこで有田さんは急きょ選挙カーを下車して、歩いて民主党の選挙カーまで向かったのであった。

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この最後の演説会だけが「ああ、うちの候補は民主党なんだナ」と実感した唯一の機会であった(笑)。
もちろん、この時には相当数の人が集まっていたので小川陣営の人にまじってチラシ配り。そうして有田さんは10分ほど演説をすると、残り1時間弱のために選挙カーに乗り込んだ。
で、残ったわれわれはそのまま池袋で選挙活動終了時間の午後8時までチラシ配りをしたのだが、小川陣営に応援に駆けつけていた石井一代議士に居残り隊は挨拶をした。すると石井氏は、、、

「有田は大丈夫じゃ」

と言ったのだった。また私はその場にはいなかったが、やはり池袋に来ていた海江田万里代議士も「有田さんは大丈夫」と言ったのだという。

「しかし本当かね?」
「うーん、民主党の選対って結構、間違ったりしますからねえ、、、」
(※ぜんぜん関係ない話だが、石井一代議士のクルマのナンバーは「1411」なのだった)

そんな会話をしながらもチラシを配っていると、いよいよ8時に。これで一応、選挙活動は終了である。

「あー、終わっちゃった」
「お疲れさま~」
「でも、最後に駅立ちがあるけどネ」
「やりますよ!」

実はこの時点で私は肉体的にはかなりくたびれていた。足が棒になるという感覚はいつ以来のことか、、、
でも、気持ちは「まだまだこれから駅立ちをやっちゃる!」と高揚しているのであった。
そうして事務所に戻ると、他のクルマも続々と戻ってくる。そこでとりあえず用意されたお弁当を食べると、やっぱりみんな疲れているとはいえテンションは高い。
昨年の衆議院選挙の時には午後8時で選挙活動を終えたが、今回は残り数時間の延長戦がある。
この日は候補者とは別行動の2号車に乗った都知事ことI君は「オレもそっちに乗りたかった」とちょっと不満そう。
でもね、これから最後の駅立ちにみんなで一緒に行くデスヨ!
そうして食事が終わると大山組、東武練馬組、成増組に分かれて最後の駅立ちへと向かったのだった。
私は例の都知事ことI君、横浜から泊りで来ていたK子君、巨漢のK君、そして長瀬区議と一緒の成増組。

いやー、この最後の駅立ちは本当に疲れた。
けれど心地よい疲れでもあった。
成増の駅前は土曜日の夜とはいえ人通りも多く、みんながチラっと見ていく。なかには「なにやってんの?」という感じで見ていく人もいなくはない。でも、やっている方はそんな視線はまったく気にならない。なぜなら本当に最後の気力を振り絞って頑張ったから。
一方で「頑張ってね」と声をかけてくれる人もいる。参議院選挙の全国比例の仕組みを知ら人が声をかけてきたので説明をすると、「じゃあ名前を書かないといけないんだね。明日はそうするよ」と言ってくれる人もいる。そうやって駅立ちをしたからといって、いったい何票ぐらい増えたのかはわからない。それは神のみぞ知ることである。
だが、この選挙戦を通じて(とくに最終日)、そして最後の駅立ちの数時間して「石にかじりついてでも頑張る」ということの大切さを私は改めて学んだように思う。それは25年間、なんとなく会社員として過ごしてきて、いま50歳を目前にして失業者になった私にとって貴重な経験であったことは間違いない。
この選挙期間中、世の中はサッカーのワールドカップで沸いていた。前評判の悪かった日本代表は、一戦一戦勝つことでまとまっていったという。しかも勝てば世間の評価も変わるし自信にもなる。
ズッコケ軍団は確かにズッコケていた。でも最後に候補者とともに勝った。しかも民主党の比例区候補でトップという思いがけない勝利を味わったことは、ズッコケ軍団一人ひとりにとっても自信になったのではないかと思う。私はそのズッコケ軍団の一員に加われたことが心から嬉しかった。
そして、もちろんこんな機会を作ってくれた有田さんにも心から感謝する次第である。

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投票日の夕方は昨年の衆議院選挙の投票日と同じく雨が降っていた。
「なんとなく昨年と同じっぽくてイヤだな」と思いながら事務所へ行くと、すでにTBSがカメラを設置しに来ているという。そしてほどなくNHKもやって来た。「どうなってるの?」と私がY氏に訊くと、

「期日前投票の出口調査で1位らしくて8時直後に当確を出すらしいんです」
「ええっ?マジ? でも衆議院選挙だって出口調査は勝ってるっていう話だったしなあ、、、」

だから私はなおも半信半疑だった。もちろんそう思っていたのは私だけでなく、「おそらく当選するにしても結果が出るのは深夜に及ぶのではないか、、、」とみんなが思っていた。だから、ズッコケ軍団は「ワールドカップの決勝を見ながら開票を待とうぜ!」などと言っていたのである。
ところが本当に8時が過ぎて開票速報が始まった直後に当確が出てしまう。これはもちろん嬉しかったが、反面、拍子抜けといった感じもなくはなかった。
昨年、有田さんの落選が決まった瞬間に泣き崩れたO君。彼は今回、有田さんが当選しても泣くのではないかと思っていたのだが、そのO君もあまりに早い当選確実に笑顔しかない。
しかし、それでも万歳の味は格別だった。実は有田さんは天皇制と結びつく万歳はやりたくないと言っていたのだが、最後は後援会長が有田さんを説得して万歳をすることに。でもそれで良かった。みんな心の底から嬉しくて万歳をしたのだから。

ところでこの開票を待つ会場は選挙事務所ではなかった。選挙事務所はあまりにも狭くて人が大勢入るようなスペースはない。そこで隣のビルの2階のレンタルホールを昨年同様に借りたのである。このビルがまた古い建物で、あまりドスンドスンやると1階に入っている洋食屋さんの天井から埃が落ちてクレームが来るという。

「だから、とにかく静かに歩くように」

と口を酸っぱくして言うY氏。しかしそこはズッコケ軍団。やっぱりなんだかんだでドスンとやってしまう。
するとしばらくして洋食屋さんのマスターが事務所へやって来たそうだ。
「いかん、クレームが来たか」と思いきや、このマスターはこう言ったそうである。

「当選おめでとうございます」

おわり

※ということで普通の失業者に戻った私は、今のところ次の職がまだ見つからないので、とりあえず「ドキュメント出版社」や「郵政省解体論ができるまで」を再開しつつ、これまでのように政治やメディア、広告のことをグダグダと書いていきます。

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参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その7

今回の選挙で印象に残ったシーンの一つは7月8日の横浜、川崎遊説だった。
この日の有田さんは午前中、横浜の磯子区近辺を回り、午後は中華街の練り歩き→横浜駅→川崎駅というルートをたどった(私は中華街から参加)。
そして最後の川崎では夕方から横田滋さんも応援演説に来てくれることになっていた。そこで場所取りもかねて伴走車が先に川崎へ行くと、なんと菅直人が民主党候補(千葉景子ではなくもう一人の方)の応援に来ることになっていて場所取りもしているという。
しかし、こちらも横田さんが来るという予定を変えるわけにはいかないので、結局、菅直人の後にこちらの演説会をやることになった。で、それまでの間は民主党の人たちと呉越同舟でビラ配り。
それにしても川崎駅の変貌ぶりというのは、30年前まで神奈川県民(横浜市)だった人間には驚きである。
かつて自分の通う高校が川崎球場で横浜商業(Y校)と対戦することになった。その年のY校は宮城を擁して甲子園へ行くのだが、親友がエースだったこともあって同級生の女の子を誘って応援に行ったのだが、まあ川崎といえば当時は暗いイメージがあった(川崎の方がお読みになっていたらスミマセン。昔の話です)。
ところが、まず駅がきれいになっており、しかももの凄い乗降客である。われわれは基本的に菅直人の演説する東口とは反対側の西口でビラ配りをしていたのだが反応もいい。そして下りのエスカレーターの降り口のところで最初は私、そして後半はI君が有田さんのポスターを3枚貼った標記を掲げて立っていたのだが、かなり高い注目度である(隣では「菅直人来る」という看板を持った民主党の人がいた)。
この日は有田事務所もボランティアを総動員。とにかく群衆の中で必死のビラ配りを数時間したのだった。
そうして菅直人の演説が終了したあと、東口方面のコンコースに場所を移して横田さんと有田さんの演説会。
私は横田さんにお目にかかったのは二度目だったが、本当にテレビで見るままの実直な人だ。
なにしろ最初は通り過ぎる人たちも横田さんのことには気がつかない。しかも横田さんの声も聴こえづらいという状況だったのだが、その実直な喋りを続けるうちに人々の足が止まり、ほどなく横田さんの周りに人垣ができたのであった。
その後、有田さんが演説をして演説会は終了したのだが、まだ選挙運動終了の20時までには時間がある。すると横田さんはズッコケ軍団の一員であるI君の運動員腕章をもらってそれを自分の身につけて、有田さんのビラを配り始めたのであった。これには驚いた。暑い中、しかもご高齢でもある。にもかかわらず横田さんは自分の存在が相手に気づかれなくても実直にビラを配る。その姿勢にはただただ頭が下がる思いであった。
一方、I君はというと、、、

「ボク、横田さんに運動員腕章を渡しちゃったからビラを配れないンです、、、」
「アホか!クルマに戻ればたくさんあるんだから、そんなこと気にせず配らんかい!」

ま、ズッコケ軍団は妙なところがマジメなのである。
この日は選挙戦の最終盤。運動員の疲れもピークではあるのだが、終りが見えてきているだけにテンションも高くなる。そうして選挙が始まった時には「17日間って長いナ」と思っていたはずなのに、メンバーの心の中には「あと数日で終わっちゃうの?」という一抹の寂しさも去来し始めるのであった。

さて、翌9日の金曜日は私は事務所いた。そうして夜、遊説隊が帰ってきた後に最後の選対会議が行われ、翌日(最終日)の行動予定が確認された。ルートとして巣鴨、浅草、上野方面から銀座、池袋というコースになるのだが、そこそこ道に詳しいということで私も伴走車に乗ることになった。
そうして最後の一日が始まった。

つづく
(あと一回で終わります)

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2010/07/22

参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その6

さて、選挙戦が進むにつれ、みんなで一生懸命に証紙を貼ったチラシが少しくあまりそうな情勢になってきた。要は配り切るだけの人手が足りないのである。
そこで新聞に折込を入れようということになり、早速、長瀬区議が紹介してくれた広告代理店の営業マンがやって来たので私も同席した(一応、私も先日までは広告営業をやっていたので)。
話を聞くと料金はチラシ1部について定価は3円30銭だという(ただしその後、証紙が貼ってあるので厚紙扱いになるからプラス50銭と言われた)。
そして、営業マンは東京23区別の各新聞社の専売所とその専売所でのチラシの扱い枚数が入った一覧表を見せてくれた。たとえばある専売所ではその枚数が4,000となっているが、別にその専売所に4,000枚を絶対に入れなければならないということではなく、細かく専売所ごとに数を指定していくことは可能だという。
こちらとしては板橋区を中心に折込を入れようと思っていたので、まずは板橋区全域の朝日、読売、毎日、東京(日経と産経は外した)、そして余裕があれば練馬区内で効果のありそうな地域の専売所を選ぼうということになった。

さて、そこで浮上したのが「押し紙」の問題だ。
押し紙とは各新聞社が専売所に実際の配達部数以上にノルマとして搬入する部数のことで、つまり配られない新聞である。
たとえば読売新聞は1,000万部を超える発行部数と言われているが、その中には押し紙分も含まれているという。これは他社も同様で、要は実際の配達部数はベールに包まれているのだ。
では、なぜ新聞社は配達部数を公表しないかというと、この数字を明らかにした場合、発行部数との間に相当のギャップが出てくるため、広告料金に大きな影響が出てくる可能性が高いからだろう。
また専売所にしても、折込チラシは前述のとおり1部単位で料金が発生しているため、実は見かけ上の配達部数が多ければ多いほど儲かることになる(チラシは専売所の利益になる)。
しかし、配られない新聞があるということは、配られないチラシもあるということではないのか? その数が許容範囲内であれば仕方がないが、大量にあるというのではたまったものではない。こちらも命懸けで選挙をやっているわけで、大量のチラシが有権者の目に触れられることなく闇に葬られるということがあってはならない。
しかも料金はその分まで請求されるというのならば、これは詐欺だろう。

この点についてやって来た営業マンに質問をすると今一つ要領を得なかったので、私も個人的にいくつかの広告代理店にヒアリングをしてみた。すると、、、

「専売所の一覧表に書かれている数字で、実際に配られているのは8割ぐらい」

という答えが返ってきたのである。しかも「もっと少ないケースもある」という。

ちなみに↓は7月3日のエントリーのコメント欄で「押し紙被害者」さんから紹介していただいたブログである。

・山陽新聞の情報

こちらのブログには↓のようなエントリーもある。

・折込定数のトリック

こうなると、一覧表通りに枚数を指定するわけにはいかない。
ということで、各専売所に対する枚数はすべて一覧表の八掛けとすることにした(ただし東京新聞だけは数が少ないので押し紙率が低いのではないかと推測して表記の数通りにしたが、この判断も正しかったかどうかはわからない)。で、このようにすると枚数に余裕が出てくるので、その分を練馬区や、さらに予定外の豊島区の一部専売所にも回したのであった。

それにしても、、、
この押し紙問題というのは深刻であり、根本的な解明が必要だろう。社会正義やジャーナリズムの使命を声高に叫ぶ集団が詐欺商法をしているのだとしたら、それこそ大問題である。
ま、新聞社側にしてもやましいことがなければサッサと公表すればいいのだが、実際は昨年、この問題を記事化した週刊新潮に対して、対象となった読売新聞は訴訟を起こしている。

私は思うのだが、今、官房機密費授受問題で頑張っている上杉隆(7月31日の「久米宏 ラジオなんですけど」にこの問題でゲスト出演)、あるいは神保哲生、岩上安身といったメディアの既得権益と闘っている人たちが、この押し紙問題に触れたらどうなるか。おそらくテレビ、ラジオ、そして新聞社系週刊誌など少なからぬ媒体から干されるのではないだろうか。なにしろ新聞とテレビは同一資本が支配しているのだから、、、
ちなみに私が朝日新聞東京本社のツイッターアカウントに

「@asahi_tokyo 新聞社はなぜ各専売所の配達部数を公表しないのですか?それを公表しないと広告チラシを入れる数をクライアントはきちんと決められないと思うのですが。」

とつぶやいてみたところ、結果はガン無視のどスルーだった。
こうなるとムカつくので、この押し紙問題については個人的にもう少し調べてみようと思う。

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2010/07/21

参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その5

有田さんは強い候補者だった。それは間違いない。
だが、強いだけで選挙は勝てない。実際、「強い」と言われた候補者が落選することなど、選挙では日常茶飯のことである。
しかし今回、有田さんは勝ち抜いた。
その最大の勝因は有田さん自身、そして選対全体が昨年の衆議院選挙での惜敗、そして私は参加していないが前回の参議院選挙での落選を教訓にして闘ったからだと思う。

実際、昨年の衆議院選挙と今回の参議院選挙とでは、有田さんも相当変わったように私には見えた。
有田さんは統一教会やオウム真理教と闘ってきたジャーナリストであって、それが最大の「売り」である。だが、一方でそのジャーナリストとしての自負、プライドがこれまでの選挙活動の中においてはマイナスになることもあったように思う。それは、おそらく有田さん自身のなかに「そこまでやらなきゃいけないのか」とか「そんなことはしたくない」という気持ちがあったからだろう。
もちろんそれが「有田らしさ」であるとも言える。が、選挙というのはやはり有権者の中に自ら入っていかなければならないわけで、個人的な印象では、昨年の衆議院選挙の、それもスタート時点では、まだ有田さんはそこの部分の踏ん切りがついていなかったように思う。
しかし今回は違った。たとえば商店街や歩行者天国を練り歩いていて、有田さんのずっと後ろでスタッフが配ったチラシを受け取ってくれた有権者がいれば、ちゃんとそこまで戻って握手をする。たとえチラシを受け取ってくれなそうな人でも声をかけてチラシを渡そうとする(実はチラシ配りというのは、ずーっとやっているとなんとなく受け取ってくれそうな人とくれなそうな人の区別がついてくる。だから受け取ってくれそうな人にだけ渡そうとすることもできるのだが、それは明らかな手抜きである)。
店舗の中で手を振っている人がいれば、店の中に入っていってチラシを渡して握手をする。ついでにその周りにいる人にも声をかけてチラシを渡す。たとえ人気がないところでもきちんと演説をする、、、
それは人によっては当たり前のことなのだろうが、その当たり前のことを今回の有田さんは普通にやっていた。こうなれば、元々知名度のある候補者だけに有権者の反応もどんどん良くなる。

一方、スタッフも日に日にまとまっていった。
候補者と一緒に大阪、北海道、九州へ遠征した面々とは、場合によっては数日間まったく顔を合わせないこともあったけれども、東京へ戻ってきた彼らを見ると結束力が高まっているし、たくましくなっていく。
とはいえ、もちろんそこはズッコケ軍団。ハードスケジュールの中で全国を飛び回りながら、遠征先で食べすぎてお腹がポコリンと飛び出してしまうスタッフもいるのであったが、、、
また、選挙カーには乗らない内勤組も公選はがきを書いたり、標記(候補者がいなくても、この「標記」があればチラシ配りをできる)を持ってチラシ配りへ出かけたりと、少ないスタッフの中で頑張った。
で、まあしかし、やっぱりこちらもズッコケ気味なところはある。
事務所へ時々やって来るK山君は、いいところのご子息なのだがあまり役に立たないタイプ(笑)。彼の心にはなぜか「ルーピーTシャツ」というフレーズが刺さったらしく、事務所へ来ると「ルーピー」を連呼している。結果、「ルーピーちゃん」というあだ名がついてしまった。
ある時、このK山君を中心に数人のチラシ配り隊が結成され大山駅前へ出動することに。

「ついてはK山君はチラシは配らないで標記だけ持っていればいいからネ」

とは事務所のY氏。

「じゃ、行ってきて。そんなに無理する必要はないけど、頑張れルーピーズ!」

かくして結成されたルーピーズはワサワサと事務所を出て大山駅前へ出動していくのであった。

さて、こうして結束を高めつつもどこかズッコケ気味な選挙事務所を強力に支えてくれたうちの一人がその2でも書いた小沢一郎政治塾出身で板橋区を地盤とする長瀬達也区議である。私はこの長瀬区議の活動ぶりを見ていて、小沢一郎の教えというのは大したものだと思った。
なにしろこの長瀬区議、タフである。彼は自分の選挙区以外の横浜、川崎方面の遊説(長瀬区議が横浜出身だったこともあったが)、そして最終日の都内遊説にも同行してくれたのだが、移動時は自分の軽のワゴンを運転している(このクルマの中に選挙道具が入っている)。そうして有田さんが商店街などを練り歩く時にはずーっとメガホンのマイクを持って喋り続ける。スポットで有田さんが演説をする時にも、前節で有田さんを紹介。
チラシ配りをしている時も、マイクで喋る、自分で配ると八面六臂の活躍。スタッフにイチャモンをつけてくる人があれば体を張って阻止して交番へ連れていく。
その活動量は驚異的で、しかも手を抜かない。
選挙戦最終日、私はこの長瀬区議を含む5人で日付が変わるまで成増駅で駅立ちをした。電車を降りてくる人や通りがかった人に向かって「お帰りなさーい」「お疲れさまでーす」「明日は投票日でーす」などとやるのである。この時点で朝から動き回っているから全員クタクタではある。
だが、これを前回やらなかったという反省もあるから、私も必死に頑張った。
で、実は事務所からは「選挙カーを移動しなければならないので23時半で終了していい」と言われていたのだが、長瀬区議は「私は0時までやるんだと思ってました」という。そして私もそのつもりだった。だから私は「じゃあ0時まで頑張ろうじゃないか! 30分足らずで悔いを残してもしょうがないし、石にかじりついてでも頑張るというのはギリギリまで手を抜かずにやることだ」とみんなに提案した。さらに「ま、帰りたい人は23時半で帰ってもいいけどさ、別に責めないよ」と付け加えたのだか、それで「じゃあ帰ります」というヤツはもちろん一人もいない。
とはいえ、ホントにみんなクタクタだし時間の過ぎるのが遅く感じる。すると残り1時間ぐらいの時点で長瀬区議は「あと1時間ちょっとしかできないなんて、私は残念ですぅー」とのたまったのであった。
しかも私を含めたズッコケ軍団は挨拶も少しずつダレ気味になっているのに、この区議さんを見るときちんと頭を下げている。私はあわててそれを見習ったものだった。
この最終日の前日、私はこちらのブログで2007年の参議院選挙の時に小沢一郎が出した檄文を読んだ。だから最終日は自分自身もとことん頑張ろうと思っていたのだが、長瀬区議を見ていると「ああ、これが小沢一郎の教えなんだナ」と改めて感銘に近い思いを抱かずにはいられなかった。

そうして私は思った。
よく小沢一郎の選挙手法を批判する人がいる。しかし小沢一郎は実は当たり前のことを言っているだけなのではないか、と。
たとえば成功した企業経営者が書いた本を読めば、みんな小沢一郎と同じことを言っている。商売とは地道に努力をして顧客の信頼を得る以外に方法はなく、たまさか何かの拍子に風が吹いて自社の売り物が人気商品になったとしても、そんなものは長続きしない。たとえ一人の客であっても、その人を大切にすれば徐々に口コミが広がっていく。一見、ムダな努力に見えても決してその努力はムダではない。
その日々の地道な努力の積み重ねを強調する小沢一郎に対して、訳知り顔のメディア人は「古いタイプの政治家」「泥臭い政治家」というレッテル貼りに必死だ。
では、なぜメディア人は小沢一郎をここまで嫌い、しかも恐れるのか。
私が至った結論は、広告という圧倒的に濡れ手に粟の虚業と既得権をベースに暴利をむさぼってきたメディア人にとって、地道な努力の大切さを説く小沢一郎というのは理解の範疇外であって、しかも自分たちとは真逆の体質の持ち主なだけに、忌避すべき得体の知れぬ存在なのではないかということだった。

話を戻すと、今回の有田選対はズッコケ軍団ではあったが、しかし全員が結束して最後まで頑張り抜いたという意味で、まさしく小沢一郎の教えを実践していたのだと思う。その結果が民主党比例区で谷亮子を抜いてのトップ当選だった。少なくとも私はそう思うのである。

さて、次回はこの選挙期間中に私が抱いた重大な疑問。
新聞社の押し紙と折込チラシについて書こうと思う。

つづく

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2010/07/19

参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その4

有田さんの前回と前々回の選挙は新党日本からの立候補であった。
私は前回の衆議院選挙から手伝っているわけだが、この時も新党日本公認、民主党推薦。ということで少数政党の悲哀を十分に味わった。
なにしろ組織がない。しかも民主党は推薦してくれてはいるが、かといって一枚岩ではない。今回同様、都議や区議は手伝ってくたれたが、民主党幹部の応援が入るわけでもない。激戦区と言われた練馬、豊島など近隣の選挙区には連日幹部の応援が入るが板橋区だけはすり抜けていく。そうしたなかで前回の選挙期間中に応援に入ってくれた民主党幹部は菅直人だけだった。
それに比べれば今回は民主党公認。党本部からも連日のように指令が来て、民主党の組織がフルに動く選挙ができるのかと思いきや、これまで書いてきた通りの状況で前回と何も変わらない。つまり、、、

放置プレイ ORZ

「公認は出したんだから、後は自分で票を取ってきなさいや」ということである。
もちろんすべての候補がそういうわけではない。谷亮子の事務所には小沢一郎の秘書軍団が入って陣頭指揮をとっていたらしいが、こちらは民主党から来るものといえばと「民主党幹部がこんな発言をしました。各候補は読んでおいてください」とゆー内容のファックスが時々ペチョンと送られてくるだけ。
後は記憶に残るところでは、選挙戦の最終盤に「民主プレス」(だったかな)とやらの号外が来たことぐらい。ちなみにその内容は菅直人の増税発言に関する弁解で「消費税を増税するときには必ず国民に信を問います」云々と書かれたものだった。これは一応、事務所にはおいてあったが、こんな火に油をそそぐようなペーパーを積極的に配ろうという人は、もちろん皆無だった。

えー、ここではっりき申し上げておきますが、今回の参議院選挙の敗因は菅直人の消費税増税発言以外にはありません!(※注 以下は私の個人的な感想、見解であって有田さんの見解とはまったくない)。
twitterでも何度かつぶやいたけれども、「菅直人はけしからん!」という人は本当に多かった。
だって民主党は「長年続いた既得権益まみれの自民党政権では、行政のムダを省くことはできない。だから政権交代をしてしがらみのない民主党が国民の生活が第一という視点から徹底的に既得権益に切り込む。この間は消費税増税はしない」といって前回の衆議院選挙で圧倒的な勝利を収めたのだから。
ところが総理大臣が官僚に取り込まれた菅直人に代わったとたん「やっぱり増税が必要だ」と言い出した。これでは国民が「話が違うじゃないか」と怒るのが当然で、だから小沢一郎は「国民との約束を守るべきだ」と主張したわけだ。ところがこの当たり前の小沢の主張に対して与党の幹事長が「大衆迎合」と決めつけたのだから、空いた口がふさがらない。
いったい、菅直人にしても枝野幸男にしても、消費税問題がどれだけ参議院選挙の立候補者に影響を与えたか本当にわかっているのか。なにしろ民主党以外の候補者はこの問題で徹底的に攻めてくる。ま、それもまたデタラメな論法なのだが、ことここに至ると国民は民主党に対して不信感を持ってしまっているから、野党の言うことを「もっともだ」と思ってしまう。しかもそれをメディアが増幅する。
にもかかわらず選挙後も菅、枝野とも続投。しかも敗因は「政治とカネ」の問題であって「小沢一郎は万死に値する」などと言う連中までいるのだから、民主党現執行部に対する私の支持率は限りなく下がっている。

ま、こんな話を書き始めると終わらないので話を進めると、、、

こうした民主党逆風の中、しかも組織的にも全国比例立候補者の中で最弱と言える候補者が、なぜ結果的に民主党内でトップ当選できたのか?
それは基本的に有田さんが強い候補者だったからだと思う。
選挙前後のテレビ番組では、いわゆるタレント候補にばかり話題が集中していたが、ワイドショーに12年間出演してきた有田さんの知名度というのはハンパではない。とくにオバちゃん層に対して圧倒的な浸透力がある。
商店街を練り歩いても、歩行者天国を練り歩いても、とにかくオバちゃんが十年来の知り合いといった感じて「あらー有田さーん!」と近寄ってくる。そうして握手をしてチラシを受け取ると、キャーキャーいって記念撮影をすることも少なくない。もう有田さんはオバちゃんのアイドルなのである(^_^;)。
私が有田さんの乗っていない、もう一台の選挙カーで街に出てチラシ配りをしていた時のこと。選挙カーを見て「あっ、有田さんだ!」と近寄ってきたオバちゃんが、いざ有田さんがいないのを知るとガッカリしている(ただしなぜか私の顔を見て「有田さん?」というオバちゃんが何人かいたのだが、これは私としてはなはだしく心外で、だってワタシもう少し髪の毛あるでしょーが!と思ったものである)。
また有田さんと一緒に埼玉県南部を回った時のこと。大宮を選挙カーで走っていると、とあるビルから突如オバちゃんの大群が出てくるところに遭遇した。するとそのオバちゃんが大げさでなく、選挙カーに向かって全員キャーキャーと手を振るのである。それはすごい光景だった(笑)。
で、こういう光景を見るにつけ、「選挙に勝つ最大のポイントは、有田さんが参議院選挙に立候補していることを認知させること。とくにオバちゃんにそれを知らせること」だと私は思った。
その点で有利だったのが「ア行効果」だろう。有田さんは名字が「ア行」でしかも民主党の候補者名簿のトップに名前が出ている。もともと、この名簿トップの効果は大きいと言われていたのだが(民主党の石井一氏も有田さんの出版記念パーティでそのことを言っていた)、私は半信半疑だった。だが、選挙に行ったオバちゃんが民主党の名簿を見てそのトップに「有田芳生」と書いてあれば、「あっ、有田さんだ、じゃあ名前を書こう」となったのだと思う。
実際、有田さんは期日前投票の出口調査でトップで、比較的早い段階で有田さん自身には「いい線をいっている」という情報がもたらされていたそうだが、それはこの名簿とオバちゃんの関係があったからだと私は見ている。

とはいえ、「後から考えてみればそうだったかな?」ということなど、選挙をやっている最中は何もわからない。
だから、ズッコケ軍団は必死になって候補者と一緒に走り回るのであった。

つづく

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2010/07/16

参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その3

話は前後するが、公示日の数日前から、有田さんの中傷ビラが最初は板橋区内、さらには全国の各地域でまかれるといった事態が起きた。
やったのは統一教会。
さすが霊感商法の統一教会と闘う有田芳生!
実は、それまでは「オウム真理教と闘い、拉致問題にも取り組む。元祖とことん現場主義」をキャッチフレーズにしていたのだが、あちらさんがそーゆーことをしてくるなら、、、ということで以来、このキャッチフレーズの冒頭に「霊感商法の統一教会」というフレーズもしっかり入れて街宣車を走らせるようになった。
一方、あちらさんはというと、6月22日の夕方にはついに大山の駅頭で有田さんの中傷演説までやる始末である。
なにしろこちらの事務所は大山駅から徒歩数分であるから、早速、カメラを持参して見に行くと、横断幕を掲げて一人が演説しており、結構な人数がチラシ配りをしている。なかには女性もいるが、これがまた絵に描いたようにちょっと地味目で真面目そうな人ばかりで、私は「ああ昔も今もこういうタイプの女性が引っ掛かってしまうんだなあ」と思ったものだ。
で、私がこの演説をデジカメで撮影していると、あちらさんもしっかりと私の方にカメラを向けてビデオを撮影をしているのであった(^_^;)。もちろん、こちらもデジカメは動画モードだが、ついでだからUSTREAMでも中継してみた。その録画ファイルが↓。

しかも駅前だけでなく、近隣の住宅にチラシを配っている部隊もあるようだ。
大した組織力である。
だから、、、ズッコケ軍団の会話はこんなになってしまう。

「しかしまあ、このチラシ全国で配ってるんだろ。統一教会ってまだ結構な人数がいるんだな。すごい組織力だな」
「ですね。こんなことにムダなエネルギーを使うより、その組織力をうちの事務所に欲しい、、、(-_-;)」
「まったくだ(^_^;)」

統一教会の中傷は選挙公示前に一応、終結した(それでも立派な選挙妨害だ)。
ところが、選挙が始まると次に登場したのが「やまと新聞社」という初耳の新聞社である。

http://www.yamatopress.com/arita.html
(リンクは張りたくないので、コピペしてください)

要はスローガンの入ったポロシャツは公選法違反なのではないかというイチャモンなのだが、最初にこのページを見ると、内容よりもまず爆笑してしまった。というのもズッコケ軍団の面々の後ろ姿が思いっきり写っていたからである。巨漢のK君、そしてI君にO君。「ををっ、みんな頑張ってるじゃないの、、、」
でまあ、こちらのページを見ると、どこの陣営もおそろいのポロシャツを着ているし、他にも厳密に言えば公選法違反という陣営もある。
そもそも、キャッチフレーズの入ったポロシャツを着たぐらいで公選法違反なんてアホのような話である(これも稿を改めて書くが、選挙活動を公選法によってがんじがらめに規制するよりも、ジャーナリズムと詐称して官房機密費授受疑惑のある連中を含むメディアが垂れ流す「ニュース」の方がよほど有害で、規制の対象とすべきである)。
だから私は内心はこのポロシャツを着続けてもいいんじゃないかと思ったが(せっかく作ったんだし)、まあしかし一応、これ以上目をつけられてイチャモンをつけられるのもなんだから、、、ということで、このポロシャツを着るのは以後やめることになったのだった。
ちなみに、この後に続く選挙期間中、まあいろいろな候補者陣営に会いましたね。たとえばこちら↓。

Img_6807

公選法云々よりもこの暑さの中で着ぐるみやらかぶりモノはつらかったでしょうなあ。
他にも某元プロ野球選手の陣営は運動員が「24」と入ったTシャツを着ていたし、某コーヒーチェーンの創業者の陣営はキャッチフレーズの入ったおそろいのエプロンを着用、またとあるタレント陣営も選挙カーにキャッチフレーズを入れ、さらにTシャツにもそれを入れていた、、、とまあ数え上げればキリがない。
しかしまあ、ズッコケ軍団はそうと決めたら清く正しく進むのであった。

※やまと新聞社については、こちらのブログをご参照ください。他にも関連のエントリーがたくさんあります。

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参議院選挙 ~ ズッコケ軍団の奇跡 その2

選挙後、テレビのワイドショーで放送された、当選した某候補の密着取材を見た妻は、帰宅した私の顔を見るなり「あの人の事務所は学生のボランティアがあとからあとから入って来て人手にぜんぜん困らなかったんだってさ」と言った。私が「普通の事務所はそんなもんらしいよ。蓮舫の事務所なんかもすごいらしい。当選の万歳の時に後ろにズラッと並んでいたのは全部、学生のボランティアなんだってさ」と答えた。すると妻は、

「まあ有田事務所も学生ボランティアがまったくいなかったわけじゃなかったから良かったじゃん。H君一人だったけど(^_^;)」

と言ったのだった、、、

えー、念のために申し上げておきますと、スタッフ全員がズッコケていたわけではありません。
浅野克彦都議はズッコケ軍団を支えてくれるお目付け役だったし、前回の衆議院選挙に続いて板橋区の民主党区議団のメンバーである尾名高勝区議田中やすのり区議、そして小沢一郎政治塾出身の長瀬達也区議も全面パックアップしてくれた。
とくに長瀬達也区議についてはいずれ稿を改めて書くが、「小沢一郎政治塾出身というのは大したものだ」と思わずにはいられなかった。
また民主党で兵庫県選出の高橋昭一代議士の政策秘書のH氏も選挙期間中、毎日事務所に詰めてくれていたが、「なるほどプロがやる選挙というのはこういうものなんだナ」と勉強させられた(このH氏の証紙を貼るスピードの速さには仰天した)。

今回の参議院選挙の公示日は6月24日。
その日の晩、浅野都議も加わっての選対会議が開かれた。
一体全体、全国比例というアホのように広い選挙区でどのように闘うのか。
これについて冒頭、候補者である有田さん自身から、「昨年夏、11万票を得た板橋区を大事にしたい」という発言があった。確かに組織のまったくない陣営にとって、心のよりどころは負けたとはいえ昨年夏の衆議院選挙での票である。しかも昨年の衆議院選から引き続き事務所は板橋区大山におかれている。だとしたらそこを固めるのはいたって現実的だ。
もちろん、それだけでは選挙にならないので、この板橋区を中心に東京、埼玉、千葉、さらには北海道、関西などを攻めることになった(最終的には福岡にも入った)。
いま考えても、この選択は正しかったと思う(というかこれしかなかった)。
今回、いわゆるタレント候補と言われる人たちは一部をのぞいて苦戦したけれども、その最大の理由は、いくら知名度があっても組織がない限り、どこをどう回っていいのかわからなかったのだと思う。
しかし、有田陣営は限られた人数の中でも時間があれば大山を中心に東武東上線沿線でチラシ配りをして、さらに都心に足を延ばすという手法をとった。
とはいえ、選挙カー2台。うち候補者が乗るクルマには伴走車をつけて3台のクルマを走らせると、事務所に残る人数は少なく、これがいま選挙を闘っている事務所なのか?という感じになる。
ちなみに私は事務所にいる方が多く、したがって証紙貼りやら公選ハガキのあて名入力などをすることが多かったが、妻たち同様、「ホントにこれでダイジョウブなんだろうか、、、」と思ったものである。

つづく

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