2009/12/26

亀井静香の会見生中継 ~ 既存メディアの崩壊と新しいメディアの誕生

呆れたことに、しかし一方で予想通り、メディアは「クリントンによる駐米大使呼び出し報道疑惑」を完全スルーで黙殺している。おそらくこの件については今後もこの姿勢を変えることはないだろう。で、今日、書きたいのはこのことではないので、この問題の驚くべき経緯については以下のブログをご覧いただきたい。

・すみっち通信
「異例の呼び出し報道」その2

さて、私は昨日の午前中、時間があったので、亀井静香の記者会見の生中継をWebで見た。この中継はもちろん記者クラブのものではなく、フリーの記者や雑誌記者を対象としたものである。中継はニコニコ生放送とケツダンポトフのそらのさんがしており、私は後者を見た。会見の生中継があることはそらのさんのtwitterで知ったからだ。
そらのさんはUSTREAMを使っており、使用機器はiPhoneらしい。
実は私もUSTREAMのアプリをiPhoneに入れてみたのだが、確かにこれで中継できるのである(ただし私のiPhoneは3Gだが)。
これだけでもすごい時代になったと思うのだが、そらのさんはtwitterで質問を募集していた。そこで私も彼女にこんな質問を送ってみた。

「@ksorano 経済問題ではないですが、藤崎駐米大使がクリントン国務長官に呼び出されたというのでメデアが大騒ぎしましたが、実際は大使が立ち寄っただけだとアメリカ側は言っています。大臣の見解を聞きたいのですが。 」

実はこの会見は10時半から行われる予定だったが30分ずれ込んで11時からのスタートで、しかも時間が短かった。それでも最後の質問にそらのさんが指名されたのだが、彼女は自分の名前を名乗ったあと、やはりtwitterから来た別の質問をした。それはそれで残念ではあったが、一方でこの生中継を見ながら、いまやマスゴミと命名された既存メディアが記者クラブという枠の中で談合報道をしているうちに、実はメディアのありようが根本的に変化しつつあることを実感せずにはいられなかった。
おそらく記者クラブに加盟している連中は、こうした動きを苦々しく見ながら、しかし自分たちの立場がこれによって危うくなりつつあることにはまったく気づいていないだろう。
だが時代は変わる。しかも劇的に。もはやこの流れを止めることはできない。
そらのさんは「第二回 亀井大臣の記者クラブ非加盟者向け記者会見をダダ漏れしてきました」というエントリーの中で、

今回TwitterのTLを眺めて、「わたしは媒体だ」ということを強く感じました。 カメラマンでも、レポーターでもない、わたしがそこにいることでたくさんの人たちの目になれる。 わたしは「目」なんだな、と。

というように書いている。
そう、すでにあなたは立派なメディアなのです。しかも既存メディアの人間が持ち得ない、瑞々しい感性を持っている。
新聞社やテレビ局に入った人間だけが記者になれる時代は終わった。いまややる気さえあれば誰でもが記者になれる。もはや学歴なんて関係ないし、一部の人間だけが情報を扱う特権を有しているわけでもない。
そういう時代になったことを既存メディアの諸氏はいつになったら気づくのだろうか?


・湘南の片田舎から
「今、日本のネット世界では、世界でも希な「記者クラブ」に属するマスコミ各社からの報道に対する謎解きが知的遊戯として流行し始めている。」
詳細は「今、日本のネット世界では...」

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2009/12/25

メディアには鳩山同様の説明責任が求められている

今朝のメディアは昨日の鳩山会見一色なのだろう。
「だろう」と書くのは、まだテレビを見ておらず、新聞は定期購読していないので、もうちょっとしてからでないと確認できないからだ。
とはいえ、現下のメディアの状況を考えればそうならざるを得ないだろうし、ま、それはいい。確かに問題は問題なのだから。

しかし、鳩山の説明責任を追及するのならば、やはりメディアは自分たちに向けられた疑問、疑惑に対して説明する責任も果たさなければならない。
それが「駐米大使呼び出し」問題である。
アメリカ側はいわゆる呼び出しを否定している。一方、駐米大使は呼び出されたと主張した。
つまりどちらかが嘘をついていることになる。
アメリカが嘘をついているのならば、これは外交上問題だし、駐米大使が嘘をついているのならば、なおさら外交上の問題、さらに国内的にも駐米大使としての資質が根本的に欠落していると言わざるを得ない。
日本のメディアはこの問題について、駐米大使の側に立って情報を流した。しかも、これによって日米関係は危機的状況に突入したと報じている。
だとすれば、この問題の事実関係を徹底的に取材して報じることこそがメディアの仕事だろう。
大雪で閉庁されていたという国務省の前で、突然呼び出された大使がなぜ居並ぶ記者の前でコメントを出すことができたのかも含めて、ことの経緯を明らかにしなければならない。
これは本来、報道にたずさわる人間、ジャーナリストとしての基本的な使命でなければならないはずだ。
繰り返し言うが、メディアは駐米大使報道に対する疑問への説明責任がある。

・天木直人のブログ
藤崎大使の発言問題をうやむやに終わらせてはならない

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2009/12/08

田中良紹~普天間問題から見える日本

こういう視点が複眼的思考なのだと思う。

田中良紹「国会探検」
普天間問題から見える日本

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2009/11/11

マスメディア最後のお勤め?

週刊アスキーに連載されている歌田明弘の「仮想報道」の今週分「Vol.605 米新聞社『最後の戦い』」が興味深かった。
内容は新聞社や雑誌社の有料課金についてである。もちろんこの試みがうまくいくかは定かではないが、これに失敗すれば「新聞社には経営の展望がなくなるのではないか」という意味で「最後の戦い」というタイトルがついている。
詳しくは週アスを読んでいただくしかないが、この原稿の中でジャーナリストという職業の将来性についても書かれた部分に、私は「うーむ」とうなってしまった。以下、その一部を引用すると、、、

つい最近も、その名前を聞けばジャーナリズム志望の学生誰しもが行きたがるような大手メディアで面接を担当したという人から、「募集をするとほんとうに優秀な人が集まるんだけれど、先の展望のないうちがそんな人間をとっていいものかと思う」という言葉を聞いて絶句した。

なるほど絶句する話である。
たしかに新聞社や出版社はここ数年でバタバタ倒れる可能性が高い。広告収入が大激減するなか、大手マスメディアの高コスト体質は単純な経費削減ではまったく減収分を吸収できない。しかも広告収入は景気が回復しても戻らない。それはWebの登場にともなって、クライアントが求める広告という投資に対するリターンの中身が本質的に変わってしまったからだ(これについては機会を見て書く)。

ただ、それでも大手メディアは優秀な人材を採用すればいいとも思う。
なぜならマスメディアはなくなっても、おそらくメディアはなくならないから。だったら、ジャーナリスト志望の若者にきちんとした取材や原稿のノウハウを会社が続く限り教えるのがマスメディアの最後のお勤めなのかもしれない(もっとも記者クラブ体質にどっぷりつかった人々にそれができるかどうかという議論は当然出てくるだろうが)。

そうして次に来るのは堀江貴文が指摘する↓のような時代なのだと思う。
以下のエントリーは私も同様のことを思っており、しかもそれをとてもクリアに書いてある。

六本木で働いていた元社長のアメプロ
「個人メディアがマスメディアを凌駕する時代」

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2009/10/21

日経の購読をやめる理由はROIの低さ

ここ最近更新していない当ブログに昨日、思いの外アクセスがあったので、何が原因だろうと思ったら「西川善文」という検索からのトラフィックであった、、、

さて、コメントなどへのご返事も書かなければならないナと思いつつ、バタバタしていて果たせない今日この頃だが、本日は軽くサクッと数日来思っていることを書く。

今月前半に1週間、海外に行った間は当然のことながら新聞を読まず、帰国してからもしばらくはゆっくり新聞に目を通す時間がなかった。一方、この間もRSSリーダーに登録してあるブログは未読がたまらないように極力目を通すことにしていた。

そしてわかったことは、、、

新聞を読まなくてもまったく困らないということだった。
考えてみると、ここのところ新聞(日経)を読むモチベーションは、スポーツ面(このブログでは何度か書いているが、日経のスポーツ面は面白い)以外は、ブログネタになるような素っ頓狂な記事を探すことしかなかった。それにしては新聞は高く、しかもこれを読むために意外に時間を取られている。当たり前のことだが、ただのサラリーマンなので新聞購読料が経費で認められるわけでもない。

「これは本当にそろそろ新聞購読をやめる潮時かナ、、」、

と思っていると、18日の朝刊に「小泉駐米大使を提案する」というコラムが掲載された。で、この内容というのが例の職人の書いたもの並みにぶっ飛んだものだったので、これはブログネタにしようと思っていたのだが、そう思いつつサボっていたら天木直人のブログがこの記事について触れていた。それをお読みいただければ十分だが、まあひどい記事であった。

そして今日の朝刊を見ると、これがまた西川辞任報道に関して「郵政改革の“逆戻り”はけしからん」という論調一色である(ちなみに昨晩、報道ステーションなる番組を夕飯を食べながら久しぶりに見るともなく見ていたら、これがまた今朝の日経と同じ論調で、竹中平蔵のインタビューを垂れ流していたのにはのけぞった)。
私は現在の鳩山政権について白川勝彦が指摘するような危うさは確かにあると思うが、それでも自分が生まれる以前から続いていた自民党政権よりははるかにマシだし、この政権を大事にしないといけないと思っている。
そういう立場の者としては、現在の日経の論調は郵政問題以外にも多くの論点で自民党政権時代の既得権益者集団の機関紙にしか見えない(以前、「おやっという記事が出始めている」と書いたが、それは本当に少ない)。

話は飛ぶが、先日のニューヨーク出張の主な内容は、当地のメディア及び広告の状況の視察であった。それは結局、印刷媒体の存続が非常に厳しいことを再確認することにしかならなかったが、その際、良く見聞きしたのがROIである。これは「Return On Investment(投資収益率)」の略で、投下した資本がどれだけ利益を生んでいるか、つまり費用対効果のことである(もちろん以前からある用語)。
広告に関して言えば、広告主はブランディングよりも、よりROIを重視する傾向にある。したがって広告出稿するにしても、より厳密にROIを測定することによって媒体を選択していくということなのだが、これはどの分野にでも言えること。
で、私にとって日経の購読料と記事内容を改めて比較検討するとROIが低い。
一方でネットでは、前述の天木直人白川勝彦、あるいは植草一秀田中良紹といった名のある筆者だけでなく、多くの秀逸なブロガ―による卓見をほぼ無料で読むことができる。さらに最近はこんな動画まで見ることができるわけで、しかも無料ということはROIもへったくれもない。
となれば、旧来の既得権益まみれの媒体の露骨な世論誘導にカネを払ってまで接触するのは、もはや浪費以外の何ものでもない。

ということで、、、
とりあえず日経の購読を終了しようと思うのである。

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2009/10/12

ニューヨークでSIM抜きiPhoneを使う

ニューヨークから10日(土)に帰国した。
今回はなんと19年ぶりだったので、「初めて行くようなものだナ」と思いつつ飛行機に乗ったのだが、実際に現地を歩くと意外や意外、「ここらへんにあれがあったんじゃないかな?」と思う場所に、その「あれ」があったりする。たとえば、、、

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これはニューヨークがそもそもわかりやすい街である上に、全体の景観が変わっていないからだろう。日本のように古いビルをぶち壊してどんどん新しいビルを建てると景観もガラリと変わってしまうが、そうではないために久しぶりに来ても違和感がない。これは観光する側にしてみればありがたい(と考えると、東京有数の観光地である築地市場は、今の雰囲気を残したまま同じ場所で建て直すべきである)。

ところで今回の旅ではiPhoneを持参した。ただし、こんなことになっては大変なので、念には念を入れてSIMカードを抜いた。つまりiPod Touch状態である。それでもFREEのWi-Fiスポットではもちろん使用できる(ネットを見ると、SIMロックを解除して現地でAT&TのプリペイドのSIMを購入して使うという方法もあるらしいが、時間も知識も不足していたため断念した)。
何度か利用したのがCOSIというカフェ。スタバのWi-Fiは有料らしいが、こちらは無料。ただし事前に調べたところでは設定が難しいとのことだった。なので、この設定方法をプリントアウトして持っていったのだが、結論からいうと難しい設定は一切なかった。店内に入ってパソコンやiPhoneでCOSIのWi-Fiを選んでブラウザを立ち上げると自動的にCOSIのページへ飛ぶ。ここで利用規約に同意するだけ。あとは普通にサクサクとネットに接続できる。

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このCOSIに限らず、「Wi-Fi FREE」という店は結構あり、こんな店もFREEだった(^_^;) 。
これはあくまで推測だが、iPhoneやBlackBerryが普及するとともに、Wi-Fiを公衆で利用できる範囲がどんどん広まっているのではないだろうか。日本でも発売されることになったKindleなどの電子書籍端末にしても、Wi-Fiと切り離して考えることはできないだろう。
夜のビレッジを歩いていると、こじゃれたカフェで若いニューヨーカーがノートパソコンを広げている光景も見かけたが、これもWi-Fiにつないでいるようだ(そのノートパソコンだが、日本でいうネットブックよりももっと大きいノートパソコンを使っている方が圧倒的に多い。女性でも相当に大きなAppleやDELLのノートパソコンを使用している。ここらあたりは体力の違いということなのだろうか、、、)。
となるとWi-Fiがいかに簡単に利用できるかというのも、これからのネット社会の大きなポイントになるような気がする(FONなどはそれを目指しているのかもしれないが)。
実際、ネットに接続できる、とくに携帯デバイスを持った外国人がそれを簡単に使用できれば、それは観光面でも重要なインフラとなる(そんなことは当たり前の話なのかな)。
SIMを抜いたiPhoneにしても十分に便利だった。
ある夜、だいたいの場所だけわかっているライブハウスを探しながら街を歩いてみたのだが、ところどころで漏れてくるフリーのWi-Fi(店舗の近くが多かった)を拾うと、自分が立っている現在の位置がマップで正確にわかる。これに店の検索をからめて結局、最後は目指していた店にたどり着くことができた。それがココ

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ちなみに店内ではiPhoneやBlackBerryを持っている人が多く、iPhoneでtwitterをしている女性も見かけた。

この日の帰りは夜の0時を過ぎたがホテルへは地下鉄で。20年前は深夜に地下鉄に乗るのは危険と言われていたが、そんな雰囲気もなく、、、

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iPhoneを操作しているふりをして車内を撮影してみる。

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さて、今回の旅の主目的は当地のメディアの状況についての視察だった。
折しも渡米中に前述したようにAmazonのKindleが日本でも発売されることが発表され、一方でコンデナストの雑誌4誌の廃刊が発表された。この4誌についてはWeb対策もまったくやっていなかったことが行き詰った大きな原因だという。といってWebに展開した既存媒体がうまくいっているかというとそれも違う。
このことについてはいろいろと思うことはあるのだが、それはまた次の機会に。

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2009/09/30

田中良紹 「総裁選は党分裂への一里塚」

ひと月ちょっと前にiPhoneを購入した。といっても旧型の3G(8G)である。
近所のヤマダ電機で本体一括購入が新規で7,800円だったので(MNPだと4,800円)衝動買いしてしまった、、、(もっとも最近はこの機種だと新規が4,800円、MNPは0円になっている orz )。
これが旧型ではあるが、しかし思った以上に便利である。
それまでは朝の通勤電車では新聞と雑誌を読んでいたのだが、iPhoneを購入したことでGoogleリーダーに登録してあるブログを読むことが可能になった。これはパソコン環境で読むよりも相当に時間の節約になるし、より多くのブログをじっくり読むことができる。実際、これまではどちらかというと時間の関係で読み飛ばしていたブログをきちんと読んでむようになり、意外な面白さに気づくことも多い。
アホな新聞記事を読んだ後にそういうブログを読むと、「いい加減、新聞をとるのはやめようかナ」と思う。

今朝もまずは日経に目を通した。
相変わらず民主党の政権運営に対してネガティブなことを書き連ねているわけだが、私が引っ掛かったのは「~との○○も漏れる」という表現だった。これが2か所に出てくる。
3面の「財源確保 いばらの道」という記事では「戦略室、財務省、刷新会議、各省庁の政務三役の役割分担はなお不透明。経済関係の省庁幹部からは『どうやるつもりなのか全くわからない』との嘆息も漏れる。」
5面「『前原流』改革矢継ぎ早」では「実は国幹会議廃止も特会見直しも国交省の官僚には寝耳に水。官僚からは『我々も大臣の方針に従うつもり。もっと信用してほしい』との声も漏れる。」
このように、どこぞの官僚がつぶやいたことをさりげなく挿入することで全体の主旨(この場合は民主党の唱える政治主導への疑義)を強調するような手法は、印象操作の常道である。

こういう記事をザッと見たあとにiPhoneで↓のようなブログ記事を読むと、そのレベルの違いをまざまざと感じる。
そうして、「政治を見る職人というのは、新聞で呆けたコラムを書く似非職人ではなく、こういう記事を書く人のことを言うんだろうナ」と思うのである。

・田中良紹の「国会探検」
総裁選は党分裂への一里塚

※iPhoneでブログを読むという環境は、新聞を広げたりめくったりするような煩雑さがなく、また混んだ電車の中で立っていても周りに迷惑をかけることなく片手でできるので大変に良好だ。しかも、たとえばBylineというアプリを使えば地下鉄の中でも読むことができる。その場合、見出しをタップすると全文が読めるブログはありがたい。反対に最初の数行だけが表示され、その先は新たに接続しないと読めない場合、パソコンではよく読んでいたブログでも飛ばしてしまうことも多くなった。

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2009/09/17

日経の小沢粘着に呆れ果てた

「おやっ?」という記事があれば、当然、その揺り戻しもある。
今日(9月17日)の日経朝刊はそんな記事、それも小沢粘着のオンパレードである。

まずは1面に掲載されている政治部長・宮本明彦なる人物の原稿(「軽やか」な首相の戦い)。

「衆参両院をほぼ制する巨大与党を基盤に『政策の一元化』をうたいながらも、首相自身の足元は決して盤石ではない。小沢一郎幹事長には、党と国会運営は『人事を含めて一任された』と機先を制された。この結果、小沢氏の了解なしには予算はもちろん、法案一本通らない。
首相官邸の中には『政治主導』の目玉とれる国家戦略室が新設される。ここには『官僚き加工との対決』を基本スタンスにする菅直人担当相が陣取り、自前のスタッフを動員して予算、外交などの基本方針を決めていくという。首相の権力はがんじがらめに縛られている印象を受ける。
それでいて、補正予算の組み替え、郵政民営化の見直し、温暖化ガス削減の数値目標といった各種公約の結果責任は、ひとえに首相本人にのしかかる。軽やかな割り切りなしに、政権は維持できない。」

小沢一郎も菅直人も鳩山由紀夫自身が指名したのであって、そもそもここ数年はこの3人がトロイカを組んで民主党を運営してきた。そのトロイカを崩さずに霞が関という最大の難敵に立ち向かおうとしているわけだが、それがこの政治部長には「首相の権力はがんじがらめに縛られている印象」となるらしい。この人は自民党政権とともに出世してきたのだろうから、今回の政権交代を機に、自民党と一緒にお引き取りいただいた方がいいだろう。

そして本日の社説。ここでも、

「内閣の下に政策決定を一元化するためには、党との関係も重要になる。民主党は国会運営の最高意思決定機関として鳩山首相や小沢一郎幹事長らで構成する党首脳会議を新設する方針だ。首脳会議の運営を透明にして、小沢氏との二重権力を招かぬようにしなければならない。」

いやはや対小沢に対する粘着ぶりは凄まじい。しかもこの粘着はまだまだ続く。
社説と同じページには「検証 鳩山・一郎政権 『小沢蜜月』どこまで」というタイトルの記事。リードを引用しよう。

「野党第1党からの政権交代を果たした民主党の鳩山由紀夫政権が16日、始動した。8月30日の衆院選圧勝後から、鳩山氏の人事を巡る発言は揺れ動いた。節目となったのは小沢一郎幹事長との4度の会談で、小沢氏と連携する参院民主党も影響力を行使した。『鳩山・一郎政権』の17日間を検証する。」

「鳩山・一郎政権」と来たものである。このフレーズを思いついた記者のハシャギようが目に浮かぶが、実際、「小沢支配」という予断に徹頭徹尾満ち溢れたこの記事はこれみよがしの政局解説で、書いた記者の品性がアホータロー並みの低さであることを想像させる。

「国会の常任委員長や党の役職は内閣の人事と切り離せない。国会・党の人事一任は、閣僚人事の主導権も事実上、小沢氏が握ると党内の多数が受け止めた。菅直人国家戦略担当相、岡田外相は内定したが、藤井博久財務相は確定しなかった。『小沢氏側が難色を示しているのでは』との疑心暗鬼がうず巻いた。」

「『久しぶりだなあ』。16日、小沢氏は国会2階で民主党幹事長室になる予定の部屋に足を運び、つぶやいた。20年前、47歳で自民党幹事長に就任して『剛腕』と名をはせ、執務したのと同じ場所である。入り口には、まだ『自由民主党』の表札がかかっていた。」

書いている記者自身が自分に酔っているという類の原稿で、これはもうニュースではない。

しかも小沢粘着はこれでも終わらない。3面でもまだまだ続く。このページの右半分では「自民党時代と変わらぬ旧来型人事の色彩がにじんでいる」と書いて、民主党内の派閥と閣僚ポストの関係を解説。当然、軸とはなるのは小沢との距離という話になり、「識者はこう見る」というコメント欄では「小沢幹事長の一元権力体制」という政策研究大学院教授のコメントを掲載。
左半分は「政治主導は未知数 戦略局・刷新会議どう分担」という見出しの記事だが、「鳩山内閣の構図」という図表をイラスト入りでつけている。このイラストは鳩山、菅のイラストが胸から上なのに対し、小沢一郎は顔も一回り大きく、しかも全身入りである。そしてこの記事の締めくくりはこうなっている。
「もう一つの課題は民主党内きっての実力者で、社民、国民新両党の信頼が厚い小沢一郎幹事長の存在。政策決定の内閣一元化という鳩山政権の試みは、首相と小沢氏の蜜月関係がどこまで続くかにも左右され、法案を生かすも殺すも小沢氏次第の側面もある。首相は記者会見で『国民の皆様に辛抱強く、政権をお育て願えれば幸いだ』と語っている。」

あのさあ、鳩山新政権というのは、コイズミのあとがアベシンゾーになって、フクダになって、アホーになったという話とは次元が違うんだよ。いつまでも旧態依然のくだらない「政事」解説じゃなくて、もちょっときちんと新政権の歴史的位置づけというのを書いてみろや、、、
ってそんなことを今のマスゴミに期待してもムダか。
ということで、こーゆーくだらない紙面を見たあとはネットで真っ当なコラムを読むと精神が安定する。

・田中良紹の「国会探検」
真っ当な組閣

・白川勝彦 永田町徒然草
時代が変わるとき。

ムネオ日記(9月16日付)

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この落差こそが問題の本質である

まずは共同ニュースをご覧あれ。
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雑誌記者ら初めて参加 民主が首相会見オープン化

 鳩山由紀夫首相が16日に官邸で行った就任記者会見に、初めて雑誌記者らが参加した。民主党側が「よりオープンな会見を行いたい」と申し入れ、内閣記者会も受け入れた。

 首相が官邸で開く記者会見は日本新聞協会に加盟する新聞、通信、放送各社でつくる内閣記者会が主催。出席は記者会加盟各社と一部海外メディアなどのオブザーバー会員に限定されていた。

 民主党は雑誌や専門紙記者の参加と、外国特派員の参加枠拡大を認めるよう要求。関係者間で人数の調整などをしていた。
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しかして実態は、、、

新聞が書かない民主党の「公約破り」
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民主党の鳩山新内閣がきょう正式に船出する。「官邸主導 一進一退」(朝日)、「準備不足の船出に」(毎日)、「鳩山人事は『安全運転』」(読売)、「無視できぬ『小沢』」(産経)と各紙の紙面は関連ニュースで埋まっている。だが実は、この新政権発足にあたって新聞がまったく触れていない重大なことがある。

 それは、歴代民主党代表が約束してきた「政府会見を記者クラブ以外のメディアにも開放する」という方針が一部メディアの圧力と党内守旧派によって握りつぶされたという事実である。数時間後に行われるであろう新内閣発足の記者会見も閣僚の会見も、「民主党革命」といえる今回の政権交代を象徴するかのように、本来はすべてのメディアに対して開放されるはずだった。それが直前に撤回され、従来どおり官邸記者クラブである内閣記者会に対してのみ、行われることになりそうなのだ。

 総選挙が終わった直後から、実はこの問題に関して水面下で熾烈な戦いが繰り広げられていた。記者クラブを形成する既得権メディアが経営幹部から一線記者まで動員して、さまざまなルートで民主党の各層に働きかけを行っていた。鳩山由紀夫代表に直接、電話を入れた大手新聞社の首脳がいれば、秘書や側近議員の籠絡を担当した記者もいたという。

そのときの共通する殺し文句が、「新聞、テレビなどのメディアを敵に回すと政権が長く持ちませんよ」というものだったという。政権発足前からさかんに行われていた「小沢支配」「二重権力構造」批判といった実体を伴わないネガティブキャンペーンも、実はこの延長線上にあったのではないか、とわたしは疑っている。

 こうした既得権メディアの意を受けた党内抵抗勢力の中心が、藤井裕久@新財務相と平野博文@新官房長官だった。とくに平野氏は官房長官として内閣記者会とのパイプ役となる立場だけに、取り巻きの記者に対して「『記者クラブ開放』は俺がツブす」と息巻いていたという。平野氏にとっては民主党のDNA(by神保さん)であり民主党革命の真髄といえる「情報公開」(ディスクロージャー)よりも、目先の自分の仕事をやりやすくすることのほうが重要なようだ。こんなことで既得権の牙城といえる霞が関に本気で切り込めるのか、先が思いやられるというものだ。
(以下略)
*****

アクセス特集09/17アクセス特集・神保哲生+武田一顕+渡辺真理・9月16日(水)

非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆

鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず

首相記者会見「オープンにする」 鳩山政権「公約」破り、ネット「締め出し」

ジャーナリズムの自殺、民主党の「公約」破り・記者クラブ開放問題を書かない既存メディア

記者クラブ加盟社の記事と現実とのこの落差。
これこそが問題の本質である。

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2009/09/16

政権交代とメディア

いよいよ本日は鳩山連立政権が誕生するわけだが、昨日のうちにアップしようと思っていたエントリーを書き上げることができず、本日にずれ込んだ。
以下、手直ししつつ、、、

昨日(9月15日)の日経朝刊には「次官会見の廃止は短慮だ」という社説が掲載されている。
「民主党の岡田克也幹事長が各省の事務次官による記者会見の廃止を検討することを証明した。」ことに対して「記者会見だけではないが、それを含む多様な取材を重ねて真実に迫り、伝えるメディアの機能に対する認識を書く提案である。撤回を求める。」としている。
官僚から下げ渡された情報を、その意のままに書いてきた連中が今さら何を言っているのか。
「権力を持つ側は、常に記者会見を嫌い、減らそうとする。」と言うが、記者クラブという枠組みを作り、加盟社以外のフリーランスや雑誌媒体などを締め出してきたのはいったい誰なのか? その部分は無視を決め込んで、たかが事務次官の会見がなくなったことを「知る権利」上問題があると書きたてるのは噴飯ものである。
会見がないというのならば自分たちで取材すればいい。まさに報道における日経が大好きな「自由競争」の到来である。民主党は記者クラブも廃止する意向だと言われている(昨日からの流れだとちょっと微妙になってきたようだが)。その時、記者連中にどれだけの取材力があるのか、是非ともお手並みを拝見したいものだ。
もっとも、この社説にはすでに伏線が張ってあって、「『政治主導だから官僚は発言するな』が趣旨ならば、官僚たちは記者会見だけでなく非公式取材にも応じなくなる。政治主導が究極的に官邸主導だとすれば『官房長官が発表するから各閣僚は発言するな』と拡大解釈される危険もある。」と書いている。だから官僚に取材できなくなるのは自分たちの責任ではないというわけだが、私はむしろこれからしばらくの間、政治主導に抵抗する官僚が自分たちの身内である記者を使って徹底的に鳩山連立政権に対して情報戦を仕掛けてくる可能性が高いと思う。
おそらく、「小沢支配=二重権力」という報道もその一環だろう。「最終調整も『小沢氏主導』」(9/15朝刊)、「国会運営、小沢氏が主導権」(9/16朝刊)、、、と日経でも「小沢支配」の印象操作に余念がないが、繰り返しになるが幹事長が権力を握るのは当たり前のことである。

で、まあそんななか、しかし日経にも「おやっ?」という記事が出始めている。
もとよりすべての記事を読んでいるわけではないのだが、以下、ここ最近、印象に残った2つの記事を紹介する。

9月13日 朝刊「中外時評」
タイトル:健全な市場経済の構築へ 日本発のメッセージを
筆者:論説委員 末村篤
*****
 今週、首相に就任する予定の鳩山由紀夫氏が、雑誌「Voice」に発表した論文(「私の政治哲学」)の抄訳が外国のメディアに転載され、物議を醸している。
 自由を至上価値とする資本主義の放縦が社会的不平等を生み、共産主義や国家社会主義を生んだという歴史観。米国的な自由市場経済が普遍的で理想的な経済秩序で、諸国はそれに合わせて経済構造を改革すべきという思潮への反論。衰退した「公」の復興で経済外的価値に目を向け、国民経済の破壊に歯止めをかける決意--。
「米国発市場原理主義」批判だ。
 誇張された海外の反響は、米国の風下で従ってきた日本の指導者が発した批判ゆえの驚きだろう。反米、ポピュリズム(人気取り)の批判は当たらない。世界の共通認識であり、オバマ米大統領が就任演説で国民に呼びかけた社会再生の変革に通じる主張である。
「市場原理」を平たく言えば、経済の合理性、整合性だろう。市場無視の経済運営を続ければ、体制を問わず国も企業も破綻する。土地本位制と株式持ち合いの旧日本システムしかり。しかし、市場の尊重は、かつて経済を律して社会の質を高めることに貢献したが、昨今は経済をゆがめて社会を劣化させる働きをしているように見える。
 逆説は、効率を求めるあまり、自由と規律の均衡を欠き、公正を省みない、市場の乱用で生じた。教育、医療、労働などの領域への市場の拡張。企業を金融商品と同列視する極端な株主主権の横行……。サッチャー・レーガン革命以来、米国金融の憲法、グラス・スティーガル法(銀行証券分離)の廃止に至る自由化で、産業資本主義は金融資本主義に変質した。金融経済危機は新自由主義と行き過ぎた市場主義の帰結だ。「市場の失敗は市場主義の不徹底が原因」という抗弁は国民経済を人質にした詭弁(きべん)である。
(以下略)
*****

9月14日 朝刊「核心」
タイトル:「官主」から「民主」へ
筆者:本社主幹 岡部直明
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「308」。総選挙での民主党の獲得議席数をみて、戦後の国際通貨史を思い浮かべた。1971年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)を受けた同年12月のスミソニアン合意での円レートである。戦後の1ドル=360円時代から1ドル=308円への円切り上げに経済界に緊張が走った。それは73年の変動相場制移行への分岐点になった。
 この歴史的な議席を背景に、鳩山由紀夫政権は戦後日本の政治経済システムを転換させる大きな使命を帯びている。スミソニアン体制が固定相場制から変動相場制への転換点になったように、この政権交代を「官主」政治から「民主」政治への足がかりにしなければならない。
(中略)
 政治主導への転換には、ポピュリズム(迎合主義)に乗った官僚たたきではなく、官僚を使いこなす能力と度量が求められる。民間の専門家や有為な官僚の政治任用制も確立する必要もある。その予備軍としてシンクタンクの機能を活用することだ。少なくとも主要閣僚は最大限、長く務め、G20などで一目置かれる存在になってほしい。
 政治家と官僚の本分はおのずと違う。マックス・ウエーバーは『職業としての政治』で官僚は「怒りも偏見もなく」職務を遂行すべきだとし、政治家の資質としては情熱、責任感、判断力の3つをあげている。
 いま日本では2つの政権交代が進行中だ。ひとつは自民党から民主党へ。もうひとつは官主から民主へである。歴史的にみれば、明治以来の官僚政治を転換するという点で「もうとひつの政権交代」の意味が重い。日本は成熟した民主国家になれるかどうかの分岐点にさしかかっている。
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政権交代はメディア内部の力関係にも微妙な影響を与えるはずだ。具体的に言えば、これまで与党担当だった記者が野党担当に、野党担当だった記者が与党担当になるわけで、おそらくこれまでの野党担当というのは、あまり既得権益にまみれてはいないだろう。
上記の記事を書いた人物がそうなのかどうかは定かではないが、長らく自民党を担当して自らも与党ボケしてしまった数多の記者が主流から外れていけば、少しだけマスゴミの寿命も延びるのかもしれない。

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