2012/06/24

6.22大飯原発再稼働反対デモ ~ 4万人ではぜんぜん少ない

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 ひとくちに誤報といっても、ニュースが誤ってつたえられる過程で、さまざまなニュアンスの違いがみられる。三樹精吉氏の『誤報』によると、誤報は、①虚報、②歪報、③誤報、④禍報、⑤無報……の五つに分類されるという。「公正な報道」という観点からすれば、大小の誤報とその政治的社会的影響力にてらし、大体この分類に振りわけられると思う。ただこれに、私なりにちょっと手を加えさせていただくならば、次のような類別が可能ではないかと考える。
 ①虚報──三樹氏の規定どおり完全に事実無根の報道。
 ②歪報──文字どおり事実を歪めた報道だが、そこには(イ)誇報と(ロ)矯報の二種類がある。語法上おかしいかも知れないが、誇報とはある事実をとくに誇大につたえることであり、矯報とは何らかの意図で、逆に事実よりも矮小化して報道することを指す。
 ③誤報──報道機関の機構上の欠陥からうまれる過失や、作為はないが記者の軽率さによって生じるもの。
 ④禍報──意図はないが、周囲の状況や記事作成上の不手際から、読者に誤って受けとられるばあい。不作為の歪報。
 ⑤無報(あるいは不報)──何らかの事情で報道されず終いになること。これには意識的な黙殺、つまり「自主規制」によるものと、直接に外部から圧力が加えられてニュースが抹殺される「言論統制」によるものと、二つがある。
 ⑥削報──矯報と無報(不報)にそれぞれ近いが、ある部分にかぎって、外部からの圧力や自己検閲によって記事を故意に削除すること。
 ⑦猥報──戦後の「言論の自由」によってジャーナリズムに根づよく腰をすえたエログロ・スキャンダリズム。主たる原因はマスコミの過当競争だが、注意すべきは、いわゆる識者のいうように“劣情を刺戟”することに問題があるのではなく、むしろ既成の道徳観や性にたいする偏見から、故意に男女問題をスキャンダル化して報じることに、マスコミの偽善性が特徴的にあらわれている。多くのばあい古いモラルをかくれみのにしているところに、言論報道の自由にたいして官憲や道学者が介入するスキを与えている。私は、これも現代マスコミが明らかにしなければならない主要な課題であり、アキレス腱だと考える。
 戦時中の新聞は、厳しい言論統制によって毎日のようにひどい「歪報」をかさねていたし、また戦後の占領下ではプレスコードに縛られて連日「無報」の罪を犯していたといえる。陸海軍大本営発表が極端な歪報を報道機関に強要したように、占領下の新聞はGHQ新聞課の検閲によって、アメリカ兵は「大男」、米軍ジープは「小型車」という、苦しい表現でしか報道することを許されなかった。さらにさかのぼれば、日中戦争勃発当時の「爆弾三勇士」が、全くの虚報であったことは、当時から新聞記者のあいだでは公然の秘密だったにも拘わらず、軍当局は国威発揚のために、新聞にデタラメな三勇士物語を書きたてることを強制し、銅像までつくられてしまった。知らぬは国民と三勇士の親ばかりだった、ということになるが、当時の国民にたいする宣伝効果は十二分に達せられたわけだ。軍に都合のわるいことは一切載せさせないという戦時下の言論統制は、国民の大多数をメクラ同然にしてしまったといえる。
 だが、このいわば権力の圧力によってうまれる「無報」も、戦時中は無暗に××の文章が新聞や雑誌に目立ったために、かえって検閲制度のきびしさを国民に知らせる結果になった面がないでもない。これに反して戦後の占領軍は、あきらかに削除(削報)とわかる紙面づくりを許さなかった。したがって××は「言論の自由」を高らかに謳い上げた戦後のジャーナリズムには一つも出てこない。それだけに、占領軍(とくにアメリカ軍)に対する批判がいっさい禁止されていることに、国民は気づかず、ジャーナリストの間でさえ「今日ほど言論が自由になった時代はない」などと手放しで謳歌する者がすくなくなかった。日本の検閲制度に苦しんだ言論人も、××のないことによっておこる錯誤のワナに、みごとに落ちこんでしまったといえる。その点では占領軍の言論統制は日本軍部よりも巧妙であり悪質だった。

(丸山邦男著『遊撃的マスコミ論──オピニオンジャーナリズムの構造』(1974年)より)
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先日、知り合いが「原発がすべて停止して以来、涼しい日が多いような気がする」と言っていた。
確かに6月も後半に入るが真夏のような暑さの日は少なく、朝晩は窓をあけていればひんやりするほどだ。
それが原発と関係あるかどうかはわからないが、原発という巨大海水温め装置が止まったことと気象の関係をきちんと調べてみる必要はあると思う。
何しろ核分裂反応によって得られる熱エネルギーの3分の2は、単純に海に捨てているのが原発なのだから。

さて──
一昨日の22日の夕刻、私も総理官邸前へ行って来た。

位置関係で言うと、総理官邸と道を隔てて反対側には国会記者会館があり、その前、あるいは敷地内にまで人が入り込み「再稼働反対」の声をあげていた。
集まった人数は4万以上だという。
自分たちの目の前でこれだけの人が集まったにもかかわらず、それでも何も報じないNHKや読売新聞は、つまり意識的に黙殺しているわけで、丸山邦男氏が指摘するところの「無報」である。

そにれしても──。
長らく反原発の立場にあった私としては、まさかこれだけ多くの人が原発反対のデモに参加する日が来るとは思わなかった。その意味で、まさに隔世の感がある。
しかも、若い人から年配の人まで年齢層が幅広い。そして、男性にしても女性にしても、一人でやってきている人も少なくない。また多くの人がスマートフォンを手にしてツイッターを見たり、ツイートしている。
ソーシャルメディアを手にした市民が目覚めつつある光景は、この国を支配する記者クラブメディアによる強烈な言論統制の崩壊を予感させる。

が、だからこそ私は思うのだ。
「まだまだぜんぜん少ない」と。

昨日、今日と、日頃私が目を通している多くのブログで今回のデモが、その人数も含めて好意的に取り上げられていた。
もちろん、それは喜ばしいことだ。
だが、20時を過ぎて私がデモの現場を離れて地下鉄の駅へ向かうと、少し歩けばそこにはすでに金曜日夜の永田町の日常的な静寂があった。そして電車に乗り込めば、ほとんどの人が官邸前の出来事など知るはずもない。

原子力発電所が3機もメルトスルーし、総理大臣の「収束宣言」という大ウソとは裏腹に、すでに手をつけられない状況になりつつある(ひょっとしたら手段がないという意味での「収束宣言」かもしれない)。
東京電力のみならず、すべての電力会社がデタラメの限りを尽くして原発を運転してきた。その体質を一つも改めることなく、原発を再稼働しようなどというのは狂気の沙汰だ。使用済核燃料の最終処分地の行き先すら見つからないなかでの「安全宣言」など無意味以外の何ものでもない。
これだけの現実を目の当たりにしたら、普通の国であれば暴動の一つや二つは起きていると私は思う。
にもかかわらず、この期に及んでも総理官邸の前にせいぜい4万人しか集まらないというのは、逆に言えば国家権力の情報統制がそこまで行き届いていることの証明とも言える。

私が生まれる2年ほど前に60年安保というのがあった。この時、国会周辺に集まった人数は、一昨日の人数とは比較にならない、100万人単位だったという。
にもかかわらず、時の首相である岸信介は「声なき声が聞える」と嘯いた。
官僚というのは前例を踏襲する。
おそらくいま野田を取り巻く官僚たちは、「あの60年安保に比べれば、ぜんぜん大したことはない。声なき声に耳を傾ければいいのです」と耳もとで囁いていることだろう。
岸信介という政治家が私は反吐がでるほど嫌いだが、しかし岸には岸なりの信念があっただろう。
一方、野田という男には何もない。たとえ官邸の外で少々の騒ぎがあろうとも、官僚に入れ知恵されれば何の疑問もなくそれを受け入れるだろう。そんな無気味さが野田にはある。

ところで、これまでに私が見たデモの中で最大規模のものは70年安保だ。
この70年安保は60年安保に比べると、規模としては小さいと言われる。
が、当時、小学校低学年だった私が見たこのデモは(親に連れられて見に行った)、子供心に強烈な印象として残っている。その時の記憶と比べてみても、一昨日のデモはまだまだスケールが小さい。

もっともっと多くの人が国会周辺のみならず全国で行動を起こさなければ、国民まるごと原発破局と道連れという運命は変わらない。そして、悪い奴らは誰一人責任を取ることなく逃げ切ることになる(彼らはもはや国の将来がどうなろうが知ったことではない)。
そう私は思うのである。

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(写真は70年安保のデモ隊を見る私(^_^;) )

※丸山邦男氏(丸山真男氏の弟)の『遊撃的マスコミ論──オピニオンジャーナリズムの構造』は、近日、志木電子書籍より電子化されて刊行されます。

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2012/03/21

橋下徹は小沢無罪後の布石か?

東京地検特捜部という、マスメディアによれば「最強の捜査機関」ですら起訴できず、検察審査会という素人集団の起訴議決によって小沢一郎が起訴された「陸山会事件」が結審した。
この過程で明らかになったのは、小沢の「犯罪」ではなく、法治国家の根底を揺るがす検察の驚くべき不正と疑惑である。

起訴議決の根拠となった、検察から検察審査会に送られた捜査報告書は、小沢を起訴させるべく虚偽記載に満ちていた。
一方、無作為で選ばれたはずの検察審査員は、二回の起訴議決時の平均年齢がまったく同じという、天文学的確率の奇怪な現象が報告されていたが(しかも超高齢化が進行中にもかかわらず、その平均年令は30代半ばである)、ここへ来て、その検察審査員を選ぶパソコンソフトは、その人選を恣意的にコントロールすることかできる可能性が指摘されている。

・一市民が斬る!!
2月2日 こんなイカサマソフトに6,000万円もの血税が!最高裁事務総局発注の「検察審査員選定クジ引きソフト」操作マニュアルを見た!

また、発注元は「最高裁事務総局」という聞きなれぬ組織で、このソフト制作を競合の末に落札した富士ソフトという会社の顧問には意外な名が連なっていたという(「検察審査員」「選考」「節ソフト」「顧問」で検索した結果はこちら)。

この裁判だけを見ても、これだけの疑惑がゴロゴロ転がっている。
しかし、有罪立証の根幹である石川議員の供述調書(虚偽記載満載)の証拠採用が却下された際、毎日新聞社の主筆はテレビで「これで有罪にもっていきにくくなったが、まだわからない」とのたまったものだった。
この期に及んでもまだそのようなセリフを公衆の面前で吐く「ジャーナリスト」とは、いったいなんなのか。

そもそもーー。
3年前の2009年3月3日に小沢事務所の大久保秘書が逮捕された時から、この小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の事件は一貫して疑惑だらけだった。
その中身については当ブログでもこれまでさんざん書いてきたので割愛するが、にもかかわらずマスメディアに所属する「プロ」のジャーナリストたちは、一貫して検察側の主張に何の疑問を差し挟むこともなく、ひたすら小沢一郎を糾弾し続けた。

一方、ネット上には、プロのジャーナリストとは真逆の素人が多数いて、「小沢対検察」の行方をウォッチしていた。将棋にたとえると、プロのジャーナリストが観戦記者だとすれば、彼らはネット上のファンということになる。
ところが、観戦記者の見立てはことごとくハズレ、ネット上のファンがお互いに情報交換をしながらする分析の方がはるかに正しかったことが、ここへ来て証明されつつあると私は思う。

そうして3年以上に及んだ「小沢事件」に間もなく一つの結論が出る。
判決は普通に考えれば無罪だが、何しろこの国は普通ではない。したがって何が起こるかわからない。
たとえ罰金でも有罪判決が出れば、マスメディアはついに鬼の首を取ったがごとく騒ぎ立てて、小沢辞任論を展開するだろう。
では、無罪だったら?
私の予想では、「それでも疑惑が消えたわけではない」などと言い出す可能性もあるが、それ以上にマスメディアが誇張するのは、「どちらにせよ小沢一郎はもはや過去の政治家である」という印象操作だと思う。

ここ最近、大阪市長をやたらめったら持ち上げるマスメディアの最大の狙いは、ここにあると私は睨んでいる。つまり橋下のやっていることの是非はどうでもよく、小沢との対比で「若くて新しい政治家が出てきたことで、小沢のような古い政治家の役割は終わった」というキャンペーン張る、その布石が橋下なのだと思う。
つまり、小沢にとって検察との闘いに一区切りがついても、マスメディアとの闘いは残念なことにまだ終わらない可能性が高い。
しかし、それももはやそう長くは続かないはずだ。
楽観的に過ぎるかもしれないが、どんな組織でも、デタラメをやった報いは必ず来る。それを如実に示したのが東京電力で、その歴史の法則は不変であると思うのだ。

※そしてTBSはどうする?

朝ズバで森ゆうこ議員が語ったTBSによる水谷建設裏... 投稿者 torigonn


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2012/03/18

原発とアスベスト

福島第一原発の爆発時にアスベストも飛散したのではないかという説がある。

・本気で臨海部の未来を考える会BLOG
原発の水素爆発事故で、アスベストも大飛散した可能性大

・南相馬市 大山こういちのブログ
「衝撃の事実」④どこまで我々を欺くのか?!

かつての日本のアスベストの使用状況を考えれば、原発で、それもより古い型でアスベストが大量に使用されていた可能性は強いだろう。

かつて日本はアスベスト大国であった。しかも、官民一体となってその危険さを覆い隠したのである。
以下は1987年に岡庭昇氏が書いた原稿で、「この情報はこう読め!」(1989年刊行)に収録されたもの。
志木電子書籍では、このたび「この情報はこう読め」を電子書籍化したのだが、その刊行記念ということで、以下の原稿を全文掲載いたします。
一読していただければ、日本という国が、3.11を経験した今も、そしてそれ以前もまったく変わっていないことにお気づきいただけるはずだ。

**********
ああ、官民一致協力してガン王国ニッポン!
ーー社会的責任を放棄するコスト・バカ

 八七年八月二六日の朝刊各紙は、公害健康被害補償法の“改正”が、実質上決定したことを伝えている。むろん、じっさいは改悪、というよりも廃止である。関係産業全体で、公害患者に責任を示すという趣旨の法律だったのだが、それにしても経済的な側面の、それも一部だけを負担するにすぎない。こんどは、それも、やめようというのである。採算性だけに凝り固まり、倫理と無縁という点では、世界に冠たる日本の企業が、よっぽど国民に脅されたり、行政に泣きつかれたりしないかぎり、みずからまいた種で多くの人がいくら苦しもうが、誠意など示すわけがないので、虎視耽々と廃止を狙っていたにちがいない。いいなりの環境庁の方は、アメリカのEPAとは異なり、官庁の中のミソッカスみたいなものだから、独自の見識など、示し得るわけがない。かくて、大気汚染がますますひどくなる現状にあって、今後、産業公害(ほんとうは私害)による病害患者は存在しないことになってしまったのである。
 本来、議論はこう進むべきであった。すなわち、患者に多少の金を出して、他方で、生産効率のためには環境や健康の破壊を引き換えにするという、日本社会の世界に類を見ない本質──それも、ほんのちょっとのコスト高を嫌って、いくら安全な材料や方法があっても、それに変えようとはしない──の方を温存するという、“反省なき猪突猛進”を続けようとしていることが批判されるべきだ、と。ところが、それどころか、みせかけの社会的責任も、なりふりかまわず止めてしまおう、というのである。まことに、恥ずべき国ではないか。みっともないくらい、せっせと金を稼ぎ、がっぽり貯めこむことが、銭ゲバなのではない。稼ぐことを、たんにコスト切り下げと直結して考えることしかできず、環境や健康を引き換えにすることによってのみ、可能とするといった貧しさ、情けなさをこそ、銭ゲバというのである。この国が、まさにコスト・バカ鎖国社会であることを、公健法の消滅はみごとに露呈してしまった。公健法の消滅で、今後一〇年間で、企業の負担は約二〇〇〇億円減ることになる。まことに、浅ましく、露骨なことである。要するに、なんの代替案を出すでもなく、ただもう、社会的責任とやらのポーズはやめた、というのだから。じつに、世界に冠たる後進国であると、何度でもいっておかねばならない。
 そこにはまた、挙国一致体制である“行革”のインチキさ、いかがわしさが、濃厚に影を落としている。行政における無駄な出費をはぶき、出費を節約するというのが行革のタテマエであるが、現実には膨大な税金のたれ流しは温存したまま、安全や健康のための研究、管理の手間と費用を片っ端から削っているのが、行革にほかならない。たとえば国鉄が、行革と称して最初にやったのが、無人駅の増大化であった。それも西日暮里といった、通過人口の多い乗り換え駅のホームを無人化して、酔っ払いが線路に落ちたりしたら、居合わせた客が警報機を鳴らせというのである。一時が万事、すべて行革の現実はこうだ。
 行革と税金タレ流し行政が不一致であったり、矛盾するというのではない。ほんとうは、それらは相反する別々のことがらなのではなく、ひとつのものである。行革においてこそ、タレ流し体制が完成する。なぜなら前者は消費、健康、安全、倫理といった“無駄な出費”の側面を、後者のために切り捨てることにほかならないからである。すなわち、コスト主義・生産至上主義と、意図された税金タレ流し(正確には日常化した租税再分配のシステム)は表裏一体のものであり、この一体化の仕上げのために“行革”が媒介する。生産と引き換えに身体を犠牲にするガン王国ニッポンは、さらにこの事態において完成するのである。
 社会的な配慮やモラルにおいて世界最低の国が、ますます銭儲けだけに専念し、力で賃金を押えこんだのに続き、こんどはひたすら環境や健康を破壊して、コスト・ダウンのみを計ろうとする。そういう時代の、幕開きを象徴するのが、行革にほかならなかった。行政を、その日本的な本来の構造に純化して、幹は企業のための租税収奪、枝葉は、日々の対企業サービスに専念しようということだ。また、行革という名の、かかる犯罪をおおっぴらに行っておいて、環境破壊の責任のために金を出せと、企業に要請する根拠もあるまい。たしかに、公健法は、一三年前、四日市公害判決をきっかけに制定されたものであり、大気汚染の原因は、当時の硫黄酸化物から多様化したかもしれないが、それはますます事態が深刻化したということであって、それも、明らかに企業のコスト主義の、野蛮な結果にほかならないのだ。
 アスベストが、最近、急に話題になりはじめた。アスベスト、すなわち石綿である。話題になりはじめた、と厭味な正確さで書いたのは、いくら情報量が増えても、決して“問題”にされているわけではないからである。日本という国は、生産に都合がいいが、健康に害があるものについては、徹底的に事実をおし隠して、生産に便宜を計る。隠し切れなくなったときは、それを“話題”にして、本質を韜晦させ、やがて、なし崩しにしていくのである。いつものこの手口は、アスベスト問題においても健在(!)のようだ。今回も、取材を続けていくうちに、官民一体のこのなし崩し体質に、ほとほと愛想が尽きた。
 アスベストは、発ガン物質である。目に見えないほど小さなトゲになって、人体に入り込み、長年、肺に蓄積されて、やがて肺ガンの原因になる。これほど確実に、因果関係が突きとめられている発ガン物質も、めずらしいといわれる。危険きわまりない物質である。もはや、数年前から、アメリカでは大問題になり、厳重な規制がなされているというのに、世界最大の使用国日本では、なんとまったく野放しで、まったく規制値さえないというのだ。
 アスベストが、建材をはじめ、日本のいたるところで使われているのは、防火・防音機能に勝れているという理由もあるが、何よりも安いからである。とっくに危険性はわかっていたのに、コストを理由に、大量に、かつ無造作なやり方で使用されてきた。知っていながら、情報機関は、誰かが指摘するまでは、パニックを防ぐという大義名分のもと、何も報道しなかった。ここらが、いかにもニッポン的な風景である。
 武道館の天井はアスベストだらけで、最後列の座席は、客に届きそうな低さまで、はがれたアスベストが垂れ下がっているのは、よく知られた事実である。また、日比谷図書館の天井もそうだし、東大工学部では、抵抗のためか、マスクをして授業に出る学生が出てきた。が、何も、とりたてて、これらの例をあげるまでもなく、たいがいの場合、アスベストと縁がなく暮らしている日本人などは、存在しえないのである。先日、いろいろな住宅メーカーの、パンフレットを取り寄せてみたが、どこにも、例外なく“彩色アスベスト使用”と、堂々と断ってあった。安い素材だからという理由で、あらゆるビルや住宅、ボイラー、船舶、ドライヤー、白粉、車のブレーキ、蚊取り線香の蓋のウラ、ベビーパウダーなど、膨大に使用してきたこの国は、同じ理由で、アスベスト関連産業、またアスベストが大量に使われている職場で働く労働者、それ以上にアスベスト材で作られた、建築物とり壊し作業に従事する人々の、健康管理などは、まったく無視してきたのである。
 軍艦は断熱のため、膨大なアスベストを使用する。横須賀の米軍基地で働く日本人労働者は、寄港する軍艦の壁などから、アスベストをはがす仕事をさせられてきた。アメリカは、厳重な健康基準を持っているから、防護服などの使用を義務づけているが、日本人労働者は裸でその作業に従事してきた。まともにアスベストを吸い込んできたのである。その結果、横須賀労災病院における肺ガンの発生率は、他の六倍にもなっているのだ。
 なかでも、緊急の課題は小・中学校だろう。子供たちが、アスベストの降る下で授業を受けている国なんて、まったく日本くらいのものである。かつてアメリカでは、生徒・父兄の側が登校拒否で戦ったが、日本では、改造が間に合わないから、ともかく夏休みあけは、危険であろうとおかまいなしに学校に出ろと、いっている。健康より出席が大事だ、というこの国の“義務教育”の観念なのであり、親の側も不思議に思ったり、不安になったりしないらしいのだ。騒音対策のため、基地の学校は、すべてアスベストを大量に使用しているが、その他でも、じつに例が多い。まず、たいがいの場合は該当すると思っていい。
 わたしが怒りを覚えるのは、コストのためにのみ危険な発ガン物質を用い、そのことを隠してきた、使用、放置、情報等のすべてにわたる官民一致体制がここにきて、隠しおおせなくなっても、なおその論理に執着し、取り壊しや、改造のプロセスにおいて、あたりにアスベストの粉塵を撒き散らし、新たな公害を平然と作り出している点だ。犯罪的なコスト主義の後始末についてさえ、やむをえずポーズをとっているだけなのであり、しかも後始末にまでコスト主義を貫いて、手抜きの極みゆえの、公害を増やしている。さらにいえば、いま、アスベスト対策のニュースが急に盛り上がってきたように見えるのは、きちんとしたやり方──まことにコスト至上主義を自己否定し、身体保護の観点から生産の方を振りかえる姿勢からしか、正しい事後処理も生まれない──で処理を、全面的、かつ厳重にやらねばならなくなったら金がかがるため、駆け込みで糊塗しようとしているからなのだ。だから、やり方自体が公害を作り出しているのであり、現場はどこも、完全な秘密主義で、絶対に取材に応じない。法律ができてからでは金がかかるから、作業員にとっても、まわりの住民にとっても、危険極まりない処理工事がひそかに夏休みに行われ、行政はいつもそうであるように、あらかじめ猶予期間をわざわざ設けてやり、その上で、駆け込み工事の危険さに対して、しらんふりをしている。もとより、彼らは官民こぞってグルなのだ。(1987年8月)
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2012/02/18

小沢一郎の「政治とカネ」
不毛な三年間の最大の責任は
「疑いなき者をハメた」検察とメディアにある

あの東京地検特捜部ですら起訴できなかった小沢一郎を、素人、かつ謎の集団である検察審査会が起訴議決したことで強制起訴に持ち込まれた小沢公判。
これは大林宏検事総長が「起訴できるだけの証拠がなかった」と言い切った案件である。

にもかかわらず、検察審査会に送られる操作捜査報告書が組織的に捏造(虚偽記載)されていたのだから、昨日の石川調書の証拠不採用は至極真っ当な結論という以外にない。

しかし、これで小沢無罪が決定したわけはもない。もちろん普通に考えれば無罪以外にあり得ないが、この小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の“問題”は、そもそもが普通でないところからスタートしているから、何が起こるかは、まさしく裁判が終わるまで、下駄を履くまでわからないと思う。

ちなみに本日の東京新聞朝刊に掲載された元東京地検特捜部検事、高井康弁護士によれば、「有罪の確率は減ったが、必ず無罪になるというわけではない。裁判所が推認に推認を重ねて、被告が「将来、虚偽記載した報告書を提出することになる」と暗黙のうちに認識したと認定できれば、有罪となる可能性はある。」のだそうだ。
これは凄いコメントだ。これほど尋常でない裁判なのだから、そもそもこの公判のありようを問わなければならないはずなのに、そういう問題設定は一切なく、推認で有罪になる可能性はあるという。この人に弁護を依頼するには、よほど勝算の高い案件でも不安ですね。
同様に検察官役の指定弁護士のコメントも凄い。「(調書の不採用は)ほぼ予想通りの結果。有罪立証にあまり影響はない」とのこと。この人、本職は弁護士なのだから、「こんな裁判、もうやってらんない」というのならわかるが、有罪立証できるというのである。この人に弁護を依頼するのもまた勇気がいる。

さて、そんななか、昨日の私の最大の興味は、このニュースをメディアがどのように伝えるかということだった。
そこで最初に注目したのは、お昼のNHKニュース。
なにしろNHKこそは、2009年3月の大久保秘書逮捕から、一貫して検察のリークを垂れ流して小沢を叩いてきた筆頭媒体であるから、その伝え方は気になる。

が、実際に見てみると、これが拍子抜けするほど真っ当だった。昼の時間帯のニュース枠の中で、他局はそれでもまだ「小沢無罪の可能性が高くなったが、池田秘書の調書は一部採用されているから、有罪の可能性もある」という調子だったのに対し、NHKはそれには触れずに無罪の可能性を伝えていたのである。
夜7時のニュースも、まあそんな調子だったので、普段は決して見ることのない、一番問題の「ニュースウォッチ9」もついでに見ることにした。

そして、この番組がひどかった。
が、ひどかったのは小沢のニュースに関してのみでなく全体の構成だ。

番組では冒頭に野田佳彦が出演。キャスターを相手に「一体改革」とやらの重要性を喋る。これに対しキャスターは、いかにも視聴者代表のようなフリをして質問を投げかける。素直な視聴者は、野田を相手にキツイ質問をしているように見えるのかもしれないが、この男の役どころは単なる増税路線の露払い役でしかない。

「増税をするんですか? でも、その路線にはこんな反論、疑問がありますよ」と、増税という道に落ちているゴミの存在を指摘すると、それについて野田が答える。するとそのゴミは箒で掃き出されるわけである。結果、視聴者を「増税やむなし」という気分にさせる。
このコーナーの目的はそこにしかなく、これを繰り返すことで増税容認という空気を充満させようというのである。そして、もっとも効果があるのは、これを「みなさまのNHK」がやることだ(こちらも本日の東京新聞の記事だが、「野田が国民へ一体改革のアピールを始め、NHKのニュース番組に出演した」という内容の記事がある。つまりこの番組は政府広報としての価値ありと権力からも認定されているのである)。

私はこのコーナーを見ている間、反吐が出そうになったので(こういう番組をきちんと最初から最後まで見て批判する植草一秀氏は本当に偉いと思う)、時折、ザッピングをすると、TBSでは「怪しく無気味な国、北朝鮮」という気分を煽り、空気を作る「バラエティ番組」を盛大にやっている。
まことにもって、世界一の情報統制国家・日本のメディアは、それぞれのポジションで本日も忠実に任務を遂行中である。

NHKに話を戻すと、そうして野田がえんえんと話したあとの次のニュースが天皇陛下のご入院(不敬な順番だ!)。そして、その次にやっと小沢公判である。
昨日の公判で石川調書が採用されず、小沢無罪の流れが強まり……というビデオが流れ、さて偏執的小沢叩きで有名なあのキャスターがどんなコメントをするのかしらんと期待していると、この男は判決の期日を喋ってサラッと次のニュースへ移ったからズッコケた。

「あんた、そりゃあないだろうよ。あれだけ、小沢をぶっ叩いてたんだぜ、何かコメントせいよ」

と思ったのは私だけだろうか。

それにしも──。
そもそも、昨日の小沢公判ニュースを見ていた視聴者のうちのどれほどの人が、この「陸山会の虚偽記載事件」は2009年、最初に大久保秘書逮捕された時の「西松事件」とまったく異なるものであるを理解しているだろうか。そして、「西松事件」はどこへ行ったかを正確に知っている人がどれだけいるだろうか。

私は今、2009年3月、大久保秘書逮捕から始まった、検察+メディアによる「小沢狙い撃ち」について、当ブログに書いたものをまとめて電子書籍にしようと思っている。そこで、当時のエントリーを読みなおしているのだが、もはや私でも「そんなことがあったな」と思うこともある。

そもそも、大久保秘書の逮捕時点では、「西松建設の巨額献金事件」とメディアは報じていた。大久保秘書の逮捕容疑は政治資金規正法違反という形式犯。だが、当時、宗像紀夫(元東京地検特捜部長)は「入口は政治資金規正法違反という形式犯だが、ここまでやるからにはその先に大きな疑惑があるはずだ」と言っていた。ところが、その先には何もなく、結局、大久保秘書は政治資金規正法違反のまま起訴された。

すると、次にメディアは検察の吹かす風にのって、「これだけで十分に悪質」と言い始めた。当時の総理大臣、麻生太郎は嬉しさを隠しきれずに、「悪質だ」とのたまった。
あるいは共産党の志位和夫。この人物も小沢一郎に対して、「形式犯での逮捕は前例がないというが、こういう悪質なことはこれまでにない。取り締まるのが当たり前だ」などと述べていたのである。

しかしいま、この西松事件は影も形もない。なぜなら、この公判では、検察側の証人が法廷で検察の構図を覆す証言をしたからである。その瞬間、西松事件は消え去った。
すると持ち出されたのが、陸山会の土地取引問題であり、しかしそれでも検察は小沢を起訴できなかった。
やっと起訴できたのは、検察審査会というこれ自体が十分に怪しい素人集団に、検察が虚偽記載した捜査報告書を送ったからである。

と、ここまでくれば、もはや事は明らかだ。
問題は小沢一郎の「政治とカネ」ではない。検察とメディアが一体となって小沢一郎の「政治とカネ」をでっち上げたことこそが問題なのである。
「疑わしきは罰せず」どころの話ではない。検察がメディアを利用して、「疑いなき者(しかも総理大臣の最有力候補)をハメた」のだ。
その結果、この3年間、政治は混乱するだけ混乱し、衆議院選挙で示された民意はネジ曲げらるだけネジ曲げられた。さらに、その間には東日本大震災が起き、福島第一原発の破局事故が起きたが、総理大臣が異なっていれば、その対処法はずいぶんと異なっており、放射能による被害も格段に少なくなっていただろう。
いまこそ、その責任が問われなければならないのであって、メディアが頬かむりすることは許されない。


・田中良紹の「国会探検」
民主主義とは無縁の人たち

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2012/01/28

志木電子書籍からの新刊情報 ~ 「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」発売!

株式会社志木電子書籍(代表は当ブログ管理人)からの新刊情報です。

タイトル:『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇
価格: 500円(税込)

Small
ボイジャーストア『テレビ帝国の教科書』

(※まずはボイジャーストアでの販売が先行しますが、近日中に紀伊国屋やソニーリーダーストアなど左にある「電子書店リンク」の書店でも販売いたします<発売日は決定次第発表>。さらに取り扱い電子書店も来月初めから増えます。)

岡庭昇氏の著作としては、弊社では2冊目の電子化となります。
まずは目次のご紹介。

二〇一二年──電子書籍版への序文

はじめに──メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する

  1 ロス疑惑とテレビの新時代

    “疑惑”という名の公開処刑イベント
  2 かい人21面相と事件の“顔”
     仮説・グリコ‥森永不連続説
  3 倉田まり子と国家のスキャンダル
    “コト”が“ヒト”にすりかわる
  4 山口組と劇場犯罪
     あらゆるスキャンダルはイベントとなる

Ⅱ テレビは空気のような罠である
  1 体験的“抗議電話”
     それはリアクションとしてのアクションである
  2 安心は既視感のなかに
     メディアに出るのはエライ人、か?
  3 テレビは“市民”のパスポート
     永遠に停滞するわれらの至福の共同体

Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
  1 われらの“現実”は仮装する
     メディアの権力を解剖する
  2 一枚の写真とイメージの罠
     感性の支配が確立するとき
  3 スキャンダルのケインズ理論
     広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
  4“像”は君臨する
     露出する人々は権力を得る

Ⅳ 逆説のカラクリが情報を戦略する
  1 情報帝国主義の完成
     統制がリーグとなり、リーグが統制となる
  2 真のスキャンダルは逃亡する
     タレント・スターという機能
  3 メディア・ファシズムヘの逆転技
     官能を研ぎすませよ!

あとがき

1985年に刊行された本なので、出てくる事件は古いですが、しかし、書かれている内容はまったく古くありません。
それどころか、現在起きている福島第一原発の破局事故をめぐるさまざまな情報、あるいは政治、とくに小沢一郎の「陸山会事件」についての情報など、マスメディアがながすあらゆるニュースについて、これまでとはまったく異なる視点を読者のみなさんは持つことができると思います。

私はかつて、田中角栄という政治家は大変に悪い、金権政治家だと思っていました。
だから、東京地検特捜部によって田中角栄が逮捕され、総理の犯罪として裁かれたことに喝采を送ったものでした。
しかし、この「総理の犯罪」と命名された戦後最大の“疑獄事件”を徹底的に見直す必要があると今は思っています。
岡庭氏は文中でこんなことを書いています。

《ヨーロッパをひとつの妖怪が徘徊する、共産主義という名の妖怪が》と若きマルクスは誇らかに書きつけた。いま、ずっとネガティブな意味であるが、市民社会を一つの妖怪が徘徊する、既視感(デジヤ・ヴユ)の他者であるところの“像”という名の妖怪が、とわたしは書きとめておかなければならない。

 高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成とは、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や戒律や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは法や規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。

 このメディア・ファシズム状況の中核にあるものが“像”である。メディア批判は、報道の右傾化を憂うといったおなじみのスタイルにおいてではなく、メディアそのもののホンシツをつかない限り成り立たない。そのとき、メディアの支配力の源泉である“像”のトリックこそが、批判的な課題として考察されるべきである。

“像”とは、読んで字のごとく“像”である。たとえば山口百恵、田中角栄、三浦和義という名前から、われわれがおおむね共通に浮かべるイメージが“像”である。モモエにも、角栄氏にも、三浦サンにもさまざまな表情やシチュエーションがあるのだが、われわれはただひとつの“像”を条件反射するのだ。それは記号化された顔である。同時に意味が記号化している。彼らは既視感(デジヤ・ヴユ)のかたまりであり、それゆえ他者総体を代行している。つまり彼らが記号化されることは、現実そのものを記号化するということなのだ。そのことによって、われわれは空気の制度をみずからの手で完成しているといわねばならない。

 現実が“像”におきかえられる。同時に“像”もそのままたれ流されるだけでは“条件反射”を保証されないから、さまざまに“像”のころがし方が発達する。たとえば角栄さんに顕著だったような、“像ころがし”だ。三浦印や角栄印の場合のように“像ころがし”はますますテレビの支配機能を尖鋭にした。それに“像”をひきしめるスパイスの投入がある。スキャンダルの使用である。そんな風にして、現実と“像”をすりかえるメディア力学は、ますます盛大に栄えている。

 しかし、現実を記号に変え、他人の生き死にをイベントにすりかえるメディアと共犯に立つことで、市民たちはいずれ手ひどいしっぺ返しをうけるだろう。GNPぼけして忘れているが、半世紀前の日本人たちは、いよいよ自分が死地にひっぱられるまで、祖国ニッポンが自分たちの檻であるなどとは夢思わず、さまざまな国家製の物語や記号を娯楽していたのである。

↓こちらでは「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」もお読みいただけます。 
志木電子書籍からのお知らせ ~ 「テレビ帝国の教科書」がボイジャーストアより発売されました!

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2012/01/14

野田改造内閣 ~ 霞が関による政権交代潰しの到達点

まずは植草一秀氏のエントリーで紹介されていた動画をご覧いただきたい。

野田改造“増税一直線”内閣が発足した。
私の感想はただ一つ、この政権は2009年の政権交代の意義を叩き潰す霞が関独裁の総仕上げ、到達点だなということだった。
私の考えでは、長らく自民党とタッグを組んできた霞が関独裁は、ある時期から「政権交代止むなし」と考えるようになった。といって、その政権がコントロール不能であっては困る。そこで、民主党内に第二自民党勢力を育てることにした。

それはそれでうまくいったが、彼らは自民党の手錬れ議員とは比較にならないほど“お子ちゃま”で、前原なんぞは偽メール事件で大ズッコケしてしまった。
まあ、民主党がズッコケたままであれば自民党政権が続くわけだから問題ないのだが、ここで小沢一郎が登場して代表に就任、民主党をまたたく間に立て直す。

これに驚愕したのが、霞が関独裁を中心とした既得権益勢力だ(もちろんマスメディアもそのコアメンバー)。
民主の“お子ちゃま”たちが主導する政権交代であれば、赤子の手をひねるようなもので、それこそかつての自民党よりもコントロールしやすいが、小沢は違う。
なにしろ、自民党にいれば確実に総理大臣になれたにもかかわらず(というかその前の時点でチャンスがあった)、既得権益勢力に担がれることを潔しとせずに野に下ったのである。
そして紆余曲折の末、民主党に合流、政権交代を目指して打ち出したキャッチフレーズが「国民の生活が第一」。

かつて田中康夫が長野県知事時代に「官は民のパブリックサーバントでなければならない」と演説して県職員の反発を食らったが、およそ官僚というのは国民の生活など知ったことではない(その象徴が現在の福島県であろう)。
そういう連中から見ると、小沢一郎というのは第一級の危険思想の持ち主であり、たとえ民主党が政権をとったとしても、なんとしても小沢総理だけは避けたい。
そうして2009年3月、まさに政権交代を賭けた衆議院選挙の直前に浮上したのが、小沢の「政治とカネ」に関する(ねつ造)疑惑であった。

ま、ここらあたりをクドクドと書いても仕方がないので端折ると、結果として小沢は民主党代表の座を下り、総理大臣の座は鳩山→菅→野田の順となる。。
この間、小沢を幹事長に起用した鳩山は普天間で激しいバッシング(メディア・ファシズム)を受け辞任。あとはもう、小沢から離れることだけがテーマであるかのごとくマスメディアが風を吹かせ、「国民の生活が第一」どころか消費税増税路線をひた走る。

そして、今回の改造内閣。
「国民の生活が第一」を実現するべく小沢一郎が目指した「政治主導」は雲散霧消し、完璧に霞が関が権力を再掌握したと私は思う。それを実感したのが、法務大臣人事である。
今回法相に就任したのは小川敏夫。以下、東京新聞の記事を引用してみよう。

*****
死刑 執行再開の可能性

 平岡秀夫法相が在任四カ月で退任し、後任の小川敏夫氏の同行が早くも注目を集めている。民主党政権では死刑反対の法相などが続き、死刑執行はこの一年半停止状態。前任者は死刑に慎重姿勢だったが、新法相は就任早々「しっかりと職責を果たしたい」と宣言、執行再開の可能性が出てきた。
 国内の最後の死刑執行は死刑反対を高原していた千葉景子法相が一転して命令し、確定囚二人が執行されたが、後任の柳田稔氏、仙谷由人氏はともに約ニカ月で交代。続く江田五月氏は「(死刑には)より深い議論が必要」として約九カ月間の任期中、執行を見送った。
 執行慎重派として知られた平岡氏も最後まで命令を出さず、昨年は一九九二年以来十九年ぶりに執行ゼロの一年に。確定死刑囚は戦後最多の百三十人に膨れ上がる事態となり、法務省幹部は「後任の法相は執行できる人が条件となっていたはず」とみる。(以下略)
*****

私は死刑という制度は霞が関独裁の根幹をなすものだと思う。というのも、死刑というのは法務行政(ひいては霞が関全体)の無謬性を前提としているからだ。
対して、たとえば亀井静香が死刑に反対するのは「自分は警察官僚だったからわかるが、冤罪が起きる可能性は否定できない」という理由だ。
私もそうだと思う。したがって死刑制度は廃止した方がいい(ちなみに私は終身刑論者であり、その方が犯罪の抑止になると思っている)。だが、現に死刑制度はある。
その場合、官僚の無謬性に疑問を投げかけ死刑執行を止めることができるのは政治家だけである。つまり死刑の執行停止は政治主導の象徴となりうるのだ。
が、これは霞が関の独裁権力者たちにとってはあってはならない、かつ我慢のならないことだろう。

私は菅政権で死刑反対論者だった千葉景子が法務大臣として死刑を執行した時、「千葉景子、死刑を執行 ~ 霞が関の高笑いが聴こえる」というエントリーを書いた。
死刑反対論者だった千葉は霞が関に屈服したわけだが(というより、最初からその程度の思想の持ち主でしかなかった)、しかしその後、少なくとも死刑についてはそれなりに民主党政権は頑張っていた(まあ仙谷なんぞは臨時の法相だから評価できないが)。
ところが、それがここへきてついに崩れるのならば、それは霞が関独裁の正真正銘の完全復活であり、しかも自民党時代よりもさらに悪い、なんの歯止めもきかない恐るべき政権になるのだと思う。

ただし死刑の執行権を取り戻した(であろう)官僚が、唯一気になるのは、いわゆる陸山会裁判の行方だろう。
健全な法治国家のために声を上げる市民の会が1月12日に最高検察庁に提出した告発内容は、法務行政が無謬とはほど遠いどころか、恐るべきねつ造をする可能性を示唆している。
この告発の行方がどうなるかはわからないが、霞が関は今後、マスメディアを総動員して「たかが市民団体の告発とは関係なく、小沢一郎は悪である」という大キャンペーンを張ることで、この疑惑の払拭にかかるだろう。

と、こう考えるとはまだまだ霞が関独裁との闘いは終っていない。
「国民の生活が第一」を取り戻せるかどうかの、まさに正念場にさしかかっている。

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2012/01/13

メディア・ファシズム 〜 事実を切り取り“像”に閉じ込める印象操作という手法

予想通り、健全な法治国家のために声をあげる市民の会による告発のマスメディアの扱いはベタ記事、ガン無視である(追記:私の購読している東京新聞は本日朝刊の最終版のみベタ記事。私が購読をしている11版S<最終版の1版前>以前にはなし。そして本日夕刊でベタ記事を掲載。ただし夕刊の購読者は朝刊より相当に少ない)。

・八木啓代のひとりごと
【重大】本日、最高検に告発状を提出いたしました

一方で、エネ庁前次長サンとやらが、 200万円ポッチという小ネタの「容疑」で逮捕され、新聞の1面(私は東京新聞)を華々しく飾っており、私は思わず「気の毒にナ」と思った。
検察審査会に小沢一郎を告発した謎の市民団体についてはかつて大々的に報道したマスメディアも、検察の前代未聞の組織的犯行を告発した市民団体のことを、ネットに接触していない多くの一般国民には知られたくないようだ。

そうして、朝日新聞は本日も朝から小沢一郎フルボッコ社説を掲載。私は朝日を購読していないので確認していないが、そりゃこれだけの社説を書いておいて、「その裁判自体がおかしいだろう」という告発は掲載できないだろう(言い訳程度にひっそりと掲載する可能性はあるかもしれないが)。

*****
小沢氏公判―政治家失格は明らかだ
 民主党の元代表・小沢一郎被告が、東京地裁で2日間の被告人質問を終えた。
 政治資金収支報告書に、秘書らと共謀してうその記載などしていない。4億円の土地取引も秘書に任せており、手元の現金を用立てたほかは一切あずかり知らぬ、と無罪を訴えた。
 虚偽記入の疑惑発覚から2年あまり、国会での説明を拒み続け、昨年1月に強制起訴された際には「法廷で真実を述べる」と言っていた。
 それが、ふたを開けてみれば「記憶にはない」「秘書に任せていた」の繰り返しだった。
 むろん、裁判所は政治家としての資質を論ずる場ではない。刑事責任の有無は今春の判決を待つしかない。
 だが、小沢氏はかねて、報告書の中身の透明度に胸を張ってきたはずだ。
 「政治活動を国民の不断の監視と批判の下におき、民主政治の健全な発展を図る」という、政治資金規正法の趣旨にかなう発言だった。
 それなのに法廷では、虚偽記載の罪に問われた問題の収支報告書にさえ、いまに至っても目を通していないと答えた。
 なぜ、見もしないで内容を保証できたのか。報告書に向き合う緊張感も、報告書を見る国民に対するおそれも持ちあわせていないことを端的に示した。
 かつての政界ならいざ知らず、政治とカネに厳しい目が注がれるいま、政治家として失格であることは明らかだ。
 こんなありさまで、「私の関心は天下国家」と唱えても、だれが耳を傾けるのか。
 「小沢氏は検察にはめられたのだ」と主張してきた人々は、これでもなお小沢氏を擁護するのだろうか。
 小沢氏が信頼し、任せていたという3人の秘書らは一審で有罪判決を受けている。会計責任者だった秘書は報告書を見もせず、宣誓欄の署名も代筆させていた。別の秘書は、政治団体間での何千万円という金のやり取りも記載しなかった。
 この監督責任も免れない。
 小沢氏の「秘書任せ」の弁明が通る余地があるのは、規正法が報告書の一義的な責任を政治家本人ではなく、会計責任者に負わせているからだ。
 その見直し問題は、長らく国会で放置されてきた。
 違反の言い逃れを封じるために連座制を強化し、政治家自身が責任と倫理を明確にする制度を確立すればよい――。
 19年前に出版した著書「日本改造計画」で、こう指摘したのは小沢一郎氏その人である。
*****

このゴミ社説に対する反論は田中良紹氏の一文をお読みいただければ十分だが、ここではその一部だけ引用させていただく。

*****
・田中良紹の「国会探検」
政治家の金銭感覚(←全文はこちら)

 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。

 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。

 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。

 しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?
*****

昨日の東京新聞朝刊の社会面にも「市民感覚懸け離れ」という見出しが躍っていたが、私もこのマスメディアが金科玉条のごとく振り回す「市民感覚」という言葉には、毎度のことながら本当に辟易とさせられる。というのも、そもそもマスメディアの人間に「市民感覚」があるとは思えないからだ。

もちろん会社によって差はあるが、たとえば朝日新聞の記者などは20代で年収は1千万を越えるか、あるいはその近辺までいくだろう。上記のような社説にタッチする編集委員になれば、年収2千万円以上は間違いない。そうして、毎晩、黒塗りのハイヤーを乗り回し、会社の経費で飲み食いをする。
さらに退職後も高額の企業年金で悠々自適に暮らせるわけで、それこそ「一般市民の感覚とは懸け離れて」いるのがマスメディアの人間である。

では、なぜそれだけのカネがもらえるかと言えば、莫大な広告収入があるからだ(もちろん販売収入他もあるが、広告収入はなんといっても真水なのである)。そして、そのなかには電力会社からのカネもたんまりと入っている。
そういう連中が、あたかも「市民感覚」の代弁者となって、特定の人物を袋叩きにするのである。

原発問題では頑張っている東京新聞も小沢問題では他のメディアとなんら変わることはない。
それについては以下のブログを読んでいただきたいのだが、、、

・くろねこの短語
読者に憤懣ぶちまける東京新聞のイチロー裁判「記者傍聴記」。貴重な傍聴券がもったいない。

私が昨日の東京新聞でもっとも引っかかったのは、記事の本文ではなく写真である。

20120113

多くの人がご存じだと思うが、報道のカメラマンというのはとにかくシャッターをたくさん切る。
とくにデジタル化して以降、フィルムの交換をする必要がなくなり、いくらでもシャッターを切ることができるようになった(しかも現像コストもなくなった)。
そうして撮影した多くの写真の中から、「これぞこの記事の方向性にピッタリ」という写真を選ぶ。

昨日の東京新聞の小沢関連記事の各面の見出しを見ると、「市民感覚 懸け離れ」「政治家としての責任は」「小沢代表 元秘書証言も否定 被告人質問 融資説明「記憶ない」」、「持論に終始 疑念拭えず」「4億円原資で説明に矛盾」、、、など、これでもかというほどネガティブなタイトルが並ぶ。
そうしておいて、いかにもふてぶてしく悪人面の写真を選んで(=一つの“像”を切り取って)掲載するのである。

私に言わせれば、これだけやれば、あとは細かい記事の内容など必要ない。
「法廷で何一つ本当のことを言わないふてぶてしい金権政治化・小沢一郎」という印象を写真という“像”に閉じ込めれば、それで小沢という悪の記号は完成するわけで、あとはその印象を振り回せばいい。

そして、この手法はこと小沢一郎のみに限ったことではなく、田中角栄の時代から(もちろんそれ以前もあったろうが)延々と続いてきた。

田中角栄は本当にただの金権政治化だったのか?
金丸信は?
江副浩正は?
鈴木宗男は? 
佐藤栄佐久は?

いや、彼らだけではない。
過去、メディア・ファシズムの血祭りにあげられた多くの人々。
彼らのいったい何が問題だったのか?

小沢問題に戻れば、土地購入の4億円の原資について、検察は総力をあげたにもかかわらず、ついにその賄賂性を実証することはできなかった。だから起訴できなかったのである。
しかし、それでもなんとしても起訴をしたい検察(=国家権力)は、なんと「本来その全て検察審査会に送られるべき不起訴記録のうち、不起訴の根拠となる証拠を密かに除外し」「敢えて審査員に起訴の心証を抱かせようとする虚偽の証拠をも密かにねつ造すること」で、素人集団である検察審査会の起訴議決を導き出したのである。

恐るべきやり口ではないか。
にもかかわらず、マスメディアはこれを一切問題にすることなく、4億円の原資の説明で騒いでいる。
検察でさえ立証できなかったものを、それでも説明不足だとなじるのならば、その前に自分たちで調査報道をすればいいだけの話だが、それすらせずに、、、
(ま、それでTBSは一度はねつ造ビデオを垂れ流したあげく、頬かむりしているが)

かくして、粛々と御用をつとめるマスメディアという“岡っ引きジャーナリズム”に守られた権力は、今日も安泰である。

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2011/12/20

ひょっとして独裁が終わる?北朝鮮が少しうらやましい件

昨日からメディアは金正日急死一色である。
この“大騒ぎ”ぶりを見ていると、ひねくれ者の私は、日本人はホントに北朝鮮のニュースが好きなんだなァと思うのだが、それはさておき、、、
メディアの一連の報道には共通点があって、それは突きつめると「北朝鮮は異常な独裁国家で、その独裁者が死んだ後は不安定になるかもしれない。この国は核開発をしているので、暴走しないとも限らない」というあたりに収斂する。

本日の東京新聞社会面を見ると、「19日、平壌で、金正日総書記の死去を受け、泣き崩れる市民=共同」というキャプションで複数の女性が泣き崩れている写真を掲載している。確かにこの写真だけ見ていれば、「やっぱりおかしな国だナ」とは思うが、朝鮮半島には「泣き女」という類の人がいるわけで、それを知っていると知らないでは、この写真の見方も相当に変わってくることは事実だ。

さて、金正日後の北朝鮮がどうなるのか。
もちろん私にはわからないが、それでもあえて個人的な予想を述べてみると、噂の三男が順調に権力を継承できるとは思えない。つまり、個人崇拝を基本にした独裁というのは、そうそう長続きはしないのではないかと思うのである。
「しかし、現実に独裁は金日成から金正日に引き継がれたじゃないか」
と言われれば、まあその通りなのだが、だからこそ誤解を恐れずに言えば、金正日というのはそれはそれでなかなか大したものだったわけで、金正恩なる人物にそれほどの力はなかろうと思うのだ。ほら、「世襲経営は三代目が潰す」なんてこともよく言われますしね。
で、その場合、どうなるかというと、しかし北朝鮮というのはなかなかにしたたかな国だから、おかしな暴走はせずに(その素振りは見せるかもしれないが)、なんとか軟着陸する方向へ向かうのではないだろうか。

で、まあもし本当にそうなったとしたら、北朝鮮がうらやましいナと私は思うのである。
なぜなら、日本の独裁権力というのは霞が関という組織にる集団的な独裁であるため、個人による独裁とは比較にならないほど強固で、終わる見込みがないから。

私は何度となくこのブログで書いているが(例:世界の独裁者が憧れる国)、日本こそは世界でもっとも優れた独裁国家である。なにしろこの制度は“民主主義”をも呑み込んで成立しており、国民の多くは自分たちが独裁国家で暮らしているとは思わない。
それをいいことに、霞が関を中心とした利権共同体が、国民をなめきって、およそやりたい放題にやっているのがこの国の本質である。

金正日が死んで、北朝鮮の核がどうなるかなんて、ハッキリ言ってそんなことを心配している場合ではない。
なにしろ、すでにこの国は東京電力の核で壊滅状態なのである。
しかも、この福島第一原発から飛散した放射能は無主物で、東電の知ったことではないという。
北朝鮮の拉致問題で激怒する日本人が、なんでこの論理に激怒しないのかが私には不思議だ。

その福島第一原発はメルトダウンどころかメルトスルーをしており、今現在、溶け落ちた核燃料がどこにあるのかサッパリわからないのに、野田という総理大臣は高らかに「収束宣言」。
本来ならばその放射線量の高さから、全員退避させなければならない地域が広範にあるのに、まったく無視を決め込んだあげく、徐々に住民を戻していきたいのだそうな。
そういうことだから、今後、住民の健康被害については、放射能との因果関係をおいそれとは認めないだろう(それは数々の公害問題で経験済みだが)。

ま、福島第一原発事故の収束がいつのことになるのかは誰もわからず(なにしろ放射能の影響というのは万年単位で残るんだから)、少なくとも野田が生きているうちに終わることはない。つまり、未来の世代がどれだけ野田を呪おうが恨もうが、死んだ後のことは知ったこっちゃない。究極の無責任、これが現在の民主党政権の本質だ。

だが、そもそもこの野“ブ”田、本来ならば総理大臣にはなれないはずだった。
普通のまともな民主主義国家だったら、小沢一郎が総理大臣になっていたはずなのである。
ところが、次期総理大臣が確実だった小沢に対して霞が関はスキャンダルをでっち上げ、野党第一党代表の座から引きずり下ろすと、それでも政権交代を実現した民主党に対して、今度は鳩山由紀夫を袋叩き。並行してさらに小沢のスキャンダルをでっち上げ、ついには検察では起訴できないから、検察審査会という謎のグループを使って強制起訴。
その際の捜査報告書には、検事のでっち上げが書いてあって、それをもとに素人の検察審査員が起訴議決をしたらしいよ。日本のマス・メディアではほとんど報道されてないけどね。
さらに、あのフロッピー前田君は「自分が裁判官なら小沢は無罪」と法廷で証言。
つまり小沢スキャンダルはすべてねつ造だったわけだ。
そうしてアホ菅を経て登場した野“ブ”田は、霞が関、財界の意のままに大増税、TPP。でもって本心では年金の支給年齢も引き上げたいそうで、その一方で税金ぶち込んで有史以来、最大の犯罪企業である東京電力は救済したいらしい。
本来ならば、勝俣恒久やら清水正孝なんてとっくの昔に逮捕されてなければいけない大犯罪者が娑婆でピンピンしているのだから凄い。
これほどの無法とデタラメがまかり通る国家というのは、そうあるもんのではない。

ついでに言うと、日本人は北朝鮮のメディアを見て「おかしな国だ」と喜んじゃってるけど、日本のメディアも凄いよ。
福島のみならず東北や上信越、首都圏でも大変なことが起きているのに、まるっきり無視。テレビでは毎日、アホなお笑い番組垂れ流して「何もなかった」ことにして国民を「収束洗脳」中。「臭いもの蓋」に習って言うと「ヤバい情報にメディアの蓋」だね。
でもって、放射能の汚染水が漏れたりすると、「影響はありません」という政府や東京電力の発表を垂れ流すけど、発表情報をただ右から左へ流すだけなら、子どもでもできる。本来、その発表が事実かどうかを調べるのがジャーナリズムの役割のはずだけど、そんなことをやっているメディアは皆無、、、

と、まあ、北朝鮮にも決して引けをとらない超独裁国家・日本。
ところが、あちらはひょっとすると金正日の死をきっかけに、少しばかりまともな方向へ動く可能性もある。対して日本の独裁はまだまだ続く。
実は北朝鮮のニュースを熱心に見ている日本人には、そのことへの恐怖感というか抵抗感が、心のどこかにあるような気が私はするのである。

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2011/11/07

非常時に普通であることは普通でない 〜 自衛のための暴動も起きない国

ここ最近、何人かの方とお目にかかって、同じようなニュアンスの言葉を聴いた。
ちなみに、その方々は私とは比べものにならないほど見識が高く、話をうかがうたびに勉強させていただいている、そういう方々の言葉。

A氏
「私の周りの外国人は、どの国の人もみんな、『日本人は頭がおかしいんじゃないか』と言ってますよ。これだけメチャクチャなことを国や東京電力がやっているのに、暴動すら起きないいんだから呆れてますよ」

B氏
「国会や政府を間近で見ていると、クーデターでも起きない限りこの国は変わらないんじゃないかと思うよ。この期に及んで何もしないで“焼き肉の会”だかを作って焼き肉ばかり食べに行って、国会ではいびきかいて寝ている議員がいるんだから」

C氏
「原発でこれだけひどいことになって、TPPで暴走して、このままいったら数年後には大変なことになっているだろうな。オレは最近、宮本顕二の暴力革命論というのは、あながち間違いじゃなかったような気さえするよ」

D氏
「中南米あたりで政治や社会がいまの日本のようになったら、間違いなく暴動が起きているね。とっくの昔に東京電力のトップは殺されて首でもさらされてるだろうし、それ以外の社員だって東京電力の人間だと周りの人に知られたら怖くて外を歩けないというような状況になっているはずだよ」

「原発事故の被害者に対する賠償を円滑・迅速に進めるため」という名目で、9000億円の公的資金が東電に投入されのだという。ところが、この会社は冬のボーナスを支給されており、その平均は200万だという。
東京都が受け入れた瓦礫の処理をするのは、東電の子会社。焼け太りである。そのことを東電は認めたが、記者会見で質問した記者は東電から締め出された。
東日本には、福島を中心に日本の法律をあてはめれば放射線管理区域になる地域が多数あり、それは千葉、埼玉、東京にまで及ぶ。本来、そこで人は生活してはならない。にもかかわらず、この現実に対して政府は無視を決め込んでいる。それどころか、福島では今週末に女子駅伝が行われるのだという。
これからの日本を背負う若者が高線量の地域を走る、つまり息を深く吸い込みながら駆け抜けるのである。狂気の沙汰とはこのことだろう。
私はこれまでそんなことは一度も思ったことはなかったが、第二次大戦中に学童疎開を当時の政府というのは、今の政府よりもなにがしかマシだったと思うようになった。

一方、やらせメールで大揺れの九州電力では、トラブルで停止していた玄海原発を再稼働した。その根拠は、事故の再発防止策をまとめた報告書を国が「おおむね妥当」だとしたからだそうだ。
福島であれだけの事故が起きながら、再稼働をするにあたっての基準は「完全」ではなく「おおむね」でいいというのである。
その九州電力のやらせメール問題。郷原信郎氏が中心になってまとめた第三者委員会の最終報告書の作成に参加した委員の一人は、なんと今になって自分で記者会見を開いて「九電が知事をかばおうとする行為は人であれば立派な人格。一般市民の目から見れば、信頼するに足る企業ということ」とのたまった。この人物は東洋英和女学院の教授だという。

TPPについては、もはやその交渉参加が日本にとってなんの国益ももたらさないことは明々白々だ。
当初はTPPとは農業問題に矮小化されていたが、実はそうではない。それはすでに明らかにされたが、私はあえて農業にこだわると、相変わらず「日本の農業は甘やかされている。バラマキの最たるものだ。日本の米は高い」などという言説をふりかざす輩がいる。私は以前から不思議に思うのだが、それだけ“甘やかされたオイシイ産業”だというのなら、なぜ就農人口はドンドン増えないのか。
農業への甘やかしはケシカランという人物に限って、電力料金が世界に比して高いこと、東京電力ほど甘やかされている企業はないことは指摘しない。
ついでにいえば、自動車産業がなぜ日本でこれほどに発展したかと言えば、国を挙げてこの産業をバックアップしたからである。

前エントリーでも中野剛志氏がブチ切れている動画を紹介したが、なぜ私がこの動画を貼り付けたかといえば、中野氏が怒っているからである。
公共の電波でああいう態度は良くないという意見ももちろんある。
しかし、これだけメチャクチャなことが目の前で展開されて、それでも怒らないのはむしろ心がどこか壊れているとしか私には思えない(あるいはドMか)。

その昔、日本社会党は憲法第9条の解釈として、非武装中立を主張していた。これに対して政府自民党の側は、自衛権はあると主張した。つまり、他国が攻めて込んで来た時には、こちらも丸腰でいるわけにはいかないのであって自衛のために戦う権利はあるというである。
私は、自衛隊というのは、田中康夫が言うように国際救助隊的な機能を持つ組織にするべきだと思うけれども、少なくとも自民党政権時代も、そして民主党による現政府も自衛のための戦争をする権利はあるという立場にある。
結果、自衛隊は大規模な軍事力を持つ軍隊となった。
だったら、政府や東京電力による暴行に対して自衛のための暴動を起こす権利もあるんじゃないの?と私は思う。
実際のところ、現状、日本で暴動が起きるとはとても思えないが(つまりそれだけ国民は飼いならされているわけだ)、しかしもう少し真剣に怒らないと後世に残る禍根はひたすら拡大していく一方であるーー。

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2011/10/16

鉢呂吉雄が経産相に「起用された理由」を推測する

私は何かにつけてうがった見方をするタイプである。それは元来の性格でもあるわけだが、とくにマスメディアが報じるニュース(=権力による発表情報)については、つねに言論操作の疑いをもって見るように心がけている……。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

そこで、まずはコメント欄にもいただいた前エントリーについての世田谷弦巻の件について追記しておくと(pc4beginner様、コメントありがとうございしまた)、これが福島由来のものではなかったことは大変良かったと思う(世田谷の区長が保坂展人氏だったことも幸いで、区長、あるいは市長選びの重要性を再確認する出来ごとだった)。
ただ、なんとも不思議な一件だとは思う。
横浜でストロンチウムが検出されたのとほぼ同時だったのは偶然だろうが、結果的に弦巻の放射能が福島とは関係なかったことで、なんとなく横浜のニュースも霞みつつあるように見えるのは気のせいか。また、この弦巻のお宅に住んでいる方が、高齢者であったことで、「放射線量が高くても健康被害にはつながらない」というイメージをそれとなく拡散させることができたようにも感じる(実際、世田谷区在住の知り合いがそう言っていた)。
つまり、今後、起きるであろう重大な健康被害について、福島との因果関係を否定できる材料が一つ増えたわけで、少なくとも政府や東京電力にとっては「悪くない」出来ごとだった。
もちろん、今回は偶然だったわけだが、しかし相手はどんな出来事も利用することばかり考えていることは間違いないわけで、このニュースの「使われ方」は今後、注意する必要があると私は思っている。
そして、今一度、改めて確認しなければならないことは、福島第一原発の破局事故を原因とする広範囲に及ぶ前代未聞の放射能汚染は現在進行形であるということだ。

・小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
10月13日 どうにもならない現実を説明する責任が国にも東京電力にもマスコミにもある。 小出裕章(東京新聞こちら特報部)

さて、本日はうがった見方をもう一つ書きたいと思う。
ブログ「ざまあみやがれい!」さんのエントリーで知ったのだが、上杉隆氏の「ニュースの深層」という番組に鉢呂前経産相が出演していた。

これを見てわかるのは、鉢呂氏が原発に対して真っ当な考えを持っていることである。
それもそのはずで、この人は経産省の役人だった原発推進派の高橋はるみと2003年に北海道知事選で争い、原発に慎重な立場を表明して僅差で敗れているのだ。
そこで浮かぶ私の最大の疑問は、そんなことは百も承知のはずの野田佳彦が、何故に自らの政権の方針(それでも原発推進)と異なる人物を経産大臣に任命したのかということだ。
マスメディアの政局解説的には、それは鉢呂が旧社会党出身であって、組閣の際の派閥均衡の結果ということになるのだろう。あるいは、国民の反原発、脱原発への機運に一定の配慮をしたという解説もあり得るかもしれないが、それにしても経産省的にはあってはならない人事である。
とすると、何か他の意図があったのではないか?と私なんぞは思ってしまう。
そこで以下にうがった見方を書くと……

・野田の本心(=権力の総意)は枝野を経産相にすることだった。しかし、野田内閣発足時に枝野を起用すると、3・11後の経緯からして相当な非難、批判を浴びる。そこで、ワンクッションを入れることにした。

・その経産相は誰でも良かったが、あえて鉢呂を選んだ。それは対外的に原発に慎重な姿勢を示している人物を起用することで、野田政権の本心を多少なりとも糊塗できるということが一つ、もう一つはどうせすぐに交代させるのであれば面倒くさい反原発派を起用して失脚させると一石二鳥になる。

・経産相交代の機会は折を見て、、、と思っていたら、鉢呂が早速「総合資源エネルギー調査会」の人選に手を突っ込んできたため(反原発派の数の大幅増員)、あわてて失言騒動をでっち上げて引きずりおろし、予定通り枝野を後任に据えた。

もちろんこの推測に根拠などない。しかし、この国の権力というのは、そのぐらいのことはやると私は思っている。
実際、鉢呂の後任が枝野になった時に個人的には強い違和感があったが、マスメディアは何の批判もせず「安定感がある」などと解説していたと記憶している。
「それにしても、うがち過ぎだろ。現に、枝野は九州電力のやらせメール問題でも、退任しない九電社長を強く批判していたではないか」
とおっしゃる向きもいるだろう。それについて言えば、枝野は「批判しているフリをしているのではないか」と私は推測するのである。

・八木啓代のひとりごと
九州電力第三者委員会が突きつけたもの

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戦後日本の思想

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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