2012/03/18

原発とアスベスト

福島第一原発の爆発時にアスベストも飛散したのではないかという説がある。

・本気で臨海部の未来を考える会BLOG
原発の水素爆発事故で、アスベストも大飛散した可能性大

・南相馬市 大山こういちのブログ
「衝撃の事実」④どこまで我々を欺くのか?!

かつての日本のアスベストの使用状況を考えれば、原発で、それもより古い型でアスベストが大量に使用されていた可能性は強いだろう。

かつて日本はアスベスト大国であった。しかも、官民一体となってその危険さを覆い隠したのである。
以下は1987年に岡庭昇氏が書いた原稿で、「この情報はこう読め!」(1989年刊行)に収録されたもの。
志木電子書籍では、このたび「この情報はこう読め」を電子書籍化したのだが、その刊行記念ということで、以下の原稿を全文掲載いたします。
一読していただければ、日本という国が、3.11を経験した今も、そしてそれ以前もまったく変わっていないことにお気づきいただけるはずだ。

**********
ああ、官民一致協力してガン王国ニッポン!
ーー社会的責任を放棄するコスト・バカ

 八七年八月二六日の朝刊各紙は、公害健康被害補償法の“改正”が、実質上決定したことを伝えている。むろん、じっさいは改悪、というよりも廃止である。関係産業全体で、公害患者に責任を示すという趣旨の法律だったのだが、それにしても経済的な側面の、それも一部だけを負担するにすぎない。こんどは、それも、やめようというのである。採算性だけに凝り固まり、倫理と無縁という点では、世界に冠たる日本の企業が、よっぽど国民に脅されたり、行政に泣きつかれたりしないかぎり、みずからまいた種で多くの人がいくら苦しもうが、誠意など示すわけがないので、虎視耽々と廃止を狙っていたにちがいない。いいなりの環境庁の方は、アメリカのEPAとは異なり、官庁の中のミソッカスみたいなものだから、独自の見識など、示し得るわけがない。かくて、大気汚染がますますひどくなる現状にあって、今後、産業公害(ほんとうは私害)による病害患者は存在しないことになってしまったのである。
 本来、議論はこう進むべきであった。すなわち、患者に多少の金を出して、他方で、生産効率のためには環境や健康の破壊を引き換えにするという、日本社会の世界に類を見ない本質──それも、ほんのちょっとのコスト高を嫌って、いくら安全な材料や方法があっても、それに変えようとはしない──の方を温存するという、“反省なき猪突猛進”を続けようとしていることが批判されるべきだ、と。ところが、それどころか、みせかけの社会的責任も、なりふりかまわず止めてしまおう、というのである。まことに、恥ずべき国ではないか。みっともないくらい、せっせと金を稼ぎ、がっぽり貯めこむことが、銭ゲバなのではない。稼ぐことを、たんにコスト切り下げと直結して考えることしかできず、環境や健康を引き換えにすることによってのみ、可能とするといった貧しさ、情けなさをこそ、銭ゲバというのである。この国が、まさにコスト・バカ鎖国社会であることを、公健法の消滅はみごとに露呈してしまった。公健法の消滅で、今後一〇年間で、企業の負担は約二〇〇〇億円減ることになる。まことに、浅ましく、露骨なことである。要するに、なんの代替案を出すでもなく、ただもう、社会的責任とやらのポーズはやめた、というのだから。じつに、世界に冠たる後進国であると、何度でもいっておかねばならない。
 そこにはまた、挙国一致体制である“行革”のインチキさ、いかがわしさが、濃厚に影を落としている。行政における無駄な出費をはぶき、出費を節約するというのが行革のタテマエであるが、現実には膨大な税金のたれ流しは温存したまま、安全や健康のための研究、管理の手間と費用を片っ端から削っているのが、行革にほかならない。たとえば国鉄が、行革と称して最初にやったのが、無人駅の増大化であった。それも西日暮里といった、通過人口の多い乗り換え駅のホームを無人化して、酔っ払いが線路に落ちたりしたら、居合わせた客が警報機を鳴らせというのである。一時が万事、すべて行革の現実はこうだ。
 行革と税金タレ流し行政が不一致であったり、矛盾するというのではない。ほんとうは、それらは相反する別々のことがらなのではなく、ひとつのものである。行革においてこそ、タレ流し体制が完成する。なぜなら前者は消費、健康、安全、倫理といった“無駄な出費”の側面を、後者のために切り捨てることにほかならないからである。すなわち、コスト主義・生産至上主義と、意図された税金タレ流し(正確には日常化した租税再分配のシステム)は表裏一体のものであり、この一体化の仕上げのために“行革”が媒介する。生産と引き換えに身体を犠牲にするガン王国ニッポンは、さらにこの事態において完成するのである。
 社会的な配慮やモラルにおいて世界最低の国が、ますます銭儲けだけに専念し、力で賃金を押えこんだのに続き、こんどはひたすら環境や健康を破壊して、コスト・ダウンのみを計ろうとする。そういう時代の、幕開きを象徴するのが、行革にほかならなかった。行政を、その日本的な本来の構造に純化して、幹は企業のための租税収奪、枝葉は、日々の対企業サービスに専念しようということだ。また、行革という名の、かかる犯罪をおおっぴらに行っておいて、環境破壊の責任のために金を出せと、企業に要請する根拠もあるまい。たしかに、公健法は、一三年前、四日市公害判決をきっかけに制定されたものであり、大気汚染の原因は、当時の硫黄酸化物から多様化したかもしれないが、それはますます事態が深刻化したということであって、それも、明らかに企業のコスト主義の、野蛮な結果にほかならないのだ。
 アスベストが、最近、急に話題になりはじめた。アスベスト、すなわち石綿である。話題になりはじめた、と厭味な正確さで書いたのは、いくら情報量が増えても、決して“問題”にされているわけではないからである。日本という国は、生産に都合がいいが、健康に害があるものについては、徹底的に事実をおし隠して、生産に便宜を計る。隠し切れなくなったときは、それを“話題”にして、本質を韜晦させ、やがて、なし崩しにしていくのである。いつものこの手口は、アスベスト問題においても健在(!)のようだ。今回も、取材を続けていくうちに、官民一体のこのなし崩し体質に、ほとほと愛想が尽きた。
 アスベストは、発ガン物質である。目に見えないほど小さなトゲになって、人体に入り込み、長年、肺に蓄積されて、やがて肺ガンの原因になる。これほど確実に、因果関係が突きとめられている発ガン物質も、めずらしいといわれる。危険きわまりない物質である。もはや、数年前から、アメリカでは大問題になり、厳重な規制がなされているというのに、世界最大の使用国日本では、なんとまったく野放しで、まったく規制値さえないというのだ。
 アスベストが、建材をはじめ、日本のいたるところで使われているのは、防火・防音機能に勝れているという理由もあるが、何よりも安いからである。とっくに危険性はわかっていたのに、コストを理由に、大量に、かつ無造作なやり方で使用されてきた。知っていながら、情報機関は、誰かが指摘するまでは、パニックを防ぐという大義名分のもと、何も報道しなかった。ここらが、いかにもニッポン的な風景である。
 武道館の天井はアスベストだらけで、最後列の座席は、客に届きそうな低さまで、はがれたアスベストが垂れ下がっているのは、よく知られた事実である。また、日比谷図書館の天井もそうだし、東大工学部では、抵抗のためか、マスクをして授業に出る学生が出てきた。が、何も、とりたてて、これらの例をあげるまでもなく、たいがいの場合、アスベストと縁がなく暮らしている日本人などは、存在しえないのである。先日、いろいろな住宅メーカーの、パンフレットを取り寄せてみたが、どこにも、例外なく“彩色アスベスト使用”と、堂々と断ってあった。安い素材だからという理由で、あらゆるビルや住宅、ボイラー、船舶、ドライヤー、白粉、車のブレーキ、蚊取り線香の蓋のウラ、ベビーパウダーなど、膨大に使用してきたこの国は、同じ理由で、アスベスト関連産業、またアスベストが大量に使われている職場で働く労働者、それ以上にアスベスト材で作られた、建築物とり壊し作業に従事する人々の、健康管理などは、まったく無視してきたのである。
 軍艦は断熱のため、膨大なアスベストを使用する。横須賀の米軍基地で働く日本人労働者は、寄港する軍艦の壁などから、アスベストをはがす仕事をさせられてきた。アメリカは、厳重な健康基準を持っているから、防護服などの使用を義務づけているが、日本人労働者は裸でその作業に従事してきた。まともにアスベストを吸い込んできたのである。その結果、横須賀労災病院における肺ガンの発生率は、他の六倍にもなっているのだ。
 なかでも、緊急の課題は小・中学校だろう。子供たちが、アスベストの降る下で授業を受けている国なんて、まったく日本くらいのものである。かつてアメリカでは、生徒・父兄の側が登校拒否で戦ったが、日本では、改造が間に合わないから、ともかく夏休みあけは、危険であろうとおかまいなしに学校に出ろと、いっている。健康より出席が大事だ、というこの国の“義務教育”の観念なのであり、親の側も不思議に思ったり、不安になったりしないらしいのだ。騒音対策のため、基地の学校は、すべてアスベストを大量に使用しているが、その他でも、じつに例が多い。まず、たいがいの場合は該当すると思っていい。
 わたしが怒りを覚えるのは、コストのためにのみ危険な発ガン物質を用い、そのことを隠してきた、使用、放置、情報等のすべてにわたる官民一致体制がここにきて、隠しおおせなくなっても、なおその論理に執着し、取り壊しや、改造のプロセスにおいて、あたりにアスベストの粉塵を撒き散らし、新たな公害を平然と作り出している点だ。犯罪的なコスト主義の後始末についてさえ、やむをえずポーズをとっているだけなのであり、しかも後始末にまでコスト主義を貫いて、手抜きの極みゆえの、公害を増やしている。さらにいえば、いま、アスベスト対策のニュースが急に盛り上がってきたように見えるのは、きちんとしたやり方──まことにコスト至上主義を自己否定し、身体保護の観点から生産の方を振りかえる姿勢からしか、正しい事後処理も生まれない──で処理を、全面的、かつ厳重にやらねばならなくなったら金がかがるため、駆け込みで糊塗しようとしているからなのだ。だから、やり方自体が公害を作り出しているのであり、現場はどこも、完全な秘密主義で、絶対に取材に応じない。法律ができてからでは金がかかるから、作業員にとっても、まわりの住民にとっても、危険極まりない処理工事がひそかに夏休みに行われ、行政はいつもそうであるように、あらかじめ猶予期間をわざわざ設けてやり、その上で、駆け込み工事の危険さに対して、しらんふりをしている。もとより、彼らは官民こぞってグルなのだ。(1987年8月)
**********

Johoi

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2012/01/28

志木電子書籍からの新刊情報 ~ 「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」発売!

株式会社志木電子書籍(代表は当ブログ管理人)からの新刊情報です。

タイトル:『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇
価格: 500円(税込)

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ボイジャーストア『テレビ帝国の教科書』

(※まずはボイジャーストアでの販売が先行しますが、近日中に紀伊国屋やソニーリーダーストアなど左にある「電子書店リンク」の書店でも販売いたします<発売日は決定次第発表>。さらに取り扱い電子書店も来月初めから増えます。)

岡庭昇氏の著作としては、弊社では2冊目の電子化となります。
まずは目次のご紹介。

二〇一二年──電子書籍版への序文

はじめに──メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する

  1 ロス疑惑とテレビの新時代

    “疑惑”という名の公開処刑イベント
  2 かい人21面相と事件の“顔”
     仮説・グリコ‥森永不連続説
  3 倉田まり子と国家のスキャンダル
    “コト”が“ヒト”にすりかわる
  4 山口組と劇場犯罪
     あらゆるスキャンダルはイベントとなる

Ⅱ テレビは空気のような罠である
  1 体験的“抗議電話”
     それはリアクションとしてのアクションである
  2 安心は既視感のなかに
     メディアに出るのはエライ人、か?
  3 テレビは“市民”のパスポート
     永遠に停滞するわれらの至福の共同体

Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
  1 われらの“現実”は仮装する
     メディアの権力を解剖する
  2 一枚の写真とイメージの罠
     感性の支配が確立するとき
  3 スキャンダルのケインズ理論
     広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
  4“像”は君臨する
     露出する人々は権力を得る

Ⅳ 逆説のカラクリが情報を戦略する
  1 情報帝国主義の完成
     統制がリーグとなり、リーグが統制となる
  2 真のスキャンダルは逃亡する
     タレント・スターという機能
  3 メディア・ファシズムヘの逆転技
     官能を研ぎすませよ!

あとがき

1985年に刊行された本なので、出てくる事件は古いですが、しかし、書かれている内容はまったく古くありません。
それどころか、現在起きている福島第一原発の破局事故をめぐるさまざまな情報、あるいは政治、とくに小沢一郎の「陸山会事件」についての情報など、マスメディアがながすあらゆるニュースについて、これまでとはまったく異なる視点を読者のみなさんは持つことができると思います。

私はかつて、田中角栄という政治家は大変に悪い、金権政治家だと思っていました。
だから、東京地検特捜部によって田中角栄が逮捕され、総理の犯罪として裁かれたことに喝采を送ったものでした。
しかし、この「総理の犯罪」と命名された戦後最大の“疑獄事件”を徹底的に見直す必要があると今は思っています。
岡庭氏は文中でこんなことを書いています。

《ヨーロッパをひとつの妖怪が徘徊する、共産主義という名の妖怪が》と若きマルクスは誇らかに書きつけた。いま、ずっとネガティブな意味であるが、市民社会を一つの妖怪が徘徊する、既視感(デジヤ・ヴユ)の他者であるところの“像”という名の妖怪が、とわたしは書きとめておかなければならない。

 高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成とは、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や戒律や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは法や規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。

 このメディア・ファシズム状況の中核にあるものが“像”である。メディア批判は、報道の右傾化を憂うといったおなじみのスタイルにおいてではなく、メディアそのもののホンシツをつかない限り成り立たない。そのとき、メディアの支配力の源泉である“像”のトリックこそが、批判的な課題として考察されるべきである。

“像”とは、読んで字のごとく“像”である。たとえば山口百恵、田中角栄、三浦和義という名前から、われわれがおおむね共通に浮かべるイメージが“像”である。モモエにも、角栄氏にも、三浦サンにもさまざまな表情やシチュエーションがあるのだが、われわれはただひとつの“像”を条件反射するのだ。それは記号化された顔である。同時に意味が記号化している。彼らは既視感(デジヤ・ヴユ)のかたまりであり、それゆえ他者総体を代行している。つまり彼らが記号化されることは、現実そのものを記号化するということなのだ。そのことによって、われわれは空気の制度をみずからの手で完成しているといわねばならない。

 現実が“像”におきかえられる。同時に“像”もそのままたれ流されるだけでは“条件反射”を保証されないから、さまざまに“像”のころがし方が発達する。たとえば角栄さんに顕著だったような、“像ころがし”だ。三浦印や角栄印の場合のように“像ころがし”はますますテレビの支配機能を尖鋭にした。それに“像”をひきしめるスパイスの投入がある。スキャンダルの使用である。そんな風にして、現実と“像”をすりかえるメディア力学は、ますます盛大に栄えている。

 しかし、現実を記号に変え、他人の生き死にをイベントにすりかえるメディアと共犯に立つことで、市民たちはいずれ手ひどいしっぺ返しをうけるだろう。GNPぼけして忘れているが、半世紀前の日本人たちは、いよいよ自分が死地にひっぱられるまで、祖国ニッポンが自分たちの檻であるなどとは夢思わず、さまざまな国家製の物語や記号を娯楽していたのである。

↓こちらでは「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」もお読みいただけます。 
志木電子書籍からのお知らせ ~ 「テレビ帝国の教科書」がボイジャーストアより発売されました!

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2012/01/20

大飯原発意見聴取会 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!

*****
「ナマであるように見えるほど、つまりリアルであればあるほど、メディアはウソをついている。つまり現実を“像”にすりかえ、“像”を現実として送り返している。(中略)ここから権力の源泉としてのあらゆるトリックが発生するのである。」

「メディアは現実を“像”に変える。そして“像”を現実そのものであるかのように錯覚させる。そこに、メディア・ファシズムとでも称すべき、こんにちの“管理”のホンシツがある。イデオロギーを統制するのではなく、“像”というコンセンサスを市民社会に共有させることで管理を実現するのである。」

「高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成は、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。」

いずれ岡庭昇著『テレビ帝国の教科書』(1985年)より
*****

いまさらだが、大飯原発再稼働の条件となる安全評価の意見聴取会での“混乱”について。

私は仕事をしながらつけていたテレビからの音声で、このニュースの一次情報を得たのだが、「反対派」「市民」「乱入」というような言葉が聞こえた。
そこでおやっと思ってテレビを振り返ってみると、案の定、この会を傍聴するはずだった市民が、さもトラブルの原因であるかのような映像が流れていたのだった。

もちろん、この期に及んでも原発を存続するため、「反原発という意志を持った市民=秩序を乱す社会常識のない集団」というネガティブ・キャンペーンのための“像”の拡散である。

この映像を見た素直な視聴者たちは、「反原発の人たちの行動は、どうも非常識だな」という印象を持つわけで、それこそが権力の意図であり、見方を変えれば、マスメディアがその共犯者であることの何よりの証拠映像といえるだろう。
ちなみに、このニュースを伝えるNHKは↓のようなものであった。

この映像でアナウンサーは早速、冒頭から「会議が開催できない異例の事態になっています」と喋り始める。そしてテロップは「傍聴不許可の人たち抗議 会議開催できず」。
この時点で、「反原発派のせいで、真っ当な会議が開催できない」という印象を視聴者にガッツリ与える寸法である。
しかし、では事実はどうだったのか。原発に関しては真っ当な記事を出す東京新聞はこう書いている。

*****
再稼働条件の原発安全評価 大飯3、4号機「妥当」
2012年1月19日 07時02分

(略)

■「今日中に」聴取会強行

 原発の専門家からの意見聴取会は、原発の再稼働への重要な節目となるとあって、再稼働に反対する大勢の傍聴者が詰めかけた。
 前回の聴取会で、傍聴者の一部が委員に詰め寄る混乱があったため、保安院は一般傍聴者の入場を禁止。別室で中継のモニターを見る形式にした。これに反発した傍聴者が会場になだれ込んだ。
 十数人の傍聴者は口々に「なぜ傍聴させないんだ」「こんな保安院に再稼働を決める資格はない」と、意見聴取のあり方や、聴取対象の専門家の中に原発関連企業から研究費を受け取っていた人がいることを批判。原子力プラント技術者の後藤政志委員が「仕切り直すべきでは」と流会を投げかけた。
 しかし、司会で東京大教授の岡本孝司委員は拒否。以後は退室を求める保安院側と原発反対派の間でにらみ合いが続く異様な雰囲気になった。
 その後、保安院は省内に別室を確保。委員を移動させた。説明に当たる保安院の職員と傍聴者がもみ合いになる一幕もあった。
 「今日やってしまいたい」(幹部)という保安院は、庁舎のエレベーターを止め、通報で駆けつけた警視庁丸の内署の警官隊を出入り口に配置。傍聴者を新たな会場に近づけないようにし、午後八時ごろ、審査書に批判的な後藤氏と井野博満東京大名誉教授の委員二人が欠席する中で聴取会を強行した。
 聴取会が始まると、保安院の担当者は淡々と評価報告書を読み上げ、「妥当」「有効」を繰り返した。
 この間、枝野幸男経産相は緊急記者会見を二回開き、「平穏に議論できない状況では、広く意見を求めるという聴取会の目的が果たせない」「ルールを守ってもらいたい」と述べた。
 井野氏は「原子炉の老朽化や、人為的ミスの可能性を考慮しておらず、審査は不十分だ。弱点を見つけることと、安全だから再稼働ということは別だ」と批判した。
*****

もともと、きちんとパスをもって傍聴のために入場した市民に対し、保安院側が別室に誘導しようとすれば、市民が怒るのは当然のことであり、そこですごすごと別室に従う方がよほど人間として問題があることは言うまでもない。
もちろん、NHKでもその経緯は一応なぞっているが、問題はそのトーンなのである。
たとえば↑の映像では、「原発の運転再開に反対する人たちなどおよそ20人が会議室に入りこんで抗議をつづけました」といっている(1分3秒あたりから)。
この「入りこんで」という、まるで市民が無理やり中央突破をはかったがごとき表現こそが、印象操作の肝である。
それは、例の北朝鮮の女性アナウンサー仰々しく独裁者を賛美するよりもはるかに国民を深いところで洗脳し、統制する。

実際の様子はこちら↓

そして枝野の会見の様子。

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この意見聴取会は、「政治的に再稼働すべきかどうか議論している場ではな」く、「あくまで客観的科学的技術的に専門家の皆さんに論議いただく場」だというのである。
しかもご丁寧にNHKはわざわざここにテロップを入れている。

しかし、前掲の東京新聞記事にもあるとおり、「この専門家のみなさん」の中には原発関連企業からカネをもらっていた委員が複数いた。

・田中龍作ジャーナル
「大飯原発ストレステストは妥当」 傍聴者排除し推進派だけのイカサマ専門家会議

つまり、現実には、これほど「政治的に再稼働をすべきかどうかを議論する」「客観的でない議論の場」はなかったのである。
だが、ここでNHKは、現実を“像”にすり替えた。
結果、視聴者は、この一見すると市民がただクレームをつけているだけのような“像”を現実と錯視し、「反原発=一部の危ない“市民”」というイメージを共有することになる。
まさに“空気”と“気分”による、完璧な統制だ。

ところで、こうして市民を締め出して行なわれた聴取会には、枝野がのこのことやってきて、しきりにぺこぺこと委員に向かってお詫びをしたという。
詳しくは、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」さんのエントリーをご覧いただきたいが、枝野が頭を下げている画像は必見だ(是非、見てください)。

・みんな楽しくHappy♡がいい♪
国民を締め出したストレステストの会議中「謝りに来た」枝野大臣(動画&書き出し)

さて、今日は本当はSPEEDIについても触れたかった。
これまで100億円以上のの日本国民の税金を投入して、まさに福島第一原発破局事故の時のためにつくられた「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」のデータを、文部科学省は真っ先に米軍に渡し、自国民に対しては秘匿した。
このデータを見たアメリカはさっさと米国民を80キロ圏外へと避難させる一方、日本人は避けられた被曝を避けられなかったどころか、正しい情報があればしなかった被曝までしてしまったのである。
以下は京都大学・小出裕章氏の話。

狂 っ て い る 。

腐 っ て い る 。

どこぞの国の独裁者の資質が云々などと言っている場合ではない。
この国の権力構造は、ヘドロどころか、まさに高濃度の放射能汚泥のようなものである。
このまま放置すると、国民はこいつらの毒にによる被ばくで死ぬことになる。


※お知らせ
冒頭で紹介した岡庭昇著『テレビ帝国の教科書 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!』の電子書籍版が、間もなく志木電子書籍より発売されます。
詳細は、追ってご紹介しますが、是非、ご期待ください!

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2011/12/24

東京電力と北朝鮮 〜 マスメディアという洗脳装置が作り出す印象操作の罠

*****
かつてジョージ・オーウェルは、空想的な近未来小説『一九八四年』を書いた。その主題は、管理社会における管理の極度な近代化は、ついに中世的な蛮行と相似形になる、という逆説にあると、わたしは考えている。その意味で、ニッポン低国の市民社会は、まさにジョージ・オーウェルの空想を裏書きしたのである。無名の大衆をひきずり出し、袋叩きにするスキャンダルの新時代とは、いいかえるならスキャンダルを使った超管理社会の実現にほかならない。ロス疑惑の登場をもって、われわれは、いわばメディア・ファシズムの新時代に突入したのである。
 ブラジルやチリやフィリピンでは、軍隊が最終的な管理の仕上げをしている。ソ連では官僚制が、イランでは宗教がその役目を担うだろう。われわれの日本では、メディアが管理の尖兵となる。社会主義国家における強制収容所をもち出し、もっぱらオーウェル『一九八四年』を反共宣伝のために利用している文化人たちは、自分がメディアの牢獄に囚えられていることには、まるで無知なように見える。

   *****

メディアは、気分と印象を操って、スキャンダルをでっちあげる。でっちあげられた対象は、記号に祭り上げられ、ただ記号として消費される。もともと実体ではないのだから、もはや定められた像をくつがえすことは不可能なのだ。

   *****

いまや病の身ではあるが、目白の帝王・闇将軍こと角栄サンこそ、構造としての国家スキャンダルをかくすために、個人の上にスキャンダルを押しつけられ、スキャンダルの代名詞へ“記号”化された“像”にほかならない。すこしでも考えてみればわかるように、田中角栄という悪の記号が生み出され、流布されることによって、ロッキード疑獄などに示される構造としての国家スキャンダル(そして国家こそがスキャンダルであるという構造)は、より広く、より明るみのなかで問われることになっただろうか。まったくその逆だ。一億総正義の士になって角栄サンをののしっている間に、構造はまんまんと秘匿されてしまったではないか。

以上、引用はいずれも岡庭昇著『テレビ帝国の教科書』(1985年)より
*****

今週、「とくダネ!」を見ていたら、司会の小倉智昭が北朝鮮の後継者と目される金正恩に関する神話(4歳の時だったかに拳銃を撃ったら、すべての弾が的に当たったとかいう類の話)について、「そんなことあるわけねえだろ」と吐き捨てた。
もちろん、これは笑ってしまうほどに明々白々なでっち上げの神話である。

さてしかし、、、
では小倉は、同じく笑ってしまうほどに明々白々なでっち上げである東京電力福島第一原発の収束宣言、「冷温停止状態」達成というニュースについても同じように「そんなことがあるわけねえだろ」と吐き捨てたのか。私はこの番組を毎日見てチェックしているわけではないが、少なくもとこのニュースを扱っていたある一日には、そのような言動はしていなかった。

それにしても、、、
金正日死去に乗じた今週のメディア(とくにテレビ)の北朝鮮に対する袋叩きぶりは異様だった。
それはまさに記号化された印象の操作に他ならない。「北朝鮮=怪しい国」と決めつけ、泣き女や金正恩の美味しすぎる映像を切り取って最大限に使う一方、この問題になると必ず出てくるコメンテーターに筋書き通りのコメントを喋らせる。まさに入神の技だ。
そして、結局のところ、その映像から何が導きだされるのかというと、「北朝鮮は何をするかわからない危ない国」で「情報は厳しく統制され国民は洗脳されているから」「そういう危ない国が核を持っていつ暴走するかわからない」といった筋書きである。
私はこういう映像を見て、呆れを通り越して笑ってしまった。
なぜなら、それはすべて東京電力を中心とする日本の原子力マフィアに当てはまることで、しかもすでにその狂った連中の暴走によって、日本は核による壊滅的な打撃を受けてしまったのだから。

「それはそれとして、しかし北朝鮮がとんでもない国であるのは事実だろう」と意見はもちろんある。私は北朝鮮の現体制の擁護者では断じてないが、ここで金正日についての一つの見方を提出してみたいと思う。
私は1994年に金日成が死んだ時、「北朝鮮はもうもたないな」と思ったものだった。
金日成の評価はさておくとして、この指導者にカリスマ性があったことは事実である。在日コリアンの女性の友人から聞いた話では、金日成はかの国の基準ではとにかく美男子なのだそうだ。したがって、女性は政治体制に不満があっても、金日成を見るともうそれだけで参ってしまったものだという。
それに比べると、金正日というのは、まあ不細工でぶ男、いかにも出来の悪いニ代目といった感じで、とても金日成のカリスマ性を引き継げるとは思えなかった。
ところが、結果的に金正日は死ぬまで体制を維持することに成功し、後継者の道筋も作った。
これは金日成、金正日と二代にわたって虐げられた北朝鮮国民にとっては誠に気の毒としかいいようがない。しかし一方でこの間、北朝鮮は核開発をしてテポドンを海にポチャリと落とすなど、常に「何をするかわからないぞ」という印象をチラ見せしながら、周辺諸国やアメリカの強い圧力を免れた。それどころかむしろ手玉にとって、明日潰れるかもしれないと思われた体制を維持したのである。私はこれはこれで大した政治的手腕だなと思うのである。
同じ世襲でも、祖父の七光りのみで首相になった挙げ句、腹が痛くなって政権を放り投げたアベシンゾーなどとはそもそも根性の入り方が違う(そのアベシンゾーがノコノコ出てきて北朝鮮についてあちこちで喋っているのには笑った)。

ここで私なりに断言しておくと、北の核が暴発するとか、その核が日本に向けられるなどということはあり得ない。
なぜなら、前述したように、北朝鮮の瀬戸際外交の肝は、本当に暴発するのではなく、その素振りを見せることで成立しているからだ。したがって、実際に暴発しては元も子もないのである。
まして、繰り返しになるが、すでに日本は東京電力の核でとんでもないことになっている(いまだに政府やメディアのことを信じて洗脳されている国民は知らないが)。その日本に、さらなる核攻撃なんぞをしたら、それこそ国際的な非難を浴びるわけで、そのような選択をするはずがない。
というよりも、、、
そもそも日本に敵対するのに自前の核などいらないのである。安全保障について、実はまったく真剣に考えていないこの国では、狭い国土にめったやたらに原発が林立しており、そのどこか一つをちょっとでも叩かれればそれでジ・エンドだったのだ。

では、東京電力という超ブラック企業の核を棚上げにして、北朝鮮の怪しさを真顔でまくしたてるメディアの意図は何なのか?

ここで話は突然飛ぶが、今年の芸能界の大きなニュースの一つは島田紳助の引退だった。その理由は紳助が暴力団と親密な交際をしていたからだそうだ。
私は芸能界というものには興味はないが、芸人が暴力団(というよりもヤクザ)と付き合うことは、別に珍しいことではないし、芸能の興行とヤクザは切っても切り離せない関係にあることは常識である。
(個人的にはヤクザを暴力団と呼ぶこともまた一つの印象操作であり、記号化だと思う)
では、なぜヤクザが悪いのかというと、反社会的な存在だからということになる。
実は私はこの世間に流布しているヤクザ=反社会的という“一般的な常識”についても少しく異論があるのだが、今はそれはおいておくとして、反社会的な集団と親密に交際することが自らの職業を捨てて引退しなければならないほど重要なことであるならば、とびきりの反社会的な集団である東京電力と親密交際をしていた国会議員や官僚、学者はなぜ糾弾されないのだろうか?

かつて“リクルート事件”が起きた時に、未公開株を受け取った個人までがさんざん糾弾されたことがある。あるいは古い話で恐縮だが、投資ジャーナル事件というのが起きた時、その主催者である中江滋樹から7000万円だかのマンションをもらった女性芸能人は、それゆえにメディアから吊るし上げを食らったものだった。
そんな些細なこと(とあえて言うが)ですら大騒ぎするメディアが、国土を放射能で汚染させるという日本の歴史上、始って以来の大罪を犯したあげく(もちろん世界的な海洋汚染も大問題)、後世にまで残るその重大な影響をまったく無視する悪魔の企業とその関係者を野放しにしているのはなぜか。
それはメディアもまた同じ穴の狢だからである。

22日に行われたシンポジウム、「検察、世論、冤罪 III」のなかで山口一臣前「週刊朝日」編集長は、近年のメディアの劣化を嘆くとともに、ジャーナリズムの役割は最終的に権力の監視であって、自分もそう教わってきたというようなことを言っていた。
しかし、私に言わせればそれもまた印象操作なのであって、実はジャーナリズムが権力の監視者であったためしはほとんどない。どころか、霞が関という独裁権力と一体化して、巧みに悪の国家、悪の政治家、悪の組織を仕立て上げつつ、一方で東京電力という超ブラック企業をまるで真逆の超優良企業に印象操作しながら、利権共同体の尖兵をつとめてきたのだ。

このマスメディアの罠に気づいて、その呪縛から逃れることが日本再建の第一歩だと私は思うのだが、「家政婦のミタ」の視聴率が40%などという話を聞くと、その道はまだまだ遠い。もちろん、このドラマ自体の出来は良かったのかもしれない。が、呆れるほど多くの時間帯を費やして番組の大キャンペーンを張ったあの日本テレビの番宣ぶりは洗脳以外の何ものでない。
その結果としての40%という数字に、この国の権力集団は「テレビを使えば、まだまだいくらでも国民を騙せるな」とほくそ笑んでいるのではないだろうか。


※お知らせ
岡庭昇著「テレビ帝国の教科書」は、来年1月、志木電子書籍より刊行されます。

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2011/12/01

原発でダメになるのがおいらの祖国だナ

*****
「ここまで来て日本人が目が覚めないなら、この日本という国はダメだろうと私は思います。」
(小出裕章京都大学助教。11月6日、長野大学での講演にて)
*****

ここ最近、ブログの更新を怠っている。ややバタバタしているということもあるが、私の心の中に急速に諦めムードが広がっていることも否定できない。
東京電力は、これまでありとあらゆるウソとやらせ、つまりデタラメの限りをつくし、さらにカネの力に物を言わせて「原発は絶対に事故を起こさない」という“安全神話”を偽造してきた。
その結果、日本史どころか世界史、人類史的に見て特筆すべき破局事故を起こしたわけである。
これはある意味、当然の帰結であって、デタラメをやればそのツケは必ず来るのだ。
オリンパスや大王製紙の事件にしても、いつかはバレる。それは歴史の法則だと私は思う。
しかし、誤解を恐れずに言えば、オリンパスや大王製紙の場合、この会社の社員や家族、関連会社の人には大きな影響を与えるが、それ以外の人にとっては大した問題ではない。

ところが原発の破局事故というのはそうではない。
放射能の汚染マップを見れば一目瞭然だが、東京電力が起こした事故は、すでに福島のみならず広範な場所に及んでおり、本来ならば放射線管理区域にしなければならない場所(そこでは飲食をしてはならないし、そもそも生活することなど論外である)で、普通に人が暮らしている。
その結果としてこれから何が起きるのか?
私は日本の社会システムが崩壊すると思う。
何しろ原発が3機メルトダウン(あるいはメルトスルー)して、さらに膨大な使用済み燃料が貯蔵されている4号機も悲惨な状況なのである。
少し前ならちょっと信じがたい、SF的な事故が現実に起きてしまい、しかも現在もまったく収束していないのだ。
にもかかわらず、依然としてこの事故を引き起こした超A級の戦犯である東京電力は野放しで、なかんずくその連中が事故対応の主導権を握り、情報をコントロールしている。

東京電力は福島第一原発で熔融した燃料がどこにあるのかの見解を発表した。きわめて甘く、かつ楽観的な予測だと個人的には思う。が、百歩譲ってそれが正しかったとしよう。だが、普通に考えれば究極の嘘つき企業が発表する内容など、頭から疑ってかかるのが当然である。
ところが、それを伝えるメディアは、多少の疑問は呈しているかもしれないが、基本的に発表情報をそのまま垂れ流している。
一事が万事、この調子。
こうして、ただでさえ深刻な事態は、事故対応のデタラメと相まってますますその深刻度を増す。

東京電力が発表した「推定資料」

・東電が発表した「炉心損傷状況の推定」に関する小出裕章氏の見解

そこで、今後、短期から中期的に起こるだろうことを少し予測してみる。
まず、ガン、白血病が増えることは間違いない。また、子どもに顕著に影響が出始め、また残念ながら障害をもって生まれて来る子どもの率も上がる。となるとどうなるか。普通に考えれば、子どもを作ろうという人が減るだろう。となると、少子化はこれまで予測されてきたスピードをはるかに上回る可能性が高い。
となれば、ただでさえ甘めな出生率を前提にしている年金制度は完全に崩壊するだろう。最近、厚労省が年金の支給年齢を引き上げるアドバルーンを上げたのは、実はそういうファクターも考慮しているのではないかと私は思う。
さて、少子化が深刻化し、放射能による健康被害が福島を中心に広い範囲(そのなかには当然首都圏も含まれる)で及び始めれば、経済活動は停滞せざるを得ない。したがって、私は今後、企業経営者にとって求められるのは、こうした原発リスクを織り込んだ経営だと思う。
ついでに言えば、このリスクをまったく織り込まない、あるいはきわめて低く見積もった上での政府の経済予測など、いくらやっても意味はないし、あてにもならない。

ところで、現在、日本の大学の序列のナンバーワンは、誰が見ても東京大学だ。が、この序列も少しずつ変わっていくのではないかと私は予測している。つまり京都大学、大阪大学、あるいは九州大学など、福島からより離れ、しかも西に位置する大学に優秀の中でも優秀な人材が動き始めるのではないだろうか(名古屋は福島からの距離を考えると若干、微妙な気がする)。
私はAMラジオが好きで、毎週、「久米宏ラジオなんですけど」(TBSラジオ)を愛聴しているが、この番組のゲストコーナーには、よく東京大学数物連携宇宙研究所(IPMU)の研究者が出演する。このIPMUの研究レベルは非常に高く、世界中から研究者が集まってくるという。ところが、そのキャンパスは柏市にある。柏と言えば首都圏でも放射線量が高い地域として知られているわけで、そのような場所へ、素人ならいざ知らず、世界レベルの科学者が今後も集まってくるかどうかは、はなはだ疑問だ。

と、このように考えて行くと、私にはおよそ悲観的な予測しか思い浮かばないのである。
しかも、この状況でなお、東京電力という巨大な犯罪者集団が依然として、自らが起こした破局事故対応の主導権を握っている。
私には本当に信じられないことだが、それが続く限り、つまり小出裕章氏が言うところの日本人が目覚めない限り、私もこの国はダメだろうナと思う。
深沢七郎的に言えば、“原発でおしまいになるのがおいらの祖国だナ”……。

↓福島第一原発の実際の状況

↓こちらもどうぞ。
Fukushima Daiichi Nuclear Power Station 12 November 2011


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2011/10/16

鉢呂吉雄が経産相に「起用された理由」を推測する

私は何かにつけてうがった見方をするタイプである。それは元来の性格でもあるわけだが、とくにマスメディアが報じるニュース(=権力による発表情報)については、つねに言論操作の疑いをもって見るように心がけている……。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

そこで、まずはコメント欄にもいただいた前エントリーについての世田谷弦巻の件について追記しておくと(pc4beginner様、コメントありがとうございしまた)、これが福島由来のものではなかったことは大変良かったと思う(世田谷の区長が保坂展人氏だったことも幸いで、区長、あるいは市長選びの重要性を再確認する出来ごとだった)。
ただ、なんとも不思議な一件だとは思う。
横浜でストロンチウムが検出されたのとほぼ同時だったのは偶然だろうが、結果的に弦巻の放射能が福島とは関係なかったことで、なんとなく横浜のニュースも霞みつつあるように見えるのは気のせいか。また、この弦巻のお宅に住んでいる方が、高齢者であったことで、「放射線量が高くても健康被害にはつながらない」というイメージをそれとなく拡散させることができたようにも感じる(実際、世田谷区在住の知り合いがそう言っていた)。
つまり、今後、起きるであろう重大な健康被害について、福島との因果関係を否定できる材料が一つ増えたわけで、少なくとも政府や東京電力にとっては「悪くない」出来ごとだった。
もちろん、今回は偶然だったわけだが、しかし相手はどんな出来事も利用することばかり考えていることは間違いないわけで、このニュースの「使われ方」は今後、注意する必要があると私は思っている。
そして、今一度、改めて確認しなければならないことは、福島第一原発の破局事故を原因とする広範囲に及ぶ前代未聞の放射能汚染は現在進行形であるということだ。

・小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
10月13日 どうにもならない現実を説明する責任が国にも東京電力にもマスコミにもある。 小出裕章(東京新聞こちら特報部)

さて、本日はうがった見方をもう一つ書きたいと思う。
ブログ「ざまあみやがれい!」さんのエントリーで知ったのだが、上杉隆氏の「ニュースの深層」という番組に鉢呂前経産相が出演していた。

これを見てわかるのは、鉢呂氏が原発に対して真っ当な考えを持っていることである。
それもそのはずで、この人は経産省の役人だった原発推進派の高橋はるみと2003年に北海道知事選で争い、原発に慎重な立場を表明して僅差で敗れているのだ。
そこで浮かぶ私の最大の疑問は、そんなことは百も承知のはずの野田佳彦が、何故に自らの政権の方針(それでも原発推進)と異なる人物を経産大臣に任命したのかということだ。
マスメディアの政局解説的には、それは鉢呂が旧社会党出身であって、組閣の際の派閥均衡の結果ということになるのだろう。あるいは、国民の反原発、脱原発への機運に一定の配慮をしたという解説もあり得るかもしれないが、それにしても経産省的にはあってはならない人事である。
とすると、何か他の意図があったのではないか?と私なんぞは思ってしまう。
そこで以下にうがった見方を書くと……

・野田の本心(=権力の総意)は枝野を経産相にすることだった。しかし、野田内閣発足時に枝野を起用すると、3・11後の経緯からして相当な非難、批判を浴びる。そこで、ワンクッションを入れることにした。

・その経産相は誰でも良かったが、あえて鉢呂を選んだ。それは対外的に原発に慎重な姿勢を示している人物を起用することで、野田政権の本心を多少なりとも糊塗できるということが一つ、もう一つはどうせすぐに交代させるのであれば面倒くさい反原発派を起用して失脚させると一石二鳥になる。

・経産相交代の機会は折を見て、、、と思っていたら、鉢呂が早速「総合資源エネルギー調査会」の人選に手を突っ込んできたため(反原発派の数の大幅増員)、あわてて失言騒動をでっち上げて引きずりおろし、予定通り枝野を後任に据えた。

もちろんこの推測に根拠などない。しかし、この国の権力というのは、そのぐらいのことはやると私は思っている。
実際、鉢呂の後任が枝野になった時に個人的には強い違和感があったが、マスメディアは何の批判もせず「安定感がある」などと解説していたと記憶している。
「それにしても、うがち過ぎだろ。現に、枝野は九州電力のやらせメール問題でも、退任しない九電社長を強く批判していたではないか」
とおっしゃる向きもいるだろう。それについて言えば、枝野は「批判しているフリをしているのではないか」と私は推測するのである。

・八木啓代のひとりごと
九州電力第三者委員会が突きつけたもの

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戦後日本の思想

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/10/13

首都圏の放射能被害はどんどん深刻化する ~ 『原発事故……その時、あなたは!』より

横浜市港北区でストロンチウムが、そして世田谷区弦巻の民家脇で毎時2.7マイクロシーベルトという放射線量が測定された。
すでにニュースで流れているように、後者は福島県内の計画的避難区域並みの線量である。
史上最悪の原子力災害が現在も進行中であるにもかかわらず、荒川に現れたアザラシの追っかけに夢中だったマスメディアも、さすがにこれはニュースは報じないわけにはいかないようだ(ちなみに私は、このアザラシ騒動もまた最高度の情報操作の一つだと考えている)。

とはいえ、その報道ぶりはまだまだ私には腰が引けているように見える。
基本的に国家権力(もちろんその中には東京電力も含まれる)は、福島第一原発事故について一刻も早く幕引きをしたがっている(正確には「幕引きをしたことにしたがっている」)。ゆえに、マスメディアを使ってあたかも事故は収束に向かっているかのような幻想をバラマキ(「冷温停止」に近づいているなどという発表は、その最たるものだろう)、必死で国民を洗脳しているわけだ。
それは現状、相当程度成功しており、実は多くの国民にとって原発事故は過去のものになりつつある(もちろん、そこには「嫌な情報は見たくない」という究極のニヒリズムも介在しているだろうが)。

しかし、現実にはいよいよもって事態は悪い方向へ進んでおり、もちろん首都圏へのさらなる影響も不可避だ。
そこで、以下にある図表ご紹介しよう。
これは本年3月に当ブログでも何回か紹介した瀬尾健著『原発事故……その時、あなたは!』という本のなかに掲載されている図である。
福島第一原発事故後、おびただしい数の原発本が発売されたのに対し、本書の刊行は1995年と古い。
著者の瀬尾氏は京都大学原子炉実験所の助手だったが、本書が刊行される前年に逝去されている。その瀬尾氏が書き残した遺稿をまとめたのが本書で、同僚だった小出裕章氏が内容の確認をしている(だから私は「小出裕章」という名前はこの時から知っていたが、顔と名前が一致したのは今年の3月だった)。
さて、この本の冒頭では、全国16の原発基地と、もんじゅ、さらに核燃料輸送中の事故について、破局的事故が発生した場合の災害規模の計算が行なわれている。
ちなみに、各原発基地には複数の原発があるが、本書ではその中で最大出力の原発一基が計算の対象とされている。したがって福島第一原発の場合で言えば、対象となっているのは6号炉である。
その計算結果が下記の図なわけだが、現実に起きた破局事故は1号炉~3号炉の破局事故であって、そのスケールは本書の計算よりもさらに大きい。
また、今回の事故はチェルノブイリのように最初からドカンといく爆発的なものではなかったので、本書が指摘するように急性の死者は出ていないが、東京電力が最初の時点で全面撤退を主張したのは、そのようなケースもあり得ることを十分に知っていたからだろうと個人的には推察している。
ということで、以下の図をご覧いただきたい。

【書誌情報】
書名:『原発事故……その時、あなたは!』
著者:瀬尾健
出版社:風媒社(http://www.fubaisha.com/
初版情報:1995年6月10日 第1刷
底本情報:1995年8月15日 第2刷
ISBN-4-8331-1038-5

「原発事故…その時あなたは」~福島事故

※左下の「view in fullscreen」のボタンをクリックすると拡大します。

ちなみに緩い避難基準とは、「緩く見積もった場合」であり、厳しい避難基準とは「厳しく見積もった場合」ということになる。福島第一6号炉の場合、緩い避難基準は関東では茨城県、栃木県までであるが、実際には群馬県や千葉県、埼玉県にも汚染地帯があり、東京にもホットスポットが及んでいることを考えると、事態はより一層深刻だということがわかる。

本書では炉心溶融事故についてのシナリオが紹介されている。このシナリオは第一期から第七期にまで分かれており、順に[第一期 ブロウダウン]→[第二期 炉心温度上昇:崩壊熱のみ]→[第三期 炉心温度上昇:崩壊熱とジルコニウム・水蒸気反応]→[第四期 炉心崩壊]→[第五期 原子炉容器の熔融貫通]→[第六期 格納容器底部の加熱]→[第七期 格納容器底の熔融貫通]となっている。
そして第七期では「灼熱の熔融体はコンクリートも鉄の構造材をも熔かしてひたすら沈降していくだろう」「格納容器底部が貫通すると、熔融体は地中に出てしまう。」「地中に潜り込んでいく熔融体は、なおも七〇〇〇~二万キロワットの発熱を維持しているから、土を分解してひたすら下へ下へと沈降していくと思われる」と書かれており、そこでこのシナリオは終了している。いま現実に起きているのは、この第七期である。
いったい、この事態をどのように捉えて行動すべきか。
もはや、、、
一人ひとりがマスメディアを通じた政府や東電の発表(それはほとんどがウソである)に惑わされることなく、本やネットから知識と情報を得て、自分の頭で判断するしかないと私は思う。

※それにしても世田谷区の区長が保坂展人氏であったのは幸いだった。今回の事例から痛感するのは、たとえ区長選(あるいは市長選)と言えども軽視してはいけないということだ。

↓は世田谷の2.7マイクロシーベルト、横浜のストロンチウムについて語る小出裕章氏。

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2011/10/08

電子書籍 新刊案内 〜『光文社争議団』

このたび、志木電子書籍では、『光文社争議団』を発売した。

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・光文社争議団 ~ 出版帝国の“無頼派”たち、2414日の記録

これは、私が昨年まで25年間勤務していた光文社で1970年に起きた労働争議の記録である。
解決までに6年半を要したこの争議は、かつての出版界ではちょっと知られた大争議だった。
私が光文社に入社したのは、争議終了から十年ほどしてからであったが、しかし当時はまだなんとなくその余韻が残っていた。
もっとも、それを私が感じることができたのは、配属先がカッパ・ブックスだったことも大きいかもしれない。光文社には第一組合(争議を起こした元々の組合)と争議時に分裂した第二組合(当然、労使協調)があり、カッパ・ブックスグループには、第一組合の人も少なからずいたからだ。
春闘になれば第一組合はそれなりの活動をして、役員室の前で座り込みをしたり、社内には組合のビラがペタペタと貼られていた。
しかし、組合員が高齢化し、定年者が続出するとともにその勢いは衰えていった。
一方、第二組合の執行委員長や書記長ポストは、出世コースを意味していた(もちろん全員が全員ではないが)。
たとえば、ある年の春闘のこと。執行委員会から妥結提案が出て、それに対する反対意見がいくつか出ると、執行委員長は「会社側の代弁をするわけではありませんが、、、」と前置きをして、えんえんと会社側の代弁をした。その委員長は、やがて総務部長(非組合員)になり役員となった……。
もちろん、だから悪いというわけではない。会社の経営がいい時代はそれで問題はなかった。
しかし、会社の経営がおかしくなりはじめた時、やはりその歪みが出てきた。

1970年の争議の原因は、当時の社長・神吉(かんき)晴夫(カッパ・ブックスの創刊者)のワンマン経営にあった。そして、それから四十年後に起きた経営危機の際も、やはり一人のワンマン経営者がいた。そのワンマン経営者は、第二組合誕生時の執行委員に名を連ねている人だった。
1970年当時、組合はワンマン経営者の経営責任を徹底的に追及し、退陣要求を突き付けた。それが原因のすべてではないが、結果として社長のみならず役員全員が退任した。
四十年後、御用組合と言われた第二組合の組合大会で、やはりワンマン経営者(当時は会長だった)に対して退陣を要求するべきだという声が上がり、議論の末に採決され、可決された(細かい経緯は忘れたが)。この時の第二組合は、かつての御用組合とは異なり、そこそこ真っ当な労働組合であった。つまりそれだけ組合員の危機感が強かったわけだが、しかし、それでも結果として会長以下の経営陣の経営責任はついに追及しきれないままにリストラだけが行なわれた。彼らは逃げ切ってしまったのである。
残念なことに、四十年を経て、労働側は連勝することができなかった。

『光文社争議団』に話を戻すと、この本はいろいろな読み方ができると思う。
たとえば、昨年、出版界の話題をさらった、たぬきち氏の「リストラなう!」の前史としても読める。出版業界やそれをとりまく書店、取次、印刷会社、そして広告業界の方にとっては、光文社という会社の興味深い一つの歴史を知ることになるだろう。ひょっとすると、本文中に知っている人の名前をいくつか発見するかもしれない。
以上は業界的な読み方だが、しかし本書にはもう一つの読み方があると思う。
光文社争議において、会社は親会社である総資本=講談社の命令一下、警察、暴力団と一体になって労働者に襲いかかってきた。多くの血が流され、不当逮捕者も続出した。こうした厳しい弾圧の末、それでも闘い続けた先に勝利はあった(支援労働者との連帯も重要なポイントになった)。
いま、日本では東京電力福島第一原発の事故がますます深刻化しているにもかかわらず、霞が関、電力会社を中心とした財界、政治、マスメディアの連合体は国民に対してウソをつきまくって国民を弾圧している。しかし、この暴挙を許していては、断じて日本に復興はない。では、この巨大な敵にどのように闘い挑むのか。
本書にはそのヒントがあると思うのである。

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2011/10/01

プルトニウム検出報道 ~ かくも横並びなメディア

*****
 「情報を貰う」ことが、「貰った情報であることの確認」を抜かして、公認された情報を成立させるなら、それはそのままで、すでに言論操作であると言わなければならない。記事の質に対する評価以前に、基本的なありかたにおいて操作された言論なのである。
 記者クラブとは、基本的に取材をしないところである。断っておくが、もとより「情報を貰う」相手である官庁に接することは、ほんらい「取材」の範囲に入らない。入り得るとすれば、「官庁がそう発表した」というだけの「事実の」確認としてであり、そもそも「事実」はそこではそれだけのものに限定される、という問題意識を前提にする。取材とは、ほんらい自己責任であり、自前である行為なのだ。
 したがって、記者クラブ情報に基本的に依存して成り立つ限り、はなはだ逆説的な事態が現実となる。すなわち、報道とは、つまり取材を前提としない情報なのだ。報道に関する予断や概念はどうであれ、実際にはそれが現実なのである。

岡庭昇著 『かくもさまざまな言論操作』より
*****

福島県飯舘村などの土壌からプルトニウムが検出されたという。
では、メディアはこれをどう伝えているか?

・47ニュース
「プルトニウムは半減期が極めて長く、呼吸などで体内に入ると強い発がん性を帯びる。文科省は「ごく微量で、人体に影響を及ぼすような値ではない」としている。」

・NHK
「文部科学省によりますと、今回検出されたプルトニウムの濃度はいずれも低く、これらのプルトニウムによる被ばく量は非常に小さいとしています。」

・日本テレビ
「プルトニウムは半減期が長く、吸い込むと長期にわたって内部被ばくの危険性がある。しかし、今回の検出量は、過去の核実験の影響とみられるプルトニウムの量を超えるものではなく、健康への影響はないという。」

・朝日
「文科省は「プルトニウムやストロンチウムの沈着量はセシウムに比べ非常に小さい。今後の被曝の影響評価や除染対策はセシウムに着目するのが適切」としている。」

・読売
「プルトニウムは、福島県双葉町、浪江町と飯舘村の計6か所の土壌から検出され、国の調査では初めて原発敷地外から見つかった。同省は、「プルトニウム、ストロンチウムによる被曝線量は非常に小さいため、除染対策はセシウムに着目していくのが適切」と話している。」

・FNN
「今回検出されたプルトニウムの最大濃度は、原発からおよそ30km離れた浪江町で、1平方メートルあたり4.0ベクレル(Bq)。
さらに双葉町や飯舘村などの土壌からもプルトニウムが検出され、原発事故に由来するものとみられている。
文部科学省は、いずれも低い濃度で、被ばく量も微量としている。」

以上、各社の報道を見ての感想。
「福島第一原発の敷地外からプルトニウムが発見されたが、大したことはない」と文科省が発表したことはわかった。
問題は、その発表が真実なのかどうか? それを検証するのがジャーナリズムの仕事ではないのかね?
頂いた情報をそのまま「文科省が〇〇〇〇〇と言ってました」と垂れ流すだけだったら、それはアホでもできるんじゃないかね?
とまあ、噛みついてもムダなことはわかっている。そんな抜けがけをやってはいけないのが、記者クラブメディアなのだから。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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2011/09/30

止まらない放射能汚染 ~ 2019年、ラグビーW杯は日本で開催できるのか?

ニュージーランドで開催されているラグビーW杯で、日本代表は1分3敗とグループリーグの最下位に終わった。
このラグビーW杯というのは歴史が浅く、最初に開催されたのは1987年。したがって日本ではあまり馴染がないが、いまやスポーツイベントとしての規模は、サッカーのW杯、オリンピックに次ぐものだという。
このラグビーW杯に日本は第1回から連続出場をしており(ただし第1回は招待制だった)、その意味ではサッカーよりも立派だが、しかし成績の方は芳しくなく、過去7回の通算成績は1勝2分21敗と惨憺たるものである。
とくに1995年のニュージーランドとの対戦では145失点(得点は17点)という大失態を演じてしまい、ラグビーをよく知らない人でも「なんだか恥ずかしいぐらいに大敗した試合があったナ」とご記憶の方も多いかもしれない(映画「インビクタス」ではマンデラがニュージーランドの予選での成績をたずねるシーンで対日本戦の結果が「145-17」と聞いて、「145点!?」と驚くシーンがある)。

とまあ、なかなか結果を残せない日本代表なのだが、8年後の2019年には日本でこのラグビーW杯が開催されることになっている。
ラグビーファンの私としては今からとても楽しみであるが――
しかし一方で2019年の日本で果たして本当に世界規模のスポーツイベントを開くことができるのだろうか?という疑念、あるいは不安も捨てきれないのだ。
というのも、これだけの大会となれば、日本各地で試合をしなければならず、当然、首都圏を含む東日本でも少なからぬ試合をしなければならないだろう。しかし、それは可能なのか?
問題はその時の福島第一原発をめぐる状況にかかっているだろう。

いま、マスメディアでは福島第一原発の1~3号機の原子炉がすべて100度以下となったという東京電力の発表情報をしきりに流している。それだけを聞いていると、あたかも事態は収束へと向かっているかのようだ。
たとえば、読売新聞はこのような記事を書いており、あわせてそこにこのような図を掲載している。
が、一方で、京都大学の小出裕章氏は、もはや原子炉はそのような状態ではないと言う。


溶けた燃料が地下水を汚染する可能性 投稿者 HEAT2009

では、東京電力と小出氏のどちらの言っていることが正しいのだろうか? 
私には技術的なことはわからないが、しかしどちらが信用できるかと言えば、小出氏に軍配を上げざるを得ない。なにしろ、東電は3.11前まで「原発の破局事故など絶対に起きない」と言い、小出氏は「絶対に起きる」と言っていたのだから。
となると、これから先、事態はおそらくは小出氏の予想する方向へと進むだろう。しかも、小出氏が求めているような対策は遅々として進んでいない。であれば、事態はより悪化する他はない。
チェルノブイリの事例を見るまでもなく、放射能災害というのは広範囲に、しかも非常に長期間にわたって影響が残る。このことを海外の人は知っているから、当然のことながら、来日公演がキャンセルになる事例も出ている。

・セシウム飛散、250キロ以遠にも 群馬の汚染地図公表

セシウム汚染の帯、首都圏に 千葉・埼玉の汚染地図公表

※注「文部科学省による広域航空機モニタリング計画について 」によれば、この調査はその他の都県でも行なわれている。

そうしたなか、8年後、たとえ屈強なラガーマンたちといえども、彼らが喜んで日本にやって来るとは、現状では私にはどうしても思えないのである。

ところがそれほど深刻な状況であるにもかかわらず日本では……
たとえば昨晩のNHKニュースウォッチ9のニュースの並びは、

(1) チュートリアル福田摘発
(2) トイレに1000万円
(3) むち打ち刑撤回
(4) イチロー記録ストップ

だったそうだ(私は未見だったが、視聴していたテレビマンからの情報)。
おそらく、これこそが岡庭昇氏が言うところの最高度の言論操作なのであろう。
つまり、本当に重要なことは何一つ伝えないことで、原発には何の問題もないという洗脳をしているわけだ。
この大本営発表とは比べものにならないほど洗練された言論操作に、果たして日本人はいつになったら気づくのだろうか?

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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戦後日本の思想

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