2013/08/21

「風流夢譚」を電子書籍化した理由

以下の記事は、志木電子書籍のページに掲載したものと同じものですが、当ブログにも転載いたします。

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昨日、朝日新聞朝刊文化面に「風流夢譚」(深沢七郎)に関する記事が掲載されましたが、改めてなぜ「風流夢譚」を電子書籍化したかについて書きたいと思います。

まず作品自体について。
この小説は1960年12月号の「中央公論」に掲載された短編です。
私にはそのあらすじを書く力量がないので、以下に中村智子氏が書かれた「『風流夢譚』事件以後 編集者の自分史」の中で紹介されているあらすじの一部を引用させていただきます。

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「私」はある晩、夢をみた。井の頭線の渋谷ゆきに乗っていると、朝のラッシュ・アワーで満員の乗客が、「いま都内の中心地は暴動が起こっている」とさわいでいた。渋谷駅で八重洲口ゆきのバスの乗り場に並びながら、「革命ですか、左慾(サヨク)の人だちの?」ときくと、警視庁や自衛隊の下っぱはみんな我々の方について、ピストルや機関銃で射ち合いをやっている、皇居も完全に占領してしまった、ということだった。
「女性自身」の旗をたてた自動車にのった女の記者が、「これから皇居へ行って、ミッチーが殺(や)られるのをグラビヤにとるのよ」と嬉しがって騒いでいた。「軍楽隊もこっちへ帰順した」とまわりの人たちが拍手をはじめ、軍楽隊が“キサス・キサス”を演奏しながらやってきた。
 バスがきたので、わーっと乗りこんで、皇居広場へ行った。おでん屋や、綿菓子屋、お面屋などが出ていて。風船をバァーバァー鳴らしていた。その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺されるところである。そのヒトの振り上げているマサキリは私のものなので、(困るなア、俺のマサキリで首など切ってはキタナクなって)と思ったが、とめようともしない。マサキリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下と美智子妃殿下の首がスッテンコロコロと金属性の音をたてて向こうの方まで転がっていった。あとには首のない金襴の着物をきた胴体が行儀よく寝ころんでいた。
「あっちの方へ行けば、天皇・皇后両陛下が殺られている」と教えられて、人ゴミをわけて歩いて行った。交通整理のおまわりさんが立っていて、天皇・皇后の首なし胴体のまわりを一方通行で順に眺めた。天皇の首なし胴体のそばに色紙が落ちていたので、拾って読もうとしたが、毛筆でみみずの這ったようなくずし字なので判らない。五十年も皇居につとめていたという老紳士が、「それは天皇陛下の辞世のおん歌だ」と読んでくれた。
(以下略)
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この作品が発表されたのは、いわゆる60年安保が収束した直後であり、また日本社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された時期とも重なります。
つまり日本が高度成長に乗る以前の、まだ物情騒然としていた時代だったわけで、この小説を掲載した中央公論社は、12月号の発売直後から右翼の激しい抗議にさらされます。
さらに、翌1961年2月1日には、中央公論社の嶋中鵬二社長宅に右翼の少年が押し入り、お手伝いの女性が刺殺され、夫人が重傷を負うという事件が起きました(嶋中鵬二氏は不在だった)。

「言論の自由」という点で、この事件が日本のジャーナリズム史に与えた影響は非常に大きく、また「中央公論」もその後、大きく路線を変更していきます。
そして、この小説は以後、海賊版をのぞくと、公式に活字化されることはなく、封印されてしまいました。

この短編小説を電子書籍化しようと思いついた経緯については、朝日新聞記事にあるとおりですが、「3・11後の今、改めて読まれる意味があると思った」(朝日記事)という部分について、以下にもう少し詳しく書きたいと思います。

「風流夢譚」という小説については、非常に高い評価から、愚作、駄作、とんでもない不敬小説とさまざまな評価があります。
前出の中村智子氏は、この点について、

「この作品にこめられているのは、在来の権威への徹底的な揶揄である。皇室、和歌、三種の神器、文化勲章、そして革命が、嘲弄されている。それもとぼけた語りくちでかかれているために、いっそうくだらないものとして貶める効果を生んでいる。ゲラゲラ笑いながらよんだという人と、神経をさかなでされ、とくにスッテンコロコロの箇所に怒った人と、二様の反応があったのは、現代の日本人の皇室感覚の複雑さを示している。あるいは劇画の残酷シーンを見なれている今日の若者がよめば、なんの感情もおこさないかもしれない。」
と書かれています(前出・「『風流夢譚』事件以後」)。

私は父親(事件当時、「中央公論」編集次長)が掲載号を所持していたために、かつて学生時代に「風流夢譚」を読んだことがありましたが(今から30年以上前です)、正直、当時の感想を今思い出すことはできません。
そして一昨年、電子化を思い立って再度この小説を読み直したのですが、その時に真っ先に感じたのは、3・11後の状況は、60年安保当時と似ているのではないかということでした。

日本の戦後、もっとも大衆運動が盛り上がったのは、60年安保であることは間違いありません。
当時の映像を見ると、国会前をデモ隊が取り囲み警察とも激しく衝突しています。時代は「安保以前のすべての争点は安保体制に流れ込み、安保以後のすべての争点は安保体制から流れ出た」(京谷秀夫『一九六一年冬「風流夢譚」事件』)ような状況で、60年安保は戦後民主主義を標ぼうする人びとに重大な危機と認識されていました。

日本は第二次世界大戦という多大な犠牲の上に、ようやく民主主義を手にしました。しかしながら、それはアメリカの手によってもたらされてもので、昭和天皇の戦争責任をきちんと追及し、国民自らの手によってかちとものではありません。
その意味で、実は日本は表面的には軍国主義から民主主義へと転換したものの、本質的な国家体制に変化はなかったのだと私は思います。
そして迎えた60年安保は空前の盛り上がりとなったものの、しかし最終的にはここでもまた何ら国家体制に変化をもたらさないまま収束しました。

「風流夢譚」が発表されたのは、まさにその頃でした。そして、私が二度目にこの小説を読んで思ったのは、深沢氏は、

「なんだ、安保闘争というのはその程度のものだったのか。これまで自ら革命を起こしたこともなく、民主主義も戦勝国からいただいた国民が、今回は何かしらやるのかと思って見ていたら、結局、なにも起らなかったし変わらなかったじゃないか」

という感想を持ったのではないかということでした。
したがって、深沢氏はそんな日本人への皮肉をこめて、革命にわくわくする主人公を登場させつつ、しかしそれは夢の世界のこととしたのではないでしょうか?

もちろん、これは勝手な解釈ですが、そう考えた時、3・11後の状況と50年前に書かれた小説がつながりました。

今日も深刻な汚染水漏れが報じられる福島第一原発は、2011年3月11日以後、3つの原子炉がメルトスルーして、いまも溶け落ちた燃料がどこにあるのかもわかりません。
つまりこの破局事故はまったく収束していないのであって、人類史上未経験の事態がいまこの瞬間も進行中です。
これには、さしものおとなしい国民も、脱原発の声を上げ始め、60年安保以来であろうデモが行なわれるに至りました。

ところが、それでもこの国の原子力政策は変わることはありません。
「たとえ東京電力が何度倒産しても、日本という国が破産しても贖いきれないほどの被害がすでに出ている」(京都大学原子炉実験所・小出裕章助教)にもかかわらず、原子力発電を推進してきた東京電力の会長、社長以下の経営陣、あるいは原子力ムラの人びとの誰一人として責任をとっていないのです(現首相の安倍晋三も、前回の首相時代、共産党の吉井英勝議員の質問に答えて「事故は起きない」と答弁しています)。

こんな状況の中、もし「風流夢譚」を現在に設定し直したら、、、
その舞台は皇居ではなく東京電力本社の前であって、断罪されるのはその経営者たちになるのではないか。
私はそんなふうに思ったのです。

そして、だとすると──。
50年前の深沢氏の「やっぱり何も変わらないじゃないか」という問いかけは、今なおわれわれ国民に、鋭く突きつけられているのであって、もしこれだけ破局的な原発事故を経験してもこの国が変わることができなければ、後世に多大な困難を残して何一つとして責任をとらないことになってしまいます。

本当にそれでいいのでしょうか?
小出裕章氏は「これだけの事故が起きても変わらなければ、この日本という国はダメだと思います」とおっしゃっていますが、このまままた「夢譚」に終わってしまっていいのでしょうか?
そういう思いも込めて、「風流夢譚」の電子化をした次第です。

※「風流夢譚」はAmazon以外での主な電子書店でも取り扱いしてます(koboは未対応)。


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2012/03/18

原発とアスベスト

福島第一原発の爆発時にアスベストも飛散したのではないかという説がある。

・本気で臨海部の未来を考える会BLOG
原発の水素爆発事故で、アスベストも大飛散した可能性大

・南相馬市 大山こういちのブログ
「衝撃の事実」④どこまで我々を欺くのか?!

かつての日本のアスベストの使用状況を考えれば、原発で、それもより古い型でアスベストが大量に使用されていた可能性は強いだろう。

かつて日本はアスベスト大国であった。しかも、官民一体となってその危険さを覆い隠したのである。
以下は1987年に岡庭昇氏が書いた原稿で、「この情報はこう読め!」(1989年刊行)に収録されたもの。
志木電子書籍では、このたび「この情報はこう読め」を電子書籍化したのだが、その刊行記念ということで、以下の原稿を全文掲載いたします。
一読していただければ、日本という国が、3.11を経験した今も、そしてそれ以前もまったく変わっていないことにお気づきいただけるはずだ。

**********
ああ、官民一致協力してガン王国ニッポン!
ーー社会的責任を放棄するコスト・バカ

 八七年八月二六日の朝刊各紙は、公害健康被害補償法の“改正”が、実質上決定したことを伝えている。むろん、じっさいは改悪、というよりも廃止である。関係産業全体で、公害患者に責任を示すという趣旨の法律だったのだが、それにしても経済的な側面の、それも一部だけを負担するにすぎない。こんどは、それも、やめようというのである。採算性だけに凝り固まり、倫理と無縁という点では、世界に冠たる日本の企業が、よっぽど国民に脅されたり、行政に泣きつかれたりしないかぎり、みずからまいた種で多くの人がいくら苦しもうが、誠意など示すわけがないので、虎視耽々と廃止を狙っていたにちがいない。いいなりの環境庁の方は、アメリカのEPAとは異なり、官庁の中のミソッカスみたいなものだから、独自の見識など、示し得るわけがない。かくて、大気汚染がますますひどくなる現状にあって、今後、産業公害(ほんとうは私害)による病害患者は存在しないことになってしまったのである。
 本来、議論はこう進むべきであった。すなわち、患者に多少の金を出して、他方で、生産効率のためには環境や健康の破壊を引き換えにするという、日本社会の世界に類を見ない本質──それも、ほんのちょっとのコスト高を嫌って、いくら安全な材料や方法があっても、それに変えようとはしない──の方を温存するという、“反省なき猪突猛進”を続けようとしていることが批判されるべきだ、と。ところが、それどころか、みせかけの社会的責任も、なりふりかまわず止めてしまおう、というのである。まことに、恥ずべき国ではないか。みっともないくらい、せっせと金を稼ぎ、がっぽり貯めこむことが、銭ゲバなのではない。稼ぐことを、たんにコスト切り下げと直結して考えることしかできず、環境や健康を引き換えにすることによってのみ、可能とするといった貧しさ、情けなさをこそ、銭ゲバというのである。この国が、まさにコスト・バカ鎖国社会であることを、公健法の消滅はみごとに露呈してしまった。公健法の消滅で、今後一〇年間で、企業の負担は約二〇〇〇億円減ることになる。まことに、浅ましく、露骨なことである。要するに、なんの代替案を出すでもなく、ただもう、社会的責任とやらのポーズはやめた、というのだから。じつに、世界に冠たる後進国であると、何度でもいっておかねばならない。
 そこにはまた、挙国一致体制である“行革”のインチキさ、いかがわしさが、濃厚に影を落としている。行政における無駄な出費をはぶき、出費を節約するというのが行革のタテマエであるが、現実には膨大な税金のたれ流しは温存したまま、安全や健康のための研究、管理の手間と費用を片っ端から削っているのが、行革にほかならない。たとえば国鉄が、行革と称して最初にやったのが、無人駅の増大化であった。それも西日暮里といった、通過人口の多い乗り換え駅のホームを無人化して、酔っ払いが線路に落ちたりしたら、居合わせた客が警報機を鳴らせというのである。一時が万事、すべて行革の現実はこうだ。
 行革と税金タレ流し行政が不一致であったり、矛盾するというのではない。ほんとうは、それらは相反する別々のことがらなのではなく、ひとつのものである。行革においてこそ、タレ流し体制が完成する。なぜなら前者は消費、健康、安全、倫理といった“無駄な出費”の側面を、後者のために切り捨てることにほかならないからである。すなわち、コスト主義・生産至上主義と、意図された税金タレ流し(正確には日常化した租税再分配のシステム)は表裏一体のものであり、この一体化の仕上げのために“行革”が媒介する。生産と引き換えに身体を犠牲にするガン王国ニッポンは、さらにこの事態において完成するのである。
 社会的な配慮やモラルにおいて世界最低の国が、ますます銭儲けだけに専念し、力で賃金を押えこんだのに続き、こんどはひたすら環境や健康を破壊して、コスト・ダウンのみを計ろうとする。そういう時代の、幕開きを象徴するのが、行革にほかならなかった。行政を、その日本的な本来の構造に純化して、幹は企業のための租税収奪、枝葉は、日々の対企業サービスに専念しようということだ。また、行革という名の、かかる犯罪をおおっぴらに行っておいて、環境破壊の責任のために金を出せと、企業に要請する根拠もあるまい。たしかに、公健法は、一三年前、四日市公害判決をきっかけに制定されたものであり、大気汚染の原因は、当時の硫黄酸化物から多様化したかもしれないが、それはますます事態が深刻化したということであって、それも、明らかに企業のコスト主義の、野蛮な結果にほかならないのだ。
 アスベストが、最近、急に話題になりはじめた。アスベスト、すなわち石綿である。話題になりはじめた、と厭味な正確さで書いたのは、いくら情報量が増えても、決して“問題”にされているわけではないからである。日本という国は、生産に都合がいいが、健康に害があるものについては、徹底的に事実をおし隠して、生産に便宜を計る。隠し切れなくなったときは、それを“話題”にして、本質を韜晦させ、やがて、なし崩しにしていくのである。いつものこの手口は、アスベスト問題においても健在(!)のようだ。今回も、取材を続けていくうちに、官民一体のこのなし崩し体質に、ほとほと愛想が尽きた。
 アスベストは、発ガン物質である。目に見えないほど小さなトゲになって、人体に入り込み、長年、肺に蓄積されて、やがて肺ガンの原因になる。これほど確実に、因果関係が突きとめられている発ガン物質も、めずらしいといわれる。危険きわまりない物質である。もはや、数年前から、アメリカでは大問題になり、厳重な規制がなされているというのに、世界最大の使用国日本では、なんとまったく野放しで、まったく規制値さえないというのだ。
 アスベストが、建材をはじめ、日本のいたるところで使われているのは、防火・防音機能に勝れているという理由もあるが、何よりも安いからである。とっくに危険性はわかっていたのに、コストを理由に、大量に、かつ無造作なやり方で使用されてきた。知っていながら、情報機関は、誰かが指摘するまでは、パニックを防ぐという大義名分のもと、何も報道しなかった。ここらが、いかにもニッポン的な風景である。
 武道館の天井はアスベストだらけで、最後列の座席は、客に届きそうな低さまで、はがれたアスベストが垂れ下がっているのは、よく知られた事実である。また、日比谷図書館の天井もそうだし、東大工学部では、抵抗のためか、マスクをして授業に出る学生が出てきた。が、何も、とりたてて、これらの例をあげるまでもなく、たいがいの場合、アスベストと縁がなく暮らしている日本人などは、存在しえないのである。先日、いろいろな住宅メーカーの、パンフレットを取り寄せてみたが、どこにも、例外なく“彩色アスベスト使用”と、堂々と断ってあった。安い素材だからという理由で、あらゆるビルや住宅、ボイラー、船舶、ドライヤー、白粉、車のブレーキ、蚊取り線香の蓋のウラ、ベビーパウダーなど、膨大に使用してきたこの国は、同じ理由で、アスベスト関連産業、またアスベストが大量に使われている職場で働く労働者、それ以上にアスベスト材で作られた、建築物とり壊し作業に従事する人々の、健康管理などは、まったく無視してきたのである。
 軍艦は断熱のため、膨大なアスベストを使用する。横須賀の米軍基地で働く日本人労働者は、寄港する軍艦の壁などから、アスベストをはがす仕事をさせられてきた。アメリカは、厳重な健康基準を持っているから、防護服などの使用を義務づけているが、日本人労働者は裸でその作業に従事してきた。まともにアスベストを吸い込んできたのである。その結果、横須賀労災病院における肺ガンの発生率は、他の六倍にもなっているのだ。
 なかでも、緊急の課題は小・中学校だろう。子供たちが、アスベストの降る下で授業を受けている国なんて、まったく日本くらいのものである。かつてアメリカでは、生徒・父兄の側が登校拒否で戦ったが、日本では、改造が間に合わないから、ともかく夏休みあけは、危険であろうとおかまいなしに学校に出ろと、いっている。健康より出席が大事だ、というこの国の“義務教育”の観念なのであり、親の側も不思議に思ったり、不安になったりしないらしいのだ。騒音対策のため、基地の学校は、すべてアスベストを大量に使用しているが、その他でも、じつに例が多い。まず、たいがいの場合は該当すると思っていい。
 わたしが怒りを覚えるのは、コストのためにのみ危険な発ガン物質を用い、そのことを隠してきた、使用、放置、情報等のすべてにわたる官民一致体制がここにきて、隠しおおせなくなっても、なおその論理に執着し、取り壊しや、改造のプロセスにおいて、あたりにアスベストの粉塵を撒き散らし、新たな公害を平然と作り出している点だ。犯罪的なコスト主義の後始末についてさえ、やむをえずポーズをとっているだけなのであり、しかも後始末にまでコスト主義を貫いて、手抜きの極みゆえの、公害を増やしている。さらにいえば、いま、アスベスト対策のニュースが急に盛り上がってきたように見えるのは、きちんとしたやり方──まことにコスト至上主義を自己否定し、身体保護の観点から生産の方を振りかえる姿勢からしか、正しい事後処理も生まれない──で処理を、全面的、かつ厳重にやらねばならなくなったら金がかがるため、駆け込みで糊塗しようとしているからなのだ。だから、やり方自体が公害を作り出しているのであり、現場はどこも、完全な秘密主義で、絶対に取材に応じない。法律ができてからでは金がかかるから、作業員にとっても、まわりの住民にとっても、危険極まりない処理工事がひそかに夏休みに行われ、行政はいつもそうであるように、あらかじめ猶予期間をわざわざ設けてやり、その上で、駆け込み工事の危険さに対して、しらんふりをしている。もとより、彼らは官民こぞってグルなのだ。(1987年8月)
**********

Johoi

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2012/01/28

志木電子書籍からの新刊情報 ~ 「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」発売!

株式会社志木電子書籍(代表は当ブログ管理人)からの新刊情報です。

タイトル:『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇
価格: 500円(税込)

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ボイジャーストア『テレビ帝国の教科書』

(※まずはボイジャーストアでの販売が先行しますが、近日中に紀伊国屋やソニーリーダーストアなど左にある「電子書店リンク」の書店でも販売いたします<発売日は決定次第発表>。さらに取り扱い電子書店も来月初めから増えます。)

岡庭昇氏の著作としては、弊社では2冊目の電子化となります。
まずは目次のご紹介。

二〇一二年──電子書籍版への序文

はじめに──メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する

  1 ロス疑惑とテレビの新時代

    “疑惑”という名の公開処刑イベント
  2 かい人21面相と事件の“顔”
     仮説・グリコ‥森永不連続説
  3 倉田まり子と国家のスキャンダル
    “コト”が“ヒト”にすりかわる
  4 山口組と劇場犯罪
     あらゆるスキャンダルはイベントとなる

Ⅱ テレビは空気のような罠である
  1 体験的“抗議電話”
     それはリアクションとしてのアクションである
  2 安心は既視感のなかに
     メディアに出るのはエライ人、か?
  3 テレビは“市民”のパスポート
     永遠に停滞するわれらの至福の共同体

Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
  1 われらの“現実”は仮装する
     メディアの権力を解剖する
  2 一枚の写真とイメージの罠
     感性の支配が確立するとき
  3 スキャンダルのケインズ理論
     広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
  4“像”は君臨する
     露出する人々は権力を得る

Ⅳ 逆説のカラクリが情報を戦略する
  1 情報帝国主義の完成
     統制がリーグとなり、リーグが統制となる
  2 真のスキャンダルは逃亡する
     タレント・スターという機能
  3 メディア・ファシズムヘの逆転技
     官能を研ぎすませよ!

あとがき

1985年に刊行された本なので、出てくる事件は古いですが、しかし、書かれている内容はまったく古くありません。
それどころか、現在起きている福島第一原発の破局事故をめぐるさまざまな情報、あるいは政治、とくに小沢一郎の「陸山会事件」についての情報など、マスメディアがながすあらゆるニュースについて、これまでとはまったく異なる視点を読者のみなさんは持つことができると思います。

私はかつて、田中角栄という政治家は大変に悪い、金権政治家だと思っていました。
だから、東京地検特捜部によって田中角栄が逮捕され、総理の犯罪として裁かれたことに喝采を送ったものでした。
しかし、この「総理の犯罪」と命名された戦後最大の“疑獄事件”を徹底的に見直す必要があると今は思っています。
岡庭氏は文中でこんなことを書いています。

《ヨーロッパをひとつの妖怪が徘徊する、共産主義という名の妖怪が》と若きマルクスは誇らかに書きつけた。いま、ずっとネガティブな意味であるが、市民社会を一つの妖怪が徘徊する、既視感(デジヤ・ヴユ)の他者であるところの“像”という名の妖怪が、とわたしは書きとめておかなければならない。

 高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成とは、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や戒律や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは法や規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。

 このメディア・ファシズム状況の中核にあるものが“像”である。メディア批判は、報道の右傾化を憂うといったおなじみのスタイルにおいてではなく、メディアそのもののホンシツをつかない限り成り立たない。そのとき、メディアの支配力の源泉である“像”のトリックこそが、批判的な課題として考察されるべきである。

“像”とは、読んで字のごとく“像”である。たとえば山口百恵、田中角栄、三浦和義という名前から、われわれがおおむね共通に浮かべるイメージが“像”である。モモエにも、角栄氏にも、三浦サンにもさまざまな表情やシチュエーションがあるのだが、われわれはただひとつの“像”を条件反射するのだ。それは記号化された顔である。同時に意味が記号化している。彼らは既視感(デジヤ・ヴユ)のかたまりであり、それゆえ他者総体を代行している。つまり彼らが記号化されることは、現実そのものを記号化するということなのだ。そのことによって、われわれは空気の制度をみずからの手で完成しているといわねばならない。

 現実が“像”におきかえられる。同時に“像”もそのままたれ流されるだけでは“条件反射”を保証されないから、さまざまに“像”のころがし方が発達する。たとえば角栄さんに顕著だったような、“像ころがし”だ。三浦印や角栄印の場合のように“像ころがし”はますますテレビの支配機能を尖鋭にした。それに“像”をひきしめるスパイスの投入がある。スキャンダルの使用である。そんな風にして、現実と“像”をすりかえるメディア力学は、ますます盛大に栄えている。

 しかし、現実を記号に変え、他人の生き死にをイベントにすりかえるメディアと共犯に立つことで、市民たちはいずれ手ひどいしっぺ返しをうけるだろう。GNPぼけして忘れているが、半世紀前の日本人たちは、いよいよ自分が死地にひっぱられるまで、祖国ニッポンが自分たちの檻であるなどとは夢思わず、さまざまな国家製の物語や記号を娯楽していたのである。

↓こちらでは「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」もお読みいただけます。 
志木電子書籍からのお知らせ ~ 「テレビ帝国の教科書」がボイジャーストアより発売されました!

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2011/12/31

2011年の○と×

今年は人生49年でもっともひどい年であった。
ということで2011年の○と×、というよりも×と○。

最大の×はもちろん東京電力福島第一原発の破局事故。
私は当ブログで、原子力発電所が破局事故を起こす可能性は十分にあり、しかも電力会社ほどデタラメなものはないということを再三、書いてきた。
たとえば↓

・北朝鮮についての続き

・予定調和国家

・北朝鮮よりタチの悪い会社

・不敬企業、不敬メディア

しかし、それにしても、ここまでの事態(原発3機がメルトスルー、さらに使用済み核燃料のつまったプールのある建屋がボロボロ)が起きると、驚愕、慄然とするより他はなかった。
しかもさらに驚くべきことは、ことここに至っても、マスメディアはほとんどまともな真実を伝えないことである。
私はいまでも事故直後の春先、テレビに流れた東京電力のお詫び広告についてこだわっている。
あの時の広告の実施料金はいくらだったのか?
東京電力はダンピングが激しい広告業界にあって、間違いなく正規料金を支払うクライアントである(なにしろ総括原価方式だから、広告料金の値引き交渉などする必要がない)。その東電が、あのお詫び広告で正規料金をメディアに支払ったとしたら、それは福島県民の補償よりもメディア対策を優先したことを意味する(もちろん広告代理店にもマージンがガッポリ入る)。
そして、調べる手立てはないけれども、3.11後のメディアの状況(とくにテレビ)を見ると、相当に高い確率で正規料金での取引がなされたのだと私は思う(金平茂紀なんぞは、まず自社の広告局へ行って、お詫び広告の料金を調べるべきだろう。なにしろ自分自身の給料の中に東電からのカネが入っている可能性があるのだから)。

・原発広告とメディアの関係(2011年3月2日記)

・広告不況がもたらすマスメディアのもう一つの劣化(2011年2月7日記)

東京電力とマスメディアに最大の×。

Small
『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』
※紀伊国屋BookWebやソニーリーダストアなどへは左のリンクから。

同じく野田政権に最大の×。
私はかねて、少しの例外をのぞいて、「新政権は最悪を更新する」と思っているのだけれども、まあ野田政権はもちろん例外ではない。
しかし、この政権こそ独裁権力としての霞が関にとっては予定通りにできたもだろう。
思うに、ある時期から霞が関は自民党政権の存続を諦め、いずれ政権交代が起きることを視野に入れた。
しかし、ここで小沢一郎に政権を取られてはなんとしても困る。そこで、小沢一郎の“政治とカネ”のスキャンダルを捏造して、次期総理大臣が約束されていた小沢を民主党代表の座から引きずり下ろした。
ここで私は思うのだが、もし小沢が政権交代時にそのまま総理大臣となっていたら、今とはずいぶんと異なった世の中になっていただろう。そして、間違いなく東日本大震災、そして福島原発破局事故に対する対応も違ったものになっていたと思う。
その意味で、あの時に小沢スキャンダルを仕掛けた連中は万死に値する。
ということで検察と検察審査会に最大の×。

以上、こうして見ていくと2011年に起きた不祥事、不幸は、すべて日本のこれまでの権力機構の腐敗に由来していることがわかる。
ところが、依然としてこの体制は続いているのである。そして、そうである限り、私は第二の破局(「野田破局」)が来ると予想している。
なにしろ、放射能による災害は今でも続いているのであって、しかも広まっている。
「来年はいい年にしましょう」とは年末の決まり文句だが、残念ながら核による災害というのはわれわれの人智に及ぶところではなく、これから年を追うごとに状況は悪くなるだろう。

悪い話はこれぐらいにして、あとはサラッと。

ネットメディア、自由報道協会に○。
東京電力の会見を中継し続けた岩上安身氏のIWJは、絶望的なマスメディアと真逆の可能性をますます広げている。

東京新聞に○。2年ぶりぐらいで新聞購読を再開。「こちら特報部」は素晴らしい。

facebookに○。複数の小学校時代の友人を発見。

「久米宏ラジオなんですけど」と「伊集院光 深夜の馬鹿力」に○。
この二つの番組は相変わらず愛聴しているが、とくにラジオにおける久米宏の存在感は圧倒的。番組の企画力も素晴らしい。ちなみにこの二つの番組は同じプロデューサー。

しかしながら、総じてTBSラジオに×。
私は長らくTBSラジオがメインのリスナーだったが、上記の番組以外はもうあまり聴かない(永六輔さんの番組と「宮川賢バカバカ行進曲」「安住紳一郎の日曜天国」は聴くが)。TBSは伊集院に土下座して、日曜の午後に戻ってきてもらったほうがいいです。

逆に文化放送に○。
吉田照美の番組はとくにイイ! その他の番組もなかなかよく、平日につけるラジオはすっかり文化放送になってしまった。

立川談志師匠の訃報に×。しかして落語界のますますの活況に○。
個人的には今年は柳亭市馬を聴いた一年。
その市馬の年末の「年忘れ市馬落語集」に○。
この会に出演していた春風亭一之輔と桃月庵白酒に○。

中日のセ・リーグ優勝に○。そして落合監督の退任に×。
ま、来年のプロ野球はもう巨人で鉄板でしょう。

浦和レッズに×。来年は少しはよくなるかな。

最後に母校のサッカー部に○。
最近、スポーツはすべてダメダメなわが母校。ところが、サッカー部が関東大学リーグで初優勝。
大学選手権(インカレ)も決勝へ。
攻撃的で華麗なパスサッカーで、是非とも初出場、初優勝を!


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2011/12/14

志木電子書籍からのお知らせ〜 「マガジン航」に「幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由」を寄稿しました

以下は志木電子書籍としでのお知らせです。
「マガジン航」のサイトに「幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由」というタイトルで寄稿しました。見出しは、

・電子書籍のラインナップに感じた“すき間”
・3.11後にブログの電子書籍化に着手
・「風流夢譚」と現在の日本を結ぶ線

となっています。最後の項目については、「風流夢譚」と原発、東電について感じたことを書いてみました。
是非、ご一読いただければ幸いです。

・マガジン航
幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由

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2011/11/12

志木電子書籍より「風流夢譚」発売のお知らせ

以下は志木電子書籍としてのお知らせです。

昨日、深沢七郎著「風流夢譚」を発売しました。

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書誌情報
書名:風流夢譚
著者:深沢七郎
定価:330円

ボイジャーストア

この短編小説は1960年12月号の「中央公論」に掲載されて以降、海賊版をのぞけば活字化はされておりません。
それは、当時、この小説の皇室表現がきっかけとなり、嶋中事件(当時の中央公論社社長宅でお手伝いの女性が殺され、また社長夫人も大ケガをした事件)が起きるに至ったからです。
今回、志木電子書籍では、この短編小説を電子化いたしました。

東日本大震災による甚大な被害からの復興もなお道が険しく、しかも東京電力福島第一原子力発電所で破局事故が起き、三機の原子炉がメルトスルーし、甚大な放射能による被害が出ているにもかかわらず、被災地以外では表向き、これまでと変わらぬ日々が続く現在の日本。
そうしたなかで、この小説がいかに読まれるのでしょうか?
以下は、この小説の一部分です。

*****
 その夢は私が井の頭線の渋谷行に乗っているところからだった。朝のラッシュアワーらしく乗客は満員だった。客達はなんとなく騒いでいて「今、都内の中心地は暴動が起っている」とラジオのニュースで聞いたとかと話しあっていて、私の耳にも聞えていて、私もそれを承知しているのだった。渋谷の駅で降りて私は八重洲口行のバスに乗ろうとするのだが、何の用事で私は八重洲口に行くのか知らないのだ。これは、夢というものはそんなことまで考えてはいないものだ。バス乗り場の大盛堂書店の前へ行くと、バスを待っている人がずーっと道玄坂の上まで並んでいてしまいはどこだかわからないのである。どうしたことか私はその一番先頭へ立ってしまったのだった。私が変だと思うのはこんな秩序を乱すようなことをふだん私はしないのに、そんなことをして、また、まわりの人達も文句を言わないのはどうしたことだろう。そこで私は立っている間にまわりで騒いでいる話を聞いていると、都内に暴動が起っているのではなく、革命の様なことが始っているらしいのだ。
「革命ですか、左慾(サヨク)の人だちの?」
 と隣りの人に聞くと、
「革命じゃないよ、政府を倒して、もっとよい日本を作らなきゃダメだよ」
 と言うのである。日本という言葉が私は嫌いで、一寸、癪にさわったので、
「いやだよ、ニホンなんて国は」
 と言った。
*****

なお、志木電子書籍では、「風流夢譚」を巡って起きた事件について書かれた本も電子化しております。

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書誌情報
書名:一九六一年冬「風流夢譚」事件
著者:京谷秀夫
定価:350円

ボイジャーストア

また、12月には中村智子著「『風流夢譚』事件以後 編集者の自分史」もリリースいたします。
この二冊の著者は、いずれも1960年当時、中央公論に在籍した当事者の編集者です。

なお、現在、志木電子書籍の刊行物はボイジャーストアのみでの扱いとなっておりますが、12月より、紀伊国屋BookWeb Plus、ReaderStore、dマーケット、他さまざまな書店での販売を開始し、それに伴い、ソニーリーダー、アンドロイドスマートフォン、GALAPAGOSなどでも閲読が可能となります。

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2011/10/13

首都圏の放射能被害はどんどん深刻化する ~ 『原発事故……その時、あなたは!』より

横浜市港北区でストロンチウムが、そして世田谷区弦巻の民家脇で毎時2.7マイクロシーベルトという放射線量が測定された。
すでにニュースで流れているように、後者は福島県内の計画的避難区域並みの線量である。
史上最悪の原子力災害が現在も進行中であるにもかかわらず、荒川に現れたアザラシの追っかけに夢中だったマスメディアも、さすがにこれはニュースは報じないわけにはいかないようだ(ちなみに私は、このアザラシ騒動もまた最高度の情報操作の一つだと考えている)。

とはいえ、その報道ぶりはまだまだ私には腰が引けているように見える。
基本的に国家権力(もちろんその中には東京電力も含まれる)は、福島第一原発事故について一刻も早く幕引きをしたがっている(正確には「幕引きをしたことにしたがっている」)。ゆえに、マスメディアを使ってあたかも事故は収束に向かっているかのような幻想をバラマキ(「冷温停止」に近づいているなどという発表は、その最たるものだろう)、必死で国民を洗脳しているわけだ。
それは現状、相当程度成功しており、実は多くの国民にとって原発事故は過去のものになりつつある(もちろん、そこには「嫌な情報は見たくない」という究極のニヒリズムも介在しているだろうが)。

しかし、現実にはいよいよもって事態は悪い方向へ進んでおり、もちろん首都圏へのさらなる影響も不可避だ。
そこで、以下にある図表ご紹介しよう。
これは本年3月に当ブログでも何回か紹介した瀬尾健著『原発事故……その時、あなたは!』という本のなかに掲載されている図である。
福島第一原発事故後、おびただしい数の原発本が発売されたのに対し、本書の刊行は1995年と古い。
著者の瀬尾氏は京都大学原子炉実験所の助手だったが、本書が刊行される前年に逝去されている。その瀬尾氏が書き残した遺稿をまとめたのが本書で、同僚だった小出裕章氏が内容の確認をしている(だから私は「小出裕章」という名前はこの時から知っていたが、顔と名前が一致したのは今年の3月だった)。
さて、この本の冒頭では、全国16の原発基地と、もんじゅ、さらに核燃料輸送中の事故について、破局的事故が発生した場合の災害規模の計算が行なわれている。
ちなみに、各原発基地には複数の原発があるが、本書ではその中で最大出力の原発一基が計算の対象とされている。したがって福島第一原発の場合で言えば、対象となっているのは6号炉である。
その計算結果が下記の図なわけだが、現実に起きた破局事故は1号炉~3号炉の破局事故であって、そのスケールは本書の計算よりもさらに大きい。
また、今回の事故はチェルノブイリのように最初からドカンといく爆発的なものではなかったので、本書が指摘するように急性の死者は出ていないが、東京電力が最初の時点で全面撤退を主張したのは、そのようなケースもあり得ることを十分に知っていたからだろうと個人的には推察している。
ということで、以下の図をご覧いただきたい。

【書誌情報】
書名:『原発事故……その時、あなたは!』
著者:瀬尾健
出版社:風媒社(http://www.fubaisha.com/
初版情報:1995年6月10日 第1刷
底本情報:1995年8月15日 第2刷
ISBN-4-8331-1038-5

「原発事故…その時あなたは」~福島事故

※左下の「view in fullscreen」のボタンをクリックすると拡大します。

ちなみに緩い避難基準とは、「緩く見積もった場合」であり、厳しい避難基準とは「厳しく見積もった場合」ということになる。福島第一6号炉の場合、緩い避難基準は関東では茨城県、栃木県までであるが、実際には群馬県や千葉県、埼玉県にも汚染地帯があり、東京にもホットスポットが及んでいることを考えると、事態はより一層深刻だということがわかる。

本書では炉心溶融事故についてのシナリオが紹介されている。このシナリオは第一期から第七期にまで分かれており、順に[第一期 ブロウダウン]→[第二期 炉心温度上昇:崩壊熱のみ]→[第三期 炉心温度上昇:崩壊熱とジルコニウム・水蒸気反応]→[第四期 炉心崩壊]→[第五期 原子炉容器の熔融貫通]→[第六期 格納容器底部の加熱]→[第七期 格納容器底の熔融貫通]となっている。
そして第七期では「灼熱の熔融体はコンクリートも鉄の構造材をも熔かしてひたすら沈降していくだろう」「格納容器底部が貫通すると、熔融体は地中に出てしまう。」「地中に潜り込んでいく熔融体は、なおも七〇〇〇~二万キロワットの発熱を維持しているから、土を分解してひたすら下へ下へと沈降していくと思われる」と書かれており、そこでこのシナリオは終了している。いま現実に起きているのは、この第七期である。
いったい、この事態をどのように捉えて行動すべきか。
もはや、、、
一人ひとりがマスメディアを通じた政府や東電の発表(それはほとんどがウソである)に惑わされることなく、本やネットから知識と情報を得て、自分の頭で判断するしかないと私は思う。

※それにしても世田谷区の区長が保坂展人氏であったのは幸いだった。今回の事例から痛感するのは、たとえ区長選(あるいは市長選)と言えども軽視してはいけないということだ。

↓は世田谷の2.7マイクロシーベルト、横浜のストロンチウムについて語る小出裕章氏。

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2011/10/08

電子書籍 新刊案内 〜『光文社争議団』

このたび、志木電子書籍では、『光文社争議団』を発売した。

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・光文社争議団 ~ 出版帝国の“無頼派”たち、2414日の記録

これは、私が昨年まで25年間勤務していた光文社で1970年に起きた労働争議の記録である。
解決までに6年半を要したこの争議は、かつての出版界ではちょっと知られた大争議だった。
私が光文社に入社したのは、争議終了から十年ほどしてからであったが、しかし当時はまだなんとなくその余韻が残っていた。
もっとも、それを私が感じることができたのは、配属先がカッパ・ブックスだったことも大きいかもしれない。光文社には第一組合(争議を起こした元々の組合)と争議時に分裂した第二組合(当然、労使協調)があり、カッパ・ブックスグループには、第一組合の人も少なからずいたからだ。
春闘になれば第一組合はそれなりの活動をして、役員室の前で座り込みをしたり、社内には組合のビラがペタペタと貼られていた。
しかし、組合員が高齢化し、定年者が続出するとともにその勢いは衰えていった。
一方、第二組合の執行委員長や書記長ポストは、出世コースを意味していた(もちろん全員が全員ではないが)。
たとえば、ある年の春闘のこと。執行委員会から妥結提案が出て、それに対する反対意見がいくつか出ると、執行委員長は「会社側の代弁をするわけではありませんが、、、」と前置きをして、えんえんと会社側の代弁をした。その委員長は、やがて総務部長(非組合員)になり役員となった……。
もちろん、だから悪いというわけではない。会社の経営がいい時代はそれで問題はなかった。
しかし、会社の経営がおかしくなりはじめた時、やはりその歪みが出てきた。

1970年の争議の原因は、当時の社長・神吉(かんき)晴夫(カッパ・ブックスの創刊者)のワンマン経営にあった。そして、それから四十年後に起きた経営危機の際も、やはり一人のワンマン経営者がいた。そのワンマン経営者は、第二組合誕生時の執行委員に名を連ねている人だった。
1970年当時、組合はワンマン経営者の経営責任を徹底的に追及し、退陣要求を突き付けた。それが原因のすべてではないが、結果として社長のみならず役員全員が退任した。
四十年後、御用組合と言われた第二組合の組合大会で、やはりワンマン経営者(当時は会長だった)に対して退陣を要求するべきだという声が上がり、議論の末に採決され、可決された(細かい経緯は忘れたが)。この時の第二組合は、かつての御用組合とは異なり、そこそこ真っ当な労働組合であった。つまりそれだけ組合員の危機感が強かったわけだが、しかし、それでも結果として会長以下の経営陣の経営責任はついに追及しきれないままにリストラだけが行なわれた。彼らは逃げ切ってしまったのである。
残念なことに、四十年を経て、労働側は連勝することができなかった。

『光文社争議団』に話を戻すと、この本はいろいろな読み方ができると思う。
たとえば、昨年、出版界の話題をさらった、たぬきち氏の「リストラなう!」の前史としても読める。出版業界やそれをとりまく書店、取次、印刷会社、そして広告業界の方にとっては、光文社という会社の興味深い一つの歴史を知ることになるだろう。ひょっとすると、本文中に知っている人の名前をいくつか発見するかもしれない。
以上は業界的な読み方だが、しかし本書にはもう一つの読み方があると思う。
光文社争議において、会社は親会社である総資本=講談社の命令一下、警察、暴力団と一体になって労働者に襲いかかってきた。多くの血が流され、不当逮捕者も続出した。こうした厳しい弾圧の末、それでも闘い続けた先に勝利はあった(支援労働者との連帯も重要なポイントになった)。
いま、日本では東京電力福島第一原発の事故がますます深刻化しているにもかかわらず、霞が関、電力会社を中心とした財界、政治、マスメディアの連合体は国民に対してウソをつきまくって国民を弾圧している。しかし、この暴挙を許していては、断じて日本に復興はない。では、この巨大な敵にどのように闘い挑むのか。
本書にはそのヒントがあると思うのである。

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2011/10/05

731部隊と山下俊一

以下に書くことは、すでにネットでは少なからぬ人が指摘していたが、私は迂闊にも気づいていなかったーー。

まずは信濃毎日新聞のこちらのニュースから。

*****
・10人の甲状腺機能に変化 福島の子130人健康調査
認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信大病院(ともに松本市)が、福島県内の子ども130人を対象に今夏行った健康調査で、10人(7・7%)の甲状腺機能に変化がみられ、経過観察が必要と診断されたことが3日、分かった。福島第1原発事故との関連性は明確ではない。旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の被災地では事故から数年後に小児甲状腺がんが急増しており、JCFは今後も継続的に検査が受けられるよう支援していく方針だ。
 調査は原発事故から逃れて茅野市に短期滞在していた子どものうち希望者を対象に7月28日、8月4、18、25日に実施。130人は73家族で生後6カ月~16歳(平均年齢7・2歳)。医師の問診と血液検査、尿検査を受けた。
→記事の続きはこちら
*****

このニュースは私が読んでいるいくつかのブログでも取り上げられていたし、また小出裕章氏も以下の放送のなかで、この検査結果を問われて感想を述べている(6分過ぎから)。

しかしながら、肝心の福島県は県民の血液検査をすることに、まったく積極でないという。そして、その中心にいるのが山下俊一である。

・低気温のエクスタシーbyはなゆー
〔子供の甲状腺悪化〕福島県は楽観論一色「血液検査やらない」

私が上記のエントリーを読んで強く思ったのは、これではまるで福島県の人々を人体実験しているようなものではないかということだった(もちろん、そういう意見は以前からあったが)。そして、そこに第二次大戦中の旧陸軍満州第七三一部隊(通称731部隊、あるいは石井部隊)と共通する感覚を感じたのである(731部隊については、ネット上で検索をすればいくらでも出てくるので、詳しくご存知ない方は調べてみていただきたいが、要するにこの部隊は中国人、ロシア人、朝鮮人、、、他多くの国の捕虜に対してまったくもって非人道的、かつ大々的な人体実験を行った。そして人体実験を行う際、捕虜は「マルタ(丸太)」と呼ばれた)。

・真実を知りたい
石井部隊-”マルタ”生体実験

しかも、この731部隊の人脈というのは戦後も少なからず生き残り、多くの機関、組織へと入り込んで戦後史の都度都度で顔を出す(その一つが薬害エイズ事件である)。

・誰も通らない裏道
偽装、ミドリ十字、、、(1)
偽装、ミドリ十字、、、(2)

山下俊一に話を戻すと、この男が福島でやろうとしていることは、繰り返しになるが731部隊がやった行為と非常に似ている。そこでためしにネットでいくつかのワードを入れて検索をかけてみた。すると、山下俊一は重松逸造なる人物の直弟子だということがわかった。
この重松逸造とは何者かというと、放射線影響研究所(放影研)の理事長をつとめた経歴があり、1991年にチェルノブイリ事故への安全宣言を出した人物であった(参考:ウィキペデア・重松逸造)。

・ざまあみやがれい!
1991年「チェルノブイリ安全宣言」発表した重松逸造氏(IAEA事故調査委員長)を糾弾したドキュメンタリー動画(一部文字おこし)

では、さらに放影研とはどのような組織か? ホームページの沿革にはこう書いてある。

「財団法人放射線影響研究所(放影研)は、日本国民法に基づき、日本の外務省および厚生省が所管し、また日米両国政府が共同で管理運営する公益法人として1975年4月1日に発足しました。
前身は1947年に米国原子力委員会の資金によって米国学士院(NAS)が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)であり、翌年には厚生省国立予防衛生研究所(予研)が参加して、共同で大規模な被爆者の健康調査に着手しました。(以下略)」(下線太字はブログ主によるもの)

ABCC-放影研の歴史

また、↓の資料の19ページも参照していただきたい。

「放影研ニューズレター」

ここには、こう書いてある。

「放影研の研究成果は、放影研の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究成果と深く結びついています。ABCCは1947年に設立されましたが、当時は財政・運営ともにほとんどが米国によるものでした。日本側は主に、厚生省国立予防衛生研究所(予研)の人材を、広島・長崎のABCC内に設置された予研の支所に派遣することを通じてABCCにかかわることとなり、広島と長崎の予研支所長であった槙 弘博士と永井 勇博士は、ABCCの準所長も兼任することでABCCの方針決定に関与していました。」(下線太字はブログ主によるもの)

なるほど、これでわかった。
この国立予防衛生研究所(通称・予研。現在は国立感染症研究所)こそは厚生省の関連施設で、731部隊で生き残った人脈が深く入り込んでいる組織である
(ちなみに、今年に入ってからも↓のようなニュースがあった)

・47ニュース
新宿区戸山の人骨」発掘開始 731部隊との関連指摘も

つまり、山下俊一の経歴を少し手繰れば、即座に731部隊の人脈に突き当たるのだ。そして、その731部隊こそはありとあらる人体実験をやった悪魔の組織であった。
その組織の系譜に連なる人物が今、福島で壮大な人体実験をしようと張り切っている。
まさに「悪魔の飽食」の復活である。
私はその事実に、この国の底知れぬ闇の深さを見て慄然とした。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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戦後日本の思想

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2011/10/01

プルトニウム検出報道 ~ かくも横並びなメディア

*****
 「情報を貰う」ことが、「貰った情報であることの確認」を抜かして、公認された情報を成立させるなら、それはそのままで、すでに言論操作であると言わなければならない。記事の質に対する評価以前に、基本的なありかたにおいて操作された言論なのである。
 記者クラブとは、基本的に取材をしないところである。断っておくが、もとより「情報を貰う」相手である官庁に接することは、ほんらい「取材」の範囲に入らない。入り得るとすれば、「官庁がそう発表した」というだけの「事実の」確認としてであり、そもそも「事実」はそこではそれだけのものに限定される、という問題意識を前提にする。取材とは、ほんらい自己責任であり、自前である行為なのだ。
 したがって、記者クラブ情報に基本的に依存して成り立つ限り、はなはだ逆説的な事態が現実となる。すなわち、報道とは、つまり取材を前提としない情報なのだ。報道に関する予断や概念はどうであれ、実際にはそれが現実なのである。

岡庭昇著 『かくもさまざまな言論操作』より
*****

福島県飯舘村などの土壌からプルトニウムが検出されたという。
では、メディアはこれをどう伝えているか?

・47ニュース
「プルトニウムは半減期が極めて長く、呼吸などで体内に入ると強い発がん性を帯びる。文科省は「ごく微量で、人体に影響を及ぼすような値ではない」としている。」

・NHK
「文部科学省によりますと、今回検出されたプルトニウムの濃度はいずれも低く、これらのプルトニウムによる被ばく量は非常に小さいとしています。」

・日本テレビ
「プルトニウムは半減期が長く、吸い込むと長期にわたって内部被ばくの危険性がある。しかし、今回の検出量は、過去の核実験の影響とみられるプルトニウムの量を超えるものではなく、健康への影響はないという。」

・朝日
「文科省は「プルトニウムやストロンチウムの沈着量はセシウムに比べ非常に小さい。今後の被曝の影響評価や除染対策はセシウムに着目するのが適切」としている。」

・読売
「プルトニウムは、福島県双葉町、浪江町と飯舘村の計6か所の土壌から検出され、国の調査では初めて原発敷地外から見つかった。同省は、「プルトニウム、ストロンチウムによる被曝線量は非常に小さいため、除染対策はセシウムに着目していくのが適切」と話している。」

・FNN
「今回検出されたプルトニウムの最大濃度は、原発からおよそ30km離れた浪江町で、1平方メートルあたり4.0ベクレル(Bq)。
さらに双葉町や飯舘村などの土壌からもプルトニウムが検出され、原発事故に由来するものとみられている。
文部科学省は、いずれも低い濃度で、被ばく量も微量としている。」

以上、各社の報道を見ての感想。
「福島第一原発の敷地外からプルトニウムが発見されたが、大したことはない」と文科省が発表したことはわかった。
問題は、その発表が真実なのかどうか? それを検証するのがジャーナリズムの仕事ではないのかね?
頂いた情報をそのまま「文科省が〇〇〇〇〇と言ってました」と垂れ流すだけだったら、それはアホでもできるんじゃないかね?
とまあ、噛みついてもムダなことはわかっている。そんな抜けがけをやってはいけないのが、記者クラブメディアなのだから。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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