2012/04/01

ネットに掲載された「震災瓦礫PR記事」を考える
〜 【補足】広告とジャーナルは別のもの
(はてなのセールスシートを読む)

前エントリーで書いた「環境省が推進するがれき広域処理の意味――前編:大量のがれき」というはてなブックマークニュースに掲載された「PR記事」は、ライターが津田大介氏であったため、ネット上で少しばかり物議を醸したようだ。そのせいもあってか、昨日の当ブログのアクセス数は通常より多めに推移した。
そこで、私としては前エントリーに少々補足しておきたいと思う。

まず指摘しておきたいのは、はてなが普段からこのブックマークニュースの枠で広告タイアップ企画をセールスしていること。

株式会社はてな タイアップ事例集
(※はてなが公開しているこの事例集は、もっとページ数が多いのですが、ココログにアップできるPDFのファイルサイズが1Mまでなので、その範囲内になるようページを削除しています。すべてを見たい方は→こちらへ

↑はクライアントや広告代理店に配布する広告媒体資料(セールスシート)で、内容を見れば一目瞭然、この広告企画の効果が列記されている。
つまり、今回の場合も、純然たるタイアップ広告なのだ。

ところが、はてなが「PR記事」という言葉を使っているために、話がややこしくなる。
少なからぬ人が「PR」と入っているけど、これはきちんと取材された「記事」なんだなと誤解してしまうのではないだろうか。

しかし、そうではない。単純に事を整理すれば、

「はてなはブックマークニュースの枠で広告タイアップを売っている」→「そこへ環境省が出稿した」→「津田大介氏がライターとして起用され、クライアントのニーズを満たした広告原稿を書いた」

という、ただそれだけのことだ。
それ以上でも以下でもない。

ちなみに私は、自分も広告営業マンとして雑誌媒体でこのようなタイアップ広告をせっせと売っていた。
広告には純広告とタイアップ広告がある。純広告とはクライアント自身が制作するもので、訴求したいことを許される表現の範囲内ですべて出すことができるが、原稿は広告そのものである。
対してタイアップ広告は各媒体に合わせて一回一回作るもので、手間はかかるが媒体になじんだ構成となるため、純広告に比べるとスキップされにくいという特徴がある。
したがって、近年、クライアントのタイアップ広告志向は強いのだが、今回の環境省の場合で言えば、朝日新聞の2面見開きで純広告をドカンと打つ一方で、このようなタイアップ広告も仕込んでいるわけで、ここらへんはおそらく広告会社のブラニングなのだろう(朝日とはてなの扱いが同じ広告会社かどうかは不明だが、この流れは多分同一ではないかと私は推測する)。

付け加えておけば、私は別に広告原稿を書くことが悪いとは思わない。誰が何を書こうと、それはライター個人の判断だ。したがって今回の場合も、津田氏に対してどうのこうのと言うつもりはまったくない。
ただ、今回の「記事」は広告だということだけは、ハッキリさせておくべきだと思う。

そして広告であるから、取材費(顎足、宿泊があれば枕も)はクライアントから出て、コーディネート、資料もクライアントから提供される。掲載前にクライアントからの原稿チェックがある。これが当たり前のことだ。
そのこと自体にはなんの問題もない。ただしこれはジャーナルではない。それもまた当然のことである。

はてなのセールスシートのファイル名を見ると、「(2012年4-6月版)」と書かれているので、いずれ今回の広告事例も追加掲載されるのだろう(はてなが目的や効果をどのように書くのかは興味がある)。
広告会社やクライアントはそのセールスシートを見て、「なるほど、はてなではこういうタイアップができるのか」と思うわけである。

Johoi

「この情報はこう読め」

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』


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2011/09/29

権力と闘うということ

1970年にとある大手資本の子会社(従業員数250人前後)で起きた労働争議の記録映像を見る機会があった。
争議のきっかけは独裁的な権力をふるっていたこの会社の社長の数々の不正の発覚で、組合員全員で無期限ストに突入する。
ところが、会社は親会社の指示のもと、争議ゴロを取締役に据えるという強硬策に出る。警備員という名の暴力団員が多数雇われ会社をロックアウト。その一方で、組合の懐柔策に出て、数カ月後には第二組合が誕生。当然、彼らは職場復帰をする。
映像では、警備員(暴力団員)が労働者に殴りかかるところが映っている。
しかも驚くのは、警察がこの警備員(暴力団員)と一体化して、労働者を弾圧していることである。
というのも、親会社は警察と密接な関係にあり、日頃から警察に協力しているばかりか、そもそも警察署が建っている土地自体が親会社のもので、そこを好意で警察が使わせてもらっているのだという。
したがって、警察は徹底して親会社とそれに連なる子会社経営、そして第二組合の側に立ち、第一組合の組合員は続々と逮捕されていく。
ところが、それでも労働者はめげなかった。同業他社の労組が次々に支援連帯スト権を確立。本体の労組は100人を切るまでの人数になってしまったにもかかわらず、その倍以上の支援労働者が会社や親会社の前に駆けつける。
映像には当時のデモの様子も記録されているが、スクラムを組んでのジグザグデモが行なわれ、警察や第二組合員の一部と衝突を繰り返す……。
普通に考えると、これだけ彼我の差があれば、第一組合側がアッサリ負けるはずなのだが、しかしこの争議は最終的に組合側の完勝に終わった。
なぜそのような結果を出すことができたのか?
その最大の要因を一つ挙げれば、争議の間に起こされた数々の裁判で組合が連戦連勝したからだ。
つまり、司法が最後の砦として真っ当な判断を下していた、機能していたのである。

ここのところ、「戦後」とは何だったんだろうということを少しく考えている。
「日本は官僚独裁という意味において、戦前も戦後もなく一貫している」というのが私の持論で、それは今でも変わることはない。
ただ、最近、一つ思うのは、それはそれとして、やはり敗戦というのは独裁権力にとって大きな痛手で、国民をコントロールする上でのいくつかの大切な手段を失ったのだろうということだ。
結果、独裁権力を行使するにしても、どうしても効率が悪くなる。
労働運動が燃え上がったり、国民の目が日米安保に向き、ジャーナリストがこれを書き立て、一旦、裁判が起きれば司法が真っ当な判断を下してしまう。
効率を何よりも好む独裁権力にとって、これほどの非効率、ムダはない。
そこで、この非効率をなんとしても改善するべく費やしてきた日々が、つまり戦後なのではないだろうか。

このたび判決が下された「陸山会事件」の公判では、当初、検察が証拠申請した少なからぬ供述調書が却下されたため、これまでデタラメの限りを尽くしてきた検察も、いよいよ年貢の納め時かと思った人が多かった。
ところが、実際に下った判決は、そんな危ない供述調書を申請しなくても、状況証拠を出してくれれば検察が立証(デッチ上げ)したくてもできなかったことまで含めて、ジャンジャン認定してあげるよという内容であった。
これについて、郷原信郎氏はtwitter上で、↓のように述べている。

http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118449794925604864
http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118450385504579584

つまり、「じゃあ、これまで検察官が必死になってやってきたことはなんだったのか? バカにするな」というわけだが、一方で郷原氏と同期の元検事、若狭勝氏はこのように述べている。こちらは「それで有罪にできちゃうんだ! なーんだ、検察ラッキーじゃん」ということだろう。

ところで、この判決が下りた後、石川知裕議員が会見をした。大変、疲れているということで、珍しく司法記者クラブと自由報道協会が呉越同舟での会見となった(主催は石川事務所ということらしい。そんなことはどうでもいいが、こういうことが司法記者クラブの連中にとってはもっとも大事なのだろう)。
私もネットでこの会見を見たのだが、最前列に座っているのは自由報道協会、つまりフリーランスの面々ばかりである。そして、質問をするのもすべて彼ら。大手メディアの記者はその後ろに座って、パシャパシャとノートパソコンのキーボードを打つだけである(それにしても、いつも思うのだが、あれはいったい何を打っているのかね。音声なんて録音すればいいんだから、パシャパシャ打っても意味ないじゃん。それより会見者を観察するとかはしないのかね。毎日新聞の主筆とやらは、相手の顔色を見て記事を書くらしいですぜ)。
要するに、司法クラブの記者はこの判決についての疑問を一切、持っていないのである(普段、記者クラブで下げ渡し情報をもらうだけの体質が染みついているということもあるだろうが)。
そして、案の定、マスメディアはアリバイ程度に、この判決の危険性を述べる識者のコメントを載せたが、基本的には裁判官が下した判断をそのまま大々的に垂れ流した(5000万円授受ビデオを捏造したTBSなんぞは嬉しかったでしょうなあ)。
なかには「法律的には議論の余地が残るが、国民の常識的な感覚には近い。積極的、挑戦的な判決だ」などという法律学者のコメントもあった(「くろねこの短語」参照)。
驚くべきコメントですね。法律よりも国民の感覚、つまりポピュリズムが優先するというのである。事実がどうであろうとも、マスメディアがうわーっと書きたてて印象操作をした結果として出来あがった「国民の感覚」に沿った判断の方が正しいというわけだ。
過去に冤罪で苦しんだ多くの人々は、捜査当局から情報をもらったマスメディアが書き立てる記事によって、周囲の人々から「犯罪者」という印象を与えられ苦しんできた。しかし、この法律学者は「国民の常識的な感覚」に沿うことを是とするのである。いやはや、私は法律など学んだことのない素人だが、こういう人が権威として存在する法律の世界というのはいったいなんなんだろうと思わずにはいられない。

しかしながら、、、
それもこれも、すべては独裁権力が戦後、コツコツと打ってきた布石の結果なのだろう。

最初に触れた争議の映像では、警察と資本の密着ぶりが余すところなく描かれているわけだが、いま東京電力もあれだけの破局事故を起こしながら、何一つ罪に問われることもなく、本社の周辺は警察によって守られている。
それもそのはずで、平岩外四、那須翔といった東電の歴代トップは国家公安委員をつとめている。つまり東電という会社は国家権力と直結しているのである。
いま、脱原発側はそういう企業を相手にしている。

先日の脱原発デモでは少なからぬ逮捕者が出た。また、佐賀県庁へ抗議に行った山本太郎が建造物侵入で告発されるということもあった。これに対してネット上では批判の声が上がっている。もちろん声を上げることは大切だが、しかしこのようなことはあちらからすれば序の口で、どんな手を使ってでも弾圧してやろうと手ぐすねを引いているはずである。
しかも、かつてのように最後の砦である司法にもまったく期待できない、どころか状況さえあればまったくの冤罪をでっち上げられる可能性がきわめて高い。
いま私たちはそのような状況の中にいるわけだ。
では、この権力の決意に対して、こちら側はどのように対抗すればいいのか。
最近、私は、ただ大人しく行儀のいいデモをやっているだけでは、もはやダメなのではないかと思い始めている。

※まったくの余談
かつて大日本愛国党の赤尾敏という右翼の大御所がいた。いつも銀座・数寄屋橋の交番の前で辻説法をしていたのだが、もしこの赤尾先生が生きていれば、私はきっと数寄屋橋から東京電力本社の前に街宣車を回していたと思う。今考えると、赤尾敏という人は、もちろん多くの面で私とは考え方が異なるが、しかし立派な人だった。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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戦後日本の思想

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2011/09/13

『週刊岡庭昇 32』 ~ 「風評被害という呪文」

以下は岡庭昇氏が限定6部(!)で発行している『週刊岡庭昇』からの転載です。
『かくもさまざまな言論操作』の発売を記念して、これからいくつかの『週刊岡庭昇』を転載していきます。

**********
週刊岡庭昇 32 ~ 風評被害という呪文
(2011.7.18記)

 風評被害という言葉について考える。
 結論をはじめに言っておくが、風評被害とは体制が(つまり官僚独裁が)、隠し通して来た情報が明らかになろうとするとき、それを是非もなく(つまり根拠を示さず)打ち消す暴力的なムード言語である(というように、かねてわたしの邪推は定まっている)。
 わたしは、1980年代を中心に、ハマチ産業等の薬漬け養殖、無茶な減反が生んだ米不足、つまり年間に国民が消費する標準米が決定的に足りなくなった事実と官僚による隠蔽、隠蔽の延長上に、危険を含む飼料用米を学校給食に送り込むなどの国家犯罪の疑いや、学校建築にアスベストが多く使われている事実と、その対策はなし崩しになったのではないかという疑い、さらに原発にマルタン(炭鉱離職者)を送り込むシステムが、労働手配師と電力が組む陰謀としてあったと推断せざるを得ない事実等、制度としての情報とか報道とは、すぐれて「情報隠し」のためにあるのではないかと思いつつ、その証拠のようなTVドキュメントを世間に届けた。
 老人の手柄話をやりたいのではない。25年からの日月が経って、いったい何が改善したのかと溜め息を吐いている。この嘆きは、いま挙げた例からも、一見して明らかであろう。お前は結局、いまでも通用すると威張ってる? それは手柄ではなく、紛れもなく悲嘆なのだ。わたしのドキュメントは、ただわたしを虚無主義者にしてくれただけだった。おかげでわたしは、高級な虚無哲学者として、銭ゲバ日本の現実に興味を持たなくなった。
 ただ恐らくは官僚独裁からのカウンターパンチとして、90年代に「風評被害」という言葉が作られたことは鮮やかに覚えている。「TVと気分を重ねた」ムード言語に支配される日本では、これで独裁は完璧に勝利を納めるだろうと思ったのである。「意外な事実」がもし暴露されても、「風評被害」という言葉の名人芸によって、是非もなく粉砕するだろう、とわたしはつくづく感心して、さらに現実から虚無の方向へ去ったのである。
 東北関東大震災は、久し振りにこの「言葉の政治」を思いださせてくれた。まず「風評被害」という言葉は使わなかったが、原発爆発に対する、「諸外国の過剰反応」という言葉がいっせいに日本の隅々まで流布された。しかし諸外国といえども、特派員は多くの国が日本に置いているのである。奇妙な言い方をするものだと思っていたが、隠し切れずにいまやあきらかになったさまざまな、かつ一部の事実だけでも明らかなように、事実を伝えたのは諸外国のマスコミだけだった。
 この虚偽に乗っかって、「風評被害」という悪魔のキーワードが大活躍する。原発事故の現場の野菜や魚に放射能被害が出ても、安全なものもあるのだから、ひっくるめて言うのは風評被害であるというように。しかしわれわれはクイズをやっているのではない。正解が決まっている環境問題などというものはない。危険な「可能性」が現実に存在するとき、「風評被害」などという批判は原理的に存在しないのである。生命・身体にとって、悪魔はこの「悪しき可能性」なのだから。
 現に汚染の確認は、いまだ後から後から続く。「風評被害」などという魔法の呪いでは、現実は救済されないのである。農民や漁民のふってわいた不幸を断ち切ろうとする努力は心情として当然のことだ。しかし農民や漁民はただ被害者なのであり、事態に責任を取ろうなどと考えるべきではない。一億総懺悔路線を刷り込んで、独裁はまたごまかそうとしているが、これは紛れもなく東電の犯罪であり、徹底して加害者東電から損害を支払わせ、全部資産を吐き出させた後は(あくまでも後だよ)国家に引き継ぐべきである。「悪しき可能性」という事実を懸念する者に、「風評被害」という汚名を投げ付け、ちょとやそっとで回復しない土地での農漁業の回復を焦るなどは、真犯人をうやむやにすることにもなりかねない。
 風評被害という言い方がマスコミに登場したら、まず警戒することだ。独裁に都合の悪いどんな事実が、今回は隠されているのだろうかと。

Gwngos

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2011/05/04

東京電力福島第一原発事故について 〜 110502『「20ミリシーベルト」撤回要求対政府交渉「文科省、原子力安全委員会との交渉」』

いま、霞ヶ関の連中は東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の大事故の混乱に乗じて、やりたい放題を始めている。
私も関与している、元大阪地検特捜部の前田恒彦の「特別公務員職権濫用罪」での告発は、最高検で不起訴になったあと、検察審査会へと舞台を移した。
が、さんざん時間稼ぎをした挙げ句、結果は「不起訴相当」。

詳細は↓をご覧いただきたいが、日本の官僚というのは、とことん腐りきっている。日本は民主主義を装った完璧な霞ヶ関独裁国家だったが、もはやその独裁の肝となっていた“民主主義風の手続き”さえ端折りはじめたようだ。

・八木啓代のひとりごと
やはり、検察審査会に大義がないことが明らかになりました

そして↓の映像。私はここに映っている霞ヶ関の連中を見ていて、思わずディスプレイを殴りつけそうになった。

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東京電力福島第一原発事故について 〜 5/3/火★今?5000枚のシミュレーション結果公開

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東京電力福島第一原発事故について 〜 5/2/月★1.小佐古さんとは喧嘩相手です 2.水棺は困難

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2011/05/03

東京電力福島第一原発事故について 〜 2011.4.29 終焉に向かう原子力 浜岡現地報告

2011.4.29 終焉に向かう原子力 浜岡現地報告 from kayo sawaguchi on Vimeo.

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東京電力福島第一原発事故について ~ 2011.4.29 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演

2011.4.29 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演 from kayo sawaguchi on Vimeo.

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東京電力福島第一原発事故について 〜 2011.4.29 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演

2011.4.29 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 from kayo sawaguchi on Vimeo.

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2011/05/02

Facebookに福島第一原発の公開グループができました

この拙いブログをご覧いただいている方々は、原発問題について高い関心を有していらっしゃると思う。
そういう方々はすでにご存じかもしれないが、Facebookに「福島第一原発を考えます」という公開グループが立ち上がった。
このページを立ち上げたのは、ジャーナリストの木下黄太氏。

・ジャーナリスト 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」
Facebookに「福島第一原発を考えます」公開グループを立ち上げました。

私もFacebookのアカウントを持っていたので、早速、登録させていただいたが、1日半で500人を超える人が登録したそうである。
こうした試みもまた、ソーシャルメディアの可能性だと思う。関心のある方は、是非、ご覧ください。

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