2011/11/12

TPPの中身を知らない売国奴が日本の首相という悲劇

昨日、野田佳彦はTPP交渉への参加を表明した。
しかして、その直前に行われた参議院予算委員会での佐藤ゆかり議員の質疑の中で、野田がISD条項を「寡聞にして詳しく知らなかった」という事実が判明(↓の19分50秒過ぎから)。
この質疑はネットではすでに昨日から十分に話題になっているが、拡散の意味で当ブログでも貼っておく。

↓はおなじみ、中野剛志氏によるISD条項の解説。

それにしてもーー
政権交代からたった2年で、まさか佐藤ゆかりや↓の村上誠一郎といった自民党議員に「もっとやれ!」と声援を送るようなことになるとは思わなかった。


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2011/10/08

電子書籍 新刊案内 〜『光文社争議団』

このたび、志木電子書籍では、『光文社争議団』を発売した。

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・光文社争議団 ~ 出版帝国の“無頼派”たち、2414日の記録

これは、私が昨年まで25年間勤務していた光文社で1970年に起きた労働争議の記録である。
解決までに6年半を要したこの争議は、かつての出版界ではちょっと知られた大争議だった。
私が光文社に入社したのは、争議終了から十年ほどしてからであったが、しかし当時はまだなんとなくその余韻が残っていた。
もっとも、それを私が感じることができたのは、配属先がカッパ・ブックスだったことも大きいかもしれない。光文社には第一組合(争議を起こした元々の組合)と争議時に分裂した第二組合(当然、労使協調)があり、カッパ・ブックスグループには、第一組合の人も少なからずいたからだ。
春闘になれば第一組合はそれなりの活動をして、役員室の前で座り込みをしたり、社内には組合のビラがペタペタと貼られていた。
しかし、組合員が高齢化し、定年者が続出するとともにその勢いは衰えていった。
一方、第二組合の執行委員長や書記長ポストは、出世コースを意味していた(もちろん全員が全員ではないが)。
たとえば、ある年の春闘のこと。執行委員会から妥結提案が出て、それに対する反対意見がいくつか出ると、執行委員長は「会社側の代弁をするわけではありませんが、、、」と前置きをして、えんえんと会社側の代弁をした。その委員長は、やがて総務部長(非組合員)になり役員となった……。
もちろん、だから悪いというわけではない。会社の経営がいい時代はそれで問題はなかった。
しかし、会社の経営がおかしくなりはじめた時、やはりその歪みが出てきた。

1970年の争議の原因は、当時の社長・神吉(かんき)晴夫(カッパ・ブックスの創刊者)のワンマン経営にあった。そして、それから四十年後に起きた経営危機の際も、やはり一人のワンマン経営者がいた。そのワンマン経営者は、第二組合誕生時の執行委員に名を連ねている人だった。
1970年当時、組合はワンマン経営者の経営責任を徹底的に追及し、退陣要求を突き付けた。それが原因のすべてではないが、結果として社長のみならず役員全員が退任した。
四十年後、御用組合と言われた第二組合の組合大会で、やはりワンマン経営者(当時は会長だった)に対して退陣を要求するべきだという声が上がり、議論の末に採決され、可決された(細かい経緯は忘れたが)。この時の第二組合は、かつての御用組合とは異なり、そこそこ真っ当な労働組合であった。つまりそれだけ組合員の危機感が強かったわけだが、しかし、それでも結果として会長以下の経営陣の経営責任はついに追及しきれないままにリストラだけが行なわれた。彼らは逃げ切ってしまったのである。
残念なことに、四十年を経て、労働側は連勝することができなかった。

『光文社争議団』に話を戻すと、この本はいろいろな読み方ができると思う。
たとえば、昨年、出版界の話題をさらった、たぬきち氏の「リストラなう!」の前史としても読める。出版業界やそれをとりまく書店、取次、印刷会社、そして広告業界の方にとっては、光文社という会社の興味深い一つの歴史を知ることになるだろう。ひょっとすると、本文中に知っている人の名前をいくつか発見するかもしれない。
以上は業界的な読み方だが、しかし本書にはもう一つの読み方があると思う。
光文社争議において、会社は親会社である総資本=講談社の命令一下、警察、暴力団と一体になって労働者に襲いかかってきた。多くの血が流され、不当逮捕者も続出した。こうした厳しい弾圧の末、それでも闘い続けた先に勝利はあった(支援労働者との連帯も重要なポイントになった)。
いま、日本では東京電力福島第一原発の事故がますます深刻化しているにもかかわらず、霞が関、電力会社を中心とした財界、政治、マスメディアの連合体は国民に対してウソをつきまくって国民を弾圧している。しかし、この暴挙を許していては、断じて日本に復興はない。では、この巨大な敵にどのように闘い挑むのか。
本書にはそのヒントがあると思うのである。

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2011/07/21

小出裕章氏 〜 政府:Step1達成しました⇒「私も分かりません」

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2011/07/14

菅直人の脱原発 ~ 原発推進派が描いたシナリオの一つの役を演じているだけである可能性はないか?

菅直人が脱原発の方向性を打ち出した。
その評価はさまざまで、私が普段から目を通しているブロガーの意見も、「とにかく方向性は正しいのだから支持する」という人から疑問を呈する人までそれぞれである。
私はと言うと、長らく反原発の立場にあったのだから本来、歓迎すべきであるが、しかして諸手を挙げて賛成する気分に今のところ到底なれない。
それは、菅直人が脱原発に至った理由が自らの延命と切っても切れない関係にある、つまりそもそもの動機がまことにもって不純であるからだ。

3・11以降、やっと多くの人が気づくところとなったが、原子力産業というのは日本が誇る既得権益の中でも図抜けて問題の根が深く、霞が関から財界、政界、マスメディア、そして学界にまで、幅広く原子力マネーが行き渡っている。まさに原発ドランカー状態だが、それだけに連中の結束は固い。
しかも、これだけの破局事故を起こしながら、依然として東京電力に司直の手すら入らないのを見ればわかる通り、原発マフィアはとてつもなく強大な力を持っている。
そういう組織を相手に、総理という立場にありながらも自らの非常に矮小な思惑で「脱原発」を打ち出すのは、かえって原発マフィアにとって思う壺なのではないかと思うのである。

普通に行けば――
菅政権というのは完全な死に体であるから、どんなに本人がクソ粘りを発揮しても、そう遠くない時期に退陣となるだろう。であれば、原発マフィアはその時、菅と一緒に脱原発も永遠に葬ればいい。
もし、そうなったら、国家百年の計である脱原発は、菅直人というお粗末な政治家のお陰で潰され、しかも国民はさらなる不幸とリスクを背負い込むことになる。

あるいはもっとうがった見方をすれば――
そもそも菅直人には脱原発などという意向はサラサラなく、ただ原発マフィアの描いたシナリオの中の「脱原発を言いだす総理大臣役」を演じているだけなのかもしれない。
もちろん、さすがにこれは勘ぐり過ぎだろうが、しかしそれぐらいのことを考えかねないのが原発マフィアであることは肝に銘じておいて間違いはない。
もちろん、私の見方が間違っていれば、それはそれでいい。
しかし、この国のマスメディアが流している情報は頭から信じず、まずはいったん疑ってかかることはとても重要なことだと私は思うのである。

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2011/07/10

54基の原発(+六ヶ所村、もんじゅ)の存在こそ、日本が民主主義国家でないことの何よりの証明である

今さらながらではあるが、九電のヤラセメール問題について触れておく。
3・11以降に原発に関心を持った私の友人は、この問題が発覚すると「これはあまりにもひどい。すべての信頼が崩れた」と言って怒っていたのだが、私にはなぜ彼がそんなに怒るのか理解できなかった。
というのも、こんなことは日常茶飯事で行なわれていたことだからだ。
過去から現在にいたるまで、山のように積み重ねられてきた電力会社のウソ、デタラメの数々をふり返れば、この程度のことは大したことではないわけで、「ヤラセメールなんて普通じゃん」と思ってしまう私は、怒りのモチベーションが下がっているのかもしれない……と思っていたら、小出裕章先生も同様の感想をお持ちだった。

日本の原子力推進一派(行政&企業&政党)の最大の特徴は、デモクラシーマインドがひとカケラないことである。
というのも、正しく民主主義的な手続きを踏んで原発を作ろうとしたならば、おそらく日本には一基も作れないだろうからだ。
なにしろ日本列島というのは地震の巣窟である。そこに無理やり原発を作ろうとすれば、地元の住民が反対するのは当然のこと。漁業権を買い上げるといっても、その結果として海が放射能で汚染されたり、あるいは冷却用に使用された熱い海水をぶちまけられたりしたら(あるいは冷却水の取水口についてしまう藻を取るために、強烈な薬品を使っているとも言われている)、海そのものが死んでしまう。
原発によって利益を得る以外の真っ当な感覚の持ち主であれば、そんな危険とマイナスしかもたらさないモノは望むはずがない。
では、それでも原発を作りたい連中はどうするのか。
カネで住民の顔をひっぱたき、一方で今回のヤラセメールのような手口を使って民主主義的手続きを偽装するのである。そうして、「地元の同意を得た」と嘯いて、建設を強行する。
原発ができる地域というのは、過疎化した村落が多く、いわゆる日本的共同体の性格を色濃く残した地域が多い。そういう中では、いったん着工された原発に反対するのは勇気のいることになり、そうして「物言えば唇寒し」という状況が生まれる――。
つまり、推進側が原発を作るにあたって致命的に重要なポイントは、外形的には民主主義と言われているこの国のシステムを骨抜きにすることなのである。そして、これは国民を徹底的に監視、管理した上で、あらゆる利権を掌中に収めることに命をかけている霞が関の独裁体制と軌を一にしている。
なにしろ、この国では司法からメディアまで、すべてが“あちら側”だから、原発に反対する住民が裁判をやっても勝つことはなく、国家に楯突けば冤罪で嵌められることなど日常茶飯事のこと。
結果、福島第一原発のような破局事故が起き、一方で実質的に不信任を食らった総理大臣が官邸に籠城しても、暴動一つ起きない凄い国なった。

私はかねてより当ブログにおいて日本は民主主義国家ではないと主張しているが、この狭い国土に54基の原発と六ヶ所村の再処理工場、そしてもうどうにもならない「もんじゅ」が現に存在することこそが、その証明であると思う。

※本日23時よりニコニコ動画で『徹底検証!検察調書「大量却下」はなぜ起きたか? 』が行なわれます。是非、ご視聴ください!

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2011/07/05

田中康夫のにっぽんサイコー!~ 竹田恒泰が語る「原発はいらない!」11/07/02

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2011/07/04

前代未聞の核災害を“食”から考える

電力会社や原発の利権に群がる連中が、しきりに「原発をやめると電力料金が上がる」と脅している。
東京電力という歴史上、稀に見る核テロリスト集団の責任を追及するどころか擁護にまわり、国民を脅迫しているのだから始末に負えない連中である。
ただし、原発をやめた場合の電力料金について一つだけ言っておかなければならないのは、オール電化住宅に住む方々にとってはつらいということだ。
なぜならオール電化住宅というのは、そもそも原発が生みだす余剰電力(出力を調整できない原発は深夜の時間帯に不必要な電気をドンドコつくってしまう)対策として考えられたものだから(詳しくはこちら)。
当然、原発を止めれば余剰電力はなくなるわけで、となると値引きをしてまで売る必要はない。それどころか、本来だったら需要の少ない時間帯に電力を使われるのはむしろ困った事態であり、電力会社はこの時間帯の値上げに踏み切るかもしれない……。
と、まあさすがにそこまではしないと思うが、しかし東京電力を東の横綱とする各電力会社のデタラメぶり、開き直りぶり、無責任ぶり……は凄まじいものがあるから、自分たちの都合でオール電化住宅を販売しておいても、コロリと態度を変えてくる可能性はあるかもしれない。
というか――。
そもそも電力会社の社員や幹部の自宅はオール電化なのだろうか?
少しく興味深い問題である(その裏側を知り尽くした連中だけに、オール電化率が低いような気がする)。

さて、それにしても福島第一原発が依然としてなんの収束のメドも立っていないなか、これから私たちの生活はどうなるのだろうか。
たとえ、これ以上の破局的な事態が起きなくても(たとえば使用済み核燃料の山積みの4号機の状況が悪化するとか)、信じがたいレベルの放射能が垂れ流されているわけだから、これから秋口にかけて、いよいよもって深刻になるのが“食”の問題だと思う。

私はカツオが大好きなのだが、ついに今年の春~初夏はカツオを自宅で食べることはなかった。というのも、よく行く近所のスーパーのカツオは千葉産なのである。ま、私のようなジジイの入口に立った人間は、もはや放射能の影響などあまりなく、子どもさえ食べなければいいのだが、それでもやっぱり「どうなんだろう」と思ってしまう。
これが、秋の戻りガツオのシーズン、あるいはサンマのシーズンになった時にどうなるか。
もちろん国は御用学者を総動員して、「基準値を下回っているから大丈夫」「ただちに影響はない」などとわめきたてるだろうが、この国の権力がやることに信じるに足ることがほとんどないことは、3・11以降、明らかである。まして、小さな子どもを持つ親や、これから子どもをつくる若い男女にとっての大原則はセーフティファーストだ。
したがって、やはりこれは食べない方がいいということになる。
あるいは野菜、米にしても、福島周辺のものはある年齢以下の人は食べるべきではないと私は思う。
少し前に関東から関西へ居を移した人の話だと、引っ越して何が良かったかというと、まず第一に食に関する心配のレベルが相当に下がったことだそうだ。
ただし、食材を選んで買ったとしても注意しなければならないことがある。
これはチェルノブイリの時にも相当に横行したと言われているが、やはり産地偽装をしたものは出てくるだろう。ブローカーが安く購入して、これに偽の表示をして高値で売るということは、その方面の人ならば誰でも考えることだ。
しかも、そもそも日本は食の安全基準というものに対する抜け穴がたくさんある。したがって、これは注意しなければならない。
また、一度、加工されたものについても注意が必要だろう。カット野菜や、デパートやスーパー、あるいはコンビニで売られている惣菜などに、食材の産地が表示されているものはほとんどない。商売で惣菜を売る場合の最大のテーマは利益であるから、安く仕入れることができる食材があれば、どうしてもそちらへ流れる。放射能による汚染の場合は、食中毒などと違って実際に人体に影響が出ても因果関係を特定することは不可能だし、たとえ基準値を下回っている食材であっても、そもそもその基準値自体が怪しく、さらに20ミリシーベルト問題のように、今後その数値引き上げられていく可能性もある。であれば、やはり出来あいの惣菜に対しても注意をするにこしたことはない。
と、こう見ていくと、なんとも面倒くさい世の中になったと思われる方も多いだろう。

だが――。
私はこれはこれでいいことだとも思うのだ。
というのも、食というのは人間生活の基本であって、そもそもないがしろにしてはいけないものだから。
ところが、あらゆる面でコストを最優先する日本においては、これまで全体的に食についての関心が非常に低かったと私は思う。
もちろん、テレビをつければグルメ番組はあふれかえっており、むしろ一億総グルメじゃないかという批判はあるだろう。だが、それはあくまでマスメディアを通じて流された作られたものであって、本来的なグルメとはかけ離れたものだ(そもそも、テレビの場合は紹介する店からカネを受け取っているケースもあるという)。
個人で、あるいは家庭で、自分の食べる物、あるいは子どもが食べる物についてきちんと考えること。
これこそ、前代未聞の核災害を生き抜く基本ではないかと私は思うのである。

※参考リンク
「久米宏ラジオなんですけど」7月2日オープニングトーク

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2011/07/01

霞が関独裁帝国が崩壊する時

もう15年以上も前のことだが、一時、ハマコーこと浜田幸一の話を聞く機会が何度かあった。
その当時のハマコー先生は「国民の命と安全を守るのが政治の使命である(それができるのは自民党だけ)」というのが得意のフレーズだった。
そして私は、その頃から心のなかで、「だったらまずは原発をやめて欲しいものだ」と思っていたのだが、、、

3・11以降、誰の目にも明らかなりつつあるのは、この国の権力者たち(その中心は霞が関の官僚であり、そのまわりに政治家や財界、そしてマスメディアがまとわりついている)が国民の命と安全を守る気などさらさらないということだ。
震災が起き、原発がメルトスルーをしてすでに3カ月半。この間、人類史上最悪の核災害は放置されたままである。
しかもその間に政府がやったことは年間の被曝量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げることであり、あとは根拠不明の「安全」を連呼しているだけだ。
細野という原発担当大臣は、緊急時避難準備区域の縮小を検討するという。私なんぞは、拡大するのかと思っていたら、縮小なのだそうだ。

なにしろ、福島ではもはや原子炉に水をかけることしかできない。その結果、高濃度の汚染水があふれかえり、作業員の作業を難しくして、しかもこの水は海洋へもどんどこ流れ出している。
京都大学の小出裕章助教は、ことあるごとに「福島の汚染水をタンカーに移して柏崎の廃液処理施設へ持っていくべきだ」と提言している。この人は原発の破局事故は起こり得ると一貫して主張してきた、つまり正しいことを言ってきた人である。
ところが、「破局事故など絶対にあり得ない」とデタラメを言ってきた連中は、いまだにこの正しい人の意見に耳を傾けるどころか、まるで無視をしている。
なぜ、このようなことになるのか?
結局のところ、これまで原発を推進してきたすべての連中は、自らの責任を認めたくないのだろう。なぜなら、責任を認めてしまえば、これまで数々の利権によって築き上げた社会的な地位を失ってしまうから。
そしてもう一つ、彼らが一貫しているのは、とにかく面倒くさいことは一切したくないという姿勢だ。

小松左京原作の「日本沈没」という小説がある。
私が昨年まで勤務していた会社の社史に燦然と輝く大ベストセラーだ。といっても「日本沈没」が出版されたのは私がまだ小学生の頃だった。しかし、当時、父親が買ってきたこの小説を私は読んだし、ラジオドラマも聴いていた。そして、映画も観に行ったと記憶している。
この小説では、最初は田所博士(今でいうところの小出助教のポジショニングか?)の日本沈没の予言を信じていなかった政府が、最後は国民を海外に避難すべく必死になって計画を遂行するのだが、今になって考えてみると、やはり小説と現実とは違うものだナと思う。
なぜなら、「日本沈没」とまではいかないが、東日本が沈没するぐらいの原発事故が起きても政府は何もしないのが現実なのだから。しかも、もう一度、同じような事故が他の原発で起きれば、完全に日本は沈没するにもかかわらず、安全が確認できた原発は稼働していくのだという。
アホーとかいう変わった名前の元総理大臣は、「原発を止めたら、電気料金は10倍になる」と言ったそうだ。明らかな脅しである。自民党の総裁やら幹事長にしても、原発を推進しないと経済が立ち行かなくなるといってはばからない。つまり、この連中にとって国民の命と安全よりも経済の方がプライオリティが高いわけである。
海や山が汚染されて食べ物が放射能まみれになろうが、国民がどれだけガンになろうが、それよりも原発を動かすことの方が大事だというのだ。
狂っているとしかいいようがないが、この状況は今後もずっと続くのかというと、私はそう長くは続かないのではないかと思う。

3月11日、私は武蔵新田(大田区)にいた。そして夕方、武蔵新田から桜新町(世田谷区)にある友人の家まで徒歩で移動したのだが、その道筋の大半は高級住宅街だった。その時に私が感心したのは、この住宅地(小沢一郎宅の前も通った)が普段とあまり変わらない様子だったことだ。上空をヘリが慌ただしく飛んでいる音が聞こえる以外は静寂に包まれており、大地震直後という雰囲気はない。
「ああ、やっぱり高級住宅地というのは地盤がしっかりしているんだナ、そこにしっかりした大きな家を建てれば地震も怖くないんだナ」と思ったものだった。
しかし――。
地震に対しては強い高級住宅地も放射能となると話は別だ。下町だろうが山の手だろうが、放射能は地形による多少の差異はあっても、万遍なく、そして平等に降り注ぐ。どんなに地価の高い地域であろうとも、放射能は容赦しないのである。
今後も福島第一原発に対する無為無策が続けば、あるいは不安視されている4号機が悪い方へ向かったりすれば、関東地域全般にさらに強い放射能の影響が及ぶことは間違いないわけで、そうなればもう港区だろうが世田谷区だろうが目黒区だろうが関係なく地価は暴落する。
つまり放射能は国民生活ばかりか、日本の勝ち組の論理をも一緒に破綻に導く。
そうしてこうなった時、ついに明治維新以後から続いた日本の国家体制、あるいはその体制が築き上げてきた価値や価値観のすべてが崩壊するのではないかと私は思うのである。
ただし、その後に来るのがどのような時代なのかは今のところよくわからない。

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2011/06/13

6.11デモ ~ 諦めたら喰いものにされるだけ

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 自分のからだを自らの手で慈しみ、自らの努力で大事にしよう。するとそこで“守る”ことがみるみるうちに“問う”ことに、さらには“闘う”姿勢に転換していくはずである。防衛が攻撃へ反転する。この新鮮な発見が、すべての始まりだ。逆に言えば、この発見がないかぎり、システム化した社会によって、いいように踊らされるだけである。文字通り、それはわたしたちのからだが“喰いもの”にされるということだ。
 拙著『飽食の予言』シリーズ(情報センター出版局)を通して、わたしが警告してきたように、わたしたちはいつも“食べる”という幻影のなかで、実は“食べさせられている”のであり、“食べられている”のである。このシステムをどこかで断ち切らなければならない。断固たる、わたしたちの決意によって終わらせなければならない。
 つまり、こうだ。
 この社会は、わたしたちのからだを虎視眈々と狙っている。いや、わたしたちのからだを蚕食することこそが、日本の鎖国的な収奪システムの、不可欠の土台になっている。だから、だれもわたしたちのからだを救ってはくれない。自分で大事に扱い、救出しないかぎりは。そして自分のからだを大事にするということは、システムの蚕食から自分のからだを奪い返すということなのだ。そこからでなくては、なにひとつ肝心の行動は始まりはしない。
 奪い返されたからだを基本として、はじめてわたしたちの主体性が確立する。
 言い換えるなら、この暴力的なまでにゆがんだ工業社会、生産力だけに価値を置くことで人間を殺す異様さが、もはや究極の世紀末的様相を見せているニッポン鎖国に、たった一人でもきちんと向き合うことができるようになるのだ。

岡庭昇著『一九九九年の平らげ方』(情報センター出版局)より
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ということで6.11は永田町と新宿へ行ってきた。

まずは木下黄太氏の呼びかけに応じて永田町へ。
こちらはデモとはまったく違う、ただのゆるーい散歩。木下氏のブログ、及びfacebookでの呼びかけにどれだけの人が呼応するのかと思ったが、15時に永田町につくと黄色いアイテムの人がチラホラ。
みんなバラバラに歩いているが、なんとなく国会正門へ。

ワンコも黄色。
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面白かったのは警察関係の方々。なんだか突然、黄色いアイテムをつけた人が国会周辺を散歩し始めたことに明らかに動揺。「これは何かの集まりですか?」とか「主催者の方はどなたですか?」とか聞きまわっている。
「いや、まあ散歩しに来ただけなんですけどね」。
ついには警察、「正門前にいるみなさんは、散歩してくださーい」と拡声器で呼びかけ(笑)。
ということで、私もまあ国会をぐるりと散歩して、地下鉄で新宿へ。

地上に出るとちょうどデモがやって来た。

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集まった人数はドイツなどの反原発デモに比べればまだまだ少ないかもしれない。
けれども、ずっと反原発だった私としては、「こんなに人が集まるようになったか、、、」とやはり感慨深い。破局的事故が起きてしまった後というのが残念ではあるが……。
しかしそれでも前進である。プロゴルファーの青木功の言葉に「朝一番のティーショットがチョロでもいいんだよ。ちょっとだけでも前に進んでいるだから」というのがある(私の好きな言葉の一つ)。その例えで言うならば、今回のデモはまっすぐに100ヤードぐらいは飛んでいますね。大いなる前進です。

歩道橋の上も鈴なり。
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こんなカッコした官房長官もいたな。
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タマミちゃん(なんだかよくわからないけど)。
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いろいろな方がいらっしゃいます。
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個人的にウケてしまった「寺ベクレル和尚」。
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プラカードもいろいろ。
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座布団一枚。
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警察関係の方々も黄色いアイテムを身につけてデモに参加ちう。
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お父さんの肩車の上で疲れて寝てしまった女の子。この子たちのために頑張らんといかん。お父さん、お疲れさま。あれって重いんですよね。私も経験あります。
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新宿駅東口。
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そしてアルタ前へ。イニエスタもいるな。
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アルタ前にこんなに人がいるのを見るのは久しぶり。
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さてしかし、、、
福島第一原発はまったく収束する気配がなく、しかも政治もマジでレベル7、どころかメルトスルーでレベル8に引き上げか?という状態。
国会ではどさくさにまぎれてコンピュータ監視法案という天下のクソ法があっという間に「スルー」(これぞ独裁国家の証)。
その意味では、まだまだこの国には怒りが足りない。
私は思うのである。
諦めたら喰いものにされるだけだ、と。

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2011/06/07

田中良紹の「国会探検」〜 「うそつき」の「もがき」

以下、全文転載。

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 内閣不信任案の否決は菅政権を支持した否決ではない。政治空白を作らずに菅総理を辞めさせるための否決である。そして菅総理が延命のためにもがけばもがくほど自分の首を絞める仕掛けである。ところが案の定と言うか菅総理とその周辺は延命のための「もがき」を始めた。

 鳩山前総理が口頭で今月中の辞任を迫ったとされる合意書には「退陣」の「た」の字もない。しかも内輪の合意書であるため「民主党を壊さない」とか「自民党に政権を戻さない」とかが真っ先に書いてある。これが表に出れば自民党が反発する事は必至である。そこに仕掛けがある。

 その上で不信任案は大差で否決された。大差の必要があったからである。これで菅総理の心に「延命可能」の思惑が生まれた。大差の否決は延命のための「もがき」を誘う。しかしなぜ大差の否決が生まれたのか。それは小沢一郎氏の指示があったからである。「自主判断」の指示がなければ大差の否決にはならなかった。

 合意書には「退陣」が書かれていない。不信任案は大差で否決された。菅総理の表情に笑みが生まれる。そこで菅総理は鳩山前総理との口頭での約束を反故にし、原子炉の冷却停止のめどがつく「来年1月」を退陣の時期と明言した。しかし原子炉の冷却停止が来年1月に出来るかどうかは誰にも分からない。ズルズル延びる可能性もあり、菅総理はいつまでも居座る事が出来る。

 むしろ延命のために冷却停止を引き延ばせば、総理の延命が国家の損失を招く事になる。ところが岡田幹事長や枝野官房長ら菅総理の周辺は「合意書にある事は退陣の条件ではない」と一斉に鳩山発言を否定した。これを鳩山前総理は「うそつき」と呼んだ。現職の総理、官房長官、与党幹事長を「うそつき」と断じたのだから尋常ではない。鳩山発言が本当なら日本は「うそつき」が権力を握った国になる。

 しかし「もがき第一弾」とも言うべき菅総理の発言はメディアにも評判が悪かった。メディアは「総理退陣表明」でニュース速報や号外を出した手前、来年までズルズル居座られると立場がなくなる。「それはないよ」と言う話になった。これを見て鳩山前総理の言う「うそつき」たちは「もがき第二弾」を点火した。退陣時期を8月に前倒しすると言い出したのである。

 民主党代表選挙が9月に行なわれる事から、そこまで菅総理を延命させ、民主党内の菅支持派の体制を立て直そうとしたのである。メディアは「総理周辺が菅離れを起こしている」と書いたがそうではない。菅総理の影響力を削がれまいとする「うそつき」たちの「もがき第二弾」なのである。

 そしてそれも難しいとみるや「もがき第三弾」が点火された。それが「大連立」である。菅総理は鳩山前総理との約束どおり今月中に退陣する。その見返りに「小沢抜き大連立」を図ろうと言うのである。大臣ポストと民主党マニフェストの破棄をエサにして、内閣不信任案で共同歩調を取った自公と民主党内小沢グループの間に楔を打ち込み、菅周辺は生き残り、菅総理も退陣後の影響力を確保しようと言うのである。

 これら「もがき」に共通するのは全く国民の方を向いていない姿勢である。第一弾、第二弾は自分の利益と自分たちの都合だけであった。第三弾は一見与野党が協調する体制を作るかのように見えるが、まったくそうではない。マニフェストの異なる政治勢力が連立を組むためにはそれなりの手続きが必要で、まずは辞めていく総理の側が提案する話ではない。

 自民党の谷垣総裁が「新しい民主党代表が決まらなければその話をする事は出来ない」と言うのはその通りである。それにも増して国民が選んだマニフェストを変えるには国民の理解を得る必要がある。この時期に選挙をやる訳にはいかないから、国会議員が良く良く有権者の意見を聞きながら党内で調整を図っていく必要がある。

 与野党協調の道は「大連立」にあるのではない。これまで協調体制を作る姿勢をまるで見せなかった菅政権に退場していただき、全政治勢力が結集して「復興のための臨時政権」を作る事なのである。マニフェストを変える必要もない。大臣ポストを各党に割り振る必要もない。復興のための組織に超党派で適材適所の人物配置を行なえば良い話である。

 復興のための組織は時限的なもので、復興の道筋が出来れば解散する。しかし現状の菅政権では国民経済にも被災者の救済にも見通しが立たないため、今回の不信任案提出問題が起きた。それが不信任案を可決しようとした与野党の共通認識である。「大連立」を組まなくともすでに与野党には共通認識と協調姿勢があり、政治空白を作らずに復興作業を行う事は出来るのである。

 鳩山前総理の言う「うそつき」たちは「大連立」を提案すれば時間稼ぎが出来ると思っているのかもしれないが、「大連立」で時間を浪費する訳には行かない。しかし「うそつき」たちが「もがいた」ため、ついに自民党の谷垣総裁は菅総理に対して来週中の退陣を要求した。「もがき」によって退陣時期は早まっていくのである。
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