2012/01/18

さらに毎日新聞誤報問題について

岸井毎日新聞さんえ

市民なんぞ愚民だと思ってなめたらいかんよ。

shimbunkyokai

mainichi120118

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2011/09/29

権力と闘うということ

1970年にとある大手資本の子会社(従業員数250人前後)で起きた労働争議の記録映像を見る機会があった。
争議のきっかけは独裁的な権力をふるっていたこの会社の社長の数々の不正の発覚で、組合員全員で無期限ストに突入する。
ところが、会社は親会社の指示のもと、争議ゴロを取締役に据えるという強硬策に出る。警備員という名の暴力団員が多数雇われ会社をロックアウト。その一方で、組合の懐柔策に出て、数カ月後には第二組合が誕生。当然、彼らは職場復帰をする。
映像では、警備員(暴力団員)が労働者に殴りかかるところが映っている。
しかも驚くのは、警察がこの警備員(暴力団員)と一体化して、労働者を弾圧していることである。
というのも、親会社は警察と密接な関係にあり、日頃から警察に協力しているばかりか、そもそも警察署が建っている土地自体が親会社のもので、そこを好意で警察が使わせてもらっているのだという。
したがって、警察は徹底して親会社とそれに連なる子会社経営、そして第二組合の側に立ち、第一組合の組合員は続々と逮捕されていく。
ところが、それでも労働者はめげなかった。同業他社の労組が次々に支援連帯スト権を確立。本体の労組は100人を切るまでの人数になってしまったにもかかわらず、その倍以上の支援労働者が会社や親会社の前に駆けつける。
映像には当時のデモの様子も記録されているが、スクラムを組んでのジグザグデモが行なわれ、警察や第二組合員の一部と衝突を繰り返す……。
普通に考えると、これだけ彼我の差があれば、第一組合側がアッサリ負けるはずなのだが、しかしこの争議は最終的に組合側の完勝に終わった。
なぜそのような結果を出すことができたのか?
その最大の要因を一つ挙げれば、争議の間に起こされた数々の裁判で組合が連戦連勝したからだ。
つまり、司法が最後の砦として真っ当な判断を下していた、機能していたのである。

ここのところ、「戦後」とは何だったんだろうということを少しく考えている。
「日本は官僚独裁という意味において、戦前も戦後もなく一貫している」というのが私の持論で、それは今でも変わることはない。
ただ、最近、一つ思うのは、それはそれとして、やはり敗戦というのは独裁権力にとって大きな痛手で、国民をコントロールする上でのいくつかの大切な手段を失ったのだろうということだ。
結果、独裁権力を行使するにしても、どうしても効率が悪くなる。
労働運動が燃え上がったり、国民の目が日米安保に向き、ジャーナリストがこれを書き立て、一旦、裁判が起きれば司法が真っ当な判断を下してしまう。
効率を何よりも好む独裁権力にとって、これほどの非効率、ムダはない。
そこで、この非効率をなんとしても改善するべく費やしてきた日々が、つまり戦後なのではないだろうか。

このたび判決が下された「陸山会事件」の公判では、当初、検察が証拠申請した少なからぬ供述調書が却下されたため、これまでデタラメの限りを尽くしてきた検察も、いよいよ年貢の納め時かと思った人が多かった。
ところが、実際に下った判決は、そんな危ない供述調書を申請しなくても、状況証拠を出してくれれば検察が立証(デッチ上げ)したくてもできなかったことまで含めて、ジャンジャン認定してあげるよという内容であった。
これについて、郷原信郎氏はtwitter上で、↓のように述べている。

http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118449794925604864
http://twitter.com/#!/nobuogohara/status/118450385504579584

つまり、「じゃあ、これまで検察官が必死になってやってきたことはなんだったのか? バカにするな」というわけだが、一方で郷原氏と同期の元検事、若狭勝氏はこのように述べている。こちらは「それで有罪にできちゃうんだ! なーんだ、検察ラッキーじゃん」ということだろう。

ところで、この判決が下りた後、石川知裕議員が会見をした。大変、疲れているということで、珍しく司法記者クラブと自由報道協会が呉越同舟での会見となった(主催は石川事務所ということらしい。そんなことはどうでもいいが、こういうことが司法記者クラブの連中にとってはもっとも大事なのだろう)。
私もネットでこの会見を見たのだが、最前列に座っているのは自由報道協会、つまりフリーランスの面々ばかりである。そして、質問をするのもすべて彼ら。大手メディアの記者はその後ろに座って、パシャパシャとノートパソコンのキーボードを打つだけである(それにしても、いつも思うのだが、あれはいったい何を打っているのかね。音声なんて録音すればいいんだから、パシャパシャ打っても意味ないじゃん。それより会見者を観察するとかはしないのかね。毎日新聞の主筆とやらは、相手の顔色を見て記事を書くらしいですぜ)。
要するに、司法クラブの記者はこの判決についての疑問を一切、持っていないのである(普段、記者クラブで下げ渡し情報をもらうだけの体質が染みついているということもあるだろうが)。
そして、案の定、マスメディアはアリバイ程度に、この判決の危険性を述べる識者のコメントを載せたが、基本的には裁判官が下した判断をそのまま大々的に垂れ流した(5000万円授受ビデオを捏造したTBSなんぞは嬉しかったでしょうなあ)。
なかには「法律的には議論の余地が残るが、国民の常識的な感覚には近い。積極的、挑戦的な判決だ」などという法律学者のコメントもあった(「くろねこの短語」参照)。
驚くべきコメントですね。法律よりも国民の感覚、つまりポピュリズムが優先するというのである。事実がどうであろうとも、マスメディアがうわーっと書きたてて印象操作をした結果として出来あがった「国民の感覚」に沿った判断の方が正しいというわけだ。
過去に冤罪で苦しんだ多くの人々は、捜査当局から情報をもらったマスメディアが書き立てる記事によって、周囲の人々から「犯罪者」という印象を与えられ苦しんできた。しかし、この法律学者は「国民の常識的な感覚」に沿うことを是とするのである。いやはや、私は法律など学んだことのない素人だが、こういう人が権威として存在する法律の世界というのはいったいなんなんだろうと思わずにはいられない。

しかしながら、、、
それもこれも、すべては独裁権力が戦後、コツコツと打ってきた布石の結果なのだろう。

最初に触れた争議の映像では、警察と資本の密着ぶりが余すところなく描かれているわけだが、いま東京電力もあれだけの破局事故を起こしながら、何一つ罪に問われることもなく、本社の周辺は警察によって守られている。
それもそのはずで、平岩外四、那須翔といった東電の歴代トップは国家公安委員をつとめている。つまり東電という会社は国家権力と直結しているのである。
いま、脱原発側はそういう企業を相手にしている。

先日の脱原発デモでは少なからぬ逮捕者が出た。また、佐賀県庁へ抗議に行った山本太郎が建造物侵入で告発されるということもあった。これに対してネット上では批判の声が上がっている。もちろん声を上げることは大切だが、しかしこのようなことはあちらからすれば序の口で、どんな手を使ってでも弾圧してやろうと手ぐすねを引いているはずである。
しかも、かつてのように最後の砦である司法にもまったく期待できない、どころか状況さえあればまったくの冤罪をでっち上げられる可能性がきわめて高い。
いま私たちはそのような状況の中にいるわけだ。
では、この権力の決意に対して、こちら側はどのように対抗すればいいのか。
最近、私は、ただ大人しく行儀のいいデモをやっているだけでは、もはやダメなのではないかと思い始めている。

※まったくの余談
かつて大日本愛国党の赤尾敏という右翼の大御所がいた。いつも銀座・数寄屋橋の交番の前で辻説法をしていたのだが、もしこの赤尾先生が生きていれば、私はきっと数寄屋橋から東京電力本社の前に街宣車を回していたと思う。今考えると、赤尾敏という人は、もちろん多くの面で私とは考え方が異なるが、しかし立派な人だった。

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かくもさまざまな言論操作

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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戦後日本の思想

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2011/09/09

1997年3月11日

**********
 事態が教えるものは、あまりにもはっきりしている。この程度の基本的、初歩的な事故を起こしうる設備がそもそも原子力発電所なのだ、ということだ。これにつけ加える、どんな理屈も不要だろう。
 この場合も、あたりまえのことをあたりまえといい切ること、すなわち常識こそが大事なのではないだろうか。危ないものを危ないと感じて、危ないものはやめようと提案し、危ないものに執着する論理は成り立たないと、ごくごくまっとうに考える市民の発想以外に、本来「原発論議」は存在しないなずなのだ。
 なぜそれなのに、あまりにも事態は「ほんらい」ではなく、「あたりまえ」ではないものがまことしやかに存在してしまうのか。むしろ「あたりまえ」を、そのにぎやかさで圧倒してしまうのか。むろん、それこそが情報帝国主義の、情報帝国主義である証拠なのだ、といってしまえばそれまでなのだが。
 原発は、いわば「国是」である。「国策」なのである。そして、それが国策であるかぎり、それについての情報はまったく市民に知らされず、それに対するあらゆる疑念自体が認められない。それは、まさに国策であるゆえに存在理由を持つのであり、そこに懐疑も、検証もあってはならないのである。それこそが一党独裁の強いる現実にほかならない。国策であるならなおのこと、十分な検証が必要なはずなのだが、むろんそういう「まとも」は、そこでは通用しないのである。
 危ないものを危ないと感じて、危ないものをやめようと提案して、危ないものに執着する論理はあり得ないとするところの、「まっとうな」市民感覚は、原発をめぐって存在を許されなかった。情報帝国主義は、さまざまな手だてをもって、それを押さえ込んできたのである。
 そのひとつに、原発を危険だなどというのは、科学的な無知のしからしむるものにすぎない、という「理屈」がある。これはけっこう有効な詭弁だった。この「理屈」は、「危険性などはない」という結論を、「無知」呼ばわりと引き換えにきめつけるけれども、その「無知」が納得するようには説明してくれるわけではなく、ただ懐疑は無知の結果であると、決めつけるだけなのだから。
 たとえわれわれ市民が、科学的な専門性を持たないのは事実だとしても、そしてそのかぎりでは「無知」であるのが事実であるにしても、それを「無知」呼ばわりすることで懐疑を嘲笑し、否定した論議は、ついに懐疑のなかにある無知を、懐疑を超えたところの「納得して安心した知的認識」に転じさせることができなかった。そんなにも、説得力のない専門性などというものがあるだろうか。
 はっきりいって、このきめつけにあったのは、論理でも専門性でもなく、ただ「無知」という高飛車な罵倒で、懐疑自体を封じ込める「政治」なのであり、そうである限り「無知」が正当に感じている懐疑や危惧に対して、「無知」よりはるかに非論理的であることははっきりしているのだ。
 さて、だからこそわたしは、さきの指摘にこそここでもどらなければならない。すなわち、この程度の基本的、初歩的な事故の可能性を持つのが、原子力発電所というものなのである、という指摘に。
 科学的な知識が、それだけで認識の優越性を保証するという考え方自体が意味を持たないが、それ以上にここでの皮肉な結論は判然としている。懐疑や危惧を無知呼ばわりした、科学的に優越している立場が、少なくとも専門家としては、この程度に基本的で、初歩的な事故を起こしてしまったのだ。つまりは、非専門家の「無知」が感じた懐疑や危惧こそが、じつは正当に事態を認識していたわけなのだから。
**********

株式会社志木電子書籍より岡庭昇著『かくもさまざまな言論操作』を発売した。
上記の引用は同書の『「国策」はどのような「許容」をも許容しない』という項の一節である。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

この引用の冒頭で指摘されている「事態」とは1997年に茨城県東海村にある旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)の再処理工場で起きた爆発事故のこと(ちなみに「もんじゅ」を開発したのもこの旧動燃である)。
今回、こちらのブログのエントリーを書くにあたって、この事故のことを検索して驚いた(つまりは気づいていなかったということでもあるのだが)。
その日付というのが3月11日なのである。つまり本年3月11日から遡ること14年前の同じ日に東海村で重大な事故が起きていたわけだ。
驚くことは、この事態に対する岡庭氏の指摘が、今日の福島第一原発事故と寸分の狂いもなく符号することである。
つまり――
日本の原子力政策というのは、どのような事故が起きても一つも反省することなく継続されてきたということだ。
後世の人たちが、この歴史を振り返った時、「もしもあの時に原子力政策を見直していれば……」という、その「もしも」のタイミングは一つや二つではなかったろう。しかし、そのすべてのタイミングにおいて、「事故」は「事象」と言い換えられて、何一つ変わらぬまま日本の原子力政策は官民一体となって暴走してきた。
そして行きついた果てが2011年の3・11だったわけだ。

「原発をやめろというならば、その前にクルマの利用をやめろと言え。原発事故の死者はいないが、交通事故の死者は年間5000人だ」というような与太を言う人間が今でもいるそうだが、そういう輩はずっと昔から存在していた。
つまり、原発というのは事故を起こしても大したことはないのだから、どんどんやれということなのだろう。
そもそも、今回の福島第一原発事故の死者がいないというのもまた言論操作の一環だと私は考えているが、一万歩譲ってそれが事実だとしても、それは事故を起こした原発周辺に普段着の人間が近づいていないからというに過ぎないのである。
交通事故を処理する警官が防護服を着て作業をしているか? 現場に長時間いると危険だから入れ替わり立ち替わりの人海戦術をしているか? その事故現場には百年単位で人が近づけないなどということがあるか?
つまり、もう比較の仕方がまったく異なるのである。
にもかかわらず、原発を再開しろ社説でわめきたてている新聞社もあるそうだが、だまされてはいけない。すべては「言論操作」なのである。

※以下も好評発売中です。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/06/11

6・11 ~ 今こそ行動の時!&お知らせ

ここのところ当ブログを更新できなかった。
その理由は、政治にも原発事故にも幻滅したから……
というわけではない。
いや、もちろん幻滅はしているが、ここで挫けてしまっては悪どい連中に負けてしまうのである。
ま、私は50年近くを生きて、それなりにいい時代を過ごしてきたからそれでも仕方がないのだが、しかし孫子の代にまで思いをいたせば、ここで引き下がるわけにはいかない。。

私は子どもが好きだ。
よく電車の中などでキャーキャー言っている子どもをしかめっ面で見る人がいるが、私はぜんぜん気にならない。
それどころか、ほっぺたをチョンと突つきたくなる。
だが3・11以降、そういう子どもを見ていると、そんな衝動よりも本当に「今、なんとかしないと本当にこの子どもたちの将来は大変なことになる」と思いが先に立つ。
残念ながら、すでに彼らの未来は十分に大変ではあるのだが、それを少しでも軽減するべく行動することは、今の時代に生きるすべての大人の責務だと思う。

時々……
「自分は子どももいないし、そんなことは関係ない」
と冷やかに言う人がいる(私見では男性に多い)。
しかし、そういう人だって子どもたちが元気に成長してくれなければ、自分の老後が危ういのだ。
当ブログでは同じことのまたも繰り返しになってしまうが、現在のこの事態に対してそういう「想像力」を少しでいいから働かせていただきたいと思う。
現実問題として、3カ月にわたって福島の放射能はダダ漏れ状態だ。
これはもう本当にとてつもないことであって、時とともに“食”や“健康”について、ますますもって重大な影響が出てくるわけで、このまま放置すればするほど、その被害は幾何級数的に増大してく。
こういう中にあって、もっとも優先すべきは子どもや若い人の命と安全であり、その第一原則は「セーフティファースト」だと思う。
人類がいまだかつて経験したことのない放射能災害においては、どんなに用心しても、どんなに安全マージンを取っても取り過ぎることはない。
そのためには、これまで[原発は安全だ」と言い続けてきたすべての人間の言うことを信じないことが重要だ。そういう連中の言ってきたことはすべてウソ、デタラメ、あるいは間違いだったことは、この状況を見れば明々白々である。
にもかかわらず、原発をこれまで推進してきた自民党と、これからも進めようとしていた民主党が連立するだって? 冗談を言ってはいけない。
とここまで書いたところで、6月2日のエントリーと同じような内容になってしまったことに気づいた(脳みそがトロトロなのです)。
が、とにかく今、行動しなければ末代までの恥と禍根を残すことになる。
これまで妻は私が「やれ、小沢だ、検察だ」といってデモへ行ったり最高検へ前田恒彦を告発に行くのを冷やかな目で見ていた。その顔には「あまりヘンなことをしないで欲しい」という表情がありありと出ていた。
ところが、その妻が先日、「私も6月11日はデモへ行ってみようかな」と言った。
そう思う人が一人でも増えて欲しいと切に願う次第である。

・6.11 脱原発100万人アクション (No Nukes Action by a million people)

※最後に一つお知らせがあります。以前にもちょっと書きましたが、当ブログでこれまで書いてきた原発やメディアに関するエントリーをもとに電子書籍を刊行することになりました。タイトルは、

「東京電力福島第一原発事故とマスメディア」

です。詳細は近日、ご報告いたしますが、iPhone、iPad、アンドロイドにも対応したものとなる予定です。

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2011/05/25

お知らせ

昨日、アップしたエントリー、「闇の検察と闘う」ために声を上げたハンパ者内で紹介したシンポジウムの動画アーカイブがアップされましたので、映像を貼りつけました。
是非、ご覧ください。
市川氏の紹介が1時間21分過ぎから、実際に話をし始めるのは1時間23分50秒あたりからです。

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2011/05/24

「闇の検察と闘う」ために声を上げたハンパ者

当ブログでも告知したが、昨日、明治大学で「検察、世論、冤罪」と題されたシンポジウムが行なわれた。事前に告知されていたのは、司会が岩上安身、パネリストは八木啓代、郷原信郎、山下幸夫、山口一臣の各氏。
事前に郷原氏がツイッターで「サプライズがあるかも」というツイートを流していたので、「何があるんだろう」と思いながら会場に入った。
定時が来て舞台に登壇したパネリストを見ると、事前の告知よりも一人多く、一番右はじに座っている人物は予定には入っていなかった市川寛という名前の元検事(現弁護士)だった。そして私はこの人物を偶然、その前日にテレビで見ていた。テレビ朝日の「ザ・スクープスペシャル 検証!検察の“大罪”~権力エリートたちの『暴走』~」に出演していたのだ。

以下、その番組の市川氏の出演部分の番組告知。

************
■こうして冤罪は作られる!元検事が実態を初告白

2000年に発生した佐賀農協事件で、「ぶち殺すぞ!この野郎!」と怒鳴って自白を強要、厳重注意処分を受けた元主任検事が、実名顔出しで検察の捜査の実態を語った。
「大阪の事件は『ああまたか』と思った。
検察は正義の役所だから、負けるわけにはいかない。
僕らはその最前線の兵士。
戦場で人を撃ち、申し訳ないと言ってたら、自分が撃ち殺される。」
次席検事の主導の下、複数の検事が組織的に行った調書でっち上げは関係者にまで及び、事実とは異なる供述調書が作られていったという。 その当事者たちが次々と口を開いた。
「事前に全部、作文してある。」 
「真っ白なものも真黒に出来ると、身震いしました。」
「署名捺印しなかったら帰さないと、何時間も放置されました。」
冤罪と闘い続け、ついに無罪判決を勝ち取った副島勘三さんは去年2月に亡くなった。
死の直前まで、「私の人生をめちゃくちゃにした主任検事を一生忘れない」と語っていたという。
6年ぶりに佐賀を訪れたその元検事が、家族に土下座し、墓前で検察の再生を誓った。
「副島さんら関係者が味わった苦痛は計り知れないと思います。
これ以上、犠牲者を出さないために、全てをお話しするのが僕の謝罪です。」
************

その市川氏がいったい何を喋るのか? それこそが、まさにサプライズだった。
今回はパネルディスカッションではあったが、まずは八木、郷原、山下、山口、市川の順で一人15分ということで(実際にはもっと長かったが)自分の意見をプレゼンした。最後の順番が来るまでの間、市川氏は時折、メモ書きなどをするものの、その他は背筋をピンと伸ばして会場の一点を見つめている。
そしてついに市川氏の順番がやってきた。氏がどのような話をしたのか? これは是非、その部分だけでも実際に動画で見ていただきたい。とにかく検察の体質を告発する驚くべき内容だ。
(↓動画の1時21分過ぎから岩上安身氏による市川氏の紹介が始まります。 ※動画のアーカイブがアップさたので差し替えました)。


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一つだけコメントをしておくと、市川氏によれば検事とは大きく3つのタイプに分かれるそうだ。
まず第一は「上司からどのような指示を受けようとも検事としての良心に反するものであれば、それがどのような偉い人からのものであっても必ず理論的、あるいは感情的に自分の筋を正して意見をし、そして自分の主義主張を貫ける申し分のない検事」、もう一つのタイプは「正反対に上司から言われたことは何でも言うことを聞く。何の悩みも持たないロボット検事」、そしてもう一つが「上司からの命令には『おかしいな』と思いながらも、しかし反抗はできない。ロボットでもなければ、申し分のない検事でもないハンパ者」。
そして市川氏は自分はハンパ者だという。
しかしながら――。
市川氏はこう言って話を締めくくった。
「ハンパ者でなければ検察庁の暗部、あるいは事実は少なくとも外には漏れないであろうと思っている。なぜなら、自分の主義主張をいかなる上司とのせめぎ合いにおいても貫ける検事は、自分の思った仕事ができるという職場なので検察庁は居心地がよいところ。だからどのような出来事があっても少なくとも検察庁の外には発信しない。ロボット検事は何も考えていないので、上司から言われたことは『はい、はい』とやる。だからロボット検事からもおそらく検察庁で起きていることは外には出てない。
これに対して、ハンパ者は良心の呵責に苦しみつつ、しかし従ってしまう。つまり撃ちたくもない鉄砲を撃ってしまった。そして、ベトナムなりイラクに従軍した兵隊と同じように、兵役を免れて家に帰ってくるとハタと我に返って撃ってしまった敵方の兵士が夢枕に立つ。そして悩み苦しむ。
自分は検察庁を離れてすでに五年ほどになるが、ようやく夢から覚めた。大変な取り返しのつかない過ちを犯した輩ではあるが、そうであるがゆえにその償いとして、検事になってはならなかった人間として、自分が見てきたこと、聞いてきたこと、経験したこと、ひょっとしたら裁判官も弁護士も、いわんや一般市民も知らないだろうことを伝えていくのが、ひょっとしたら自らに与えられた償いの道であるとともに、役目ではないか」
市川氏がこう話し終えた後、期せずして会場からは拍手が沸き起こった。
私も拍手をしながら、心の中で別のことを考えていた。
「東京電力からもハンパ者が出てこないものか……」

以下のPDFはこのシンポジウムで話に出てきた「闇の不正と闘う」という文書で、大鶴基成(現・最高検察庁公判部長)が東京地検特捜部長時代に書いたものだ。呆れるほどの上から目線で、かつ根本的な部分の感覚がズレている。しかも文章もグダグダ(PDFは左から2番目の「view in fullscreen」のボタンをクリックすると拡大されます)。
ということで、最後に私が「闇の検察と闘う」というタイトルで書き直してみた。

Ya Mi


************
「闇の検察と闘う」

近年の検察問題に関心をお持ちの皆さんはお分かりでしょうが、法務検察(とくに特捜部)はマスメディアで報じられるような表の世界ばかりではありません。ネット等で指摘されているとおり、その裏面には、特定の狙いを定めた人間に対して冤罪を作り上げるシステム、マスメディアを巻き込んだ大規模な「空気作り」など悪質な捜査が少なからず見受けられます。毎日朝早くから夜遅くまでひたすら真面目に仕事をしている一般の人びとは、このようなことを知りませんが、事実を知れば憤慨されることと思います。
しかし、実際に法務検察の内部で進行している腐食は、ネットで指摘されるところにとどまるものではありません。悪質な冤罪事案であるにもかかわらず、外形的にはさも合法的であるかのように見えるため、なかなか冤罪事件として脚光を浴びるものや、巧妙な隠蔽工作が行なわれているためそもそもまったく捜査側には問題のない事件としてそれ以上は探知さえされないものなど、法務検察の闇の部分の広がりは想像以上のものがあります。世の中の人に知られることのないまま、あるいは冤罪事件として再審請求の手続きが取られることのないまま、自身の手柄と出世を求めて魑魅魍魎とも言うべき検事たちが暗躍し社会を蝕み続けているようなのです。このような腐食は公正であるべき社会の根幹に歪みを及ぼし、すでにその土台を揺るがすまで至っています。

本来、法務検察を目指す人の役割は、社会の公正を確保することであり、したがって検察の闇の部分に光を当て、腐食を切除することにあります。もちろん、腐食検察に巣くう人たちは狡猾であり、簡単に冤罪作りを認めるような愚かな真似はしていません。手掛かりをつかまれないように、二重三重に防御手段を講じ、関係法令も十分検討し、処罰法規をすり抜けるようにした上で動いているのが常であり、この検察の闇を暴き出して冤罪を立証するのは至難の連続です。

このような困難を打開して法務検察を正すことを進めるためには、おかしな捜査をおかしいと感じることのできる素朴な正義感と、実直に生活している人々の生活と利益を守ることに対する熱意と法律適用を多角的に検討し駆使する能力です。「そんなことをしても検察が認めるかどうかわからない」とか、(専門的な言い回しになりますが)「冤罪事件としての筋が悪い」とか、「法令の趣旨からは合法であろうが判例がないのでどのようにしたものか」などの理由で、告発を躊躇しがちにもなるのですが、しかし、そもそも腐食に利益を貪ろうという人たちは告発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にしてあきらめたのでは彼らの思うつぼです。額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち、法令を遵守して経済活動を行なっている企業などが、だまされ、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
闇を覆っているものがどのような権力的勢力であろうと、どれほど困難な障害が立ちふさがっていようとも、ひるまず、たじろがず、あきらめず、国民のため、社会のために、この闘いに一身を投げ打ってもよいという人たちの団結によってのみ難局を打開して進むことができます。このような志を抱く人たちが、市川氏の後に続いてくれることを待っています。
************

これだけの告発をした市川氏を、法務検察が黙って見過ごすとは思えない。今後、マスメディアを動員して卑劣な攻撃を仕掛けてくることは十分に予想される。
シンポジウムで八木さんが「みんなで守ってあげてください」と呼びかけたが、多くの人が法務検察に対して厳しい監視の目を向けることが何よりも大切だろう。

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2011/05/04

東京電力福島第一原発事故について 〜 110502『「20ミリシーベルト」撤回要求対政府交渉「文科省、原子力安全委員会との交渉」』

いま、霞ヶ関の連中は東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の大事故の混乱に乗じて、やりたい放題を始めている。
私も関与している、元大阪地検特捜部の前田恒彦の「特別公務員職権濫用罪」での告発は、最高検で不起訴になったあと、検察審査会へと舞台を移した。
が、さんざん時間稼ぎをした挙げ句、結果は「不起訴相当」。

詳細は↓をご覧いただきたいが、日本の官僚というのは、とことん腐りきっている。日本は民主主義を装った完璧な霞ヶ関独裁国家だったが、もはやその独裁の肝となっていた“民主主義風の手続き”さえ端折りはじめたようだ。

・八木啓代のひとりごと
やはり、検察審査会に大義がないことが明らかになりました

そして↓の映像。私はここに映っている霞ヶ関の連中を見ていて、思わずディスプレイを殴りつけそうになった。

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2011/04/23

今週思ったこと 〜 御用学者の本音、自己責任バカのデタラメ他

「今週思ったこと」をアトランダムにずらずら並べます。

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一昨日の朝、朝食を食べながらテレビ朝日のワイドショーを見ていた。鳥越俊太郎らが下ろされて、他局から人気のアナウンサーを引っ張って以降、ダッチロールしている時間帯だが(テレ朝からすれば、それ以前の番組内容は本意ではなく、こういう他局と一緒のバカ番組をやりたかったということなのだろうが)、一昨日は意外にもそこそこまともなことをやっていた。
それは浜岡原発についてで、その危険性をコメンテーターが指摘していたのだが、解説に出てきた国立大学の名誉教授はグダグダと「津波についての対策を二重、三重に、、、」などとアホなことを言っている。浜岡というのは、津波の問題でなく(もちろんそれもあるが)、東海大地震の予想震源域の真上に原子炉があるということである。
そこでコメンテーターが、「とにかく浜岡は止めるべきではないか」と問うと、名誉教授は「日本の電力の三分の一は原子力で、、、」と答えた。そこで、コメンテーターが「それとこれとは別で、とにかく浜岡は止めるべきでしょう?」と再び問うと、この名誉教授はこう言った。

「そういう意味では浜岡だけでなく、どこも同じように危ないわけです」

「あっ、この人、本当のことを言っちゃった」と思った。
ちなみに、これは私が一度だけお目にかかった故・高木仁三郎氏と同じ意見である。


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東京電力や経団連の会長は、「1000年に一度の津波は想定外」をしきりに強調しているが、一方でこの連中は高レベル放射性廃棄物を万年単位で管理すると言っている
まったくのナンセンスである。
つまり、原子力産業というのは、ずっと以前から「次の世代のことなど知ったことではない、ただひたすら自分たちがカネ儲けができればいい」という基本方針のもとに続いてきたのだ。

その東京電力というのは経団連会長を多く輩出し、経済界の中心会社として数々の提言を行なってきた。
したがって経団連は自由主義経済を終始推進してきたわけで、何かと言えば「自己責任」を強調してきた。
ところがこの「自己責任バカ」企業が起こした大事故の損害賠償をするにあたって、電力料金を値上げする案があるという。しかも、消費税を上げることも検討されているようである。
アホなことを言ってはいけない。まずは「自己責任バカ」が出せるカネをすべて吐き出させることが第一だろう。電力料金や増税はその後の話だ。

・植草一秀の『知られざる真実』
東電勝俣会長が原発損害賠償での経営破たん示唆


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「AERA」の「放射能がくる」という表紙は激しい批判にさらされたが、ではなぜ枝野の福島訪問は批判されないのか?


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20日(水)は八木啓代さんのライブへ行ってきた。なんとゲストが郷原信郎氏である。それもトークに登場するのではなく(Sax)だというのである。これは行かなければなるまい。
もっとも、その前の打ち合わせが長引いてしまったため、1部の最後に滑り込み。したがって郷原氏の演奏は最後のところしか聴けなかった(アンコールもあったが)。
そして1部終了後には八木さんと郷原氏のトークがあった。↓








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これを聞いていて印象的だったのは、郷原氏が「東電という日本を代表する企業のコンプライアンスがあんなにダメだとは、衝撃だった」と言っていたことだ(12分30秒あたりから)。ちなみに郷原氏は東電の株を1000株所持しているそうだが、コンプライアンスを指導する立場の人間の責任として、紙くずになるまで持ち続けるそうだ。
つまり、あの郷原氏にしても、東京電力がここまでデタラメな企業だとは思っていなかったのである。
しかしーー。
原発に反対している人であれば、誰もがそんなことはずっと前から知っていた。
東電(に限らず電力会社)は、自分たちには莫大な利益をもたらすが、一般国民にとってはなんの利益ももたらさない、どころか信じられないほど大きなツケだけを押しつける原発を建設するため、建設予定地の地元の住民を分断して推進派をつくり、カネで横っ面を引っぱたく一方で反対する住民を徹底的に抑えつけてきた。また、原発ができれば、今度は協力企業という名の下請けどころか孫請け、さらにその下請け、孫請け……から人を集め、人権もへったくれもない環境で労働させ、その人たちが被曝をすれば握りつぶすというようなことをえんえんとしてきたのだ。
そして、コスト増の要因となる安全を徹底的に軽視し、原発の危険性を指摘する人のことは歯牙にもかけなかった。もちろん保安院やら安全委員会など、電力会社の息のかかった連中、あるいは原発を推進してきた自民党も同様で、国会などで原発についての質問が出ても、誠意のかけらもない、本当にけんもほろろの答弁しかしてこなっかた。
つまり原子力を推進してきた集団というのは、コンプライアンスもへったくれもない、ただの超トンデモ集団だったのである。
にもかかわらず、あの郷原氏でさえ、そういうことをまったく知らなかったという。私はここに日本のエリート層の弱さを感じるのだ。
もちろん私は郷原氏を批判するつもりはまったくないし、こういう世の中になってしまったなか、ますます貴重な存在だと思っている。検察問題だけでなく、原発の問題にもどんどん切り込んで欲しい。が、それとは別に、これだけデタラメな原子力発電がここまで長きにわたって続いてしまい、結果としてチェルノブイリと並んで人類史上最悪の大事故を起こしてしまった一つの原因として、郷原氏のみならず、多くのエリート層の認識の甘さ(弱さ)があったような気がするのだ。

で、ここからは原発の話ではないが、大阪地検の元検事・前田恒彦の証拠隠滅罪での実刑が確定した。震災と原発の衝撃があまりにも大きかったがゆえ、本来なら大ニュースであるはずの前田の件はひっそりと処理されたわけだが、これは検察にとっては予定外の幸運だっただろう(そもそも、こういう非常には、どさくさに紛れて平時だったら紛糾するような法案を通してしまうようなことをするのが、この国の官僚というものである)。
しかしながら、検察審査会へと舞台を移した前田の「特別公務員職権濫用罪」の告発については、まだなんの結論も出ていない。これまた検審(の裏にいる法務官僚)が、この非常事態に乗じて、引き延ばしを図っている可能性は十分あるだけに、今後もしっかりと対応していかなければならないと思っている。

長くなってしまったが、最後に八木さん、郷原氏のライブの模様を貼っておく。
まず第1部。郷原氏の登場は35分30秒あたりから。ボーカルもあります(ビックリ)。








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そして第2部。ビクトル・ハラの曲を挟んで、「ラブ・ミー・テンダー」の忌野清志郎バージョン(36分30秒あたりから)。私はこれらの曲を聴きながら、「ああ、日本はこういう曲をシリアスな状況の中で受け止めなければならなくなったんだナ」と改めて思った。
なお、アンコールでは再び郷原氏も登場します(56分過ぎから)。








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2010/12/25

最高検から素敵なクリスマスプレゼントをいただきました

・八木啓代のひとりごと
やっと正式に不起訴にしてくれました(笑)

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2010/11/22

法務・検察と仙谷の合体は最悪の組み合わせである

柳田法相が辞任した。誰もが予想した通りの結末である。
テレビのニュースをチラっと耳にしただけなので正確かどうかは自信がないが、このニュースを伝えるアナウンサーは「国会を軽視した発言をしたとされる柳田法務大臣が、、、、」と言っていた。
不思議な物言いである。このニュースを伝えるアナウンサー自身、あるいは局としては、柳田が国会を軽視したかどうかの判断をしていないのである。
この件は前エントリーでも触れたが、柳田が法務大臣として答弁している最中は、誰一人として問題にしなかったことである。つまり、この時点で答弁をされる側も「そんなものだ、、、」と受け流していたのだ。自民党の連中にしてみれば、単に自分たちが長年にわたってさんざんぱらやってきたことをやり返されていたに過ぎない。
ところが、少しばかり脇の甘い柳田が本当のことを言ってしまったとたん(といっても前後の脈絡を無視して切り取ったものだが)、「国会軽視」などと大騒ぎを始めるのは、毎度バカバカしいお笑いに過ぎない。ま、自民党が政権に復帰した暁には、よもや大臣がこのような答弁をすることはないのだろうから、今からそれを見るのが楽しみである(もっとも、いつのことになるのかは知らないが)。

しかし、一方で看過できないこともある。
この失言騒動の結果、どういうことが起きたのか。
事実としては以下のごとくである。

・「検察のあり方検討会議」を立ち上げ、素人なりに検察改革に並々ならぬ意欲を燃やしていた大臣が失脚した。
・小沢一郎が検察審査会から二度目の起訴議決を受けた時、この検審のあり方にはなんの疑問も呈さずに「起訴は起訴」と言い放った人物が官房長官と兼務という形で法務大臣に就任した(この人物は、検審のみならず小沢一郎の「政治資金問題」についても、非常に検察寄りの姿勢を鮮明にしている)。

以上の事実から導き出せるのは、法務・検察にとって柳田よりも仙谷の方がはるかにありがたい法務大臣だということである。

現在、元大阪地検特捜部検事の前田恒彦に対して特別公務員職権濫用罪の告発状が最高検に出されている。もとより、私も告発人の一人であるが、受理された告発状がその後、どうなっているかはまったくわからない。
前田恒彦は新たな容疑で取り調べを受けているのか? そもそも前田は証拠隠滅よりもはるかに量刑の重い罪状で告発されたことを知っているのか? 検察内部は何もかもが闇の中で、しかもマスメディアは一切、これを報道しない。
こういう状況から類推するに、おそらく最高検は前田恒彦の告発を不起訴にするだろう。そして、その理由も開示しないはずだ。
だが、もし柳田が法務大臣であれば、この結論に対して「なんだかおかしいな?」と素朴単純に思ったことだろう。そして、「検察のあり方検討会議」の議題にするよう命じたかもしれない。その場合、これは単に前田個人の問題から、検察組織全体を揺るがす問題へと波及する。
しかし、仙谷がただ最高検の判断を追認するれば、ここで仙谷は法務・検察に対して最大限の恩を売ることになる。
となれば、当然、仙谷はその見返りを求めるだろう。
菅政権が溶解しつつある今、仙谷がもっとも恐れているのは小沢一郎待望論の再浮上である。
となれば、法務大臣の椅子に座ったこの人物が考えることはただ一つ、このポジションを利用した小沢潰ししかない。
法務・検察と仙谷の合体は最悪の組み合わせだと私は思う。


※参考ブログ~前自民党(しかも清和会)の代議士で弁護士の早川忠孝が、前田恒彦の特別公務員職権濫用罪適用に言及。

・早川忠孝の一念発起・日々新たなり
前田恒彦検事は特別公務員職権濫用罪で告発されるべきではないか

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