当ブログでも告知したが、昨日、明治大学で「検察、世論、冤罪」と題されたシンポジウムが行なわれた。事前に告知されていたのは、司会が岩上安身、パネリストは八木啓代、郷原信郎、山下幸夫、山口一臣の各氏。
事前に郷原氏がツイッターで「サプライズがあるかも」というツイートを流していたので、「何があるんだろう」と思いながら会場に入った。
定時が来て舞台に登壇したパネリストを見ると、事前の告知よりも一人多く、一番右はじに座っている人物は予定には入っていなかった市川寛という名前の元検事(現弁護士)だった。そして私はこの人物を偶然、その前日にテレビで見ていた。テレビ朝日の「ザ・スクープスペシャル 検証!検察の“大罪”~権力エリートたちの『暴走』~」に出演していたのだ。
以下、その番組の市川氏の出演部分の番組告知。
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■こうして冤罪は作られる!元検事が実態を初告白
2000年に発生した佐賀農協事件で、「ぶち殺すぞ!この野郎!」と怒鳴って自白を強要、厳重注意処分を受けた元主任検事が、実名顔出しで検察の捜査の実態を語った。
「大阪の事件は『ああまたか』と思った。
検察は正義の役所だから、負けるわけにはいかない。
僕らはその最前線の兵士。
戦場で人を撃ち、申し訳ないと言ってたら、自分が撃ち殺される。」
次席検事の主導の下、複数の検事が組織的に行った調書でっち上げは関係者にまで及び、事実とは異なる供述調書が作られていったという。 その当事者たちが次々と口を開いた。
「事前に全部、作文してある。」
「真っ白なものも真黒に出来ると、身震いしました。」
「署名捺印しなかったら帰さないと、何時間も放置されました。」
冤罪と闘い続け、ついに無罪判決を勝ち取った副島勘三さんは去年2月に亡くなった。
死の直前まで、「私の人生をめちゃくちゃにした主任検事を一生忘れない」と語っていたという。
6年ぶりに佐賀を訪れたその元検事が、家族に土下座し、墓前で検察の再生を誓った。
「副島さんら関係者が味わった苦痛は計り知れないと思います。
これ以上、犠牲者を出さないために、全てをお話しするのが僕の謝罪です。」
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その市川氏がいったい何を喋るのか? それこそが、まさにサプライズだった。
今回はパネルディスカッションではあったが、まずは八木、郷原、山下、山口、市川の順で一人15分ということで(実際にはもっと長かったが)自分の意見をプレゼンした。最後の順番が来るまでの間、市川氏は時折、メモ書きなどをするものの、その他は背筋をピンと伸ばして会場の一点を見つめている。
そしてついに市川氏の順番がやってきた。氏がどのような話をしたのか? これは是非、その部分だけでも実際に動画で見ていただきたい。とにかく検察の体質を告発する驚くべき内容だ。
(↓動画の1時21分過ぎから岩上安身氏による市川氏の紹介が始まります。 ※動画のアーカイブがアップさたので差し替えました)。
Video streaming by Ustream
一つだけコメントをしておくと、市川氏によれば検事とは大きく3つのタイプに分かれるそうだ。
まず第一は「上司からどのような指示を受けようとも検事としての良心に反するものであれば、それがどのような偉い人からのものであっても必ず理論的、あるいは感情的に自分の筋を正して意見をし、そして自分の主義主張を貫ける申し分のない検事」、もう一つのタイプは「正反対に上司から言われたことは何でも言うことを聞く。何の悩みも持たないロボット検事」、そしてもう一つが「上司からの命令には『おかしいな』と思いながらも、しかし反抗はできない。ロボットでもなければ、申し分のない検事でもないハンパ者」。
そして市川氏は自分はハンパ者だという。
しかしながら――。
市川氏はこう言って話を締めくくった。
「ハンパ者でなければ検察庁の暗部、あるいは事実は少なくとも外には漏れないであろうと思っている。なぜなら、自分の主義主張をいかなる上司とのせめぎ合いにおいても貫ける検事は、自分の思った仕事ができるという職場なので検察庁は居心地がよいところ。だからどのような出来事があっても少なくとも検察庁の外には発信しない。ロボット検事は何も考えていないので、上司から言われたことは『はい、はい』とやる。だからロボット検事からもおそらく検察庁で起きていることは外には出てない。
これに対して、ハンパ者は良心の呵責に苦しみつつ、しかし従ってしまう。つまり撃ちたくもない鉄砲を撃ってしまった。そして、ベトナムなりイラクに従軍した兵隊と同じように、兵役を免れて家に帰ってくるとハタと我に返って撃ってしまった敵方の兵士が夢枕に立つ。そして悩み苦しむ。
自分は検察庁を離れてすでに五年ほどになるが、ようやく夢から覚めた。大変な取り返しのつかない過ちを犯した輩ではあるが、そうであるがゆえにその償いとして、検事になってはならなかった人間として、自分が見てきたこと、聞いてきたこと、経験したこと、ひょっとしたら裁判官も弁護士も、いわんや一般市民も知らないだろうことを伝えていくのが、ひょっとしたら自らに与えられた償いの道であるとともに、役目ではないか」
市川氏がこう話し終えた後、期せずして会場からは拍手が沸き起こった。
私も拍手をしながら、心の中で別のことを考えていた。
「東京電力からもハンパ者が出てこないものか……」
以下のPDFはこのシンポジウムで話に出てきた「闇の不正と闘う」という文書で、大鶴基成(現・最高検察庁公判部長)が東京地検特捜部長時代に書いたものだ。呆れるほどの上から目線で、かつ根本的な部分の感覚がズレている。しかも文章もグダグダ(PDFは左から2番目の「view in fullscreen」のボタンをクリックすると拡大されます)。
ということで、最後に私が「闇の検察と闘う」というタイトルで書き直してみた。
Ya Mi
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「闇の検察と闘う」
近年の検察問題に関心をお持ちの皆さんはお分かりでしょうが、法務検察(とくに特捜部)はマスメディアで報じられるような表の世界ばかりではありません。ネット等で指摘されているとおり、その裏面には、特定の狙いを定めた人間に対して冤罪を作り上げるシステム、マスメディアを巻き込んだ大規模な「空気作り」など悪質な捜査が少なからず見受けられます。毎日朝早くから夜遅くまでひたすら真面目に仕事をしている一般の人びとは、このようなことを知りませんが、事実を知れば憤慨されることと思います。
しかし、実際に法務検察の内部で進行している腐食は、ネットで指摘されるところにとどまるものではありません。悪質な冤罪事案であるにもかかわらず、外形的にはさも合法的であるかのように見えるため、なかなか冤罪事件として脚光を浴びるものや、巧妙な隠蔽工作が行なわれているためそもそもまったく捜査側には問題のない事件としてそれ以上は探知さえされないものなど、法務検察の闇の部分の広がりは想像以上のものがあります。世の中の人に知られることのないまま、あるいは冤罪事件として再審請求の手続きが取られることのないまま、自身の手柄と出世を求めて魑魅魍魎とも言うべき検事たちが暗躍し社会を蝕み続けているようなのです。このような腐食は公正であるべき社会の根幹に歪みを及ぼし、すでにその土台を揺るがすまで至っています。
本来、法務検察を目指す人の役割は、社会の公正を確保することであり、したがって検察の闇の部分に光を当て、腐食を切除することにあります。もちろん、腐食検察に巣くう人たちは狡猾であり、簡単に冤罪作りを認めるような愚かな真似はしていません。手掛かりをつかまれないように、二重三重に防御手段を講じ、関係法令も十分検討し、処罰法規をすり抜けるようにした上で動いているのが常であり、この検察の闇を暴き出して冤罪を立証するのは至難の連続です。
このような困難を打開して法務検察を正すことを進めるためには、おかしな捜査をおかしいと感じることのできる素朴な正義感と、実直に生活している人々の生活と利益を守ることに対する熱意と法律適用を多角的に検討し駆使する能力です。「そんなことをしても検察が認めるかどうかわからない」とか、(専門的な言い回しになりますが)「冤罪事件としての筋が悪い」とか、「法令の趣旨からは合法であろうが判例がないのでどのようにしたものか」などの理由で、告発を躊躇しがちにもなるのですが、しかし、そもそも腐食に利益を貪ろうという人たちは告発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にしてあきらめたのでは彼らの思うつぼです。額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち、法令を遵守して経済活動を行なっている企業などが、だまされ、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
闇を覆っているものがどのような権力的勢力であろうと、どれほど困難な障害が立ちふさがっていようとも、ひるまず、たじろがず、あきらめず、国民のため、社会のために、この闘いに一身を投げ打ってもよいという人たちの団結によってのみ難局を打開して進むことができます。このような志を抱く人たちが、市川氏の後に続いてくれることを待っています。
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これだけの告発をした市川氏を、法務検察が黙って見過ごすとは思えない。今後、マスメディアを動員して卑劣な攻撃を仕掛けてくることは十分に予想される。
シンポジウムで八木さんが「みんなで守ってあげてください」と呼びかけたが、多くの人が法務検察に対して厳しい監視の目を向けることが何よりも大切だろう。