楽天の監督問題について思うこと
1週間ほど日本のニュースにあまり触れていなかったこともあって、どうも時事ネタに対する感覚が戻らない。
なので本日はここ最近、気になっていた楽天球団の監督問題に関して思うところを書きたい。
せっかく球団史上初のクライマックスシリーズ進出、それも本拠地での開催を決めた楽天が、野村監督の去就問題で揺れている。というよりも今季限りの辞任は決定であるらしい。確かに高齢ではあるが、これだけの手腕を持っている監督というのはそうはいないし、野村監督というのは個人的に非常に好きなので大変残念である。
もし親会社が球団をさらに強くするために現監督よりもさらに高いレベルの監督を連れてくるというのならば、私見では中日の落合監督以外にはいないと思うが、それは現状では不可能。
まして、次期監督が広島で結果を出せなかったブラウン監督あたりだったら、その判断に相当な疑問符がつくし、ファンからも批判の声が上がるだろう。つまり今回の監督交代というのは相当にリスキーである。
では、なぜそうまでして楽天は監督を替えたいのか。
これはあくまで推測だが、比較的年齢の若い楽天球団の経営者にとって野村監督は実力はあるものの非常に扱いづらい存在であるからなのではないだろうか。
私は野村監督を見ていると、以前に書いたある博士のことを思い出す。
この博士は本当に優秀で有能だったのだが(あの談志が認めるほど)、なにしろ私生活から何から行動がハチャメチャでその面倒を見るのは相当に大変だった。しかも当時はこちらも20代で人生経験も浅いので、「どうしたらこんなことになるんだ?」というようなことがしょっちゅうあったものだ。
それでも少しずつこの博士の行動に対応できるようになり、博士からも信頼を得るようになったころ、当時、独身だった博士に女性ができた。そしてこの女性、最初はあまり表に出てこなかったのだが、徐々に博士よりも前面に出てきて私たちを振り回し始めた。その頃には入籍もしていたので、そうなってくるとこの女性の発言力も強くなる。
一方、男には女性ができると全面的に寄りかかってしまうタイプがいるが、博士はまさにそのタイプで、これまでハチャメチャな生活をしてきた分、その後始末から何から身の回りのことを一切やってくれる女性なしには生活していけなくなってしまった。
ところが、この女性というのがなにしろ博士以上に一筋縄ではいかない。博士は根は素朴で純なのだが、この女性は戦中、戦後の混乱期をしたたかに生き抜いてきた人が持つある種、得体のしれない迫力があり、相手に対していい顔をするときもあるが、一転、思い切り恫喝するときもある。そしてもう決裂したのかと思いつつ翌日会うと、最初はニコニコ笑って普通に接しているが、そのうちまたこちらを延々と怒鳴りはじめる。それは人生経験の少ない側にとっては相当に苦痛で、現に一緒に博士の面倒を見ていた同僚はボロボロになった。
で、こんなことを書くと大変申し訳ないが、野村沙知代さんを見ていると、私はこの博士の女性を思い出すのである(おそらく沙知代さんよりもさらに強烈だった)。そして奥様に全面的に生活を委ねてしまう博士と野村監督の姿も見事なまでに重なる。
結局、博士と私たちの関係はその後切れてしまい、当時はそれも仕方のないこと、我慢の限界だと思った。
しかし、、、
今になって考えてみると、あの時にもう少しなんとかならなかったかと思う。
確かにあの夫妻は扱いづらかった。が、こちらがそれに対して最善の手を尽くしていたのかというと、やや悔いが残る。人生経験が圧倒的に不足していたこともあり、あの夫妻、とくに奥様に対してしたたかさで対抗できなかったわけだが、もっとやりようがあったのではないかと思うのである。
そして、これは推測であるが、楽天球団もマスコミの前で平気で球団批判をするなど、ひと癖もふた癖もある野村監督、あるいは沙知代夫人と付き合うことにホトホト疲れてしまったが故に監督交代に踏み切ったのではないだろうか。
楽天球団の社長は若い。それでいてここまでの地位に就いたのだから、それなりのプライドがあるはず。そういう人にとって、毒ガスをまき散らかしながら次から次へと変化球を投げてくる夫婦というのは、もう我慢の限界でウンザリという気分になるのはわかる。
しかし、かといってこれだけの手腕のある人物と契約せず、能力は低いが付き合いやすい、球団の言うことを聞く
人物を監督に据えたのでは組織は絶対に緩む。結果、成績もよほどのことがないかぎり今年を上回ることはないだろう。それは、これだけ地元に根付いたファンに対する背信であり、球団経営にとってマイナスである。
そもそも能力の高い人というのは付き合いにくいものだ(逆に「いい人」という評価は能力を競う場合、必ずしもほめ言葉ではない)。
だから、、、
私は楽天球団は、もう少し我慢して野村監督を使い続けてはどうかと思うのである。
相手がさまざまなことを仕掛けてくるのならば、それは軽く受け流して、たとえば野村監督にもっと高いハードルを課せばいい。もともと監督をやりたくて仕方がないのだから、それを逆手にとって相手の毒ガスをうまく受け流すしたたかさを持って欲しいと思うのだ。
なんだかんだといっても楽天がここまで仙台に根付き、しかも全国的にも注目される存在になったのは、野村監督の存在を抜きにしては考えられないのだから、使えるだけ使えばいい。
ちなみに私の経験では、毒ガス夫婦とのウンザリする日々というのは、後から考えると意外に懐かしいものだ(悪い記憶ほど鮮明に残るということもあるが)。また彼らのおかげで多少なりとも鍛えられたがゆえ、今では自分自身が「煮ても焼いても食えないオッサン」になりつつあるが、それはそれで悪いことではない。
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