2017/05/02

北朝鮮問題 ~ 本当に危機なら、なぜ諸外国は3.11と同じ対応をとらないのか?

昨日の朝、テレビをつけたらワイドショーをやっており、相変わらず北朝鮮問題をえんえんと垂れ流していた(その次は森友だった)。
朝食を食べながらこれを見ていて、ホントに日本は北朝鮮とよく似ているナと改めて思ったのだが、改めてというのは、かつて2006年に以下のようなエントリーを書いていたりするからだ。

・誰も通らない裏道 2016/10/26
北朝鮮についての続き

「北朝鮮は尋常でない」という報道を繰り返し垂れ流し、挙句の果てに総理大臣が「情報収集・分析に全力を挙げ、国民に対して、迅速・的確な情報提供を行うこと。航空機、船舶等の安全確認を徹底すること。不測の事態に備え、万全の態勢をとること」などという指示を出し(そのくせ本人や閣僚たちはノコノコ外遊に出かけている)、また「北朝鮮による弾道ミサイル発射事案について」などという記事をホームページにアップする国はまことにもって尋常ではない。

さてしかし、、、
「バカヤロー、彼の国は現実に弾道ミサイルをぶっ放しているじゃないか」という意見に対してひとこと。

もし本当に北朝鮮問題が緊迫しているのなら、3.11の時と同じことが起きます。
しかし現在にいたってもまったくその気配はありません。

では、その同じこととは何か?
3.11を思い出してみよう。
あの時、諸外国は日本にいる自国民に対して避難指示を出し、飛行機まで差し向けた国すらあった。
が、今回、そんな国はどこにもない。

3.11の翌週、電通、博報堂、ADKという日本を代表する広告代理店は数日ではあるけれども、「出社に及ばず」との指示を出している。あの電通ですら。なぜかというと、福島第一原発が危機に陥った瞬間、外資系のクライアントが引いてしまったりつかまらなくなったりしたからだ。みんな逃げることを最優先したのである。
平日にもかかわらず東京駅の新幹線乗り場は大混雑。
つまりあの時には本当に本当の危機だったのだ。
結果、3つの原子炉がメルトダウンするという前代未聞、有史以来、最大の事故が起きてしまったわけで、諸外国の認識は正しかった。もちろん同様の認識は原子力ムラにも日本政府にもあったが、これを公表すると大パニックになるということで情報をコントロールし、御用学者を総動員して嘘をつき続けたわけだ。
不幸中のわずかな幸いは、最悪のなかでも最悪な事態はかろうじて逃れることができたことだった(菅直人というのはろくでもない総理大臣だったけれども、福島から全面撤退をしようとする東京電力を恫喝して引き止めたのは後世に残る業績であろう)。

しかして、先月も今月も広告代理店勤務の諸氏は元気に残業し、電通にいたっては平日は10時以降(だったかな?)は会社にいられないので土日に普通に出勤したりしているわけだ。
都内は相も変わらず外国人観光客が大勢うろつき、彼らに対して大使館が早急な退避勧告をすることも注意を呼びかけることもない。
日本以外で北朝鮮についてここまで大騒ぎしている国はどこにもいないのである。
ま、アメリカは多少、騒いでいるが、この国だって自国民を日本から出そうなどという動きはまったくない。
そして韓国では普通に大統領選挙が行なわれている。
急に止まった東京の地下鉄に乗り合わせた外国人観光客は、さぞかし「ヘンテコリンな国だなあ」と思ったことだろう。
こんな日本はやっぱり北朝鮮とよく似ているナと愚考する次第なのである。

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2017/04/18

金田勝年は最高の法務大臣である

共謀罪の審議が始まった。
昨日は以下のようなアホなやり取りもあったという。

【4/17決算行政監視委員会】キノコ採りも溶岩拾いも「共謀罪」!山尾志桜里「共謀罪」について安倍総理と金田法相に質問

今国会で頻繁に見られる金田と山尾のやり取りだが、どれを見てもまともなことを言っているのが山尾であることは火を見るよりも明らかであり、意味不明な答弁をグダグダと繰り返す金田の脳みそのとろけぶりときたら、これが元大蔵官僚(一橋大学卒)なのか?と目を疑うほどである。

しかし、だからこそ金田は共謀罪を通したい安倍政権、というよりその先にいる霞が関にとって最高の大臣なのだと思う。

そもそも共謀罪はまともな法案ではない。とくに今回はまたひどい。
まともな法案でないのだから、まともに審議しても成立しない。
ところが現在は「立憲主義は古色蒼然たる考え方」と口走る極めつけにまともででない男が総理大臣を務める政権である。
当然、閣僚もまともでない。
これはまともでない共謀罪を何がなんでも通したい霞が関にとっては千載一遇のチャンスなのである。

山尾と金田のやり取りを聞いていると、山尾の鋭い突っ込みに金田はまともに答えることはできない。こんなことが続けば、まともな人間だと大臣の椅子を放り投げて自宅に引きこもりたくなるだろう。
ところがこの金田、なにしろまともでないので、どんなにやり込められても意味不明の答弁を続けることができる。
こうなると時間がくれば、いずれ「十分に審議を尽くした」といって強行採決することができる。

つまりまともでない法案を成立させるための致命的に重要なポイントは、まともでない政権でまともでない人間を法務大臣に据えることであり、それに見事に成功した霞が関の面々からすれば、金田勝年こそは最高の大臣なのである。

もし答弁する時に「この法案はやっぱりチトおかしいんじゃないかな?」などという疑問が少しでも湧いたら最後、それが頭に引っかかってしまってあのようなグダグダ意味不明の答弁はできなくなってしまう。
ところが67歳のこの大臣は共謀罪が成立した先のことなど知ったことではない。「ここで共謀罪を成立させれば大臣の名前は歴史に残ります」とでも囁かれれば、「オレも極めたナ」なんぞと思うのだろう。

今国会での森友問題や共謀罪の審議を見ていて、民進党の中にはまともな議員が結構いるんだなと思っている。世襲でない彼らは普通に勉強しているから頭がよく、十分すぎる常識があり、努力することの重要性を知っている。
ところが、ここへ来てのその民進党の面々が相手にしているのは、彼らがこれまでほとんど見たことのなかったまともでない人間の集団である。

私はもちろん共謀罪には絶対反対だが、こうなると現時点でこのまともでない人間に勝つのはなかなか難しいのではないかとも思う。
本来、こういう場合はメディアが先陣を切って批判するべきだが、そのメディアもまたまともでないのが事態を決定的に悪くしている。

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2017/03/26

証人喚問と共謀罪

とりあえず籠池夫妻の思想信条については脇においておく。
この夫婦はとにもかくにも小学校設立のために走り回り、府議や国会議員のもとへ足を運んでいた。が、たとえ与党にいても力のある議員はそうそういるわけではない。
学校入学の陳情を受けて合否情報を先に学校側から聞き出し、合格していれば、それが実力であるにもかかわらず「なんとか合格しました」といってカネを受け取り、不合格であれば「残念ながらダメでした」と伝えるような事務所はゴロゴロある。
実際、籠池氏が証人喚問で名前を挙げた議員に相談してもまったく物事は進まなかった(「問い合わせはしたがそれだけ」と言った議員がいたが、まさにそれしかせず、省庁からはまったく相手にされなかったわけである)。

ところが、時の総理大臣夫人がやってきて(籠池証言を信じるなら)100万円を寄附してくれて、さらに「一人でさせて申し訳ありません」と言ったという。そこには言外にか実際に言葉に出してかはわからないが、「これからは私(安倍晋三も含む)も協力します」というニュアンスが濃厚に出ていたのではないか? もしそうなら、その際に夫人が「具体的なことは谷氏とやり取りしてください」と言った可能性は十分にある。このことをして、籠池氏は「非常にうれしく、これで物事が進んでいくと思った」のであり、その後、谷氏に手紙を書いたという推測は成り立ち得るだろう。
なにしろそう言ってくれた相手は役立たずのチンピラや三下ではない、総理大臣夫人なのである。
籠池夫妻の喜ぶまいことか。そりゃあ直後の運動会で「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」ぐらいのことを幼稚園児に言わせたくなるのもムリはない(無論、それが正しいと言っているわけではない)。
しかも、その後現実に、与党の連中も認める「ムリ筋」案件のハードルが消え去っていくのだ。
まことにもって総理大臣の妻の威力、陳情処理能力は絶大だったわけである。

蛇足だが、二十年以上前、私は一度だけ付き合いのあった自民党の大物に属する代議士秘書に、知人のことで陳情したことがある。その効果はまことに絶大で、まさに神風。満額回答の知らせを受けた知人は狐につままれた顔で私を見て「信じられない」と言ったものだった。
ことほどさように陳情が威力を発揮することがあるわけだが、もちろん秘書を通じて問い合わせを受けた側も、背後にいる議員のランクを見ているわけで、それが総理大臣夫人(=総理大臣)であればどんなムリ筋でも通そうとするのは当然のことである。

それにしても、、、
このたびの証人喚問を見ていて明らかだったのは、籠池氏を偽証罪で引っかけようという与党の満々の「意欲」である。当初は参考人招致でさえ消極的だった連中が、「総理を侮辱した」という理由で証人喚問に応じたのは、一にも二にも100万円の寄附をいい始めた目障りな人間を「偽証罪」でぶち込むためであろうし、いまもそれを虎視眈々とそれを狙っている。相手が民間人であろうがなんだろうが知ったことではない。
これは安保法制の時も顕著であったが、安倍政権の最大の特徴はリーガルマインドの著しい欠如であり、目的のためなら法律などどう捻じ曲げてもよろしいという姿勢は際立っている。
そういう連中が共謀罪を手にしたらどうなるか? 自分たちの気に入らない、目障りな人間をどんどんぶち込んでいくことは火を見るより明らかであり、この法案の目的はその一点にある。
この最悪の法案を潰すための最善手は、アッキード疑獄で安倍政権を潰すことだろう。

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2017/02/17

東芝の今日は、日本の明日

旧ソ連は1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の破局事故から5年後に国家体制そのものが崩壊した。
かつて小出裕章先生に、このソ連崩壊とチェルノブイリの破局事故は関連性を訊いてみたところ「ソ連の崩壊については複合的な要因があるけれども、その中の一つとしてチェルノブイリの事故は間違いなくある」というのがその答えだった。

そのチェルノブイリにしても、破局事故が起きた年の暮れには石棺が完成している。ところが日本では使用済み核燃料が事故を起こした原子炉内にあり、これを抜き取らないことには石棺にすらできない。しかしなにしろ放射能の数値が高く(直近では630シーベルトを観測)、人が近づけるレベルでもない。結果として水を注入する以外のことはできないが、それは放射能による汚染を絶望的に拡散させることになっている(現実問題として溶け落ちた燃料デブリを回収することは絶対にできず、現在の計画はまったくの夢物語である)。

こうした状況を鑑みるなら、やはり日本においても5年というのは一つの区切りではないかと思ってきた。しかしながら、丸五年を経て、表面上は日本では原発再稼働の流れが強まるだけで、国家体制を揺るがすようなことは起きなかった。

しかし、やはり原発の破局事故の影響は日本においても深く、かつ確実に進行しており、それがいま東芝という大企業を崩壊の瀬戸際に追い込んでいる。
いまここでこの東芝の危機の詳細については書かないが、要するに00年代にアメリカのウェスティングハウスを買収し、原子力発電事業を拡大しようとしたことがすべての始まりだ。
当時は「原子力ルネッサンス」などと言われた時代で、この買収によって東芝の体質が強化されたなどと評価されたが、筋金入りの反原発である私は当時から「アホなことをやる会社だナ」としか思わなかった。

そして、3・11ですべてが暗転。原発は世界的に「衰退」がトレンドとなる(にもかかわらず成長産業などとのたまって自ら海外に営業して歩いた安倍晋三はウルトラ級のバカとしか言いようがない。しかもそのすべては失敗している)。
わずかながら新規で建設している原発はあるものの、コストは鰻登りとなり、3・11以前は一基3,000億円と言われた建設費は1兆円近くまで跳ね上がり、それでも安全性を再検証してみたらさらに1兆円はかかると言われ、しかも最終的に完成して稼働できるかどうかも定かでない。
「原発は安い」などという神話はもともと与太話だったが、これにて完全崩壊したわけだ。

それにしても……。
新規に建設するにしてもこれだけかかるのだから、既存の原発を再稼働するとなれば、よほどのカネをかけないと最新の原発と同じレベルの安全性を確保することはできないのではないか?という疑問は当然わいてくる。
まして日本の原発の安全基準は「世界でもっとも厳しい」はずなのだ(このセリフを安倍晋三だけでなく、蓮舫までが口にするところに日本の政治の絶望的状況がある)。
ところが、日本の電力会社は安全に対してコストをかけるのがよほど嫌いらしく、福島第一原発事故で本当の大破局からは逃れることのできた最大の要因である免震重要棟をつくる気もない(あるいは昨日のニュースによれば、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の免震重要棟は耐震強度が想定より低く、震度7には耐えられないという。しかも東電はこれを3年前から知っていたが隠していたという)。
それでも再稼働が認められるのだから、実はその安全基準は相当に低いのである。

したがって日本の場合、原発の破局事故はもう一度起きるのではないかと私は予想しているのだが、たとえ運良くそれがしばらくは起きないとしても、すでに日本は破局事故を起こした原発が3機もあり、しかもまったく収束の気配がないという圧倒的な現実が目の前にある。
今月に入って2号機の格納容器内にロボットを入れたところ空間放射線量は650シーベルトという驚くべき数値を記録したが、これでさえあくまで推定値である。
日本人がすでに終わったと思っている原発事故は収束どころか、およそコントロールができるような状態ではないのだ。かといって放置したままでおけば、放射能による汚染は拡大の一途をたどり、国際的な非難を浴びることになる。

こう考えると、破局事故を拱手傍観しているヒマはない。現実的には燃料デブリの取り出しなど諦め、1号機から3号機までの使用済み燃料を取り出した後はチェルノブイリのように石棺にするしかない。だが、それにしてもいったいどれだけのカネがかかるのか、いつまでかかるのかわからない。
確実に言えるのは、日本にとって福島第一原発事故は国家の存続を危うくするほどの重荷になるということで、東芝の今日の惨状は、日本の明日の姿なのである。

※もし東芝が「会社を再建するにあたって従業員の結束を強めるため、復活大運動会をグループ全体で開催する」と言ったら頭がおかしいんじゃないかと思われるだけだが、東京オリンピックはそれと同じことである。

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2016/11/24

トランプ当選翌朝の通販広告で露呈した、ジャーナリズムのお寒い現状

安倍晋三が大統領に就任もしていないトランプに会いに行った件で、佐藤優が厳しく批判している。

このなかで佐藤はこう言っている。

11月9日の11時過ぎに鈴木宗男さんから電話がかかってきて、「大変だと。安倍総理が怒り心頭に発している。その前日に外務省の杉山事務次官が安倍さんのところへ行って「外務省の方で調査しましたが、われわれの分析でヒラリー・クリントンが逃げ切ります、大丈夫です」という報告をしたですよ。そうしたら蓋が開きかけたら違うじゃないかと。もう外務省の話は聞かないでいい。CNNとNHKで判断するからという状態になっているということで、いま外務省がビビリ上がっている。

安倍晋三は9月20日にニューヨークでヒラリー・クリントンにだけ会っているわけだが、つまり外務省も官邸もなんのリスクヘッジもせずにヒラリー当選を勝手に決め打ちし、その路線でTPPを始めとする国内の政治日程もすべて固めていたわけだ。おそらくヒラリーが当選すればTPPについては何らかの心変わりがある感触もあったのだろう。

ところが結果はトランプ当選。これでパニックになった安倍がトランプに会いにいくと言い出したことを止められず、就任前の大統領にゴルフのパターを持参して会いに行くという、およそ前代未聞の恥さらし行動をしたわけである。

で、ここからが本題なのだが、トランプ当選が決まった翌日の日経朝刊の2面から5面までは以下のようになっていた。


以下は↓URLへ。

・http://kappa-man.net/2016/11/24/nikkei_yomiuri/

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2016/02/13

「好き嫌い」で政治をやってきた前原誠司の絶望的政治センス

かつてNHKの将棋番組の正月番組で「大逆転将棋」というのがあった。
これはプロ棋士とアマ(将棋に覚えのある芸能人)が対局するのだが、飛車角落ちなどハンデをつけて最初から指すのではなく、プロの対局の投了図からスタートする。つまりこの対局で勝った棋士の側をアマが持ち、投了した側をプロ棋士が持つのである。

なぜ、すでに勝敗の決まっている局面からなぜスタートするのかというと、実はアマチュアは投了図など見ても、その局面でどちらが勝っているかなどわからないから。
一方、プロは何手、何十手までも先を読み、「こう指すと勝つな」「こう指されると負けるな」というのがわかる。ゆえに、素人からすると「どうしてこんな指しかけの局面で投げちゃうの?」というところで勝負がついてしまうのだ。
そういうところからプロとアマ(もちろんアマ側にはプロのアドバイスが入るが)が対局するとどうなるか?

実はプロの勝負というのは、一手二手の違いで勝敗が決まる。
つまり、アマがその一手二手を間違えるとたちまち勝敗の行方は混沌とし、さらに間違えるとあっという間にプロに逆転され、逆にアッサリと詰まされてしまうのである。

ここ最近、安倍政権はガタガタの様相である。
それは当然のことで、要するにこれまでメチャクチャなことをやってきたのだから(ただしそれを隠して国民を騙し通せたのはマスメディアが全面的に協力しているからである)当然のことだ。
甘利は「事実上のあっせん収賄」で大臣を辞任、その他の閣僚もまあデタラメ放題、そして党内もハチャメチャである(これば小室直樹博士が指摘するところの「アノミー」であるが、その件については別の機会に)。

そうしたなかで今年は参議院選挙が確実にあり、どうやら衆議院選挙も確実にありそうだ。
そして今後のことを考えると、この選挙は重大な意味を持つ。

これより先はこちらで。

※ただいま当ブログの移転、統合ブログの開設準備中です。リンク先はそのブログの「誰も通らない裏道」へ飛びます。

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2015/06/26

徴兵制 ~ その驚くべき不正の歴史は必ず繰り返される

実に久しぶりにブログを書く。
といっても、以下は昨日読んだ本からの引用である。

集団的自衛権の次に来るのは間違いなく徴兵制であろう。

「いくらなんでもそこまでは、、、」

などということはあり得ない。なぜなら、120%憲法違反である集団的自衛権すらが、いまや認められようとしているのだから。

なにゆえ政府はここまでやろうとしているのか?
私は個人的には、福島第一原発の手の施しようのない現状、アベノミクスの惨憺たる行く末から目をそらすために、いざという時にはいつでもドンパチできるようにしておくことが目的なのではないかと睨んでいる。

当ブログでは3.11の前からチェルノブイリ事故から5年後にソ連という官僚国家が崩壊したのは他人事ではないのではないか?ということを指摘してきた。
いまチェルノブイリ後のソ連と同じ道を辿っていると思うのである。

さて、以下に引用するのは森史朗著『松本清張への召集令状』(文春新書)の「第五章 召集令状とは何だったか」の「Ⅱ 召集令状のカラクリ」の冒頭部分だ(太字部分はブログ主)。

********************

 記事は月刊『文藝春秋』誌に掲載されたもので、タイトルは「『兵隊製造人』の手記」(昭和三十年二月号)。筆者は神戸達雄。召集令状の不正のカラクリを告発した文章である。
「兵隊製造人」とは召集令状、いわゆる「赤紙」を発令する立場の人物を指し、筆者は清張さんたち妻帯の中年兵を恐怖におとしいれた「赤紙」が公正に発令されたものではなく、きわめて恣意的におこなわれていた一つの事実を明らかにしている。
「私が、今ここで五千人や一万人の召集令状を誰にしようと私の意のままに出来た」
 と、恐ろしい告白をしている。
 その結果、何が生まれたのか。筆者は冒頭で率直に書く。
「一度『赤紙』を受取ったら、既に好むと好まざるに拘わらず、それは直ちに死を意味した。当人は勿論、その家族のうけるどん底の思いは、現在が平和であるだけに、測り知れないものがあった。
 二三〇万人にも及ぶ戦死者と、十五万人の戦傷病者、そして更には問題を今日まで残してきている四〇〇万人の遺族が、一枚の紙片『赤紙』の乱舞に依って生れたのである」
 戦後十年を経過しているだけに、率直な告白である。東京裁判が終結し、サンフランシスコ講和条約が発効した段階で、ようやく戦争の真実が語られはじめた時期なのである。今までタブーとされていた軍隊の実態が、はじめて明るみに出されたのだ。
 たとえば、兵隊動員の実態とはこんな具合である。
「南方で飛行場を建設するために、三千人の要員がほしい」という要求が出たとする。軍中央から各連隊司令部が受けた命令は、
「昭和二年から五年までの徴集年次、未教育二国、三千三百人、三月一日午前十時○○海兵団」
 となる。「未教育二国」とは、徴兵検査後、教育訓練を受けなかった第二国民兵の意味である。ただちに、司令部事務官が三、三〇〇枚の赤紙を用意する。
 司令部事務官といっても、実際に作業にかかるのは若い下士官や軍属、ときには徴用の二十歳前後の女性たちである。
 彼らは各地方別にならべられた兵籍名簿に適当に赤紙を差しこみ、一方で混んだ地方からはこれをぬき取ってまばらな地域に回して均一をはかる。この赤紙一枚のさし替えで、その人物の運命が決まるのである。
 赤紙を抜かれたほうにとっては極楽だが、差しこまれたほうに待ち受けるのは、一転して地獄と死だ。赤紙の差しこみ作業は、慣れてくれば瞬時におこなわれ、五時間もあれば赤紙は確実に日本各地の本人の手もとにとどけられた、と記事にある。

「私達の眼にとまった名前の人が、どういう運命の糸に操られていったか。それを思うと、慄然とした気持にならないでもなかった」
 と神戸達雄氏は述懐しているが、その作業が“時には喫いかけの煙草をくわえた気楽さ”で処理されていた実態もあったから、事務処理とは言うものの、かなり杜撰な処理であったことも指摘できるようである。
 事務処理が簡単なゆえに、腐敗の入りこむ余地があった。手記は、筆者が実際に体験した、こんな事例をあげている。
 連隊司令部の事務官にAという男がいた。三十七歳で下士官上がり。経験も古く、半年や一年前に来た佐官級の人物でも、この男にアゴで使われるほどの隠然たる勢力を持っている。
 そのAがある日、在郷軍人十数名の名前を各員にしめし、
「これは俺の親戚の者だ。召集しても、もちろん差しつかえないが、そのときはちょっと俺に連絡してくれよ」
 と、一人ずつ名前のついた赤符箋を全員のまえでさりげなく見せた。この連中には召集令状を出してくれるな、という暗黙の指示である。
 命令ともいえぬ命令で、赤付箋はただちに兵籍名簿の該当者に貼りつけられた。これで十数名の人間は赤紙召集の恐怖からのがれることができ、代わってだれかが召集されて戦場におもむくのである。

 では、この「赤付箋のつけられた人物」とは、いったいだれなのか。記事によれば、Aの親戚縁者とは何のかかわりもない会社重役、食料などの配給事務にたずさわる上役、料亭の主人、知名人など、当時の“儲かる仕事に従事している人”ばかり──。
 また、こんな人物もいる。仮にBとしよう。
 Bも古顔のベテラン格で、連隊司令部に配属されるや、たちまちにして頭角をあらわした。事情通の古参軍属であるだけに、召集免除の手口も巧妙である。
 まず、司令部にある空白の赤紙から一枚をこっそりと抜きとり、勝手に名前を記入する。その相手とは例外なく地域の有数の資産家で、つぎにBは当人を直接訪ねると、おもむろにつぎのように切り出す。
「実は、困ったことになりましてね。今日、司令部を半日留守にしたら、何とこんな召集令状がはいっているではありませんか。あなただけは召集から守ると約束をしていながら、私も面目ない。これは、すぐ戦地に出発する部隊ですからねえ」
 打ち明けられた本人は、顔面蒼白となる。戦争末期になると、軍隊での内務班生活も苛酷なら、輸送船に乗せられて南方戦線送りされるのも地獄である。いずれにしても、未来に希望はない。
 Bはその動揺を見越して、さらにこうつづける。
「あなたは社会的に重要な人です。だから、そんな人物に軍馬の脚などを洗わせたって国家的損失でしょう。これから私は司令部に引き返して、この赤紙を他のだれかに肩替わりしてもらえないか、上役に訴えてみます。
 もし、そのことが実現したら、あなたが社会的に重要な存在だという裏付けだけはして下さいよ。あなたの代わりに、他の人が死ぬのですから」
 神戸手記が真実なら、まるで手練れの詐欺師まがいの口説である。

 架空の赤紙とは気づかぬ相手の資産家は、Bにたいして総力をあげてヤミの物資、ヤミの供応、金銭の奉仕に熱中することは請けあいである。やがてBが上役への工作が成功したとふたたび姿をあらわし、赤紙をかざして、
「これは無用になりましたから」
 と破りすてて、一件落着となる。万が一、実際に召集令状が発行されそうになった場合、前述のAの手口のように「親戚の者」として巧みに除外させれば良い。
 手記の文章はこうなげいている。
「本土決戦、水際作戦の文字が新聞に現れてから間もなく、稀にみる大動員があった。当時兵役のある者は殆んど出尽し、家郷に残ったのは、国民皆兵組の『未教育二国』が大半であったから、この二国を浚っていったのは当然である。十九歳の少年と四十三歳の父親と、親子仲よく入隊した笑えぬ話のあった頃だったが、丸腰で内地の水際にザン壕掘りに使われた兵隊である」
 神戸氏の体験でも、なぜか血色の良い、立派な体格の若者が「肋間神経痛」とか「脚気」とか、外部からみれば判別のつかない理由で召集免除の恩恵を受けている。
 同氏が実見した臨時召集の場合、二三人召集組のうち一九人が即日帰郷となった。その顔ぶれをみると、Aが「親戚の者」として赤付箋をつけた男たちばかりではないか。代わって、四十歳代の中年兵が「赤紙」を片手に戦場に出て行った。
 これが、召集令状の実態である。堂々と不公正な選抜がまかり通り、それによって戦場に送られることなく生きのびた連中がいる。

 松本衛生二等兵の場合も、そのだれかに代わって臨時召集され、一家六人を残して朝鮮へ駆り出されたのではないか。では、いったいだれがその意図的な選抜とかかわっていたのか?

 清張さんはその記事を「ぜひ読みたい」といい、私は折り返し記事のコピーを浜田山の自宅にとどけた。
「遠い接近」が『週刊朝日』誌上に連載されたのは、それから約半年たってのことである。

********************

もし自公政権の下で徴兵制が実施された場合、もちろん議員連中や支持団体の有力子息が徴兵されることはないだろう。そしてまた、メディア関係者の子息も。

ちなみに、鴨下信一著『誰も「戦後」を覚えていない [昭和20年代後半篇]』(文春新書)によれば、朝鮮戦争当時、著者は学校で「おい、あんまり朝鮮戦争のこと、大声でしゃべると沖縄に引っぱってゆかれるぞ」「軍隊があったら、すぐ徴兵だったな」「戦争放棄だもんな」とヒソヒソ話していたそうだ。

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2015/04/04

どうすることもできない福島第一原発を放置して、東京五輪に邁進するふしだらな国は、順調にチェルノブイリ後のソ連と同じ道を辿っている

福島第一原発事故から丸4年が過ぎ、いよいよ5年めに入ったわけだが、私はこの5年というのは一つのメドではないかとかねがね思ってきた。

福島第一原発の事故は有史以来最悪の事故であり、これと比肩しうるのはチェルノブイリだけだ。したがって、この事故の推移を繙くことは重要なわけだが、その場合にもっとも注目すべきは、事故から5年でソビエト社会主義共和国連邦という国家体制そのものが崩壊してしまったことだと私は思う。

参考リンク
・誰も通らない裏道「北朝鮮についての続き」(2006/10/27)
「ちなみにこのソ連邦は崩壊するわけですが、その大きなきっかけの一つはチェルノブイリ原発の事故です。官僚独裁国家が破局的な原発事故をきっかけに崩壊したというのは、日本にとってちょっと薄気味悪い前例なのではないでしょうか。」

・誰も通らない裏道「予定調和国家」(2007/03/20)
「旧ソ連はチェルノブイリ原発の事故をきっかけとして崩壊したと私は考えているが、ここへきて事故や事故隠しが続々と発覚している日本の原子力発電に、破局的な事故が起きないという保障はない。それどころか、日に日にそれが近づいているようにさえ思えてしまうのである。」

この件については2012年、小出裕章先生におうかがいしてみたところ、「ソ連の崩壊というのは複合的な要因によるものだろうが、チェルノブイリの事故というも間違いなくその一つに入る」とおっしゃっていた。

では、現在の日本は旧ソ連と同じ道を辿っているのかといえば、私はそうだと思う。
というのも──。
もはやこの国は法治国家としての体をなしていない。
現在の政府というのは、自分たちの都合のいい時だけ(たとえば辺野古などはまさにその典型だが)、「日本は法治国家であるから」云々という話を持ち出す。

さて、本当に日本が法治国家であるのならば、今現在、法律に照らせば放射線管理区域としなければならない場所に住んでいる人びとは移住させる必要がある。が、そのようなことをすれば、あっという間に国家財政は破綻してしまので(ま、すでに破綻しているのだが)、しないというだけの話である。

しかも現実問題として、福島第一原発の事故処理はこの4年でほとんど何も進んでおらず、今後、いつの時点ですべてのコトが片づくのかは不明であるし、そのためにいったいいくらのカネがかかるのかもわからない。
これだけの惨状を呈しているにもかかわらず、福島の現実は日々のニュースから消え、2020年の東京オリンピックに向けて、景気がどうの、バブルがどうのなどと言っているのだから、ふしだら以外の何ものでもない(※1)

私は仕事柄、わりと多くの本を読むのだが、日本経済に関して書かれた本で、それが楽観的なものであれ、悲観的なものであれ、福島第一原発の経済的リスク、つまり「原発破局の経済学」について触れた本はお目にかかったことがない。
「たとえ東京電力が何回潰れても、日本の国家が破綻したとしても贖いきれない被害がすでに出ている」(小出裕章先生)にも関わらずである。

と、こう書くと、「お前は小出某という反原発の人間の言うことばかり引用しているではないか」と言われるかもしれないが、それはいたって当然のことだ。
福島第一原発事故以前、日本には「日本の原発は絶対に事故を起こさない」という圧倒的多数派と、「このままでは破局的な事故が起こる」という圧倒的少数派がおり、このどちらが正しいのかは、一般の人びとにはなかなか判別しがたかったが、少なくとも事実として後者の主張が正しかったのだから。
であれば、事故後はまず正しかった人びとの主張に耳を傾けるのが真っ当な人間というものだろう(事故後の遮水壁の件にしても小出先生の主張を最初から取り入れていれば、ここまでひどいことにはならなかった)。

圧倒的多数派が主張していた「日本の原発は五重の壁があり、それが破られることは絶対にないから安全である」などと言うのはただの大法螺に過ぎなかったのである。それも当然のことで、彼らの頭の中では、安全=コストという認識しかなく、したがってこのコストをいかに削って儲けを増やすかしか考えていなかった。

そのかわりにこの連中が血道を上げたのは、「破局事故が起きた場合の自分たちの安全」である。そのためのコストはいくらかかってもかまわないというのが彼らのやり方で、結果、何重にも張り巡らされた「壁」によって、有史以来最大の事故を起こした当事者たちは、いまも「絶対の安全」が確保されている。

そうしてこの連中は、いま原発の再稼働に突き進んでいる。
アベシンゾーによれば、「世界最高の安全基準」に基づいて再稼働するとのことだが、もとよりこれは原発に対する「安全基準」ではなく、再び破局事故が起きた場合、絶対に自分たちに責任が降りかからないように「安全」を確保するための基準である。
なにしろ福島第一の現状を放置しておいて、なおかつ再度、破局事故が起きても自らを守らなければならないのだがら、そりゃあ世界最高どころか宇宙最高の安全基準が必要であろう。

そしてこの連中は自分たちの安全さえ守りきってあの世へ行ければ、あとは知ったことではない。
つけ加えておくと、こういうメンタリティの人間が、「将来のことを考えれば消費増税をするしかない」などと宣っているわけだ。

そして──。
戦後の長きにわたって積み上げてきた憲法解釈を勝手に変更して平然としている人間が、同じ口で辺野古の問題については「前知事の下で決まったことを粛々と継続する」と言う。

ここ最近、「安倍政権のやっていることは、どれ一つをとっても、ひと昔前ならば政権が吹っ飛んでいた」と主張している人を何人か見たが、彼らの肩書はいずれも「ジャーナリスト」。せめて「評論家」とでも変更した方がよろしかろう。

久しぶりにブログを書いたので、話があちこちに飛んでしまったが、ここ最近、起きていることを一つ一つ見ていくと、私はこの国はアノミー(無規範)状態にあると思う。そして、これこそは小室直樹博士が指摘したがごとく、ソ連を崩壊させた要因である。
日本は、「順調に」チェルノブイリ後のソ連と同じ道をたどっている。

※1
ちょっと前に、月島のタワーマンションの修繕で、複数の大手ゼネコンが見積もりを出すのも拒否したという話があった。東京ではタワーマンションがドンドコ建設されており、その購入をあおる本なも出版されているが、このタワーマンションというのは、「建てたが最後、後はどうなるか知ったことではない」「地震国のしかも埋立地のようなところに建てられても安全だと言われている」などというところが、原発によく似ていると私は思う。

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2014/12/31

2014年の○と☓その3

以下は箇条書きで○と☓。

今上天皇のご健勝に○。
もはや今上天皇は安倍晋三に対する最後の「砦」である。

・天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)

ところで、「平成」という元号であるが、これは「平に成る」ということだから、ある意味では「水平社宣言」の理念にもつながるのではないだろうか。
水平社宣言の最後の「人間に光あれ」の「人間」は「じんかん」と読むという説もある。「じんかん」とは「人と人の間」であり、転じて「すべてのもの」。つまり水平社宣言は「すべてのものに平等に光が当たるように」との願いが込められているというのだ。
天皇制と水平社宣言とは対極の位置にあるものだが、しかして今上天皇のお考え、あるいは行動は、「すべてのものに平等に光を当てよう」というところにあるのではないかと思うのである。

電子書籍のデータを読むのが仕事のため、今年もたくさんの本を読んだが、その中で印象に残った本をいくつか。

『どぜう屋 助七』(実業之日本社)
版元さんの話では、あまり売れていないということだが、データを読んだ私も妻も大変に感動した(聞くところによると、版元の部長も校了の時に“泣いた”そうだ)。
「浅草の老舗「駒形どぜう」を舞台に、幕末・明治の歴史の渦に翻弄されつつも、江戸っ子の意地と持ち前の明るさで店を守りぬく主人〈助七〉と、店に集う人びとの人生模様を描く、感涙必至の傑作歴史時代小説!」(帯より)

『いつかあなたも』(実業之日本社)
「在宅医療専門クリニック看護師の“わたし”と新米医師、院長らが、患者本人と家族、病とその終焉に向き合う。」(帯より)。
在宅医療に関するノンフィクションはたくさんあるけれども、小説は初めて読んだ。著者が在宅医療に携わった医師なので、リアリティがあり(実際、すべて実話を元にしているとのこと)、高齢の一人暮らしの母親を持つ身としては興味深く読まざるを得なかった本。

『江戸の貧民』

『33年後のなんなとなく、クリスタル』

スポーツ。
中日ドラゴンズに☓。
浦和レッズに☓と○。ミシャは持ってないのかな、、、
松本山雅FCに○。映画「クラシコ」を見てファンに(長野にも縁があったので)。
Jリーグ100年構想は着実に実を結んでおり、地域を、そして世の中を少しずつだけれども変えていると思う。

J3リーグに○。今年はスカパーオンデマンドを契約し、J1だけでなくJ2、J3の試合や結果もよく見たのだが、これがそれぞれに面白い。
来季は大宮がJ2に落ちたので、J2の試合を観戦しようと思う。金沢のパウロ田中が見たい。

J2昇格プレーオフ、J2、J3入替戦に○。レベルは低くてもかかっているものが大きい試合はしびれる。

最後に、我が母校、専修大学野球部とラグビー部の1部復帰に○。
とくにラグビー部は13年ぶりの復帰。
日本代表キャップ41を持つ部のレジェンド監督。村田亙氏を抜きにこの復帰はあり得なかった。
就任3年目。長い2部暮らしに慣れきったチームを改革、朝の4時起きで早朝練習、深夜まで選手との面接やミーティング。
単にラグビーだけでなく、心の教育までを実践。決してあきらめることなくポジティブになる精神を植え付け、最後の最後に勝利するという意識付けを徹底。
危ない試合を僅差で乗り切りながらシーズンを2位でフィニッシュすると、リーグ戦2部2位チームが入替戦で勝って昇格するのは初めてという快挙を外人選手抜きで達成。
優れた組織マネージメント力は将来の日本代表監督の候補になり得る人材。

以上、今年の○と☓でした。
良いお年をお迎えください。


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2014年の○と☓ その2 ~ 自動車ジャーナリスト、徳大寺有恒氏がトヨタを批判できた理由

引き続き今年の○と☓。

自動車ジャーナリスト、徳大寺有恒氏の訃報に☓。
この徳大寺氏については、実はエントリーを書きかけていたのだが、今日までアップできなかった。
そこで、その書きかけのものを書き足して以下に掲載する。

--------------------
11月7日、自動車評論家の徳大寺有恒氏が亡くなった。
まずは心より追悼の意を表します。

私は徳大寺氏の訃報を聞いて残念でならなかった。
なぜならば、徳大寺氏の死は自動車ジャーナリズムのみならず、日本のジャーナリズム全体にとっても大きな損失であるからだ。

私は徳大寺氏とさほど深い親交があったわけではない。しかしながら都合四冊の本を担当させていただき(うちは二冊は経営評論家・梶原一明氏との共著)、その都度、氏の深い見識に目からうろこが落ちる思いだった。

ご存知の方も多いと思うが、徳大寺有恒はペンネーム。本名は杉江博愛(すぎえ・ひろよし)というお名前で、それがなぜ「徳大寺」になったかといえば、1976年に出版した『間違いだらけのクルマ選び』で本名を使うことができなかったらからである。

当時の自動車ジャーナリズムは(今もその傾向は強いが)、自動車業界と協調していくことが“常識”とされていた。
時はあたかも日本のモータリゼーションの隆盛期であり、マーケットは飛躍的に拡大していた。
そうしたなかで、日本の自動車メーカーが作ったクルマを一ジャーナリストが批判するということはあってはならないことだったのだ(杉江氏は当時、フリーランスの記者であった)。
ところが、当時杉江氏が所持していた初代フォルクスワーゲン・ゴルフと日本の全車種を比べた時、その差はあまりにも歴然としていた。それをそのまま書いたのが『間違いだらけのクルマ選び』であり、この本が雑誌媒体を持たいない(=広告と関係のない)草思社から出版されたのも必然だった。

『間違いだらけのクルマ選び』の出版後、自動車業界は大騒ぎとなり、犯人探しが始まる。
しかし一方、本当のことを書いた本は読者の圧倒的な支持を受けてベストセラーとなった。そして杉江氏は記者会見を開いて「自分が徳大寺有恒である」と名乗りでたのである。
以後、『間違いだらけのクルマ選び』は毎年改定されて出版されたが、徳大寺氏か筆を曲げることはなく、たとえトヨタのクルマでも日産のクルマでも「ダメなものはダメ」、そのかわりに素晴らしいクルマには賞賛の言葉を惜しまなかった。

つまり、徳大寺氏は当たり前のことをしたに過ぎないのだが、日本のジャーナリズムにおいてはこの当たり前のことが当たり前でない。
政治に対しても検察、警察に対しても、原子力に対しても、本来、ジャーナリズムは批判的な視点を持たなければならないが、もはや国民の目にも明らかなほど露骨に取り込まれていながら恥じるところはない。

そして、自動車業界においても、実は徳大寺氏のフォロワーはなかなか登場しない(逆にそれが徳大寺氏の名声をさらに盤石なものにした)。

私が担当した書籍は、いずれもビジネス分野に分類される本であった。
「徳大寺氏がビジネス本?」と思われるかもしれないが、徳大寺氏は実はクルマのことを話しているに過ぎない。しかし、「この会社からなぜこういうクルマが出てくるのか?」ということを突き詰めて考えると、それは優れた経営論へとつながるのである。

経営評論の第一人者であった梶原一明氏との共著は、自動車会社の経営者はよく知っているが、クルマのことは何も知らない梶原氏と、その真逆の徳大寺氏との組み合わせであったが、山に登るルートは違っても頂上で話がピタリと一致した。
そしてそこで浮かび上がったのは、「自分さえ良ければいい」というトヨタ自動車の体質が、自動車産業自体を歪めているという事実であり、厳しいトヨタ批判だった。

当時、私が在籍していた会社はトヨタから多くの広告をもらっている会社だったがゆえ、広告部からは相当に睨まれ、ゆえにこの本のサブタイトルには「日産」も加えたが、本当のサブタイトルは「トヨタの正義は日本の罪」であった。

001

これが普通のジャーナリストだと、「トヨタ(あるいは自動車業界に)睨まれるのは怖い。クルマも貸してくれなくなる」となるのだが、実はきちんと批判したところに大きな成功の鍵があったのである。

ただ、正しい批判に対して自動車業界の中に聞く耳を持つ人がいたということも事実だ。それはこの業界がもはや国内のみならず、国際的な競争をしなければならず、そこではドメスティックな常識は通用しないということを知っていたということもある(ここらへんが原子力や金融の世界とは違うところである)。

ともあれ、日本のメディアには、もはや徳大寺氏のような骨のあるジャーナリストがほとんどいなくなった。
閉塞感がますます強まるなか、徳大寺氏の訃報は本当に残念でならない。
--------------------

またまた長くなってしまったので、2014年の○と☓その3へ。

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