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2013/12/31

今年の◯と☓

当ブログは2006年の開設。雑誌「NAVI」を真似て「今年の◯と☓」を始めたのが2008年。
まずは以下に過去の◯と☓を振り返ってみる。

2008年の◯と☓

2009年の◯と☓

2010年の◯と☓

2011年の◯と☓

2012年の◯と☓

こうしてみると2009年の政権交代と鳩山政権樹立というのは、日本におけるプラハの春のようなものだったんだナとつくづくと思う。
もっともこの年の3月には、すでに検察による小沢弾圧が始まっている。そして、この時(もっと遡れば、自民と民主の大連立構想あたり)から、今日にいたるまでの政局は、すべて直線的な因果関係で結ばれていると思う。
それは霞ヶ関独裁と民主改革勢力の対立を軸としており、マスメディアをほぼ全面的に味方につけた前者が司法権力を駆使して後者を殲滅、今日に至っている(その過程で有史以来、最悪の原発事故が起きた)。

ということで、今年の◯と☓。

まずは安倍政権に最大の☓。当ブログでは昨年の衆議院選挙後に「平成の大政翼賛 〜 改憲勢力455議席という時代の到来」というエントリーをアップしたが、予想通りに凄まじいまでの反動ぶりであり、ついには特定秘密保護法までが成立した。
霞ヶ関独裁がここまでネジを巻いたそのモチベーションの源は、閉鎖されたブロク「独りファシズム」氏が指摘したごとく、福島第一原発事故にあると私も思う。
いまや表面的には「アベノミクス」で経済はイケイケということになっているが、その足元には「東京電力が何回倒産しても、たとえ日本が破産しても贖うことができないほどの被害」(京都大学・小出裕章助教)という爆弾を抱えている。本来、この最大のリスクを捨象して経済を語ることなどできるはずはないが、そうするとこの国の本当の現実が知れ渡ってしまう。したがって当然、特定秘密保護法「福島第一原発隠し」に用いられることになる。
ただし、私はそれでも福島は隠し切れないと思う。なぜなら、百年、千年、万年単位で影響の残る事故を、たかだか霞ヶ関の独裁権力がコントロールすることなど到底できないことは明らかだからだ(ソ連という統制国家がチェルノブイリの事故から5年で崩壊したことを、くれぐれも記憶されたい)。

長くなってしまったので、急いで。

沖縄知事の年末最後の「転び」に同じく最大の☓。
ただし、この闘いは来年も続く。まだ負けたわけではない。

東京五輪の誘致に☓。これから2020年までメディアを通じた五輪ファッショが続くだろう。そしてすべては五輪再優先になるわけだが、東日本大震災の被災地、そして福島第一原発という難題の方がはるかにプライオリティが上であることを指摘しておく。

その東京五輪に「最後の一人になっても反対する」と宣言した久米宏に◯。それに比べて、スポーツジャーナリストの玉木正之は、東京開催礼賛をぶち上げて、ぶざまな醜態をさらした。

遠隔操作ウイルス事件に☓。まともな証拠もないままに拘束され続けている容疑者がいる。にもかかわらず、メディアはこの異常事態をほとんど報じない。
このブログでは何度か紹介しているが、岡庭昇氏の著書の引用をしておく(ちなみに同書は30年近く前に書かれた本である。電子版は志木電子書籍より刊行)。

「マスコミと裁判所は権力の手法のニ大武器だ。そして、それらはみごとに重なっている」(『この情報はこう読め』)

ということで今年もマスメディアに☓。これも毎度、同じことを書いているが、マスメディアはジャーナリズムではないということをニュースを見る側は深く肝に命じるべきだと思う。
こちらのリンクは安倍晋三のfacebookに掲載された写真だ。安倍の誕生日を前にプレゼントを渡す女性記者たち。彼女たちはジャーナリストではなく、単なる勝ち組である。
それにしても、どうしてこうなってしまうかといえば、それは彼女たちの上司が政権とベッタリだからだ。安倍晋三が靖国を参拝した日の晩はメディアの報道部長と会食したという。お話にならない堕落ぶりである。

民主党に☓。歴史的な政権交代を、「自らの手で意図的に」破壊したこの政党の役割はすでに終了した。

と、ここまて書いて、☓ならいくらでも思い浮かぶが◯がなかなか思い浮かばない。
なかで、、、

今上天皇のご健勝に◯。最良のリベラリストの存在はこの国の最後の砦である。

中日ドラゴンズのGMに落合博満氏が復帰したことに◯。

田中将大を含めて楽天の日本一に◯。落合派の私は星野仙一は好きではないが、今年は素直に「おめでとう」と言いたい。

「あまちゃん」と「ごちそうさん」に◯。
(能年玲奈より)橋本愛に◯。とにかく美しいデス。

電子書籍の普及に◯。私は現在、電子書籍データの検品、校正をしているのだが、今年は本当に多くのデータを読んだ。なかでも旧作が大変面白い。SF、ミステリー、歴史小説を山のように読んだが、こういう本が電子版として復活するのは嬉しい限りである。

今年の浦和レッズは最後にズッコケて☓。来年は最低でもACLへ。

最後に。
7月22日にアップした『民主惨敗の理由は「もし山本太郎が原発賛成派に転じたら?」と考えればすぐわかる』はYahooニュースに掲載されたこともあり、1日で24万5千アクセスを記録。これまでの当ブログの記録を圧倒的に塗り替えた。当日はココログのアクセスも1位だったが、にもかかわらず、その後、あまりこのブログを更新できなかったことに☓。
来年は心を入替えて奮起したいと思います。
ただ、facebook版は日々、更新しておりますので、こちらもよろしくお願いします。

それではみなさま、良いお年を。
来年こそは反転の年といたしましょう!

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2013/12/22

「ごちそうさん」は現代の『細雪』なのかもしれない

近年、テレビといえばスポーツ中継しか見ていなかったが、今年は「あまちゃん」、それに続いて「ごちそうさん」を見ている。
私はNHKについては非常に批判的だし(とくにニュース番組)、上記のドラマを見ていても「今どき、カネの使い方がハンパないなあ。こんな予算は民放ではかけられないけど受信料なんだよなあ」と思うのだが、一方で丁寧に作られたドラマというのはやはり鑑賞に値する。

「あまちゃん」は宮藤官九郎の脚本だけあってエンターテイメント性の高い作品で、また随所に出てくる80年代の世相が私のようなオッサンにはとても刺さった(ちなみに私は松田聖子ファンだったが、この年になってキョンキョンファンになるとは思わなかった)。
それだけに、同年代のオッサンもずいぶん見ており、最後には「あまロス」なる言葉まで出てくる始末。
それに比べると、「ごちそうさん」は始まる前は地味な印象で、実際、主演の杏も前作が評判を呼んでいるだけに、番組開始前は不安だったらしい(そんな記事を見かけた)。

ところが、フタを開けてみると「ごちそうさん」は「あまちゃん」よりも視聴率がいいという。
といっても、「あまちゃん」ほど話題になっているフシはなく、たとえば私のfacebookのタイムラインでも「あまちゃん」と「ごちそうさん」では、その話題になりようは比べるべくもない。
にもかかわらず、どうして「ごちそうさん」が視聴者の心をつかんだのか。

私はこのドラマを見ていると、藤沢周平が江戸時代の市井の生活を描いた短編小説の世界に似た雰囲気を感じる。
いま、ソースを探している余裕はないのだが、杏が脚本家の森下佳子氏に「め以子(主人公)は将来、何になるんですか?」と訊いたところ、森下氏は「何にもならない。大阪のおばちゃんになるだけ」と答えたという。
「あまちゃん」と異なり、「ごちそうさん」は主人公が何かしらのアイドルになるわけでもなんでもない。東京から大阪に嫁いで、そこで日々起こっていることが綴られているわけだが、しかしそれが心に染みる。

そしてタイトルの通り、食のシーンにかける番組全体の熱意がハンパではない。
このシーンを見ていると、「あーあ、またカネをずいぶんかけとるなあ」と思うけれども、それだけに出来栄えもすばらしい。
といって別に豪勢な食事が出てくるわけではない。基本的にありふれた食材が中心なのだが、しかし、この上ないほど豊かになり、飽食と言われる現代において、実は毎日、このように真っ当な普通の食事をとることは、実はなかなかに困難である(とくに都市部では)。

戦後の経済成長とともに、日本の「食」はどんどん劣化していった。
競争に勝つために徹底的に効率を優先する社会においては、悠長に出汁をとったり野菜を下茹でしている暇はない。結果、食品の安全性が徹底的にないがしろにされてきたことは事実だ。
今、中国からの輸入食品の安全性を告発するキャンペーンが週刊誌でしきりに行われているが、実は日本の食の生産現場がひどいことになっていることは、30年近く前に岡庭昇氏が『飽食の予言』シリーズで徹底的に暴いた通りである。

そして3・11以降、さらに放射能汚染という要素が加わり、とくに東日本の「食」はいよいよもって厳しくなっている。
これは風評被害でもなんでもない。広大な農地が放射能によって汚れてしまい、さらにいつになったらおさまるのかもわからない汚染水が、世界一豊かといってもいい日本近海の漁場をぶち壊している(もちろ世界中に影響があるが)。

そうしたなかで、食を中心とした庶民の生活を淡々と描く「ごちそうさん」は、ひょっとすると戦時に谷崎潤一郎が書いた『細雪』のようなものなのかもしれないと私は思うようになった。
このドラマ自体には政治的な言説などひとかけらもないけれども、しかし食の大切さ(それは丁寧に生きることにもつながる)を突き詰めることで、結果的に現代日本の鋭い文明批評になっている。

とそんなことを思いつつ、「ごちそうさん」のHPを見ると、脚本家の森下佳子氏のこんなコメントが載っていた。

福島第一原発事故直後のこと、一人のママ友からメールが来ました。「ミルクを作るためのミネラルウォーターが買えない」とそこにはありました。あの頃ほどではないにせよ、今も安心できる食材を確保する為に手を尽くされている方も多いのではないでしょうか。「何故こんな事態になってしまったか」と、やり切れなさや怒り、一人の大人としての反省を覚える一方で、食材を求め奔走する母親たちの姿に、とてもプリミティブなものを感じました。
おそらく太古の昔から、母親ってこんな感じだったのではないでしょうか。木の実を拾い、安全な湧き水を汲み、子供や家族を飢えから守ろうとした。そして、父親は安全な土地を探し、風雨をしのぐ家を建て、自然の脅威や襲い来るもろもろから子供や家族を守ろうとしてきた。その為にはエゴイスティックな行動も取っただろう。それ故に醜い争いも起こってきただろう。けれども、そのマイナスも含めた上で、大切な相手の「生を活かす」ことはやはり「愛」と呼ばれるものの原型なのではないだろうか。
そんな事を漠然と考えていたところ、この企画のお話をいただきました。「『食』をモチーフに、夫婦のラブストーリーをやりませんか?」というのがそのご提案でした。
そうして紆余曲折の後、出来上がったのが食いしん坊のハイカラ娘と街を創る事を夢とする元祖理系男子という組み合わせ。彼らが愛を育み、生き抜いていくさまを明治、大正、昭和の風俗、そして、美味しそうな料理と共にお楽しみいただければと思っております。

冒頭に書いたように、私はNHKに批判的だが、しかしこのようなドラマを提案できることもまたNHKなのかもしれない。
つまり「ごちそうさん」は結構、本質的な部分で危ないところを突いているのだ。が、NHKに介入することに熱心なアベシンゾーさんは、頭がよろしくなだけに(おそらく『細雪』も読んだことはないだろう)、もちろんそんなことはわからないだろう(笑)。
連続テレビ小説「ごちそうさん」は意外に“深い”。


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2013/12/17

なぜ、「御用ジャーナリズム」は特定秘密保護法に反対したのか?

今さらながら特定秘密保護法について。

もとよりこの国は秘密だらけなのであって、市民が情報公開を求めてもけんもほろろの対応をするのが日常の光景である。
今回の議論の中で、「一般市民には関係がないから心配ない」という言い分があったが、それは「国のやっていることに疑問を持って、おかしな詮索をしなければ関係ない」という意味であって、要するに「国民はギャーギャー騒がずに黙っていろ」というのが、この国の権力の過去から現在に至るまでの一貫した姿勢だ。

ところで──。
今回の特定秘密保護法の成立過程において、個人的にもっとも違和感があったのは、いわゆる「御用ジャーナリズム」が、突然、反対を表明・唱和したことだった。
あるブロクでは「特定秘密保護法を巡って主要メディアが久しぶりに政府批判に足並みをそろえた」と評価していたが、その他の論調も「さすがにこの法案の中身はひどい」ということで記者クラブメディアも目が覚めたのだろうと好意的に解釈する論調が多かったような気がする。

しかし、本当にそうなのだろうか? と思うのだ。

たとえば田勢康弘。この人物は日頃から「政治の世界を三十年以上(あるいはもっと長かったかもしれないが)も見続けてきた職人」を自称している。このフレーズを見ると私は失笑してしまうのだが、それはさておき──。
まあ長く政界にどっぷり使った「政事記者」であれば、今回の法律は与党が本気になればいとも簡単に成立することは最初からわかっていただろう。

ところが同じく「政事記者」の岸井成格。
この人物は特定秘密法について「こんな杜撰な法律が成立するとは思わなかった」と言った。

そもそも彼らは前回の衆議院選挙、参議院選挙で自公圧勝、ねじれ解消を導いた立役者たちである。そういう連中が、今回だけは「これはいけない」とジャーナリスト心に火がついて特定秘密法案に反対したのだろうか?

私はそんなことはあり得ないと思うのである。
なにしろ彼らは成立は間違いないことをわかっていたのだから。

だとしたら、彼らはなぜ反対したのか? なんのために???

結論。

自分たちは御用記者ではなく、「政府にモノ申すジャーナリストである」ということを宣伝するために。

ここ数年、マスメディアは消費税増税の旗振り役を務めてきた。消費税増税はしないと公約して圧勝した民主党を罵倒して政策転換を求め、それが原因で民主が惨敗するとアベノミクスを絶賛! めでたく消費税の増税は決まった。
そして現在は、マスメディアの筆頭である新聞社が軽減税率を適用するよう求めている。日本新聞協会が出している「新聞への消費税軽減税率適用に関する意見書」とやらによれば、

 新聞は、国の内外で日々発生しているニュースや情報を正確かつ迅速に人々に伝達するとともに、多種多様な意見ないし評論の提供を行っていることを直視しなければならない。新聞が日本の社会で果たしているこの役割は、長年にわたり維持され、広く浸透していて、人々の生活への密着度は、衣食住の必需品につぐものといってよいほどの重要さを示している。これについての具体例として、一つだけ、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際に果たした新聞の役割のことに言及すれば、十分納得できるであろう。被災地の人々は、電気が切断されるなどの隔絶状態において、新聞を手にして紙に印刷された情報を得たとき、何ものにも代えられない救いを感じたとのことである。

笑わせてくれる。3・11でもっとも見直されたメディアは、私見ではラジオだろう。「電気が切断されるなどの隔絶状態において」もラジオは聴くことができた。だからこそラジオは災害時の最重要インフラとして見直されている。

とそれはさておき、、、

つまり、新聞社は「自分たちはジャーナリズムだから」ということで軽減税率を求めているのである。
そのためには、「自分たちは御用じゃないんだ、ジャーナリズムなんだ」ということを示す必要があった。その最大の好機が特定秘密保護法反対だったのではないか?

ちなみに新聞社の連中というのは、アベシンゾーともよく会食しているらしい。
ということは、案外、永田町界隈の料亭でこんな会話でもしているのかもしれない。

(以下、すべてフィクションです)

「総理、特定秘密保護法は成立確実ですね」
「そんなこと、あんたたちだってわかってるでしょ」
「もちろん。だけど、毎朝読捨としては今回は反対の論陣を張りますよ」
「なんで?」
「ここのところ、毎朝読捨の部数も広告収入も落ちてましてネ。日頃からお願いしている軽減税率はどうしても適用してもらわないといけないンです」
「それは大丈夫だけどね」
「ええ、それもわかってるんですけど、適用にあたっては新聞社はジャーナリズムだからという理由を明確に打ち出さないと、ここのところ御用新聞とかなんとか、毎朝読捨への風当たりも強いンです。そこで、ここは一発、成立することはわかってるけど、特定秘密保護法反対をドンと打ち出して、どうだ、新聞はジャーナリズムをやってるだろ!というところを世間に見せたいわけです」
「あんたたちも大変だね」
「なので、別に本気で反対するわけではなくて、あくまでポーズですから、そこのところをヨロシク♡」
「んじゃ、乾杯!」

なんてね。
「お前、証拠はあるのか?」と聞かれればもちろんないですけどね。
でも、まったく証拠のない遠隔操作ウイルス事件の容疑者がどんなにひどい仕打ちを受けてもなんの報道も批判もしない新聞社さんですから、あなたがたにケチつけられるいわれはありません。

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