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2012/10/26

震災復興、福島第一原発処理は重点政策でない石原新党に大騒ぎをして、「国民の生活が第一隠し」をするメディア

石原慎太郎が都知事の座からトンズラして、新党を立ち上げるという。
その重点政策は日経によれば、

・硬直した官僚支配構造の打破
・国の会計制度改革(財政への複式簿記やバランスシートの導入)
・衆院選挙制度の中選挙区制導入
・米軍横田基地の軍民共用化
・尖閣諸島の実効支配を強化
・自主憲法制定

だそうだ。都庁で役人に言われるがままをやってきた人物が、国政で官僚支配を打破できるはずもないが、何よりも驚くのは、この重点政策の中に、福島第一原発の処理や住民の避難、そして東北地方の震災後の復興という、本来、最重点にしなければならない政策が皆無なことだ。

自主憲法を制定して尖閣諸島の実効支配を強化、、、ってアホか。
いま問題なのは、福島を中心とする広範な「領土」が東京電力のお陰で失われつつあり、しかもそれが放置されていることである。しかもこの破局事故は収束もしていない。
にもかかわらず、そのことがまったく眼中にないのだから、石原新党は「耄碌ジジイ集団」と呼ぶしかない。

石原はまた、「国民の生活が第一の小沢一郎代表に関して『組むことはないだろう』と突き放した」(日経)そうだが、こんな耄碌ジジイ集団と組みたい勢力があるとしたら、同じレベルのアホというしかない。

「この国は堕落し退廃しきった老人たちが、勝手気ままに引きずりまわし、国民がそれについて何を言おうと耳をかそうともしない……」
丸山邦男著 『遊撃的マスコミ論』 遊撃的人物論-石原慎太郎 より)

これは石原が最初に参議院選挙に出馬した時の立候補宣言の一部だが、今の石原そのものである。
ところが、本日の日経では、石原が都知事職を放り投げたことを批判するでもなく、1面、総合、政治、社会、ついでにスポーツ(これは五輪誘致)まで入れて書き分ける念の入れようだ。

一方、昨日結党大会を開いた野党第二党の国民の生活が第一の記事はというと、、、

生活 結党大会で公認24人紹介
 ■生活 「国民の生活が第一」は25日、都内のホテルで結党大会を開いた。小沢一郎代表は「国民のための政治、政策を実現するため愚直にひた向きに努力する」と述べた。次期衆院選の第2次公認候補として、新人を含む24人を紹介した。

これだけ。
最近、「生活隠し」という言葉があるそうだが、これはもう意図的と言われても仕方がないだろう。

私は昨日、気弱な地上げ屋さんのオフ会に参加をしたが、結党大会帰りの人の話によれば、大盛況だったという(4000人以上集まったとのこと)。
それをここまで矮小化するのは立派な言論操作だが、裏を返せばそれだけメディアは国民の生活が第一が気になって仕方がないということでもある。

関連リンク

・世に噛む日々
新党結成だけが本当に辞任の動機なの?レイシスト石原サン。

・くろねこの短語
レイシスト知事、遁走・・・よほどやましいことがあったのか、たとえば尖閣で儲けたとか・・・。

・憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ
ゴロツキハシゲが気に食わない記事執筆者を「抹殺する」と公言したのに、それを追及する姿勢もないヘタレそのもののマスゴミと警察。傲慢老害イシハラチンタロウが辞任のアホ騒ぎ

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2012/10/25

原発の破局的事故に防災計画は存在しない

原子力規制委員会が、福島第一原発事故並みの事故が起きた際の放射性物質の拡散を予測した地図を公表した。
「公的な機関が日本のすべての原発ごとに地図を伴う拡散予測を公表するのは初めて」(日経)とのことだが、原発が破局的事故を起こした場合の災害規模の計算を行った人は過去にもいる。
それは京都大学の小出裕章先生の元同僚で、熊取六人組の一人、故・瀬尾健氏だ。

瀬尾氏はこの計算結果を元にした著書を1995年に出版されている(実際に本が出たのは瀬尾氏の逝去後で、小出先生が再計算をしている部分もある)。
それが『原発事故…その時、あなたは!』(風媒社)という本で、同書の中では全国16の原発基地、さらにもんじゅや核燃料輸送中の事故についても計算が行われている。

以下の図は、同書に掲載されている大飯原発2号炉が破局事故を起こした際のシュミレーション図だ。

_01

_02

瀬尾氏は「●破局的事故に防災計画は存在しない」として、以下のように書く。

「チェルノブイリ事故以来、原発災害が周辺地域に限定されるものではないということが、広く認識されるようになった。つまり原発の問題は「地元」だけではすまないということである。「地元」がない、あるいは日本全土が「地元」だと言い換えてもいい。

日経は、

「原子力規制委員会が24日、原子力発電所で深刻な事故が起こった場合の放射性物質の拡散を予測した地図を公表した。原発から40キロ離れていても避難が必要な被曝(ひばく)線量となる地域があり、一部の自治体は防災計画の練り直しを迫られる。規制委は原発の30キロ圏内の自治体に来年3月までに防災計画を作るよう求めるが、原発の再稼働にも大きく影響しそうだ。」

「規制委は原発の災害対策指針で避難対象地域を8~10キロ圏から30キロ圏に広げる方針を表明済み。逆に言えば「30キロ圏外ならば安心」との誤解もあったが、予測が冷水を浴びせた。」

などと書いているが、福島第一原発の破局事故から1年半の今日の状況を見れば、避難対象地域はそんなものでは到底すまないことは明らかである。
なにしろ日本の法律を厳密に守った場合、福島県のみならず、茨城、千葉、埼玉、東京にだって避難しなければならない地域はあるのだ(ただしそういう地域に住んでいる人びとは、すでに国家から見捨てられている)。

私は小出先生にお目にかかった時、「もし、先生のお子さんが3.11の時に関東にいたとしたら、どうおっしゃいましたか?」と訊いてみた。先生の答えは「(大阪へ)戻ってきなさいと言いました」だった。

いまメディアでは、原子力規制委員会の今回の放射性物質拡散予測の発表について、「原発再稼働に新たな壁」などと書いて騒いでいるが、そもそもこの発表自体がきわめてヌルいものであるとしかいいようがない。

瀬尾氏は『原発事故…その時、あなたは!』の中で、スリーマイル、チェルノブイリの2つの大事故からの教訓を以下のようにまとめている。

1 事故は思いがけないことから起こり、予想外の経過をたどる。
2 フェイルセーフ、フールルーフ(※)はあり得ない。
3 事故の際の現場担当者は、信じられないほど楽観的である。
4 事故の通報は遅れる。
5 関係者はあらおる手を尽くして事故を秘密にする。
6 事故の影響は過小評価される。
7 経済性のためには、少々の安全は犠牲にされる。
8 被害者は、因果関係がはっきりしないのをいいことに、切り捨てられる。

実際に、まだ収束のメドすらついていない福島第一原発の破局事故を目の前にしながら、30ギロ圏内、40キロ圏内の自治体の防災計画がどうのこうのと議論していること自体が私には理解不能である。

※フールセーフ : バカがでたらめな操作をしても大丈夫という意味

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2012/10/24

暴力団と付き合っていた法相の後任が、年だから辞めたかった前法相になった理由

外国人からの献金や暴力団との交際が発覚して法務大臣を辞任する田中慶秋の後任は、前任者の滝実なのだという。この滝というのは6月の内閣改造で法務大臣に就任したが、今回の改造前に「僕自身はもう年なので、できるだけ外してもらった方がいい」といった人物だ。

滝法相「もう年なので外して」 74歳、在任4カ月弱

そもそもこの滝実の法相就任の経緯は、その前任者である小川敏夫が6月の改造で更迭されたことによるものだった。では、なぜ小川元法相は更迭されたのかというと、これはどう考えても、「陸山会事件」の虚偽捜査報告書問題に対する検察の捜査に対して指揮権発動をしようとしたことと無関係ではないだろう。

指揮権発動を首相に相談 陸山会事件をめぐり小川法相 「(了承得られず)残念」

・八木啓代のひとりごと
小川 敏夫 前法相 退任記者会見(抄録)

陸山会の政治資金収支報告書虚偽記載事件は、もはや東京地検特捜部による捜査報告書虚偽記載事件(検察が虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出して、検審の議決を起訴に誘導した事件)に形を変えている。
これに対して健全な法治国家のために声をあげる市民の会が実行者である田代元検事を始めとして検察幹部を次々に刑事告発していったが、そのいずれもが嫌疑不十分、嫌疑なしで不起訴(したがって現在は検察審査会に申立中)。

ところが一方で、検察の犯罪を裏付ける関連文書がネット上で公開され、もはや事実は動かせなくなってしまった。そこで小川元法相は、「これだけ検察に対する不信が高まっているのだから、いい加減な幕引きをするな」という意味で指揮権発動をしようとしたのである。
きわめて真っ当な意見だと思うが、当時マスコミは社説などで一斉にバッシングし、時期を同じくして行われた内閣改造で小川は更迭されてしまった。

・「慎重さを欠く「指揮権」発言」(6月6日付 日経社説)

 小川敏夫前法相が退任記者会見で、在任中に検事総長に対する指揮権発動を検討していたことを明らかにした。野田佳彦首相の了承を得られず、見送ったという。
 指揮権発動を検討したのは、小沢一郎民主党元代表が強制起訴された陸山会事件で、捜査報告書に虚偽の記載をした検事が市民団体から告発された問題。近く不起訴となる見込みのこの検事の起訴を促そうとしたとみられる。
 検事総長への指揮権発動は捜査への政治介入を招きかねず、歴代法相は極めて抑制的に対応してきた。小川前法相がどのような判断材料をもとに指揮権発動を検討し、その影響をどの程度考えていたのか不明だが、退任時に、検討した事実だけを突然持ち出すような軽い話ではなかろう。慎重さを欠いた発言といわざるをえない。
 検察庁法では法相は検察官を一般的に指揮できるが、個々の事件では検事総長のみを指揮する。捜査への政治的影響を防ぐと同時に、検察の暴走を防止する狙いだ。
 過去に発動されたのは1954年の造船疑獄の一度だけ。当時の犬養健法相が佐藤栄作自由党幹事長の逮捕見送りを指示した。その結果、捜査は頓挫し、世論の強い批判を受けた内閣も総辞職へと追い込まれた。
 もちろん必要があれば指揮権は発動されてもおかしくない。だが小沢元代表をめぐる捜査、裁判はこれまでも政治的色彩を帯び、混乱をきたしてきた。ここで指揮権発動の検討話を明かす意図は何だったのか。虚偽報告書の捜査徹底が目的なら、指揮権を持ち出すまでもなかったのではないか。
 こうした形で政治につけ入る隙を与えている原因は検察の側にもある。大阪地検特捜部による捜査資料の改ざんなどの不祥事で、検察の信頼は失われたままだ。
 虚偽報告書問題では、国民が納得できる処分と、その判断にいたった十分な説明、さらに再発防止への取り組みが不可欠だ。自浄能力を示すことができなければ、検察の信頼回復は一段と遠のく。

そして、その後任として登場したのが滝実だ。滝は法務検察の思惑通り、指揮権発動などまったくやる気はなく、田代元検事らの不起訴処分などをいとも簡単に容認した。
ついでにいえば、たった数ヶ月の在任期間中、これまた法務省の思惑通りに死刑を執行するという、官僚にとってはまことにありがたい無能大臣であった(小川も死刑は執行している)。

今回、野田政権は、そういう人物を「経験者を起用して堅実さを優先」「法相経験者で政策通の滝氏の再登板で混乱を早期に抑えたい狙い」(いずれも日経記事)との理由で起用するのだという。だったら、ヤル気のあった小川元法相を再登板させればいいわけだが、絶対にそこには行かずにまったくヤル気のない前法相を再登板させるのだから、どこまでも国民を舐めきった政権というしかない。

私はこの滝という人物や、あるいは野田政権の面々を見ていると、ある人が昔教えてくれた「WTI」という言葉を思い出す。「WTI」とは「Well Trained Incapability」の略で、「よくよく訓練された無能力者」という意味。
官僚にとって抜群に使い勝手がいいのがこのタイプなわけだが、その「WTI度」が歴代でもっとも高いのが野田政権ではないだろうか。

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2012/10/22

日本の国策は「国民があきらめて忘れる」こと

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 おれ、日本の政治と一緒だと思っているんだ、ここ数十年の球界というものは。政治家は、人から信任されて、政治家になる。だったら、この国家危急存亡のときに休んでいる暇なんてないだろうって思う。国会? 休会している場合じゃないだろう。この国をよくするために、変えるために、あんたら毎日働かなきゃいけないんじゃないのか。土日返上して、毎日会議やって、一日でも早く法案を通さないかんだろう。世の中が望んでいるのだから、しかるべく結論を出して実行実現させなきゃいかんじゃないかと。それがどうだい、一年のうち決められた日数しか、国会、やらないでしょう。それと野球界は、一緒だな。絶対変わらない。命がけで変えようと思っている者がいない。これは政治でもそうだと思う。それよりもっと野球界はひどいんだもん。変わるわけないよ。

(「新潮45」2012年5月号『オレ流「プロ野球改革論」落合博満vs.坂井保之』より落合の発言)
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10月20日の日経朝刊4面、『首相の「ビタミンC」 藤井氏の助言、効果いつまで』と題された「聞き耳そば耳」というコラムに以下のような箇所があった(下線部はブログ主)。

 消費増税関連法の成立後、次の政策目標を明確に打ち出せない現在の野田政権には停滞感が漂う。藤井氏が最近、首相に熱心に伝えているのは衆院の「1票の格差」の是正。「違憲状態」という最高裁の判断を踏まえ「憲法違反の首相にはなるな」と繰り返す。首相を支えてきた藤井氏の強気の助言は、今後も実を結ぶだろうか。

サラッと書いてあるけれども、この部分(とくに下線部)を読んでのけぞった。
いま、日本では未曾有の放射能災害が進行している。福島県を中心に広範な地域で高い放射線量が観測される一方、海洋汚染も激しく、一次産業は大変厳しい状況に陥っている。しかもこの状況は今後もずっと続く。
大震災からの東北地方の復興もままならず、一方では復興のための予算がまったく関係のないところで使われているという体たらくだ。
難問山積の上に国家の基本的なタガが緩みきっている。にもかかわらず野田政権は消費増税を成立させると次の政策目標がなく停滞している、つまりやることがなくて手持ち無沙汰だというのである。
なんという呆れた政権だろうか。

私は小出裕章先生同様、原子力発電に絶対反対の「反原発」だが(「脱原発」ではない)、この国では着々と原発再稼働が目論まれつつある(日経は19日の朝刊1面で「CO2排出 原発停止で増」、21日の朝刊1面では「電力5社 値上へ 原発停止で燃料費増加」と連日のごとく「再稼働脅迫」に必死だ)。
そこで百万歩譲って再稼働を認めたとしても、その前提として最低限、稼働した原発から出てくる放射性廃棄物の処理方法は国家として確立されていなければならない。
消費税増税の時に、あれだけ「後世にツケを残さない」と主張したのだから、同じように原発から出る放射性廃棄物の処理について、その方法、処分地の一切を後世に丸投げするなどということはあってはならないことだ。
現世代がそれを確立し、その責任の所在、つまり誰がそれを決定したのかを明確にしておく必要がある。
原発を再稼働したいのなら当たり前のことだが、野田政権はそれに取りかかる素振りすらない。
それどころかすべてをなし崩しで進めていく。

私は最近思うのだが、なぜ政府は瓦礫の拡散をしたがるのか。つまり彼らは放射能を全国にバラ撒きたいのだ。
では、なぜそんなことをしたいのか。つまるところ原発の破局事故とガンの増加という因果関係を消しにかかっているのではないだろうか。

福島で中川恵一という東大准教授が「現在の福島の放射線量は、世界的に見ても決して高くない。安心してほしい」「チェルノブイリでも、これ以外のがんは増えたというデータはない。それから考えると、福島でがんが増える理由はない。君たちは、安心して結婚して子どもを産んでいいんです。おかしな情報に惑わされないようにしてほしいと思います。」「けれども、それとは関係なく、すでに日本は2人に1人が、がんになる世界一のがん大国です。」と言い放ったそうだ。

ドクタービジット 放射線、正しい知識が味方

確かに元々日本というのはがん大国だ。これにはさまざまな複合的要因があるが、日本には国家の基本政策として企業の効率、収益を国民の安全、健康に優先するという思想がある。つまり、たとえば食品であれば安全基準を下げることによるコストダウン、企業の収益が国民の健康よりも優先されるのだ。
一企業だけがこれをやれば、食品と病気の間の因果関係がハッキリするが、なにしろ国を挙げてやっているからその因果関係を立証することは不可能である。

これと同様、瓦礫を拡散し、あるいは野菜や魚の安全基準もどんどん下げて流通させることで、放射能と健康の目に見える因果関係を砂にまぶすように消していく。そうして責任の所在をすべて曖昧にしてしまおうというのが、国と原子力ムラの基本戦略だと思う。
まったく恐ろしい国だが、これは次の選挙で政権が交代しても変わらず、むしろ自民党が中心となった政権ができれば、ますますその方向へドライブがかかっていく。かといって民主党でもお話にならない。

かつてソ連という国家は1986年に起きたチェルノブイリの事故から5年後の1991年に崩壊した。
先月、9月11日に小出裕章先生にお話をうかがった際、私は先生に「日本の5年後はどのようになっていると思われますか?」と訊いてみた。↓の動画はこの質問に対して小出先生が答える部分である。

小出先生は言う。
「(国家から見捨てられた人々は、放射能の)恐怖を持続できない」
私もそうだと思う。
だからこの国の権力者や原子力ムラは、国民が「あきらめて忘れる」のをひたすら待っている。

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2012/10/18

池内タオル株式会社
~ 東京電力とは真逆の経営理念を持つ「正しい会社」

今回は久々のラジオネタを(当ブログは元々は政治や原発、メディア問題だけでなく、ブログ主が聴いたラジオの感想などを好き放題に書きなぐっていたのです)。

先週土曜日(12日)の久米宏ラジオなんですけどのゲストコーナー「今週のスポットライト」に、今治市にある「池内タオル」社長の池内計司氏が出演した。
これが大変に面白く、かつ興味深い内容だったので紹介したい。

この池内社長は、池内タオルの二代目。
元々は一橋大学を卒業して松下に入社してテクニクス(かつての松下のオーディオブランド)で12年間オーディオ開発をした後に退社(池内氏はテクニクス・ブランドがなくなってしまったことを大変に残念がって「僕にちょっとお金さえあればブランドごと買い取ったのに」と言っていた)。家業を嗣ぐことになった途端に父君が急逝されたという。

タオル産業というのは、そもそもOEM生産がメイン。したがって、池内タオルもさまざまなデザイナーズ・ブランドのライセンス生産が主力だったそうだ。
しかし、それだけだとアジア勢のコスト競争に打ち勝てないので、自社ブランドを立ち上げることを決意して「IKT」ブランドを設立した。その際のモットーは、

・最大限の安全
・最小限の環境負荷

2つ

「最大限の安全」については、まずオーガニック・コットン(遺伝子操作のなされた種子を使わず、3年間無農薬で育てる)を使用。というのも、綿花というのは食べるものではないので、野菜ではやってはいけない遺伝子操作や農薬使用などが全部やり放題なのだそうだ(枯葉剤も使われているとのこと)。
私はこの話を聞いて「なるほどナ」と思った。
官民あげてコスト第一主義に凝り固まっているこの国では、そもそも食料に対する規制も非常に緩いものだが、さらにやりたい放題となったら、これはわれわれが知らないだけで相当すごいことになっていることは間違いない。
それが巡り巡って国民の健康を害している。ただし、その因果関係を証明することは不可能なので、結果、やりたい放題になるわけだ(ここらへんは原発と同じ構造)。
とはいえ、私にも子どもが2人いて、幼児時代は野菜を中心に食料品にはそれなりに気をつかったが、まま口にするタオルの安全性についてまでは考えもしなかった、、、

「最小限の環境負荷」については、自社で使用する電力を100%風力発電の売電という形で秋田県(能代発電所)から購入。その電気で作られるゆえに、IKTのタオルは「風で織るタオル」と呼ばれている。
といっても、秋田から今治まで送電しているわけではない。能代発電所の発電コストは1キロワットあたり12円。だが東北電力は8円でしか買ってくれないので、その差額の4円分を負担することで、環境負荷分のコストが池内タオルのものになる。
したがって、池内タオルは四国電力(この会社は原発依存率が高い)に電気代を支払い、さらに能代風力発電所に4円のプレミアムを払っているのである。
で、これは久米宏も驚いていたが、このような形で通常より高い電気代を支払うことになった途端、社内で使用する電気の量が40%減ったのだそうだ。というのも、当然のこととして、通常より2割高い電気を買う分をそのままコストに転嫁するわけにはいかない。したがって社員全員でエレベーターに乗らない、あるいはできるかぎり電気を消すといった節電を実行した結果がこれ。
地道な努力をすれば、それだけの節電を実現できるという実例がここにある。

こうして出来上がったタオルは2002年にニューヨークで賞を受賞。その後、2003年初頭の小泉純一郎が総理大臣の施政方針演説で池内タオルのことを触れたり、久米宏のニュースステーションが特集で取り上げたことがきっかけで熱烈な顧客(社長は「IKTマニア」と呼んでいる)を開拓しつつあった。ところがその矢先に卸売先の倒産のあおりを食って連鎖倒産。10億の借金を背負いこむことに。

ところが、この池内社長の凄いところは、ここで会社の売上げの99%を占めていたライセンス生産の事業を捨てて、1%しかなかった「風で織るタオル」一本に絞って会社の再建を決意するところ。
幸いなことにほとんどすべての債権者の同意を得て、以来8年、自社ブランド一本で頑張った結果、見事に会社は立ち直り、かつては1%だった売上げが、現在は倒産前にほぼ戻ったそうだ(倒産時には一般ユーザーから「タオルを何枚買えば、会社が助かりますか?」という問い合わせも殺到したという)。

企業にとって、もっとも重要なことは儲けることである。しかし、それと同じくぐらいか、あるいはそれ以上に重要なのは、いかなる企業理念を持っているかということだ。
かつて本田宗一郎さんは、カネを儲けるために自動車を作ったわけではない。もちろんカネ儲けもしたかったろうが、それ以前に「エンジンは必ず人を幸せにする」という信念があった。ゆえに本田さんはあれほどまでにクルマ作りに熱中したのである。そしてその理念が今日も本田という会社を支えている。

一方、東京電力を始めとする電力会社は(沖縄電力をのぞく)ただひたすら自分たちのカネ儲けだけを追及し、今の自分たちさえ良ければ、国民の生命、あるいは後世のことなど知ったことではないという考えで原発を推進してきた。その結果として起きたのが、福島第一原発の破局事故である。

100%安全なタオルを、できる限り環境負荷を抑えて作る。
それは素晴らしい企業理念であり、それが正しかったゆえに池内タオルは倒産から立ち直った。
こういう経営者がいて、しかもそれを支持する多くのユーザーがいるのだから、日本もまだまだ捨てたものではない。

※ちなみに聴取率調査週間の今週、「久米宏ラジオなんですけど」のプレゼント企画は、この池内タオルのタオルです!

池内タオル会社案内

・ブログ
『風で織るタオル』社長の部屋

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2012/10/17

新聞に軽減税率を適用する必要はない ~ 新聞協会「決議」の夜郎自大

日本新聞協会の新聞大会が開かれ、そこで決議が採択されたそうだ(傍線はブログ主)。

 東日本大震災と福島第1原発事故からの復旧・復興はまだ道半ばであり、今なお多くの人々は、不安な日々を過ごしている。こうした状況の中、政治は依然として混迷から抜け出せずにいる。

 新聞はいかなる時も正確な情報と多様な意見を国民に提供することで、民主主義社会の健全な発展と国民生活の向上に寄与してきた。今年8月、消費税率を引き上げるための社会保障・税一体改革関連法が成立した。新聞を含む知識への課税強化は民主主義の維持・発展を損なうものであり、新聞には軽減税率を適用するよう強く求める。欧州諸国が新聞購読料に対しゼロ税率や軽減税率を採用していることに学ぶべきである。

 真実を追究し、国民の知る権利に応える――これこそがわれわれの最大の使命である。今後も公共的・文化的使命を自覚し、多事多難な時代を乗り越えるために全力を尽くすことを誓う。

あれだけ一方的に消費税増税をあおってきながら、いざ法案が可決すると、自分たちには「軽減税率を適用せよ」という。一読、吐き気を催す文章である。

「新聞はいかなる時も正確な情報と多様な意見を国民に提供することで、民主主義社会の健全な発展と国民生活の向上に寄与してきた。」

この組織の人々は、自分たちが戦時中にどんなことをやってきたかは、どうやらきれいサッパリ忘れてなかったことにしているらしい。

「真実を追究し、国民の知る権利に応える――これこそがわれわれの最大の使命である。」とは笑わかせてくれる。なんという夜郎自大ぶりか。
記者クラブに下げ渡された発表情報の裏取りをして、国民の知る権利に応えようとしている記者がいったいどれだけいるのか? ほとんどいないのが現状だろう。
それどころか、特捜部の検事がそっと教えてくれる情報を書きなぐることで、権力の御用をせっせとつとめるメディア。

私は現在の日本ほど不健全な民主主義はなく(というよりそもそも民主主義ではない)、国民生活がひどいことになっている国も珍しいと思うが(なにしろ福島県やその周辺では、もはや多くの国民が国家から棄てられているのである)、彼らの認識では「民主主義社会」が「健全」に発展し、「国民生活」が「向上」しているらしい。

「東日本大震災と福島第1原発事故からの復旧・復興はまだ道半ば」だというが、福島第一原発の事故は復旧どころか収束すらしておらず、そのメドもたっていない。それをまったくといっていいほど報道しないのが「新聞」だ。

こんなメディアに軽減税率を適用する必要はまったくない。
私はそう思うのである。

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小沢報道、そして原発 ~ 日経記事より

前回、書こうと思っていた日経の記事については、時間がたってしまったが、本エントリーの最後に触れます。
その前に本日の記事と、昨日の記事について。


・まずは本日(17日)の4面(政治)のコラム、「記者手帳」。

小沢一郎が「脱原発」の視察としてドイツへ出発したことに触れる記事。
タイトルは『「数は力」探しの旅』。

 「反増税と脱原発を掲げれば国民の支持を得られる」とかねけて同僚議員に語りかけてきたが、新党の支持率は振るわない。消費増税関連が成立したいま、「脱原発」の声におのずと力がこもるようだ。

ここ最近の維新の会とやらの洪水のような報道は、一方で国民の生活が第一を黙殺する意図があることは明白で、『遊撃的マスコミ論』の著者、丸山邦夫氏流に言えば「無報」(意識的な黙殺)の部類に入る。
ちなみに国民の生活が第一は現在、野党第二党だ。過去の政局を振り返ると、与野党が拮抗した状況においては野党第二党がキャスティングボードを握る可能性は十分にあるわけだが、にもかかわらず黙殺をしておいて「支持率が振るわない」と書くところにこの記事の下心が透けて見える。
おそらくは、あれだけ持ち上げた維新の会が早くも失速気味なだけに、細かいところでポコポコと国民の生活が第一を叩いておこうということなのたろう。この記事の締めくくりは、

15日には各党あいさつ回りで訪ねてきた日本維新の会の橋下徹代表に「過半数を制すれば何でもできる」と自らの政治信条を伝え「維新にも協力できる。がんばろう」と呼びかけた。「数は力」の難しさが身に染みる日々かもしれない。

短いコラムだが、タイトルを含めていやらしい記事というしかない。
「小沢一郎=数は力の政治家」というレッテルをどうしても貼りたいのだろうが、そもそも「数が力」ならどうして民主党を離党するのか?(笑)
一方でこの政治面には、「赤字国債法案と予算案 民主、一体成立打診へ」「逆転国会の弊害是正 野党は「解散が先」」という記事が出ている。つまり、どの政党も「数の力」が足りなくて困っているわけで、それでおかしな妥協をしようとかしないとかいう話をしている。「数の力」の難しさが身に染みているのは、民主と自民なのである。


・16日朝刊3面(総合2)「日本の原発輸出 暗雲」

 日本の原発インフラ輸出に暗雲が漂っている。リトアニアで14日実施された原子力発電所の新設を問う国民投票は、反対が多数を占めた。同プロジェクトは日立製作所が事実上受注していたが、計画見直し議論が進む見通し。新興国向け原発商戦を巡っては韓国やロシアなどが政官民一体による受注活動を強化している。日本の原発輸出は厳しさを増している。

リトアニアの国民がきわめて真っ当な判断を示しただけのこと。

 福島第1原発の事故で日本の原発に対する安全神話が崩れた。その中で日立はリトアニアで最新炉をいち早く安定稼働させ、フィンランドやベトナムなど次の受注活動で優位に立つ戦略だった。その見直しを迫られる。
 日立に限らず日本の原発輸出は先が見えない。民主党政権の原発政策に対し「不信感を見せる国・地域は多く、商談を重ねるたびに劣勢になっている」(重電メーカー幹部)との声もある。

別に民主の肩をもつわけではないが、「民主党の原発政策」云々で先が見えなくなっているわけではない。
有史以来、チェルノブイリと並ぶ最大級の原発事故を起こして、しかもその収束がいつになるのか見当もつかない国の原発を輸入するなどという行為自体に無理があるのである。そんなことを強行したら、それこそ彼の地の国民が暴動を起こすだろう。
しかも今日の日経の記事にも書いてあるけれども、「原発の技術者が枯渇しかねない状況」だというのだから、なおさらだ。こんなヤバくて危ない国の原発を輸入するなどというのは狂気の沙汰なのである。


・13日9面(企業総合)『「東電、過ち大きく」「日本の規制 複雑」 クライン委員長に聞く 』

さて、最後に前回のエントリーで触れようと思った記事について。
すでに他のブログでも書かれているが、東電の「原子力改革監視委員会」の委員長になった米原子力規制委員会元委員長のデール・クライン氏へのインタビュー記事。
ま、この方もアメリカで原発を推進してきて、東電が「この人なら大丈夫だろう」ということで起用したのだから、東電よりの人物であることは間違いないが、しかしそれはそれとして、やはり話をしている内容は興味深い。

 クライン氏はまず原発の安全対策や事故対応に関し、「規制当局と東電は大きな過ちを犯した」と強調。今後策定する事故の再発防止策の効果を検証するとともに、社員一人ひとりが「安全に責任を負っている自覚を持つべきだ」と訴えた。
 改革への課題として「違った対策を取っていれば事故は防げたという事実を受け入れることが重要だ」と指摘し、「改革には長い時間がかかる」との見通しを示した。

防げた事故を防げなかったのであれば、当然、その責任者は追及されてしかるべきで、クライン氏には是非、大きな過ちの内容と責任者を追及していただきたいものである(無理だろうけど)。

 官民挙げた過酷事故への備えの必要性にも言及した。NRCは2001年の米同時テロ後、原発の安全指針「B5b」を策定。日本にも導入を促したが、経産省は当時この助言を無視した。もし日本がB5bを導入していれば福島第1原発事故を防げたか、との問いにクライン氏は「防げた」と断言した。

この時にその助言を無視した官僚はどこのどいつなのか? なぜこの記事を書いた記者は取材しないのだろうか?(現在しているのかもしれないが)
おそらく、この助言を受け入れると、それなりに大きなコストアップになったのだろう。それは原子力村全体のもっとも嫌うところであり、ゆえに無視したことは間違いない。
これだけの過ちを犯したにもかかわらず、誰一人として責任を追及されない社会というのは、小出裕章先生がおっしゃるように、「国家としての体裁をなしていない」と私は思う。

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2012/10/13

10月11日付日経夕刊 田中俊一のインタビュー記事を読む

社会人になって自分で新聞を購読するようになってからの履歴は、朝日→日経→東京である。
元々は親がずっと朝日だったので、自分も朝日を購読するようになった。

が、その後、朝日の、とくに政治面があまりにひどいので、1990年頃に日経に変えて、以後は数年前まで日経を購読していた。その日経も政治面はひどいものだったが、スポーツ面や経済面は気に入っていたことと、逆にひどい記事を読むとブログのネタになるということもあり、数年前までは購読していたのだった。
しかし、その日経も「西松事件」以来の小沢関連記事のあまりのひどさに見切りをつけてやめてしまった。

その後、しばらく新聞は購読していなかったのだが、やはり私のような世代は新聞を読みたい。そこでネットで評判の良い東京新聞を購読することにしたのが1年ちょっと前。
その東京は評判に違わず、とくに原発については連日いい記事を書いている(政治面、経済面は大したことないが)。私は東京新聞を読むようになって「新聞とはこれほど心穏やかに読めるものなのか」と思ったものだが、その一方、あまりブログを書く意欲も湧かなくなってしまった。
というのも、東京新聞のことはブログで多くの人が書いているし、facebookなどでも流れてくる。そうなると、これを読んでいるうちに、「ま、いいか」となってしまったのだ。

そこで、今月から再度、日経(※注)に切り替えてみた(w
久しぶりに読む日経はなかなかに面白い。スポーツ面、経済のちょっとした記事は相変わらず充実しており、一方、政治面にはレベルの低い「政事」記事が並んでいる。
そして、この新聞を見ていると、基本的に福島第一原発で起きた、史上もっとも大きな破局事故は、ほとんど過去のごとき気分になってくる(これは日本のマスメディアに共通するが)。
通勤電車の中で日経を読んで出勤するビジネスマンは、こうして日々洗脳されていくのだろう。

さて、前フリが長くなってしまったが、そんななかで一昨日と今日、気になった記事があったので、少々コメントをしておきたい。

まずは11日夕刊の「ニュースな人ヒト」という囲み記事。登場するのは「原子力規制委員会の初代委員長 田中俊一さん」で、タイトルは『「福島の声」胸に改革主導』(記事を書いたのは科学技術部の川合智之記者)
以下、全文引用はせずに部分部分を見ていくと……(以下、下線部はブログ主)。

 福島県出身で、高校まで過ごした。山登りや魚釣りに明け暮れたふるさとの景色は、東京電力福島第1原子力発電所の事故で一変した。事故直後には原子力の研究者と連名で「国民に深く陳謝する」といち早く謝罪。以来、率先して福島県に入り、自らの手で除染活動を手がけてきた。
 「今のような状態のままでは、原子力の再生は絶望的だ」。福島で被災した住民とともに除染に取り組む中で、そんな思いを強くした。「避難住民が帰ってこられる状況をつくり出さない限り、どう原子力政策を進めていいかわからない」と自問する日々が続いた。

この部分の後に出てくるが、この田中俊一氏は東北大学原子核工学科卒。つまり京都大学の小出裕章助教と同じで、経歴を見ると、卒業年次は小出氏の7年前ということになる。
その小出氏は、かねがね「除染」には基本的に意味がないことを警告してきた。

この田中氏は記者によれば、「静かな語り口の中に、原子力規制の改革をめざす強い意志がにじむ」のだそうだが、日本原子力学会長を務めたような人物が、除染などやっている場合ではない(もちろん除染も必要だが)。
そして、「避難住民が帰ってこられる状況をつくり出さない限り、どう原子力政策を進めていいかわからないと自問」したということは、避難住民のみならず、いまもなお「日本の法律に照らせば住んではいけない地域」(小出助教)に住んでいる多くの人びとを避難させるということは、頭から考えていないということだろう。
ちなみに、私が小出先生にお話をうかがった時、先生は「どんなにカネがかかろうとも、私はそれをやるべきだと思う」とおっしゃっていた。

 事故を防げなかった規制行政の刷新という重い任務を背負った原子力規制委員会。委員長就任の打診には「正直断りたい気持ちもあった」というが、「背中を押してくれたのも福島の声だった」
 ふるさと福島の再生を願う気持ち、事故を防ぐことができず申し訳ないという反省――。「もう二度とこのような事故を起こしてはならない」。こう強く決意し、最終的に就任を引き受けた。

この記事の中には、具体的に田中氏の背を押した「福島の声」なるものは一切出てこないが、いったいそれはどういう「声」だったのか? 「福島の声」にもいろいろとあるだろう。「もう原発は一切勘弁してくれ」という声もあれば、「それでも原発を推進してくれ」という声もある。彼はそのどちらの「声」に押されたのかは、この記事では不明だ。

また、田中氏には「事故を防ぐことができず申し訳ないという反省」があるらしい。
であれば、本来、彼が真っ先にするべきことは、責任を取るということだ。
今後、この破局事故の影響は想像を絶するほど長く続き、百年、二百年後の人びと、いや千年後の人びとですらが、われわれの世代を恨むことだろう。
それだけの事故を防げなかった責任者が何も責任を取らず、規制行政の長に就任するというのは、およそ歴史の審判に耐えられないと私は思う。

 まず「急務は地に落ちた規制への信頼を回復すること」と位置付け、委員会の運営はできるだけ透明性を確保するように事務局に指示したばかりだ

規制委員会発足時に赤旗の記者の排除しようとした人物について、今ごろまだこんなことを書いているのだから、私は腰を抜かした。

・みんな楽しくHappy♡がいい♪
原子力規制委員会「会見赤旗排除」田中俊一と広報課長のとても見苦しい言い訳 9/26(会見内容書き出し)

まあ、結局、赤旗も会見には出られことになったが、上記のブログエントリーを読んでいただければわかるが、田中俊一というのは、つまりはこの程度の人物だ。

 「いまこのときも放射線への不安に向き合って毎日過ごしている人がいる」。そんな福島の人々への思いを常に念頭に置きつつ、原子力規制行政の改革という大きな課題に挑む。「世界で最も厳しい規制にする」のが目標だ

もちろん、福島の人々の放射線への不安は大変なものだが、しかしそうした不安を持っているのは福島の人びとだけではない。関東や東北の少なからぬ地域でも放射能への不安を持っている人は多く、実際、「日本の法律に照らせば住んではいけない地域」はある。
そういう事実をサラリとスルーすることろに、この記事(記者)の意図が透けて見えてくる。

ということで、この記事を書いた川合智之さんへ。
このような記事を「提灯記事」といいます。

さて、次に本日の日経の記事に触れようと思ったのだが、長くなってしまったので、それは次のエントリーで。
なお、上記の最後の下線部部分は、次のエントリーとも関連します。

※注
ただし電子版のみ。これがしかしなかなかいい。iPadで読むと文字を拡大できるし、気になった記事はメール送信をできる。また、私の住む地域は13版なのだが、電子版は当然ながら最終の14版だ(スクープは最終版にしか掲載されないので、これまで自宅で読んだ日経と、会社で見た日経の1面トップが違うということが時々あった)。

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2012/10/10

広告には必ず意図がある
~ 私が「はてな」のタイアップ広告にこだわった理由

以下は、「ざまあみやがれい!」さんのサイトにコメントしたものですが、当ブログにも転載しておきます。

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大変に遅まきながら、津田氏が貴ブログに寄せられたコメントについて、私の感想をいくつか書かせていただきます。

まず、津田氏は、「僕も出版業界に10年以上いる人間ですし、PR記事に対してクライアントが口を出して、その指示に従わなければいけないなんてことは当然知ってますよ。」とお書きになっています。
私は出版業界に1985年から2010年の25年間いましたが(いまもその近くにおります)、広告というものに対する認識をきちんと得ることができたのは、最後の8年弱、広告部に勤務してからでした。

「PR記事に対してクライアントが口を出して~」とありますが、正確な用語を使えば、これはタイアップ広告です(媒体側制作する広告。これに対してクライアント自身が制作するのが純広告)。つまり完全な広告なわけで、そうであれば媒体社側がクライアントの意向に従うのは当然のことなのです。

タイアップというのは、その媒体のデザインなどを踏襲して一回限り作る広告です(純広告に比べて広告色が低く、読者や視聴者からスキップされにくいという特徴があります)。これは前述したように媒体社側が制作しますが、この広告制作過程では、純広告とは比べものにならないぐらい多くの地雷(トラブルの種)があります。
私もずいぶんとタイアップ広告に関わりましたが、打ち合わせから掲載まで、すんなり終わることはまずないのがタイアップ広告で、営業努力の結果、大きなタイアップが取れれば嬉しいのですが、いざ制作となると苦労の連続でした。

さて、そのようにトラブルの種があちこちにあるタイアップ広告ですが、その原因の一つに媒体社側の編集やライターの広告に対する認識が甘いという問題があります。クライアントが「こうして欲しい」と要求したことについて、「そんなことはできない」と編集側が突っぱねるのです。これはよくあるトラブルなのですが、なにしろ広告なので、基本的にクライアントの言うとおりにしなければなりません。当たり前のことですが、しかしそれで揉めることは実際に多いのです。

ところが、はてなは津田氏に対して「単なるPRにはしない。環境省と折り合いがつかなければ最悪の場合、記事をPRではない形にしてでも掲載する。折れないところは絶対折れないから協力してくれ」と言ったとのこと。
これは相当に問題発言で、本来、タイアップ広告を作る上で、媒体社が言うセリフではありません。
では、なぜはてなは津田氏にこのようなことを言ったのでしょう?
まあこれも「邪推」でしかありませんが、環境省といのうは、これまでのはてなのクライアントとは1ランクも2ランクも上の、第一級のクライアントです。そこから問い合わせがあった。たとえていえば、堤防でハゼ釣りをしていたら、いきなり竿先が曲がって黒鯛が食いついてきたようなものでしょう。
となれば、どうしてもこれを釣り上げたい。その条件が津田氏の起用だったので、口説きにかかったのだと思います(担当者は社内から、「絶対にこのタイアップをとれ」と言われたことでしょう)。

これに対して津田氏は「そういうことなら」と受けるわけですが、もしタイアップ広告というものを理解していれば、そんなセリフを真に受けることはないでしょう。

また受ける理由としてもう一つ、「正面切って取材依頼をしても断られるのが目に見えてい」て、「取材の過程でそこ(20km圏内)に入れるのは大きな意味があ」ったとのこと。
ここらへんは考え方だとは思います。
確かに正面切って取材を依頼すれば断られるでしょう。しかし、だったらゲリラ的に入っていけばいいわけで、現にそうしている人もいます。
かつて鎌田慧氏は期間工としてトヨタに入り、生産ラインの過酷な労働を自ら経験して『自動車絶望工場』という本を書きました。これについては、その取材方法がフェアではないなどという批判も起きましたが、しかし真実というものが用意された取材では見えないことも事実です。まして原子力というのはもっとも閉ざされた世界なわけです。

話を戻します。
繰り返しいいますが、これはタイアップ広告なので、その内容の良し悪しは別としてクライアントの意向が最優先されます。
「最終的に環境省が折れなければ、掲載しない、もしくは僕のブログで発表するというギリギリの判断をはてな側も覚悟してました。いろいろ直せって言われたところもありますが、直したくない場所、削れない場所は削らなかったので、ある意味では環境省が折れた部分もある、ということです。」
とのことですが、これは環境省が広告としてギリギリ譲歩できる線まで書きなおさざるを得なかったということでしょう。

ちなみに、環境省がここで広告として成立する線まで引かないのは当たり前です。なぜなら、この広告には税金が使われているのだから、環境省の意図する内容が成立しなければ、つまり税金の無駄遣いになるわけです(くどいようですが内容の良し悪しは別です)。

津田氏は「僕は環境省から直接ギャラをもらったわけではなく、その博報堂のPR業務に協力したはてなから原稿料をもらっています。」と書いています。
このタイアップ広告は環境省が博報堂を通じてはてなに発注しています。
したがって環境省ははてなとの間で合意した広告掲載料を博報堂に払い、博報堂はそこから代理店マージンを引いた金額をはてなに払います。はてなはそのなかから津田氏に対する原稿料を払ったのです。もちろん、はてなへの広告掲載料には原稿料の他に取材費も含まれています。つまり、はてなが支払おうがなんだろうが、原資は税金なのです。

ちなみに、およそどんなタイアップ広告であれ、クライアントが直接、原稿制作に関わった人にギャラを払うことなど絶対にありません。
たとえばファッション誌におけるタイアップで、カメラマン、デザイナー、モデル、ライターなどへのギャラは、すべて編集部が払いますが、そのカネはもともとはクライアントから入ってきた制作費です。

とここまで書けばおわかりいただけると思いますが、税金から掲載料をもらい、税金で取材して、税金で原稿料が支払われるタイアップ広告において、いざとなったら掲載しない、PR記事としてでなく掲載する、自分のブログで発表するなどという選択肢は最初からあり得ないのです。
はてなと津田氏が最終的に、想定した「最悪の場合」のケースを選択しなかったのは、要するにそんなことはできなかったということです。

さて、しかして、私は別に津田氏を批判しているつもりはありません。
誰がどんな仕事をしようが、それはまったく個人の勝手です。

では、何故にこんなことをつらつらと書いているかというと、要するに今回の津田氏の原稿は「広告」だということを言いたいだけなのです。そして、広告である限り、それはジャーナルとはまったく別のものなのです。

このコメント欄の2で「びとう さとし」さんが、

「広告記事と報道記事をわけて考えることが必要だと思いますよ。

新聞や雑誌などで「PR記事」と書いてあるのは、広告(記事です)。私がいた新聞社では、「パブリシティ」「パブ記事」などと呼んでいました。そこにジャーナリズムを求めるのは無理があります。報道記事ではありません。」

とお書きになっていますが、私もまったく同感です。

つまり、タイアップの内容がどんなものであれ、広告である限りはクライアントに必ず意図があるのです。それがどこにあるのか? それを読み取ること、あるいは読み取ろうとすることが大事だと私は考えています。

今、世の中には様々な情報が溢れかえっています。その中には、官がメディアに下げ渡した、いわゆる記者クラブの発表情報もあれば、広告とは見えない広告、パブリシティ記事など様々なものがあります。
受け取る側の読者は、単純にそれらの情報を真に受けてはいけないと私は思っています。この記事はなんなだろう、どういう意図があるのだろうということを考えながら情報を見ていかないと、なかなか真実というものは見えてきません。

津田氏が書いた記事についても同様です。読んだ人が、単に津田氏の書いた原稿を云々するのではなく、それが広告であることを認識し、クライアントである環境省の意図がどこにあるのかを読み取って欲しい。その注意を喚起したいがために、このようなことを書いてきたわけです。

以上、長々と失礼いたしました。
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