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2012/01/28

志木電子書籍からの新刊情報 ~ 「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」発売!

株式会社志木電子書籍(代表は当ブログ管理人)からの新刊情報です。

タイトル:『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇
価格: 500円(税込)

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ボイジャーストア『テレビ帝国の教科書』

(※まずはボイジャーストアでの販売が先行しますが、近日中に紀伊国屋やソニーリーダーストアなど左にある「電子書店リンク」の書店でも販売いたします<発売日は決定次第発表>。さらに取り扱い電子書店も来月初めから増えます。)

岡庭昇氏の著作としては、弊社では2冊目の電子化となります。
まずは目次のご紹介。

二〇一二年──電子書籍版への序文

はじめに──メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する

  1 ロス疑惑とテレビの新時代

    “疑惑”という名の公開処刑イベント
  2 かい人21面相と事件の“顔”
     仮説・グリコ‥森永不連続説
  3 倉田まり子と国家のスキャンダル
    “コト”が“ヒト”にすりかわる
  4 山口組と劇場犯罪
     あらゆるスキャンダルはイベントとなる

Ⅱ テレビは空気のような罠である
  1 体験的“抗議電話”
     それはリアクションとしてのアクションである
  2 安心は既視感のなかに
     メディアに出るのはエライ人、か?
  3 テレビは“市民”のパスポート
     永遠に停滞するわれらの至福の共同体

Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
  1 われらの“現実”は仮装する
     メディアの権力を解剖する
  2 一枚の写真とイメージの罠
     感性の支配が確立するとき
  3 スキャンダルのケインズ理論
     広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
  4“像”は君臨する
     露出する人々は権力を得る

Ⅳ 逆説のカラクリが情報を戦略する
  1 情報帝国主義の完成
     統制がリーグとなり、リーグが統制となる
  2 真のスキャンダルは逃亡する
     タレント・スターという機能
  3 メディア・ファシズムヘの逆転技
     官能を研ぎすませよ!

あとがき

1985年に刊行された本なので、出てくる事件は古いですが、しかし、書かれている内容はまったく古くありません。
それどころか、現在起きている福島第一原発の破局事故をめぐるさまざまな情報、あるいは政治、とくに小沢一郎の「陸山会事件」についての情報など、マスメディアがながすあらゆるニュースについて、これまでとはまったく異なる視点を読者のみなさんは持つことができると思います。

私はかつて、田中角栄という政治家は大変に悪い、金権政治家だと思っていました。
だから、東京地検特捜部によって田中角栄が逮捕され、総理の犯罪として裁かれたことに喝采を送ったものでした。
しかし、この「総理の犯罪」と命名された戦後最大の“疑獄事件”を徹底的に見直す必要があると今は思っています。
岡庭氏は文中でこんなことを書いています。

《ヨーロッパをひとつの妖怪が徘徊する、共産主義という名の妖怪が》と若きマルクスは誇らかに書きつけた。いま、ずっとネガティブな意味であるが、市民社会を一つの妖怪が徘徊する、既視感(デジヤ・ヴユ)の他者であるところの“像”という名の妖怪が、とわたしは書きとめておかなければならない。

 高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成とは、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や戒律や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは法や規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。

 このメディア・ファシズム状況の中核にあるものが“像”である。メディア批判は、報道の右傾化を憂うといったおなじみのスタイルにおいてではなく、メディアそのもののホンシツをつかない限り成り立たない。そのとき、メディアの支配力の源泉である“像”のトリックこそが、批判的な課題として考察されるべきである。

“像”とは、読んで字のごとく“像”である。たとえば山口百恵、田中角栄、三浦和義という名前から、われわれがおおむね共通に浮かべるイメージが“像”である。モモエにも、角栄氏にも、三浦サンにもさまざまな表情やシチュエーションがあるのだが、われわれはただひとつの“像”を条件反射するのだ。それは記号化された顔である。同時に意味が記号化している。彼らは既視感(デジヤ・ヴユ)のかたまりであり、それゆえ他者総体を代行している。つまり彼らが記号化されることは、現実そのものを記号化するということなのだ。そのことによって、われわれは空気の制度をみずからの手で完成しているといわねばならない。

 現実が“像”におきかえられる。同時に“像”もそのままたれ流されるだけでは“条件反射”を保証されないから、さまざまに“像”のころがし方が発達する。たとえば角栄さんに顕著だったような、“像ころがし”だ。三浦印や角栄印の場合のように“像ころがし”はますますテレビの支配機能を尖鋭にした。それに“像”をひきしめるスパイスの投入がある。スキャンダルの使用である。そんな風にして、現実と“像”をすりかえるメディア力学は、ますます盛大に栄えている。

 しかし、現実を記号に変え、他人の生き死にをイベントにすりかえるメディアと共犯に立つことで、市民たちはいずれ手ひどいしっぺ返しをうけるだろう。GNPぼけして忘れているが、半世紀前の日本人たちは、いよいよ自分が死地にひっぱられるまで、祖国ニッポンが自分たちの檻であるなどとは夢思わず、さまざまな国家製の物語や記号を娯楽していたのである。

↓こちらでは「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」もお読みいただけます。 
志木電子書籍からのお知らせ ~ 「テレビ帝国の教科書」がボイジャーストアより発売されました!

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2012/01/26

歴史的総選挙で「改革を騙った」野田佳彦

まずは下記の動画をご覧いただきたい。
この動画はかつて当ブログ一度紹介したことがあるが、改めてもう一度、貼ってみる。
2009年の衆議院選挙の最終日、最後の小沢一郎の演説である。場所は石川2区。森嘉朗と闘った田中美絵子の選挙区で、場所は田んぼの真ん中の広めの駐車場。そこに6000人もの有権者が集まったという。

この演説はいま見てもグッとくる。
実際、2009年の夏は熱かった。

当ブログを少し前からご覧いただいている方はご存じかと思うが、私もまたこの総選挙では東京11区(板橋)で有田芳生さんの応援をした。
残念ながらこの選挙では有田さんは最高惜敗率で落選してしまったが、あの時の有権者の反応は未だに覚えている。道行く人がチラシを受け取り、激励の声を運動員にまでかけてくれたものである。

それは有田さんが当選を果たした一昨年の参議院選挙とはまったく異なる空気だった(なによりも当時の総理である菅直人が、いきなり消費税という銃弾を味方の背後からぶっ放したのだからたまったものではなかった)。

2009年の総選挙に話を戻すと、この時、小沢一郎と同じく改革を「騙った」男が民主党にはいた。

小沢と野田――両者の動画を見ただけで、器の違い(逆に言えば独裁官僚による操りやすさ)は歴然としているが、まあそれはこの際、置いておこう。

本来ならば総理大臣になるはずだった小沢一郎は検察とマスメディアに狙い撃ちされ、2009年時点では誰もが想像だにしなかった男が首相の座についた。
そして一昨日行なわれた施政方針演説で↓のように言ったのである。

「これらは、私の言葉ではありません。三年前、当時の麻生総理がこの議場でなされた施政方針演説の中の言葉です。私が目指すものも、同じです。

今ごろになって、野田という男は、

「ホントのこというと、麻生さんや歴代の自民党総理と同じだったんだよね」

と言ったのだ。
驚愕の告白である。

では、なぜ2009年にはこの男は心にもないことを言ったかといえば、要するに権力が欲しいかった、つまり政権奪取の単なる方便だったとしか言いようがない。

一方、野田と同じだった麻生は、その主張が正しいかどうかは別にして、従来の自民党の政策で勝負したのだから、少なくとも野田よりもはるかに真っ当だと言えるだろう(まさか私が麻生を評価するような時代が来るとは思わなんだ)。

そして、野田という政治家の最大の問題は、この「歴史的位置づけにある衆議院選挙において、心にもない政策を騙って国民を騙した」いう点にあると思う。

いま、メディアの中には、「自民党も本当は野田と一緒なのだから、大人の対応をすべきだ」というような論調もある。
しかし、保守政治家にとって何よりも優先すべきは信義であり秩序であるはずだ。
自分たちが良かれと思って打ち出した政策で大惨敗したのと同じ選挙で真逆の大ウソをついておいて、後になってから、

「実は自分も心の中では同じだったんだよね。で、今回はあんたたちと同じことを言ってるんだから、協力するのが筋でしょうよ」

などというのは、信義を重視する立場にあれば許されざることで、道徳の問題である。

今後、世論を詐称するマスメディアが、自民党にも「野田と同じ土俵に乗れ」という圧力をますますかけてくるだろう。
しかし、野田のような政治家を野放しにしておけば、日本は故・小室直樹博士が言うところのアノミー(無秩序状態)に陥ってしまう(まあ原発事故後の世界は、歴史的犯罪企業が野放しになっているという点で、すでに十分にアノミー状態だが)。それは保守政治家にとって断じて好むところではないはずだ。

ということで、私は少なくとも現時点で、自民党は野田のかけてくるモーションに対して保守の良識を存分に発揮して欲しいと思う。
それを貫くことが、自民党にとって捲土重来の第一歩になるのではないだろうか。


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2012/01/20

大飯原発意見聴取会 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!

*****
「ナマであるように見えるほど、つまりリアルであればあるほど、メディアはウソをついている。つまり現実を“像”にすりかえ、“像”を現実として送り返している。(中略)ここから権力の源泉としてのあらゆるトリックが発生するのである。」

「メディアは現実を“像”に変える。そして“像”を現実そのものであるかのように錯覚させる。そこに、メディア・ファシズムとでも称すべき、こんにちの“管理”のホンシツがある。イデオロギーを統制するのではなく、“像”というコンセンサスを市民社会に共有させることで管理を実現するのである。」

「高度に制度化された制度は、もはや制度であることを感じさせない。権力の最高度の達成は、何よりも権力としての自己消滅である。支配されているという実感を、支配されている者の感性から拭い去ることこそ、支配の完成にほかならない。その意味で、鎖国ニッポンの完成、そこでの身体の囲いこみの完了は、警察や軍隊といった暴力による支配の形を遠く離れる。いまや支配されたがっている人間ほど、自分を自由だと実感しているはずだ。市民社会はすでに法や規範や禁忌や私刑で動かされているのではない。“空気”と“気分”こそが、市民社会の鉄の掟である。それは規範や戒律や禁忌や私刑以上に絶対管理制であるところの、いわばソフト・ファシズムである。このソフト・ファシズムはメディアによって司られている。とりわけて空気のファシズムたるテレビによって。」

いずれ岡庭昇著『テレビ帝国の教科書』(1985年)より
*****

いまさらだが、大飯原発再稼働の条件となる安全評価の意見聴取会での“混乱”について。

私は仕事をしながらつけていたテレビからの音声で、このニュースの一次情報を得たのだが、「反対派」「市民」「乱入」というような言葉が聞こえた。
そこでおやっと思ってテレビを振り返ってみると、案の定、この会を傍聴するはずだった市民が、さもトラブルの原因であるかのような映像が流れていたのだった。

もちろん、この期に及んでも原発を存続するため、「反原発という意志を持った市民=秩序を乱す社会常識のない集団」というネガティブ・キャンペーンのための“像”の拡散である。

この映像を見た素直な視聴者たちは、「反原発の人たちの行動は、どうも非常識だな」という印象を持つわけで、それこそが権力の意図であり、見方を変えれば、マスメディアがその共犯者であることの何よりの証拠映像といえるだろう。
ちなみに、このニュースを伝えるNHKは↓のようなものであった。

この映像でアナウンサーは早速、冒頭から「会議が開催できない異例の事態になっています」と喋り始める。そしてテロップは「傍聴不許可の人たち抗議 会議開催できず」。
この時点で、「反原発派のせいで、真っ当な会議が開催できない」という印象を視聴者にガッツリ与える寸法である。
しかし、では事実はどうだったのか。原発に関しては真っ当な記事を出す東京新聞はこう書いている。

*****
再稼働条件の原発安全評価 大飯3、4号機「妥当」
2012年1月19日 07時02分

(略)

■「今日中に」聴取会強行

 原発の専門家からの意見聴取会は、原発の再稼働への重要な節目となるとあって、再稼働に反対する大勢の傍聴者が詰めかけた。
 前回の聴取会で、傍聴者の一部が委員に詰め寄る混乱があったため、保安院は一般傍聴者の入場を禁止。別室で中継のモニターを見る形式にした。これに反発した傍聴者が会場になだれ込んだ。
 十数人の傍聴者は口々に「なぜ傍聴させないんだ」「こんな保安院に再稼働を決める資格はない」と、意見聴取のあり方や、聴取対象の専門家の中に原発関連企業から研究費を受け取っていた人がいることを批判。原子力プラント技術者の後藤政志委員が「仕切り直すべきでは」と流会を投げかけた。
 しかし、司会で東京大教授の岡本孝司委員は拒否。以後は退室を求める保安院側と原発反対派の間でにらみ合いが続く異様な雰囲気になった。
 その後、保安院は省内に別室を確保。委員を移動させた。説明に当たる保安院の職員と傍聴者がもみ合いになる一幕もあった。
 「今日やってしまいたい」(幹部)という保安院は、庁舎のエレベーターを止め、通報で駆けつけた警視庁丸の内署の警官隊を出入り口に配置。傍聴者を新たな会場に近づけないようにし、午後八時ごろ、審査書に批判的な後藤氏と井野博満東京大名誉教授の委員二人が欠席する中で聴取会を強行した。
 聴取会が始まると、保安院の担当者は淡々と評価報告書を読み上げ、「妥当」「有効」を繰り返した。
 この間、枝野幸男経産相は緊急記者会見を二回開き、「平穏に議論できない状況では、広く意見を求めるという聴取会の目的が果たせない」「ルールを守ってもらいたい」と述べた。
 井野氏は「原子炉の老朽化や、人為的ミスの可能性を考慮しておらず、審査は不十分だ。弱点を見つけることと、安全だから再稼働ということは別だ」と批判した。
*****

もともと、きちんとパスをもって傍聴のために入場した市民に対し、保安院側が別室に誘導しようとすれば、市民が怒るのは当然のことであり、そこですごすごと別室に従う方がよほど人間として問題があることは言うまでもない。
もちろん、NHKでもその経緯は一応なぞっているが、問題はそのトーンなのである。
たとえば↑の映像では、「原発の運転再開に反対する人たちなどおよそ20人が会議室に入りこんで抗議をつづけました」といっている(1分3秒あたりから)。
この「入りこんで」という、まるで市民が無理やり中央突破をはかったがごとき表現こそが、印象操作の肝である。
それは、例の北朝鮮の女性アナウンサー仰々しく独裁者を賛美するよりもはるかに国民を深いところで洗脳し、統制する。

実際の様子はこちら↓

そして枝野の会見の様子。

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この意見聴取会は、「政治的に再稼働すべきかどうか議論している場ではな」く、「あくまで客観的科学的技術的に専門家の皆さんに論議いただく場」だというのである。
しかもご丁寧にNHKはわざわざここにテロップを入れている。

しかし、前掲の東京新聞記事にもあるとおり、「この専門家のみなさん」の中には原発関連企業からカネをもらっていた委員が複数いた。

・田中龍作ジャーナル
「大飯原発ストレステストは妥当」 傍聴者排除し推進派だけのイカサマ専門家会議

つまり、現実には、これほど「政治的に再稼働をすべきかどうかを議論する」「客観的でない議論の場」はなかったのである。
だが、ここでNHKは、現実を“像”にすり替えた。
結果、視聴者は、この一見すると市民がただクレームをつけているだけのような“像”を現実と錯視し、「反原発=一部の危ない“市民”」というイメージを共有することになる。
まさに“空気”と“気分”による、完璧な統制だ。

ところで、こうして市民を締め出して行なわれた聴取会には、枝野がのこのことやってきて、しきりにぺこぺこと委員に向かってお詫びをしたという。
詳しくは、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」さんのエントリーをご覧いただきたいが、枝野が頭を下げている画像は必見だ(是非、見てください)。

・みんな楽しくHappy♡がいい♪
国民を締め出したストレステストの会議中「謝りに来た」枝野大臣(動画&書き出し)

さて、今日は本当はSPEEDIについても触れたかった。
これまで100億円以上のの日本国民の税金を投入して、まさに福島第一原発破局事故の時のためにつくられた「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」のデータを、文部科学省は真っ先に米軍に渡し、自国民に対しては秘匿した。
このデータを見たアメリカはさっさと米国民を80キロ圏外へと避難させる一方、日本人は避けられた被曝を避けられなかったどころか、正しい情報があればしなかった被曝までしてしまったのである。
以下は京都大学・小出裕章氏の話。

狂 っ て い る 。

腐 っ て い る 。

どこぞの国の独裁者の資質が云々などと言っている場合ではない。
この国の権力構造は、ヘドロどころか、まさに高濃度の放射能汚泥のようなものである。
このまま放置すると、国民はこいつらの毒にによる被ばくで死ぬことになる。


※お知らせ
冒頭で紹介した岡庭昇著『テレビ帝国の教科書 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!』の電子書籍版が、間もなく志木電子書籍より発売されます。
詳細は、追ってご紹介しますが、是非、ご期待ください!

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2012/01/18

さらに毎日新聞誤報問題について

岸井毎日新聞さんえ

市民なんぞ愚民だと思ってなめたらいかんよ。

shimbunkyokai

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2012/01/17

ひきつづき毎日新聞誤報問題について

毎日新聞より、健全な法治国家のために声をあげる市民の会の16日付文書に対するファックスが来ました。

まずは、毎日新聞1月12日の、「小沢元代表、法廷:「真実詳述」肩透かし 4億円の解明不発」という記事タイトルを真似て当方もタイトルをつけてみましょう。

毎日新聞社会部清水統括副部長、質問状:「記事根拠開示」肩すかし 誤報記事の説明不発

・八木啓代のひとりごと
日本語が読めなくても毎日新聞社会部副部長はつとまるらしい件 ←イマココ!

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それにしても、小沢一郎には、あれだけ「説明しろ」と粘着に喚くわりに、自分たちが説明を求められるとこれですか。
こちらとしては、新聞記者サンお得意の口グセである「ファクト」を示していただければいだけなんですけどね。
ま、さすが検事の顔色を見て記事を書く岸井毎日新聞さんだけあって、検察の補完勢力としてご活躍のようです。

そういえば、先日、司法記者クラブという所へ初めていったので記念撮影をしてきたので最後にご紹介。

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談話室とかあって、何やら居心地良さそうですネ。

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2012/01/16

毎日新聞誤報問題について

現在、健全な法治国家のために声をあげる市民の会が1月13日に最高検察庁へ提出した告発状の記事をめぐって岸井毎日新聞社とのやりとりが続いている。


八木啓代のひとりごと
・【重要】毎日新聞に重大な誤報が出まし<た

・毎日新聞該当記事
*****
陸山会事件:担当検事「報告書」問題 該当「やり取り」獄中日記に

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件で、虚偽の捜査報告書を作成したなどとして、東京都内の市民団体は12日、東京地検特捜部検事だった田代政弘・新潟地検検事を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で最高検に告発した。虚偽とされるのは捜査報告書に記載された元秘書で衆院議員の石川知裕被告の供述だが、石川議員は出版物の中で勾留中にほぼ同様のやりとりを田代検事とした記載をしている。
 告発状によると、田代検事は10年5月、東京第5検察審査会が元代表を起訴相当と議決したことを受け、石川議員から任意で聴取した。その際、石川議員が「検事から『(有権者は)小沢一郎の秘書ではなく石川知裕に期待して国政に送り出したはず』と言われたことが効いた」と述べ、元代表の関与を認めた経緯を説明したとする捜査報告書を作成した。しかし、石川議員の「隠し録音」に、そうしたやり取りはなかったとしている。
 第5検察審は2度目の審査でこの捜査報告書も検討し、元代表を強制起訴すべきだと判断したとされる。
 田代検事は昨年12月に元代表の公判に証人出廷し、弁護側から捜査報告書について追及され「勾留中のやり取りなどと記憶が混同した」と説明している。
 石川議員は10年8月に出版された書籍の中で、勾留中の様子などを記した「獄中日記」を公開した。その中で「十勝の有権者は小沢一郎ではなく、石川知裕に期待して投票したと言われるのがつらい」などと書きつづっていた。この時に取り調べたのも田代検事で、証人出廷時に説明した「やり取り」は、この部分とみられる。
*****

mainichi120113


八木啓代のひとりごと
・【重要】毎日新聞は誤報の訂正を拒否しています

・毎日新聞からの回答
*****
 本日の抗議の件、当職から次の通り回答いたします。
 どうぞ宜しくお願い致します。
 (貴会宛にファクスしましたが、エラーが出て送れないのでメールにて回答致
します)

■回答■
 記事は主に、「誰が日本を支配するのか!? 検察と正義」(マガジンハウス
刊)に記載されている、石川知裕氏の「獄中日記」の内容を紹介したものです。
従って「誤報」との指摘は当たらないと考えます。


毎日新聞東京本社 社会部統括副部長

        清水忠彦
*****

mainichi120114


八木啓代のひとりごと
・誤報出しておいて、逃げ切れるとお思いかな、毎日新聞 ←イマココ!

誰が日本を

mainichi120116

小沢一郎の政治資金収支報告書は虚偽記載だといって大騒ぎしているマスメディア。
ところが、検察は検察審査会に送る資料に虚偽記載。
挙句の果てに、それが明らかになると、マスメディアを使って虚偽報道。
ウソついてるのはどっちやねん。

ちなみにこの新聞社の主筆なる方は、かつて小沢一郎秘書逮捕の際にTHE JOURNALにこのようなエントリーを書いたところ、コメント欄に山のような批判が書き込まれたにもかかわらず一切無視。
それどころか、その後も駄文をいくつかアップして批判を浴びるとネットから遁走した過去がありますが、清水氏におかれましては、そのようなことのなきようにお願いしたいところです。

今後の行方をご注目ください。

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2012/01/14

野田改造内閣 ~ 霞が関による政権交代潰しの到達点

まずは植草一秀氏のエントリーで紹介されていた動画をご覧いただきたい。

野田改造“増税一直線”内閣が発足した。
私の感想はただ一つ、この政権は2009年の政権交代の意義を叩き潰す霞が関独裁の総仕上げ、到達点だなということだった。
私の考えでは、長らく自民党とタッグを組んできた霞が関独裁は、ある時期から「政権交代止むなし」と考えるようになった。といって、その政権がコントロール不能であっては困る。そこで、民主党内に第二自民党勢力を育てることにした。

それはそれでうまくいったが、彼らは自民党の手錬れ議員とは比較にならないほど“お子ちゃま”で、前原なんぞは偽メール事件で大ズッコケしてしまった。
まあ、民主党がズッコケたままであれば自民党政権が続くわけだから問題ないのだが、ここで小沢一郎が登場して代表に就任、民主党をまたたく間に立て直す。

これに驚愕したのが、霞が関独裁を中心とした既得権益勢力だ(もちろんマスメディアもそのコアメンバー)。
民主の“お子ちゃま”たちが主導する政権交代であれば、赤子の手をひねるようなもので、それこそかつての自民党よりもコントロールしやすいが、小沢は違う。
なにしろ、自民党にいれば確実に総理大臣になれたにもかかわらず(というかその前の時点でチャンスがあった)、既得権益勢力に担がれることを潔しとせずに野に下ったのである。
そして紆余曲折の末、民主党に合流、政権交代を目指して打ち出したキャッチフレーズが「国民の生活が第一」。

かつて田中康夫が長野県知事時代に「官は民のパブリックサーバントでなければならない」と演説して県職員の反発を食らったが、およそ官僚というのは国民の生活など知ったことではない(その象徴が現在の福島県であろう)。
そういう連中から見ると、小沢一郎というのは第一級の危険思想の持ち主であり、たとえ民主党が政権をとったとしても、なんとしても小沢総理だけは避けたい。
そうして2009年3月、まさに政権交代を賭けた衆議院選挙の直前に浮上したのが、小沢の「政治とカネ」に関する(ねつ造)疑惑であった。

ま、ここらあたりをクドクドと書いても仕方がないので端折ると、結果として小沢は民主党代表の座を下り、総理大臣の座は鳩山→菅→野田の順となる。。
この間、小沢を幹事長に起用した鳩山は普天間で激しいバッシング(メディア・ファシズム)を受け辞任。あとはもう、小沢から離れることだけがテーマであるかのごとくマスメディアが風を吹かせ、「国民の生活が第一」どころか消費税増税路線をひた走る。

そして、今回の改造内閣。
「国民の生活が第一」を実現するべく小沢一郎が目指した「政治主導」は雲散霧消し、完璧に霞が関が権力を再掌握したと私は思う。それを実感したのが、法務大臣人事である。
今回法相に就任したのは小川敏夫。以下、東京新聞の記事を引用してみよう。

*****
死刑 執行再開の可能性

 平岡秀夫法相が在任四カ月で退任し、後任の小川敏夫氏の同行が早くも注目を集めている。民主党政権では死刑反対の法相などが続き、死刑執行はこの一年半停止状態。前任者は死刑に慎重姿勢だったが、新法相は就任早々「しっかりと職責を果たしたい」と宣言、執行再開の可能性が出てきた。
 国内の最後の死刑執行は死刑反対を高原していた千葉景子法相が一転して命令し、確定囚二人が執行されたが、後任の柳田稔氏、仙谷由人氏はともに約ニカ月で交代。続く江田五月氏は「(死刑には)より深い議論が必要」として約九カ月間の任期中、執行を見送った。
 執行慎重派として知られた平岡氏も最後まで命令を出さず、昨年は一九九二年以来十九年ぶりに執行ゼロの一年に。確定死刑囚は戦後最多の百三十人に膨れ上がる事態となり、法務省幹部は「後任の法相は執行できる人が条件となっていたはず」とみる。(以下略)
*****

私は死刑という制度は霞が関独裁の根幹をなすものだと思う。というのも、死刑というのは法務行政(ひいては霞が関全体)の無謬性を前提としているからだ。
対して、たとえば亀井静香が死刑に反対するのは「自分は警察官僚だったからわかるが、冤罪が起きる可能性は否定できない」という理由だ。
私もそうだと思う。したがって死刑制度は廃止した方がいい(ちなみに私は終身刑論者であり、その方が犯罪の抑止になると思っている)。だが、現に死刑制度はある。
その場合、官僚の無謬性に疑問を投げかけ死刑執行を止めることができるのは政治家だけである。つまり死刑の執行停止は政治主導の象徴となりうるのだ。
が、これは霞が関の独裁権力者たちにとってはあってはならない、かつ我慢のならないことだろう。

私は菅政権で死刑反対論者だった千葉景子が法務大臣として死刑を執行した時、「千葉景子、死刑を執行 ~ 霞が関の高笑いが聴こえる」というエントリーを書いた。
死刑反対論者だった千葉は霞が関に屈服したわけだが(というより、最初からその程度の思想の持ち主でしかなかった)、しかしその後、少なくとも死刑についてはそれなりに民主党政権は頑張っていた(まあ仙谷なんぞは臨時の法相だから評価できないが)。
ところが、それがここへきてついに崩れるのならば、それは霞が関独裁の正真正銘の完全復活であり、しかも自民党時代よりもさらに悪い、なんの歯止めもきかない恐るべき政権になるのだと思う。

ただし死刑の執行権を取り戻した(であろう)官僚が、唯一気になるのは、いわゆる陸山会裁判の行方だろう。
健全な法治国家のために声を上げる市民の会が1月12日に最高検察庁に提出した告発内容は、法務行政が無謬とはほど遠いどころか、恐るべきねつ造をする可能性を示唆している。
この告発の行方がどうなるかはわからないが、霞が関は今後、マスメディアを総動員して「たかが市民団体の告発とは関係なく、小沢一郎は悪である」という大キャンペーンを張ることで、この疑惑の払拭にかかるだろう。

と、こう考えるとはまだまだ霞が関独裁との闘いは終っていない。
「国民の生活が第一」を取り戻せるかどうかの、まさに正念場にさしかかっている。

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2012/01/13

メディア・ファシズム 〜 事実を切り取り“像”に閉じ込める印象操作という手法

予想通り、健全な法治国家のために声をあげる市民の会による告発のマスメディアの扱いはベタ記事、ガン無視である(追記:私の購読している東京新聞は本日朝刊の最終版のみベタ記事。私が購読をしている11版S<最終版の1版前>以前にはなし。そして本日夕刊でベタ記事を掲載。ただし夕刊の購読者は朝刊より相当に少ない)。

・八木啓代のひとりごと
【重大】本日、最高検に告発状を提出いたしました

一方で、エネ庁前次長サンとやらが、 200万円ポッチという小ネタの「容疑」で逮捕され、新聞の1面(私は東京新聞)を華々しく飾っており、私は思わず「気の毒にナ」と思った。
検察審査会に小沢一郎を告発した謎の市民団体についてはかつて大々的に報道したマスメディアも、検察の前代未聞の組織的犯行を告発した市民団体のことを、ネットに接触していない多くの一般国民には知られたくないようだ。

そうして、朝日新聞は本日も朝から小沢一郎フルボッコ社説を掲載。私は朝日を購読していないので確認していないが、そりゃこれだけの社説を書いておいて、「その裁判自体がおかしいだろう」という告発は掲載できないだろう(言い訳程度にひっそりと掲載する可能性はあるかもしれないが)。

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小沢氏公判―政治家失格は明らかだ
 民主党の元代表・小沢一郎被告が、東京地裁で2日間の被告人質問を終えた。
 政治資金収支報告書に、秘書らと共謀してうその記載などしていない。4億円の土地取引も秘書に任せており、手元の現金を用立てたほかは一切あずかり知らぬ、と無罪を訴えた。
 虚偽記入の疑惑発覚から2年あまり、国会での説明を拒み続け、昨年1月に強制起訴された際には「法廷で真実を述べる」と言っていた。
 それが、ふたを開けてみれば「記憶にはない」「秘書に任せていた」の繰り返しだった。
 むろん、裁判所は政治家としての資質を論ずる場ではない。刑事責任の有無は今春の判決を待つしかない。
 だが、小沢氏はかねて、報告書の中身の透明度に胸を張ってきたはずだ。
 「政治活動を国民の不断の監視と批判の下におき、民主政治の健全な発展を図る」という、政治資金規正法の趣旨にかなう発言だった。
 それなのに法廷では、虚偽記載の罪に問われた問題の収支報告書にさえ、いまに至っても目を通していないと答えた。
 なぜ、見もしないで内容を保証できたのか。報告書に向き合う緊張感も、報告書を見る国民に対するおそれも持ちあわせていないことを端的に示した。
 かつての政界ならいざ知らず、政治とカネに厳しい目が注がれるいま、政治家として失格であることは明らかだ。
 こんなありさまで、「私の関心は天下国家」と唱えても、だれが耳を傾けるのか。
 「小沢氏は検察にはめられたのだ」と主張してきた人々は、これでもなお小沢氏を擁護するのだろうか。
 小沢氏が信頼し、任せていたという3人の秘書らは一審で有罪判決を受けている。会計責任者だった秘書は報告書を見もせず、宣誓欄の署名も代筆させていた。別の秘書は、政治団体間での何千万円という金のやり取りも記載しなかった。
 この監督責任も免れない。
 小沢氏の「秘書任せ」の弁明が通る余地があるのは、規正法が報告書の一義的な責任を政治家本人ではなく、会計責任者に負わせているからだ。
 その見直し問題は、長らく国会で放置されてきた。
 違反の言い逃れを封じるために連座制を強化し、政治家自身が責任と倫理を明確にする制度を確立すればよい――。
 19年前に出版した著書「日本改造計画」で、こう指摘したのは小沢一郎氏その人である。
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このゴミ社説に対する反論は田中良紹氏の一文をお読みいただければ十分だが、ここではその一部だけ引用させていただく。

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・田中良紹の「国会探検」
政治家の金銭感覚(←全文はこちら)

 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。

 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。

 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。

 しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?
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昨日の東京新聞朝刊の社会面にも「市民感覚懸け離れ」という見出しが躍っていたが、私もこのマスメディアが金科玉条のごとく振り回す「市民感覚」という言葉には、毎度のことながら本当に辟易とさせられる。というのも、そもそもマスメディアの人間に「市民感覚」があるとは思えないからだ。

もちろん会社によって差はあるが、たとえば朝日新聞の記者などは20代で年収は1千万を越えるか、あるいはその近辺までいくだろう。上記のような社説にタッチする編集委員になれば、年収2千万円以上は間違いない。そうして、毎晩、黒塗りのハイヤーを乗り回し、会社の経費で飲み食いをする。
さらに退職後も高額の企業年金で悠々自適に暮らせるわけで、それこそ「一般市民の感覚とは懸け離れて」いるのがマスメディアの人間である。

では、なぜそれだけのカネがもらえるかと言えば、莫大な広告収入があるからだ(もちろん販売収入他もあるが、広告収入はなんといっても真水なのである)。そして、そのなかには電力会社からのカネもたんまりと入っている。
そういう連中が、あたかも「市民感覚」の代弁者となって、特定の人物を袋叩きにするのである。

原発問題では頑張っている東京新聞も小沢問題では他のメディアとなんら変わることはない。
それについては以下のブログを読んでいただきたいのだが、、、

・くろねこの短語
読者に憤懣ぶちまける東京新聞のイチロー裁判「記者傍聴記」。貴重な傍聴券がもったいない。

私が昨日の東京新聞でもっとも引っかかったのは、記事の本文ではなく写真である。

20120113

多くの人がご存じだと思うが、報道のカメラマンというのはとにかくシャッターをたくさん切る。
とくにデジタル化して以降、フィルムの交換をする必要がなくなり、いくらでもシャッターを切ることができるようになった(しかも現像コストもなくなった)。
そうして撮影した多くの写真の中から、「これぞこの記事の方向性にピッタリ」という写真を選ぶ。

昨日の東京新聞の小沢関連記事の各面の見出しを見ると、「市民感覚 懸け離れ」「政治家としての責任は」「小沢代表 元秘書証言も否定 被告人質問 融資説明「記憶ない」」、「持論に終始 疑念拭えず」「4億円原資で説明に矛盾」、、、など、これでもかというほどネガティブなタイトルが並ぶ。
そうしておいて、いかにもふてぶてしく悪人面の写真を選んで(=一つの“像”を切り取って)掲載するのである。

私に言わせれば、これだけやれば、あとは細かい記事の内容など必要ない。
「法廷で何一つ本当のことを言わないふてぶてしい金権政治化・小沢一郎」という印象を写真という“像”に閉じ込めれば、それで小沢という悪の記号は完成するわけで、あとはその印象を振り回せばいい。

そして、この手法はこと小沢一郎のみに限ったことではなく、田中角栄の時代から(もちろんそれ以前もあったろうが)延々と続いてきた。

田中角栄は本当にただの金権政治化だったのか?
金丸信は?
江副浩正は?
鈴木宗男は? 
佐藤栄佐久は?

いや、彼らだけではない。
過去、メディア・ファシズムの血祭りにあげられた多くの人々。
彼らのいったい何が問題だったのか?

小沢問題に戻れば、土地購入の4億円の原資について、検察は総力をあげたにもかかわらず、ついにその賄賂性を実証することはできなかった。だから起訴できなかったのである。
しかし、それでもなんとしても起訴をしたい検察(=国家権力)は、なんと「本来その全て検察審査会に送られるべき不起訴記録のうち、不起訴の根拠となる証拠を密かに除外し」「敢えて審査員に起訴の心証を抱かせようとする虚偽の証拠をも密かにねつ造すること」で、素人集団である検察審査会の起訴議決を導き出したのである。

恐るべきやり口ではないか。
にもかかわらず、マスメディアはこれを一切問題にすることなく、4億円の原資の説明で騒いでいる。
検察でさえ立証できなかったものを、それでも説明不足だとなじるのならば、その前に自分たちで調査報道をすればいいだけの話だが、それすらせずに、、、
(ま、それでTBSは一度はねつ造ビデオを垂れ流したあげく、頬かむりしているが)

かくして、粛々と御用をつとめるマスメディアという“岡っ引きジャーナリズム”に守られた権力は、今日も安泰である。

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2012/01/12

小沢関連速報! 〜 最高検察庁に告発状を提出しました

ただいま、最高検察庁に刑事告発状を提出してまいまりした。
被告発人は不詳と田代政弘(新潟地方検察庁検事)です。
告発状を下記にアップいたしましたので、ご覧ください。
検察審査会による起訴議決によって始った小沢裁判とはいったい何なのか?
この告発状を見て、是非、今一度考えてみていただきたいと思います。

・健全な法治国家のために声をあげる市民の会

告発状

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2012/01/07

電力会社が電気料金を値上げしたい本当の理由

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「日本人ってやっぱりけじめってつけることが下手な人間だと思いましたね。やっぱりね、東電の社長がいまだに、、、まあ替わりましたけど、東電って会社があって社長がいて、社員の給料が半分になったとか、90パーセント減ったなんて話はまったく聞きませんし、、、平然と東電の社員が歩いてるってこと自体がね、日本人ってけじめをつけなさすぎますよ。」

2011年12月31日 「久米宏ラジオなんですけど」
今週のスポットライト(黒鉄ヒロシとのゲストトーク)内での久米宏の発言
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年明け早々、またぞろ地震が頻発している。そして、ネットでは福島周辺での(首都圏も含む)セシウムの降下量が増えているという情報もある。

武田邦彦教授
「速報 福島中心にセシウム急増  マスク必要!!」

武田邦彦 「東電は日本から出て行ってください」 2012.01.06

ところがテレビは、「食べログ」のランキング操作や大間のマグロの最高値で大騒ぎをしている。
私はこの映像を見て素直に「凄いナ」と思った。
「原発の破局事故は終ったことにするべく国民を洗脳する」という権力の意向を、テレビは何も報じないことで見事なまでに実現している。

さて、私は年末から年始にかけては妻の実家に帰省していた。
場所は静岡県、つまり中部電力管内である。
ちょうど義妹が家を新築しており、ほぼ出来上がったその家を見物すると、家の脇にエコキュート、つまりオール電化住宅の機器の一つが設置されていた(↓CMの青い人形が持ってくる機器)。

その後、近所の家電量販店へ行ってみると、オール電化住宅の展示コーナーが設置されていた。
つまり、中部電力では、依然としてオール電化を推進しているわけだ。

・中部電力 「オール電化総合サイト」

一方、東京電力は、さすがに3.11以降、オール電化の営業を中止していいる。
その表向きの理由は「節電をお願いしている時に勧められない」ということらしいが、本音は違うはずだ。

そもそもオール電化住宅は原発と密接不可分な関係にある。
くわしくはこちら(「原発事故とオール電化住宅」)をお読みいただければと思うが、簡単にいうと原発が作り出す深夜帯の余剰電力対策として推進されたのがオール電化住宅なのである。
したがって原発の稼働率が下がれば余剰電力も減っていく。
そしてこのままいくと、国内の全原発は4月に停止する可能性が高い。

・4月に全原発の停止濃厚 80年代以降では初めて

こうなると余剰電力は完全になくなるわけで、つまり深夜の電力料金を割り引いてまで電気使用を促進させる必要もなくなるわけだ。
というか、、、
もしこのままいけば、今度はオール電化住宅利用者のために深夜帯に割引した電気を作り出す必要が出てくる。
ここで思うのだが、実は電力会社が電気料金を値上げしたい大きな理由は、そのコストを転嫁したいためなのではないだろうか?

電力会社としては、「深夜の電気が安い」ことを“売り”にオール電化を促進してきたわけだが、その割引制度は原発と深い関係があったとは認めたくないだろう。
ところが、東京電力管内だけでもオール電化を推進した結果、原発2基分の消費増となったという。

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・オール電化住宅、普及裏目…原発2基分の消費増

 東京電力が、給湯や調理などすべてを電気でまかなう「オール電化住宅」の普及を推進してきたことが、今回の電力不足に拍車をかけている。
 この3年間で戸数が倍増し、最大で原子力発電プラント2基分にあたる約200万キロ・ワット分の電力消費能力が増えた可能性がある。東電は、東日本巨大地震後、計画停電をせざるをえない状態で、オール電化の普及策は抜本的な見直しを迫られている。
 東電によると、管内9都県のオール電化戸数は2002年3月末時点で1万3000戸だったのが、08年3月末に45万6000戸になった。10年末には85万5000戸に倍増した。「原子力は発電時に二酸化炭素を排出せず、地球温暖化の防止につながる。省エネにもなる」とアピールし、電気料金の割引を適用してきたが、急速な普及策が裏目に出た形だ。

(2011年3月23日14時42分 読売新聞)
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原発の稼働率が高く、深夜に余剰電力をドンドコと作り出していた時には何の問題もなかったが(なにしろそれでも電気の“捨て場”に困って揚水発電所を作っていたのだから)、こうなると割引制度自体をやめないかぎり、その分のコストアップをどこかに転嫁せざるを得ない。

東京電力社長の西澤俊夫は、「原発停止によって火力発電の燃料費が増加するが、電力の安定供給をしなければならないから電気料金を上げる必要があり、その申請は事業者の義務で権利」とのたまった。
しかし、実際は自らが蒔いた種、つまり、

原発推進→深夜の余剰電力拡大→深夜帯の電気料金を値下げしてオール電化住宅促進

というサイクルが頓挫してしまったなか、それでも深夜帯の電気割引を継続するためには、全体の電気料金を上げるしかないというのが本当のところではないのか。
だとすると、電気料金値上げの最大の責任は、電力会社自身にあることになる。
にもかかわらず、その責任をまったく度外視して、利用者に負担を押しつける。
こんな会社がいまだに平然とのさばっていることが、私は信じられない。

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